第四節 勃発

 事態が大きく動いたのは、それから数週間後のことだった。

 ヨハンはゼクスから報告を受けて、それまでやりかけていた仕事を全てアーデルハイトに任せてエレオノーラの部屋に参上する。

 そこには既に伝令の兵士と、それからディッカーとエレオノーラが険しい顔つきで立っていた。

「……ヨハン殿」

「エレオノーラ様。こちらでも報告は受けました」

「う、む。お前はもう下がってもよいぞ」

 伝令の兵士はその言葉を受けて、部屋を後にする。

 エレオノーラは緊張を通り越して、その顔色は蒼白と言ってもいい。

 だが、それも無理はないことだった。

「ヘルフリートが派遣した尖兵隊がフィノイ河を越えて、南方へと到着しました。そして、すぐ傍にあるネフシルの街へと進軍。そこを守備していた部隊と、住民を一人も残らず……」

 報告を読み上げるディッカーは、それより先のことは何も言わなかった。

 民間人を含む、住人の虐殺。敵は聖別騎士を用いて街の守りを瞬く間に突破、その後無差別に攻撃を仕掛けられたという話だった。

「……何を考えているのだ、兄上は……! 民に罪はないだろうに!」

「……エトランゼを匿う者達もまた、罪人ということでしょう。有事の際には周辺の街に駐屯している部隊に防備だけを固めるように指示は出してありました。これで、当面は時間が稼げると思います」

「時間を稼ぎ、どうする? 果たして兄上は妾の話を聞いてくれるのだろうか……? ヨハン殿、何かよい策はないか?」

「……策は、ありません」

「なんだと?」

「この期に及んで、ヘルフリートと対話をすることは不可能と考えます。いえ、こちらが無条件降伏をすればそれも叶うとは思いますが、エレオノーラ様の御身の安全とエトランゼ達の今後を思えばそれはできない」

 強い意志を込めて、エレオノーラを見つめる。

 もう後戻りをすることはできないのだ、お互いに。

「迎撃を進言します。こちらから軍を出し、ヘルフリートの軍へと反撃。然る後、相手の領土へと侵攻し」

「待て! 待つのだヨハン殿! そんな必要が何処にある? どうして同じ国の者同士で領土を食いあう必要がある!?」

「あくまでも侵攻は脅し、こちらにもそれだけの戦力があるとの示威行為に過ぎません。相手に身の危険を感じさせてこそ、交渉の場に引きずり出すことができます」

「そ、そんな戦力が何処にある? 妾達はここを間借りしているだけに過ぎぬのだぞ?」

 エレオノーラの声は震えていた。

 その可能性を全く考慮していなかったわけではないが、それでも心の何処かで兄は判ってくれるはずと信じていた。

 事実、ヘルフリートがオルタリア南方に侵略する必要は殆どない。会談こそ喧嘩別れに終わってしまったが、エレオノーラの意志を多少なりとも尊重したうえで、使者でも派遣して穏便に事を進めることの方が遥かにお互いのためになる。

 だというのに、彼はそれをしなかった。同じ血が流れる肉親に対して、殺意を持って答えた。

「戦力ならばあります。エトランゼの遊撃隊に加えてバーナー卿が率いる本隊。その力を合わせれば事を果たすことは充分に可能だと考えます」

「いつの間にそれほどの戦力を蓄えた? 妾はそんな相談は受けていないぞ!」

 エレオノーラがヨハンに歩み寄る。

「こちらの方で事を進めておきましたので」

「ヨハン殿!」

 ぱんと、乾いた音が響いた。

 頬に痺れるような痛みが走る。戦いで受けた苦痛に比べれば万分の一程度のものだが、逆に心には嫌に響く。

「妾を信用していなかったのか? つまりはそういうことだな?」

「一刻を争う事態でした。もしこのことに対してエレオノーラ様が認めなかった場合、間に合わなかった可能性を考慮しての独断です。処分の程は、今回の件が全て片付いてからどうぞご自由に」

