第八節 再会する二人

 グレンとアツキが出ていってから数分。騒がしさは次第に大きくなり、只事ではないであろうことが充分に伝わってきた。

「こ、これ不味くない?」

「……みたいね。でも何かしら? エトランゼ街でそんな大規模な事件が起こるとは考えにくいのだけれど」

「冷静に分析してる場合じゃないでしょ!」

「他にできることがある?」

 アーデルハイトの質問には答えず、どうにか枷を壊せないがもがくカナタ。

 床にぶつけたり、鉄格子を殴りつけたりするも、金属でできた枷は全く揺るがず、びくともしない。

 そしてそんな言い知れぬ不安に答えるかのように、その元凶は姿を現した。

 破砕音、続いて何かを引きずるような音。

 生理的嫌悪を覚える粘着質な足音を響かせながら、それは目の前にある階段をゆっくりと降りてくる。

「な、に……あれ?」

 横で、アーデルハイトが息を呑んだ。

 無理もないと、カナタは思う。

 ウァラゼルの生み出したあの異形を見ていなければ、きっと同じ感想を抱いたであろう。

 それは魔物のようで、そうではない。

 半ば本能的にだが、カナタはそう感じていた。

 目も口もない顔。身体から飛び出した臓器のような何かを引きずり、片腕は長い爪のようになっているかと思えば、もう片方の手には先がなく、口のような孔とその周囲に牙がついている。

 細身の体躯は苦しそうに呻き声を上げ、ゾンビのように見えるが、死臭がするわけではない。

 音だけを頼りにして探っているのか、それはしばらく地下をウロウロとしてから、カナタ達がいる鉄格子の方にその貌のない顔を向けた。

 ひたひたと近寄り、その怪物は爪のある腕を鉄格子に打ち付ける。

「っ……!」

 気丈にも、アーデルハイトは悲鳴を上げそうになるところを、唇を噛んで堪えた。

 何度も、何度も、爪が剥がれ血が出るのもお構いなしに、鉄格子が殴られ続けけ、次第にそれは形を歪ませていった。

「アーデルハイトさん。ボクが合図したら、一気に飛び出して」

「そんなことをしたあいつに殺されるわ」

「大丈夫。ボクが囮になるから」

「貴方はどうするのよ!」

「判んないけど……。何とかなるんじゃないかな、多分。運はいい方だと思うし」

「そういう問題じゃ……!」

 アーデルハイトの声を、鉄格子が破砕される音が遮る。

 ぐしゃぐしゃに歪んだ鉄格子を抉じ開けて、その怪物は二人が捕らえられていた牢屋の中へと足を踏み入れる。

「行くよ、今!」

「だぁーっはっはっはっは! 子猫ちゃん達のピンチに小生、華麗に参上でござる!」

 カナタは目を閉じて、全力で体当たりをしようと石床を蹴るが、突如聞こえてきた声に完全に調子を狂わされてそのまま顔から床に倒れ込んだ。

「ふぐ!」

「ん? なにを転んでいるでござる? 小生、ドジっ子のあざとさにはそれほど萌えないでござるよ。おっと、そんなことを言っている場合ではなかった。まずはこの鍵を華麗にシュート!」

 怪物の足元を擦り抜けて、二つ束になった鍵がカナタ達の足元に滑り込む。

 それからアツキは干し肉を齧り、彼のギフトを発動させる。

「さあ、オーガの剛腕を受けるでござるよ!」

 不自然なまでに大きくなったアツキの腕が、怪物の顔面を殴りつける。

 しかし、それでも痛みを感じていないのか、怪物は怯むこともなく反撃に口のある片腕でアツキの腕に噛み付いた。

「痛い! そして固いでござる!」

「アツキさん! もう一匹来てる!」

 カナタが叫ぶよりも早く、もう一匹の、今度は四つん這いの獣のような何かがアツキに飛びついて、その身体を引き倒した。

「あうち! 押し倒されるなら女の子がいいでござる! できるなら年上!」

 そんな馬鹿な発言には当然耳も貸さず、異常に発達した二本の牙がその首筋に向けて振り下ろされる。

 それと、お互いの手枷の鍵を外したカナタが牢屋から飛び出したのはほぼ同じタイミングだった。

「間一髪!」

 その一撃を避けられたのは、アツキの悪運の強さに他ならないだろう。首を無茶苦茶に動かしていたら、たまたま外れただけのようなものだ。

 そしてその隙を狙って、自由になったカナタは四つん這いの獣に全力で蹴りを入れる。

 筋肉が充分に詰まったその身体からは重い感触だけが反ってきて、さしたるダメージを与えたようには見えなかったが、それでもこちらにも獲物がいると、視線がカナタへと動いた。

