第十節 世の裏側を生きる者達

 オルタリア王宮にある居住区。

 貴族達がオル・フェーズに呼び出された際に滞在するためのその建物は、彼等が本来住んでいる屋敷に勝るとも劣らないほどに豪奢な作りをしていた。

 広さこそはさほどではないものの、オルタリアの威光を見せつけるために、そこに置かれてる家具や調度品は国内でも最大級に高価なものを取り揃えてあった。

 中庭と呼ぶには広すぎる空間に石造りの道が伸び、それらは枝分かれしてそこら中に立っている大きな屋敷へと伸びている。

 その中の一つに目を付けてヨハンは進み、数分も歩くと目的の場所へと辿り付いた。

 小さな緊張を覚えながら扉を叩こうとするヨハンに、背後から低い男の声が掛かる。

「エーリヒ様ならば今日は留守だ。日を改められよ、お客人」

 振り返るとそこに立っていたのは、長身痩躯の男。貴族服に身を包んではいるがその見た目はアジア系、恐らくはエトランゼだ。

「そうか。それは残念だ」

「もし用件があるのならば言伝て置こうか?」

「いや、直接本人に話す」

 踵を返して戻ろうとするヨハンと擦れ違いざまに、男はその肩に手を伸ばす。

 一瞬、何をされるものかと身体が勝手に反応したが、特に何をされるわけでもなく、単に足を止めさせただけだった。

「そう急かずに、ゆっくりしていくといいだろう。ちょうど手前も茶の相手が欲しかったところなのでな」

「……いや、すまないが初対面の相手と突然茶を飲むのも抵抗がある」

 しかも顔が少し怖い。別にそれが理由の大半と言うわけではないが。

「そうか? それは残念だ。エレオノーラ王女を救い、御使いを倒し、イシュトナル自治区を造り上げた立役者であるヨハン殿と議論を交わすいい機会だと思ったのだが」

 驚いてその顔を見ると、そこには微笑が浮かんでいた。

 きっと面白いことが起こると、何かを期待する子供のような笑み。目の前の男とはあまりにも不釣り合いすぎて、逆にそれが不気味だった。

「申し遅れた。手前の名はルー・シン。エーリヒ様の家臣をやっている。エトランゼだ」

 彼が名乗ったその名は、ヨハンが今日エーリヒに詳細を聞こうと思っていた男の名前だった。

 場所を屋敷のバルコニーに移し、二人はテーブルについて外の景色を堪能しながら、最高級のお茶と菓子を口にしていた。

 日当りもよいこの場所は心地よく、目の前にこの得体の知れない男がいなければ昼寝をするのも悪くない。

 広々としたベランダのスペースに、入れ替わり立ち代わりでメイドが訪れてはお茶のお代わりとお菓子を差し入れてくる。滅多に見ることはできないケーキを、ルー・シンは切り分けて次々に口へと運んでいた。

