第七節 王権とその妹
急遽ヘルフリートが貴族達を招集し開かれた貴族招集は、今回に関していえばそれ自体に意味のあるものではなかった。
その目的はエレオノーラを壇上で言い負かし、彼女を屈服させるかもしくはイシュトナル自治区に軍を侵攻させることを貴族達に認めさせることだった。
彼女が招集に応じなければそれを罪とする。例えこの場に現れたとしても、ヘルフリートの威容に恐れたエレオノーラはまともに身の潔白を証明することも叶わないだろう。
少なくとも、ヘルフリートが知るエレオノーラとはそういう女だった。
エトランゼとの混血という理由で宮廷では常におどおど過ごし、かと思えば外に出てエトランゼを救おうなどと声を張り上げる。
目上には逆らえぬ臆病者。そういう評価を下していた。
つい二日前、この白鷺の宮で彼女が凛とした受け答えを放つまでは。
そして昨日を経て今日もまた、事態はヘルフリートにとって悪しき方へと転がっていっていた。
「兄上、妾の言葉が聞こえておいでか?」
「ああ、聞こえているとも!」
大声で返されて、エレオノーラだけでなく、周囲の貴族達も同じように身を竦ませたが、彼女だけは何故かすぐに平静を取り戻した。
「それでは決定していただきたい。フィノイ河の先にある土地の幾つかを分譲するに当たり、妾はアルニム卿を推薦したいのだが」
「黙っていろエレオノーラ! それに関しては後程こちらから任命した者を派遣する!」
その声に、その場が若干の期待に満ちる。
南側の領地がオルタリアの地であるからには即刻返すべきと主張するヘルフリートに対して、エレオノーラは返すのは問題ないが、それでまた管理の行き届かない状態になっては困ると反論した。
その落としどころとして父の代で不当に領地を没収された貴族の誰かに任せてはどうかという意見が彼女から上がり、それによって事態はヘルフリートに取って不利になっていく。
まず第一に、貴族達はそれでエレオノーラに野心はなしと判断してしまうものが多かった。加えてエトランゼ保護に関しても、元々放置されて管理しきれていなかった南側の領地を経営し、更なる国力の増強に繋がるのならばその程度の勝手は黙認してもいいだろうという流れになっていった。
そもそもにして彼等とて、突然のヘルフリートの政策に混乱しているのだ。むしろここでエレオノーラに媚びを売っておいた方が、後々エトランゼの技術を流入させやすくなるかも知れないという下心も芽生えていた。
無理に戦争を仕掛けるよりは、なあなあで終わらせてしまって双方の利益を得たい。その場の大半がそう思い始めていた。
一度深呼吸して、ヘルフリートは改めて頭の中を整える。
そして、最早愚劣とも呼べるその手段を切ることを決意した。
「いいだろう。フィノイ河の先にある領地を、こちらで派遣した貴族が治めることを認める。だが、イシュトナル自治区の管理に関しては俺はまだ認めはせぬぞ!」
「な、兄上……!」
ざわめきが広がっていく。
そう、ここはヘルフリートの国だ。兄を排し、関心もない面倒な教義を飲み、ようやく手に入れたものだ。
例え貴族達が納得しようとしまいと、そんなことは関係ない。ただ一人、王であるヘルフリートが否と言えばそれは認められることはない。
「で、ですがヘルフリート殿下……」
「そろそろこの辺りはお話しを纏めておいた方がいいのでは?」
「そうでしょう。今日までの話し合いで、エレオノーラ様にも国を害する意思がないことはよくお判りでしょう?」
「ええい、黙れ黙れ! 貴様等のように椅子に座って勘定ばかりが達者になった愚か者に、俺の心が判るものか!」
振り上げた両腕を、目の前のテーブルに叩きつけて、貴族達を黙らせる。
その行動に対して五大貴族を除く誰もが息を呑み、事の成り行き、ヘルフリートの次の言葉を待つことになった。
「エイスナハルの教義だ。この国に最も広がる教えにより、エトランゼは人でないことが定められている。然るに! 貴様とて半非人だ、エレオノーラ!」
「なっ、その言い分は……!」
彼女の最大の欠点。
それはその身体に流れる、異界の血。