「……これ……!」

 振り向いたその獣の顔を見て、カナタは絶句する。

 不自然に長い牙が生えたその口は、獣ではない。

 まるで人間にそれを移植したかの如く、余りにも不自然で、不気味な相貌をしていた。

 飛びかかってくるその体躯を避けて、すれ違い様にセレスティアルの剣による斬撃を叩き込む。

 単なる肉が、何よりも鋭い極光を弾けるわけもなく、いとも簡単にその身体は裂けて、真っ赤な血がカナタを濡らした。

「アツキさん! ボク達の荷物を!」

「りょ、了解でござる! ……強気なカナタちゃんもイイでござるねぇ」

 今度は貌のない怪物が立ちはだから、両腕でカナタを破壊しようと襲い掛かる。

 しかしそれも、セレスティアルの盾を貫くことはできない。上から叩きつけられる衝撃をどうにか受け流すと、剣へと変えた光でその胴体を横薙ぎに両断する。

「……まだ、動く!」

「下がって!」

 アーデルハイトの声に、反射的にカナタは飛び退る。

 手枷を外した彼女は両手を前に突きだして、小さな声でぼそぼそと呪文を詠唱する。

 青白い光が生まれ、それが次第に魔方陣を形作り、アーデルハイトの前面に展開された。

「貫け稲妻の槍。『サンダー・ランス』!」

 二本の稲妻が、まるで槍のようにそれぞれ異形を貫きその雷撃に寄って焼き焦がす。

 アーデルハイトが作ったその隙は逃さず、カナタは一気に距離を詰めるとセレスティアルの剣を両手で握り、飛び上がって上から真っ二つに貌のない異形を切り裂いた。

 二つに別たれた身体は石床に倒れ、もう動くことはない。

 残る獣型の怪物はその強さにどうにか逃げ出そうと試みるが、続くサンダー・ランスの雷撃が背後からそれを阻止し、命を奪う。

「おぉ! 二人とも強いでござる! 荷物を持って来たでござるよ」

 アツキからそれぞれ荷物を受け取った二人は、ここでようやく状況を確認し始めた。

「で、あれはなに?」

「しょ、小生も知らないでござる。外ではまだ仲間達がエトランゼ街の人を避難させてるでござるよ!」

「……じゃあ、まずはそれを手伝ってからだね」

 誰に確認するわけでもなく、カナタは階段を駆け上がっていく。

 上に続く扉に手を掛けてから、ふと思ったことがあってカナタはアツキを振り返った。

「……なんで助けに戻って来てくれたの?」

「そう言えばそうね。騙してくれたお礼に黒こげにされるとは思わなかったのかしら?」

 ぱちりと、アーデルハイトが握った短槍の先端に小さな紫電が走り、アツキを威嚇する。

「小生。こう見えても紳士故。将来有望な女子が死んだり、魔物の触手で色々とこう、素敵な目にあうのが我慢できなかったでござるよ」

「自分で捕まえておいて?」

「小生には小生の理由があるでござる。あんな化け物がいたらそれどころではないでござろう!」

「変な人。でもまぁ、助かったよ。ありがと」

 そう言って、カナタは扉から外に飛び出していった。

「……あの子、状況も確認しないで……!」

 呆れながら、道具の確認を終えたアーデルハイトは急いでその後を追いかけていく。

「……どうしたの?」

 心底どうでもいいのだが、騒がしい馬鹿が静かなことが気になって、アーデルハイトは階段に片足を掛けた状態でアツキに質問した。

「うむ。やっぱり元気っ子は可愛いでござるな。アーデルハイトちゃんみたいなクールっ子も嫌いではないでござるが……あぎゃあ!」

 電撃を浴びせられて悶絶するアツキを放置して、アーデルハイトは呆れながらもカナタの後を追って出ていった。


 ▽


 扉を蹴破るようにして外に飛び出したカナタを待っていたのは、目を背けたくなるほどの惨劇だった。

 無残に破壊され倒壊した木造の建物。その下で蹲り、呻き声を上げる人々。

 グレン達は武器を取って応戦しているが、状況は全く彼等に傾いてはおらず、四足歩行の生き物に包囲されていた。

「……酷い……! 早く、一人でも多く助けないと……!」

 グレンとその部下達を包囲している怪物の元に斬り込み、四つん這いの獣は背後からセレスティアルの剣で両断する。

 そのまま彼等を庇うように立って、肩から下げた鞄から薬瓶を取って投げつける。

「それ、怪我治せるやつだから、使って!」

「お。おぅ……。すまねぇ、超銀河伝説紅蓮無敵団としたことが……。それより、俺達のことはいい、あっちで囮を引き受けてくれた仲間がいるんだ! そっちを助けてやってくれ!」