「ふむ。美味い。やはりケーキはシンプルだが非常に優れた甘味だ。手前としてスイーツの王の名をやってもいいと思うのだが、ヨハン殿はどう思う?」

「いや、それを俺に聞かれても困る」

 この世界でケーキなどは高級品で、滅多に食べられるものではない。それを惜しげもなく出してくれるのもまた、王国の財力あってのものだ。

 一方のエレオノーラは、イシュトナル自治区でそう言ったものを口にする機会は滅多にない。甘味があったとしても、それはもっと安価なものになる。

「もぐもぐ。美味い。実に美味い。ヨハン殿も早く食え。でなければ話の本題にも入れぬ」

「いや、必要なのか、これを食べることが?」

「糖分を取ってこそ頭も回るというもの。いいから食え」

 執拗に進められて、観念してケーキを口に運ぶ。

 シンプルなショートケーキを食べるのはいったい何年ぶりだろうか。想像していたよりもスポンジは柔らかく、生クリームの甘みは舌を痺れさせるほどに濃厚だった。

 そこに苺の酸味が加わることでいい塩梅に味が調えられ、久しぶりということもあってかあっという間に一切れを食べ得ていた。

「いい食べっぷりだな。うむ。やはりスイーツこそが至高。このために生きている」

「……そろそろ本題に入っていいか?」

 無表情でケーキを食べているルー・シンは、そう言われて顔を上げた。

 お茶のお代わりを入れたメイドを視線で下げさせてから、椅子に深く腰掛ける。

「先日、魔法学院から一つの研究資料が盗まれたと聞いた」

「ほう。それは物騒なことだ」

「盗んだ連中の名は超銀河伝説紅蓮無敵団。盗んだものは魔法学院で行われていたある研究資料。そして彼等にそれを頼んだ依頼主の名は、ルー・シン」

「くははっ。やはり街のごろつき程度の連中に依頼するものではなかったな」

「キメラの襲撃があったことが原因だ。連中は自分達の住処が襲われて怒りを覚えている。その原因が研究資料にあるかも知れないと言えば、すぐに教えてくれたぞ」

「だが、それは詭弁だろう? 手前がその研究資料にあった、襲撃者……キメラを放ったということに結びつかん」

「だとしたら答えられるな? あの研究資料に書かれていた内容はなんだ?」

「キメラについてのことだ。特に昨今で研究が進められているのは人間をベースにしたものだな」

 悪びれもせず、それどころか可笑しそうにルー・シンはそう言ってのけた。

「……何故それを奪った? その資料を持って何をするつもりだ?」

 可能な限り冷静を装った質問だが、その声色と、言葉を発してから固く結ばれた唇は、ルー・シンに今のヨハンが抱く感情を如実に伝えていた。

 それでも、彼は怯むこともなく淡々と答えを返してく。

「必要ならば資料を開示することも構わぬが、卿が思っているほどのものではないぞ。そもそもにして、あれらは大半が机上の空論に過ぎぬ」

「では何故その絶妙なタイミングで、そのキメラがエトランゼ街を襲撃した?」

「それを手前に尋ねられても困る。その因果を証することはできぬ」

「……なら、これは答えられるはずだ。何故、それを盗ませた? 下手をすれば主であるエーリヒの立場を危うくさせてまでやるほどのことだったのか?」

「それは答えられぬな。こちらにはこちらの狙いがある。卿とて、お互いに全ての情報や目的を共有できるほどの関係とは思っておらぬだろう?」

 ルー・シンの言うことは間違っていない。

 突然訪ねてきた男に、目的の全てを話せと言われて馬鹿正直に語る者がいるだろうか。

 ヨハンとて逆の立場だったら、幾つも口を噤むべきことはある。

 この男が妙なところは、それを馬鹿正直に言ってしまうところだろう。疑ってくださいと言っているようなものだ。

「……判った。これ以上の議論は無意味そうだな」

「そうか。ならば改めてスイーツ談議に移るとしよう。手前のお勧めは……」

「その話をするつもりはない」

 立ち上がり、帰ろうとするヨハン。

「そうか。残念だ。卿にもこのスイーツの良さを知って欲しかったのだが……」

 先程の話では余裕の表情を崩さなかったルー・シンが、今度は凹んでいるようにも見える。

「ならば土産に持って行け。心配はいらぬ。このスイーツの数々は民の税金、特につい最近で圧倒的に課税されたエトランゼの居住税によるものだからな」

 何とも後味の悪い、最悪な話を聞かされながらも、カナタやエレオノーラのことを考えてヨハンはその申し出をありがたく受けることにした。

 箱に入れて、しっかりと保冷用の魔法鉱石まで受け取ったヨハンが、バルコニーを後にする。

 それでもまだルー・シンはケーキにフォークを入れながら、お茶を飲み続けていた。

 眼下に、お土産を持たされて歩いて帰るヨハンの姿が見えて、その背中を見送る。

「そう。資料はただ盗んだだけだ。その内容を知るためだけにな。もうあれは手前には用のないもの。しかし」

 ケーキを口に運ぶ。

 その甘みを楽しみつつ、残った後味をお茶で流し込む。

「こうして事実の一部を表すことで卿は新たな行動に出る。それこそがあの紙切れがもたらす最上の結果と言えるだろう。精々足掻いてほしいものだ」


 ▽


 王宮の外に出てから、ヨハンは一度大きく伸びをした。貴族招集の会場のような堅苦しさはなかったが、あのルー・シンという男は近くにいるだけで精神力を消耗するような気がする。

