第六節 知り合い以上友達未満
「ボクは君の友達になったつもりなんかないんだけど?」
「ふひっ、その冷たい目もイイ……。じゃなくて、そんなこと言わないで欲しいでござるよぉ」
喧騒の中、ジト目でカナタに睨まれながら(それすらも彼にとっては快感だが)、二人はオル・フェーズの人混みの中を歩いていた。
あの後、カナタはヨハンの部屋で道具を回収し、それらを肩掛けの鞄に詰め込んでから、愛用の剣を腰に差してアツキの前に出ていった。
色々と話を聞きたいところではあるが、屋敷の前で彼と話しているところをヨハンやエレオノーラに見られたくないこともあって、早急に外に出てきたのである。
今は商店が数多く並び、客引きや値切りの相談で騒めく通りを二人で歩きながら、本来ならば捕まっているアツキを尋問している。
「警備隊に捕まったよね?」
「お金を払って釈放してもらったでござる。困ったときは現金、これ常識。ちょちょちょおぉっと! その光の剣はやめるでござる! 人混みでござるよ!」
「真っ黒じゃん!」
「小生など末端に過ぎぬでござるよ。そんな男を捕まえておくより、こうして泳がせておいた方が得策と判断されたでござる!」
「……いいのかなぁ」
人のものを盗んでそれが一日で釈放されるなど、カナタの常識からすれば想像もできないことだ。
「で、それでなんでボクのところに来たの? っていうか、なんでボクが暮らしてる場所判ったの? 正直ちょっと気持ち悪い」
「ふひぃ! ストライクぅ!」
悶絶するアツキ。
「悦んでいる場合ではないでござるな。その質問は愚問でしょうな。小さな英雄、カナタ殿?」
「……うぇ。その名前ってそんなに知られてるの?」
「いえいえ、知名度的にはちょっと売れてきたネット配信者ってところでござるよ。そこはほら、拙者、可愛い女の子には目がないもので」
何とも判りにくい例えだ。
「……まぁいいけど。それで、ボクに何の用なの?」
「いやぁ、実はこうして呼び出して二人でデートしたかったでござるよ」
「帰る」
くるりと反転。カナタは屋敷へと歩き出す。
「冗談でござる! 冗談でござる! 大事なことなので二回言いましたぁ! 本当はカナタちゃんに小生達のアジトを教えてあげようと思ったでござるござる!」
「それをして何の意味があるの?」
「……話せば長くなるでござるが」
急に、アツキを重々しい空気が包む。
まるで周囲の喧騒が遠く消えたかのように感じられた。
何から話すべきかと悩んでいるのだろう。しかし、やがてアツキは意を決したように、息を吸ってから口を開いた。
「就職斡旋をお願いしたい」
「……は?」
「いやぁ、オル・フェーズはエトランゼに厳しいでござるからなぁ。だから小生もできた仕事があのような子悪党の手伝いばかり! ここいらで一つ正社員、という奴になって周りと差を付けたいでござるよ!」
重い理由があるのかと思いきや、いや全く、我欲というかなんというべきか。
「小さな英雄カナタちゃんならばエレオノーラ姫の組織の中心部にコネを持っているでござろう? だからここはちょこっと手だけだして、いい感じに話を進めてもらおうかな~なーんて!」
非常にどうでもいいことだし、これを口に出すのはカナタの性格的にありえないことではあるのだが。
そもそも自分が色々と小さいことを気にしているカナタに、小さな英雄という名前は些か相性が悪い。名は体を表せるのだから相性はいいはずなのだが、相性が悪い。
とはいえそれは敬称だし、悪気があって呼んでいるわけではないので何とか許せる。しかし、このアツキだけは許せない。むしろ身の危険すら感じる。どうにも『小さな』の部分が妙に強調されているように聞こえるのは、果たしてカナタの気の所為かどうか。
「ボクにそんな権利はないよ」
「またまたぁ。英雄なんでござろう? 毎晩毎晩酒池肉林なんでござろう?」
「そのしゅち……なんとかが何かは判らないけど、違うよ。むしろ別に仕事してないから給料もらってないし」
カナタのその後については、エレオノーラやヨハンの友人ではあるものの、組織的にはイシュトナル自治区とは何の関係もない。せいぜい、周辺で活動している冒険者といったところだ。
