第四節 魔女っ娘
アカデミーの外側、オル・ファーゼの街並みは幾つもの背の高い建物が立ち並ぶ、まさに都会といった様相だった。
「屋根の上! 誰かいるよ!」
カナタが言うが早いか、箒がくるりと空中で一回転して、飛んできた飛翔物が先程まで二人の身体があった場所を通過する。
「あの距離から矢を命中させてくるなんて……」
箒の高度はだいたい三階建ての建物と同じぐらい。眼下には大勢の人でごったがえする通りを、迷惑にも爆走する一人の男。
「髪型が特殊だから判りやすいよね」
「そんなことは言ってる場合じゃ……っと」
「ぶつかるよ!」
「ぶつからない」
飛んできた矢を避けるために、建物すれすれまで接近する。一瞬覗いた窓の中では、昼食の支度をしている主婦が見えた。
「あの人……すご……! 屋上を飛び移りながらこっちを狙ってるよ!」
カナタの言葉通り、先程から矢を射ってくる人物は、背の高い建物の屋上を跳躍しながら、手に持ったボウガンをこちらに向けて精密な射撃を行っていた。
「うわぁ! あた、当たるって!」
「当たらないから、静かにしてて。『インターセプト・フレア』」
アーデルハイトが唱えると、彼女の横に二つ、球体が出現する。炎の塊のようなそれは、飛んできた矢に反応して自動的に火の粉をばら撒いて迎撃していた。
「凄い!」
「感心してないで、貴方もなにができないの? 遠距離攻撃とか?」
「あー、それ無理だね。ボクが一番苦手なことだし」
「本当に英雄なの?」
「そんなこと言われても……」
カナタとて、望んでなったわけではない。
「って、ちょっとあの人!」
遠距離攻撃では効果がないと判断したのか、屋根の上の男は一気にこちらに距離を詰めると、建物の上をまるで陸地でもあるかのように並走する。
「と、飛びついてくる気だよ! なんか魔法ないの!?」
「ないわ。あるけど、今は無理」
「じゃあどうすれば……あ、そうだ!」
男が飛びかかってくるのに対応して、セレスティアルの壁を展開。
突然のことに男は対応できなかったのか、驚愕に目を見開いてそれに勢いよく衝突した。
「うわ、痛そー」
「……光の壁……? それがセレスティアルね。ふぅん」
ぶつかったまま掴むところなどない男はそのまま落ちていく。
と、思いきや、建物の窓に腕を掛けて、そこからすぐさま態勢を立て直した。
「嘘!」
「どちらにしてももう追っては来れないわ。……それはなに?」
一瞬後ろを振り返ったアーデルハイトに問われて、カナタは革紐のようなもので自分の腕に巻きついていた物に視線を移す。
小さな、掌に収まるほどの大きさの球体に、どんな仕組みなのか、描かれた数字はカチカチと音を立てて次第に小さくなっていく。
「爆弾、かな?」
「す、捨てなさい、早く!」
「でも、これ、外れな……!」
「ああもう。手伝ってあげるから!」
箒の上で混乱する二人。勿論そんなことをすれば、箒を操縦しているアーデルハイトの集中力は乱れ、落下こそしないものの、ふらふらと不安定な軌道を描き始める。
「取れた!」
「早く捨てて!」
「何処に!? 下に捨てたら大変なことになるし、建物にも……!」
「自分の命の方が大切でしょう? それともここでわたしごと爆発するつもり?」
「そうじゃないけど……!」
そんなことを言いあっている間にも、四、三、二と時間は経過する。
「……上に!」
一。
「えいっ!」
ゼロ。
ぱぁんと何かが弾けるような音がした。カナタには聞き覚えのある、誕生日やクリスマスにならすクラッカーの音だ。
そしてその内容も多分に漏れず、破裂した爆弾から飛び出した色とりどりの紙紐や紙吹雪が地上に向けて降り注ぐ。
それが何かのお祭りと勘違いされたのか、地上では子供達がこちらを見上げて歓声を上げていた。
「なに、これ……むぐっ」
そしてその中に含まれていた紙が一枚、アーデルハイトの顔面に直撃する。
すぐさま手で取ってそれを見るアーデルハイトの肩が小さく震えている。