 背後には巨大な門。そしてその先には天高く聳えるオルタリアの城が見える。

 王宮の門の前は大きな広場になっており、中央の噴水を中心として石畳がずっと広がっていた。

 周辺の区画はオル・フェーズに住む特権階級、貴族達の住居となっているため治安はよく、他の区画に比べてもずっと静かだった。

 ちょうど目の前に馬車が通りかかったのでそれに乗って、異なる区画へと足を延ばす。エレオノーラにキメラ事件の解決を要求された以上、やるべきことは幾つもあった。

 貴族達の住む区画を離れ、辺りには人の数が増えて騒がしくなってくると、そこで不意に馬車が止まった。

「どうした?」

「いえ、ちょっと人通りが多くてこれ以上は進めそうにないので。ここまででよろしいですか?」

 言葉とは裏腹に通りは確かに人は多いが、通れないほどではない。事実、馬車は走っているしすれ違えるだけの空間も充分にある。

 つまり、理由を付けてこれ以上ヨハンを乗せていたくないだけなのだろう。エトランゼであることに気付いたか、それとも他に何かあるのか。

 詳細は判らないが、こういったことは珍しくはない。かつて住んでいた日本ほどサービス精神旺盛ではないので、機嫌が悪ければ運転も荒いし、世間話から喧嘩に発展すれば放り出される。

 そんなものなのかと、特に考えもせずにヨハンは馬車を降りて、代金を支払うためにローブの懐を探る。

 財布代わりの小袋の口を緩めて、そこから掌の上に乗せた銀貨を差し出すと、御者の上から差し出されたのはそれを受け取るための手ではなく、鈍色に光る刃だった。

「なっ……!」

 その剣はヨハンに触れる前に、自動的に目の前に展開された光の壁に阻まれて真っ二つに折れ飛ぶ。

 先日、カナタのセレスティアルのバリアを自分なりに解析して、防御機構として組み込んでおいたことが幸いした。もっともそれ自体は彼女のものより遥かに強度も低く、充電した魔力を使って発動するため一日一回しか使えないのだが。

 御者の男は舌打ちをすると、御者席から飛び降りて、ヨハンの目の前に着地する。そのまま次の剣を取りだして、何の躊躇いもなく振り切った。

 その一撃を避けて、咄嗟に放り投げた目晦まし用の閃光弾が炸裂し、目の前の男の視界を奪う。

 そのまま逃げおおせるべく駆けだすヨハンだが、その読みが甘かった。

 悲鳴を上げる民達を避けるために、路地裏に駆け込むべく走りだした方向、その建物の影、あらゆる場所から黒服の男達が顔を覗かせる。

 足を止める間もなく投擲されたダガーが身体に突き刺さり、その衝撃でヨハンは動きを鈍らせた。

 その間に他の者達が包囲を狭め、何の装飾もされていない、その道の者達が好む短めの剣で襲い掛かってくる。

 胸に当たったダガーは、ローブに何重にも織り込んだ防御術式が防ぎきってくれた。続く刃も道具を駆使し、どうにか切り抜けて、突然の凶行に悲鳴を上げる人々を背にして路地裏に飛び込むことに成功する。

