第三節 野心を持つ者

 白鷲の宮を抜けて中庭に出ると、そこに作られた自然溢れるテラスの中心、白い椅子に座ったまま足をぶらぶらとさせているカナタが、こちらに気がついてテーブルにくっつけていた顔を持ち上げる。

「カナタ。すまないな、待たせてしまった」

「大丈夫です。人が大勢でてきたから、そろそろかなーとは思ってたんですけど」

 若干機嫌悪そうに、カナタは誰かに入れてもらったであろうお茶を一飲みする。

 彼女が不貞腐れているのには理由があった。

 実は貴族会議が始まる前に、既にヘルフリートとの面会が行われていたが、その内容は数秒顔を見て脅威でないと判断されたのか、それ以降は無視されると、はるばるやってきた身からすればあんまりな内容だった。

 そして勿論会議に入ることもできないカナタは、こうして一人テラスで時間を潰していることしかできなかった。勿論、一般人であるカナタが王宮からつまみ出されず、それどころかもてなしを受けられたということが既に最低限の敬意は払われているということにはなるのだが。

「俺は自己紹介の時に噛んだのが原因だと思うがな」

「そーいう意地悪言わないでよ! これでもちょっとは傷ついてるんだから」

「……何にせよ、今日の宿を探すか。明日以降も会議は続くだろうし、その打ち合わせをしておく必要がある」

「やっぱりか……。なぁ、一応言われた通り兄上に顔は見せたし、もう帰ることはできないのだろうか? 妾達がこれ以上ここにいて、何か得るものがあるのか?」

「充分にありますね。……ですが、この話は」

 大理石で作られた柱が幾つも並ぶ渡り廊下の先、今しがた貴族達が出ていった方向から戻ってくる人影を見て、ヨハンはそう話を誤魔化そうとした。

「いやいや、できれば俺もその話に混ぜてもらいたいものだな」

 口髭を生やした初老の男は、馴れ馴れしげな態度でこちらに歩み寄ると、まずはヨハンの肩を強くバンと叩く。

「ヘルフリート殿下の圧力に負けずに話の流れを奪い取ったその手腕、見事だったぞ、エトランゼの青年。さては姫様の受け答えもお前が用意したものだな?」

「エーリヒ卿」

「おお。挨拶が遅れましたが、エレオノーラ様。お久しぶりです。陛下の崩御、そしてゲオルク様の行方不明から早数ヶ月。このエーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガン。長らく姫様の身を案じておりましたぞ」

「……心配をかけたな。そなたの読み通り、妾の受け答え、話の運びは全てこのヨハンが計画したものだ。途中、言葉を失っては手を焼かせることになったが」

「なんの! お互いに見事と言うほかありませんな。して、エトランゼの青年。その名はかつて城に使えた宮廷魔術師のものだが、何か関係があるのか?」

「この世界に来てから世話になり、彼の元を去るにあたってその名をいただきました」

「ほう! なるほどヨハンの爺様め。どうりで孫一人を残して余裕のある死に様だと思ったら、既に後継者を残していたのか!」

 合点がいったとばかりに、一人でエーリヒは目を輝かせる。

「いえ。残念ながら後継者というには自分はまだまだ未熟なものです」

「ハハハッ、だろうな。お前ほどの若輩に不相応の働きをされては、俺達の立場がない。せいぜい、俺が一線を退くまでは未熟なままで居てほしいものだ」

 そう言って豪快に笑ってから、今度はエーリヒの視線はやや下方。ぽかんと固まっているカナタへと注がれた。

「おう。それでこちらが御使いを倒したという、小さな英雄殿か。先程姫様の紹介にもあったが、俺の名はエーリヒ・ヴィルヘルム・ホーガン。オルタリアに名を響かせ始めた新星に誰よりも早く挨拶ができたこと、光栄に思わせていただこう」