例えギフトを持たずとも、王族の血を持っていたとしても、それは覆すことのできない枷となる。
「人で無きものに栄光あるオルタリアの地は任せてはおけぬ! むしろ侵略者と同意! 俺はオルタリアの国王として、貴様達を征伐する義務があるのだー!」
身を乗り出し、全身全霊を込めてその言葉を放つ。
静まり返った場内で、そのあらん限りの悪意を受けて、正気で居られるはずがない。
事実、エレオノーラの身体は小さく震えている。
だが、泣きだしたところでどうなる場でもない。ここは水面下の野心が渦巻く一つの戦場なのだ。
戦で泣いて許してもらえる者がいないのと同様に、ここで泣き落としなどは通用しない。
勝った。
勝利の恍惚を今まさに得ようとするヘルフリートだが、最後に静寂に包まれたその場を見渡し、ある一点が目に留まる。
エレオノーラの横に立つ一人の男。
今日は一切の発言をしていない、そのエトランゼの男の表情は何一つ変わっていなかった。
来たときと同じ表情で、こちらを見上げている。
最後の足掻きか、それとも主を罵倒されたことに対する反抗か。
理由は判らないが、それがどうしようもなく不快だった。
「発言を許す。小賢しいエトランゼ、俺に言いたいことがあれば言ってみろ」
「言いたいことはありますが、今は黙っておきましょう」
「ほう? 許すと言っているのだぞ? 別にもう俺を言い負かす必要もない。既にお前の主は何かを喋る気力もないようだからな。罵倒したければするがよい」
「……厳密には、言う必要がない。といったところでしょう」
「なんだと?」
ヘルフリートの疑問には、すぐに答えが出たい。
先程まで俯いていたエレオノーラは、顔を上げて、ヘルフリートを睨みつけている。全身を打ち付けた悪意に負けぬように、その身を奮わせて。
「兄上は、この国を神の国にでもするつもりでしょうか?」
「人の上に座すのが神だ。その教えを護ることに何の問題がある?」
その教えをくれた連中は、代わりにヘルフリートを王座へと押し上げた。
その代わりに、彼等の教義を徹底する。エトランゼを排除する。
その共犯関係こそが、今のヘルフリートを形作る。やがて壊れるものだとしても。
「それは何も救わないではありませんか。迫害されたエトランゼは心に傷を負い、それはやがてオルタリアの国民に還る。妾は傷つき、疲れ果てた先に、オルタリアを滅ぼしその上にエトランゼの国を創ろうとした男を見ました」
「ならば根絶すればいい」
「できるはずがないでしょう。彼等はやってくるのです、何処からかこの地に、寄るべきものもなく、たった一人で!」
エトランゼの国。
その響きが、収まりかけた貴族達を更に揺さぶる。
誰もが想像しながら口にしなかった最悪の未来。相互理解を拒み、迫害を続けた先にある破滅。
「いい加減に目を覚ましてください、兄上! 貴方が背負っているのはオルタリアという国なのです、決して個人の感情で好き勝手していいものではありません! 妾が憎いのならばその理由を仰ってください、そしてお互いに衝突せぬようにしていこうではありませんか!」
「貴様……!」
言えるはずがない。
そんなことを口にできるはずがないのだ。ヘルフリートという男のプライドに掛けて。
無理矢理に王位を奪い取ったその男が恐れるもの。
それは簒奪。それも力や権力ではない、純粋さによって冒され奪われてしまう王の座であろうなど。
「いい加減にせよ、エレオノーラ! もうよい、この愚妹を捕らえてしまえ! そのつまらぬ夢から醒めさせてやる!」
「それはやめた方がいいでしょう、ヘルフリート殿下」
それを制した声は、先程の男。
ヨハンを、かつてこの国に使えた大魔導師と同じ名を名乗る、エトランゼ。
「横暴が過ぎたようです。もうこの場で誰も、貴方の言葉に従うことはないでしょう。もしそれをすれば、次に理不尽な言葉を受けて排されるのは自分となる」
「き、さま……! エトランゼ如きが生意気な口を叩くな!」
「エトランゼですが、エレオノーラ様の家臣です。その危機となれば動くのは道理。もし兵を呼ぶのであれば、俺は全力でこの場を切り抜けるために力を振るいましょう」
