第五節 戦舞台にて

 エルプスでの先陣を新兵器によって打ち破ったエレオノーラ軍は、そのまま街の守備隊と合流。クルト率いる本隊は徹底的に防御を固め始めた。

 それまで事態を静観していたヨハン率いるエトランゼの遊撃隊、奇襲部隊の本領はここから発揮となる。

 街の外で抵抗していたヘルフリート軍も大半が壊滅したところで、東側に侵攻していたカーステンの本隊へと忍ばせていたゼクスが虚偽の報告を行い、カーステンをエルプスへと導くことに成功した。

 エルプスにて壊滅寸前の自軍と合流し彼等が呆気に取られた時には既に遅く、こちらが襲い掛かる準備は完了していた。

 冒険者や荒事を経験し、戦いに長じたギフトを持った者達で構成された精鋭部隊。動揺するカーステンに、彼が虐げていた者達が今、牙を剥いて襲い掛かる。

 エルプスの北門前で、状況の把握ができずに右往左往するカーステン達に対して、その背後に展開したエトランゼの遊撃隊。ヨハンと並んでその先頭に立つ男が二人。

 そのうちの一人、金髪を靡かせた長身の男は、いつも通りの獰猛な笑みを浮かべて横に立つヨハンに声を掛ける。

「作戦は成功かい、大将?」

「概ねはな。このまま街の防備を固めたら増援に対してもう一度攻撃を仕掛ける。上手く行けばそのままネフシルまで奪還できる」

 背中に背負った、二つ折りになっている銃を広げながらヨハンは答えた。その銃身は長く、完全に伸ばすとヨハンの身長と同じぐらいの長さがある。

「カーステン……! あの時ちゃんと仕留めておけば、ネフシルは……!」

 もう片方で、黒髪の少年。炎を操るギフトを持つトウヤが唇を噛んでいた。

 以前カーステンを取り逃がしたことを悔やんでいるようだが、それはトウヤに罪はない。もっとも、それを本人に言ったところで納得はしないだろうが。

「で、全員ぶっ殺していいんだな?」

「ああそうだ。これはデモンストレーションだ。ヘルフリート軍と、オルタリアに、エトランゼを集めて統率が取られた軍隊がどれだけ恐ろしいかを見せつけろ」

「りょーかい。野郎ども! 誰が一番首を上げられるか勝負するぞ! 一番多くぶっ殺した奴には俺が酒と女を奢ってやる!」

 ヴェスター旗下、最も血の気の多い者達で構成された突撃隊が先陣を切る。

 浮足立ったカーステンの兵達はそれを見て動揺し、一瞬数の有利を忘れた。

 総数はまだ彼等に分がある。それを利用して、落ち着いて立て直せばよかったのだ。

 だが、真っ先に斬り込んだヴェスターの気迫とその戦場を駆ける暴風のような姿が、それを許さなかった。

 黒い人波の中に三十人ほどの一団が突入しただけで、辺りに鮮血の花が咲く。彼等は一人一人が強力なギフトの持ち主でもある。

 雷、氷、風など現象を巻き起こすもの。

 倒した敵の骸を操るもの。

 幻影を見せ、三十の兵を三百と錯覚されるもの。

 魔法とは異なる力によって生み出された不条理は、一瞬にして戦場を支配する。

 これが、ヘルフリート達がやろうとしていることの遠い未来の姿が。

 今はまだそれをする者はいないが、ヨシツグという前例があったように、いずれ必ず虐げられていたエトランゼ達を統率する者が現れる。

 満足な食事をとり、寝床を確保し、万全の態勢で戦えるようになった、訓練されたエトランゼの兵士は恐ろしい戦力となるだろう。

 今、ヨハンがこうしてやって見せたように。

 だから、彼等はお互いに理解し合う必要がある。そして戦いにならない道を模索しなければならない。

 それを教えるための戦いでもあった。

「おい。何ぼーっとしてんだよ?」

 トウヤにそう声を掛けられて、ヨハンは迂闊にも深みにはまりかけていた思考を中断する。

