第十八節 何処からが理想か
幾つもの悲劇を見た。
その度にやめろと叫び続けた。
声は決して届かなかった。
誰もがその力を讃えていた。
お前は強いと、降って沸いた力に酔いしれたのは、自分ではなく他の誰かだった。
だから、彼等のために戦った。
必死で日々を過ごした。かつて見てきた悲劇をもう一度起こさないために、努力し、血を流し、多くの命と、人を救ってきた。
だが、足りない。
何もかもが足りない。その両手を一杯に広げて救うよりも、より多くのものが奪われて、失われていくのだ。
そして、いつしかその志は形を変えた。
より効率的に、より良い未来を目指して。
「ヨシツグ」
少女の声がする。
それに対して顔を向ければいいのか、声を発すればいいのか、未だにヨシツグはそれが判らない。
小さな、小鳥が囀るような声は、この上なく不機嫌そうで、普段通りの彼ならば宥めるための言葉を探していただろう。
ヨシツグの横に立つ少女は違う。
暗闇の中を、異形達の行進に合わせてゆっくりと進む彼女は、人の理の及ばぬ者だ。
この世界の理から外れたギフトよりもより遠く、より強い力を持つ、怪物。
世界を創りし神々の使徒、御使いの少女。
悪性のウァラゼルはいつもの饒舌さも鳴りを潜めたまま、ヨシツグに向けて語り掛ける。
或いは、これこそが本物の彼女のなのではないかと、確たる理由もないが、なんとなくヨシツグはそう思った。
「ヨシツグは、ウァラゼルが世界を壊そうとしていると思っているでしょう?」
「……違うのか?」
「違うわ、全然違う。意外とお馬鹿さんなので、ヨシツグ。ウァラゼルは世界を壊したいんじゃないの、命を奪いたいのではないの。ただ、遊びたいだけ、思いっきり力を振るって、うーんと両手を伸ばしたいだけなの」
明るくも暗くもない声で、彼女は続けた。
「ウァラゼルは、この世界を壊したいわけじゃない」
彼女の声が繰り返す。
「だから、たくさん、たくさん、遊んだら続きはどうでもよくなるかも知れないわ。この世界のことも、ここで増えたお人形さん達も、動かなくなればやっぱりそれは寂しいもの。そうしたら」
彼女の瞳が何を見ているのか。
その先にあるのは、彼女に一矢を報いたエトランゼと、同質の力であるセレスティアルを振るう少女の姿。
「エトランゼで満たされたこの世界を見るのも、楽しいかも知れないわ。きっとそこは、本来の役割を失った世界、あるべき姿とは真逆へと変転した、悪性の世界だと思うの」
いつの間にか夜が明ける。
無数の異形の群れと、ヨシツグから離れず、しかし一言も喋ることはないナナエ。
そして、浮かんできた朝焼けの向こうに立ち並ぶ無数の軍勢。
ウァラゼルが生み出した異形の半分にも満たないその脆弱な者どもは、決意を秘めた瞳でこちらを睨みつけている。
その中心に立つのは、一人の少女。
エレオノーラ。
国を追われた、エトランゼの保護を訴える哀れな人形がそこに立っていた。
そんなこと、できるわけがないのに。
彼女の理想を叶えるには、その同胞がしてきた罪は重すぎる。
理不尽に飲み込まれ、散った命と、壊れた心と、それらを理解しないままに甘言を用いるそれこそが悪であると、ヨシツグは断じる。
「さあ、遊びましょう」
裂けるように、ウァラゼルの唇が歪む。
きっとこれは彼女にとっては最高の遊戯。この上なく楽しく、喜びに満ちて、退屈を紛らわせるつまらない人形遊び。
合図などはない。
異形の軍はただ、蹂躙すべく進むだけ。
対する人の軍は、護るために立ち塞がるだけ。
誰の声もなく、大義もなく、戦いの火ぶたは切って落とされた。
▽
上空から無数の矢と魔法が降り注ぎ、容赦なく異形の大群へと襲い掛かる。
その数歩先では鎧を纏った兵士達が、人の身体による壁を築いてそれらを守護すべく異形達の前に立ちはだかる。
