第十一節 学院にて

「アーデルハイトは何処が怪しいと思う?」

 魔法学院の研究棟。そこに数多ある研究室の一つをほぼ貸し切り状態にして、アーデルハイトは床に描かれた魔方陣の上に、愛用の箒を立てて、小さな虫眼鏡のようなものであちこちを覗き込んでいる。

 そこに背中から掛けられたカナタの質問を、最初は無視しようかとも思ったが、そうすれば余計に鬱陶しいことが予想で来たので渋々と答えを返す。

「昨日の怪物の件? それを知ってどうするつもり?」

「調査だよ、調査。今朝からヨハンさんがエレオノーラ様に言われて色々調べることになったみたいだから、手伝うの」

 不意に出てきたその名前に、アーデルハイトの表情に微妙な変化があったことを、カナタは気付かない。

「勝手にしなさいな。彼の手伝いをわたしがすると思ったの? 昨日のこと、忘れたわけではないでしょう?」

「ここは一つ、ボクの手伝いをしてくれるってことで」

「返事は保留よ。わたしも暇ではないもの」

「うん。ちゃんと学生してたらもっと信じれたんだけどね」

 今度はカナタの言葉を無視して、魔方陣に魔力を流し込む。その反応によって淡い光が灯り、箒へと魔力が伝わっていく。

 その間に用意していた薬品を布に染みこませ、箒の壊れた個所へと塗り込み修繕する。

 それを見て「ほー」とか、「へー」とか声を上げながら、カナタは部屋の中にある研究材料の鉱石を摘まみあげて覗き込んだり、標本として飾られている虫を見ては小さな悲鳴を上げたりしていた。

「ねえ、これって何に使うの?」

「魔力抽出用の鉱石よ。後で抽出機に掛けて、魔力を引きだして溜めておくの。魔法道具の作成に使うわ」

「じゃあこれは?」

「魔物の部位ね。貴方も冒険者なら何度か集めたことがあるのではないの? 竜の牙は加工すれば強力な武器に、魔狼の皮は防具に変わる。他にも……」

 慌てて次を語ろうとした口を噤む。

 別にここでカナタとお喋りをするつもりはない。むしろ面倒に巻き込まれるぐらいならばさっさと帰って欲しい。

「この箒も魔法道具なんだよね? 空飛べるって便利そうだよねー。これって何処かに売ってたりしないの?」

「試作品のようなものならあるけど、未だに実用化には至っていないわ」

「これをもう一個作ればいいんじゃないの?」

「……まず第一に」

 カナタの方を振り返って、何故か若干不機嫌そうになってアーデルハイトは人差し指を立てて見せる。

「この箒は乗り手の能力に依存する部分が非常に大きいわ。魔力制御が非常に難しい。その理由の主たる部分としては内部に細い糸のように張り巡らされている繊維なんだけど、これが飛竜の血管や浮遊花の幹とか、貴重な材料をふんだんに使ったもので、操縦者の魔力を直接的に、暴力的なまでの浮力と推進力へと変換する。それを自在に操るためには細やかな魔力制御が必要になる。つまり、ちょっとでも出力が大きすぎれば暴走するし、小さすぎても飛ばないという……」

「うわー、オタクっぽい」

「おたく? まあいいわ。ちゃんと聞いているのなら続きを話すわね。第二に」

 二本目の指が立った。

 カナタは椅子を引っ張って来てそこに座り、話を聞く覚悟ができている。ついでに長くなれば舟を漕ぐ覚悟も。

「それらを、これだけのバランスで、何故か箒に組み込む技術は魔法学院には未だないわ。だからこそ誰も再現できない。外見から判断してそれをやろうとしても、劣化した欠陥品ができるのが関の山。加えてこの箒自体も特殊な材質で出てきていて、それだけの希少素材が交じりあって出来上がる高出力をしっかりと伝達させてなおかつ強度を保てるようになっているの」

