第三節 道に迷う
「では、アンデ卿はマルバの街に行き、そこの管理を。バーレ卿は手勢を率いて東部開拓に従事してもらいたい。そしてヤーン卿は……」
イシュトナル要塞内部、エレオノーラの執務室。
彼女の意向により、とても王族とは思えないほどにろくな飾りつけもされていない、質実剛健を描いたような部屋の中で、三人の貴族が首を垂れていた。
部屋の最奥にある執務用の大きなテーブルにはエレオノーラ。そしてその横にはディッカーが立っている。
三人いる貴族のうち二人は早くも役職を与えられ、一先ずは安堵の表情を浮かべている。
残るヤーン卿は細面の、気弱そうな中年の男だった。
「難民のエトランゼ達を纏め、彼等と共に中央西部にある集落へと向かってほしい。そこでの農地改善と、ゆくゆくは本格的な街づくりを頼む」
「……は、エトランゼと……ですか?」
「いけないか? そなたは妾の理念に賛同してくれたからこそ、ここに参ったと思っていたのだが」
「い、いえ……。ですが……」
戸惑うヤーン卿を安心させるために、エレオノーラはその顔に笑顔を浮かべて、優しく語りかける。
「心配は要らぬ。エトランゼ達は文化的生活を好み、自らが危険に晒されなければ無害だ。だとすれば、民達に慕われていたヤーン卿ならば問題ないと思って、その任を託すのだ」
「か、畏まりました!」
その言葉が些かの助けにはなったのだろう。ヤーン卿は表情を引き締めて、深々とお辞儀をしてそれを承った。
「今日は三人とも長旅で疲れているだろう。見ての通り寛ぐにもまだ難しいような場所だが、今日のところは疲れを癒して欲しい。そなた達の役職についての詳しいことは後日改めて連絡させる」
これで話は終わりだと、エレオノーラは告げた。
「サアヤ! 彼等を案内してやってくれ」
部屋の外から静々と入室したサアヤは、「こちらへどうぞ」と三人を連れて退出していった。
その仕草はすっかり淑女として完成していて、エレオノーラに仕える侍女としても申し分ない気品があると言えるだろう。
そうして貴族達の足音が遠ざかり、部屋の傍に誰もいなくなったことを確認してから、エレオノーラは固い口調を解く。
「ふー。今日の面会はこれで全部か?」
「はい。見事な采配です、エレオノーラ様」
ディッカーがそう返事をする。
「……そうか」
褒められたにも関わらず、エレオノーラの表情は暗い。
「だが、難民だけでなく続々と北部からこちらに移住する貴族が増えている。……兄様はいったいどのような政治を行っているのだ」
「こちらに入ってきている情報によれば、軍拡による税の増加。またヘルフリート陛下に対して反抗的な態度を見せた貴族からは、言いがかりのような理由を付けての財産の徴収も行っているようです」
「……兄上は本当に攻めてくるのだろうか」
「私もそうならなければどれほどいいかと思いますが……。本国が武力を蓄え、何かしらの軍事行動を行おうとしているのは間違いようのない事実かと」
口髭を生やしたエレオノーラの忠臣は、隠すことなく事実を語る。
「兄上は何を考えているのだ……。このままではつまらぬ妾達の諍いで、多くの人が死に逝くかも知れぬのだぞ」
「それほどまでに、ヘルフリート陛下にとっては成さねばならぬものなのでしょう」
「妾を討つことがか?」
それは失言であったのかも知れない。
それでもディッカーはその続きを口にすることをやめなかった。
「はい。私は単なる一貴族に過ぎませぬから、王座を頂く者の考えを理解することはありません。……だから、誰もヘルフリート陛下の御心を知ることもできないのでしょう」
彼が選んだ王道とは、そういう道だ。
誰がヘルフリートを焚きつけ、このような結果になったのかはディッカーの知るところではない。
ただそれでも、ヘルフリートは何かを選び、そしてその先に伸びた道を走り続けている。