「最前列! これより下がれば後方が危険に晒される! いいな、この妾よりも後ろに下がること、絶対に許されざることだと思え!」
その中心、最も危険と言ってもいい場所で指揮を執るのはエレオノーラ。美麗な鎧を身に纏って、兵士達を鼓舞し続けていた。
そのかいあってか、緒戦のぶつかりあいではエレオノーラの軍は異形達を押し返し、後方からの厚い支援もあってか、戦線の維持に成功していた。
「まったく。姫様の声に騙されてどうする。本来ならばお前達は私の部下なのだぞ」
その後ろで太った腹をさすりながら、モーリッツは呆れ声でそう言った。
「しかしそれが彼の娘の恐ろしいところか。決して魔法ではないが、その声に、仕草に、存在そのものに魔力が宿る。ふんっ、それが王家の成せる技だとしたら、果たして出来損ないはどっちか」
「モーリッツ様! 西側の守りが徐々に押され始めています!」
飛び込んできた伝令の声を受けて、モーリッツは東西両方に視線を走らせる。
確かに、東側にはエトランゼの遊撃隊が手を出すことで相手の一点突破を防いでいるが、西側にはその楔がない。
「奴等に仕事は各方面の遊撃だろうに」
所詮は、エトランゼとはいえ素人の集まり。戦を知らぬ者達では無理もない話だが。
今の彼等には目の前の敵を少しでも多く倒し、一刻も早くこの戦場を終わらせることぐらいしか頭にないのだろう。
「魔装兵を出せ! 西側はそれで抑えられるだろう。ただし、壊さないように厳命せよと伝えろ。兵士百人の命よりもその鎧は重いのだと伝えろよ」
「かしこまりました!」
それから少しして、西側は魔装兵が出撃する。
一振りで異形を十体は吹き飛ばし、その堅牢な装甲は相手の反撃を物ともしない。
その鎧の中でそれらを操るのも、モーリッツの信頼が厚い歴戦の強者二人だ。決して力を過信して深追いをするようなへまはしない。
「まずはこれでいい。しかし、お前達の頑張りがなければ全てが無駄になることを忘れるなよ、エトランゼ」
ここにいない誰かに、そう声を掛ける。
それが合図になったわけではないが、味方の一部から急激に突出する一団が戦場を切り裂き、相手の奥地へと攻め込んでいく。
その様子を見届けて、モーリッツは更に後方へと下がっていく。
もうこの戦場で自分ができることはない。
後は、彼等の頑張りを特等席で見届けるだけでいい。
▽
目の前で吹き荒れるのは、まさに暴風だ。
血を纏った竜巻であり、触れる全てを傷つけ、立ち塞がるものを薙ぎ払う暴力の疾風。
前方を駆け抜けるヴェスターの後ろにぴったりとくっついて、その背後で息を切らしながら、カナタはその戦いぶりに改めて恐怖にも似た感情を思い起こしていた。
立ち塞がる異形が、小さいものも大きいものも、軟体も硬質も、攻撃的なものも防御的なものも、何もかもが相手にならない。
叩き伏せ、蹴りを入れ、剣で斬り殺す。
魔剣士。その二つ名で呼ばれる彼のその力は、カナタに訓練を付けていたときとは比べ物にならない。
何よりも、彼は笑っているのだ。
この地獄のような場所で、周囲全てを異形の怪物に囲まれて、一歩間違えば死んでしまうかも知れないようなこの戦場で。
その先に待つものが希望ではないと知っているのに。
むしろ、決して人知の及ばない、勝てるはずがない怪物であると知っていながら。
「で、でもちょっと……早すぎ……!」
ヴェスターの背中を異形の影に見失いかけた瞬間、横合いから飛び込んできた殺気に、カナタは咄嗟に反応してそれを迎撃する。
極光の剣と、短剣が打ち鳴らされ、その使い手はすぐさま距離を取り、両手に武器を構えてカナタを睨みつける。
「……ナナエ、さん!」
「なんで……どうして!」
その瞳には狂気。
両手の短剣は容赦なく閃いて、カナタの喉元を狙う。
身体強化のギフトにより加速した肉体はカナタの目で追えるものではない。