勿論これはカナタがその行動を制限されないように、英雄という肩書だけを頼られないためにとのヨハンの気遣いなのだが、ちょっとした疎外感を覚えているのは秘密だ。
「そーんなー! 小生ショックでござる!」
これで道案内も終わりかとカナタが考えていると、商店街を抜けて広場が見えてきた。
小さな階段を昇り、小高くなったそこには旅芸人や紙芝居、他にも即席のステージが作られてそこで歌劇のようなものをやっている。
人の入りはまぁまぁといったところのようだが、当人たちは一生懸命にそれぞれのパフォーマンスに精を出していた。
特に子供達に人気があるのが紙芝居で、十人程度の観客が集まるなか、周囲の喧騒に負けない声で内容を読み上げる主人と、それを聞く子供達の手には水飴が握られている。
子供の頃に何度か食べただけだが、あの砂糖の塊のような甘みは、日本ほどに甘味に恵まれていないこの世界では、カナタにとっては貴重品に思えた。
どうにかアツキを誤魔化してもらえないものかと思案していると、地面に座り込んで紙芝居を見ている子供達の背後に、見知った人影を発見した。
アーデルハイト。昨日知り合った少女は、ぼうっと立ったまま紙芝居を眺めている。別に料金制ではないのか主人もそれを咎めることはない。
何よりカナタが気になったのは、彼女の手に握られ、時折口に運ばれている水飴だったのだが。
「おほ、いたでござる!」
アツキが声を上げる。
それに気がついたアーデルハイトがこちらに顔を向けて、タイミング悪くそれは水飴を口に咥えている真っ最中だった。
アツキ……からは視線を逸らしてカナタと見つめ合うこと数秒。
アーデルハイトは水飴から口を放して、すたすたとこちらに歩み寄ってくる。
「遅いわ」
「ふひひっ、すまないでござる!」
「アーデルハイトさん! どうしてここにいるの? 学校は?」
「……そこの変態に呼び出されたのよ。ご丁寧に寮の部屋に手紙を送りつけられてね。無視しようとも思ったのだけど」
袖が余るほどの大きさの、白地に所々赤い齲蝕が施された、フードの付いたローブを纏ったアーデルハイトは眼つきを鋭くする。
「どうせなら直接会って消し炭にしておいた方が面倒がないと思って」
「そのゴミを見るような目は魅力的でござるが、消し炭は勘弁でござるなぁ」
「まぁまぁ。つまり、アーデルハイトさんも研究資料を取り戻すために来てくれたってことでいいんだよね?」
「厳密には少し違うわ。わたしの目的はカナタ、貴方を護ることよ」
「お、これは百合の花が咲く予感でござる」
「……なんで?」
「エーリヒ・ヴィルヘルム・モーガン卿に頼まれたのよ。貴方を案内するついでにってことでね。あの人にはお世話になっているから、断れないの」
どうでもいいが「学校は?」の質問は完全にスルーされている。
「なんか大変だねぇ」
「そうでもないわ。それじゃ、帰りましょう」
「え?」
「貴方の安全を護るなら、危険なことには近付かせないのが一番よ。特に、見るからに危険そうな男には」
「水飴を握ったまま凄まれても、小生嬉しいだけでござるよ」
指摘されて、ぷいと顔を逸らしてから、アーデルハイトは一度咳払いをする。
「とにかくそういうこと。それじゃあ、カナタは連れていくから」
「ちょ、ちょっと待ってよ! だってボクは研究資料を取り戻さないと! 後、水飴垂れてる」
「別にブルーノ教授は貴方に頼んではいないわ」
冷静にそう返して、水飴を舐める。
「そうだけど……。でも、警備隊が見つけるまで時間かかるでしょう?」
「それはもう。小生達のアジトは普通にしていては見つからないところにありますからな」
えへんと胸を張るアツキ。
「関係のないことに首を突っ込んでも、余計な面倒を招くだけよ。こういうとき、子供は大人しくしているのが一番なの」
「そんなのやだ! なんかもやもやするじゃん」
「……本当、子供ね」
「水飴舐めてる人に言われたくないよ」
取り敢えず、先程自分も内心で欲しがっていたことは何処か遠くへ蹴飛ばしておく。
「ぐっ……。それはまぁ、わたしも子供だけど、貴方よりは分別があるわ」
「へぇ……。昨日の教授との話を聞いてる限りだと、ボクにはそうは思えないけど」
「あの程度の情報で知ったような口を利かないで。貴方こそ、一応は英雄と呼ばれている身なのだから、少しは頭を使って行動したらどうなの?」