それに対するエレオノーラと、あのエトランゼの青年はどうなのだろうか。そればかりが、ディッカーの心配事でもあった。
「エレオノーラ様はどうですかな? 自らの進む道を王道として、例え誰を振り切ろうとひた走る覚悟はありますか?」
これは、多少意地悪な問いかけであっただろう。
それでも、ディッカーはその疑問を口にせざるを得なかった。
このままでは近い未来に全てが手遅れになる時が来る。そしてエレオノーラも、聡明なはずのあのエトランゼの青年もそれに気付いてはいない。
「……妾は、判らぬ」
「それでは、これは宿題と致しましょう。起源は……そうですな。私が暇を頂くまで、ということで」
「ふんっ、ならば随分と時間があるな。妾はそなたを簡単に手放すつもりはないぞ? 今後もよき家臣として、共に来てもらうつもりなのだからな!」
「それは光栄でございます」
彼女が言ったその一言は、もう答えに近いものではあったのだが、敢えてディッカーは黙っていることにした。
▽
今日は決戦の日だ。
長きに続いた雌伏の時も終わる。時は満ち、今こそ世界に光が差すであろう。
そしてそれを迎えるべくしてひた走る乙女が一人。気合いを入れた様子で要塞内の階段を一歩一歩踏みしめ昇って行っていた。
「おや、サアヤさん。今日は気合いを入れてどうしたんですか?」
そう声を掛ける兵士は、先日と同じ人だ。
「今日は負けられない戦いがあります!」
「そうですか。頑張ってください。そ、それでどうでしょうか……」
彼は若干緊張した面持ちで、喉の奥から声を絞り出す。奇しくもそれはこれからサアヤが挑むべき決戦の内容と酷似していたのだが。
「きょ、今日の夜その……。戦いとやらの結果を聞きながらお食事でも……って、あれ?」
サアヤの姿はそこにはない。
彼に返事をした時点で、立ち止まることなく、階段を上りきってしまっていた。
がっくりと肩を落とすその青年兵士に、十ほど年上になる同僚は優しく肩を叩くのだった。
「失礼します!」
ノックをし、入室の許可を取ってから部屋に入っていく。
ヨハンの執務室はいつも通り……。いや、ここ数日で変わったことと言えば、もう一つ、作業用の小さなテーブルセットが増えたことぐらいだろうか。
そこでもうすっかり書類仕事を覚えた少女が、ちんまりと腰かけながら何か書き物をしている。
「サアヤ。どうした?」
「はい! トウヤ君からエトランゼの遊撃隊についての報告書が上がっていますので、お届けに参りました!」
綺麗な所作で近付いて、それを手渡す。
受け取ったヨハンは一瞥してから、苦い顔をする。
「もう少しまともな報告書を書けんのか、あいつは」
「詳しいことは会ったときに説明するって言ってました」
「……まぁ、それが手っ取り早いのは否定しないがな」
ヨハンがいる時はそれでいいのだが、ここを不在にすることもあるだろう。加えて他の上司ができたとき、報告書一つ書けないのでは苦労する。
「……トウヤ君、まだ高校生ですから。わたしも高校生だったときに報告書なんて書けって言われたら、直接言いに行っちゃうかもしれません」
「……確かにな」
「ヨハンさんは高校生でもしっかり書けそうですよね」
「どんな高校生だ、それは。机に向かって十五分で投げ出して、漫画でも読み始めるだろうな」
「あははっ、やっぱりそうですよね!」
和やかな会話が続く。
横目でちらりと見たときに、アーデルハイトが少しばかり面白くなさそうな顔をしたのが見えた。
大人げないと判っていながら胸の内の小さな高揚は消すことができない。
「あ、アーデルハイトさん。もしよかったら、今日はわたしがお茶煎れますね。クッキーも焼いたんですよ」
「……別に必要ないわ。今から煎れようと思っていたところだから」