「それを解体させてあげればいいんじゃないの? もし次のやつができたら新品を貰う約束してさ」

「いやよ。これはわたしの」

「なんでそこで我が儘なの……」

 呆れるカナタに、アーデルハイトは愛おしげに布で箒を撫でて、修繕を完了させる。そして何らかの魔法を使ってそれを何処かに収納した。

「でもなんで箒なの?」

「知らないわよ。作った人に聞いて」

「誰が作ったの?」

「言いたくないわ」

「判った! ヨハンさんだ!」

「…………」

 沈黙は肯定。

 アーデルハイトは気まずそうに、研究室の窓の方へと顔を向けた。

「でもなんで箒なんだろうね。相変わらずセンスが判らない人だよね」

「申し訳ないけれど、彼の話題にこれ以上付き合うつもりはないの」

「ありゃ、残念。ガールズトークでもしようと思ったのに」

 カナタの見立て(大半は勘によるもの)では、アーデルハイトは決してヨハンを嫌ってはいない。根拠はないが、そんな気がする。

 だからこそこうして有益な情報を引きだそうとしているのだが、会話がそちらを向くたびに、アーデルハイトは無理矢理に回避するのだった。

「話を戻すわ。とはいえ魔法学院も空を飛ぶ乗り物の研究をしていないわけではないの。むしろ今く行かないのはあくまでも個人用のもので、王宮の方では技術者達が集められて空を飛ぶ大きな船を作っているっていう噂もあるわ」

「いや、ごめん。その話興味ないかなー。うん、実にね」

「……そう」

 少しだけしょんぼりとして、アーデルハイトは肩を落とす。

「そういう話は友達とすればいいじゃん。ボクみたいに知識がない人と違ってきっと盛り上がられると思うんだけど」

「……いないわ」

「ん?」

 よく聞き取れず、顔を近づけて再度質問する。

 至近距離で見つめた彼女の顔は、同性のカナタでもちょっとどきどきしてしまうほどに整っていた。

「友達、いないの」

「……あー」

「なに、その「やっぱりね」みたいな反応は!」

「いやいや、そんなつもりないよ! 被害妄想だよ、被害妄想!」

 確かにそれでは学校もつまらないだろう。

「うーん。勿体ないなぁ、可愛いのに」

「外見だけを見て関係を結びに来る人は願い下げね」

「もう今ので友達ができない理由、完璧に判っちゃった」

「別に気にしないわ。もうすぐ卒業だし、学ぶことは学んだし」

 本当に気にしていないのか、果たして強がりなのか、それはカナタには理解しかねる。

「じゃあボクが友達第一号だね」

「え、嫌よ」

「それは流石に酷いよ! 一緒に箒でドライブした中じゃん!」

「貴方後ろに乗ってただけじゃない」

 まったくもってその通りなので、特に反論もない。

「あ、友達一号はヨハンさんだった?」

「貴方、昨日のあの一件でよくそんな能天気な意見が出せるわね?」

「えー、でも喧嘩してるってことは友達ってことでしょ? それに貰った箒も大事にしてるしさー」

 それ以上に関してはアーデルハイトは黙秘を貫くことにしたらしい。

 それでもカナタの目から見て、感触は悪くないように思えた。

「……貴方って相当厄介なお節介焼きね」

「別に誰にでもってわけじゃないよ。なんかアーデルハイトって放っておけないんだよねー。理由はなんとなく判ってるんだけど……」

 カナタが続きを言おうとしたところで、研究棟の廊下から聞こえてきた、揉め事のようなざわめきによって、会話は一時中断させられることになった。

「君は一体どこの学生何だね? いや、年齢的には学生のように見えないが、肩書を持った魔法使いならばそれを語れば済むだけの話ではないか」

「いや、だから俺は……」

「先生! でもこの人凄いっすよ! おれたちが作った魔導装置の欠点を見抜いて、改良方法まで……」

「そうです! それにこっちの魔杖はちょっと回路を入れ替えただけで出力がこんなに……」

 老年の男性の声、続いて若い男の低い声。最後の男女の声が交互に聞こえてきて、カナタとアーデルハイトは顔を見合わせる。

 二人の目が同時に瞬きをした理由は簡単で、二番目に聞こえてきた声に覚えがあったからに他ならない。

 間違えるはずもない。つい今しがたの話題にあった男のものだ。

 研究室の扉を開けて廊下に出ると、十名程度の人だかりができていた。カナタ達の方に背中を向けているのは以前出会ったブルーノ教授で、やはりその正面に立って気まずそうにしているのはヨハン。

