第十三節 魔法学院潜入作戦
夜の闇の中。
風に身を預けながら、ヨハン達は学院を閉じる門の、その上に立っていた。
現在修理中となっているその個所は以前アツキが壊したもので、補修用の足場が掛けてあるために昇るのは随分と楽だった。
「随分とがばがば警備でござるなぁ。もっとこう、侵入者探知センサーとかあるものだと思っていたでござる」
「そういった装置が作れないこともないが、この壁全体に行き渡らせるには予算が掛かり過ぎるんだろうな。もっと重要な個所に重点的に仕掛けてあるだろう」
「ふむ。なるほどなるほど。それでは小生達は囮、陽動をやるということでよろしいかな? 小生こう見えてもスニーキングミッションの心得はゲームで学んでいたでござるよ」
「段ボールを被るやつか? あんな風にスマートにできるのが一番だが、生憎と俺はその道のプロじゃない」
「おほぅ! ヨハン殿もプレイしたことがあったでござるか! 小生、これは後でシリーズについて語り合う必要が出てきたでござるな!」
「おうおう、お二人さんよ! 何の話してるか知らねえが、こんなところでゆっくりしてる場合じゃねえんじゃねえのか? 早くしないとあのチビッ子が危険なんだろ?」
そう勢いよく質問してくるのはグレンだった。その眼下、壁の下には彼の部下である超銀河伝説紅蓮無敵団の面々が控えている。
「契約の方もよろしく頼むぜぇ、大将! これが済んだら俺達超銀河伝説紅蓮無敵団をイシュトナル自治区のお抱えにしてくれるんだろぉ?」
「成功したらな」
「……勝手にそんなことして、エレオノーラ様怒らないかなぁ?」
そう疑問を口にしたのは、腰かけて学院内を見渡しているカナタだった。
「人手不足なのは事実だからな。事後承諾で何とかしてもらう」
「……ゼクスさんの件といい、ボクにはどうにもヨハンさんが自分で踏むための地雷を巻いてるようにしか思えないんだけど……」
誰に言うまでもなく呟いて、ぴょいとカナタが壁の上に立つ。
「ま、ヨハンさんが乙女心を判らないのはいつものことか。ボクがしっかりサポートしてあげないと」
何処か嬉しそうにカナタは言った。
「時間だな」
時計塔の長針が頂点に来る。
「打ち合わせ通りに頼む」
「おうよ! アツキ、俺達が行く場所、判ってるな?」
「勿論でござる! 女子寮の洗濯物置き場でござるな?」
「違げえよ!」
「……うわー」
カナタがアツキと距離を取った。
「中にあるもんをぶんどりゃ金になる。しかも連中は絶対にそれを外に出したくない。しかもこれから大将達が潜入する研究棟からは遠い場所。……倉庫よ」
世間一般ではそれを強盗と呼ぶのだが、今はそれに対して咎めることもない。
「そっちは任せた。俺達はもう行く」
「それじゃあ、グレンさん、アツキさん。また後で」
ヨハンとカナタが並んで飛び降りる。
それを見送ってから、グレンは下にいる仲間達に向けて縄梯子を投げおろした。
「あー!」
「な、なんでい!」
「今思い出した! カナタちゃんの師匠、全然クールビューティじゃないじゃないでござるか! 騙されたでござる!」
「そいつは酷でえな! こりゃ何としても生きて帰えって文句言わねえと! なんだっけか、あれだよあれ、慰謝料を請求だな!」
「そうでござるな! ……グレン殿、本当によかったでござるか?」
これまでのテンションの上がりようから打って変わって、アツキの声が沈み込む。
「魔法学院に喧嘩を売るって相当やばいでござるよ? 下手したら死んでしまうかも知れないでござる」
「はっ、かもな! だがよ、だったらお前は許せるのかよ? 俺達の家が、国に居場所を奪われたエトランゼ達が暮らすあの場所が襲われたんだぜ?」
「……それは、そうかも知れませぬが。それはあくまでも小生達エトランゼだけの話。グレン殿には口を噤む選択肢もあったはず」
アツキが元居た世界ならば、大抵の場合はそうする。
