第二節 海賊生活はじまります
「うわっぷ! なに!?」
「ほら起きた。簡単だろ?」
滲んだ視界一杯に広がるのは、青い空と白い雲。
背中の下は固く、どうやら木製の板の上に転がされているようだ。そして心なしか、ゆらゆらと揺れ続けている。
慌てて身体を起こすと、周囲を人に囲まれていた。男女数名、軽装のシャツとズボン。それから頭にバンダナを巻いている人もいる。
腰にはあまりオルタリアでは見られない曲がった剣や銃をぶら下げていた。
一言で言うならば、海賊だった。映画とかで見たことがある。
「か、海賊……!」
当たりをきょろよろと見渡す。カナタが乗せられているのは思った通り、木造の船の上だった。船の縁から先は青い海原が広がっていて、遠くに幾つかの陸地が見える。
「何でボク、こんなところに……! いや、それよりも、え、海賊! 本物!?」
「なんだぁ、この嬢ちゃん。起きたばっかだってのにえらい元気じゃねえか」
粗野な風貌の男がそう言って笑った。
「とてもじゃねえがうなされてたとは思えねえな」
「だから言ったじゃないかい。脈も心臓もちゃんと動いてるなら、水ぶっかけりゃ起きるってさ」
「母ちゃんはちょっと乱暴すぎんだよ、ってあいて!」
「母ちゃんはよしな!」
ぼこんと派手な音を立てて、粗野な風貌の海賊がどつき倒された。それをやった人物が、ゆっくりとカナタの目の前に歩み出てくる。
「しっかり目は覚めてるね、寝坊助。
ようこそ、マーキス・フォルネウス号に。商品になるか仲間になるかはあんた次第だよ」
深い皺が刻まれた顔。その年齢を感じさせないほど爛々と輝く瞳。カナタを見下ろす長身なその女性は、もう老齢と言ってもいい年だろうに、腰の一つも曲がっていない。
海賊帽子をかぶり、他の船員よりも豪華な海賊衣装に身を包んだ彼女がこの船の船長であることは、想像に難くない。
彼女を視線を合わせるように、カナタは床に手を突きながら、ゆっくりと立ち上がった。
「アタシの名はベアトリス。ここより遥か遠く、アランドラの国からやってきた海賊さ。あんたの名を聞いとくよ」
低く、しわがれた声はしかしそれでも並の音を掻き消すほどによく通る。それを聞いているだけで背筋が伸びてしまうほどの勇壮さすら滲んでいた。
「か、カナタ……です」
「はぁん? で、アンタはエトランゼかい?」
「え、と。……それは」
果たしてここで正直に言ってしまったいいものか。アランドラと言う国のことは全く判らない。そこでエトランゼがどういった扱いを受けているのかすらも。
それを察したのか、ベアトリスはからかうように笑う。
「別にあんたがどっちであろうと何もしやしないよ。なぁ、ジャック!」
「はいよ!」
先程どつかれた粗暴な船員が立ち上がって声を上げる。
「あっちにいるのはエトランゼだ。船の船員の二割ぐらいはそうだが、仲良くやってるよ」
「あ、え、それじゃあ……。エトランゼ、です」
「ほうほう。ならギフトを持ってるだろ? 見せてみな」
言われるままに、セレスティアルを展開する。手の内を全て見せるのは危険だと判断して、切れ味を付与させず棒状に伸ばして見せただけだった。
「……んー。珍しいけど、何に使うのか今一つ判らないねぇ。高いところのもの取ったりとかかい?」
「あ、あはは……。あんまり、役に立たないです」
「だが暗いところじゃ便利そうだね。使いようはありそうだ。それになにより」
ぐっとカナタの肩を掴んで、その双眸を見る。
皺くちゃの顔に付いた二つの瞳は、何か珍しいものを見つけた子供のように輝いていた。
「度胸がある。このベアトリス様を目の前にしてビビらずちゃんと喋れるなんて大したもんだ!」
「そりゃこんな婆さん船長が出て来たら、幽霊船だと勘違いするってだけで……」