立ち上がるアーデルハイトを、すぐにサアヤは制する。
「お仕事しながらだと大変でしょう。ここはお姉さんに任せておいてください」
あまり意固地になるのもどうかと思ったのか、アーデルハイトは「むぅ」と唸ってそのまま動きを止めた。
「それにクッキーが無駄になっちゃいます。アーデルハイトさんも、食べたいでしょう?」
「それはまぁ……。否定はしないけど」
「お言葉に甘えておけ。あまりお前に働かれると、俺の立つ瀬がなくなる」
ヨハンからの援護もあって、アーデルハイトは諦めたようだった。
しっかりと許可を取ったサアヤはすぐに部屋を出て、一階の炊事場でお茶を煎れてクッキーをお盆に乗せて持っていく。
「美味しい」
さくりと一口食べて、アーデルハイトの口から自然と漏れた言葉を聞いて、サアヤは一安心した。ここでまさか小姑のように味付けについて云々言われるのではないかと、ちょっとだけびくびくしていた。
「甘味は貴重だからな。しかし随分と甘いな……」
「あ、やっぱりそうですか? 砂糖をちょっと入れ過ぎたかも知れません」
「いや、充分に美味い。珈琲があればもっとよかったんだが」
「それなんですけど、実は南の方から行商の方が来ていて、珈琲豆、少しですけど買っておいたんですよ。ただ、やっぱりこっちではあんまり飲まれるものでもないから、いつ煎れようかなって思ってたんですけど」
「……珈琲?」
アーデルハイトがクッキーを食べながら首を傾げる。
「確かにオルタリアの人間にはあまり好まれなさそうだな……。サアヤさえ良ければ個人的に買い取りたいんだが」
「……うーん。そうですねぇ。一回煎れてみてもし評判が良くなかったらそれもいいかも。その時はわたしが、ヨハンさんに珈琲を入れてあげますね」
「いや、別に自分で……」
「わたしが煎れるからいい」
書類を纏めたものをとんとんとテーブルに突いて、アーデルハイトが自分の存在をこれでもかとアピールしていた。
心なしかむすっとした――だいたいそんな顔をしているので実際のところは判らないのだが――表情でそう言ったアーデルハイトの心中を、サアヤは完璧に察している。
しかしそれでも止まるわけにはいかない。申し訳ないが、この場においては彼女は敵。それも短い付き合いでも判るその聡明さは目下の脅威となりうるのだ。
「そうは言っても……。豆を挽いたりしないといけませんし。結構難しいですよ」
「お茶と似たようなものでしょう? すぐに覚えられるわ」
「だったら今度一緒に練習しましょうか?」
「……む、ん。うん、それなら」
椅子に座るアーデルハイト。
サアヤは更なる追撃を掛けるべく、両手をぱんと合わせた。
「子供の頃、わたしもアーデルハイトさんみたいになったことがあったんですよ。お父さんに珈琲煎れてあげたくて、それでお母さんに教えてもらいながらやったんです」
「それはまた、微笑ましい話だな」
いったん休憩することにしたのか、ヨハンも書類をテーブルの脇に避けて、お茶とクッキーを楽しんでいる。
そしてサアヤの今の発現に顔色を変えたのは、立ったり座ったり忙しいアーデルハイトだった。
まさかこんなところでダシに、それも娘役をやらされるとは彼女にとっては想像もしていなかった屈辱だろう。
「なんか可愛くていいですね」
「俺はアデルの父親じゃないし、そんな年じゃないぞ」
「知ってます。わたしとそう変わらないじゃないですか」
「……どうしてその会話をするのに近付く必要があるのかしら?」
小さな彼女のそんな突っ込みは無視して、サアヤはヨハンの傍で話を続ける。
これからが大事なところ、本番、決戦なのだ。
「ヨハンさん。そう言えばお仕事ってここにある分で終わりですよね?」
「そうだな。ようやくある程度は片付くが、きっと明日になったらまた面倒な案件が舞い込んでくるんだろう」