「そなたは! ……そなたは全く妾のことを信じていなかったのか! つまらぬ小娘だと、役に立たぬ飾りに過ぎぬと……!」

 怒鳴りつけるエレオノーラの身体は小さく震えていた。

「以前お話しした通りです。エレオノーラ様のお役目は先頭に立ち、人の標となること。それは他ならない貴方にしかできないことですので」

「妾は……! 妾はそんなのは嫌だ!」

 今度はヨハンからエレオノーラの手を握る。

「ヨハン殿……?」

「今はそんなことを話している時間ではありません。他に方法がなければ、俺は今すぐにでも出撃します」

 突き放すように、彼女の身体を優しく押した。

 崩れ落ちてしまいそうなほどに不安定なエレオノーラは、それだけでふらふらと身体を揺らす。

「……他に方法は、ないでしょうな」

 横合いから、今まで黙っていたディッカーがそう言った。

「ならばそのように」

 頭を下げてから、ヨハンは部屋を出ていく。

 エレオノーラはその背に掛ける言葉もなく、ただそれを呆然と見送ることしかできなかった。


 ▽


「ヨハン殿」

 ヨハンが要塞を出て、兵達のところに向かおうとしたところで、背後から声を掛けられて振り返る。

 立っていたのは先程まで同じ部屋にいた、ディッカーだった。

「ディッカー卿」

 空は晴天。

 戦いの気配を感じてか、辺りの兵達は慌ただしく動き回っており、ヨハン達二人に注目する者は誰もいない。

「エレオノーラ様を頼みます」

「うむ。それから兵站の手配も私がやっておこう。責任者は誰かな?」

「アラーモという男に一任してあります。手を貸してやってください」

「承知した。……しかし、よかったのかな? 君の言う通り、エレオノーラ様には事を語らずにおいたが」

「代償がこれだけなら安いものです。間に合わなくなるよりは」

 張られた頬を指さすと、それを見てディッカーは苦笑した。

「いやいや、笑い事ではないな。なるほど、確かに君の言葉通りに事は進んでいるようだが」

 以前からディッカーには話を付けてあった。

 エレオノーラを信頼していないわけではないが、彼女は少しばかり理想に縋り過ぎている。彼女のそのつもりがなくても、ヘルフリートは容赦なく戦いを仕掛けてくるであろうことは明白だった。

