第十四節 ヨハンとアデル

 長く伸びる石造りの廊下を、ヨハンは駆けていく。

 この地下施設は相当な広さがあるだけでなく、道があちこちに枝分かれしていたが、幸いにしてブルーノ教授が先程まで使っていた場所にしか灯りが付いていないので、それを頼りに進んでいけば道に迷うことはなかった。

 しかし、気がかりがある。

 聞こえてくるキメラの声が予想以上に多く、それらは遠くの各所から鳴り響いていることだった。

 ブルーノ教授の制御魔法によって凶暴性を強化されたキメラ達は、下手をしたら幾つもある地下施設の入り口を破壊して、外に出ている可能性もあった。

 グレンやアツキ達だけでキメラの相手は厳しいだろう。早いところ、アーデルハイトを見つけて戻る必要がある。

 そんなヨハンの考えに逆行するように、目の前に人型のキメラが三対、立ち塞がった。

 口を開いたまま、異形の手足を持ち、胴体だけは異様にやせ細ったそれらは恐らく、ギフトを奪われたエトランゼの末路だろう。

「邪魔をするな」

 ショートバレルから放たれた弾丸は、敵に着弾すると衝撃波を撒き散らして炸裂する。

 撃たれた本体は元より、その周囲の二匹も纏めて、破裂した空気が吹き飛ばして壁に叩きつけた。

 上半身と下半身が千切れたキメラ達の横を、ヨハンは目もくれず走り抜けようとするが、キメラ達はその状態になってもまだ死んでいなかった。

 倒れた上半身が急に動き、ヨハンの足に両腕を伸ばしてしがみつく。それに足を取られ転倒した隙に、もう一匹の上半身が腕を伸ばし、鉤爪の付いた両手でヨハンの身体を斬りつけた。

「ぐっ……!」

 キメラ達は足に噛み付き、鉤爪を振るい、残る三匹目は驚くべきことに、上半身と下半身を無理矢理に繋げて上からヨハンに襲い掛かってくる。

 片手でショートバレルの照準を合わせて、衝撃弾を打ち込む。

 発生した衝撃波がヨハン諸共キメラ達を吹き飛ばして、今度こそ身体がばらばらになるのを確認した。

 石壁に身体を叩きつけられた個所と、キメラに傷つけられた痛みに顔を顰めながら、ヨハンは立ち上がってよろよろと先へと進んでいく。

 それからも迫りくるキメラ達を銃や道具を駆使して切り抜けて、ヨハンは廊下の最奥へと辿り付く。

 鉄でできた扉に容赦なく弾丸を打ち込んで歪ませると、最後は自分の足で蹴破って部屋の中へと飛び込んだ。

「アデル!」

 狭苦しいその部屋は、管が取りつけられた簡素なベッドと、管の先にある大きな透明の水晶が取りつけられた装置ぐらいしかものがなかった。

 アーデルハイトはそのベッドの上で、ローブを脱がされて肌着と膝丈のパンツ姿で寝かせられていた。部屋の隅に、彼女のローブと幾つかの道具が無造作に収められている。

「アデル、無事か!」

 急いで駆け寄り、息を確かめる。

 ベッドの上には五つの魔方陣が描かれており、各手足に小さいものが四つ。アーデルハイトの身体の下から大きなものが一つはみ出している。それらは今も淡い光を放ちながら、何らかの効果を及ぼしていた。

 身体を見る限り、外傷はない。乱暴された形跡もないことに一先ずは安堵の息を吐いた。

 薬か魔法によって眠らされているだけで、呼吸も乱れてはいない。

 どうやら捕まってからずっと、この装置に繋がれていたようだった。

 管の先にある装置、そしてそこに納められている透明な水晶をよく見れば、底の方に輝く液体のようなものが溜まっていた。

「……魔力の抽出装置か」

 以前ヨハンはギフトをもう一度取り戻す霊薬を作るために、魔力を集めたことがある。

 それらは空気中や木々草花など、自然にあるものから集めたが、こうして人から魔力を集めることも不可能ではない。現に、最後の一押しとしてヨハンも死者の魂を魔力へと変換した。