カナタも肩から顔を出してそれを覗き込むと、そこには『びっくりしただろ?』と書かれていた。しかもあかんべーをしているイラスト付きで。
「……ぶち殺す」
ぐっと箒が急停止し、男が落ちた辺りに逆戻りする。
「駄目だよ! 今は泥棒を追わないと! ……泥棒、を」
言われてお互いに気がついたが、眼下を見下ろしても、もう逃げている人影は何処にもない。
見事にあの男の策略通り、逃げ切られてしまった。
▽
オル・フェーズ王立魔法アカデミー。
アーデルハイトの紹介でようやく訪れたそこは、名前に恥じないほどに巨大で立派な施設だった。
城かと見紛うほどの大きな建物に、立派な時計塔を中心として、そこからは各方面に道が広がり、露店が並んでいる。
その終着点にある建造物もまた校舎であるらしく、カナタの横をおそろいの制服を着た生徒達が通り過ぎていっていた。
魔法実験用の広場もあるらしく、オルタリアがどれだけこの学院に、魔法技術に力を入れているか一目で理解できる。
「あー、疲れたー」
カナタは今、先程の魔法少女アーデルハイトと共に、通りに面したスペースに設けられた、休憩用のテーブルで向かい合わせに座っていた。
ぺたんとテーブルに頬を乗せ、正面に座る整った顔立ちの少女を見上げる。
既に時間は夕刻。あれから事件の説明を警備隊にしてから、改めてアカデミーの敷地内の見学に移った。
天井まで伸びる本棚にぎっしりと書籍が止まった図書室。
カナタには何に使うのか判らない器具が所狭しと並んだ実験室の数々。
大勢の生徒が、かつてカナタが元の世界でそうであったように、席に座って座学を受けている教室。
魔法使いの杖やアクセサリーが並ぶ購買や、生徒が自主的に制作した魔法道具を販売する露店など、様々な施設は幾ら見ていても飽きることはなく、後半はアーデルハイトが根を上げたことで、こうして休憩する運びとなっていた。
「でも楽しかったー。凄いんだねー、ボク達の世界の学校よりもずっと大きくて色々なものがある」
「エトランゼの世界の学校? へぇ、少し興味があるわね」
「でもこっちの方が全然面白いよ」
「それって貴方が勉強嫌いだからじゃないの? ここに入学しても、座学は一番とらなくてはいけない項目が多いわよ」
「うぇー……。ボク、身体動かす方が好きだからなぁ」
実験場という名の広場では、生徒達が紅白に分かれて模擬戦をやっていた。中にはアーデルハイトに声を掛ける者もあったが、彼女はやんわりと断っていた。
「でもよかったの?」
テーブルから顔を上げて、アーデルハイトの顔を正面に見る。
「なにが?」
「今日、授業とか全部出れなかったでしょ? 遅れたりしたら……」
「それは……」
何故か答えにくそうに口籠るアーデルハイト。
その意味が判らずに首を傾げていると、遠くから誰かがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「おーい、君達!」
息を切らせながらやって来たのは、つい先程、研究成果を盗まれて倒れ込んでいた中年の男性だった。きっちりとした正装に身を包んだその姿は立派なもので、恐らくはこの学院の教授職についているのだろう。
「やっと見つけた……。君は見ない顔だけど、見学者かい?」
「あ、はい。えっと、アーデルハイトさんに案内してもらっていて」
「アーデルハイト君に? ……まあいいか。とにかく、あの時はありがとう。資料は奪われてしまったけど、彼等の仲間の一人を捕らえることができたからね。きっと解決もすぐだろう」
「い、いえ……。むしろごめんなさい。ちゃんと取り返すことができなくて」
「いや、いいさ。盗まれた僕の警備にも問題があるし。何より大の大人が子供にそこまで期待するわけにはいかないからね」
紳士的な態度で、その教授はにこやかにそう言ってくれた。
カナタへ掛ける言葉はそれで終わりで、今度は少しばかり顔を歪ませてアーデルハイトの方を見る。彼女も彼女で、故意に目を合わせないようするためなのかそっぽを向いていた。