 そして何故か彼を庇うように複数の学生が立ち塞がっている。

「君達は下がってなさい! 僕には教授として、ここの学生を護る義務があるのだから、君達が怪我でもしたら大変だろう」

「でもいつもは自由に研究して、必要な知識と技術を盗み、自分のものにしろって言ってるじゃないですか! この人からは沢山技術を盗めそうなんですよ」

「いや、すまないが俺は別の用事があって……」

「新任の教授さんじゃないんですか?」

 学生に言い寄られて困っているヨハンを観察していると、いつの間にか横に立っていたアーデルハイトが大股で、つかつかとそこに近付いていく。

 アーデルハイトをいち早く見つけたヨハンは気まずそうな顔をするが、逃げられるわけもなかった。

「何をしているの?」

「アーデルハイト……」

「おお! アーデルハイト君! ちょうどよかった。君に話があったんだよ。今はちょっとこの男を連行しなければならないので忙しいが、後で僕の研究室に……」

「ブルーノ教授。そのお話しは後回しで。それから、この男はわたしの知り合いです」

「君の? いったいどういう関係かな?」

「教授には関係ないでしょう。ヨハン、取り敢えずはこっちへ」

 ローブの裾を引っ張って連れていこうとするアーデルハイト。

「アーデルハイトさんの知り合いかぁ。どうりでなぁ」

「やっぱり才能ある人は違うってこと? あんな知り合いが外にいたらそりゃ色々と有利よね」

「ひょっとして卒業後の進路関係の人かな? やっぱり真面目に学校なんか来なくても、才能だけで何とかなっちゃうんだろうな、この世界」

 そんな声が口々に、聞こえてくる。

 その中にある感情は間違いなく嫉妬でしなかない、取るに足らない程度のものだ。

 しかし、それを自分の中で解決できるのはある程度年齢を重ね、人生経験を積んだ者だけで、アーデルハイトには理屈では負け犬の遠吠えと理解できても、それを完璧に処理することはできない。

 結果としてただ無視することもできず、彼等を睨みつけてしまう。そしてその行為は、お互いの間に更なる溝を作っていく。

「いや、お前達。それは違う」

 成すがままになっていたヨハンが急に動かなくなって、勢いを付けたまま歩き出そうとしたアーデルハイトは急に後ろに引っ張られた。

 怒りに任せて何かを言ってやろうかと振り返ってみれば、彼は険しい表情でブルーノと、学生達を見ていた。

「余計なことは……」

 まさか彼がアーデルハイトのためにここで怒鳴るなどと言うことはないだろうが、そんな展開を少しでも期待してしまった自分を心の中で恥じる。

 目の前の男にそんなことを期待するだけ無駄だ。そんな情緒とは無縁の男なのだから。

「確かにアーデルハイトは才能があるかも知れないが、彼女はそれ以上に努力を欠かさない人間だったぞ」

「……何を……!」

 アーデルハイトが袖をぐいぐいと引っ張って止めるのも構わずに、ヨハンは更に言葉を続ける。

「なにがそんなに楽しかったのかは知らないが、子供の頃から魔法一筋で、暇さえあれば魔導書を読み漁り、魔法に使う素材欲しさに早朝夜中関係なく人を引っ張り回して、帰ってきたと思ったら今度は寝ずに実験と研究を繰り返し……」

