第十五節 呪いの行方
「アデル。怪我はないか?」
瓦礫を押し退け、どうにか地上に這いだしながら、隣でローブの裾を掴んでいるアーデルハイトを気に掛ける。
ヨハンの少し後ろに続いて地上に出てきた彼女にも、幸いにして怪我はなさそうだった。
「問題ないわ。今の結界、凄いわね」
「カナタの極光を再現しようとしたんだがな。実際は別物だし、魔力を最大にまで充電しても一日一回しか発動できない。緊急回避用だ」
ローブに仕込まれた術式を、興味深げにアーデルハイトが指でなぞる。
既にこちらに来てからこれに助けられること三度目だが、今はその原理や改良点を詳しく説明している時間はない。
「二人とも、無事だっでござるか!」
その太った身体に似合わぬ俊敏な動きで近付いてきたのは、アツキだった。見れば腕と足が、魔物の部位へと変化している。
「カナタを見なかったか?」
「小生は見てないでござる。と、言うことはこの近辺に生き埋めでござるか?」
「……恐らくはな」
「ならばカナタちゃんを助けるのは小生に任せるでござる! お礼はほっぺにちゅうでよろしくと伝えておいてくれればいいでござるよ! ……で、そちらにはあれの相手をお願いするでござるよ!」
言い残して、アツキはカナタを探すためにヨハン達の元を離れていく。
遠目に見えるのは、獣の下半身に子供の上半身が接続されたキメラ。それは以前、エトランゼ街で戦ったキメラ達の統率者と同じ個体だろう。
その咆哮は恐らく地下に保存されていた全てのキメラを呼び覚ましたらしく、今も次々と瓦礫を破壊し、付き従うようにキメラの数は増えていく。
そしてそれらを従えた怪物、シノは学院内には目もくれず、その壁を破壊して何故か外側へと向かっていた。
「街に向かってる!」
「その前に足を止める!」
ショートバレルを構えて、ありったけの弾丸を打ち込む。
しかし、その前に殺到してきたキメラの群れが、まるでシノを護るように盾になり、反転してこちらに向かって襲い掛かってくる。
驚くべきはそれだけではなかった。
シノは腕を伸ばし、銃撃によって倒れたキメラを掴むと、その身体に生えた口の一つに持って行き、咀嚼して飲み込んでいく。
飲み込まれたのは人型の、大きな鉤爪を持ったキメラ。
シノの肉体、野太い腕の先がぼこぼこと隆起し、そこにその鉤爪が生えていく。
「……そんな馬鹿な……! キメラにあんな能力があるというのか……!」
幾ら魔法を使って縫合しているとしても、キメラはあくまでの生物の範疇にある。果たしてどんな生き物を組み合わせれば、喰らった生き物を即座に吸収して己の力にできるというのか。
「考察は後。囲まれてる」
アーデルハイトに袖を引かれて、ヨハンは状況を改めて把握した。
シノは既に壁を破壊し、夜の闇の中にその身体を躍らせている。視界の先で人の悲鳴と、破壊音が次々と響き渡る。
ヨハン達の目の前には足止めをするかの如く立ち向かってくるキメラの群れ。数は十に満たないが、一気に殲滅できるだけの火力はない。
アーデルハイトの庇いながら、牽制代わりに銃弾を打ち込みつつ、後退。
ショートバレルでは威力が足りない。強力な弾丸を持ってこなかったことを後悔しながら、どうにか彼女だけは生かそうとキメラ達と距離を取る。
こちらを警戒しながらも、大きな抵抗がないことに気が付いて、キメラ達はゆっくりとではあるが強気に距離を詰めてくる。
一歩、更にもう一歩と下がったところで、アーデルハイトがヨハンの身体を小さく押し退けた。
「アデル?」
「さっさと片付けて、街への被害を抑えないといけない」
「……だが、生憎ともう弾切れが近い。一応まだ幾つか武器はあるが」
「だったらそれは大物に取っておいて。わたしが何とかする」
「お前は魔力が……」
「足手纏いになるつもりはないの。……そう、絶対にならない。そう誓ったんだから」
決意を込めた言葉と共に彼女が取り出したのは、見覚えのある小瓶だった。
「それは……!」
以前、カナタに渡した魔法道具の鞄の中に入っていた、魔法力を回復させる薬。
効果のほどは判っている。
確かにそれを飲めば魔法力は回復するが。
「副作用でしょう? 判ってるわ」
「この状況で使うのは危険すぎる。体調を悪くするどころじゃない。下手をしたら動けなくなって、キメラに狙い撃ちされるぞ」