 しかし、魔力は血のようなものだ。多少貰う程度なら時間で回復するが、一度に吸い過ぎればそのまま魂ごと死にかねない。

 チョークのような魔法道具を取り出す。

 それを使って慎重に、魔法陣をなぞるように拘束と、彼女の魔力を吸い上げる魔方陣を解除していく。

 まず最初に、抽出装置とアーデルハイトの繋がりを断つ。これで取り敢えず、これ以上彼女の体力が失われることはなくなった。

 だからといってゆっくりもしていられない。カナタや、外で戦っている超銀河なんとか団のことも気になった。

「……ん」

 アーデルハイトの薄い唇から声が漏れる。

 瞼が小さく動いて、彼女の目覚めを教えてくれた。

「アデル」

「……懐かしい、呼び名ね」

 ゆっくりを目を開き、開口一番にそう言ってから、アーデルハイトは手足を動かそうとして、それを邪魔する魔法に気が付いて眉間に皺を寄せる。

「今解除中だ。……怪我はないか?」

「ええ。でも、この格好はちょっと……気になる」

 本当は上からローブでも掛けてやりたいところだか、それはヨハンの武装も兼ねているので無理だった。

 仕方なく取り出した布を身体を中心として掛けておく。

「ファイアクローク? ……なんでこんなもの持って来たの?」

 くすりと笑って、そう問いかけるアーデルハイト。

 ヨハンが彼女の上に掛けたのは早い話が耐火マントで、今あまり役に立つ代物ではない。

「多少、焦っていたからな」

「それって、わたしが捕まったから?」

「……ああ」

 右手の拘束を解き、次は左手に取り掛かる。

「もし魔力が残っているのなら、解呪の手伝いをしてほしいんだが」

「無理よ。そんな技術は習得していないもの」

「……天才が聞いて呆れるな」

「色々と過程を飛ばしてきたから。わたしは攻撃魔法の専門よ」

「使える魔法の種類が多い方が、就職には有利だぞ」

「……必要はないわ」

 何故、アーデルハイトがそう言ったのかは判らない。

 ヨハンも特に尋ねることもなく、左手側の作業を終えた。

 両手が自由になったアーデルハイトは上半身を起こすと、両手の掌を合わせて、魔力を練る。

「……駄目ね。あれに大分吸い取られたみたい」

 忌々しげに、抽出装置を見やる。

「……昔のあなたなら、焦ることもなく、事もなげに全部終えていたのにね」

「そうだな」

「本当に力を失ったの? もう、あの頃の力は取り戻せないの?」

「一度だけ、御使いを相手にした。だが、もう無理だろうな。奇跡でも起きない限りは」

「そう。あなたが全力で戦うところ、見たかった。純粋に魔法使いとして、あれだけの力には興味がある」

「面白いものじゃない」

 右足を終え、残るは左足だけ。

「あなた、血が出てるわ」

「……そう言えばそうだった」

 眠っているアーデルハイトを見た瞬間、そんなことも忘れていた。

 最後の拘束を解除して、それから改めて瓶入りの治療薬を取り出して、それを傷口に振りかける。

 その間にアーデルハイトはそそくさと自分の荷物が置いてあるところに向かって、ローブを着込んでいた。

「まだそのローブを着てるのか?」

 所々解れたそれは、ヨハンが来ているものの色を変えて、そのままサイズダウンさせたようなものだ。

「仕方ないでしょう。これだけの収納性がある装備はなかなかないのだから」

「別に鞄でも何でも持った方が便利だとは思うがな」

 ヨハンは別として、魔法使いであるアーデルハイトはそれほど大量に道具を持ち運ぶ必要もない。同じように空間を拡張した鞄や何かの方が使い勝手も優れていると、ヨハンは思う。