「ちょっと! そんな話今することではないでしょう!」

「俺が最初にあげたときには全く乗りこなせずに、何度も転んでいた箒もすっかり乗りこなせるようになっていたし。アーデルハイトが才人なのは否定しないが、その上でしっかりと努力を重ねている。さっき見せてもらったが、君達が作ったその魔法装置は明らかな妥協が見て取れたな。俺が一目見て気がつくぐらいなのだから、自覚はあっただろう?」

「……それは、まぁ」

 男子学生はそう指摘されて、気まずそうに手元にある魔法装置を見た。

「アーデルハイトさんの箒って、この人が作ったんだ……」

「随分大事にしてるもんねぇ。思い出の品ってやつだ」

「ああ、あれは以前別れる時にどうしても欲しいって泣いて頼まれえぇ……!」

 ヨハンの言葉はそこまでだった。

 全身を痺れさせる衝撃と、その背後には悪鬼の如き表情で、顔を真っ赤にしたアーデルハイト。

「余計な話は終わりよ」

 崩れ落ちたヨハンをずるずると引っ張っていくアーデルハイトだったが、当の本人は力の入らない身体で精一杯それに抵抗する。

「ちょ、ちょっと待て。連れていかれたら困る。俺はそこのブルーノ教授に用があって来たんだ」

「僕に?」

「はい。先日の盗まれた研究資料についてちょっとお話があります」

 そう聞いて、ブルーノ教授の顔が険しいものに変わった。

「判った。詳しくは僕の研究室でいいかな?」

「ええ。……申し訳ないんですが、肩を貸してもらえれば幸いです」

「必要ないわ。たまには廊下を掃除するのも悪くないもの」

 容赦なく、アーデルハイトはヨハンを引きずっていくつもりのようだった。


 ▽


 研究棟一階にあるブルーノ教授の研究室は、様々な生物の標本が飾られた、主には申し訳ないが不気味な部屋だった。

 唯一のテーブルには本や資料が山積みになっていて、椅子にまで何かの材料と思しき肉片が乗っかっている。

「いや、すまない。お客人にお茶も出せない部屋で」

「いいえ。急に来たのはこちらですし。それにお茶を飲みながらする話でもないと思うので」

「……盗まれた研究資料の話だね。ですがその前に一ついいかな?」

「なんでしょう?」

「彼女は誰だい? いえ、研究資料を助けに行ってくれた子というのは判っているのだが……」

 何故か、というか他に行く場所もなかったので当然の如く付いてきたカナタは、同じく話の内容にはそれほど興味のないアーデルハイトに色々と質問しては呆れた答えを返されている。

「一応、弟子に当たります。害はないのでこのままいさせてもらえればと」

「いやいや、それは全然構わないよ。何しろ彼女には世話になった」

 にこやかに笑ってから、二人は本題に入る。

 そうなってくるとブルーノ教授の顔にも、若干の緊張が滲み始めた。

 恐らくは先日のキメラ襲撃事件も聞いているだろうし、それと盗まれた資料の話が合わされば何かしらの詰問があるのは覚悟の上だろう。

「先日のキメラ襲撃の件は、話が行っていると思いますが」

「……うむ、そうだな。そして君が言いたいことも判る。確かに僕はこの魔法学院でキメラの、厳密には生物複合の研究をしている」

「それはつまり、異なる生き物同士を繋ぎ合わせることで間違いありませんね?」

「そうだ。そして出来上がった魔獣はキメラと呼ばれる。第七、第八居住区を襲ったのは間違いなくそれだ。死体や飛び散った肉片を解析したら、不自然な継ぎ目が幾つもあった。あればかりはどう頑張っても消すことができないものだ」

「加えて、あの研究資料は人間ベースのキメラについてのものだと聞きましたが」

「……ああ、そうだ。しかし、正式な名称を付けておかなった僕も悪いのだが、それをキメラと呼ぶのはどうかと思う」

 喋りながら、手元が落ち着かないのか、ブルーノ教授はテーブルの資料を纏めて、ファイルにしまっていく。

「魔獣型のキメラ研究の主な目的は兵器として、ということで間違いはありませんね」

「そうだね。あまり言いたくはないが、僕は若い頃は名前を売って金儲けをしようと躍起でね。元々内乱が相次いでいた国だから、手っ取り早く金を稼ぐには武器だと思いついたのさ」