 とはいえあくまでも保険程度のもので、まさか民間人を含めた虐殺行為などを行うとはヨハンとて予想できなかったことではあるが。

「だが、支払ったものはそれだけではないだろう?」

「……? 何も思い当たりませんが?」

「姫様の信頼を裏切った。これは大きな損失ではないのかな?」

「――ああ、はい。それはそうですね。ですが、大きな問題ではありませんよ。勝てばそのまま処分を待ち、負ければ……全てを俺の責任にしてもらえばいい」

 負けるとしての精々無様に足掻いて死ねば、ヘルフリートも多少の溜飲は下がるだろう。

 その間に、エレオノーラにはイシュトナルを放棄するなりなんなりして生きながらえるだけの時間は稼げる。

 彼女の理想を完遂できないことは残念だが、それでも死ぬよりはずっといい。

「それが君の真意か」

 何かを納得したような顔をするディッカーだったが、次の瞬間彼の表情は憤怒に染まる。それこそ、ヨハンだけでなく彼を知る誰もが見たこともないような顔だった。

「どうやら君は、随分と思い上がっているようだな」

「……は?」

「君のギフトはその目で見た。あれは凄まじい、全能と言ってもいいほどの力だ。だが、今の君にそれはない」

「そんなことは……」

「判っていないな、君は」

 ディッカーの言葉は間違っている。少なくともヨハンの中では。

 力は確かに失った。もう求めても帰ってこない。だから、自分の無力さに嘆くこともあった。

「全盛期の君は全知全能だったのだろう。全てが思い通りになり、ともすれば……不遜ではあるが、神のような視線で世界を見ていたのではないかな?」

 ヨハンは否定も肯定もしない。

 ギフトを持っていたとき、ヨハンは人ではあったが、確かに人であることを遥かに超越していた。

「そして今も、何処か人とは違った視点で世界を見ている。だがな、私のような年寄りから見れば、それは世界を判ったようなつもりになっている若者の驕りに過ぎない。

 君は人だよ、ヨハン殿。だからこそ人の視点で世界を見る必要がある」

「……仰ることの意味が、よく判りません」

「簡単なことだ。人として欲を持ち、何かに焦がれ、前に進む。ヨハン君、君の目的は何かな?」

「……エレオノーラ様の理想を」

「それはエレオノーラ様の目的だよ」

「……それは……」

 切って捨てられた言葉が、宙に溶ける。

 それ以上にヨハンが言えることは何もない。ヨハン自身に、そんなものはなかったのだから。

「まぁ、色々言ったがね。私の怒りの幹にあるのはただの一点。エレオノーラ様は君を信頼している、その上で自分を切り捨ててくれとは、残酷にもほどがあるだろう」

 ディッカーが言いたいことは、つまりただのそれだけだった。

「私は幼いころのエレオノーラ様をよく知っている。娘、とは些か僭越だが、近い感情を抱かせてもらっている。君の物言いが我慢できなかったのだ」

「……それは、失礼しました」

「だから、君は生きて帰って来てくれ。そしてエレオノーラ様に謝り、その上で今後のことを決めてほしい。君達二人でね」

「何故そこまで俺を? 先程の言葉通りなら、俺は驕っているだけの若造なのでしょう?」

「簡単なことだ。エレオノーラ様が君を信頼しているからだよ。私が日に何度、あの方から君の話を聞かされてると思う?」

「いえ、それは……。判りませんが」

 いつの間にかディッカーの顔からは険が取れている。

 いつも通りの穏やかな表情で、ディッカーの手がヨハンの方に置かれた。

「私が見たいのだ。あの方と、君が作るこれから先の未来を」

「……はい」

 ただ、そう返事をすることしかできなかった。


 ▽


 ネフシルの街での虐殺と略奪を終えたカーステン率いるヘルフリート軍先鋒は、そこを拠点として、各方面へと戦力を伸ばしていた。

 それに対して予めヨハンの指示を受けてた街は城壁を盾に防衛線を展開。厳しい状況ながらもなんとか街へと敵軍を入れさせることなく二日の時を稼いだ。

 そこには、カーステンが無用な虐殺により、余計な時間を食ったからという理由もある。

 そして今、ヨハンとクルト・バーナー率いる本隊は、カーステンの軍に包囲されているエルプスの傍へと進軍していた。

「街は完全に包囲されているな。数は千ほどか」

 クルトが冷静に状況を分析する。

「こちらの兵力は五百。敵に聖別騎士がいることを考えれば、正面突破は無謀だぞ。――それとも」

 クルトの視線が、二人の背後。草原に展開した五百の兵達に向けられる。

 剣や槍を構え、鎧で武装した兵達の外に、これまでの戦いでは見ることのなかった兵士達が交じっている。

 一つは銃兵。ヨハン達の世界で言うところのマスケット銃のような形の銃を携えた者達だった。

 この世界にも火薬はあり、銃を開発するだけの技術はある。しかし、ことオルタリアにおいては魔法の方が重要視され、それを実戦投入するのは酔狂なことと言われていた。これには火薬の材料となる硝石が満足な数採掘されていないという理由もある。