 グレンに言われてその方向を見れば、狭い路地に不自然なまでに怪物が群がっている。

 その先頭を走る人物は器用にそこら中に飛び移り逃げ回って入るが、羽の生えた個体にも追われていては分が悪い。

「……判った。でも無茶はしないで。それから、一度目を閉じて!」

 カナタの言葉に、訳も判らずグレン達は言う通りにする。

 鞄から取り出した小瓶を地面に投げつけて叩き割ると、そこから発生した閃光が一瞬にして辺りを眩く照らした。

 時間にしては一秒にも満たないが、それを近距離で直視すればしばらくの間視界を奪ら割れる。

 事実、包囲していた怪物達は悲鳴を上げ、前足を持ち上げてその場でもがき始めた。

 カナタは一気に包囲を飛び出して、敵の大群が殺到している路地裏に飛び込む。

「ボクが相手になるよ!」

 カナタの声が聞こえたのか、グレンの仲間を追っていた怪物の内の数匹が振り返って、こちらに襲い掛かってくる。

「首が……二つ!?」

 まず最初に飛び出してきた二つ首の狼を、すれ違い様にその片方を落として倒す。

 続いてきたのは鱗の皮膚を持つ人型だった。魔物の中にはそういった生き物は無数にいるが、目の目に立っている個体は何処か無理矢理に繋ぎ合わせたかのような違和感がある。

 事実、皮膚は鱗、両腕は岩。そしてその先にある手には指ではなく鮫の口のような牙が直接生えていた。

「このっ……!」

 セレスティアルの盾が左右から伸びる腕をブロックする。

 カナタとて、ここ数ヶ月何もしていなかったわけではない。

 セレスティアルの扱い方に習熟するための努力は欠かしたつもりはないし、冒険者としても何度か仕事をこなしていた。

 咆哮が響き、三匹目がカナタ目がけて大きな口を開いている。

 獅子の身体と首に、その横から不自然に生える竜のような首。背中から生えた翼に、二本に枝分かれした尻尾は太くまるで鞭のように撓っている。

 その両口から放たれた炎は、カナタの正面にいる怪物を飲み込んで迫りくる。

 盾では防げないと、一度解除してすぐに壁の形を作る。

 しかし、それこそが狙いだった。

 その薄くなった部分を、炎に焼かれながらも止まらないもう一匹が叩く。

「うそっ……!」

 更には背後からの衝撃がカナタを襲った。

 セレスティアルの薄い部分に体当たりを仕掛けて、そこを食い破ろうと執拗に噛み付いてくるのは、先程片首を斬り落とした狼だった。

「首落とされたら、大人しくしててよ!」

 バリアを解けば一瞬でカナタは消し炭になる。だからといって三方から攻められては返す手段もない。

 アーデルハイトの援護を期待するも、グレンの周囲の怪物を蹴散らした彼女の元へと、更なる怪物の群れが襲い掛かっていた。

「こうなったら……。痛いのは我慢するしか!」

 バリアを解いて、無理矢理にでも反撃に転じようとしたカナタだったが、天空から飛来した何かがその動作を一瞬遅らせた。

 空から降り注いだ矢は、カナタの背後を取った狼の身体を貫いて絶命させ、続いて着地した人影が至近距離の人型の首を的確に刎ねる。

 手の中でくるりとナイフを回して着地したのは、頭から布を被った長身の男性だった。

「いや、助かったぜ。おかげさまで、態勢を立て直す時間が稼げた」

「グレンさんの仲間の人?」

「そうそう。で、更に言うなら」

 布を片手で取り払う。

 出てきたのは、橙色に近い髪をした青年。顔立ちは整っており、カナタ達の世界の言葉で言うのならばイケメンの部類に入るだろう。

 そして、カナタはその人物に見覚えがあった。

「あの時の……!」

「そうそう。ついでにあっちのお嬢ちゃんを捕まえたのも俺だよ。っていっても、今はそんなこと言ってる場合じゃないけどな!」