「え、いえ、ボクはそんな……。別に……。大したことはしてないですし……」

「はっはっは。英雄とはいえやはり小さなと付くだけあって可愛らしいものですな!」

 わたわたするカナタを落ち着けせるために、ぽんとその頭を柔らかく叩く。

「時にエレオノーラ様。本日の宿はお決まりか? 本来ならばこの宮廷で寝泊まりしてもおかしくはない立場ですが……。何分、今の情勢ではそれも避けたいでしょう」

「……うむ。それは、な」

 ここは当然、今のところ敵対に近い関係であるヘルフリートのすぐ傍にある。暗殺などの危険を思えば、すぐにでも離れたいほどだった。

「提案なのですが、別荘として使っている俺の屋敷に来るというのは如何でしょう? ご安心ください、俺自身はこの王宮内で寝泊まりしますので、正真正銘エレオノーラ様達だけの屋敷となります。場所も郊外にありますので、いざという時も安心かと」

「その提案はありがたいが……」

「では先回りしてその疑問を埋めるとしましょう。ヨハン、果たして俺の考えにどのような裏があると読み取る?」

 敢えて、ここで自分の本心を読ませ語らせるとは、先程の印象通りに余程豪胆な男のようだ。

 ヨハンはほんの少しだけ考えて、幾つかの浮かび上がった可能性を順に消していく。そのどれもが、今このエーリヒが行って彼の理になるとは思えないとだった。

「純粋な親切心かと」

「おいおい。俺は裏を読み取れと言ったぞ? どうしてこの場でそんな小細工を仕掛ける」

 それはヨハンの悪手だった。

 エーリヒも同じく、カマをかけていた。ここでヨハンは先程のような答えを返したことで、恐らくは彼の中でもうヨハンは信用に値しない人物となった。

「……恐らくは、俺達が会議でやろうとしていることがエーリヒ卿の利益にも繋がるからでしょうね。ここを退去、もしくはヘルフリート殿下に害されるわけにはいかないと」

「うむ、合格だ。で、その利益に関しての話だが……」

「その話は今はやめましょう。そろそろこいつが頭から湯気を立てるころなので」

 冗談を交えつつ、瞳は本気だった。何も敵地のど真ん中でする話ではない。それだけの豪気さは、ヨハンにはない。

「ははっ、まあいいだろう。決断を急ぐものでもないからな。しかし、判ってくれたならいいさ。この会議の間は、俺はエレオノーラ様を支持する」

「そうしてもらえると助かるな」

 エレオノーラがぺこりと頭を下げる。

「さて、それでは外の屋敷へと送りましょう。実は既に馬車が用意してありますのでな」

「……何から何まで、本当にありがたい」

「いえいえ。俺もエレオノーラ様の母君には世話になったこともあるし、何よりも先代のヨハン爺様とはいい飲み仲間だったので」

 エーリヒが先頭を歩くのに追従するように、広い王宮の廊下を進んでいく三人。

 その途中、出入り口である巨大な両開きの扉の前に立ったところで、エーリヒは一度足を止めて振り返った。

「――そうだったそうだった。実は、一つ提案があったんだ」

 視線はヨハンでもエレオノーラでもなく、それよりも低いところに。

「小さな英雄殿は、これから会議の間ずっと暇をするわけだが。もしよかったらオル・ファーゼが誇る最大級の魔法研究施設、オル・ファーゼ魔法アカデミーの見学でもしていかないか?」

「魔法アカデミー?」

「その名の通り、魔法技術の研究機関だ。その他にも魔法使いの養成も行っているらしいが」

 こちらを見上げてきたカナタにヨハンはそう簡単に説明する。

「そう。それこそ先代のヨハン爺様が最も力を入れていた事業だな。この大陸の未来を担う者達を育成する由緒正しき学院だ。きっと小さな英雄殿も、そこから学ぶことも多いと思うが」

「……急にそんなこと言われても……」

 ちらりとヨハンを見て意見を求めるカナタ。

「いや実はな。今回の件もヘルフリート殿下が絡んでいるのだ。小さな英雄殿を口説き落とし、こちらの陣営に加えること。その役目を仰せつかったのが俺なんだが……。いやどうにも何をすれば子供が喜ぶかなど見当もつかなくてな」

