第二節 暗礁の中で

 オルタリア王国王都、オル・フェーズ。

 謁見の間と呼ばれる王がその臣下達と面通するその場所は、大理石の柱が点々と立ち並び、床には真紅の絨毯が入り口から王座まで真っ直ぐに引かれている。

 並べられた燭台の火に照らされながら、ヘルフリートは忌々しげに手に持った盃を放り投げる。

 床の上を転々と盃が転がり、その中に残っていた僅かな水をぶちまけた。

 そこに言葉を掛ける者はおらず、この場にいる護衛の兵士とヘルフリートの側近は黙って彼の怒りが収まるのを待つことしかできない。

「エレオノーラめ……。できの悪い愚妹の分際で、俺に恥を掻かせおって……」

 ヘルフリートが魔法学院と結託し、キメラを初めとする人体実験を行っていたという話が世に出たことは、彼にとっては大きな痛手となった。

 オルタリアが誇る技術の最先端、魔法学院。それを単なる兵器工場として扱おうとしたヘルフリートのやり方は、多くの民達の批判を呼んだ。

 中には犠牲となったのはエトランゼなのだから放っておいてもいいのではないかという声もあったが、多くの人はそこまで非人道的に物事を判断できない。

 加えて、それを解決したのがエレオノーラ率いる『小さな英雄』であるのも大きな問題だ。それを見た人々は果たしてこの国を治めるヘルフリートに、その器があるものかと疑問を口にし始めた。加えて、反ヘルフリートを唱える地下組織が動きだしたのも厄介だ。

 だが、民衆はまだいい。ヘルフリートからすれば民などどうとでも誤魔化せる、最悪力で従わせることのできる程度のものでしかない。

 問題なのは魔法学院に自分の身内や部下である魔法使いの卵を通わせていた貴族達だ。元々兄であるゲオルクが戻らないことで、なし崩し的に王座に座っていたヘルフリートに対して、不満を見せつけてきた。

「ヘルフリート様」

 側近が傍で声を発した。

「本日面会予定の、ダラム卿達がお見えになったようです」

 不機嫌そうにヘルフリートは鼻を鳴らすだけで答えない。

 側近は視線で兵士に命じて、部屋の外で待機しているであろう貴族達を連れに行かせた。

 それから少しの間も置かず、兵に連れられて貴族服を来た男が三人横並びになって謁見の間に現れた。

「ヘルフリート陛下。ご多忙のところこのような謁見のために時間を割いていただきまことに……」

「つまらぬ挨拶は要らん。それよりも用件を話せ。お前の言う通り、俺は暇ではないのだ」

 ヘルフリートの言葉に、最初に言葉を発した中央の貴族は眉間の皺を深くする。

 彼の名はマーテリー・ダラム。貴族服をしっかりと着込んだ中年の男で、貴族招集にこそ自領の問題を解決するために来なかったものの、何度も政治のやり方に口を挟んでくる。

 ヘルフリートからすれば、面倒な男の一人だった。

 両側に控える貴族達は彼の親戚筋で、マーテリーの言葉を復唱するだけの連中とヘルフリートは思っている。

 ヘルフリートに促され、顔を上げたマーテリーは、その顔に緊張を滲ませながら、言葉を口にする。

「陛下。私が申し上げたいのは、先日の魔法学院での件でございます」

 ヘルフリートのこめかみが小さく動く。

 先日からその話は何度も何度も耳にしている。だいたいが一喝して追い返してはいるのだが、それでも食い下がってくる愚か者も数多くいた。

 そして今目の前にいるのは、その代表と言ってもいいほどに面倒な男だ。

「キメラの事件か? あれは有事に備え、戦力を確保するために行っていたことだ。結果としてああなったしまったのは残念だが、それは俺の知るところではない。未熟な研究者に責任があるだろう」

「人間をキメラにしていると知っていながら、彼等への援助を続けていたと聞きましたが?」

 ヘルフリートは言葉に詰まる。

 わざわざここに駆けつけてくるとは、つまりそういうことだ。そのことを知っていなければ、そこまで大きな問題にはなるはずもない。

「あの場所には貴族の子息や、その部下として将来を有望された者達が集っていることはヘルフリート陛下もよくご存じでしょう。そのような場所で、人体実験紛いのことを許すなど……」