そう言って自嘲しながら、書類を眺める。アーデルハイトが手伝ってくれるようになってから、その仕事も随分と楽になった。陽が落ちるころにしっかりと仕事を終えられるのも彼女のおかげでもある。
だからこそサアヤはアーデルハイトに感謝もしていた。そして今日ばかりは、それを最大限に利用させてもらう。いや、今日に限らずできれば今後とも定期的に。
「それならなおのこと、英気を養う必要がありますね! 実は最近街の方でできたお店なんですけど……」
「ん、こほん」
わざとらしい咳払いがそれをインターセプト。
二人の注目がアーデルハイトに集まる。
そして直後、サアヤは己の迂闊さを呪うことになった。
「そう言えば。うん、本当に何の脈絡もなく、いえ、別に、今なんとなく思い出したのだけど」
それはもう本当に、何の脈絡もなく始まった。状況をよく理解していないヨハンにとってだけは。
「今日の夕飯の話なのだけど、昨日の野菜が残っているからそれに少しお肉を足して、後はパンでいいかしら?」
「……なんで今その話をする?」
「いえ、本当に思いだしただけなのだけど。今日のうちに食べないと悪くなってしまうな、と思ったから」
「そんなこと言わなくても今日食べるつもりだったが?」
「念のための確認よ、確認。それから、先日貴族の一人から貰った麦酒を冷やしておいたから、それも開けましょう」
「……未だかつて酒を飲むのにアデルの許可が必要だったことはないのだが」
「高い、いい物だから、勝手に飲まれては困るのよ」
「お前、酒が飲める年齢じゃないだろう」
完璧にしてやられた。機先を制したまではよかったが、その後の鮮やかな反撃にサアヤは敗北した。
「ふっ」
「あーーーーーーー!」
やっぱり確信犯だった。
サアヤが食事に誘おうというのを判った上で、無理矢理に夕食の話を捻じ込んだ。もしここでサアヤが話を始めても、ヨハンは断るし物凄く空気の読めない女となってしまう。
「なんだなんだ……」
「アーデルハイトさん!」
「なにかしら?」
つかつかと歩み寄り、二人は睨み合う。
サアヤは涙目で、アーデルハイトは何処か勝ち誇った表情で。
その二人の睨み合いを止めたのは、扉をノックする音だった。
ヨハンの許可を得て入ってきたのは、サアヤの部下というか、後輩として働いているエトランゼの少女だった。
なんでもヨハンに手紙が届いているらしくと、わざわざそれを持って来てくれた。サアヤがそれを受け取ると、視線で頑張れと応援してくれている、ような気がした。
彼女が退室してからヨハンはサアヤからそれを受け取り、何の飾りつけもされていない便箋を破って中身を読む。実はこの時点で、サアヤは半分ぐらい嫌な予感がしていたのだが。
「すまんが、今日はこれから出る必要がある。食事も外で済ませてくるから……」
「え、いや、そんな急に……」
今度慌てる羽目になったのはアーデルハイトだ。勝ち誇って、夕飯の話をしたというのにそれを目の前で無為にされようとしているのだから。
「重要な案件だ。……あー、食料が余るのは問題だが」
「そうよ。腐らせても勿体ないし。夜遅くてもいいからどうにか戻ってこれないの? 別に、わたしは待っていることぐらいどうということはないし」
「そうだな。すまないがサアヤ、夕飯をアーデルハイトと一緒してくれるか? その方が夜に子供を家に一人で置いておかなくてもすむし」
「え、あ、はい……」
納得したのではないが、突然の状況の変化に付いていけず、サアヤは気のない言葉を返していた。
「日が変わる頃には帰る。そういうことだから、宜しく頼む」
お茶でクッキーを流し込み、焦った様子でヨハンは部屋を出ていってしまった。
後に残された二人は、お互いの目を見合ってから同時に溜息をついた。
「……なんで邪魔するんですか」
「なんとなく、嫌だからよ」