「ふーん、別に呼ばれたくて呼ばれてるわけじゃないし。こうなったら最後の手段を使うよ」
「……何よ?」
ジトっと、若干上目使いに見上げるアーデルハイト。
それに対してカナタは答えず、代わりにアツキの方へと振り返った。
「アジト、案内してよ」
「うーんどうしよっかなぁ? 小生、魚心あれば水心とも言いますしぃ、今のカナタちゃんに頼まれごとしてもぉ、別に何の得もないしぃ? 例えばぁ、小生にちょっとサービスしてくれるとかあればぁ、喜んで教えてあげるんでござるがねぇ?」
最高に鬱陶しい喋り方だった。
「……一応、ボクの師匠がイシュトナルでもそれなりに偉い人だから、アツキさんのこと紹介してあげる」
「ほう! ほうほう! 最初からそれを言ってくれればよかったでござるよ! で、その師匠というのは女の人でござるか? イメージ的には眼鏡を掛けて白衣を着た、知的なクールビューティだと予想するのでござるが!」
「うん! じゃあそれで!」
恐らく、これはカナタの生涯の中で最も清々しい嘘だ。アツキはそれを微塵も疑いもせずに、「うひょー! ようやく小生もハイヒールで踏まれる体験が……」などと言っている。聞こえない振りをした。
「……なんのつもり?」
「だってボクが勝手に行ったらついてこないわけにはいかないでしょ?」
してやったり。カナタ渾身の策が決まってのドヤ顔を披露する。
水飴を舐め終えて、腕を組んでこちらを睨むアーデルハイトは、眉間に皺が寄っている。
「それにほら、研究資料を取り戻せば色々と口うるさく言われなくなるかも知れないじゃん」
「その可能性は低いわね。ブルーノ教授は頼りないけど、教員としては真面目だから」
「取り敢えず行ってみようよ。危なそうだったら昨日みたいに箒で逃げて、観光に切り替えるから」
「……貴方の師匠とやらは、随分と苦労してそうね」
呆れながらも、アーデルハイトはそれ以上文句を言うつもりもないようだった。カナタの言った通り、危険があればすぐに下がらさせればいいと判断したのだろう。
そして二人は、まだ妄想の中のクールビューティに対して悶絶して何故か跪いているアツキへと顔を向ける。
「じゃあアツキさん、案内してよ」
「その前に一つ、いいでござるか?」
また真剣な表情になる。四つん這いのまま。
「最後の条件として、アーデルハイトちゃんに、さっさと歩けこの豚と言って、蔑んだ目で見てから蹴ってもらいたいでござる」
「やっぱり帰りましょう」
「えー、やってあげようよ。大丈夫、そのぐらいなら人生の小さな汚点にもならないし」
「目の前に汚点そのものの人生が転がっているのだけど……」
呆れるアーデルハイト。ちなみにもう既に蔑んだ目のミッションはコンプリート済みである。
仕方なしと、一度息を吸い込む。
期待に満ちるアツキに対して、アーデルハイトは袖に隠れていた右手を伸ばすと、そこに握られていた掌サイズの木の枝のようなものを投げつけた。
真っ直ぐに投擲された枝は、見事にアツキの尻に突き刺さり、魔力に寄って火花を散らす。
「さっさと歩け、この豚」
「いや、蹴りじゃなくて燃やすのは小生と言えど流石に無理無……あひぃん! 新しい快感!」
苦痛と恍惚の間にある表情を浮かべ、尻についた火で飛び上がったアツキは、そのまま彼の案内するアジトへと向かってひいひいと歩き出す。
「ボクもなんか甘いもの食べようかな?」
「……緊張感の欠片もないのね」
その後、二人はそんな会話をしながら付いていくのだった。
▽
アツキに案内さされてオル・フェーズの街の中を進んでいくと、次第に人通りが少なくなってくる地域に差し掛かった。
その場所が何処であるかカナタには判らないが、アーデルハイトにはどうやら理解できたようで、微妙に顔を顰めている。
「……ここ、エトランゼ街よね?」
幾つかの路地を曲がった先にあるそこは、それまでの背の高い建物は見えず、木製の長屋のような共用家屋が並び、地面に座り込む者、倒れ込んでいる者、そしてそれらとは対照的に子供同士で楽しく遊んでいる姿もあった。
「エトランゼ街?」
「名前の通りね。税金を支払えない、けど理由があって外に出ていくこともできないエトランゼ達はここで暮らしているわ。それも違法なのだけど、人情によって見逃されているような形で」