「勘違いをするな、マーテリー。実験の材料となったのはろくな住処も持たぬ連中と、エトランゼだ。俺は国民に手出しをさせた覚えはない」

 その一言が失言であると、ヘルフリートが気付いたのは、その直後ことだ。

「エトランゼも、家を持たぬ人々も国民でしょうに。彼等ならば犠牲にしてよいという意識は王としての器を疑われます。即刻取り消していただきたい!」

 マーテリーは一度声を荒げて、それから自分を落ち着かせるように深呼吸をする。

 両側に控える二人は、ヘルフリートとマーテリーの間に流れる剣呑な空気に怯え、最早一言も発しようとはしなかった。

「王がそのような考えに至ったのは、やはりバルヒエット卿らの影響ですかな?」

 エッダ・バルヒエット。

 五大貴族の一人であり、狂信と言えるほどのエイスナハルの信者でもある。

「即位してからというもの、ヘルフリート陛下は随分と彼等の言うことを聞くようになった。私は誰がどのような宗教を信仰するのも自由と思いますが、もしそれが理由でエトランゼに対する苛烈な迫害を続けるのであれば、それはいずれこの国に取って災いとなりましょう」

「マーテリー……。貴様、何が言いたいのだ?」

「本日は一つ、嘆願をしに来たのです。ヘルフリート陛下。どうか、エレオノーラ様をお許しになってください」

「そんなことができるか!」

 謁見の前に響くような大声が、ヘルフリートから放たれた。

 その声にマーテリーは身体を射竦めたものの、負けじとその場に自らを縫いつけるようにして、ヘルフリートの顔を見つめる。

「たかが愚妹の分際で奴は俺に恥を掻かせた。それだけではない。エトランゼの血を引く女をこの国に置いておいては、それこそ後の災いとなるだろうが!」

「エトランゼの是非についての議論は後程にいたしましょう。私が問題にしているのは、ここ数日国内に聞こえてくる、オルタリア南方、イシュトナル自治区への出兵の噂です」

「自治区だと? その名を呼ぶな、マーテリー。俺はエレオノーラの居場所を許可した覚えはない」

「でしたらなおのこと、エレオノーラ様を許し、イシュトナルをオルタリアの領地としてお加えください。あの地は鉱物資源が豊富で南方との交易の拠点となり、加えてエレオノーラ様の統治により今や無視できないほどの……」

「だから奪うのだろう! そのために兵を派遣すること、何の問題がある?」

「……それは私に言わせますか」

 意を決して、マーテリーはそれを口にした。

「敗北の危険性があるということです」

「き、さま……!」

 怒りの余りヘルフリートが立ち上がる。

 その迫力は凄まじく、マーテリーは一歩後退り、両側の二人などは驚きのあまり尻餅を付いてしまいそうになっていた。

「俺が……。俺のオルタリアが敗北するというのか? ろくな軍備も持たぬ連中に!」

「エレオノーラ様は世論を味方に付けています! もし陛下が軍を動かせば、それは大義なき戦いと多くの人の目に映るでしょう。もしその戦いで少しでも後れを取ることがあれば、その不満はたちまちに広がりますぞ!」

「マーテリー……。貴様はいったい誰の味方なのだ?」

「オルタリアでございます。この国、そしてここに住む者達の為に、知恵を絞り、実を粉とする所存ありましょう」

「……そうか。お前の言葉、深く心に染みたぞ」

 穏やかな声でヘルフリートは告げた。

 もう彼の中での結論は出た。そうなれば、怒りは全く無意味なものとなる。

「陛下……!」

 玉座を立ち、ヘルフリートはマーテリーに一歩ずつ近付いていく。

 本当に愚かなことだと我ながら思う。

 辛酸を嘗めさせられ、つまらぬことで無駄な時間を取らされながら。

 何故、そのことに気が付かなかったのか。

 ヘルフリートは剣を抜き、それを無慈悲に振り下ろす。

 一切の慈悲も躊躇いもなく、その剣は的確に、マーテリーの首を斬り落とした。

「ひっ……!」

 二人の貴族の悲鳴が上がる。

 しかし、その場から逃げだすことはできない。王の御前からそんな真似をすれば、それこそ死罪を免れることはできないからだ。

 飛び散った真っ赤な血を頬に浴びながら、ヘルフリートは上機嫌な声で言った。

「国とは、王。そして王とは俺だ。国のために尽くすのならば、俺に対して余計な反論をすることなく、その方針に従い事を進めるための献策をすればいい。だとすればこの男、愚かなマーテリーのしたことは間違いなく、国に背くことだろう」

