四章 空と大地の交差
第一節 まだ闇の中
暗闇の中を、ピッケルが石を打つ音だけがひたすらに木霊する。
天候は生憎の雨、それも大雨と呼んでも過言ではないほどの悪天候だ。
その中で、雨音に掻き消されないようなほどの掛け声と、地面を掘る音だけがそこには響き渡っていた。
その中心にいる男。逞しい肉体を持つ、身体中に傷を負ったその男はこんな理不尽な状況での重労働だと言うのに表情に陰りはない。
むしろ口にはにやにやと笑顔を浮かべて、まるでそれを楽しむように一心不乱に手に持った獲物を地面に振り下ろし続けていた。
そこは禁忌の地。
そう呼ばれる、オルタリアから船で丸一日ほどかけて進んだところにある小さな孤島だ。話では遥か昔に父神エイス・イーリーネの元で戦った御使いが、地獄からの悪魔と共に封印されているという。
だが、元が荒くれ者であるその男にとって神様の伝説など眉唾だ。そんなものよりも明日の飯のタネの方が余程価値がある。
そして男にそれをくれたのが、意外なことで一般的にはエイスナハルを強く辛抱する五大貴族と懇意にしているオルタリアの王、ヘルフリートだった。
ヘルフリートは部下を通じて男と接触し、彼が率いていた荒くれ者の集団を大金で雇い入れたうえでこの任務を与えた。
その報酬だけでも受ける価値は充分にあったし、何よりもその後も部下として召し抱えてくれるらしい。
そう思えば雨の中重い道具を振り下ろすことぐらい、大したことでもない。
島の上にあった神殿とは名ばかりの朽ちた柱と見たこともない石の床、それから柱伝いに石の梁が残っているだけの単なる廃墟に過ぎない。
「お頭ぁ!」
雨の中を切り裂く大声が走る。
その部下の声色から、きっとよい知らせであろう、勝手にそう判断して男の表情に更なる喜色が灯った。
「なんだ?」
「あの王サマの言ってたやつって、これじゃないですかね!」
そこに近付いていく。
その部下が担当していたのは神殿の中心部の辺りで、彼が掘った穴をランタンで照らして覗き込む。
「……空洞か?」
石床の下に隠れていた空洞が、つるはしを突き立てられた個所から顔を覗かせていた。
「よーし、目的もんは多分この奥だ! 気合い入れるぞ!」
中にあるものがもし王サマのお気に召さなければ適当な古道具屋に売っぱらえばいい。
禁忌の地で掘れたものならばそれなりに高値を付けてくれる物好きも少なくはないはずだ。
「おいお前等集まれ! この辺りを集中的に掘るぞ!」
大声を上げて待つが、誰も近付いては来ない。
様子がおかしい。いつの間にか雨の中に僅かに聞こえていた地面を掘る音も、掛け声も消えている。
「お、お頭……」
「んだよ……。便所か? せめて一人一人に……」
「お頭ぁ! あれ、あれ!」
酷く上擦った声で、部下が何かを指さす。
こいつは昔から臆病な奴だ。だからこそ今日まで一緒に生き残ったわけでもあるが。
溜息をつきながら、そいつが指さす方向を見る。
そして、男は息も息を呑んだ。
「ったく。……人間如きがこの禁忌の地に近付くなって、ずっと言われ続けてなかったか?」
白い。
それは何処までも白かった。
白い髪に、雨の中でも輝くような法衣。髪に隠れて顔立ちは判らないが、若い男のように見える。
呆れたような、不機嫌な声で誰に語るわけでもなくそれは言葉を発し続けている。
「だから人間は嫌なんだ。何の価値もないくせに、たかが地に溢れるだけが脳の分際で、こちらの言ったことを三千年も守れやしない。だからこうしてオレがわざわざ事体を解決してやる必要が出てくるんだ。お前、判ってるのか? その馬鹿な行いが、何を招いたのか?」
その手に光が集う。
まるで魔法のようで、それとは違う輝きが。
「まあいいや。人間如きに言っても無駄だな。せめてもの償いをさせてやる。さっさと塵になって消えろ。それがお前達にできる唯一の懺悔だ」
恐怖に目を見開く男達の前で、その輝きは全てを飲み込まんほどに眩く広がっていった。
それはまさに、人の愚行に怒る神の怒りにすら見えた。
▽
仕事用の机が一つと来客用件普段は助手が仕事をするテーブルが一つ。後は仕事で使う資料が治められた小さな棚があるだけの簡素な部屋の中に小さな声が響いた。
「……あまり、こう言うことは言いたくないのだけど」
顔を上げれば片手に書類の束を持ったアーデルハイトが、それをこちらに見せつけるようにして立っている。
きっちりと揃えられた前髪にショートカットの金髪美少女は、若干呆れたような、そこに加えて少しばかり申し訳なさそうな表情でヨハンの方を見ている。
「書類の不備がぱっと見ただけでも三つ。それからの他の資料にも」
「……すまん。今修正する」