 過去の自分を嘲笑うかのようにブルーノ教授は語る。

「しかし失敗した。エトランゼの流入により一気に需要と供給が増した魔導兵器によってね。君は魔装兵を見たことは?」

「あります」

「キメラはあれの倍のコストを掛けて、ようやく同じぐらいの戦闘能力といったところだ。加えて獣や魔物の脳を使うから、どうしても命令伝達や安全性に問題がある。自分が研究していたので優秀な兵器であると自負できるが、あれが作れる国にとっては不要な代物だろう」

 その言い方には様々な感情が籠っていた。

 一つに、自分が長年研究していた物を一瞬で追い越していった魔装兵を初めとする魔導兵器への嫉妬や恨み。

 そしてもう一つ、終わってしまった研究に対しての清々しさすら感じさせる諦念。

「だがある意味ではよかった。あの資料に乗っている人間ベースのキメラは、人間に魔物の部位を移植することを指しているのだが……」

「……それは、兵器としてですか?」

「違うね。戦争や事故で身体の部位を失って人への補填用だ。魔物の中には人に近い体格のものも多いからね。勿論、魔物ということで忌避するものもいるだろう。今では金属製の義手や義足の研究も進んでいる。……しかし、最大の利点はそれらに比べて圧倒的にコストが安く提供できることだ」

 例外こそあれど、身体の部位を失うような目にあう者の大半が、貴族達とは違って大きな収入もない者達だ。

 彼等の大半は代わりの腕や足を手に入れることなど叶わずに、そのまま生きていくしかない。

 しかし、そこの妥協すれば、もう一度自由に動く身体が手に入る。それを求める者の数は決して少なくはないだろう。

「……色々と問題もあるから、未だ机上の空論ではあるけどね。さて、これで僕の知っていることは全てだが、疑いは晴れたかな?」

「もう一つお聞かせください。もし兵器用のキメラを作る場合、どの程度の規模の施設が必要で、そのぐらいの時間が掛かりますか?」

「施設か……。規模にもよるが、もし短期間で兵団と呼べるほどの数を用意したいのなら、この魔法学院の研究棟を丸々使うぐらいの広さが欲しいね。何しろあれらは生命なのだから、作ったものを保管しておかなければならない。逆に一度準備してしまえば後は材料の調達速度次第と言ったところだね。それが早ければかなりのペースで作りだせる」

「……判りました」

 エーリヒの滞在している王宮には、それほどの広さのスペースはない。仮にどうにかそれを捻出したとしても、他の貴族達に見つからずに事を起こすのは不可能だろう。

 もう一つ、エーリヒの治めている地で作成を行ったという線もあるが、わざわざそこまでしてキメラで襲撃を掛ける理由はない。

 ルー・シンの狙いは不明だが、キメラを使って襲撃をしたのは彼等ではないことは判った。

「僕の方からもいいかな?」

「なんでしょう?」

「いや、アーデルハイト君の件なんだが。君は保護者に近いようだし、軽く話をしておきたくてね。何しろろくに授業に出ない、卒業研究のテーマも決まっていないのだから」

「失礼しました」「ふぇ?」

 バタンと、ドアが開いてから閉じる音が響く。

 一瞬にしてアーデルハイトは、カナタの手を引いてその場から消えていた。

「……なかなか、苦労をしているようですね」

「ははっ。嬉しい苦労だけどね。君も言っていたけど、彼女の才能は本物だ。だからこそ、道を誤って欲しくはないのだが」

「それには俺も同意しますが……。やはり決めるのは本人の心次第としか」

「そうだよねぇ。弱ったなぁ」

 そう言いつつも、彼の顔は何処か嬉しそうだった。

「僕は、僕の教え子みんなに幸せになって欲しいからね。かつては認めてもらおうと兵器造りなんかをしてしまったが、もう目は覚めた。この国の人のための研究がしたい。僕は僕の研究が、この国を救うと信じてる。