 今回ヨハンが用意したのはただの銃ではない。ヨハンが普段使っている物を簡易設計し量産化した、魔導銃とでも呼ぶべき代物だ。

 そしてもう一つ。布を被った荷車によって輸送されている兵器。その数は凡そ三十ほどで、一つの荷車に兵士が三名付いている。

「これらの新兵器に、それを覆すほどの力があるというのか?」

「その通りです。テッド」

「ヘーイ!」

 名前を呼ばれたエトランゼの軍人が、陽気な様子が歩みでる。

「銃砲隊の指揮はテッドに。それから全軍は貴方に預けます。新しい兵科も多く戸惑うこともあるでしょうが」

「要らぬ心配だ。打ち合わせは何度もしているし、俺とて戦場の心得はある」

「判りました。俺はことが始まったらエトランゼの遊撃隊と合流します。前線はお任せします」

「判った。いつ始める?」

「いつでも、覚悟ができたときに」

「ふむ。……ならば、今だな」

「オゥ! ボスはせっかちデスネー! でもテッドはそういうの嫌いじゃないですヨー!」

 クルトが指示を飛ばす。

 馬に乗った騎馬隊が最前線に構え、その後ろを厚い鎧を着込んだ重装兵、そして軽装歩兵と弓兵と続く。

 荷台の布が取り払われ、そこからそれは姿を現した。

 筒のようなものが一つと、長方形の箱が一つ。そして束ねられた金属の杭が置いてある。

 その金属の杭には回路のような光が奔っており、それが魔法による何らかの制御を受けていることが見て取れた。

「魔導銃隊は武器を構え! 敵が近付いて来たらいつでも斉射できるようにしておいてネー!」

「各兵! 魔導銃の発射が終わるまで進軍は控えろ!」

「ステーク隊! 新兵器の力、見せてあげてくだサーイ! 虐殺なんてナンセンスなことをやる連中はぶち殺してオッケーデース!」

 三人の兵がそれぞれ、大急ぎでそれを組み上げる。

 機関部とバレルを繋ぎ、回路を通して起動。

 そこに後ろ側の装填部から、二人係で巨大な金属の杭を装填。

 動きがあることに気が付いたヘルフリート軍が、包囲していた兵の一部を切り離すように、こちらに向けて進軍を開始する。

 先鋒は騎馬隊。正規軍の他に、エイスナハル教徒達を加えた彼等は一直線に草原を蹴ってこちらの陣を一蹴すべく接近してくる。

 一人が遠眼鏡を用いて敵の位置を把握。

「敵軍直線、騎馬隊! 西方に魔法兵多数!」

「一から十は騎馬隊に打ち込みマース! 十から二十は魔法兵を狙ってくだサーイ! 後は待機で」

 二人掛かりで砲を持ち上げ、銃身を固定。三人目が敵の位置を正確に伝えて、その方向へと砲身が向かう。

「ファイア!」

 引き金を引くと、機関部に施された術式に、横付けされたコンデンサーから魔力が供給。全体に魔力が行き渡る。

 発動するのは雷の魔法。電気エネルギーを両側から流し込まれた弾丸は圧倒的な加速力を持って敵陣へと直進する。

 放たれたのは人の背丈ほどの大きさのある、巨大な金属の杭。

 魔法銃に込められた風の魔法では到底飛ばすことのできない金属の塊は、電気の力によって発射され、騎馬兵の一人の胸を貫き少しも威力を衰えさせないままにその後ろの地面に突き刺さった。