「第二部隊も動くぞ。トウヤ、行けるな?」

「とっくに準備できてるって。あんた以外は」

「俺も行ける。それから伝令。本隊へと連絡。兵達の休息が終わり次第、エルプスの門を開き、加勢を求むと」

 足の速いエトランゼに伝令を頼み、ヨハンは銃の、ヘヴィバレルと名付けた大型銃に箱型の弾倉をそのまま放り込む。

「第二陣、出るぞ! 第三陣はこちらの後退に合わせろ!」

 兵達の返事を背に、ヨハンとトウヤは並んで戦場に突入する。

 既に敵の最前線は、ヴェスターの突撃の効果もあって半壊状態にあった。

 それでもなお戦意を失わず、事態を飲み込むことのできない小隊長達はこちらを食い止めるべく武器を取り奮戦する。

「邪魔だよ……! 無駄死にしたくなけりゃ退いてろよ!」

 トウヤの左手に生み出された炎が、波のように広がって敵兵達を包み込む。

「ほ、炎だ!」「魔法使いがいるのか!?」「違う、エトランゼの力だろうが!」

 そんな悲鳴染みた声が幾つも上がり、一瞬にして炎に飲み込まれた戦線は崩壊する。

「いた! ……カーステン!」

 その中で、トウヤの目が兵達の奥に潜み、声を荒げる一人の男を発見する。

「あいつを倒せば……戦いは終わる!」

 炎を噴き上げ、無理矢理に兵達の壁を抉じ開けるようにして、トウヤがカーステンに向けて突撃していく。

「トウヤ!」

 幾ら勢いで有利を築いたとはいえ、それはあまりにも無謀な突撃だった。

「邪魔すんな! 俺が倒したいのは……倒すべきなのはあいつだけだ!」

「エ、エトランゼを私に近付けさせるな! この大地に住まう資格なき者達を皆殺しにしろ!」

 カーステンがヒステリックに叫ぶ。

 兵達はそれが愚かな命令と判っていても、逆らうことはできず、トウヤを押し留めるために壁を築く。

 飛来した矢を炎で焼き尽くし、目の前に立つ兵士を剣で斬りつけて道を切り開こうとするトウヤだが、幾らギフトを持ってしても、数の差を覆すことは難しい。

 カーステンを護るため殺到した兵達は剣を振り、槍を突きだし、トウヤの行く道を阻み続ける。

「く、そ……!」

 槍の穂先が頬を傷つけ、鋼の刃が突出してきた愚か者を仕留めようと無数に振り下ろされる。

 苦し紛れに放った炎は、巨大な金属の盾を構えた兵士に阻まれて満足な効果をもたらすことができなかった。

 背後にまで敵が回り込み、あわやと言ったところで、戦場に銃声が鳴り響く。

 遅れて駆けつけたヨハンが背負った銃を腰だめに構え、引き金を引いていた。

 放たれた弾丸は、いつものショートバレルの物よりも遥かに大口径で、トウヤに今まさに斬りかかろうとしていた兵士を鎧ごと貫き、身体に大穴を開けて絶命させた。

「……ヨハン……!」

「突出しすぎるな。幾らギフトがあると言えど、連携を忘れては勝てる戦いも勝てなくなる」

 兵達の注意が逸れた隙に、トウヤは包囲を脱出してヨハンの元へと後退する。

 逃げる敵の背後を討たんと殺到する敵兵を、一陣の風のような斬撃が容赦なく薙ぎ払う。

「オラオラオラァ! まだまだ全然喰い足りねえぞ!」

 不気味に輝く黒き剣を構えた獣は、有象無象の敵兵を容赦なく薙ぎ払い、その返り血を浴びることも全く厭わずに戦場を堪能する。

 そして周辺の敵を片付けたヴェスターは肩にその長剣を背負い、ヨハン達に背を向ける形で敵陣を挑発しするように睨みつけた。

「……なんだよ威勢がいいのは最初だけか? てめぇら、街の人間を無差別にぶっ殺したんだろ? ろくに動かねえ、逃げるだけの奴殺してもつまんねえだろ? 俺が相手になってやるってんだよ!」