「アーデルハイト君。人助けも結構だが、ここのところ授業の出席率がよくないようだが?」
「個人研究に時間を割いていますので」
「それにしたって、個人ではどうしようもない部分もあるだろう。実験の規模や結果を考えれば、集団研究に切り替えた方がいいんじゃないか? 君の実力ならば何処の研究室でも引く手数多だろうに。そのためにも授業にちゃんと出席し、同じ志を持つ仲間をだね……」
「興味のあるテーマがありませんので」
「それはないだろう。よく考えて見てくれ。そうだ、よければ今度資料を纏めておくから、相談しようじゃないか」
カナタはその光景に見覚えがあった。
間違いなく、学生時代に見た問題児である生徒と熱心な先生の会話だ。
カナタ自身はそうではないが、友人に多少、そういった人物がいたので、そこに立ち合ったことは何度かある。
「必要なだけの単位は取得していますし、実技や筆記の結果も問題ありません。後は研究が終われば卒業。それだけの話でしょう?」
「いや、しかしね……。卒業、と言っても君のその後の進路もこちらとしては考えなければならないんだよ? だというのに……」
「ブルーノ教授。今日は人の案内をしているので、そう言った話題はまた後日にお願いします」
「後日って……。君はまたすぐに雲隠れしてしまうじゃ……うわぁ!」
びゅんと、二人の間に入るように、何処からともなく箒が飛んでくる。
アーデルハイトはそれに横向きに腰かけると、呆然と話を聞いていたカナタに手を差し伸べた。
「家まで送るわ」
「え、あ、ありがと……」
一瞬教授を見たが、彼もアーデルハイトの頑なな態度にもう言葉もないのか黙って見送るつもりだった。
アーデルハイトの後ろに座って、肩を落としたままのブルーノ教授を見下ろす。
「あの! 今日盗まれた資料って、やっぱり大事なものなんですか?」
「あ、ああ……。まぁ、大事だね。長年の研究の成果だから。でも君が気にすることではないよ。もう警備隊に探してくれるように依頼はしてあるし」
「……判りました」
そのやり取りを最後にして、箒は空高く舞い上がっていく。
大勢の生徒達が見上げる中を、アーデルハイトとカナタは夕焼けの空へと吸い込まれていった。
▽
「ちぃ! 忌々しい、実に忌々しいぞ、エレオノーラ!」
一面に濃い赤色の絨毯が引かれた部屋で、激しい打音が響く。
天蓋付きのベッドを初めとする、名だたる職人達に作らせた数々の家具に囲まれた部屋で、ヘルフリートは怒声を上げた。
振りかぶった拳が目の前のテーブルに叩きつけられ、その衝撃で入れたての紅茶が落ちて絨毯の色を濃く染める。
彼の傍で使える侍女は、その行動に怯えながらも床に落ちたカップを片付けて部屋を出ていく。
それと入れ違いに、外から低い男の声が響いてきた。
「ヘルフリート様。エーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガンです。入室してもよろしいか?」
「……入れ」
言い捨てるように告げると、扉が開いて、エーリヒは堂々と部屋に入って来た。
「エーリヒか。今の俺は機嫌がよくない。貴様と言えど、つまらぬ話をするようならば容赦なく首を刎ねるぞ」
最初の会議から丸一日が経過し、今日は二日目の貴族会議となる。
その場で再度エレオノーラを弾劾しようと目論んでいたヘルフリートだが、こともあろうにあの妹は堂々とこちらの言葉に対して反論し、ヘルフリートが言い負かされる場面すらあった。
「俺とて馬鹿ではない。今の状況がよくないことは判っている。エトランゼの排除による労働力の現象は、この王都でぬくぬくとしていた連中に一つの事実を突き付けた」
「……エトランゼが、我々の生活に根付いていた、ということですな?」
「ああそうだ。忌々しいことだがな」
再びテーブルに拳を叩きつけそうになって、慌ててそれを自制する。
ヘルフリートのエトランゼ排斥を受けて、王都も、周辺の都市も貴重な労働力を手放すことになった。