 同じように、彼女もその才能がもっと大きな何かのためになると信じてほしいものだね」

 気弱そうな教授は、胸を張ってそう語る。

 それは本心から自らの過ちを認め、その上でその中にある結果を肯定し、前に進もうとしている強い瞳。

 その姿は、今のヨハンには眩しすぎる。過ちを認めながら、それらを封印して前に進み続けるヨハンには。


 ▽


 いつの間にか空は夕焼け。煉瓦造りの屋根の上を、少女を乗せた箒はゆっくりと飛んでいく。

 アーデルハイトにどんな意図があって、その速度で飛んでいるのか、カナタには判らない。

 ただ、なんとなく後ろから見えるその背中は、カナタに話を聞いてほしそうにしていると、そう思えた。

「素直になればいいのに」

「……なんの話よ」

「ヨハンさんのこと。そんなに深刻に怒ってるわけじゃないんでしょ?」

「貴方に何が判るの?」

 言いながらも箒の速度は変わらない。優しく、カナタがしがみつかなくても振り落とされない程度の速度で、王都上空をゆっくりと飛行していた。

 眼下には帰り支度をする人々、手を繋いで買い物をする母子。食料品を全て売り捌くために声を張り上げる商人。

 多くの人が、平和な生活を過ごしていた。

「いやぁ、判るよ。うん、なんとなくだけど」

「……どうして?」

「友達とか家族と喧嘩しちゃったりするとさ、なんか素直に謝れないんだよね。冷静に考えると別にどっちが悪いってわけじゃないんだけどさ。……そう言うときってだいたい、『どっちも』悪いんだけどね」

「この怒りに対してわたしに落ち度はないわ」

「理由教えてくれなきゃ判らないよ」

 カナタは苦笑する。そのアーデルハイトの姿は、完全に拗ねた子供そのものだった。

 箒の高度が上昇する。

 下からの音が遠ざかり、代わりに風の音が一際強くなった。

 それはまるで、アーデルハイトが他の誰にも聞こえないように、そうしたようだった。今までの高さでも下に聞こえることは絶対にないのだが、それでも彼女にとっては足りなかったのだろう。

「ずっと、待っていたの」

 懐かしむような声。

 しかし、そこには確かな怒りや悲しみが込められている。

「彼が旅立ったとき、辛かった。連れていって欲しいって泣いて頼んだけど、お前には無理だと言われて諦めた。だからわたしは、足りないって自分に言い聞かせて、いつか一緒に並び立てるようになりたくて、魔法学院で学んだわ。一切の妥協を許さずに、全身全霊で」

 それから、アーデルハイトは自嘲する。

「そうしたら天才とか、神童とか呼ばれてね。あまりにも興味なかったから無視してたらやっかみの対象になって、あんな感じよ」

「よしよし」

「頭を撫でないで」

「いやー。いい子だなぁって思って」

「話はこれで終わりね。それじゃあここから落とすから、頑張って家に帰りなさい」

「酷い! 続き聞かせてよ!」

 落ちるものかとぐっとアーデルハイトの細い腰にしがみつく。

「帰ってきていることは知っていたの。……風の噂で、失敗したことも。でもそれから数年間、彼はこっちに一切の連絡を取ってこなかった。きっと彼の中でわたしに価値なんかなくて、思い出したくもない過去の一つになっていたのね」