「そんな……。応援してくださいよ。お姉ちゃんとか欲しくないですか?」
「必要ない」
きっぱりとそう言われて、サアヤは肩を落とす。彼女がヨハンのことをどう思っているのか詳しいことは判らないが、懐柔するのは並大抵のことではできなさそうだ。
「ヨハンさんちょっと疲れてるみたいにも見えました」
「……そうね。特にここ数日は」
皿の上に乗ったクッキーを摘まみ、アーデルハイトが手渡してくる。
「どうも」と礼を言って受け取る。なるほど、やはりヨハンが絡まなければ彼女は好意的に見れる少女だ。愛想はないが。
「理由って、やっぱり」
「そうね」
お互い、思い当たることがある。
二人の頭の中には同時に、全く同じ人物が思い浮かんでいた。
「カナタちゃん。結構長いことそっちに姿を見せていないんですか?」
「わたしはこっちに来てから、一度擦れ違っただけよ。冒険者って、あのエトランゼの仕事をやっているんでしょう? 英雄って呼ばれているのに」
「だからこそみたいですよ。話を聞くと、あちこちに引く手数多みたいですから」
冒険者を続けるエトランゼは数多い。そのためイシュトナル自治区では彼等にちゃんと、仕事分の報酬が渡されるようにギルドが設立された。そのギルドを通して、一般の人や時には政府側も冒険者に仕事を依頼することがある。
「英雄だから、沢山の人に頼られるのよね。……あの子、きっと断らないから」
サアヤは街に出ることも多いので、アーデルハイト以上にカナタの姿を見ることは多い。
会う分には元気そうで、毎回挨拶もしてくれる。それに多くの仲間を見つけて楽しそうにしていた。
だが、彼女の笑顔は以前と変わらない明るさを持ちながらも何処か危うく、無理に笑っているように見えた。
アーデルハイトがお茶を飲み干し、カップを皿の上に置く。
今でも冒険者に危険な仕事は多い。カナタはその中で多くの人を助けるために、走り回っているのだ。
それは普段の彼女の姿。カナタを知っている人々からすればいつものことのはずなのだが。
どうしてか、そんな彼女の姿から不安が見えてしまうのは、彼女がもう一ヶ月もヨハンのところに姿を現していないからだろう。
「それにしても」
「そうね」
「わたし達って、カナタちゃんに勝てないんですね」
「……そうね」
それもまた、二人にとっては切実なる悩みの一つであった。
▽
イシュトナル要塞の南部。兵士達の訓練所や工房といった建物が立ち並ぶそのエリアの隅に、ヨハンも自分の工房を構えていた。
そこは以前経営していた店の裏側をそのまま持って来たような空間で、傍目には何に使うのかも判らないような機器と、分厚い本が何冊も納められた本棚が一つ置いてある。
部屋の中はカーテンが閉め切られ、外から入り込む夕日の灯りを遮っておりヨハンは今、部屋の中に一つだけある椅子に座って、テーブルの上に置いてある筒状の物、手っ取り早く言ってしまえば銃の機関部に当たるパーツを整備していた。
灯りは天井から降りるものと、手元を照らすためにテーブルの上にあるランプの二つだけ。
別にこの作業をするために仕事を途中で切り上げたわけではない。アーデルハイト達に語ったのは本当のことで、今からここで人と会うことになった。
「大将。来たぜ」
扉の向こうから声が掛かる。
一言「入ってくれ」と言うと、扉が開き、その人物は現れた。
長身の、外套を纏った偉丈夫。今やエレオノーラ達の協力組織となった超銀河なんとか団に所属する元アサシン、ゼクスだった。
「大方、こっちでできることは終わったよ。貴族への裏切り工作とか、民衆の扇動とかな。扇動って言っても、うちのボスが好き勝手に喚いてるだけだけどな」
「それはそれで効果がある。時には賢人の言葉よりも、感情だけで放たれる声の方が人の耳に届きやすい」
