第二節 王都オル・フェーズ

 イシュトナル自治区から出発して馬車を使い一週間。以前カナタとエレオノーラが出会ったソーズウェルを越えた先に王都『オル・ファーゼ』はある。

 中心部に麗しくも巨大な王宮を構えたこの都市はオルタリアの中枢であり、最も広大な敷地を持つ大都市でもある。

 その人口は周辺とは比べ物にならず、堅牢な城壁に囲まれた王都への憧れを抱く者は数多い。

 そしてその威光を存分に発揮するのが、先にも軽く説明のあった中心部に位置する王宮だった。

 単体で見ればこの都市で最も巨大な建物は、王族が住む場所というだけでなく、様々な行政を取り仕切る中央機関でもある。

 王家の威容を現すような、神の在り方を体現する白く輝く壁に、各所を繋ぐ渡り廊下から覗く中庭は最高級の庭師によって整えられ、見ているだけでも丸一日を潰せそうなほどのものだ。

 もっとも、そのどれにしても今のエレオノーラとヨハンには楽しんでいる余裕などはないのだが。

 王宮の西側に聳え立つ四角い屋根の建物は白鷲の宮。ここに多くの貴族が集まり、国の行く末を決める会議を執り行う。

 その広い空間には周辺に居を構える多くの貴族達が参列していた。いずれもこの国に仕え、各々に力を持つ者達である。エレオノーラとヨハンはその中心に立たされ、その姿はまるで裁きを受ける罪人のようでもあった。

 そしてその正面。壇上のようになっている場所の中央に座るのは現状この国の最高権力者であり、エレオノーラの殺害を命令した張本人であるヘルフリート・オルタリア。

 妹とは似ても似つかない金髪を垂らした男で、顔は決して悪くはないがその表情からは隠しきれないほどの悪意が滲み出ている。

 その横にずれて座っている、口髭を蓄えた初老の男をヨハンはよく知らない。恐らくは五大貴族の一人であろうが。

 彼等を中心として、その周囲に用意された席に貴族達が参列し、貴族招集は厳かに始まりを告げる。

「よくこうして俺の前に顔を出せたものだな、エレオノーラ」

「……兄上が来いと書状を出したのだから来たまでです」

 圧を含んだ声に、エレオノーラは仰け反りそうになるのをぐっと堪える。

「ふん。不遜な物言いをする。ここが誰の治める地であるか知ってのことか?」

「兄上こそ、妾が何者であるかお忘れか? 貴方に命を狙われこそすれ、先王の血を受けつぎし王族です。この地に立ち意見を申すのに一片の不審もありはしません」

「ちっ。口だけは回るようだな。まあいい、本題に入るとしよう。お前が勝手に創立したイシュトナル要塞にあるあの小癪な集落のことだ」

「強引な政策によるエトランゼを初めとする難民。そして先日の戦いで出た被害を治めるために拓いたものです。そうしなければ大勢の死者が出ていたでしょう」

「兵を集める理由にはなるまい!」

 厳しい声で弾劾するヘルフリートだが、既にそれに対する返しは考え済みだったので、すらすらとエレオノーラは回答する。

「周辺は魔物や野盗の類もまだ多く、治安が完璧とは言えません。加えてオルタリアの最南端ということは、アルゴータ渓谷を越えた南方諸国と隣接しています。そのために必要最低限の戦力を整えることは当然でしょう」

「その兵達には普段は何をさせてる? 周辺の集落からの略奪か? それともフィノイ河の先への示威行為か?」

「どちらもさせていません。周辺の治安維持、アルゴータ渓谷への派遣による新たな鉱脈の確保と採掘。また常時は農民への手伝いなどをさせることで兵達に暇を与えないようにしています」