 それを言ってしまっていいのかと聞きたくなるほどの重要情報を簡単に話してしまうエーリヒだが、それも彼の手のうちの一つなのか、それとも単に何も考えていないのか。

「……魔法、アカデミー」

 カナタの方を見れば、どうしたらいいのか迷っているものの、元々好奇心は旺盛な少女なのだから、全身で行きたさを表現しているかの如く小さく揺れていた。

「……行って来ればいいんじゃないか。許可が出ているなら、危険もないだろう」

 あったとしても冒険者の端くれにして御使いを倒した少女だ。彼女を正面から害せる者の方が少ない。

「どうだ。お父さんの許可は下りたぞ?」

「……お父さんはやめてください」

「うん。じゃあボク、行きたいです!」

 そう瞳を輝かせて、カナタは答えた。


 ▽


「――で、当然の如く道に迷ったわけなんだけど」

 その翌日。オル・ファーゼにあるとある区画、オル・ファーゼ王立アカデミーの内部で、カナタは手に持った地図を何度も見ながらうんうんと唸っていた。

 エーリヒに地図を渡され、案内役を用意してあるからと言われてその場所に向かったのだが、アカデミー入り口の門をくぐってから目の前に広がる光景は珍しいものばかりで、あっちへこっちへと歩いている間に本来行くべき場所を見失っていた。

 カナタの中での学校のイメージは、精々自分が通っていた中学校より少し広いぐらいを想像していたのだが、学院の敷地の広さはその予想を遥かに超えていた。

 アカデミーは単なるその名の通りの学院ではなく、それ自体がオル・ファーゼの中に作られた一つの街であり、そこでは日夜魔法技術の研究が進められていた。

 そのため内部の街は露店一つ冷やかすだけで退屈しそうにもないし、丸一日歩いたところで全てを見通すことなどできはしないだろう。

 とはいえ、目的の人物と合流できなくてはその人に申し訳がない。カナタは手に持った地図を見ながら、ふらふら、うろうろとその辺りを歩いていた。

 そうして無駄な時間を過ごすこと数分。いい加減に疲れて飲み物でも買おうかと財布を覗き込んだところで、何処からともなく情けない声が聞こえてきて、カナタはその方向に目を向けた。

「ど、泥棒だー! 頼む、誰か……誰かぁ! あそこには私の研究結果が……! あれがなくては次の学会で発表ができず、教授職を追われ、妻と娘に愛想を尽かされてしまううううぅぅぅぅぅ!」

 と、嫌に具体的な被害を述べるのは、如何にもひ弱そうな体格の中年男性で、その泥棒とやらを追いかけているのだろうが、もうふらふらで走れそうにもなかった。

 カナタはまずそちらに駆け寄り、今にも崩れ落ちそうな細身を助け起こす。

「だ、大丈夫ですか!?」

「わ、私のことはいいんだ! それよりも奴等が盗み出した私の研究資料を……!」

 顔を上げれば、盗みを働いたと思しき男達が数名。門の壁を乗り越えて脱出しようともがいていた。

「判りました!」

 一気に駆け出し、人混みを通り抜けて彼等に追いつく。

 一方に逃げる側も、どうやらカナタが追いかけて来ることに気がついたらしい。それだけでなく、彼の声を聞いて警備の兵士達も集まってきた。

「ちっくしょう! このままじゃ追いつかれる! どうするよ?」

 リーダー格の男――モヒカンで入れ墨をして、棘付きの皮の服を着た一目見て「私は悪人です」と判る男が、隣で壁をよじ登ろうとする太った男にそう尋ねる。

「それではリーダー。ここは小生に任せるがよろしかろう!」

 太った男は自信満々に答えて、登ろうとしていた壁から飛び降りる。

「お、おう……。すまねえな、アツキ。お前のことは忘れねぇぜ」

「勝手に殺さないで欲しいな! ご安心くだされ、小生こういったときの決め台詞には詳しいので!」

「……なんでだ?」

「それは企業秘密でござる。さあ、リーダー。ここは小生に任せて先に行け! なぁに、心配するな、後から絶対に追いつくからよ。それと、この写真見てくれ。三歳になる俺の娘だ、可愛いだろ?」