布団に潜って明日の朝日を待てば、大抵のことは何とかなる世界だから。
だが、この世界は違う。動かなければ状況は刻一刻と悪くなる。だからアツキは動いた。超銀河伝説紅蓮無敵団に所属して、少しでも自分なりに状況をよくしようと足掻いた。
「おいおい、ふざけんなよアツキ! 俺を誰だと思ってんだ? 悪を挫き弱きを助ける、超銀河伝説紅蓮無敵団の団長だぜ?」
彼は、エトランゼであるアツキが行き倒れているところを助けた。
彼は、エトランゼではないゼクスが行き倒れているところを助けた。
結局のところ、どっちでもいいのだ、グレンにとっては。
そんな人間だから、粗暴な人柄と奇抜なモヒカンにも関わらず彼を慕う人は少なくない。
「よし! 野郎ども……突っ込むぜ! アツキ、こういう時はなんて言うんだっけ? 俺、この戦いが終わったら結婚……」
「ストーップ! それは言っちゃ駄目でござる!」
ロープを下ろして、次々と壁から降りていく。
目指す場所は倉庫。できる限り人的被害を出さず、適当に暴れたら撤退してもいいと言われている。
ついでに金目のものを奪おうという算段もあるが。
暗闇の中に、超銀河伝説紅蓮無敵団のメンバー合計二十名はその身を躍らせていく。
▽
遠くから大きな破壊音が響き、それによってグレン達の作戦が開始されたことが伝わってくる。
ヨハンとカナタの二人は今、魔法学院の研究棟の辺りを忍び足で歩いていた。
「随分と派手にやったな」
「そりゃあの髪型だもん」
答えにもなっていないカナタの回答を無視するように、ヨハンは手近にあった窓から中を覗き見る。
漆黒の闇が詰まった研究棟内部は昼間とは違って静かで寒々しい、不気味な雰囲気を漂わせている。
ローブの中から布の袋を取りだすと、それを閉じてあった紐を解いて、中に入っていた粉を空気中に解き放つ。
「なにこれ?」
「吸い込むなよ。毒じゃないが、くしゃみでもしてばれたら笑えない」
「そんな間抜けなことしないよ」
「こいつは粉末状のジャマーだ。粉の一つ一つが微細な生物で、魔法装置に取りついては魔力を吸い取って機能を阻害する」
「へぇー……」
「感心してないで早く窓を斬ってくれ」
極光をナイフ程度の大きさに整えて、窓ガラスを切り取る。切り出された硝子は割れないようにヨハンが両手で支えて、静かに足元に置いた。
切り取られた硝子の穴に、小柄なカナタがひょいと身体を滑り込ませる。そして内側から窓を開けて、ヨハンを招き入れた。
真っ暗な廊下には人の気配は一切ない。この時間帯は学生達も寮に戻っているのだろう。
「幽霊とかでそうだね」
「魔物と戦っておいて今更何を」
言われてみればそれもそうだ。
誰もいない廊下の中に、二人分の足音が響く。警備員でもいないものかと不安になったが、この暗さが無人であることを決定付けていた。
「……でさ、研究棟に来たけど。本当にここにアーデルハイトがいるの?」
「昼のうちに調べたが、魔法学院内部の魔力の流れがこの研究棟に集中している。研究棟、というぐらいだから当然といえば当然だが。何かを隠すにはうってつけの場所と言うわけだ」
「なぁんだ。なにもしてない振りしてちゃんと動いてたんだ」
「軽い調査程度のものだがな。もしここにいなかったら、虱潰しに探すことになるが」
「それはできるなら避けたいね」
学院とはいえ、その敷地の広さは小さな街程度はある。多少の当たりを付けられるとはいえそこをくまなく調べていては陽が昇る。
加えて学生や教授、王国軍の妨害が入ることを考えればそれは不可能に近い。ここで何かを発見できなければ、実質作戦は失敗ということになる。
「最悪キメラについての証拠が見つかれば、それを餌にしてアーデルハイトと交換できるかも知れん。何にせよ、ここを調べるのが一番効率的だ」
言いながら、今度はまた新しい道具を取りだすヨハン。
カナタは感心したようにその様子を見守っていた。
「なんか色々出てくるねー」