そのしわ寄せは民に、そしてそこを預かる貴族達へと寄せられていく。
今はまだ小さなものだが、もしそれを解決できないままに不満が膨れ上がれば、最悪反乱が起きる危険性すらありうる。
「事を急き過ぎましたな。元よりオルタリアは広大な土地に対して、管理できている地域の数は多くはありません。それが原因で、長年反乱が起き続けていたのはお忘れではないでしょう?」
広大で肥沃な平原を持つオルタリアは、長年の間外部からの侵攻に晒されてきた。それを跳ね除けてきたのは歴代の王であり、エイスナハルの守護でもある。
しかし、その度に被害は広がり、周辺に点在していた集落や街は一つに固まって都市となっていく。
結果として、地図上に空白部分が多く残る国となってしまっていた。現在エレオノーラ達がいる南部もそのうちの一つだった。
「そんなことは判っている! 俺が何度反乱討伐に出向いたと思っているのだ!」
「いやぁ、懐かしいものですな。思えばヘルフリート殿下の初陣にも、俺が供をしたものでした」
次男であるヘルフリートは王としての勉強よりも武術を好み、子供の頃から盗賊や反乱、魔物の討伐に精力的に取り組んできた。
「それからヨハンの爺様もですな。……どう見ます、あの若造は?」
エーリヒの視線が細まり、急に話が真剣身を帯びる。
「爺の名を騙るあれか。あれがエレオノーラに知恵を貸しているだろう。でなければあの愚妹が俺と渡り合うなど」
「では、相応の人物であると?」
「そんなわけがなかろう。多少知恵が回るだけのつまらん男だ。大方エレオノーラの権力を振り回し、甘い汁を啜ろうとの魂胆だろうが」
「確かに。ヘルフリート殿下に比べれば小さき人物でしょうな」
「そうだろうよ。捨て置け。いずれエレオノーラと共にその小細工諸共踏み潰せばいい」
「流石はヘルフリート殿下。王として、充分な風格ですな」
「世辞は要らぬ。エーリヒ。もしエレオノーラに仕掛けるとしたら先方は貴様の軍だぞ」
「ほう? それは武人としては嬉しい限りですが、他の五大貴族に申し訳が立ちませんな」
「……いいのだ。俺がそう決定した」
エーリヒが何かを言いかけたところで、部屋の扉が何者かによってノックされた。
ヘルフリートは時計を見てから、喜色を滲ませた声でそれに応える。
「もうこんな時間だったか。すまんな、エーリヒ。今から別の客人との対談がある。王たるものは多忙なのだ」
「元より突然訪問したのはこちらです。むしろお言葉を交わしていただき、光栄でした」
「よい。貴様と俺の仲ではないか」
退室しようとするエーリヒだが、何かを思い出して、一瞬立ち止まる。
そして背中を向けて、表情を見せないままにヘルフリートに対して質問を投げかけた。
「小さな英雄と会ったのでしたな」
「ああ、それがどうかしたか?」
「噂によれば、数分も話もせずに興味を失ったとか?」
「――ああ。所詮はつまらぬ噂だということだ。こともあろうに俺の目の前で自分の名前を名乗り損ねた。首を刎ねてやろうとも思ったが、そこまですることもあるまい」
「寛大なことです」
「元より俺は英雄の武芸に興味はない。女と聞いて、側室として飼うのも面白いかと思ったのだが、あれではな」
小さな英雄、エトランゼ達の希望。
そして何よりもその名はエレオノーラの勢力を持ちあげる一つの原動力ともなっている。
その英雄を、権力の元に跪かせる。それこそがヘルフリートの目的だったのだが、相手がまだ分別もつかぬ子供ではそれもできない。
そうなれば一瞬にして興味は失せた。そればかりか、あれが英雄として持て囃されているという事実こそが、エレオノーラの勢力の人手不足の証拠でもあるだろう。
「それでは、失礼しました」
扉を開けてエーリヒが出ていく。
今度はまた入れ違いになるように、ヘルフリートの部屋をまた異なる人物が訪れた。
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