「いいじゃない。後で新しいのを作ってね。同じデザインのやつを。そうしたら、ずっと放置してたことを許してあげる」

「そんなことで怒ってたのか?」

「やっぱり許さない」

 小さな拳が脇腹に突き刺さる。

 アーデルハイト自身も危害を加えるつもりもなかったようで、痛みは全くなかった。

 そしてそれをした彼女の表情からも、もう棘は取れていた。

「カナタが心配だ。歩けるならすぐに戻るぞ、アーデルハイト」

「アデル」

「戻るぞ、アデル」


 ▽


 薄暗い室内にカナタの荒い息を吐く声が響く。

 小さな灯りが照らすのは、血塗れの少女。そしてその周囲に折り重なる幾つもの、キメラ達の死体。

 光の剣を携えた少女は、無数に襲いくるキメラの尽くを、斬り払い、倒していた。

 そして今、最後の一匹が目の前で崩れ落ちる。

 双頭の獣から光の剣が引き抜かれ、その持ち主であるカナタの意志によってまるで最初からなかったかのように霧散して消える。

 奇妙な違和感があった。

 果たして自分はこんなに強かっただろうか。

 例えセレスティアルが使えたとしても、カナタは自分の実力を過大評価していない。精々一匹や二匹を倒したところで力尽きると思っていた。だから序盤は温存して時間稼ぎに徹しようとしたが、敵の勢いは予想以上でそれもできなかった。

 だから、仕方なく途中からなるようになるの精神で戦った。

 全力稼働でセレスティアルを展開し続けたにも関わらず、未だカナタは余力を残している。

「……まさか、ボクの未知なる力が覚醒した? ……なんてね」

「いやいや。そうも知れないよ、エトランゼ君。僕の見立てでは君のその力は感情に比例して力を増しているようにも見える。……それほどにまで、僕のことが憎かったということかな?」

「……それが本当かどうかは別として、貴方にはボクと来てもらうよ!」

「はははっ。この期に及んで僕を殺さないのかい? 君は優しいね」

 全身を濡らす血を振り払って、カナタはブルーノ教授に近付いていく。

 途中、足元で蠢く肉片があるが、それを気に止めることもない。

 この男を野放しにしておくわけにはいかない。この研究をやめさせなければ、また多くのエトランゼが犠牲になる。

「いやしかし素晴らしい。君は自らを持って証明してくれたわけだよ。僕の仮説が正しかったことを。……君達エトランゼが、如何に化け物であるかを」

 その言葉には最早耳は傾けない。

 こんな気持ち悪い時間も、彼を捕まえれば全てが終わる。

 そうしたら地上に戻って、きっと無事だったアーデルハイトに謝って、それから。

 ブルーノ教授の冷え込んだ声が、カナタのそんな楽観した思考を打ち消した。

「やはり化け物は化け物で倒すとしよう」

 ブルーノ教授の手の中で、また何か魔法は発動する。

 それまで閉じられていた背後の扉が開き、そこから誰かが靴音を鳴らして入って来る。

「ヨウコさん!? それにシノ君も!」

 どうやらシノは眠っているようで、ヨウコがその身体を抱えるようにしている。

 そうしてヨウコはブルーノ教授とカナタの間辺りまで歩いてくると、身を屈めてシノの身体を横たえた。

「なに、してるの? ヨウコさん、ここは危険だから、シノ君を連れて早く逃げてよ!」

「……これで、全てが終わるんですね。先生」

「ああ、そうだ。これで全てが楽になる。その後のことは僕に任せておいてくれ」

 二人のやり取りの意味が判らない。

 ただヨウコは何かを納得したようで、そして何よりも。

 彼女がシノを見る目が、余りにも冷たくて。

親が子にするような顔ではないと、カナタにはそう見えた。

「どういうこと? シノ君に何をしたの!?」

「アーデルハイト君の件で話が遮られてしまったからね。まったく、無粋なことだ。判ってるだろう、彼は第二世代のエトランゼだ」

 ブルーノ教授がその先を口にする。

 もう答えは判っていた。それでも、その言葉は余りにも衝撃が強すぎた。

「彼のギフトはを目覚めさせて驚いたよ。実に特異で、強力だ。そして何よりもそれは君の光のように自分の意思で発動させるものではなく、身近で条件が揃えば勝手に起動する。つまりは――」