 ヴェスターが吼える。

 たったそれだけで、圧倒されたカーステンの部隊は後ずさりを始めるほどに、目の前の一人の男に対して恐怖心を植え付けられていた。

「……大将。相手はビビってるぞ。今なら一気にいけるんじゃねえか?」

「三人でか? 後続が到着するまでにはまだもう少し時間が掛かるぞ」

「それを決めるのがお前の仕事だろ?」

「……判った。ヴェスター。道を切り開け。俺とトウヤが援護をする」

「おう! ってわけだ……」

 威勢のいい返事は、敵兵にとっては死神の笑い声にも等しい。

 トウヤの突撃が功を奏してか、内部から食い破られた敵陣は壊滅状態に等しく、後少し時間を置けば友軍も追いついてくるだろう。

 ただ、今はその時間が惜しい。カーステンを取り逃がせないのはトウヤの都合だけではない。

「運が悪かったなぁ。じゃ、死にな」

「……! アンタは!」

 ヴェスターが駆ける直前。トウヤは咄嗟に反応して目の前に炎を放つ。

 彼と並走するように伸びたそれは、敵兵を多数巻き込み、ヴェスターが突撃する隙を見事に生み出した。

「援護サンキュー! お前もこっち来て暴れろよ!」

 鋼の刃が一振りされるたびに、一人と言わず幾人の敵兵が命を落とす。

 ヴェスターの魔剣は切り裂いたものの命を吸い取り、持ち主の力とする忌まわしき呪いの刃。

 本来ならばそれは使い手に力を与える代償としてその心と魂を蝕み、最終的には心を剣に乗っ取られ、血に飢えた殺人鬼となってしまう呪わしき剣だった。

 しかし、ヴェスターの持つ魔剣使いのギフトはその呪いを無効化する。所有者に力を与えるだけの恐ろしい武器として魔剣を変貌させてしまっていた。

 そして彼はほぼ無尽蔵に、致命傷を与えられ命が尽きるまで戦場を駆けることができる、狂戦士と化していた。

「く、くそ……! 隊長、後退の許可を!」「だ、駄目だ! カーステン様を護らなければ……!」「しかし敵は、敵は人間とは思えません、まるで悪魔です!」

 そう叫んでいた兵士達が、一瞬にして血の霧と消えた。

「悪魔か……。格好いい名前付けてくれるじゃねえか」

「おい! 後ろ!」

 ヴェスターに斬りかかろうとしていた兵士を、トウヤの炎を纏った剣が鎧ごと切り裂く。

「おぉ、助かったぜ。さて、そろそろ大将首だ」

 既に二人の視界には、カーステンの姿があった。

 こちらを指さし何かを叫んでいるが、その声は戦いの音に掻き消されて届かない。

 そして二人がこの戦いを終わらせるべく一歩を踏み込んだとき、横合いから乱入してきた金属の塊が纏めて二人を吹き飛ばす。

「うわっ!」

「おぉ!」

 白銀の鎧を纏った巨大な影。

 そのシルエットは魔装兵とよく似ているが、その意匠はより洗練され、より美しくしなやかな形を描く。

 鎧でありながらそれは戦うというよりも、何処か展示されている芸術品染みた美しさを誇っていた。

 太陽の照り返す白銀に、所々走る蒼色をした魔力の伝達を示すライン。

 一本の角があしらわれた兜の下にある瞳が、まるで暗闇で反射する動物のよう瞳のように輝く。

「聖別騎士……!」

 以前ヨシツグが率いていたエトランゼの集団を襲い、単騎で大打撃を与えたその鎧姿が、再びそこにあった。

「こいつ、あの時の……!」

 かつて戦い、歯が立たなかった記憶を思い出して、トウヤが起き上がりながら苦々しい顔をする。

 一方のヴェスターは最早考えることも阿呆らしいとばかりに、魔剣を振り上げて聖別騎士へと襲い掛かっていた。

 魔剣と聖別された剣がぶつかり合い、お互いが干渉して金属同士とは異なる音が鳴り響き、二つの間に力場が生まれては消えていく。

「ヨハン! 行けるのか……?」

「行ける。こいつがカーステンの切り札なら、こいつを仕留めれば勝てる」

「でも……!」

「聖別騎士を倒す。俺はそう判断した」

 そう宣言すると、トウヤはそれ以上は何も言わずに黙って頷く。

 そして今も切り結ぶヴェスターの援護をするべく、聖別騎士の側面から斬りかかり、炎を浴びせた。

「やっぱり……! 単純に炎だけじゃ効かない!」