 屯っていた男達、言葉巧みに客引きをする商売女、病気か怪我か、寝込んでいる老人を上手く避けて、その奥へと入り込んでいく。

 それこそが、連中の狙いだった。

 奴等の方が地の利に長けているのは当然で、撒いたと思えば正面から現れる。それに気付いて道を変えても、確実に彼等はヨハンを追撃し続けた。

 そして遂に正面から二人、背後から三人に挟まれてヨハンの足が止まる。

 全身を黒装束で包み、顔を仮面で隠しているこの者達は表情一つ変えることなく、それでもヨハンの繰り出す道具に警戒しているのか、じりじりと距離を詰めて来ていた。

「しがない男一人のつもりだが、この警戒は誰に言われてのものだ?」

 投げかけた言葉には誰も答えない。当然といえば当然なのだが。

「……やるしかないか」

 袖から取り出した短剣を、無造作に敵陣へと放り投げる。

 彼等は弾くまでもなくそれを最低限の動作で避けたが、その短剣は空中で向きを変えると、その中の一人の背中に突き刺さった。

 苦悶の声を上げて一人が倒れ、もう一人が慌ててそれに対処する。

 その間に背後から来た三人は各々にダガーを放り投げる。

 風の加護が封じられた水晶を、地面に叩きつけて砕く。すると不自然に相手の方向に向けて向かい風が吹いて、飛んできたダガーは勢いを失って地面に落ちた。

「次から次へと面妖な手を」

「お互い様だとは思うがな」

 誘導する短剣を剣で打ち落とした正面の、恐らくはこの中のリーダーであろうその男は呟いてから、視線だけで部下に合図する。

 三人は武器を抜き払い、同時にヨハンに襲い掛かった。

 ヨハンは慌てず、今度は液体が入った瓶を放り投げる。

 避けることはく、一人がそれを空中で斬り落とすと、そこから溢れた液体は空気に触れることで急激に体積を広げ、まるでとりもちのようにその中の一人に覆いかぶさって自由を奪う。

 残る二人の斬撃を、片方は上手く避けて、もう片方は回避すると同時にその腕を取って態勢を変え、放り投げるような形で地面に叩きつける。

 だが、相手もただでは転ばない。投げられながらも至近距離で放ったダガーが、ヨハンのローブの守りを貫き身体にまで達した。

 致命傷ではないが、その痛みで次の行動が遅れた。そしてその間のほんの一秒にも満たない時間は、彼等がヨハンを殺すには充分すぎる時間だった。

 リーダー格の男は音もなく、それこそ全くの気配すらも感じさせずヨハンの目の前までやってくると、正面からその剣を振り下ろす。

 いや、厳密には振り下ろそうとした、だった。

 固い金属音が響き、リーダー格の男の手から剣が離れて、地面を転がる。

 続けて聞こえてきたのは、何処か気怠そうな男の声だった。

「不用心にもほどがあるぜ、まったく」

 声と同時にもう一発放たれた矢が、背後からヨハンを襲おうとしていたもう一人の襲撃者を射抜く。

 それが倒れる音を聞いて、リーダー格の男はこれ以上の戦いは不利と判断したのか、一歩後退る。

「どうする? 俺はやりあってもいいが、多分お前等よりも強いぜ?」

 答えず、黙ってリーダー格の男はとりもちで拘束されている部下に、口封じのためにとどめを刺してから黙ってその場から溶けるように消えていった。

「よぉ。大変だったな」

 振り向いたヨハンの前に、男が一人立っている。

 長身と整った顔立ちに、外套を纏った男。

 彼には覚えがあった。

「超銀河伝説紅蓮無敵団の男か。すまない、助かった」

「気にすんなよ。こっちのボスの命令だからよ」

「ボス? グレンとかいう男のか?」

「そうそう。鬱陶しいモヒカンに空っぽの頭だが、義理には煩くてね。どうせ仕事もないし、しばらくはそっちに出張しろってさ」

「……取り敢えず、歩きながら話そう」

 周囲に人が集まってきたので、ヨハンはそう提案する。

 二人は足早に路地裏を抜け出して、人通りが多い個所を歩く。

 辺りから聞こえてくる客引きの声を無視しながら、この偉丈夫の話をヨハンは聞くことにした。

「そういや名乗ってなかったな。俺の名前はゼクス。元々はアサシンで、今はグレンのところで用心棒みたいなことをやってる」

「アサシン? 随分と物騒なものだな」

 喋りながら、一度ゼクスの姿が消える。

 戻ってきた時には両手に屋台で売っているワッフルのような焼き菓子を持っており、その片方を差しだしてきた。

 そして今気が付いたが、戦いのどさくさでルー・シンに持たされたお土産のケーキは全て台無しになっていた。

「俺はアサシンだったんだけどさ、今は組織を辞めたからフリーなわけ。で、食い扶持もなくて行き倒れてたところをグレンに拾われたんだけど……」

「組織を辞めた理由は?」

 アサシンと一口で言うが、それらを初めとする暗部組織は多数存在する。規模や受ける仕事の内容こそ違うが、それらに共通していることは、辞めた人間、情報を漏らしかねない者には相応の制裁が待っているということだ。