 赤い光がブルーノ教授の手の中に灯る。

 シノの身体が地面から弾むように何度も痙攣し、盛り上がった皮膚を貫くように、その下から黒い甲殻のような身体が全身を覆って行く。

「――理性を失ってしまう、キメラに変えるには最高の逸材だったということだ」

 顔まで覆い尽くしたその姿は、以前にも見たことのある、あの怪物のものだ。

「あああああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!」

 両目が見開き、シノが目覚める。

 絶叫のような声が響き、その音波だけで周囲の実験器具が破壊され、また周囲に転がっているキメラの死体達がまるでずるずると引っ張られるようにそこに引き寄せられる。

「な、なに……? なんだよ、これ? なんでおれの身体……こんな風に……!」

 状況が判らず、シノは戸惑いながらも、自らに訪れた恐ろしい変化に対して抵抗していた。

「おれ、やだ……! やだよ! 怪物になんてなりたくない……! カナタ姉ちゃんみたいに、みんなを……母さんを護るんだから……!」

 身体は異形になっても、目覚めた心は人間の物だった。

 その声を聞いて、ブルーノ教授は予想外のことに、目を白黒させている。

 本来ならばキメラと化した時点で理性はなくなり、ブルーノ教授の魔法による命令しか受け付けないはずだった。

 それが何故か、意識を保っている。果たしてそれは彼が第二世代のエトランゼだからか、それとも目の前にいる少女が何か関係しているのか。

 少なくとも今の時点では何一つ判らない。ただこれでブルーノ教授が確信していた勝利が遠ざかったのは紛れもない事実だった。

「……このままじゃ……駄目だよ! ヨウコさん! シノ君に呼びかけてあげて! まだ理性を失う前なら……!」

「カ、ナタ……姉ちゃん……! おれ……!」

 異形と化していく中で、少年の声がカナタを呼ぶ。

 それはまるで自分でなくなることに抗っているようで。

 もしかしたら、まだ言葉でシノが変わってしまうのを止めることができるかも知れないという希望でもあった。

「ヨウコさん!」

 だからカナタは呼びかける。

 シノが最も愛する人である、母へと。

 だが、それは冷静に考えれば簡単に判っていたことだ。

 この状況になって何故、ヨウコはシノを連れてここに来たのか。

 脅されていた?

 騙されていた?

 それにしては彼女の表情に変化がなさ過ぎる。それどころかむしろ、まるで我が子の成長を喜ぶかのような恍惚とした顔で、怪物と化していく我が子を見ていた。

「……ずっと、この時を待っていた」

「あ、母さん……?」

「シノ君! 負けないで! お母さんを護るんでしょ! だったら……!」

「うるさい! 黙ってろ!」

 飛んできた何かが頭にぶつかって、カナタはよろめいて尻餅を付いた。

 それ自体は大したものではない。ヨウコが足元に落ちていた硝子製のビーカーをカナタに向けて投げただけだ。

 出血もしていない程度の痛みでしかないが、カナタは呆然と、立ち上がることができなかった。

 どうして、母であるヨウコが邪魔をするのか。

「か、母さ……!」

「わたしはずっと待ってたの、この時を! わたしの息子が怪物になって、全部壊してくれる時を!」

「何を言って……!」

「あんたには判らないわよね! 強いギフトを持った生意気なクソガキには!」

 あらん限りの憎悪を込めて、ヨウコは叫ぶ。

 それはカナタにぶつけられたが、カナタにだけ向けられたものではない。

 表情は、最早人のものとは思えないほどに歪み切っている。

「強いギフトを持ってないエトランゼがどうなるか知ってる? わたしはその典型みたいな生き方をしてきた。この世界に来て、右も左も判らずに、利用され、食い潰されて、身体を売って生活してきた! そしてできたのがこの子よ! 父親も判らない子。わたしが生きるのを妨げるだけの厄介なお荷物! 何のために生まれてきたのかも判らない疫病神!」

 それは言葉ではない。

 カナタはそう思いたかった。

 ヨウコの口から放たれるのは呪詛だ。この世界に対しての、全ての理不尽に対して降り注げと願われた呪いの言葉。

「この子が生まれてからは大変だったわよぉ……。もう身体を売ることもできない、住む場所も満足に探せない……。地獄のような日々だった。何度殺してやろうかと思ったものか! でもね、でも殺さなくてよかった。彼に会えたから」

 縋るように、甘えるような目で、ヨウコはブルーノ教授を見た。

「彼が息子を変えてくれたの。何の役にも立たなかったのに、今はどう? すっごく強いのよ。強い強いギフトを持っているあんたよりも強いの。そうして、この嫌な世界を全部壊してくれるの。お母さんの代わりにね」