「オルタリアの魔法の総本山に侵入するんだ。道具は多いに越したことはない」
「でもなんでこんなにいっぱい持って来てたの?」
「……自覚がないかも知れないが、一応オルタリアは敵地だぞ。最大限お前達を護れるように用意してきたんだよ」
「……そう言えばそうだったね」
アーデルハイトと過ごす日々が楽しくて、そんなことはすっかりと忘れていた。
ヨハンが取りだしたのは一枚の白紙で、巻かれているそれを広げて少し待つと、凄まじい速度で地図のようなものが書き込まれていく。
「うわ、凄い……。道に迷わなさそう」
「残念だが、これの役割は地図であってそうじゃない。書き込める範囲は狭いし、あまり複雑な地形は書けないぞ」
「アーデルハイトも言ってたけど、微妙な効果の道具ばっかり作るよね」
「……一応これでも相当なものなんだがな。それより、お前のギフトで照らしてくれ」
言われるままに、極光を生み出して光源にする。
「本来の使い方と違う気がするけど」
「違うものか。その力は万能そのものだ。思いつくままに使って何も悪いことはない」
灯りに照らされた地図を眺めていると、特定の地点に勝手にバツ印が書き込まれていった。
「このバツが付いているところが、強い魔力が感知された場所だ。何らかの魔法装置が動いているか、魔法を使っている誰かがいる。後者はまずありえないと思うが」
「えっと……。全部で四ヵ所ぐらいあるけど」
「このぐらいなら夜が明ける前に回りきれる。一番近い場所は……」
廊下を直進し、分かれ道になっている個所を曲がって二つ目の部屋。
ヨハンもカナタもその場所には覚えがあった。
「ブルーノ教授の研究室か」
「ここは後回しでよくない? だってブルーノ教授、全然悪い人には思えないよ?」
無害そうな性格、そしてエトランゼであろうと分け隔てなく救おうとするような人がアーデルハイトを攫うなど、カナタには想像もつかない。
「この学院でキメラの研究をしているのはブルーノ教授だ。その件に関しては、やはり一番怪しい人物だという事実は消えない」
「でも、それは……。学院長が勝手にやってることかも知れないじゃん!」
彼を庇いたいカナタの気持ちは判らないでもない。
事実ヨハンも、ブルーノ教授と少し喋っただけでは彼がそんなことをするなどは思わなかった。
とはいえこれ以上の問答をしている時間はないと、ヨハンはカナタの言葉には何も答えずに歩き出す。
カナタも不満げな表情をしていたが、ここではぐれるわけにもいかないので、そのまま後を付いて来た。
研究室の前、木製の扉のノブに手を掛ける。
以外にも、鍵が掛かっていると思われたその扉は簡単に開き、二人を部屋の中に招き入れる。
「……鍵、掛け忘れてたのかな?」
カナタの呟きは果たしてブルーノ教授がこの件に加担していないという望みを掛けてのものだろうか。
常識で考えれば、研究者が自分の全てが詰まっていると言っても過言ではない研究室の鍵を掛け忘れることなどはありえない。ましてや彼はつい最近、一度研究資料を盗まれているのだから。
二人分の足音だけが響く、その真っ暗な部屋の中は、闇になれた目に白い書類の束が幾つも映った。
壁には見たこのもない生物のパーツが、標本として飾ってある。学生のことを考えてか、一目見て目を逸らしたくなるようなものはない。
大量の書籍が詰まった本棚に、幾つもの研究器具。魔法使いの研究室らしく杖や鉱石、薬草に使う植物も容器に入れて保存してある。
ヨハンの目は、テーブルの上に散らばっている幾つもの紙へと吸い寄せられた。
どうやら乱雑に置かれているように見えたそれらは、十枚程度で束になって纏められているようで、見た目ほどに散らかってはいない。
それらを集めて整えてから、表紙へと目を通す。
「カナタ、灯りを」
「……やっぱり疑ってるの?」
「アーデルハイトの身が危険かも知れないんだぞ」
そう言われてはカナタに抵抗することはできない。