「なんだ、その……。シャシンってのがそもそもなんだか判んねえが、ここは頼んだぜ!」

 そう言って壁から飛び去っていくモヒカン。

「あ、ちょっと!」

 慌ててカナタも壁に飛び乗ろうとするが、そこに立ちはだかるのは、アツキと呼ばれる太った男。背中には道具袋を背負い、頭には何故か鉢巻を巻いている。

「行かせないでござるよ! 小生とリーダーはここで出会った魂の友、つまりソウルフレンズ!」

「なに言ってるか判らないけど、泥棒は悪いことだからね!」

「ぐふふっ。怖がらなくてもいいでござるよ。そう、小生がここに残った理由は一つ! どことなく頭の弱そうな美少女と戦い、お互いに認めあう、そして芽生える恋心! しかし恋などしたことのない彼女は初めてのその想いに戸惑い、小生を見るたび謎の動悸と赤面を……って、何をするでござるか!」

 カナタはアツキを無視して横を通り抜け、今彼の元に殺到しているのは大量の警備兵だった。

「大人しくしろ!」

「……せーの!」

 アツキが取り押さえられている間に、カナタは足に力を込めて、地面を蹴る。同時に背中に翼上にセレスティアルを展開して、跳躍力を飛躍的に上昇させた。

「うほっ! 羽まで生えた! まさか、君は天使!?」

 一息に壁の上まで登り終えたカナタは、そこから眼下を見下ろす。王都の石造りの道の上を、人々の流れに逆らうように爆走する集団が見えた。

「あれだね……!」

 もう一度飛び降りるために翼を展開しようとするが、後ろから聞こえてきた兵士の悲鳴がそれを留まらせる。

 振り返れば、アツキは一瞬にして彼を取り押さえようとした警備兵を投げ飛ばし、無力化していた。

「うそっ、あんなに弱そうなのに!?」

「人は見かけによらないで、ござる!」

 背負った道具袋から取り出した、干し肉のようなものをアツキが齧ると、その足の辺りが蠢き、人でないものに変化する。

「なにあれ……? 魔物の足?」

 足だけを魔物のような形に変化させたアツキは、その跳躍力で、一足で壁の上のカナタの目の前に着地する。

 斯くして二人は、狭い足場の上で向かい合う形となった。

「ふひひっ。大丈夫だよー。小生は怪しくないでござるよー。少女には優しくするのがモットーでござるからねー」

「怪しいよ!」

 どうにも緊張感のないこの男だが、恐らくエトランゼ。そしてギフトはかなり厄介なものだ。

「小生としてはやはり少女に手を上げたくはないのだが、邪魔をするのならば仕方がない。少し大人しくしてもらうでござる」

「人を見た目で決めたくないけど……。この上なく身の危険を感じる……」

「それはメディアに踊らされ過ぎでござる。小生達に害はないでござるよ」

「いや、害あるから。泥棒だから!」

「問答無用! 拉致監禁から始まる恋もあるよね!」

 そう言って、アツキは跳躍する。

 カナタの頭上を飛び越えて、着地地点はその背後。

 勿論、その程度の単純な動きならばカナタとて読み切れている。

「ないよ!」

 甲高い音を立てて、セレスティアルの盾とアツキの拳が激突する。

「くぅ……!」

 見れば彼はまた違う何かを齧っており、今度は腕が先程までとは比べ物にならないほどに野太く変化していた。

「ぎゅふふっ! このオーガの剛腕、受けきれるでござるか!」

 ぶんまわされる両腕を、片方は盾で防ぎ、もう片方は身を低くして避ける。

 そのまま目の前まで接近して、セレスティアルの剣を手の中に作りだす。

「たあぁ!」

 下から上に、切り上げられた極光の刃がアツキの腹部を切り裂く。

 しかしそれには全く怯まず、強烈な回し蹴りが、直前までカナタがいた場所を通過していった。

「今の声、萌えたでござるよ! アンコールを所望するでござる!」

「……なんか調子狂うなぁ! でも、本当に厄介かも、多分ギフトだとは思うんだけど」

「ふひひっ、小生のギフトが知りたいでござるか? 仕方がないでござるねぇ、教えてあげてもいいけど、情報料が必要でござるよ」

「いや、いらない。なんか怪しいし」

「むほっ! ショック! しかし、聞かなかったことを後悔させてやるでござる!」

 剛腕と、変化した足による連続攻撃がカナタを襲うが、セレスティアルの壁はそんな攻撃ではびくともしない。

 反撃にと振るわれた極光の剣は、彼の言うオーガの剛腕であろうと容赦なく切り裂いた。