少し離れたところから、そんな声が聞こえてくる。
「ちょっと貸しな」
カナタが返事をする前に、セレスティアルの棒を奪い取って無造作に放り投げる。
くるくると回転しながらその棒は、先程軽口を叩いた船員の頭に直撃して、良い音を立てた。
「やっぱり結構役に立つじゃないか。さあさあ、お前達! 新しいお仲間だよ! 主に雑用をやってもらう! 女共、仕事を教えてやりな! 男共、まだガキなんだから、手を出すのは陸に戻ってからにしな!」
ベアトリスの声に、歓声が船を包む。
急なことについていけなかったカナタだが、どうやら自身も海賊にされてしまったことに慌てて反論すべく、最早こっちを見ていないベアトリスの傍で必死で背を伸ばした。
「ちょ、ちょっと待って! ボク海賊になるなんて一言も……!」
「あぁん? あんたは倒木に掴まって流れてるところをアタシが拾ったんだ。放っとけば死ぬところね。もし仲間にならないなら、海賊の流儀に従って、拾ったもんは商品として売り捌かさせてもらうよ」
その言葉に、カナタはこの世界に来たばかりのことを思いだして、身震いする。
逃げるにもここは海の上。例え飛び込んだところで溺れ死ぬのは間違いない。
「あ、はい……。海賊になります」
肩を落とすカナタの尻を、ベアトリスは強く叩く。
「うきゃあ!」
「なにしょんぼりしてるんだい! 感謝しろともアタシを尊敬しろとも言わんけどね、あんたには落ち込んでる暇なんかないよ! なんたって命を救ってやったんだからね、その代金分はしっかりと働いてきな!」
ベアトリスの声と同時に、カナタの足元に転がって来たのは甲板掃除用のモップとバケツだった。
「しっかり働くんだよ、新入り」
▽
目の前に立つ男に対して、怒りと言う感情がそれほどあったわけではない。
しかしそれでも、ヨハンは先程のサアヤの気遣いをありがたく思う。
浅黒い肌にくせ毛、大柄な体格だがその顔立ちはまだ少年のような幼さがあるそのエトランゼの名はカルロ。
彼から聞かされたカナタが行方不明になったことの顛末は、ヨハンが想像していた以上のものだった。
「……ヨハンさん。そんな怖い顔で睨まないでください」
落ち着くようにと、サアヤの手が肩に乗せられる。
そんなつもりはなかったのだが、自然と表情も強張っていたようだ。
今、ヨハン達はイシュトナル要塞内の空き部屋を一つ使って、出頭してきた男カルロと話をしている。
殺風景な部屋には簡素な椅子が二つ置いてあるが、ヨハンにしてもカルロにしてもそれを無視して立ったまま話をしていた。
「続きを」
ヨハンが促すと、カルロはびくりと身体を竦ませながらも話を続ける。
「それで、おれ達は英雄って呼ばれてるカナタ……さんの力を借りたくて」
「カナタの力を利用するつもりだったのか。……よりにもよって、エトランゼの反乱に」
やはり、無意識に怒りを込めた声が出ていたようだ。
カルロの顔面は蒼白で、今にも踵を返してこの場から逃げ出してしまいそうだった。勿論、ここが要塞内である以上ギフトを持ってしても簡単に逃げられはしないが。
彼の話を纏めると、カルロ達――とは言っても彼はそのパーティの末端で、中心となっていた男達は身を潜めたようだが――はエトランゼによる国家の設立を目的とした地下組織の一員で、その為に冒険者家業を行いながら有能なエトランゼをスカウトしているらしい。
当然、彼等は英雄と呼ばれたカナタにも声を掛けたが、返事は色よいものではなかった。
逆上したリーダーはダンジョン内部だと言うのにカナタを激しく罵倒し、連携に隙ができたタイミングで魔物に襲われたのだと言う。
「カナタさんは、おれ達が酷いことを言って、下手をしたら無理矢理連れていこうとしたのに、魔物の攻撃からみんなを庇って、ダンジョン内部を流れてた川に落ちて」