その手から書類を受け取って、彼女が記しを付けたところに目を通していく。重要書類と言うわけではないが、その小さな失敗は少しずつここイシュトナルに損害を重ねていくことに繋がる。
「……少し休んだら?」
「仕事は山積みだ。そんな暇はない」
戦後処理に、今後のことを顧みての人材の募集。それから各種雑務などヨハンの仕事は山積みになっている。
特に、オルタリアとの関係は今が大事な時期だ。慎重に事を進めていく必要がある。
「あ、またミス」
「……む」
そう指摘されて手が止まり、諦めて椅子の背もたれに深く寄りかかる。
天上の方を見上げながら、ぐっと身体を伸ばした。
「不安な気持ちは判るけど……」
「なんの手掛かりもないんだ。戦争にかまけてダンジョン探索を後に回していたことがこんな影響を出すとは」
先日、カナタが行方不明になったとの知らせがサアヤから入った。
以来ゼクスを中心とした調査隊に行方を探させているが、今のところ成果は上がっていない。
何せ何処でどのようにして行方が判らなくなったのかが全く判らないのだ。
ダンジョンの探索を冒険者達に任せていた現状では、彼が自主的に制作した地図しかその中を確認する手段もない。
積極的にそれらの地図を買い取ってはいるのだが、それを組み合わせても満足な全体像一つ見えてこないのが現状だ。
不安は焦りに繋がる。
理性では今動きべきではないと理解しているのだが、だからと言って何もしないわけにもいかない。
その苛立ちから、仕事でもミスを連発するようになってしまっていた。
「焦っても始まらないわ。今は少し落ち着いて、情報を待ちましょう」
「……そうは言ってもだな」
「らしくない。そんなにあの子が大切?」
「……お前に俺の何が判る」
そんな人間ではない。
何が起ころうと超然的に構えていられたのは、そこにギフトと言う力があったからだ。
それを失ったヨハンは、今はただの無力な人間の一人に過ぎない。先日、それを嫌というほどに重い知らされた。
だから、今のヨハンはアーデルハイトが知る人物ではない。だからこそ、焦りもあってか不意に出てしまった一言ではあったのだが。
「ご、ごめん……なさい」
彼女は、そう受け取られなかったようだ。怒りをぶつけられたと勘違いして、しゅんと肩を落としてしまった。
「……いや、すまん。苛立ちをぶつけてしまった。だが本当に、手段がないというのは不安になるし、何より恐ろしい」
その言葉を聞いて、アーデルハイトは一瞬、ぽかんと口を開けたまま固まった。
ヨハンが恐ろしいというのを聞いたのは初めてのことだ。
そして、何となくではあるが理解した。
彼は今、ギフトを失ったことを自覚した。その上で足掻かなければならない、その他の大勢と同じ人間の一人であることを。
「わたしも、少し配慮が足りなかったかも。でも怖くてもわたしがいるわ」
「……子供の力を借り過ぎるわけにもいかないだろう。ただでさえ、お前には世話をかけっぱなしなのに」
「……むぅ」
子供と言われて頬を膨らませるアーデルハイト。
「だが、実際助かっている。こうして少し話をしてくれただけでも、随分と気が楽になった」
「そう? なら、ご褒美を貰ってあげてもいいわ」
「……すまんが、なにも持っていないぞ」
「この程度のことでそんな大層な要求はしないわ」
そう言って、アーデルハイトは屈み気味に頭を差し出す。
それを見てヨハンはなんとなく察したが、果たしてそれをしたところで彼女に何の得があるのかと、数秒ほど真剣に考えてしまった。
「どうしたの?」
「いや、本当にこれでいいのか?」
「ええ。減るものではないし、いいでしょう?」
「……まぁ、それもそうか」
アーデルハイトの頭に手を伸ばす。
指先にさらりとした絹のような手触りが触れると、その感触が伝わっているのか、アーデルハイトは小さく身体を震わせる。
そしてその掌が前頭部に付けられる数舜前。
ばしんと、ノックもなく派手な音を立てて扉が開かれた。
「神聖なる執務室で! 女の子とイチャイチャするのはよくないと思います!」
肩で扉を押し開いて猛スピードで部屋に飛び込み、くるくると回転しながら咄嗟に手を引っ込めたヨハンとアーデルハイトの間に滑り込んだ上にテーブルの空いた床に珈琲とお菓子が乗っかったお盆を乗せたのは、肩口で切り揃えられた黒髪の女性でありイシュトナル本部の顔役でもあるサアヤだった。
よくもまぁあれだけの動きをしてお盆に乗せた珈琲が零れなかったものだと、そこは素直に感心する。
イチャイチャしていたかどうかは別として、部屋の外から中の様子を伺う方法はなかったはずなのだが……。