 周辺の貴族から「ほう」と感心した声が上がる。

 ヘルフリートはその方向に、忌々しげに視線を放ってから、

「だが、ギフトを持つエトランゼ共まで徴用している理由にはなるまい! 奴等は過剰な戦力だろう」

「お言葉ですが兄上」

 ヘルフリートの怒りを、凪のようにエレオノーラは受け流す。あくまでも冷静に、相手を苛立たせればこの席では勝ちに近付く。

「先日現れた御使いを名乗る敵。悪性のウァラゼルとの戦いでエトランゼ達は多大な活躍をしてくれました。彼等を蔑ろにしてはそれに報いることはできません」

「……御使い……」

 ざわめきが大きくなっていく。

 ここに集まった貴族達の大半が本当に聞きたいことは、その一点に尽きるだろう。彼等にとってはヘルフリートとエレオノーラの兄妹喧嘩など、大した問題ではない。

 それよりも兵士や民達から噂で流れていく、イシュトナル方面で発生した御使いを名乗る怪物に対しての情報と対策こそが彼等の今日の大きな目的だった。

「静粛に!」

 そう声が張り上げたのは、ヘルフリートではなかった。

 彼の横に座る初老の男が、その一声だけでその場に静寂を取り戻した。

 その場の誰もが黙ったのを見計らって、ヨハンは一歩前に踏み出す。

 エレオノーラは額にかいた汗が垂れそうなほどに緊張の最中にあり、それが今の男の大声で限界に達したのか、言葉を失っている。

 それをヘルフリートに気取られないために、ここはヨハンが前に出る必要があった。

「なんだ、貴様は? 薄汚いエトランゼ風情が、本来ならばここに入れることすら許されないのだぞ?」

「その件に関しては恩赦をいただき深く感謝いたします。ですが、ただ入っただけでは案山子も同然。エトランゼとはいえ生きた人間であるのですから、役目を果たさせていただきます」

「……貴様……!」

 ヘルフリートの視線を無視して、ヨハンはその目を別の方へと向けた。

 貴族達の最前列。恐らくはこの中でも立場の強い者達が座っているであろう席にいる、見知った姿に。

「モーリッツ殿」

 名前を呼ばれ、不自然にこちらを見ないようにしていたモーリッツは肩を大きく震わせる。

「先日の御使いの件。共に戦った貴方の見解を聞かせてもらいたい」

「……何故私なのだ? お前が自分で言えばいいだろう」

 小太りの腹を揺らし、モーリッツは表面上は冷静に、内心では「私を巻き込むな!」と叫びながら質問を返す。

「ここに集まった方々の大半が知りたいことは、我々が戦ったアレが何者かということでしょう。自分はアレを御使いと断定しますが、エトランゼ故に本当にそうであるかの自身がない。そこで、長くこの地に住まい、子供の頃より教典を読み続けてきたモーリッツ殿に説明をお願いしたく存します」

 淡々と述べるヨハンに、モーリッツは冷や汗をかきながら言葉を選ぶ。

 何せ、彼の横に座る残る五大貴族の三人。

 エッダ・バルヒエット。

 デニス・キストラー。

 マルクス・ピラー。

 彼等はエイスナハルの、それこそモーリッツから言わせれば狂信と呼べるほどの信仰心を持ち、法王との繋がりも強い権力者でもあるのだから。

 モーリッツとしては誤魔化してしまうのも手ではあるが、それはあまり得策とは言えない。既に多くの兵達が、彼女が悪性のウァラゼル、御使いと名乗ったのを聞いているのだ。

 もう既にそれは噂となって国中に流れ出ている。それと全く異なる証言をしたとしても、立場は危うくなるだろう。

「彼の者が御使いであったかは、私の目には定かではありません。ですが、伝承にある通りの極光を纏い、その力で人に裁きを与えるが如き振る舞いをしたこと、そして何よりも自らの御使い、悪性のウァラゼルを名乗ったことは事実です」