ヨハンの傍に寄り、小さな小石ほどの大きさの極光を掌に生み出して、その資料を照らす。
「なんて書いてあるの?」
「お前、文字読めなかったのか?」
エトランゼがこの世界に来ると、不思議なことに言葉は通じる。例え元は何処の国に住んでいたとしても、こちらの言葉を操れるようになっていた。
しかし、文字に関してはその限りではない。カナタも最低限の読み書きはできるが、本格的な書籍や資料になれば話は別になる。
「これは普通の研究報告書だな。……こっちも」
関係ないと判るや、ヨハンは投げ捨てるように資料をテーブルの上に置いて行く。
「……思い違いなんじゃない? 違う部屋調べた方が……」
「……これでもか?」
その最後の一枚。何も書かれていない白紙を表紙とした紙の束を捲ると、そこに書かれていたのは研究経過と考察を交えた立派な報告書で、他のものに比べるとしっかりとした書式を取っているわけではなく、まるで日記のようだった。
そして、その内容を読み進めたヨハンは絶句する。
「どうしたの? ね、ねえ……。何が書かれてるの?」
その文字が専門的過ぎて理解できないカナタは、不安を隠せず、ヨハンの肩を揺する。
「……キメラ……新種の複合生物の研究報告書だ。材料は人間で、そこに魔物の部位を合成している」
「それって、前にブルーノ教授が言ってたやつだよね?」
「いや。これによって作られる怪物は紛れもなく、兵器だ。事実凶悪な魔物ばかりを選りすぐって材料にしている」
カナタはそれを聞いて黙り込むが、ヨハンが驚いたのはそんなことではない。
それは予想できていたことだ。問題はその続き。
「……材料になる人間も選別している。大半が、エトランゼだ」
「……うそ……」
極光の光がちらつく。
ブルーノ教授がエトランゼを治療していたのも、恐らくはこれが理由だ。その中で家族もなく、いなくなっても誰も困らないような人物を被検体に、キメラを作ってきた。
「……それは、やっぱりエトランゼが、この国に必要ないから?」
顔面蒼白でそう質問するカナタに、その先にある真実を告げるべきかどうかヨハンは頭を悩ませる。
数秒間の黙考の後、ヨハンは結論を出した。
「ギフトだ。ギフトを持ったキメラを作りだすのがこの目的だ」
何処まで行ってもエトランゼは兵器。いや、兵器の材料に過ぎない。
「経過はよくはないようだがな」
結局、意識を奪うほどに改造を施されたエトランゼはほぼ廃人になる。それは誰とて例外はなく、そうなればギフトを自分の力で使うことなどできない。
先日戦った人型のキメラは、そうなったエトランゼのなれの果てということだろう。
「……大丈夫か?」
「あんまり、大丈夫じゃない」
「……戻っていてもいいぞ」
ここから先に待ち受けているものは、これまでの比ではない。
この研究棟の何処かに、最も醜悪な何かが蠢ているはずだった。
資料を持ったまま、ヨハンは再び部屋の中に視線を這わせる。
本棚の研究道具が入った棚の間が目に留まる。そこだけ不自然に空間が開いて、真新しい壁が見える。ちょうど、人一人が収まるぐらいの大きさで。
歩いていってそこに触れても何もない。ただ壁の感触があるだけ。
「なにしてるの?」
カナタに答える代わりに、袖から鈍い銀色の、小さな鍵を取りだす。鍵の持ち手の部分に埋め込まれた極小の液体金属が、壁に反応して不思議な光を放った。
共鳴が起こり、壁に掛けられた魔法が強制的に発動する。空間を捻じ曲げ、そこに扉を作りだす魔方陣が壁に描かれていく。
液体金属は鍵から零れ、その魔方陣をなぞるように広がり、それが全体に行き渡ってから、ヨハンは鍵を魔方陣の中心に差し込んだ。
一瞬で魔方陣が弾け、粒子を撒き散らして消滅する。後には長方形が実態を持ってそこにあった。
「……隠し扉?」
「そういうことだ。地図が感知した魔力はこれだ。他の部屋にも同じものがあるかも知れない」
カナタが息を呑む声が聞こえる。