「ヨハンさん! ここはお仕事をする部屋です!」
「いや、それは判っているが……」
「別に遊んでいるわけではないわ。ちょっとしたご褒美を貰おうとしていただけよ。余計な邪魔が入ったけど」
じろりと、アーデルハイトがサアヤを睨む。
「お仕事ですから仕方ないですよ。大人は簡単ではないんですよ、お手伝いのアーデルハイトさん」
「……ふぅん。別にいいけど。わたしは、貴方にはできないことをしたから」
「なっ! できないことって何ですか! そんな『彼の全てを判ってる女』みたいな顔をしても無駄ですよ! 女が思ってるほど男の人は単純じゃないんですよ!」
「……サアヤ。少し静かに。それから女のお前がそれを言うか」
ちなみに男は女が思っている以上に単純で簡単だと、ヨハンは思っている。まぁ、そればかりは男女ともにお互い様だろうが。
「あ、ごめんなさい」
「……別に、そんなに無理なくてもいいぞ」
「判っちゃいました?」
彼女がヨハンを元気づけるために空元気でここに入ってきたことぐらい、一目見れば理解できる。
それがばれていたことが悔しくて、しかし同時に何処か嬉しくて、サアヤは複雑な表情をしていた。
「用が済んだのなら出ていってもらえる? まだ仕事が済んでいないの」
先程休めと言った口で、アーデルハイトがサアヤに冷水を浴びせかける。なんとなく、二人の間にある空気に不穏なものを感じ取った成果だった。
「いいえ、お知らせはまだあります。ヨハンさん、カナタちゃんが行方不明になっていたときに一緒にパーティを組んでいたうちの一人が、イシュトナルに出頭してきました」
途端真剣な顔つきになり、サアヤはそう言った。
「本当か?」
「はい。エトランゼの男性で、名前はカルロさん。時間があるのならすぐに面会できますけど」
「頼む。アデル、すまないが」
「ええ、判っているわ。仕事の方は任せておいて」
アーデルハイトも即座に自分がやるべきことを理解して、二つ返事で了承する。
ヨハンは居ても立っても居られず、椅子から立ち上がって部屋を出ていこうとする。
「あ、ヨハンさん!」
そこをサアヤに飛び留められた。
「なんだ?」
「珈琲、冷めちゃいますよ」
「冷めても飲めるが」
「美味しい時に呑んでもらってこそ、煎れた甲斐もあります。落ち着く意味も兼ねて、それを飲み終えてから参りましょう」
笑顔でそう言いながら、木製のカップを手渡すサアヤ。
確かに彼女の言う通り、あの勢いで行っていたら感情のままに行動してしまったかも知れない。
相手が何を思って、どのような目的があるのかも判らないのだ、落ち着かなければならない理由は幾らでもある。
ゆっくりと一杯の珈琲を飲みながら、頭の中で様々な可能性を巡らし、自分の中で回答の当たりを付けておく。
横目でサアヤを見れば、ヨハンがそうなることが判っていたのだろうか、再度こちらに緩く微笑みを向けてくれた。
「……むぅ」
そしてアーデルハイトは面白くなさ半分、関心半分の複雑な表情をしていた。
▽
暗闇の中で、声がする。
「裏切り者!」
その叫びは最初は一つだったが、次第に数を増やしていった。
「ギフトを持った化け物!」
「強い力を持っているくせに……!」
男と女の声が交じりあう。
どうして誰も救えないのだと、それらは彼女を苛む。
力を持ってこの世界に来たのならば。
救い続けろと、誰かは言う。
だから、英雄と呼ばれた。
力ある者の証。弱者のために戦う正義の御旗。
その名で呼ばれる意味をよく考えろと、人々は口々に言った。
「英雄が居てくれれば安心だよ」
「なんで救えなかったんだ! 英雄の癖に!」
「英雄なんだから、これぐらいできるよな」
勝手なことを、彼等は言い続ける。
そうして弱さを盾にして、無理を強い続ける。
だが、彼女にはそれができた。
英雄と呼ばれるに足る力は、それを全て可能としてしまっていた。
そうしなければならない。
それは力を持った者の義務だから。それを使って人々の役に立とう。もっと沢山の人を救わなければ。
――殺してしまったあの子に、申し訳が立たない。
――あの子を殺すしかできなかった自分を許すことができない。
だから大勢の人を救おう。
手を差し伸べ続けよう。
彼等がそれを求める限り。
「あれ」
少女の声が暗闇に響く。
「でも、ボク」
ならば。
力を持つことが人を救い続けなければならない理由となるのならば。
「ボクを助けてくれるのは……?」
その疑問が形となる前に。
頭の上から被せられた冷水が、カナタの意識を無理矢理に現実へと引き戻した。
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