「坊主! なんとか火力あげたりはできねえのか!」

「これでも前よりは上がってるんだよ!」

 回転するように聖別騎士が剣を振るい、二人はそれを回避するために同時に距離を取る。

「ちっ。硬てぇ!」

 精密に、それも恐ろしい速度で振るわれる剣を逸らし、本体に剣を叩きつけたところで、魔剣すらも弾く堅牢な装甲にはかすり傷程度しか付けることはできない。

「俺が足を止める! 坊主、お前の炎と剣で何とかしろ!」

「なんとかしろって言ったって!」

 ヴェスターが剣を弾き、攻撃をいなす。

 その間にトウヤは炎を全力で剣に纏わせて、聖別騎士の首辺りを狙って斬りかかる。

「このおおぉぉぉぉぉぉぉ!」

 斬撃と熱の合わせ技が、じりじりと聖別騎士の装甲を溶かしにかかるが、相手もそれを待ってくれるほど悠長ではない。

 剣を手放し、体術でトウヤを引き剥がしにかかると、すぐさま地面に落ちている剣を拾い上げながら縦に振り上げる。

 そうすることでヴェスターと距離を離しながら、取りついていたトウヤを遠ざけた。

「おい、ヨハン!」

「判ってる」

 既に装填は完了。

 砲身の先は聖別騎士を向いている。

 無茶な動きで二人を引き剥がした奴は、咄嗟に避けることもままならない。

「大口径の徹甲弾だ。こいつなら聖別騎士の装甲も撃ち抜ける」

 耳をつんざくような射撃音と、両腕に伝わる膨大な衝撃で放たれた弾丸は、真っ直ぐに聖別騎士の胴体へと吸い込まれていく。

 鎧に施された魔法の防御を貫き、堅牢な金属の守りをぶち抜いて、その弾丸は内部にいる人間の身体へと飛び込んでいった。

 肉が裂ける音がして、弾丸によって穿たれた穴から血が飛び散る。

 間違いなく、致命傷を与えた。

「おぉ! やるじゃねえか!」

「まだだ!」

 それでも聖別騎士は止まらない。

 剣を振り上げて、目下の脅威となったヨハンへと地面を蹴った。

 それを咄嗟に、ヴェスターとトウヤが目の前に立って押し留める。

 邪魔者を蹴散らそうと振り下ろされた剣を受け止めながら、ヴェスターは苦しそうな声を上げた。

「おぉい! なんで顔面を狙わなかったんだよ!」

「狙ったが外れたんだ!」

 がちゃりと、空になった薬莢が放出される。

「なら次だ!」

「痺れが取れるまで時間を稼いでくれ」

 次弾の装填は済んでいるが、絶大な反動がもたらす痺れはしばらくヘヴィバレルを持つことすらできないほどだった。

「マジかよ! 肝心なところで使えねえな!」

「文句言ってる暇あったら……!」

 ヴェスターに支えを任せて、トウヤは聖別騎士の足元に潜りこむ。

 剣を足を払うように振るい、相手の態勢を崩させた。

「やるじゃねえか坊主!」

 その間にヴェスターは飛び上がり、脳天に斬撃を叩き込む。

 ガキンと弾かれる音はしたが、衝撃自体は充分に内部に伝わったようで、一瞬聖別騎士はよろめいた。

「このまま倒しちまうぞ!」

 続いて胴体に剣を押し付けるようにしてその身体を地面に押し倒す。

 腹に風穴が空いた聖別騎士は踏ん張ることができず、そのまま仰向けに倒れた。

「ここは俺に!」

 左手を押し付けて、トウヤが全力で炎を放つ。

 鎧全体を包み、内部まで焦がすような炎が赤々と燃え盛っていく。

「仕留めたか!?」

「いや、まだ生きてる!」

 炎の放出を終えたトウヤが飛び退りながらそう返事をした。

「マジかよ……。中に入ってるのって本当に人間なのか!?」

 トウヤの言葉通り、まだ聖別騎士は生きていた。

 起き上がり、地面に落ちていた剣を掴むと再度ヨハンに向けて進行を開始する。

「内部に施された魔法によって、戦いながら傷を癒すこともできるんだろう。それどころか、時間をかければ鎧自体も自己修復することができる」

「お前よぉ、冷静に分析してる場合じゃねえだろ」

「……判ってる」

 ヘヴィバレルを持ったヨハンが前進。

 幸いと、聖別騎士はそれを迎え撃つべく剣を構える。

 そこに両側から、ヴェスターとトウヤが攻撃を仕掛ける。

 すぐさま迎撃する聖別騎士だが、ヴェスターはその剣を巻き込むように器用に絡め捕り、その腕から取り落とさせた。