「ま、待て!」
悲鳴のような声が上がったのは、横の席からだった。
モーリッツが慌てて立ち上がり、ヨハンの言葉を制するように右手を前に差し出したまま固まっている。
「ヘルフリート殿下! お言葉ですが、いい加減にこの者達に非はないとお認めください! 別にこれまでずっと放置されていた南方の統治権如き、くれてやればいいではないですか!」
必死になってヘルフリートを説得に掛かるモーリッツに、その場の雰囲気もこのまま会議を終わらせようとする流れへと変わっていく。
「……ヨハン殿」
ほっとしたように、エレオノーラがヨハンのローブを袖を握る。
それを見たヘルフリートは全てを察した。
あの惰弱な妹が、この場で分不相応にも自分に対して強く言葉を発した理由。
一喝すれば混乱してしまうであろう予想を超えて、渡り合ってきた原因。
「貴様か……。貴様か! 貴様がエレオノーラに余計な入れ知恵を、くだらぬ思想を植え付けたというのか!」
唾を飛ばし叫ぶヘルフリートの横で、「ほう」と声がする。
誰に聞かれることもなく、そのエーリヒの呟きは掻き消えた。
「入れ知恵、はその通りですが……。エレオノーラ様は元よりその志を持っていた。自分はそれを認めたからこそ、その下にいるに過ぎません。師である先代のヨハンからも、そう教えを受けました」
それが決定打となった。
国に使えた大魔導師。その弟子が協力しているとあっては、エレオノーラにある大義とてヘルフリートの持つ王権に決して劣るものではない。
例え事実が違おうと、そう思う者の数は決して少なくはない。
「貴様の顔、覚えたぞ! この俺を愚弄して楽に死ねると思うなよ、エトランゼ!」
最早この場で相応しくない、単なる憎しみだけをぶちまけるヘルフリート。
そんな彼の怒りに誰もが口を噤み、しばらくの時間が流れる。
いい加減エーリヒが閉廷を宣言しようとしたその瞬間、まるで見計らったかのように外から何者かが飛び込んでくる。
「何事だ? 今は何人たりとも白鷺の宮への立ち入りは禁じているはずだぞ」
エーリヒに厳かに注意されながらも、その軍服を着たオルタリアの兵士は跪き、自らの使命を果たすべく言葉を口にする。
「非常事態です! このオル・フェーズ、第八、第九住居区画にて正体不明の魔物が複数、暴れております! 詳細は未だ不明ですが一小隊で止められる規模ではないと……」
泡を食ったような声に反して、それに対する反応は様々だった。
自らの身の危険に怯えるもの、噂の御使いが現れたのではないかと警戒するもの。
すぐに兵を派遣するためにその場を去ろうとする者もいたが、ヘルフリートの冷たい声がその行動を押し留める。
「放っておけ。あの場所は税を払えぬトランゼ共が集まり、貧民街となっている場所だ。被害が外に広がれば、警備隊や駐留軍がどうとでも処理するだろう」
「兄上!」
「エレオノーラ。今は貴様の処遇の方が優先事項だ。くだらぬエトランゼ共が幾ら死のうが、オルタリアには関係ない。それに連中はギフトを持っているのだろう? それで勝手にどうとでもするだろうよ」
「……ヨハン殿! 妾達だけでも救援に行くぞ!」
ヘルフリートに向ける怒りを揉み消し、エレオノーラはヨハンの手を握って無理矢理に白鷺の宮から退出していく。
彼女の姿がそこから消え、残された者達の間には今後どうすればいいのかを、お互いに問いかけるような空気が流れた。
その中で一人、ヘルフリートだけが先程とは違う笑みを浮かべている。
しかし、王都の襲撃とさっきまでのやり取りによる混乱が冷めやらぬこの場内で、それに気が付く者は余りにも少なかった。
▽
カナタ達が突入した建物の地下一階。
石造りの地下室の中の一つは改造され、鉄格子によって封鎖された牢屋となっていた。
申し訳程度の寝藁だけがある狭い部屋の中で、両手を枷によって拘束されたカナタとアーデルハイトはお互いに身を寄せ合って外側にいる者達を睨みつけている。
「ふひっ! いい表情でござるよー。ほら、もっと近くに寄って寄って!」