 十発の弾丸は中には敵に当たらないものもあるが、それで問題はない。

 先頭を走る騎馬隊の隊長は、その威力の神髄を知ることはない。彼には当たらず、弾丸は背後へと突き刺さったのだから。

 最早引けず、そのまま彼等が直進を選択したところで、その変化は起こった。

 幾人かの兵士を巻き込んで地面に突き立てられた杭に、魔力の伝達を示す回路が光を帯びる。

 そしてパキパキと何かが割れるような音と共に、そこに込められた魔法が発動した。

 着弾位置を中心として、青白く透き通る何かが広がっていく。

 それは氷だった。地面が、傍にいた兵士が、軍馬の足が瞬く間に凍り付き、地面に縫い止められていく。

 氷の広がりはそれだけに留まらず、先端が鋭い刃のように尖り、勇んだ者は自らそれに突っ込み、無残な最期を遂げる。

 魔法兵の陣に撃ち込まれた杭はそれとは異なり、雷の魔法が込められていた。

 空気中を弾け、地面を奔る紫電に身体を討たれ、魔法兵達は次々と地面に倒れ伏していく。

 そしてそれを抜けた騎兵隊を狙うのは、火薬の代わりに風の魔法で鉛の弾丸を加速させて放つ魔法銃だ。

 一発一発の威力は当然、砲には劣るが、約百丁から繰り出される弾幕は僅かに残った敵の先遣隊を蹴散らすには充分過ぎる威力を持っている。

「今デース! ボス!」

「うむ。こちらも兵を動かす! テッド、支援射撃のタイミングはこちらの動きに合わせろ!」

「ラジャー!」

 軽薄な返事と、それとは裏腹に背筋の伸びきった敬礼を見てから、クルトは兵隊の先頭に立ち歩を進めていく。

 相手は半ば壊滅した敵の先陣。

 敗北の危険性はまだ去ったわけではない。ここまでやっても兵力は相手の方が勝っている。

 油断は禁物と己を戒めながらも、同時にクルトは自分の背後にある兵器達に戦慄していた。

 エトランゼは戦いを変える。それはギフトだけに限った話ではない。

 果たして彼等が弾圧を差別の波を抜け出して自由になったとしたら、どれほどこの世界が変わってしまうのだろうか。


 ▽


 ヘルフリート軍によって虐殺の限りを尽くされたネフシルの街。

 そこに足を踏み入れる一人の男と、その背後に続く軍勢の姿があった。

「……ひでえ有り様だな、こりゃ」

「ハルデンベルク卿……。彼等は自国民なんですよ? ここまでする理由があるのでしょうか?」

 彼の隣で軍旗を掲げる若い兵士が、兜の下から震える声でそう絞り出す。

 その意見は彼だけのものではないようで、彼の旗下にある兵達は皆、同じように憤怒とも呆れともつかない表情で破壊され尽くした街を見ていた。

 ラウレンツ・ハルデンベルク。

 無精髭を生やし、鎧を纏った中年の男はエーリヒの部下であり今回の件を任された大隊長である。

彼は何度かこのネフシルに訪れたことがある。

 特別に見るところはないが、オルタリア南部の特徴である広大な農地による農耕や畜産が盛んだった街で、確かその時は肉を大量に買い付けて部下と酒盛りをした記憶があった。

 今や建物は尽く破壊され、瓦礫の山の中に未だ人の死体がそのまま放置されている。

 女子供にも全く容赦はなく、それらも打ち捨てられるようにその辺りに転がされていた。

 これはある意味では、戦いの生み出す狂気以上に狂っていた。

「……せめてまだ、自分の欲望のためとかなら納得もできるんだけどな」

 子供を攫い、女を犯し、財産を奪う。

 勝利の饗宴とも呼べる略奪ならば、ラウレンツの個人的な感情はともかくとして、戦いである以上仕方がないと割り切ることもできた。勿論、それでも自国民にやるようなことではないが。