慎重にノブに手を掛け、回していく。
何の抵抗もなく扉は開かれ、その先には地下へと続く階段が伸びていた。
二人はその先へ足を踏み入れ、扉を閉じる。
辺りは一切の光がない暗闇に包まれ、辛うじて見える階段を頼りに、二人分の足音が響いていく。
三十段ほど降りたところで、最下層へと到着する。
そこにあった扉を開くと、外側からの灯りが漏れて、暗闇に慣れた目に眩しい。
ぼんやりとした灯りに照らされたそこは、研究所のような空間だった。
上にあった研究室とは比べ物にならないほどの広さがあり、中央には大きなテーブル。そしてその上には実験器具が幾つも並べられており、その中には血が付いたままの刃物や縫合用の糸と針も置いてあった。
その奥のスペースには魔方陣のようなものが描かれており、その床にも真新しい赤色がべっとりと付けられている。
「ヨハンさん?」
「カナタ、来るな」
まだ扉の前にいるカナタを押し留めようとするが、間に合わなかった。
ヨハンの隣に並んだカナタは、その部屋を眺めて、未知の道具が生み出す不気味な嫌悪感に顔を顰める。
「……ヨハンさん、あれ……」
そして、カナタは見てしまった。
部屋の左右に小さな檻が並び、その中にあるものを。
四肢をもがれ、代わりに魔物の両手両足を縫合され思うがままに歩けない者。
廃人のように口を開いたまま、ぶつぶつと意味のない言葉を唱え続ける者。
手足が異様に短く、まるでそこだけ子供のような者。
そして何よりも異様なさまを見せつけるのは、一つの檻に捨てられるように放り込まれた、折り重なった人間達だった。
彼等は死んではないが、身体が無事であるにも関わらずろくに動くかず、自分の上に圧し掛かる他者を押し退けることすらせずにぼうっと天井を見上げている。
ふらつきそうになるカナタの肩を、ヨハンは両手で支える。
「ご、ごめ……」
「……いや。こんなことだろうとは思っていた。お前を連れて来たのは俺のミスだ」
ヨハンが焦っていたのは紛れもない事実だった。そのため、カナタにまで気が回らなかったのだ。
「行けるか?」
「……うん」
二人が一歩を踏み出すと、檻の中の人とも獣ともつかない者達が顔を向けてくる。
それはまるで助けを求めているようだった。
そして二人が部屋の中央辺りまで来たところで、何処からか聞こえてきた靴音に、反射的に立ち止まることになる。
この部屋からは二ヵ所廊下が伸びていて、靴音はその片方からこちら向かって歩いて来ていた。
キメラ達を閉じ込めるためなのか、金属製で設えた扉が音を立てて開き、その足音の主が姿を現す。
それはある意味、最早二人にとっては予想通りの人物だった。
「こんなところまでやってくるとは、熱心な学生さんだ。……と、学院の生徒が来たら言ってあげようと思ってんだけどね」
冷静に、これまで会ったときと殆ど変わらないような態度で、ブルーノ教授はそう口にしながら部屋へと入ってい来る。
「まさか魔法学院の警備がこんなに簡単に無力化されるとは……。学生達にも褒められていたけど、君は大した道具を持っているね。我流で作っているのかな?」
「その辺りは企業秘密だ。それより質問に答えてもらうぞ」
「いや、僕としては君達の方が遥かに興味深いのだけどね。しかし、質問に答えるのも教授の仕事か」
ヨハンは持っていた資料のあるページを開き、それを突きだすようにブルーノ教授へと見せつけた。
「……お前はエトランゼを使って何をしていた?」
「そこに書いてあるじゃないか。ギフトを持ったキメラの作成だよ。君達異邦人は文化も思想も違いすぎて厄介この上ないが、ギフトだけは有用な力だからね。僕達が利用してあげようと言うわけだ」
「違う。そこじゃない。……第二世代のギフトとは何だ?」
「書いてある通りのことだよ。質問は一通り資料に目を通してからにしてくれると助かんるな」
エトランゼの子供にギフトが受け継がれることはない。