「……騙してたんだね、ボク達のこと」
「ふふん。これも小生の頭脳プレイの賜物でござるよ。素直なところも可愛いけど、簡単に騙されちゃこの先生き残れないでござるよ」
内部に入り、アツキの案内で地下に突入したカナタは、隠れ潜んでいた位置からの襲撃と、背後のアツキが裏切ったことでいとも簡単に捕まってしまった。
それから少しして、アーデルハイトも同じように捕らえられ、こうして二人は牢屋に放り込まれた。
二人の両手に付けられた枷は、魔力を吸収するもののようで、アーデルハイトは魔法を使うことができない。
カナタもどうにかセレスティアルを出すことができないかともがいたが、どういう理屈なのかは判らないがギフトも阻害されているようだった。
「……まさか、本当に彼を心から信じているなんてね」
「そ、それは反省してるけど、今言うことないじゃん!」
「今じゃなければいつ言うのよ……。これからどうなるかも判らないのに」
「アーデルハイトさんだって、あれだけ格好つけたのにあっさり捕まってるし」
「相手が悪すぎたのよ」
「そ、そしたらボクだってそうだよ」
「……あれが?」
「そんな目で見ないで欲しいでござる! ついでに喧嘩もしないで欲しいでござるよ」
二人がそんなやり取りを続けていると、階段の上から足音が響き、例のモヒカンの男が現れた。
「アツキィ! おめえやるじゃねえか! 流石俺達超銀河伝説紅蓮無敵団の参謀役だな!」
「ふひっ! お褒めに預かり光栄でござる」
「よぉ、チビちゃん達! 俺の名は超銀河伝説紅蓮無敵団の団長、グレンだ! よろしくな! まずはお近づきの証として、兄妹の盃を交わそうじゃねえか!」
「いや、交わさないよ。兄妹じゃないし!」
モヒカン男、グレンは何処からか盃を取りだしてそれに酒をなみなみと注ぐ。余程強いもののようで、アルコールの香りにカナタとアーデルハイトは顔を顰めた。
「あん? なんだ、アツキ……。おめぇ、こいつらを仲間にする手筈じゃなかったのか?」
「手筈も何も、まだ説得もしていないでござるよ。女性を口説くには時間が掛かるでござる」
「そうかそうか! 参謀であるお前が言うなら間違いねえだろうな! だが、俺は気が短けえんだ。俺がとっときの口説き文句ってやつを見せてやるよ」
鉄格子に思いっきり顔を近づけ、グレンは全力でキメ顔を作る。
それでもモヒカンヘッドと、両頬に星の形をしたペイントが入っている所為で、全く格好良くは見えなかったが。
「俺の、もんに、なれよ」
カナタとアーデルハイトは顔を見合わせる。
別に余りの格好良さに黄色い声を上げるためではない。無意識に、お互いにどちらが突っ込みを入れるか譲り合っていた。
「絶対、いや、よ」
答えたのはアーデルハイト。
「ぐああぁぁぁぁぁぁぁ! 振られたぜぇ! これで俺が生涯に振られたのは百八十四回目だぁ!」
石床を転がりまわるグレン。
「小生は告白する勇気もないままこの世界に来てしまったでござるううぅぅぅ! それに比べればリーダーは立派でござるよ!」
「畜生! 俺が、俺が、俺の魅力で、悪の心に染まったガキを救ってやろうってのによぉ! 現実ってのはどうして正義に厳しいんだ! 正しき道を進む者に苦難が降りかかるのはどうしてなんだぁ!」
「それでも戦うのが人生でござる! その行いこそが正義なのでござるよぉ! 正義とは険しくも厳しい、しかしその果てにある光を求める誇り高き道程! 小生、今格好いいこと言ったでござるねぇ! 少女達、お兄さんに惚れてもイイでござるよ!」
取り敢えずアツキは無視する。それよりも気になる言葉が、グレンの口から出ていた。
「ちょっと待って! 悪の心ってなに? 悪いのは泥棒した貴方達でしょ!」
「なに言ってやがる! あんなもんを取り戻して、また悪事の片棒を担ぐつもりだろうが! そんなことは例えお天道様が許しても、このグレンが許さねぇってことよ! このモヒカンに賭けてな!」
「いや、モヒカンはどうでもいいよ!」