 二度目の自嘲の声は、先程よりも遥かに重苦しく、自分を誤魔化そうとしながらも全くそれができていない。

 その声は小さな涙声になっていた。

「そんなわけないじゃん」

「なら、貴方は何か知っている? 彼と一緒にいた貴方は彼がわたしについて何か言っていたりとか」

「いや、ないけどさ」

「……ほらね」

「違う違う。アーデルハイト間違っているよ。うん、いやこれヨハンさんも大概なんだけどさ、アーデルハイトも正直ちょっとどうかと思うよ」

「なにを……!」

 激高しそうになるアーデルハイトを抑えつけるように、箒の上で器用に態勢を変えたカナタは、横座りをして自分の肩をアーデルハイトの背中に強く押し付ける。

 間近に感じる体温が、逆立ってた彼女の神経を落ち着けた。

「だってそういう人じゃん、ヨハンさん。ボクがヨハンさんと一緒に暮らしてて、それから独り立ちしたときも一度も向こうからは連絡なんてくれなかったしね。でもこっちから行くと、嫌そうな顔しながら珈琲入れてくれるし」

「家族のような関係だったのよ? 少なくともわたしはそう思ってた」

「いや、だからさ」

 聞き分けのない子供を諭すように、ゆっくりと。

「家族ってそんなもんでしょ。何かあったら頼る。けど不必要に干渉しない。会いたかったら自分で行けばよかったのに」

 何の捻りもない、当たり前の結論。

 アーデルハイトが辿り付けなかった――正確には辿り付いたが、何かと理由を付けて拒否していた――その答えを、はっきりとカナタは口にした。

「気に入らないわ」

「ほんとのこと言われたからって怒んないでよー。ねえねえ」

 つんつんと頬をつつく。

「うわ、頬っぺた柔らか……」

 今度は調子に乗って引っ張りはじめた。アーデルハイトを論破したので、カナタの判定勝ちと勝手に決めつけて。

「ねえねえ、仲直りしちゃいなよー」

「……はん、ひ、」

 頬を伸ばされてちゃんと発音できないながらも、それが何かのカウントダウンであることは理解できた。

 嫌な予感がして、カナタは即座に手を離すと、態勢を変えてアーデルハイトの腰に思いっきりしがみつく。

「一。ゼロ」

「うえあえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇぇぇぇ!」

 夕焼けの空に、カナタの悲鳴が木霊する。

 アーデルハイトの箒は一気に高度を落とし、建物の間を高速で飛行。看板や洗濯物を干すためのロープに引っかかりそうになりながらも、それを通り抜ける。

 それから今度は急上昇。そして急降下。

 また低空飛行から高高度へと上昇。

 ジェットコースターのような軌道を描き、自由に空をぐるぐると飛びまわる。

 天地がひっくり返り、自分が今何処にいるのかも判らない。

 景色を楽しむ余裕などはなく、ただただ振り回されて悲鳴を上げることしかカナタには許されなかった。

 ただ、風を切る感覚が心地よい。

 天高く舞い上がる身体は軽く、まるで自分が風になったかのようだった。

 余りにも乱暴な空のドライブを強制的に堪能させられてから、二人を乗せた箒はいつの間にかそれまでいた場所とは随分と置くでゆっくりと速度を落とした。

「あのさ」

「なに?」

「幾らボクに言い負かされたからって、強制的に黙らせるのは酷いと思うよ」

 反論を許さず、くるりと箒が一回転。カナタはまたも驚いてアーデルハイトに掴まった。

「その話はお終いよ。わたしに落ち度があったことは百歩譲って認めても、やっぱり彼のことを許せないもの」

「うわ、強情……。っていうかめんどくさい」

「なら放っておけばいいのに」

「いやー、それができないんだよね。なんか昔の友達に似ててさ。その子もアーデルハイトみたいに細かいことで愚痴愚痴言うし、強情だし、喧嘩すると絶対向こうから謝ってこないし。後、ボク達以外に友達がいないところも一緒」