ヨハンが顔を上げると、即座にサアヤは手に持っていたダンジョンの地図を手渡してくる。
確かにカルロの言う通り、ダンジョン内部には地底河川が幾つも流れていた。それどころか場所によって地底湖と呼んでいいほどの広さの水源まで存在している。
――この規模から察するに、人が落ちて流されたとしたら恐らく助かることはないだろう。
「あの、おれ、おれ……」
「……冒険者同士の揉め事に、イシュトナルは干渉しない。お前達がやったことが罪に問われることはない。だからこそ聞かせてくれ。お前はどうして、ここに来た?」
「そ、それは……」
その答えはカルロ自身にもよく判っていない様子だった。
「でも、おれ達酷いこと言って、それでもカナタさんはおれ達を庇って……。他のパーティのみんなは自分達は悪くないとか、余計な手間が省けたとか言ってたけど、おれは、なんかそれは違うって……」
「そうか。サアヤ、ゼクスを呼んですぐに調査隊を組織させてくれ」
「ゼクスさんですか? ダンジョンを調査するなら違う人達の方がいいんじゃないですか?」
「それはこっちで冒険者を募る。ゼクスにはフィノイ河周辺の街や集落で情報を集めさせるんだ。ダンジョン内部の地下河川はフィノイ河に流れ込んでいる可能性が高い」
「……判りました」
ヨハンの仮説はあくまでも希望的観測に過ぎない。それでも、生きているとすれば地下河川を流されてフィノイ河に合流している可能性が一番高いだろう。
もし今でもカナタの身体がダンジョンにある場合、生存は絶望的だ。
だから、生きていると仮定して最も可能性が高いものを選んだ。それでも、奇跡のような確立ではあるが。
「貴重な情報を感謝する。報酬は出せないが、今後何かあったら頼ってくれ」
「は、はいぃ!」
情けない返事をして、カルロはそそくさと部屋を後にする。
彼が出ていったのを見計らってから、サアヤは不思議そうな顔でヨハンを見上げた。
「制裁はしなくてよかったんですか?」
それは彼女らしからぬ問いだと、ヨハンは思った。それだけカルロの言葉に、腹を立てた部分があったのだろう。
「末端を潰しても意味はない。それにしばらくは監視を付けさせてもらうさ」
「エトランゼの国家ですか……」
それは以前、サアヤが所属していたエトランゼの組織も夢見たものだ。
そのリーダーであるヨシツグは理想を抱いたまま、それを叶えるための手段を選ばなかった。
そして今もなお、夢想したまま世界を騒がせようとする者達が現れる。
「何にせよ、今は構っている暇はない」
「でも、カナタちゃんを探すのにゼクスさん達を使うのって、職権乱用ですよね?」
「言い訳は考えておくさ。……反対か?」
そう尋ねると、サアヤは悪戯っぽくくすりと笑った。
「いいえ、大賛成です」
ヨハンの傍にはカナタがいる。
そんな光景をもう一度みたいと思っているのは、サアヤとて同じだった。
▽
「新入り! 甲板掃除はまだ終わんないのかい!」
「も、もうちょっとだけ待っててくださいー!」
「新入り! 次はこれを倉庫に運んどけよ!」
「はーい!」
モップを持って甲板を駆けまわり、それが終われば言われた通りに甲板の隅の方に重ねられている麻袋を担いで船倉へと運んでいく。
「重い……。これ、どう考えてもボクじゃない人が運んだ方がいいと思うんだけど」
根性試しのようなものなのだろうか。周りのカナタ以外の船員はそれほど忙しそうにしているわけでもなく、交代制で仕事がない間はのんびりと談笑したり酒を飲んだりしていた。
彼等が寝るための船室を通り抜けて、最奥の倉庫へと荷物を運ぶ。
倉庫の扉を開けると、どうやら食糧庫のようで、塩漬けにされた肉やビスケット、チーズなどが樽や箱に保存されている。