悪臭というほどではないが、家の方からは異臭も漂って来て、アーデルハイトは眉を顰めている。
「隠れるにはここが一番でござる。かくいう小生も仕事を失ってエトランゼ街に放り込まれたところをリーダーによって救われたでござるからね」
「それを裏切るのってどうなの?」
「ふひひっ!」
隣を歩くアーデルハイトに、カナタは一つ気になったことを尋ねることにした。
「アーデルハイトさんは、やっぱりエトランゼのことあんまり好きじゃない?」
「そんなことはないわ。むしろエトランゼ全般にはどちらかと言えば好意を持っているもの。彼等の持っている技術や知識は、きっとこの国の生活を変えられる……ただ、やっぱりこういう場所はちょっと、ね」
「あー……」
少しばかり申し訳なさそうに、アーデルハイトはそう答えた。
その気持ちはカナタにも判る。治安が悪いわけではないだろうが、無気力な人々が横たわるこの街の空気は決してよくはない。
じろじろと、カナタとアーデルハイトを人々の視線が捉える。
それは小奇麗な格好をした二人を羨むようであり、なにしにこんなところに来たと敵意を向けるようであり、何よりも救いを求めていた。
もし、ここにいる全員から助けを求められたらカナタはどうするだろうか?
エレオノーラならば、全員を救うことができるのだろうか。
そんな栓無きことを考えていると、急にアツキが立ち止る。
目の前にあったのは、木製の建物の中で一際目立つ、石造りの二階建ての建造物だった。二階の窓から一瞬誰かがこちらを見たが、すぐに興味を失ったのかすぐに窓際から離れていく。
「ここでござる」
「なんなの、ここは?」
「小生達の事務所でござる。殆ど国の手が入らないエトランゼ街の厄介事を引き受け、金を得ているでござるよ。例えば、エトランゼ同士の揉め事とか、金の貸し借りとかね」
要は非合法な警察といったところだろうか。カナタはそう納得することにした。
「では征くでござる! 突撃でござる! 敵は本能寺にありでござる!」
「おー! って……流石に正面からはやだよ!」
「ふひっ。流石に冗談でござるよ。小生がカナタちゃんも仲間になったと騙して奥に連れていくから、その間に研究資料を取り戻せばいいでござろう」
「ん、うーん……。それならまぁ」
「そもそもわたしは貴方を信用していないのだけど?」
「えー、じゃあどうするの?」
「別に二人で行く必要もないでしょう? わたしは外で待機して、何かあったら合図を貰えれば貴方を助けに行くわ」
「んー……。でも、一人で大丈夫?」
「問題ないわ。今日は昨日と違って色々と武装を用意して来ているもの。こう見えても、一人で一魔法大隊程度の火力なら賄えるのよ?」
誇らしげに語り、両腕の広がった袖からは片方から投擲用と思しき短槍、もう片方からは先程アツキの尻に突き刺した枝が何本も出てきてアーデルハイトの手に握られる。
「そのローブの袖とか懐とかにアイテムを入れるのって流行りなの?」
その姿になんとなく、ヨハンを思い出してカナタはそう尋ねた。
「……そんなことはないと思うけど。そもそもこれ自体が特注品のようなものだし」
厳密にはヨハンは魔法使いではないし、偶然なのだろうか。
そういえば、何となくではあるが話しているリズムというか、雰囲気もどことなくヨハンを思い出す。だからこそ多少の無茶な我が儘を言ってしまうのだ。
それ以上何かを言及することもなく、似たような人もいるものだぁとか、可愛らしい見た目なのにヨハンのような性格になったら残念だなぁとか、そんなどうでもいいことを考えていた。
「でも、どうしてボクを連れて帰ろうとしたのに武器を持って来たの?」
「……それは黙秘するわ」
「ふひひっ、なんだかんだで無茶を言いだしたら手伝うつもりだってござるか? いやぁ、ツンデレですなぁ。よきかなよきかな。あひぃ!」
再度炎を纏った枝が投げつけられた。
「で、ではでは今度こそ征くでござるよ!」
その前にと、カナタは肩から掛けていたカバンの中身をごそごそと漁り、二つ何かを取り出した。
一つ目は瓶に入った薬品。
「これ、なんか魔法力を回復させる薬らしいんだけど……。副作用で戦いが終わると体調が悪くなるって」
「絶妙に使い辛いものを渡されても」