 反対側のトウヤは胴体に鋭い踏み込みからの一撃を叩き込み、その身体をよろめかせる。

 その隙に、ヨハンは聖別騎士のすぐ傍に立っていた。

 ヘヴィバレルを斜め上に構え、照準はその心臓へ。

「この距離なら外さん」

 再度襲いくる衝撃と共に放たれた弾丸は、今度こそ聖別騎士の心臓に吸い込まれ、巨大な穴を穿った。

 どれほど堅牢な鎧に護られていても、心臓を撃ち抜かれて生きていける生き物はいない。

 聖別騎士はぐらりと揺れると、轟音を響かせて仰向けに倒れた。

「お見事です! ここは我々にお任せを!」

 ちょうど追いついてきた兵達が、士気も高くそう声を掛ける。

「遅せえんだよ! ここは任せた!」

「後は……!」

 追いついてきた後続達と改めて連携を取る形を造り、そのまま敗北する敵兵に追撃を掛ける。

「死にたくなければ武器を捨てろ!」

 トウヤの炎が掠められた敵兵が戦意を失い、武器を捨てて投降する。

「き、貴様等! 武器を捨てるとは何事だ! エトランゼの混血の軍如きに……!」

 そう叫ぶカーステンは、もう既にすぐ傍にまで近付いて来ていた。

 彼等が陣を張ったネフシルまではまだ距離がある。最早、逃げ切ることは叶わないだろう。

 健気にもカーステンに従い、最後まで抵抗の意を示す兵達は、神々の名を口にしながら武器を前に突きだしてくる。

「エイスナハルのご加護を!」

「あんたらは馬鹿かよ! こんなところに、こんな地獄を神様が見てるわけないだろうが!」

 熱を持った剣がそれを薙ぎ払う。

 その目に怒りを宿したトウヤは今、カーステンの目の前に立っていた。

「穢れた者共が……!」

 吐き捨てるような言葉には、何の感情も抱かない。

 最早彼に対しての感情の針は振りきれていた。

 戦いに対して未だ躊躇いを持つトウヤも、この時ばかりは全くそれを見せずに、剣を振り上げる。

 その一撃は、小さな抵抗としてカーステンが構えた剣を弾き飛ばす。

 続く刃がその胴体を狙う。

 しかし、トウヤの刃はカーステンに触れることはなかった。

 目の前に何者かが立っている。頭に血が上っていたとはいえ、気配すら感じなかったその事実に、トウヤは本能的に危機感を覚えてその場から後退る。

「――ほう。勘は良いようだ。退かぬようなら首を飛ばしていたところだ」

 不可思議な光景だった。

 その男の格好には見覚えがある。元に居た世界にあったものだ。

 だが、余りにも非日常的な服装。

 着物に袴。その上に羽織を着込んだ風袋に、長い髪を髷に結ったその姿はまるで時代劇の中の人物のよう。

 そして二本の刀を帯びに差したその姿は、間違いなく、元の世界のドラマの中で目にしたことのあるそれだった。

「さ、侍……?」

「はじめてそう呼ばれたが、存外に嬉しきことよ。拙も憧れからその真似をしているならばなおのこと」

「……やっぱり現代人なんだな? 俺と同じように、エトランゼとしてこの世界に来ちゃった」

「如何にも。元はつまらぬ男だった。普通に生きて、死ぬだけのな」

「エトランゼならなんであいつの味方をするんだよ! あいつが、カーステンが何をしたのか判ってるのか?」

「判っているとも。実に不満なことだ。だが、拙はそちら側についただけの話。その程度の些事で付く方を変えていては、世は成り立たぬ」

「だからって……!」

「おい! 貴様はホーガン卿子飼のエトランゼだな!? 本来ならば私を助けるという栄誉を与えられることすら勿体ないというのに、何を敵と喋っている!? 貴様なんぞは……!」

 自分が有利になったと見るや、横合いから喚きたてていたカーステンの声が止まる。

 いつ抜刀したのかも見えないような速度で、その首筋には鈍色に光る片刃の刃が、触れるか触れないかの位置に制止していた。

「静まれよ、貴族殿。今自分で言っただろう? 拙もエトランゼであると。だとすれば同胞を殺された恨みを、理性で抑え込んでいるとどうして想像できぬ? そして余計な一言がその壁を決壊させ、戦場につまらぬ事故を生むことがあるという事実も」