 王の双眸が、貴族を睨む。

「違うか?」

「そ、その通りでございます!」

 抵抗することも許されず、二人はそのまま跪くことを選択した。

 結果としてはそれは正しい。最早ヘルフリートは自らの手で家臣の首を刎ねることを躊躇いはしない。

 一度やってしまえば、後はもう二度も三度も変わらないのだから。


 ▽


 夕暮れ時。

 イシュトナルに広がる街並は、かつては何もない平原が広がっていたとは思えないほどに発展し、広がっていた。

 未だ広さはオルタリアの主要都市の何十分の一程度でしかないが、それでもそこには大勢の人が暮らし、日々の仕事を務め、家族を持つ者もいる。

 街の通りはこの時間になっても活気が溢れ、そろそろ夜の姿を現し始める。

 エトランゼ達の数多くが従事する冒険者達が、その日の仕事を終えて街へと戻ってくるからだ。

 そのため酒場や、翌日のために武具の整備を任された鍛冶屋などはこれからが本当の意味での営業と始まりであり、あちこちで客引きの声が木霊する。

 そんな賑やかな喧騒を聞きながら、ヨハンは一人ベンチに座って思考を巡らせていた。

 オルタリアは、ヘルフリートは恐らく戦争を仕掛けてくる。先日の一件で例え彼の出鼻を挫いたとしても、無理矢理にでも事を進めるであろう怒りがその目には宿っていた。

 王都内での件についてはグレンやアツキ達超銀河なんとか団に一任してある。決してやり過ぎないことを条件に、彼等は反戦工作を行ってくれる手筈となっている。

 そんなヨハンの元にゆらりとした足取りで近付いてくる人影が一つ。

 顔を上げればその細面の男は、口元に胡散臭い笑顔を浮かべて手を振っていた。

「やーやー、お久しぶりですね。ヨハンさん、あれから随分と出世したみたいで、羽振りは上々と言ったところですかー?」

「だといいんだがな。生憎とこちらは役職命すらない状況だ」

「それはいけませんねー。できるだけ早いうちに決めておいた方がいいですよー。出ないと、お姫様のご機嫌取りに奔走する人達にその美味しい立場を奪われてしまいますよー。……これから、ここには多くの貴族が流れ込んでくるのですから」

「何か判ったのか、ハーマン?」

 ハーマンと呼ばれたその男は、以前とある縁があった商人だ。エトランゼでありながらこの地で商売に成功し、それから後も物資の融通など何かと世話になっている。

「いえいえ。情勢を見ていれば予測は容易いことでしょう。ヘルフリート陛下は人気がありませんから。そこに、同じく王国の血を引く政府がもう一つあるのです、臆病で逃げ足の速い貴族の取る行動、決して選択肢が多くはありませんよね?」

「賢い、とは言わないのか?」

「ええ、ええ。言いませんとも。その状況を加味してでも状況はヘルフリート側が有利。彼等が然るべき方法を取り、エレオノーラ姫を断罪せんと軍を上げれば、このような都市などひとたまりもありませんでしょう?」