「……大丈夫。上から全部片付けて見せるから」
これ以上の問答をするつもりはないと言わんばかりに、アーデルハイトは小瓶の蓋を開けて、その中にある青い液体を一気に飲み干す。
「……もうちょっと、味にも気を遣って欲しいかも」
苦い顔をしながら、彼女は箒を取り出す。
手を振れずとも彼女に操られた箒は、横になってアーデルハイトの足元辺りに浮かんでいた。
そこに足を掛けて、両足で棒の部分をしっかりと踏みしめ、そのまま浮かび上がった。
「っと。練習していたけれど、なかなか難しい」
そう言いながらもバランスを取り、少しずつ高度を上げていく。
「全力で爆撃するわ。多分、力を使い果たしてしまうと思うけど……」
ふいと、アーデルハイトの視線は街へと向けられる。
既にそこにはシノの行進に吸い寄せられるように何匹ものキメラが集まり、逃げ回る人々で混沌の坩堝と化している。
「そうしたら受け止めて。……カナタにしたみたいに」
そう言って、空へと舞い上がる。
アーデルハイトがいなくなったことによってヨハンに狙いを定めた、目の前にキメラ達は、天空から降り注いだ稲妻によって貫かれ、全てが灰同然の姿となって息絶えた。
そしてそのまま、箒に乗った少女は加速していく。
▽
「カナタちゃん! 無事でござるか!」
身体の上に覆いかぶさっていた瓦礫が退けられて、カナタは身体の自由を取り戻す。
ふらふらする意識の中で、今の状況を改めて確認した。
目の前に立っているのは太った、犬の顔をした男が一人。
「って、犬!」
「小生でござる! アツキでござるよ!」
犬の顔が、聞き覚えのある声で喋る。
それから数秒もしないうちに、その顔は暑苦しいアツキのものへと戻って行った。
「前も思ってたけど、アツキさんのギフトって、なに?」
「今更でござるか……。幾ら何でも小生に興味なさ過ぎでござる。小生のギフトは『イーター』。魔物を食べることでその力の一部を行使できるという優れものでござる。今は犬型の魔物の肉を食べて、カナタちゃんの匂いを辿ったでござるよ」
「……うぇ。ボクの匂いって、なんかやだなぁ」
「助かったんだからそこは文句言わないで欲しいでござるよ!」
「そう言えば、超銀河なんとか団の人達は?」
「無事だぜぇ!」
喧しい叫び声と同時に、歓声が上がる。
よく見れば崩れた建物の中、モヒカン頭を中心とした超銀河伝説紅蓮無敵団はカナタを囲むように残ったキメラから護ってくれていた。
そこには、何事かと建物から出てきた魔法学院の学生、教授達も混ざり、キメラとの激しい戦いを繰り広げているが、状況は決してよくはなさそうだった。
彼等では十人集まってようやく、一匹のキメラを倒せると言った程度の戦力しかない。
ブルーノ教授がどれだけの数を用意したのかは判らないが、このままではいずれここも押し切られてしまうことだろう。
「おうチビちゃん。今、あっちにでっかいのが行った。これは俺の勘なんだが、こいつらはそれに合流するために動いてる。違うか?」
グレンの言葉には何の根拠もないが、事実キメラ達は先に街へと向かって行ったシノの方へと顔を向けている。
その間に立っているあらゆるものを、障害物と判断して無差別に攻撃を仕掛けながら。
「ってことはよ。あいつを殺ればこいつらも止まる気がしねえか?」
「ボスを倒せばクリアってやつでござるね」
ブルーノ教授は魔法によってキメラを操っていた。
彼が死に、魔法の効果が切れた今、キメラ達を動かすものは何か。
それは司令塔たるシノである可能性は充分にありうる。
そして何よりも、まずはシノを倒さなくては被害は次々と広がっていくばかりだ。
「……でも」
だが、あれはシノだ。
数度喋っただけの子供だが、無邪気な笑顔を見せてくれた。
カナタのギフトに憧れて、自分も強くなって母を護ると宣言した。
――その母に裏切られた子供。
そんな彼を倒して、本当に全てが解決するのだろうか。
カナタにはそれが判らない。
「そっちに行ったぞ!」
「く、来るなぁ!」
悲鳴にも似た声と共に、色とりどりの魔法が弾ける。
実践慣れしていない魔法学院の生徒では、キメラに攻撃を当てることすらも困難な様子だった。