「ズルいでござる! チートでござるか!? 異世界チートってやつでござるね!」

「なに言ってるか判んないけど……!」

「目には目を、歯には歯を、チートにはチートを!」

 次に取りだしたのは、破片のような何か。見ようによってはイカの干物にも見える。

 それを大きな口で一口にする。

「うげっ、相変わらずまっずいでござる! しかーし!」

 アツキの周囲に展開する幾つもの魔方陣。

「うそ、魔法!?」

 薄紫色の球体が生成され、それらは合計三つ。一斉にカナタに向けて発射された。

 一発目こそ剣で弾いて防いだものの、二発目は避けきれずセレスティアルの盾にぶつかり炸裂。三発目はその足元に着弾した。

「うわっ……!」

「あり?」

 カナタが立っているのは細い壁の上。その足場が崩れることは即落下を意味する。

 決して高い壁ではないが、下は石畳。この無防備な態勢で落ちればただでは済まないだろう。

 カナタの小さな身体が、壁から投げ出される。

 浮揚感が全身を包み、続いて襲ってくるであろう痛みに備えて目を瞑る。

「小生、そんなつもりはなかったござるよー!」

 そんなアツキの声も遠く、カナタの身体は容赦なく地面に叩きつけられ「……大丈夫?」ることはなかった。

 カナタの身体は薄い膜のようなもので包まれ、空中で制止していた。そしてそのまま、ゆっくりと地面へと降りていく。

 無事に降り立ったカナタの目の前に、箒を持った少女が立っていた。

 魔法使いのローブを着ているが、サイズがあっていないのか裾が余っている。

 被っていたフードを外して現れたその人物には、カナタは息を呑む。

 太陽の光を反射する、金色の髪を眉の下あたりで切り揃えた短髪の少女。一見すれば髪型から少年にも見えるが、その整った顔立ちが醸し出す不思議な色香はまだ幼いながらも発揮されていた。

 その少女の身長はカナタよりも更に小さいが、唇から発せられる声は思いのほか低く掠れている。

 眠そうな瞳でカナタを見つめる少女に、礼を言ってなかったことを思い出した。

「あ、ありがと……。君は?」

「話は後みたいね」

「少女が増えた! 小生の世の春でござる! その髪型でショタのようにも見えるが、小生の目は誤魔化せぬでござる!」

「……意味は判らないけど、苛立つわ。それよりも逃げていった連中を追いかけるのでしょう?」

 箒が横倒しになり、少女はそれに跨る。そればかりでなく、視線でカナタにも早くしろと訴えかけていた。

「……え、飛べるの?」

「飛べるわ」

「なんと、魔女っ娘でござるか!」

「早くして。あの不愉快な奴を視界に入れておきたくないの」

「う、うん……」

 それにはカナタも同意だったので、後ろに跨る。なんとなく自転車の二人乗りをしているときのような気分だった。

 ふわりと、その箒が二人の身体ごと浮かび上がる。

「うわわっ、飛んで……!」

「飛ぶための箒だもの。……あっちね」

 方向を見定めると、箒は一気に高度を上げる。

「あ、あれ! あの人どうするの?」

「ああ――始末しておくわ」

 既に眼下どころか、後方にあるアツキを振り返りもせずに、少女は小さな声で呪文を唱える。

 すると、その背後、丁度カナタの真横辺りに四つほど魔方陣が出現して、そこから放たれた雷が寸分違わずアツキを撃ち抜いた。

「やった! ……けど、」

 せめてもの反撃にと、アツキが放った、あの紫色の光弾が箒に迫る。どうやら誘導効果があるようで、少し動いただけでは射線を外してはくれそうにない。

「『マギア・キャンセル』」

 霧のようなものが浮かび上がり、それに触れた魔法弾は、同じように霧散して消滅する。

 カナタが関心の言葉を口にするよりも早く、少女がそれを制した。

「名乗るのが遅れてごめんなさい。あの不愉快な物体は早く始末したかったものだから。わたしの名前はアーデルハイト。アーデルハイト・クルルよ。ようやく会えたわね、小さな英雄さん?」

「……え」

 カナタはその名前に聞き覚えがあった。

 懐にしまわれた紙に、その名前は書かれている。

 そう。

 カナタが今日、合流する予定だった案内役の名前は、そのアーデルハイト・クルルだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る