 厭らしい笑みを浮かべながら、身体を回して紹介するように街並みを撫でていく。

 ハーマンの言葉は正しく今の状況を物語っていた。

「でーすーがー! そこはそれ! このわたくしの力添えがあれば、勝てぬ勝負も引っ繰り返して見せましょう? 物は力、ですよ。特に良き物は至上です」

 ヨハンの両手を握り、身体を引っ張ってベンチから立たせる。

「一先ずは何処かに入りましょう。わたくしお腹が空いてしまいました」

 二人は路地裏の、目立たないところにある食事処に足を運んだ。

 薄暗いランプの灯りに照らされた煉瓦造りの店内は、知る人ぞ知る、といった雰囲気を醸し出している。

 二人掛けのテーブルについて注文を終えると、最後にハーマンがウェイトレスに付け加える。

「それからワインを二人分。……ここはわたくしの奢りで、ね」

「酒を飲みながら商談するのか?」

「お互いに口が回るようになれば金の周りもよくなる。酒宴のためではなく、商売のための酒もあるものです」

「どうだか。精々、法外な値段で物を買わされないようにする必要がありそうだ」

「酷い! わたくしが今までそんな阿漕な商売をしたことがありますか!」

 そんな話をしていると、パンにスープと肉料理、サラダそれから赤ワインがテーブルに並んでいく。

 料理に舌鼓を打ち、フォークを肉に突き刺しながら、ヨハンはハーマンに言葉を返す。

「あちこちで悪名が轟いているぞ。詐欺師とも言われているみたいじゃないか」

「ああー! それは言わないでくださいよー。たまたま、わたくしとの取引で損をしてしまったお馬鹿な人が、悔し紛れに言っているだけですから。わたくし、誓って、優良顧客に対して損はさせません!」

「顔が近い」

 ナイフで切った肉を口に運ぶ。

 胡椒がよく利いた肉は、口解けも柔らかく、何よりも久しぶりの肉料理に身体が喜んでいるのか、意識せずとも勝手に次を食べようと手が伸びていた。

「いやー、美味しいですねー! よく言われているんですよ、イシュトナルは料理が美味しい。エレオノーラ様がこの辺りを治めるようになっての一番の変化はそこだって!」

「畜産や農業に詳しいエトランゼを雇い、各地に派遣したからな。農地改善や開発にも力を入れている」

 まずは食料。それが何よりも大切だとヨハンは考えている。逆にいれば他に何もなくとも、美味い食料さえしっかりと生産で来ていれば人は生きていける。最悪人は武器を捨てて鍬を手に取ればいい。

「ははぁ。やはりそれも国造りの一環ですか? ヨハンさんには、この国の行く末が見えていると」

「……どうかな」

 答え難い質問だった。

 今のところ、降りかかる火の粉を払い、必要なだけの土壌を整えることにヨハンは力を注いている。

 それを使い、何かをするのはヨハンではない。エレオノーラだ。

「なんと! それは行けませんよ、ヨハンさん! 貴方が方針を決めねば、この地域は道に迷ってしまいます。行く先が定められない国など迷子の子供にも等しいでしょう!」

 ハーマンの言及から逃れようと、ヨハンは赤ワインを口にするが、思ったような効果は得られそうにない。

「……方針を決めるのも、行動するのも姫様だ。俺じゃない」

「……ご冗談を」

 息を吐きだすように笑うハーマン。

 そして肉に強くフォークを突き立てて、前のめりになる。

「エレオノーラ姫にそのような能力はありません。あの方は今のところ、シンボル以上の役割を果たすことはないでしょう。つまるところ単なるアイドルに過ぎない。それをコントロールして人を導くのが貴方の役目でしょう?」