 加えて、モーリッツにも立場とは別に矜持がある。奴の所為で多くの兵を失ったのも事実だった。それを見て見ぬ振りはできない。

「ですが、それはあくまでも奴が名乗ったからだけの話。実際に御使いであったかどうかはまた別の話でしょう」

 つまり、双方のことを考慮した落としどころはそうなる。

 これで『御使い』を『エトランゼ』が倒したという都合の悪い事実を作らずに、その脅威だけを伝えることには成功した。

「ありがとうございました。モーリッツ殿、最後に一つお聞かせ願いたい」

「……なんだ?」

 心底嫌そうな表情を、モーリッツはもう隠そうともしなかった。

「もし、あれかあれと同じ力を持つ者がもう一度現れたら、それは脅威となるでしょうか?」

「……なるだろうな。確実に」

 ざわめきが広がる。

 勿論、御使いがもう一度現れる可能性などは誰にも判らない。いや、仮にそれが御使いと断定されれば、戒律をより強めて人々をエイスナハルの教典により戒めることで出現を抑える方向に話は進むだろう。

 しかし、今ウァラゼルは御使いではない。

 何がどう作用して現れるか、誰にも判らないのだ。

 これで一先ず、機先は制した形となる。

 次なる攻勢に出るにはエレオノーラが必要なのだが、横目で見ると彼女ももう休息は取れたのか、こちらを見て無言で頷いた。

「兄上に問いたい」

 凛とした瞳がヘルフリートを射抜く。彼もまだ、御使いの話を受け止めきれない様子だった。

 それは今、付け入る隙となる。

「もし、再度御使いを名乗る者が現れ、同じような力でこの大地を蹂躙した場合、果たしてエトランゼを排したオルタリアに対処の方法はあるのでしょうか?」

「侮るなよエレオノーラ。俺はエトランゼなどという連中の力など借りずとも、ここには充分な兵力がある。加えて魔導兵器もな! 貴様こそ、その発言ではエトランゼを武器とした考えていないような口ぶりだな?」

 エレオノーラの発言を逆手に取り、途端挑発するような口ぶりへと変貌する。

 しかし、彼女は揺るがなかった。

「違います。妾達も、エトランゼも、共に協力して危機を乗り切るのです。それこそが共存であり共生。妾の目指す道です!」

「エレオノーラぁ……! 穢れた血如きが!」

「もういいでしょう」

 すぐにでもその腰に下げた剣を抜き払いそうなほどのヘルフリートを抑えたのは、その横にいる男だった。

「ヘルフリート殿下も感情的になっておられるし、エレオノーラ様もこの地に来て、自分の意見を纏めきれてない。これ以上話してもお互いに利のある結論には至りますまい」

「し、しかしエーリヒ!」

 エーリヒと呼ばれた男は、ヘルフリートの烈火の如き視線をぶつけられても、飄々とした態度でそれを受け流した。

「何にせよ、ここに集まった者達が最も知りたいことは知れたのです。収穫としては充分でしょう?」

 そういいながら、彼が壇上から見渡す視線に、誰一人として見返すことができなかった。

「これにて一度閉廷といたしましょう。貴族会議は明日明後日と行われるのです」

「う、うむ。それではこれにて閉廷とする!」

 半ば一方的な、こちらの意見を全く聞きもしない閉廷宣言により、会談の初日は終結したのだった。

 まずヘルフリート、そして次にエーリヒ。

 五大貴族の次は貴族達が出ていったことで、白鷲の宮はがらんとしてしまう。

「及第点、といったところでしょうか」

「……こんなものが明日も明後日も続くのか……。妾は死んでしまうかも知れぬ」

「死にません」

 顔面蒼白になるエレオノーラを引きずるようにして、ヨハンもその場所を後にした。

 部屋を出る直前に、今いた場所を振り返る。

 長年に渡りこの国の意向を決める会議が幾度となく行われてきた場所。オルタリアを形作った心臓部とも言える。

 見上げれば、その壁には大きな壁画が描かれている。

 全能なる神と、その周囲に侍る御使い達が。

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