 残った一匹と、彼を追っていた無数の怪物達が集合し、カナタ達の元へと殺到する。

「まずはあっちで合流しよう! ばらばらに戦ってたら不利だよ!」

「勇ましいね。いつの間に俺はアンタの部下になったんだか……」

「細かいことはいいから!」

 憎まれ口を叩きつつも、カナタに逆らうつもりはないのか、ひょいと飛びかかってきた怪物の爪を避けると、グレン達に合流するために後ろへと下がっていく。

「ちょっと!」

「ご自慢のバリアで何とかしてやってくれよ」

 言われた通りに、セレスティアルの壁を展開する。

 正面からの攻撃は全てそれに弾かれてカナタに届くことはないが、だからといってこのままでは後退もできない。

「しかもこれ、結構疲れるんだけど……!」

「『ブレイズソーン!』」

 そこに都合よく、アーデルハイトが放った魔法が数発、敵陣に着弾する。

 彼女の持っていた枝は炎に包まれ、怪物達に突き刺さるとそこで小さな爆発を起こしてそれを足止めする。

「アーデルハイトさん!」

「早くこっちに!」

 箒に乗って飛んできたアーデルハイトは、すぐさまその後ろにカナタを飛び乗らせ、一度敵陣に突入。呆気に取られる怪物達を無視して、路地の先で華麗にターンを決めた。

「うわっ、いっぱいいるよ!」

「だから高度を上げるのよ!」

 言う通りに上昇する箒だが、事はそう簡単には進みそうにもなかった。

「付いて来てる!」

「……羽、飾りじゃなかったのね」

 怪物の内の一匹、先程対峙していた獅子が翼を広げてアーデルハイト達を追いかけて飛び上がる。

「迎撃……!」

 アーデルハイトの指示に従うように生み出された光弾がぶつかっても、全く怯む素振もない。

「っていうか数多くない? 何匹居るの?」

「暇なら数えてて! どうせ後ろに乗っているだけでしょう!」

「好きで乗っているわけじゃないのに!」

 叫ぶようにお互いに言葉をぶつけながらも、アーデルハイトは怪物の炎を避け、その間にカナタは地上を見下ろす。

 すると、人型と獣型、総勢二十匹ほどの怪物達の中心となる位置に、一際巨大な個体がいることに気がついた。

「あれ、ボスみたい!」

「根拠は?」

「一番大きい! それに強そう!」

 一瞬、アーデルハイトはグレン達の方を見る。怪物に押されてはいるが、あのアサシンとアツキがいるおかげでどうにか後少しは持ち堪えられそうだった。

「なら、頭を仕留める」

「できそう!?」

「やって見せるわ。後ろの奴だけどうにかしておいて」

「頑張ってみるよ!」

「……まさか、昨日会ったばかりの人に命を託すことになるなんてね」

「でも、ボクは信じてるよ。アーデルハイトさんのこと」

 ぽんと肩を叩くが、彼女は何も答えない。

 その間に放たれた炎をカナタのバリアで避けて、空中高くでアーデルハイトは再び箒で円を描き、怪物達の中心へと降下していく。

「やるだけやるけど。わたしが八つ裂きになったら恨むわよ」

「その時はボクも一緒だと思うなぁ。……アーデルハイトさん!」

「さっきから……!」

 急降下に気がついた、下にいる怪物達の中で遠距離攻撃ができる個体が、上に向けて何かを放ってくる。

 その中には魔法のような力も含まれており、伸びる炎の槍を、アーデルハイトは無理矢理に箒を傾けることでどうにか回避した。

「名前、噛みそうになってるなら、呼び捨てでいいから!」

「はーい!」

「まったくもう……。雷撃よ、我が槍に集え……!」

 アーデルハイトの短槍が紫電を帯びる。

 その量はこれまでの比ではなく。加えて空にも魔方陣が広がり、そこから青白い雷が牽制するように幾つも弾けていた。

「『ライトニングブラスト』!」