「母さ……! 何言って……!」

 ヨウコの呪詛が最も染み込み蝕むもの。

 それは紛れもなく、彼女の隣で必死で耐えている実の息子、シノだ。

 母が何を言っているか判らず。いや、判りたくなくてシノはいつものように、判らないことを母に尋ねる。

 一縷の希望を賭けて。

 冗談だったと、これは何かの間違いであると言って欲しくて。

 ――嗚呼、しかし。

 果たして真に残酷なのはいったい何なのだろうかと。

 ヨウコか、ブルーノ教授か、ギフトか、それとも。

 この世界自体がそうなっているのか。

 母が最後に語った言葉は、耳を塞ぎたくなるほどに無情そのもので。

「あんたなんか全く愛してなかった! わたしを金で買った、薄汚いこの世界の男の子供なんて! 精々暴れて、この世界を少しでも壊して、死んでしまえばいいのよ!」

 それが最後の引き金になった。

 もう、シノが人の言葉をしゃべることはない。

 咆哮は甲高い泣き声のように響くが、最早人の声ではなかった。

 異形の肉体は、手当たり次第に集まってきたキメラの死骸を繋ぎ合わせて、また新しい一つの生物として再生する。

『オオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォォオオオオ!』

 怪物の産声が鳴り響く。

 誰にも祝福されることのない、この世界に放り出された無力な女の怨念に、エトランゼを恐れた男の悪意が生み出した化け物。

 獣の下半身から生える、黒い甲殻に包まれた子供の身体。あらゆる個所から怪物の顔が生えたそれは、目を背けたくなるほどに醜悪だった。

「シノ君!」

「さあ! 全部を壊すのよ、シノ!」

 無数にある口から飛び出すのは、音の衝撃。

 咄嗟にセレスティアルの盾を展開したカナタだったが、それを貫いてなお、カナタの身体を部屋の壁に叩きつけるだけの威力があった。

 そしてその被害はカナタだけではない。

 その一撃で研究所の壁に罅が入り、天井からはぱらぱらとその一部が落ちてくる。

 ブルーノ教授とヨウコの被害も甚大で、ブルーノ教授は入ってきた扉に叩きつけられ、その衝撃で手足がありえない方向に曲がっている。

 ヨウコも状況はさして変わらない。うつ伏せに倒れて顔を上げているが、下半身はもう人の形を成しておらず、潰れた果実のような状態になり、彼女がいる場所を真っ赤に濡らしていた。

「――嗚呼。それでいい。それでいいのよ、シノ。お前がわたしを殺すの。わたしを殺して、この悪い夢から醒めさせて。お母さんの最後のお願い、聞けるわよね?」

 陶酔したようなヨウコの声。

 そこに込められた感情は、当の本人以外はもう理解しようもない。

「ヨ、ヨウコ君……! あまりあれを挑発しては駄目だよ! 僕でさえ制御が……!」

 捻じれた手足を懸命に動かして、ブルーノ教授はどうにかシノのコントロールを行おうとするが、その度に激痛が走るようで、とてもではないが魔法が使えるような精神状態ではない。

「いいのよ、先生。これでいいの。だって教えてくれたでしょう? あの子のギフトはとっても珍しい、生命を食べる力だって」

「……生命を…食べる?」

「ヨウコ君やめろ! 君は失うつもりか! ライフスティールのギフトを持った逸材を、それを元に作られた最高傑作となるべき……!」

「さあ! 殺して! この世界からわたしを解放するのよ、シノ!」

 カナタには、その声は悲鳴に思えた。

 シノは唸り、そして大きく声を上げる。

 本来ある子供の腕とは別に、両肩から生えた二本の野太い剛腕が伸びて、ヨウコとブルーノ教授を掴みあげる。

「く、放せ! 放してくれ! 僕にはまだやるべきことがあるんだ! 僕がやらなければ、ヘルフリート陛下の期待に応えなければならない! そうでなければ誰がこの世界を護るんだ! エトランゼという化け物から! ギフトを持った侵略者から!」

 その声はもう、シノには届かない。

 必死の命乞いも空しく、シノは身体中の口から圧倒的な量の音の衝撃を解き放つ。

 質量を伴うそれは、その手に握られた二人だけでなく、地下研究室の大半を巻き込み、崩壊させた。

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