だから、セレスティアルを限界まで広げて、盾ではなく壁に変えることでその進行方向を阻んだ。
「それはこっちの台詞だよ! どうしてウァラゼルに手を貸すの!」
「ヨシツグがそうするって言ったからよ!」
二本の刃と、極光の剣が交差する。
「やっていいことと悪いことぐらい判ってください!」
「それをアタシに言う前に!」
極光の剣が光を増して、ナナエの短剣を断ち切る。しかし、追撃に振るわれた刃はその俊足を捉えることはできない。
「つっ……!」
一歩踏み込んだ隙を狙って、降り注ぐ斬撃がカナタの身体に傷を付ける。ヨハンのお手製のコーティングが施された軽装鎧だが、以前のメイド服ほどの防御力は見込めないようだ。
「エトランゼを迫害したこの国の奴等に言いなよ! アンタだって判ってるくせに、どっちが正しいかぐらいさ!」
「どっちが……?」
「なによ、その顔? アンタ、エトランゼでしょ? いきなりこの世界に放り込まれて、理不尽に晒されて……。そんなのが正しいわけないじゃん!」
「それは……そうだけど」
ナナエは新しい短剣を二本取りだして、再び構えた。
カナタも迎撃の準備を整えるが、彼女が動いてから反応したところで、意味はない。
極光を盾に。
思った通り、ナナエは正面から突っ込んできた。
相互の腕の差を判っているから、搦め手を使う必要もないと考えているのか。
「じゃあさ……! ヨシツグの方が正しいでしょ!」
振り切られた刃に、極光の盾が揺らぐ。
本来ならばその程度の攻撃にはビクともしないはずの光は、カナタの心の揺らぎに影響を受けた。
「それは……!」
短剣が伸びてきて、カナタの目の辺りを狙って突きだされる。
咄嗟に後ろに下がったことで、本来の狙いを外した刃は、それでもカナタの額を切り付けた。
垂れてきた血が目に入る前に拭うが、相手はその隙を見逃してはくれない。
「だからって、このままじゃ多くの人が死んじゃいます!」
「別にいいじゃん! あいつらはアタシ達を人間とは思ってないんだからさ!」
じわじわと、短剣はカナタの血で朱に染まる。
こんなところで足止めを食うわけにはいかない。
それでも目の前の敵に対してどうすればいいのかが判らない。
葛藤は動きを鈍らせる。
「ふざけてるじゃん! こんなのありえないよ、普通に学校行って、友達と遊んで、進路のこととかで悩んで、そんな毎日を過ごしてただけなのにさ!」
ナナエの言葉は正しい。
今でも、カナタは冷凍庫に残してきたアイスのことを夢に見る。
もし、元の世界で自分が行方不明になっているのだとしたら、それを見た両親はどう思うのだろうかと。
残してきた友達は、どうしているのだろうかと。
「ありえないよ、こんなのってない! だからヨシツグとやりなおすって決めたんだ、エトランゼの国を創って、アタシらが元居た世界みたいにさ!」
セレスティアルの壁を叩き切って、ナナエの短剣が迫る。
伸びきった腕を掴んで動きを止めようとしたが、すぐさま振りほどかれて、逆に腕を取られて地面に倒された。
「うあああぁぁぁぁ!」
無茶苦茶に極光の剣を振るって距離を遠ざけて、どうにか立ち上がる。
「そんなの、」
口の中に入った砂が、じゃりじゃりと気持ち悪い。
口元を拭って、それを気持ち追いだしてから、極光を収束させる。
「そんなの、無理ですよ」
「……アンタ……! ヨシツグに無理なんかあるもんか!」
「無理に決まってるじゃないですか! だいたいにして、例えそんなことをしても戻りません!」
エトランゼだけの国で、ヨハンやトウヤと過ごす。その日々は落ち着いて、穏やかなものになるかも知れない。
「もう、お父さんとお母さんには会えない。向こうに残してきた友達とも、会えないんですよ」
心が軋む。
ナナエが耐えられなかった痛み、彼女をヨシツグへと依存させるに至った現実が、改めにカナタの心に圧し掛かった。