 放り投げられた短槍は地上に落ちると、まずその周囲に稲妻と閃光を撒き散らす。

 怪物達はその光の速度に逃げることもできず、ただ悲鳴を上げてその身体を焼かれるのみ。

 それに続いて、空に広がる魔法陣から短槍を避雷針にするかの如く、再度雷が降り注ぐ。

 着弾地点から広範囲を稲妻が荒れ狂い、一瞬のうちに破壊の光が蹂躙していく。

 轟音と閃光に耳と目を奪われ、その一瞬が過ぎるとそこに残っていたのは壮大な破壊の跡だった。

 建物は崩れ切り、何匹もの怪物がその下敷きになっている。

 それ以外にも身体を焼かれてた怪物は煙を上げ、動く気配もない。

 しかし、その中心。

 カナタが見た巨大な個体は生きていた。怒りに身を震わせるようにこちらを見上げ、咆哮を上げる。

 無数の足がついた百足のように伸びる下半身。左右から生える獣の貌。身体は所々甲殻に覆われているが、肉が剥き出しの個所もある。

 何よりも異様なのは、その下半身から生えている、人の形をした上半身は、どう見ても子供ぐらいの大きさしかなかった。

 そしてそれは周囲の怪物の死体を引き寄せ、自らの身体として取り込み、再結合を果たす。

 尻尾からは蛇が踊り、肩からは狼の顔が咆哮する。

「生きて……る?」

 怪物の周囲に魔方陣が展開する。

 それはまるで、アーデルハイトの魔法を見て学習したかのようだった。

「拙い……!」

「アーデルハイト! 避けて!」

 彼女の身体を蹴るように、カナタは箒を飛び出す。

「カナ……っ!」

 アーデルハイトは一瞬態勢を崩したものの、どうにかすぐに姿勢を立て直す。

 そして直前まで彼女がいた場所、今はカナタが一人で投げ出された場所に、毒々しい色の光が伸びる。

「セレスティアル!」

 片手を突きだし、前方に全身を覆うほどの盾を展開。

 凄まじい勢いでカナタを襲ったその魔力の奔流はどうにか防ぎ切ったが、それが体力の限界だった。

 翼を展開することもできず、着地の衝撃を和らげる術もない。

 それどころか、その真下であの怪物はカナタを縊り殺そうと、身体中に生えた口から喜びの咆哮を上げている。

「カナタ!」

 アーデルハイトが伸ばした手は届かない。

 自由落下態勢に入ったカナタは、自分が一気に地面に引き寄せられていくのを感じた。

 しかし、激突はしない。

 だからといって、怪物に捕らわれたわけでもない。

 それよりも温かいものにカナタは包まれていた。

 以前はキャッチしてもらったときに一緒に倒れ込んだというのに、今度はしっかりと受け止めてくれた。

「遅い。遅いよ。遅すぎ!」

「……こっちにも仕事があったんだ。それに、俺は危険な真似はするなと言ったが?」

 頭の上辺りから聞こえる低い声。

 カナタが最も信頼している人物が、その身体を受け止めた状態のまま、抱きかかえていた。

「いいから来るよ! 早く逃げるなり戦うなり!」

「カナタ! セレスティアルは使えるか?」

「無理! 歩くのも辛いかも!」

 そう聞くや否や、ヨハンはカナタを抱きかかえた姿勢から、まるで荷物のように肩に担ぐ。

「うわわっ、これは女の子にしていい持ち方じゃないよ!」

「文句は後で聞く。ただし、こっちの説教はその百倍あると思え」

 迫る怪物に対して、ローブの懐から取り出した無数の赤い水晶を放り投げる。

 空中で拡散し幾つもの光る粒になったそれは、器用に片手で構えたショートバレルの弾丸に触れると、無数の爆発を巻き起こす。

 しかし、怪物はそれでも怯まずに手近にあった瓦礫を持ち上げると、ヨハンへと投げつける。

「シールド、展開」

 まるでセレスティアルのように、光の壁がヨハンの目の前に一瞬だけ展開されて、その瓦礫を退ける。