少なくともヨハンが知っている限りではそれが通説だった。例えエトランゼ同士だっとしても、その子はギフトを持たずに生まれてくる。
「僕も最初に知ったときは驚いたよ。君も知っての通り、彼等がギフトと呼ばれる力を使うことはない。……普通ならばね」
ブルーノ教授は淡々と、その先を続ける。
「そう。使えないだけで持っているんだ。彼等第二世代のエトランゼは。今はまだサンプルも少なく決定的ではないが、その多くが君達第一世代よりも珍しく、強力なギフトを持っていることが多い。君達は、どれだけこのオルタリアを騒がせれば気が済むのか」
本当に困ったと。
そうとでも言いたげな溜息が、カナタに火をつける。
セレスティアルの剣を手の中に生み出して、今にも飛びかかって行きそうなカナタを、ヨハンは腕を伸ばして制する。
「キメラの研究と並行してエトランゼについての実験も数多く行っていてね。例えば――エトランゼからギフトを取り出せないかと苦心してみたのだが。」
檻の中で、死人のように呼吸だけを繰り返す人型を視線で指す。
「残念なことにそれはできないようだ。ギフトと魂は強く結びついていて、それを無理矢理に取り出そうとすればああして廃人になってしまう」
「聞きたいことはもう一つある」
資料を捲り、その中の一ページを開いた。
それをブルーノ教授に突きつけながら、ヨハンは声を荒げる。
「何故、ここにこの名前がある」
資料に書かれていた被験者の名前。
幾つものエトランゼの名前の中に交じって、それは確かにあった。
アーデルハイト・クルル。
魔法学院に通う、正真正銘のこの世界の住人の名前が。
「彼女は困った学生だった。……君は彼女の保護者のようなものだろう? 長年一緒に暮らしていたのなら判っているはずだよ。あの特異とも呼べる才能の数々が」
「前も言ったはずだ。アーデルハイトは」
「努力した? 違う。努力は誰だってしている。それでも辿り付けぬ高みがあるだろう? 人の昇る階段を一足跳びで乗り越え、誰もが届かない場所に辛うじて手を掛ける。それこそが天才というものだ」
「だとしたらそれは貴重な人材だ。何故、実験材料にするような真似をする?」
「エトランゼ君。君は学生だったことはあるかい?」
ヨハンは答えない。
ブルーノ教授はそれを勝手に肯定ととらえて話を進めていく。
「度を越えた才能は足並みを乱す。彼女の所為で自信を失った生徒を大勢見てきた。いやいや、僕達とて魔法の探究者、その原因が本人にあることぐらいは判っているよ」
「だがね」と、ブルーノ教授は付け加える。
その目には冷酷な光が宿っており、アーデルハイトのことは最早学生とも思っていないのだろう。
講義を聞かせるように、わざわざ聞き取りやすいペースで話を続けていく。
「彼女はなにもしなかった。その有り余る際を遊ばせるままに自由に行動し、学院の利益を生み出さない。そしてあろうことか!」
ブルーノ教授は急にいきり立ち、テーブルに拳を叩きつける。
実験器具が飛び跳ねて、そのうちの幾つかは床に転がって甲高い音を立てた。
「卒業を見送るような動きを見せた。卒業すれば自由が奪われるから、できるだけ学院に長く留まろうとしてね。まるで何かを待っているかのように」
「授業に出ないのは悪いことだけど、卒業後の進路ぐらいは好きにさせてあげればよかっただけじゃん!」
カナタはそう反論する。
「そんなわけにはいかない。学院にはヘルフリート陛下が多額の出資をしているのだ。魔法技術を高めるため、この国の未来を担う技術者の育成。そして何よりも……優れた兵士を生み出すために」
ヘルフリートの狙いは、魔法学院の生徒を利用した軍拡だった。
キメラを初めとする生物兵器。そして優れた素質を持つ学生達。
それらを兵器や兵士として使うことで、戦力の拡充を図ったのだった。