「超銀河伝説紅蓮無敵団! 学院の生徒達を護ってやれ! これからの国の未来を築く若い奴等を傷つけさせるんじゃねえ!」
「おう!」「判りやした、大将!」
威勢のいい返事と共に団員達がそちらに走って行く。
「……まぁ、どさくさに紛れて色々盗んできた借りもあるしな」
小声で、カナタとアツキにしか聞こえないようにそう付け加える。
そして学生達の前に立ち、その身体を盾にしてキメラの攻撃から彼等を護っていた。
「チビちゃんよ! 時間がねえんだよ! ビビってる場合じゃねえだろ!」
「……でも、あれは……! あれは、シノ君なんだよ!」
カナタの絞り出すような声に、グレンは目を丸くする。
「シノって……。エトランゼ街の、あのガキのことか? 母親と二人暮らしの?」
カナタは頷く。
グレンもエトランゼ街を裏で仕切っていたから、シノのことは知っている。特に母親しかいない第二世代のエトランゼは、何かと目に付いたものだ。
「シノ君……で、ござるか。小生も何度か肩車をしたことがあったでござるな」
悲壮な表情は、アツキにも伝染する。
しかし、その間にも戦況は移り変わる。
キメラの恐ろしい耐久力と生命力により、なかなかその息の根を止めることはできず、中には毒を用いるキメラもいて、一撃受けただけで戦闘不能になる者もいた。
「ちっ。仕方ねえ。チビちゃん。こっちは頼んだぜ。アツキ、俺等がシノを止めるぞ」
「だ、団長!」
「無理だよ!」
反射的にカナタは叫んでいた。
勢いはあっても、グレンはギフトも魔法も使えず、多少は戦いの心得はあってもゼクスのように驚異的な身体能力を持つわけではない。
そんな彼がシノに挑んだところで、すぐに殺されるのは目に見えている。
「チビちゃんが行きたくねえんじゃ俺が行くしかねえだろ。この超銀河伝説紅蓮無敵団の団長、グレンがよ!」
「それは……でも、無理だよ」
徐々に語尾を窄めながらも、カナタは改めてそう口にする。
勝てるわけがない。無駄死にするだけだ。
「無理じゃねえ! 俺には魂がある! それを込めりゃあんだけでかくても……!」
「できるわけないじゃん! キメラの一匹も一人で倒せないのに、一発でこの研究棟を半分壊しちゃうようなやつなんだよ!」
「できるできないじゃねえ……やるんだよ!」
そのあまりにも理屈の通らない、命を投げ出すような言葉に、カナタの頭に血が上る。
両腕を広げて、怒りを全身で表しながらカナタは怒鳴りつけた。
「ふざけないで! 遊びじゃないんだよ!」
「んなこた判ってんだよ! だから行くんだろうが。チビちゃんだって命を賭けてる、あっちでもこっちでも、今まさに人が死んでる! だからやれることをやるんだろうが!」
カナタに反論するように、グレンも怒鳴り返す。
空気を震わす怒声に身を固くしながらも、カナタの頭はそれによって少しずつ冷えていった。
グレンに命を捨てさせようとしているのは、他ならなないカナタ自身だ。
ヨウコが羨み、呪詛を吐いたように。
カナタの持つギフトは、強い。それこそ他の誰もが相手にならなかった、御使いと戦えてしまうほどに。
だから、戦わなければならない。
他の誰にもできないことを、やらなければならない。
それは義務だ。強い力を持ってしまったから、それによって他者よりも先へと進んでしまったから。
――何故、カナタは英雄と呼ばれたのか。
――その意味を知ってしまった。
「……やっぱり、無理だよ」
「てめぇ……!」
「ボクが行く。だからグレンさん達はここと、後は避難する人達を誘導してあげて」
「……くそ。判ったよ。アツキ、チビちゃんを護ってやれ」
「了解でござる。ささ、カナタちゃん。行くでござるよ」
促されて、カナタはその場から駆けていこうとする。
最初の一歩を踏み出したところで、背中越しにグレンの声が掛けられて、一度立ち止まる。
「……判ってんだよ、あいつに勝てねえことぐらい。くそっ、なんで俺は弱いんだよ」
小さく零れたグレンの弱音は、カナタの心の中に染み込んでいく。
それでも、カナタは言葉を返す。今の自分の精一杯で。
その一言が人に与える意味を、少しも理解することもなく。
「……大丈夫。ボクがその分まで戦うから」
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