 刃がゆっくりと退けられる。

 そこから納刀までの流麗な仕草に、思わずトウヤは見惚れていた。

「退かれよ、貴族殿。拙はそれが仕事故ここに来た。戻ってもらわねば不愉快な気分を押してきた意味がない」

 舌打ちを一つして、カーステンは転がるように逃げ去っていく。

 それを追おうとしたトウヤの目の前には、今しがた収めたばかりの刃が、陽の光を反射して存在を強調していた。

「死合う前に、お互いに名乗るとしよう」

「……トウヤだ」

「いい名だ。拙の名はコテツ。では、始めるとしよう。ここは戦場、手間を食っては最上の獲物を奪われるとも限らん」

 背筋を駆け上がるような悪寒があった。

 咄嗟にトウヤはその場から飛び退き、コテツと距離を取る。

 つい先程、一瞬前までトウヤの首があった場所を、音もなく、流れるような動きでその刀身が通過していったのが見えた。

「なっ……!」

「やはり戦場となれば首を狙ってこそ、よな」

 左手に炎を集める。

 それよりも早く、コテツの影が目の前に迫っていた。

「はやっ……!」

 無我夢中で差し出した剣が、コテツの刀を弾く。

「くはっ」

 コテツが笑った。

 その太刀筋はまるで鳥が空を飛ぶように、魚が悠々と水を泳ぐように、ありのままで、美しい。

 が、それだけではない。

 重い。流麗な見た目とは裏腹に、これまで受けたどの攻撃よりも重く、受けただけでトウヤはよろめき、反撃の息を吐く暇もない。

 小さな火花が二人の間に弾ける。

「ほう」

 それを避けるためにコテツは一歩退いた。

 その間隙を逃すわけにはいかない。

 トウヤは剣を構え直し、前に踏み込む。

 コテツの身体を肩で押し込むようにして距離を取って、炎の軌跡を纏った剣を振るうが空を切る。

 たった半歩身を逸らしただけで、それを回避して見せた。

「そんな……!」

「悪くはないぞ、その太刀筋。そして踏み込みに至る決断力、見事だ」

「くそっ」

 闇雲に炎を放つ。

「無粋、と言うつもりもないが」

 触れれば火傷は必至の炎の塊。

 トウヤの放つギフトを前にしても、コテツは一切焦った様子もない。

 それどころかゆったりとした、とも見える仕草で刀を構えると、その炎を一刀のもとに切り捨てて見せた。

「些か弱い。必殺であるならば相応の時にすべきだな。このように」

 ――その刹那、間違いなくトウヤは死んでいた。

 一寸の乱れもないコテツの太刀は、一切の慈悲もなく、トウヤの首を斬り落としていたところだった。

 ――彼が、何を思ったのかその手を止めてさえいなければ。

「いや、やはり気が変わったな」

「何のつもりだ……!」

 気付けばトウヤは尻餅をついていた。死への恐怖からか、無意識に身体も震えている。

 そんなものは既に克服したはずだった。冒険者として戦いに出て、それなりに修羅場をくぐってきた自負もある。

 そればかりか、今は戦場に立っているのだ。そんなものに今更怯えていては、トウヤという人間は成り立たない。

 だが、それを超えるほどの圧倒的な死の恐怖。

 御使いの非現実染みた力とはまた違う一つの頂を目の前にして、トウヤは確かに畏怖を覚えていた。

「そうしてしまえば震える子供よ。その首に価値はない」

「馬鹿にするな!」

「そうやって吠えるだけが何よりの証。斬る価値もない、と言ったところよな。それにどうやら、時間切れのようだ」

 いつの間にか辺りには味方の兵が多数集まり、この辺りにいたカーステンの部下は大半が捕虜となっていた。

「ではな。少年、また会おう」

 踵を返し、コテツは戦場から去っていく。

 そうして間もなくして、辺りからは勝利を知らせるための鬨の声が上がった。

 寡兵での勝利、それも敵の先陣に大打撃を与えたこの快挙に多くの者達は喜び、明日まで命が繋がったことを隣の仲間達と噛みしめる。

 一先ずは大勝利、作戦は成功と言っていいだろう。少し離れたところにいるヨハンも、ヴェスターに肩を叩かれ嫌そうな顔をしながらも、その表情からは張りつめたものは消えている。