「昔、キメラを兵器として開発していた時に暴走事故を起こしてね。僕は多くの被害者を出したことがある。それ以来、僕は後悔してキメラを兵器にすることを一度は断念した。研究自体は好きだったし、兵器でなくてもこの国の人々の役に立てるものは幾らでも作れたからね」
一転して、穏やかな口調でブルーノ教授は語る。
もう彼の話を聞く必要など全くない。それなのに、ヨハンもカナタもその場から動くことができないでいた。
「でも、君達が現れた。君達エトランゼはこの国を変えていく。制御不可能な力を幾つも生み出していく。そればかりか、ギフトを持つ君達そのものが、制御できない怪物そのものじゃないか!」
「……そんなの……!」
「エトランゼ、言うことを聞かない天才児。それらは僕達の秩序を乱す。僕達の国を狂わせて、破滅へと向かわせるだろう。僕はそれが我慢できないんだ。だから、その為に抵抗する。なにもおかしなことはしていないだろう?」
果たして、目の前の男は狂っているのか。
その判断はヨハンには付きかねた。
彼の言っていることは全て事実だ。加えて、彼の言っていることを行おうとしたヨシツグという前例もある。
そして何よりも、エレオノーラの下に付き、ヨハン達がやっていることすらも――。
だが、それでも目の前の男の行いを許すわけにはいかない。
それがエトランゼのエゴだと罵られても、ヨハンもカナタもエトランゼで、同胞を護る気持ちは確かにあるのだから。
「……アーデルハイトを返して、この施設を放棄しろ」
「それはできないよ。僕がこれをやめたら、誰が君達を止めるんだい?」
「俺達はお前達を害するつもりはない」
「それは信じられないね。君達は一人一人が化け物なんだから」
ブルーノ教授が片手を上げる。
その掌に魔力が集まり、赤い輝きが一瞬で弾けた。
同時に、あちこちから獣の咆哮のような声が木霊し、何かを破壊するような音が幾つも聞こえてくる。
「キメラの制御魔法か!」
「その通りだ! さあ、僕の作ったキメラの実験台になってくれ。特にそっちの、光のギフトを持つ少女。君を殺せれば及第点、ヘルフリート陛下にも自信を持ってお勧めできる」
扉が破壊され、獣型のキメラがその場に現れる。
それだけでなく、檻の中にいる生き物たちも、もがきながら檻を抉じ開けて、カナタ達の方へと近付いてくる。
カナタは今度こそセレスティアルの剣を構え、ヨハンもショートバレルに弾丸を装填する。
「――っと、そうだ。僕としたことが。一つ失敗してしまった」
何かを思い出したかのように、ブルーノ教授は両手を叩いて二人の意識を引き寄せる。
「これではアーデルハイト君もキメラの餌になってしまうな。すまないが、どちらか助けてきてもらえないかな? 学生であり貴重な材料の彼女をつまらない失い方はしたくないものでね」
「……貴様……!」
飛びかかってくるキメラを横に飛んで避けて、反撃に弾丸を叩き込む。
しかし、その生命力は凄まじく、身体に弾が入り込んだ程度ではすぐに再生してしまった。
「ヨハンさん!」
両手にセレスティアルの剣を構え、左右から迫りくる人型のキメラを斬り倒したカナタが叫ぶ。
「アーデルハイトのところに! ここはボクが引き受けるから!」
「カナタ……!」
「早く!」
ヨハンの前に立ち塞がり、獅子と山羊の顔が付いたキメラと向かいあう。
「……判った。すぐに戻ってくる」
「うん! 多分、十五分ぐらいしか持たないから!」
「……いやに具体的だな」
カナタに背中を預けて、ヨハンはブルーノ教授の横を通り過ぎて、その後ろの扉を開けて部屋を出ていく。
「……止めなくてよかったの?」
「僕はアーデルハイト君を殺したいわけではないからね。それに、今は君のそのギフトの方が興味深い」
「こいつら全部倒したら、絶対捕まえて反省させてやるから!」
そう声を張り上げてから、カナタは自らを包囲するキメラの群れに立ち向かって行った。
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