「物は言いようだね。まぁ、実際税も上がったし、臨時徴収もあるみたいだから、大分人気は下がってるけどな」
「勝っても得るもののない内戦のために金を奪われるんだ。そこに暮らす人からすればたまったものではない」
「本当にな。で、ここからが本題なんだが」
ゼクスは腕を組み、閉じられた扉に背を預ける。
「ヘルフリートが兵を集め、部隊を組んだ。率いるのは確か、カーステンとか言う男だ。兵の数はざっと、二千五百。そこに五大貴族のエーリヒの部隊が合流する。そっちの数は五百から千ってところらしい」
「最大で三千五百か」
勿論、その全てが戦闘員というわけではないだろう。それでも確実にこちらの倍以上の数の兵が動いていた。北方から逃げてきた貴族達が合流したとはいえ、エトランゼを含めてのイシュトナルの兵力は千を少し超える程度しかいない。
「勝ち目はあるのかい?」
「……一応はな。頭の中ではできているつもりだが、上手く行く保証はない」
「そりゃなんだってそうさ。やり方があるだけでも先は明るいな。そうそう、グレンの命令で、俺も当分はこっちで世話になることになった。よろしく頼む」
それはありがたい心遣いだった。ゼクスの能力はヨハンが知っているだけでも相当に高い。彼を自由に動かせるのならば、勝てる確率は大幅に上昇する。
「助かる。いきなりだが、部隊を率いた経験はあるか?」
「なくはない、ってところだな。アサシンをやってた時に、部下を三人とか四人連れてたことがある程度だが」
「十名程度、隠密に長けた者を用意してある。お前と同じような身の上の者から、それ向きのギフトを持つエトランゼまで人選は様々だ。後で顔合わせをさせるから、各々の能力を把握しておいてくれ」
「いいのかい? 俺の立場で部下を貰っちまって。光栄じゃないか」
「その分の働きはしっかりしてもらう。この戦い、正面からの打ち合いでは勝ち目はほぼないからな」
それから二人は本格的に、ゼクスが集めてきた情報、今後の超銀河なんとか団が行う内部工作の内容についての話し合いを始めた。
それが終わったら次は彼に率いらせるための隠密部隊の編成と、その顔合わせの日程。そして任務内容についての打ち合わせを進める。
全ての話が終わる頃には、既に日付が変わるぐらいの時間になっていた。
「こんなもんかな。ま、他になんかあったら言ってくれよ。あんたらには借りがある。精々、こき使ってくれると気も楽だ」
「期待している」
最後にニッと笑って、ゼクスは来たときと同じように部屋から出ていった。
それから少しの間、なんとなく自室に戻る気にもなれず、目の前の銃の整備に没頭する。理由はそれだけではなく、戦いがもうじき始まるとするならば、ヨハンのやるべきこともまだ山のように存在していた。
そこにノックの音がして、まさかこんな時間に誰かが尋ねてくるとは思っていなかったので、ヨハンは思わず肩を竦めた。
「誰だ?」
「あの、カナタだけど」
思わず手に持っていたパーツを取り落としそうになる。
「入っていいぞ」
恐る恐る、とでも表現できるほどに慎重に扉が開かれて、カナタは工房の中へと入ってきた。
「え、と。久しぶり」
「……久しぶりだな。アーデルハイトが会いたがってたぞ」
「うん。一回擦れ違ったけど、びっくりした。アーデルハイト、こっち来たんだ」
「色々あってな」
オル・フェーズからこちらに戻って来て、初めての再会となる。既に一ヶ月以上が経過している。
こんなに長い間カナタと会わなかったのは、恐らく彼女と出会ってから初めてのことだ。
「適当に座っていいぞ」
「う、うん」
床に重なっている本を引き寄せて、それをお尻の下に敷く。普段は苦言を呈する行為だが、何故だか今日ばかりはそれを言う気になれなかった。そもそも、座るところがないのに座れと言ったのは、他ならぬヨハン自身だ。