「でも、ボクは負けない」
ナナエに、ではない。
その重みを跳ねのけるように、大きく手を振るって極光の剣を生み出した。
細く頼りないその剣は、見る者の心を奪う至高の輝き。
「ボクはこの世界で生きていく。ここで得たものだって、もう大事なものだから!」
「……ガキが、調子に乗るなっての!」
弾く。
短剣と極光がお互いを弾きあう。
光を増した刃はナナエの短剣を断ち切り、その眼前に迫る。
しかし、身体能力を強化されたナナエはそれを身を捻って避けて、新しい短剣を取りだして更にカナタに攻勢をかけた。
お互いに剣を合わせて、紙一重の状況になりながら、ナナエの頭の中にカナタの言葉が反芻される。
「ここで得たもの」と、彼女は言った。
愛想笑いを浮かべていた自分がいる。
男にとって魅力的な女を演じ続けていたナナエという少女がいた。
そうするしかなかったから。自分の価値が、その程度しかないと諦めていたから。
自分を護ってくれる男を愛して、抱かれて、その立場に縋ってきた。
この世界に来てからもそれは変わらない。ナナエのギフトは強力ではあるが、世界を動かせるほどの力もない。
変わったことと言えば、それによって以前よりも立場を手に入れやすくなったことぐらいだろうか。
その中で、一人だけ違った男がいた。
ヨシツグだけは愛想笑いを浮かべないナナエを愛してくれた。例えそれがギフトを含めたものであっても、本当の自分を認めてくれた気がしていた。
「……だから、アタシは!」
そのヨシツグが目指す世界があるのだ。
ウァラゼルに屈して、苦汁を舐めてでも彼が目指したいものがあるのならば、それを支えるのが恋人である自分の義務であり、この世界で手に入れたものだ。
カナタの極光の剣が、ナナエの短剣を纏めて斬り落とす。
「なっ……!」
もう予備はない。
それでも。
負けられない。ヨシツグのために。
姿勢を一気に落とし、ナナエがカナタの視界から消える。
先程まで上方からの奇襲しか警戒していなかったカナタは、彼女を見失った。
そのまま下半身に向けてタックルをかまし、もつれあって、ナナエを上にして地面に倒れ込む。
両手が伸びる、その細い首筋に。
例えどんなに強いギフトを持っていても、所詮は人間だ。
こうすれば、誰だって死んでしまう。
「ぐっ……!」
両手で首を絞めて、力を込める。
カナタもそれを引き剥がそうと手を伸ばすが、痛みと酸欠で極光を操ることも上手くできそうにない。
意識が白濁する。
必死の形相で上から睨みつけるナナエが恐ろしく、同時にその鬼気迫る姿に美しさすら覚えた。
「死ね、死んじゃえよ。ヨシツグの邪魔する奴はみんな死んじゃえばいいんだ。アタシ達は理想郷を目指す。そこで取り戻すんだから、奪われたものを、失った何もかもを……!」
その言葉に続きがあったかどうかは判らない。
ふっと、その身体から力が抜けた。
カナタの顔に、胸に、生暖かいものが大量に降りかかる。
「何してんだ、お前?」
ナナエの胸から突き出た、黒い刃。
その戦場の獣は、自分がしたことになんの感慨もなく、剣を抜く力を利用してナナエの身体を異形の群れの中に投げ飛ばした。
「……あ」
「さっさと立てよ。まぁ、なんだ……。置いてったのは悪かったけどな」
時間を立てて、ふらつく身体を支える。
大きく深呼吸をすると、ナナエの血まで口の中に入って、嫌な味がした。
「知り合いか?」
「……うん」
「そか。おら、行くぞ」
迫ってきた異形を、一息で斬り伏せてからヴェスターは先を見る。
そこに浮かぶは薄紫の極光。
カナタとは異なる色の輝きを纏う、悪性のウァラゼルの姿はいつの間にかすぐ傍にまで迫っていた。
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