その横の空いているスペースに麻袋を降ろして一息つくと、部屋の奥に続く扉があることに気が付いた。
好奇心に負けてカナタは扉に手を掛ける。
「なーにやってんだい!」
「うひゃあ!」
突然声を掛けられて飛び上がりながら振り返ると、そこにはベアトリスが意地悪い笑顔で立っていた。
「ほぉー。入って三日でお宝に興味を持つとは、あんたも海賊らしくなってきたじゃないか」
「ご、ごめんなさい! 出来心っていうか、何があるのかなーって思っただけっていうか……お宝!?」
「そうさね。こっちの倉庫は戦利品を入れとくもんだからね。アタシらは基本的に、陸に上がってから分配するのさ」
腰に付いたベルトにぶら下がっている鍵を鍵穴に差し込んで回すと、かちゃりと音がした。
そのまま扉を押すと、木の軋む音と共に扉が開いた。
「ほら、見たいんだろ? ついて来な」
「いや、本当にただの好奇心で……」
「だーかーらー、好奇心で見たがってんだろって。別に怒りゃしないよ、むしろそっちの方が海賊らしくて歓迎さ」
「あの、ボク……海賊を続ける気は……」
カナタの話など殆ど耳に入らず、ベアトリスはずんずんと先に進んでいく。
カナタも命を助けてもらった手前はっきりと宣言もできず、とぼとぼとその後ろと付いていった。
「……わぁ」
部屋に入ったカナタの第一声は、そんな間抜けな声だった。
狭い部屋の中に、宝石や金貨、剣などの武具と真珠に本。太陽のようにきらきらと輝く首飾りや腕輪などのアクセサリーも大量に収められている。
「ふふん。どうだい、これがアタシ達が集めたお宝の数々さ。今んところあんたの取り分はないけどね。欲しけりゃ自分が役立つところ見せてみな」
そんなことよりも早いところに陸に上がって解放してほしいのだが、今はそんなことを口に出すことはできない。
それに目の前の宝物の山に心を奪われているのもまた事実だった。奪ってやろうとは間違っても思わないが、危険を冒してまで宝を探すその気持ちは判らないでもない。
「……でも、これって人から盗んだ物なんですよね?」
「そりゃあそうさ。大昔にどっかの誰かが隠した宝をかっぱらった分も含めてね。なんだい、そんなことを気にしてんのかい?」
カナタは頷く。
そこには小さく、ベアトリスを咎める感情を含まれていたが、それが彼女に伝わったのかは判らない。
「別にアタシは言い訳するつもりはないよ。自分が悪党だって言う自覚もある。でもね……」
「船長! 大変だ!」
ベアトリスの言葉を遮るように、大声を放ちながらやって来たのは、ジャックと呼ばれていた船員だった。
彼は部屋に入るなり、カナタとベアトリスを見比べて、一瞬怪訝な顔をする。
しかし、焦ったその声からも判るように自体はそれどころではないようで、すぐにベアトリスの方へと向き直った。
「ハーフェンの武装商船だ! 連中、俺達がフィノイ河の入り口でドンパチやってたのを見てやがった!」
「へぇ。あれを見てまだこっちに仕掛けてくる余裕度胸があるとは大したもんだ。面白いじゃないか。手が空いてる奴は全員甲板に上げな!」
「へい!」
返事を返してジャックは駆けていく。
状況がまだ今一つ飲み込めていないカナタの尻を、ベアトリスの平手が討った。
「痛い!」
「あんなちんけなギフトじゃ役に立たないだろ! 適当なところに隠れてな!」
そう言ってベアトリスは、カナタを押し出すように宝部屋から追いだすと、再びその部屋に鍵を掛ける。
そうしてもう一度もこちらを振り返ることなく、船の上へと意気揚々と向かって行った。
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