「いいから、一応持っておいてよ。もし怪我したらこっちもあるよ」
今度は薄紅色の液体が入った小瓶だった。液体というには若干、粘度があるようにも見える。
「エリクシール(未完成品)って書いてある。どんな怪我でもたちどころに治す……多分、だって」
「むしろ未完成品とはいえエリクシールを持っていることが驚きなのだけど。……未だに学院の研究室でも手が届かない代物よ、それ」
「それからそれから。いざとなったらこれで音を出すからね」
掌ぐらいの大きさの球体は栓を抜いて投げつけると、炸裂することで魔法効果を辺りに撒き散らす。カナタが持っているものは少しばかり他と違って、魔法の代わりにドラゴンの咆哮を響かせるものだった。
「いや、ドラゴンの咆哮って……。そんなもの街中で破壊したら大参事よ」
ドラゴンの咆哮は音にも関わらず圧を持ち、触れる者の身体と精神を破壊する。
「子供の奴だから大丈夫みたいだよ。大きな音が出るだけっぽいね」
「なんで何から何まで微妙に使い辛そうな物ばっかり持ってるのよ」
「さぁ……。ボクも貰ったものだから何とも……」
「あはは」と笑って、改めてカナタはアツキに向き直った。
「さあ、準備は万端。行こう!」
「あの。もしそのドラゴンの咆哮を至近距離で炸裂させられたら小生の鼓膜はどうなるでござる?」
「大丈夫大丈夫! 使う前には一言いうから!」
何とも頼りない、信憑性のない言葉を受けて一応は安心したのか、カナタとアツキはその建物の中へと入っていく。
完全に扉が閉まってから、残されたアーデルハイトはカナタに渡された二つの小瓶を見比べた。
絶妙なまでに使い辛い、何処かセンスのずれた道具の数々。
道具を収納できるように改造された手作りのローブ。
それらの符号は、カナタに取ってそうであったようにアーデルハイトにも一人の人物を思い起こさせていた。
子供の頃に過ごした、心地よいある日々を。
しかし、今のアーデルハイトはもう違う。あの時の自分ではない。
裏切られて、見捨てられた。だからもしその人物が目の前に現れたら、どうするかも判らない。
或いはそのために磨いてきた力を使って、殺してしまうかも知れない。
ぐっと短槍を握る手に力が入っていたことに気がついて、アーデルハイトは微笑を浮かべながら力を抜いた。
「そんなわけはない」
何度も想像して首を横に振ったそれは、今日も同じだ。
何よりももう、その二人が出会うことはないだろう。
道を違えたのだから。少なくとも彼は、アーデルハイトと共に進む道を選ばなかったのだから。
ふと、思考の深みからアーデルハイトは意識を戻す。
気が付けばカナタに中に入って随分と時間が経っていた。
ばれるなり、成功するなり、諦めるにしても、そろそろ何らかの反応があってもおかしくはないはずだ。
せめて入り口の中だけならば様子を確認しても問題ないだろうと、アーデルハイトはその扉に手を掛ける。
その首筋に冷たいものが押しあてられたのは、それと全く同じタイミングだった。
「よっ。昨日ぶりだね、お嬢さん」
昨日、屋根の上からアーデルハイト達を狙った男がそこにいた。一切の気配もなく、何処から現れたのか足音を一つ聞こえず。
「爆弾、びっくりしたろ? これで二度目のびっくりだ」
「貴方、何者?」
何もしていなかったわけではない。
アーデルハイトは、もし敵が襲撃して来ても大丈夫なように、魔法による自動迎撃を展開していた。
殆ど目に見えないような小さな宝石を浮かべて、アーデルハイトに敵意があればそれが自動攻撃する仕組みだ。
男はそれを掻い潜った。ほんの僅かな死角を的確に縫って、アーデルハイトの背後を取っていた。
「今はあの変な人達の雇われさ。元々の職業はまぁ、アサシンってやつだな」
その響きに、アーデルハイトの背筋に寒いものが走った。
相手は本物だ。
本物の、殺しの達人。
「今頃中でも片が付いてるよ。俺の仕事はアンタをエスコートすること」
「どんなおもてなしを?」
「強がんなくていいぞ。声、震えてるの判るし。まぁ、敵地に侵入して間抜けにも捕まるってことは、ろくなことにはならないんじゃねーか?」
淡々と、男はそう告げた。
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