「いずれは俺ではなく、姫様が一人でできるようになる必要がある。信頼できる家臣を従え、自分の意思で思ったことをできるようにな」

「……ふぅん」

 面白くなさそうに、ハーマンは頷く。

 そうしてワイングラスに手を伸ばし、一口でそれを全て飲み切ってから、ウェイトレスにお代わりを注文した。

「ははぁ。ほほぅ。なるほどなるほど。これはわたくし一つ、大きな勘違い……というか、あれですね。うん」

 一人頷き、ハーマンは腕を組む。

「わたくし、貴方を過大評価していたようですね」

「それはありがたい限りだな。実際の能力よりよく見えるということは、ぼろが出ないように立ち回れていたということだろうから」

 それは単なる負け惜しみだったが、ハーマンは咄嗟にその言葉が出てきたヨハンを、やはりここで手放すには勿体ないと判断する。

 しかし、それをここで議論するには時間が足りない。何よりも単なる一商人であるハーマンがそれを言ったところで、ヨハンは決して納得はしない。

 人がそれを自覚して変わるのは、二つしかないとハーマンは考えている。

 成功し何かを得るか。

 失敗し、何かを失うか。

 他人事ながら、ハーマンは心の中でだけ、失敗して失うものが命でなければいいだろうと祈る。

「おおっと! わたくしとしたことが、ついつい感情が籠ってしまいました。ではではつまらない話はここまでにして、今日の本題に入りましょう」

 器ごと掴んだスープを一気に口の中に入れてから、ハーマンはそう言って空気を切り替えた。

 ここから先はお節介ではなく、真剣な商談である。

「鍛冶師の手配の件はどうなってる?」

「ご心配なく。滞りなく、三日後には到着します。場所は西側に作られた工房でよろしいので?」

「そうだ。材料は運び込んであるし。後は当日に渡す設計図に合わせて物を作ってくれればいい。……後はできれば技術系の魔法使いの宛が欲しいんだが」

「いやぁ、申し訳ありません。そちらの人材は流石にちょっと確保は……」

「……そうか。なら、今いる人員で何とかするしかないか」

「お代の方ですが、少しおまけさせていただきますよ。……その代わり」

 腹に含む物を持って、ハーマンが口にする。

「判ってる。アルゴータ渓谷で取れた鉱石の融通だろう。もう用意はしてあるから、明日の午前中にでも受け取ってくれ」

「ありがとうございます! これが南方で売れる売れる! 南側も最近は情勢が怪しいですからねー」

「らしいな。こっちまで戦火が飛び火することがなければいいのだが」

「ですねー。それにしてもヨハンさんが作ろうとしてるあれ、本当に形になるんですか? もしなるなら量産化を目途に入れてこちらでご協力を……」

「残念ながら当分は機密として行う。設計図も、最も大事な部分は俺が調整するつもりだ」

「えー! ズルいじゃありませんかー!」

「やりたくてもできないんだ。あれは、俺のギフトの名残で作られているからな」

「ほう」

 興味深いことを聞いたと、ハーマンは目を輝かせる。

「ヨハンさんのギフト。かつては最強と呼ばれたその力ですが、今はいったい何ができるんです? 風の噂によれば森羅万象を知る錬金術師とか呼ばれていると……」

「何処の噂だ、それは。そんな大したことはできない」

 人とは異なる法則で魔法を操るギフトを失っい、その法則を見て触れる力が残った。

 それを利用して他人とは全く異なる方法で魔法道具を作成することができる。それがヨハンのギフトだった。

 それをするにも工房は必要であるし、材料もなくていいわけではない。法則が違うだけ無限ではないのだから、大量生産することもできない。

 最強のギフトは、少しばかり便利な力として落ち着いていた。ヨハン自身は語ることはないが、もしギフトで序列を付けたとしても決して有用な力ではあり得ないだろう。

「ですが事実、そのギフトによって数多くの傑作品を生み出しているではありませんか」「あれはギフトの助けもあるが、俺が自分で学んだ結果でもある。それに加えて……」

 言いかけた言葉を、ヨハンは慌てて口籠る。

 もう一つの切り札に関しては、誰であろうと口にするわけにはいかない。

「加えて?」

「企業秘密だ。それよりも、足りない物資が幾つかある。一応、リストを作ってきたが」

 懐から取り出した紙を、ハーマンに手渡す。

 それを一通り眺めてから、ハーマンはまた商売人の笑顔を見せた。

「食料に武器、それから各種薬品と……。畏まりました。近日中に、手配しておきましょう」

「頼んだ」

「――ああ、それから」

 今思い出したかのように、ハーマンはそれを口にする。

 その口調は様子を伺うようでありながら、何処か試すようでもある。

「戦争になるのでしょう? もし兵士の斡旋が必要なら、いつでもお声をお掛けください。わたくしの取り扱う『商品』、その質のほどには自信がありますので」

「要らん」

 きっぱりとそう言い捨てて、食事を終えたヨハンは椅子から立ち上がる。

「今日は失礼する。あまり帰りが遅くなると煩いんでな」

「おや、同居人ですか? ご結婚なされたとか?」

「残念ながら違うな」

「そうですか。結婚相手をお探しでしたら、その時も是非このハーマンにお申し付けください。コネを利用してお見合いぐらいはセッティングして見せましょう」