「噂は聞いてるぞ。随分と活躍してるみたいじゃないか」
「自分でもびっくりだけどね。小さな英雄ってみんながボクのこと呼んで、冒険者達からパーティ組んでくれって凄い頼まれるんだ。ちょっと前からじゃ想像できないよ」
照れくさそうに笑うカナタ。
その英雄という言葉に、ヨハンの胸が僅かに締め付けられる。
「でも、だから頑張りたくて。ボクの力を必要としてくれる人がいて、ボクにはそれができるんだもん。……もう、目の前で誰かを助けられなくて、一番選んじゃいけない選択をするのは嫌だから」
「カナタ。あれは……!」
「判ってる。判ってるよ。あれはああするしかなかったって。誰が悪いわけでもないって、本当に、判ってるんだけど」
ヨハンは作業を止めて、身体をカナタの方へ向ける。
彼女は顔を下に向けて、その表情を詳しく窺い知ることはできない。
「でも、うん。当分は忘れられない。だからシノ君の分まで、ボクが頑張ろうって。それで、ヨウコさんみたいな人を少しでも減らせるようにね」
「……カナタ」
「ボクはヨハンさんみたいに頭もよくないし、エレオノーラ様みたいに志もないから。だから、一つ一つ、自分にできることを頑張るよ。それにね、みんながボクを頼ってくれるのも、嬉しいからね!」
顔を上げてこちらに笑顔を見せるカナタ。
そこに無理をしているような感じはない。彼女はきっと、心の底から自分が手に入れた力で人を助けることを喜んでいる。
しかし、それは形を変えた犠牲だ。その身体を、心をミリ単位で切り売りしているだけに過ぎない。
「アルゴータ渓谷にダンジョンが見つかったの知ってるよね? 今度冒険者達に調査の仕事が沢山来るっぽいんだけど」
「ああ、知っている」
ダンジョンと呼ばれる迷宮が、この世界では時折発見される。
それは古代の遺跡であったり、自然発生した洞窟であったり、何らかの魔法の影響で生まれた空間であったり。
理由や物は様々だが、中に魔物が潜む迷宮のことを一まとめにしてダンジョンと呼んでいた。
そしてそこには高確率で財宝や、珍しい鉱石、普段は出会うことのできない魔物など、資源の宝庫となっている。
だからこそダンジョン踏破は冒険者達の目標であり、一獲千金の機会でもあった。
もっともダンジョンはそれ自体が罠や強力な魔物に阻まれて一筋縄では突破できず、中には発見から十年経つにも関わらず攻略されていないものもあった。
それ自体は大きなニュースであるし、結果として冒険者界隈は賑わっているのだが、ヘルフリートとの戦争を間近に控えたヨハンの中では二の次三の次の案件となってしまっていた。
「それで、お願いがあるんだけど。今度ダンジョンに挑戦するのに、道具が色々と必要でさ……。ボクもそれなりにお金はあるんだけど、やっぱり一番信頼できる人にお願いしたいって言うか」
おずおずとカナタはそう切りだした。
彼女がヨハンに対してそんな風に遠慮した物言いをするのは初めてのことで、
「すまないが」
ヨハンがそれを断るのも、これまでになかった。
「ここ数日は何かと忙しくてな。手が回りそうにない」
薄暗い部屋内では、カナタの表情をよく見ることはできないことは、幸いであったかも知れない。
「それってやっぱり、戦争になるから?」
「そうだな」
それを聞いて、カナタはそれ以上何も言わなかった。
「うん。それじゃあ自分で何とかしてみるよ」
小さく笑顔を浮かべて、椅子にしていた本の山から立ち上がる。
その彼女らしからぬ聞き分けの良さに寂しさを感じたのは、ヨハンの身勝手だろう。
「ヨハンさん」
扉に手を掛けて、こちらを振り向かないまま、カナタは言う。
「死なないで。絶対帰って来てね」
「――ああ」
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