 当然、それは本人だけでなくその周囲にも及ぶ。そんな理由があってか、一度組織を辞めたものが新しい場所で腕を振るうことは滅多にない。

「まー、解雇ってやつだな。本来ならありえないんだけどな、うちの上層部が今の王様に買収されてよ。新しい組織に改編するっていうから、俺みたいな下っ端は切られたってわけさ」

「よくそれだけの事情があって無事で抜けられたものだな。下手をすれば関係者は皆殺しだろうに」

「それなりの人数はやられたぜ。俺は本当に、下っ端の下っ端だからよ。有能ってわけでもなかったし、覚えられてなかったんじゃないのかね?」

 自嘲気味にワッフルを齧るゼクスだが、その発言を全て信用するのは危険だった。

「そうは思えないが」

「お、褒めてくれてる?」

 擦れ違う人々を、流麗な足捌きで避け、また老人や子供には気さくに挨拶を交わし、女性を見れば軽口を叩く。

 外見も相まって一見すれば好青年だが、アサシンという肩書きを聞かされれば、その全てが偽りにすら見える。

「アサシンっていってもあくまで組織の方針だっただけで、俺の仕事は主に内偵や破壊工作、機密の奪取とかが主だったな。そりゃ、暗殺もたまにはやったけどな」

 ワッフルもどきを齧りながら、どうしたものかと思案する。

「超銀河なんとか団はいいのか?」

「ぶっちゃけ仕事ないのよ、あっちにいるとさ。グレン団長もそれは判ってるみたいで、キメラの件が片付くまではそっちに協力してろってこと」

 ワッフルの最後の一口を放り込み。ゆっくりと味わいながら飲み込む。思えば今日は甘味ばかりを口にしていた。

 超銀河伝説紅蓮無敵団についてはカナタから話を聞き、研究資料の話をするためにリーダーと少し話しただけだが、五分程度話をしただけで頭痛がしてくるほどに壮絶な人物だった。

 二人はいつの間にかもう一つの広場に差し掛かっていた。

 ここを西側に抜ければエーリヒから借りている屋敷につく。もう危険もないだろう。

「一先ずはそういうことだから。よろしく頼みたいんだが……。まだ警戒してるみたいだね?」

「そうだな」

「あー、まぁ、そうだよな。本当のこと言うしかねえか」

 後頭部を乱暴に掻きながら、ゼクスは観念したようにそう言った。

「命を助けられたからだよ。あんたの恋人のお嬢さんに」

「それは先日のキメラ襲撃の話か?」

「そうそう。別に俺はよかったんだ。超銀河なんとか団には恩もあるし、俺自身大層な人間じゃねえ。連中のために死んでやってもいいかなって思って囮を引き受けたんだよ。ところがよ、あのお嬢ちゃんは何の躊躇いもなくこっちに突っ込んできやがった。死んでも何の影響もない俺なんかを助けにな」

「で、なんで俺なんだ?」

「そりゃ、あの子が英雄やってる理由があんただからだろ? 界隈じゃそれなりに有名だぜ、エレオノーラの腹心のエトランゼと、その子飼の英雄ってな」

「そんな噂があるのなら、その情報網の精度もたかが知れてるな。第一、俺とあいつは恋人でも何でもない」

「何でもないってこたないでしょ」

 それは情報でも何でもなく、ゼクスはあの時同じ戦場を共にしただけで、二人の間にある信頼関係を見抜いていた。これはゼクスが特に敏いと言うわけではなく、誰が見ても明らかだったからではあるが。

「ってわけで、どうだい?」

「取り敢えずは断る理由もないな。短い間の付き合いになるだろうが、宜しく頼む」

「助かるぜ。これで団長に顔向けできる」

「用があれば呼び出す」

「あいよ。色々便利に使ってくれて構わないぜ」

 その言葉を最後に、ゼクスはまるで風のようにその場から消えていった。

 彼が消えてから、ヨハンは家に戻ろうとして、一つ思い立って向きを変える。

 その足は、魔法学院へと向いていた。

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