「その時は宜しく頼む」

 ハーマンが言った通り、支払いを彼に任せてヨハンは出入り口のベルを鳴らして店を出ていった。

 彼と入れ違いになるように何人かの客が現れ、にわかに空いていた席が埋まりつつある。

「あ、お姉さーん! わたくしにワインと、この肉料理お代わりで!」

 ハーマンは追加の注文を済ませてから、小さなランプの灯りを見上げて、今後のことを考える。

「しかし彼がねぇ……。まさか、そうだとはね。あー、実に……。実に難しくて興味深い」

 自分のことでないから、ハーマンのギフトである予感は何も伝えない。

 ただ、今回の商談に関しても嫌な予感は全くしていない。どちらかと言えば更なる利益を得ることができるであろうと、確信もある。

「ですが……。うーん、そうですねぇ。苦労しそうですね、ヨハンさんも、お姫様も……」

 ツケ、というものがある。

 商売人であるハーマンはツケを許すことはあっても、その支払いを帳消しにすることはありえない。

 そしてそれは何も商売に関して話だけではなく。何事においても、後回しにしたツケというのは回ってくるものだ。


 ▽


 オルタリア国内の西方に位置する大型都市、テオアン。

 首都オル・フェーズに次ぐ広さを誇る街であり、広大な領土を誇るオルタリア西部を護る要でもあるテオアンを支配する者こそ、五大貴族として名高きエーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガンその人だった。

 数多くの内乱や盗賊の討伐、時には魔物退治にも出陣し、数多くの勝利を治めてきた歴戦の将軍は、自らの館の自室でソファに腰かけてくつろいでいた。

 時刻は既に夜遅く、執務は全て終了している。

 そこに呼び出されたのは中華服を纏った長身痩躯の男、ルー・シンだった。

 ルー・シンは部屋に入ると後ろ手に扉を閉めて、それから手に持っていた指令書を雑に手渡す。

「ほう。どれ、ヘルフリート陛下はどのようなお達しをされるのかな?」

 それには気を悪くした様子もなく、エーリヒは指令書を手に取り、上から下へと順に読み進めていく。

「ヘルフリートはどうやら、エーリヒ様に先陣を切らせるつもりはないようですな」

 その言葉と同時に、エーリヒも最後までそれを読み終える。

 王族の印鑑が入ったその指令書は、紛れもなくヘルフリートが書いたものだった。だが、そこに書かれていたことは以前彼の口から聞いた言葉とは異なる。

「驚きだな。もしエレオノーラ様の軍を一息に撃滅するならば、俺が育てた兵達を使うのが一番いいと思ったのだが」

「急先鋒を任せられる男はカーステンという男のようで」

「カーステン? ……奴は御使いを巡る戦いの時に重傷を負ったと聞いたが? その後とんと話を聞かなかったが、生きてたのか」

「今は隻腕となったそうです。そうさせたエレオノーラ達への憎悪は相当なものとなっているでしょうな」

「恨み憎みで戦争に勝てるわけでもないだろうに」

 呆れたように嘆息して、エーリヒは指令書をテーブルの上に投げ捨てた。

「人選の理由としては他の五大貴族からの推挙と思われます。カーステンは敬虔な……いえ、我々エトランゼの感覚からすれば狂信と呼んでもいいほどのエイスナハルの信徒でしたから、そこに手柄を立てさせたいのでしょう」

「そしてヘルフリート陛下はそれを断りきれないと……。まったく、宗教家との繋がりが強くなっても面倒が増えるだけだろうに」

「そうするしかないのでしょう。ヘルフリートは前回の件で使える手駒を大きく減らしました」

 嘆息するエーリヒを尻目に、ルー・シンはあくまでもマイペースにテーブルに投げ捨てられた指令書を回収し、改めて眺めた。

「だからといってな……。困ったものだ。この男、カーステンは間違いなくやり過ぎるだろうよ」

「やり過ぎる、とは?」

「元の性格が過激なのもあるだろうが、奴は……俺達の価値観から言っても狂信者そのものだ」

「なるほど。確かに信仰心の暴走は多くの命を失わせますな」

 相手を人と思わず戦をする。

 それは確かに勝利を掴むためには必要なのかも知れないし、味方の犠牲は限りなく少なくて済むだろう。

 しかし、オルタリアが求めているのは南方にいる者達の全滅ではない。ましてやカーステンが民間人に危害を加えるようなことをした場合にはより状況はますますヘルフリートの不利な方に転がっていく。

「陛下はこれが自分の領内の戦いだと理解しているのか……?」

「どうでしょうな。目の前の敵を倒すことに夢中になり過ぎている、とは思いますが」

 人など勝手に沸いて増えるもの。虫にも等しいと思っているのだろう。

 被支配者としてその考えは決して間違っているものでもない。民衆一人一人のことを慮っていては政が進まないのもまた一つ。

 王とは国を残さねばならぬもの。そう考えればヘルフリートも、決してただ否定されるものでもない。

 問題があるとすれば、国内に対抗馬となりうる権力者がいるというこの異常な状況だということだ。

 エレオノーラは確かに道理に反している。統治政府がある国内の、ほぼ打ち捨てられていたとはいえその領土を勝手に支配して運営しているのだ、それは咎められて然るべきだろう。