「なにぃ! モヒカン大事だろ、モヒカン! これは俺のソウルでありハート! つまり俺こそがモヒカンってことだ! 何ならお前も同じ髪型にしてソウルメイトにしてやろうか?」
「絶対、やだ!」
「ちょっと黙ってて」
「いたぁ!」
手の使えないアーデルハイトの頭突きによる突っ込みを受けて、カナタは背中から床に倒れる。
「あんなもんっていうのはいったい何? 貴方が盗み出した研究資料に、いったい何が書いてあったの?」
「あぁん? そりゃあれだよ、あれ。ああもう、口に出すのも恐ろしい! ガクガクブルブル!」
「真面目に答えて」
「アーデルハイトちゃん。そこで凄んでも可愛いだけでござるよ」
どうやら二人とも話すつもりがないというか、話が通じないというか。
アーデルハイトは取り敢えず研究資料のことは置いておくことにしたらしく、話を転換させた。
「貴方達は何者なの? 賊というわけではなさそうだけど」
「賊は賊でも義賊ってやつよ。弱い者の味方。オル・フェーズの治安を陰から護る立役者」
「聞いたことないわ。まさか本職のアサシンを雇っているとは思わなかったけど」
「あぁ、ゼクスの奴か。あいつも色々あって行き倒れてたところを保護してやったんだよ。俺達超銀河伝説紅蓮無敵団は困ってる奴は放っておかねえからよ」
「今現在わたし達は困っているのだけど?」
「ううむ、確かに! よし、女子供を虐めるのは俺の趣味じゃねえ! 助けてやると……」
「黙れさてはいけないでござる! それは罠でござるよ! 小生が拘束された少女を眺める時間を短くしてはいけないでござる!」
「おぉっと、騙されるところだった! 子供ながら恐ろしい話術、そして知恵だぜ……」
頭痛がしてきたのか、アーデルハイトはカナタの後ろに引っ込んだ。選手交代ということだろう。
「取り敢えず、ボク達研究資料の内容のことは何も知らないんだけど。もしそれが危ないものなら、盗むんじゃなくてちゃんとした手続きをして告発した方がいいんじゃないの?」
「あぁん? アツキ、どういう意味だ?」
「リーダーは今日も格好いいって意味でござるよ」
「見る目あるじゃねえか!」
上機嫌になるグレン。
「ちょっと! そこの人馬鹿なの? いや、絶対馬鹿だよ!」
「俺をあんま怒らせんなよ? 子供だからって容赦しねえぞ。なぁ、アツキ!」
「そうでござる! 全身くすぐり一時間! ……は可哀想だから五分間の刑でござるよ」
「うわっ、地味に凄く嫌!」
アツキにされるとするなら嫌悪感も倍増である。
「ちなみに小生は興奮してるでござる」
「最低だよこの人! 元の世界なら捕まってるよ!」
「大丈夫大丈夫。小生少女にはあくまでも紳士に接すると決めているでござるから」
「いや、嘘ついて後ろから攻撃するのは全然紳士じゃないでしょ」
「それは言わない約束でござろう」
そんな埒のあかない会話にお互いが疲れ始めていると、外から妙な音と、それから建物全体を揺るがすような振動がその場に響いてきた。
「な、なんだぁ!?」
「敵襲でござる! 殿中でござる!」
「敵だとぉ! 上等だ、ぶっ殺してやるぜぇ!」
何処の誰とも説明を聞かず、状況の把握もろくにせず。
グレンは階段を駆け上がっていってしまった。
「ふぅ。悪い人ではないでござるが、ちょっと頭が悪いのが玉に瑕でござるな」
「……ちょっと?」
「それはさておき」
アーデルハイトの疑問は無視して、アツキの会話を仕切りなおす。
ずっと足元に置いてあった道具袋を拾い上げて、その中に入っている干し肉の数を数えているようだった。
「小生も様子を見て来るでござる。なぁに、心配いらない、ちょっと見たらすぐに戻ってくるさ。大したことない簡単な任務でござる。そして小生、その役目が終わったら田舎に引っ込んで親孝行でもするでござる」
「……どうしてその、なんて言うか……、言った人が戻ってこないような台詞をわざわざ言うかなぁ」
そのやり取りに含まれた意味が判らず、アーデルハイトは首を傾げている。
「では、小生これにて!」
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