 それを盾にしながら怪物と距離を詰めると、ショートバレルに新しい弾丸を込め、怪物へとその先端を向ける。

「毒は効きそうにない。爆発も効果は薄かった。……後は」

 反撃に怪物はその大きな腕を伸ばすが、それがヨハンに届く前に、引き金は引かれ、砲身を通り抜けた弾丸が銃口から真っ直ぐに放たれる。

 弾丸が直撃すると、ドンと何かが落下してくるような鈍い音が響く。

 着弾位置を中心として、丁度ヨハンの立っている位置がぎりぎり範囲外になるように、一気に地面が沈下した。

 それだけでなく、上から見えない何かに抑えつけられているかのように、その怪物は地面に叩き伏せられ、動かなくなった。

「なにあれ!?」

「重力弾だ。範囲内に超重力を発生させる」

 地面が沈み、そのまま怪物の身体が沈み込んでいく。

「アーデルハイト、とどめを!」

 箒に乗って空中で制止していたアーデルハイトが、突然ヨハンにその名を呼ばれて我に返る。

 カナタからすればどうして名前を知っているのかが疑問だったが、今はそれを質問している場合ではない。

「『ライトニング……!』」

 アーデルハイトが呪文を唱え終える前に、その怪物は驚くべき行動に出た。

 纏ったその身体が脈打ち、内部からぼこぼこと膨れ上がる。

 全霊を込めて重力に逆らうように大きく身体をうねらせると、その纏った鎧のような生き物のパーツは、まるで装甲を解除するかのように弾け、四方に飛び散った。

「なにこれ!」

「目暗ましか!」

 当然それはヨハン達にも降りかかり、全身を肉と血塗れにするばかりか、まだ生きている部品などは攻撃を仕掛けようと足元で動き始めた。

 それらを踏み潰し、また道具やアーデルハイトの魔法を使って無力化していく。

 そうして安全が確保出来たころには重力弾の効果も消え、怪物の本体もまた煙のようにその場から姿を消していた。

「逃がしたか」

「……でも、何とか戦いは終わったみたいだね」

 カナタの予想通り、大型の個体を倒された怪物達は統率を失い、散り散りに逃げていく他、各個撃破されつつあった。

 視線を遠くにやれば、グレンとアツキ達も無事なようで、倒れている人や倒壊した建物の中に閉じ込められた人々の救助活動を行っている。

 そして今頃になってようやく到着した警備隊や王国軍も、それに手を貸し始めた。

「……アレがなにとか、研究資料の話とか、きっとヨハンさんのお説教もあるんだけど……。まずはお風呂入りたい」

 お互い肉と血塗れで、酷い匂いをさせていた。

 ゆっくりと身体を下ろされ、同じように空から降りてきたアーデルハイトをカナタは出迎える。

「アーデルハイト! 紹介するよ、この人がボクの師匠のヨハンさん……って、なんか二人とも知り合いっぽかったけど?」

 ヨハンとカナタよりも少し高い、破壊された塀の瓦礫の上に降り立ってアーデルハイトは、そこからこちらを見下ろしている。

 その表情、視線はとてもではないが友好的なものではなくて、カナタはそれ以上言葉をかけることを躊躇った。

 アーデルハイトは冷たい瞳で、たった一人の人物を映している。

 それはカナタではなく、その少し後ろに立っている、今しがた紹介を受けた男。

「久しぶりね」

「……久しぶりだな。アーデルハイト」

「よくわたしの前に姿を現せたものね。……わたしが貴方のことを憎んでいるとは考えなかったの?」

 ヨハンの答えはない。

 そしてアーデルハイトは何か言いたげに唇を噛み、それから箒に乗って空の彼方へと飛び去っていった。


 第二章 前編 了

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