「尽くが、殺戮の憂き目に。中には乱暴を受けた者もいるようですが、彼等の指揮官はそれを許さず、ただ殺せと命じたようです」

「だろうな。建物まで派手にぶっ壊しやがってまぁ……。復旧にどんだけ掛かると思ってんだか」

 視線は唯一無事な建物を捉えて、ラウレンツはより気落ちした表情になる。

「ご丁寧にエイスナハルの教会は残してやがる。ってことは神父ぐらいは生き残ってるんじゃないのか?」

「調べさせます」

 部下に指示し、それを受けた兵達が数人列から離れて教会の方へと走っていく。

 歩きながら喋っていた一行は、やがて街の中心部へと辿り付く。街を治める町長の家も無残な姿で、家の壁が崩れてそこから撃ち込まれた矢でざっと見て十人の死体があった。

「……聖別騎士を使いやがったな。いよいよもって殺しに手段を選んでねえ。指揮官のカーステンってのはどんな野郎だ?」

「噂によればですが、以前エレオノーラ様を追撃した際に、エトランゼによって手痛い反撃を受けていると」

「恨み返しってことか? やり過ぎだろう」

「元々、差別主義者ではあったようです。エトランゼに対して」

「いや、それにしてもだぞ。これじゃあこっちの連中はより俺達に対して恨みを募らせる。もしこれ以上内部に進軍しても、現地民の協力はほぼ得られんだろうな」

「同じ国民という言い訳が完全に潰されてしまいましたからね」

「やれやれ。戦う前から味方に足を引っ張られるとはな」

 溜息を吐き、地面にどっかりとラウレンツは腰を下ろす。

「お前等も楽にしとけ! 斥候が戻って来てから今後のことは決めるから、それまでに体力を……」

 言いかけたところに、正面から馬に乗った兵士が走ってくる。その鎧には見間違いようもなく、先日斥候として派遣してた兵だ。

「ラウレンツ様! こちらにお付きでしたか!」

 斥候は馬から飛び降りて、地面に胡坐をかくラウレンツの前に膝をつく。

「おいおい、もうちょっと空気読んでくれよ」

「どういうことでしょうか?」

「いや、こっちの話だ。で、前線はどうか? こんなことをやらかす馬鹿野郎だが、勢いはあるし聖別騎士もいる。そろそろ一個ぐらいは街を突破したところか?」

「いえ、それが……」

 言いにくそうに、伝令は顔を落とし、一度唾を飲み込む。

 それから重々しくその報告を開始した。

「敵の新兵器により、エルプス方面に進軍していたカーステン卿の部隊、その先鋒が大打撃を受けて潰走。特に騎馬隊と魔法兵は手酷くやられ、当分使い物になりそうにはありません」

「……なんだと? で、当の大将はどうなった?」

「カーステン卿は東側の砦へと兵を進めていたのですが……。敵の偽報を受けてエルプスへと合流。そのまま妨害を受けて足を止められ、攻撃を受けています!」

「なん……ってこった!」

 ラウレンツは思わず拳で地面を叩いていた。

「新兵器は仕方ねえが、偽報に引っかかるとは阿呆か!」

「相手側が一枚上手だったとしか……。それを仕掛けた工作部隊はカーステン卿の後方に破壊工作を仕掛け補給の妨害もしていったようです」

「ちっ。思った以上に手練れが多い……。だからといってここでカーステンとやらを見捨てりゃ、ヴィルヘルムの名前に傷がつく」

 手を伸ばし、横の兵から軍旗をむしるように奪い取る。

 立ち上がったラウレンツは、その旗の柄で地面を強く叩いた。

「来たばかりで悪いが、出撃だ! 目的は敗走してくる味方部隊の撤退の援護、そしたら俺達はフィノイ河まで後退するぞ!」

「せっかくここまで来たのにですか?」

「城壁も何もなもぶっ壊された街でどう護るんだよ? 聖別騎士と合流すりゃ、相手の新兵器とやらも何とかなる。後詰が来るまで耐えりゃいい。準備を急げ!」

 若い兵士は短く返事をして、その場から立ち去っていく。

 代わりに横に現れたのは、風変わりな格好ををした一人の男だった。

「拙の出番かな?」

 この辺りでは滅多に見ない羽織りに、袴と呼ばれる東方の衣服。加えて伸びた頭髪を纏めて髷と呼ばれる形にしている。

「そうなるな。エトランゼの相手は、エトランゼに限る」

「どのような敵が出てくるか、楽しみよ」

 男の口が歪む。

 それはまだ見ぬ強敵を夢想しての、まるで子供が楽しみしていた日の前日に見せるような、無邪気な笑顔だった。

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