 ただし、彼女は一度交渉のテーブルについた。それを蹴って武力で解決しようとしているのは他ならないヘルフリートだ。

 戦力、補給線、士気、何においてもヘルフリート側が有利に見えるこの戦いだが、時間が長引けば長引くほど状況は悪くなる。

 内乱が長引いたとあっては国内でのヘルフリートの評判はどんどん悪くなる。加えて兵達を維持する戦費も普段と戦いが始まってからでは大きな差が出る。

 それをカバーするために臨時徴収を行えば、それは一気に民や貴族の不満を膨らませる結果となる。

 ましてやこれは本来行う必要のない戦。ヘルフリートの私怨と呼んでもいい理由で行われる戦いなのだから。

「さて、ヘルフリート陛下はこちらに増援部隊の手配をしろとの御命令だ。先方は誰に任せるがいいと思う?」

「そうですな……。こちらの軍には優秀な人材はそれなりにいますが……」

「俺とお前、恐らく同じ人物を思い浮かべていると思うが?」

「ええ、恐らくは」

「では、奴に任せるとするか」

 二人の頭の中に浮かんだ名前は一致している。そしてそれはこの戦いの先鋒として申し分ない人物だった。

「では、俺が直々に後詰めをやるとしよう。久々の戦は胸が躍るな!」

「残念ながら、それはやめた方がよろしいかと」

「なにぃ?」

 出鼻を挫かれて、子供ような不満顔でエーリヒはルー・シンを見たが、決して彼の言葉を否定することなく、冷静のこの知将がそれを口にした理由を尋ねる。

「ルー・シン。理由を話してみろ」

「これはエーリヒ様がよく仰っていることでしょう。優秀な側近、懐刀の価値というものについてです」

「俺の身が一つしかなくとも、同時に二ヵ所で指揮が取れることだな。つまり、同時に二ヵ所で事が起こるということか?」

「はい。エーリヒ様にはオルタリア北方領内にて起こるであろう、戦いに乗じたエレオノーラに与しようとする貴族達の決起を抑えていただきたい。それに関しては手前よりも彼等と付き合うが古く、信用が深い貴方様の方が適任かと」

「決起するものがいると? そこまでの人物かな、エレオノーラ様は?」

「片方の理由だけでは成り立ちません。ですが今は理由が二つある。信頼を置けぬヘルフリートの行いと、英雄と共に歩むエレオノーラの道。それに希望を見出す者もあることでしょう」

 それに加えて、国内では工作活動も目立っている。規模は決して広くはないが、それでも反ヘルフリート、そしてエトランゼとの共存を訴える声は広まっていっていた。

「……納得いった」

 憮然とした様子でエーリヒは腕を組み、ソファに深く腰を落とす。

「後程決起するであろう貴族の名簿を作ってお渡しします。彼等に目を付けて警戒していれば、そうそうことが大きくなることもありますまい」

「なにから何まで……。恐れ入るぞ、お前のその先見には」

「元の世界の人類も、長く争いを繰り返していました。あの世界では既に自らの住む大地ごと滅ぼされるだけの武器を、数多くの国が所持しています」

「恐ろしい話だな、それは。例えオルタリアが強くとも、大地ごと滅ぼすことなどできはしないぞ」

「長い戦いの歴史があってのことです。それを紐解き、似たような状況に陥った国がどのような流れを辿り滅びていったのかを手繰れば、状況を読むことも決して不可能ではないでしょう」

 無論、それで全てが理解できるわけでもないが。

 加えてこの世界にはこの世界だけの不確定要素が幾つもある。魔法、御使い、更に言ってしまえばルー・シン自身も含むエトランゼとギフトもその要素の一つだ。

 何が起こるか判らない、予測のつかない道を辿るであろうこの国。

 だからこそ、ルー・シンはそこで知略を振るう。もしこの流れを掴み制御することができれば、それは紛れもない偉業の一つとして天に届くであろう。

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