「……わたしの貴方の友達の代替品にしないで欲しいのだけど?」

 冷ややかな言葉で拒絶するアーデルハイトだが、カナタは全く気にした様子もない。

 何故なら、彼女がそう語る理由もよく知っているから。勿論、それは黙っておくが。

「うん。知ってるよ。だってアーデルハイトとその子は違う人だし。違う、友達だよ」

 箒が空中で止まる。

「わたしにも選ぶ権利はあるわ」

「いや、ないよ」

 理屈にもなっていない言葉に、アーデルハイトはそれ以上の反論をしなかった。そこに込められた感情が諦めか、それともまた異なる何かなのか。

 背中から表情を見ることのできないカナタには判断できなかったが、特に気にも留めない。

「だからさー。ちゃんと学校行って卒業したら、ボク達のところ来ようよ。ヨハンさんと仲直りしてさ」

「残念だけど、それは無理ね」

「なんで?」

「卒業後のことに関しては、わたしに選択権は殆どないわ。オルタリアにとって魔法使いは重要だもの。生活と安全と、それから名誉は保証されるけど自由はない」

 考えて見ればそれは当然のことで。

 長い時間と投資の末に手に入れた魔法使いという戦力を、手放す理由はない。

 自由に教育を受けるのではなく、教育の代償として自由が失われる。

 カナタからすればそれは全く理解できないが、アーデルハイトや他の多くの魔法使いの卵達からすれば当然のこと。

 誰でも望むままに教育を受けて、それを放棄してもいい自由などは存在しない。

「大丈夫よ。成績はいいもの。きっと研究者か、お爺様の後を継いで宮廷魔術師になるのかも知れないし……。そうして、そのうちに誰かと結婚して、幸せに暮らすわ」

 自分に言い聞かせるように、そう言葉を結んだ。

「……そっか」

 それは寂しいものだが、カナタは我が儘を言わない。

 ただそれは、アーデルハイトの表情が見えなかったから。

 もし仮に、ここが箒の上でなく、アーデルハイトの顔を正面から見れる場所で喋っていたとしたのなら。

 その、全てを諦めたような、寂しげな顔を見たカナタは、いつも通りに後先を考えずに彼女を手を引いて走りだしていただろう。

 いつの間にか二人は魔法学院の上空をゆっくりと回遊していた。

 その象徴ともなっている高い時計塔が、二人を覆うようにすぐ傍に聳えている。

 既に辺りは暗く、遅くまで残っていた生徒達も寮へと姿を消していく。灯りの消えた学院の研究棟は昼間までとは全然違い、不気味な静けさに満ちていた。

「……ねえ、あれなにかな?」

 偶然、下を見たカナタの目に留まったのは、ろくに明かりもないなか学院内を歩いていく複数人の姿だった。

 アーデルハイトもそれに習ってその方向を見て、不思議そうな顔をする。

 好奇心に突き動かされた二人は、どちらから示し合わせるまでもなく、箒で彼等の傍に着地する。

 できるだけ音を立てないように建物の影に降りてから、その人物達を確認する。

 恰幅の良い、老年の男性に案内されて金髪の男が先を進む。その周囲には護衛と思しき黒装束の男達が数人付き従っていた。

「あれ、王様だよね?」

 忘れるわけもない。その金髪の男はカナタと初対面で鼻で笑い、一秒も会話せずに退室を命じたこの国の王、ヘルフリートだった。

「一緒にいるのは学院長ね」

 老年の男はぺこぺこと頭を下げながら、ヘルフリートを宥めるように先を案内する。

 ここからでは会話も表情も読み取ることはできないが、こんな時間に王と魔法学院の長が、その学内で人目を忍ぶように会うのはどう考えても奇妙だった。

「どうしよう……? 後を追った方がいいのかな?」

「やめておいた方がいいわ。護衛も連れているし、少なくとも二人で敵う相手ではなさそうよ」

「でも、あれって絶対悪いことしてるよね?」

「……そうとは限らないけど」

 断定はしないが、ほぼその方向で間違いないとアーデルハイトも踏んでいた。

 学院内では何かが行われている。それが先日のキメラの件に関わりがあるかはまだ判らないが。

「取り敢えず、今日のところは戻りましょう。カナタ、貴方はこのことを彼に報告して」

「ヨハンさんだよね。うん、判った」

 横に倒した箒に乗り込むと、二人の身体は浮かび上がり、夜空へと消えていった。

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