 しかし、とてもではないがトウヤはそこに混ざり合う気分にはなれそうになかった。


 ▽


 夜明けが世界を包み込んでいた。

 昇りくる太陽の輝きは誰にでも公平に優しく、全てを癒し許すように世界中を等しく光で満たす。

 名もなき丘の上。

 彼はそこに立っていた。

「派手にやったもんだな」

 背後から声を掛けられるが、特に驚いた様子もなく返事も返すことはない。

 言葉を発した主、老年の男。

 大魔導師と呼ばれた老人は、緩慢な速度で歩みを進めると、青年の隣に立つ。

 風にローブの裾がはためき、白くなった髪の下にある目で老人が眺めるのは、数多の死に覆い尽くされた大地だった。

 百か、それ以上はいるだろう。

 まだ息のあるもの既に事切れているもの、それぞれ状況は異なるが、一つだけ彼等に共通していることがある。

 彼等をそんな風にしたのは、一人の男だ。

 この老人の横に立つ、最強のギフトを持つエトランゼがたった一人でこれをやってのけたのだった。

「なんでまた、わざわざ殺すんだ? お前なら別に、連中を生かしたまま捕まえることだってできるだろう?」

 彼我の力の差はそれほどのものだ。

 大人と子供という話ではない。視線だけでその命を奪うこともできるし、その気になれば武器や戦う力だけを無力化することも容易い。

 それでも何故か、青年はそれをしなかった。

「全員を生かしても、話が変わるとは思えなかったからです」

「成程な。まぁ、一理ある」

 一言で言えば、倒れている者達は反乱軍だ。

 ある権力者がエトランゼを集め、彼等の生活に不満があることにつけ込んで武力蜂起を目指した。

 だが、それは資金や武器集めの段階で周囲の街に被害が出たことで情報が露呈した。

 オルタリアは動かなかったが、街の人の依頼を受けて動いたのが、この青年だった。

 反乱軍にとっては不幸なことだろう。まさか最強のエトランゼである彼が出張ってくるとは、誰も思わなかった。

 それどころか首謀者たる貴族は地位を与えることで懐柔できるであろうとすら考えていた。

「全てに等しくか。……まるで神様みたいだな」

 エイスナハルの聖典によれば、神の裁きに慈悲はない。信じるもの、信仰無きものに関わらずこの地上にあるもの全てに等しくそれは下される。

 彼のその言葉は大魔導師と呼ばれた老人、ヨハンが忌み嫌うその教えを彷彿とさせるものだった。

「まさか」

 神にも等しいと評された男は、その意見を切って捨てる。

「もし俺が神なら、もっとこの力を有効に使っているでしょうね」

「あぁ。かもな」

 地面に杖をつき、ヨハンはそこにどっかりと腰を下ろした。

 丘の上から見える景色は一見すれば地獄のようだが、朝日に照らされる彼等の姿は何処か哀愁を含んだ美しさがある。

 その光景を生み出した本人は、果たして何を思うのか。

 嘲弄か、憐憫か、それともこんな力を持たされてしまったことに対する憤怒か。

 ヨハンの知る限り、エトランゼは持たされたギフトの次第でこの世界で生きる困難さが変わる。

 その点で言えば、彼は最上の物を持たされたはずだ。

「その力は、お前から選択するってことを奪っちまったみたいだな」

 無言であることが、肯定を現していた。

 彼は決して選ばない。希望を持たない。理想を語らない。

 最もそれを叶えるに相応しい力を持っているからこそ、自分がそれをしてしまうことを唾棄している。

 それが力を得た代償であるとでも言いたげに。

「俺が選べば、多くの人の生き方が変わる。死すべき運命を覆すものもいれば、その逆もまた。だからこそ、自分の意思でそれを振るうことは許されない」

 だから機構であろうとしている。

 意思を持たない、人に請われるがままに、できるだけ世界を平らな方向に持っていくだけの存在。

 老人は想う。

 例えそれが余計な、恐らくは来ることのない未来だったとしても考えてしまった。

 もし彼が、その神の座と呼んでもいいほどの立場から転がり落ちてしまったとき、どうするのだろうかと。

 理想を持たず、意思無き機械のように、他の誰かのために在り続けるのだろうか?

 もしそうだとしたら。

「それは人の在り方じゃねえな。そんなんじゃ、何も救えない。自分自身すらな」

「……何か?」

「独り言だ。年取ると増えんだよ」

 それきり会話は途切れ、どちらともなくそこを去る時まで、ついぞ再開されることはなかった。


 了

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