第十六節 世界を創り変えるもの

 朝日が昇り、夜が明ける。

 既に何度目かのその光景を、トウヤはフィノイ河に掛かる橋の傍に急遽作られた拠点の屋上から見ていた。

 周囲には柵が張り巡らされ、異形達の侵攻を止めるべく落とし穴を初めとした罠も仕掛けられているが、日々押し寄せてくる数の前では気休めにもならない。

 倒れた味方の数はもう数えることもできず、辺りに散乱した死体を片付けることもできない。

 ここまで漂ってくる死臭は、明日が自分がそうなることを予感させる。

 意外と、気が変にもならないものだと、トウヤは思う。

 ここにいる兵達も同様で、絶望的な状況になればなるほど感覚が麻痺していくのかも知れない。

「トウヤ君」

「ディッカーさん」

 ここ数日で何度も死線を共にしたディッカーが、トウヤの肩に手を置く。その手は強張っていて、彼の視線の先には大地を疾駆する異形の群れ。その数も、今日までの比ではない。

「トウヤ君。逃げてもいい。今逃げても、誰も君を責めはしない」

 トウヤのことを真に思ってくれるその提案を、首を振って否定する。

「戦いますよ」

「そうか。すまないな。エトランゼである君を巻き込んで」

「……違います。エトランゼだけど、俺はこの世界に生きてる。だから戦うんです」

 その言葉を聞いたディッカーは長い間、間抜けな顔をしていた。

 しかし、その言葉の意味を飲み込むと、先程までとは違う笑顔をトウヤに向けた。

「君のようなエトランゼと出会えてよかった」

「俺も、ディッカーさんと会えてよかったです。じゃあ、行きますか!」

 屋上に掛かっている梯子を降りて、既に集合している兵達のところへと向かう。

 もう残された数は五十人にも満たない。幸いにして、この辺りに来ている避難民は可能な限り北へと非難させた。

 後は彼等がソーズウェルなどの主要な街に入るまでの間、時間を稼ぐだけ。

 異形の群れが柵にぶつかり、揺らして薙ぎ倒す。

 この程度の手勢では最早ろくな作戦もない。後は陣形を固めて、敵の攻撃をどれだけしのげるかの勝負をするだけだ。

 暴風のような勢いで、第一波が衝突した。

「押し負けるなぁ!」

 ディッカーの叫びに呼応するように、最前線の槍兵達が盾で防ぎ、槍を突きだして相手の動きを牽制する。

 しかし、異形達に恐怖はない。身体ごとぶつかり、そのまま陣形を食い破るか倒れるかの勝負が無限に行われる。

 残った魔法兵がたったの三人。彼等は拠点の屋上から魔法を放ち、牽制を行っている。

 少し離れたところにいる弓兵から放たれた矢が小型の異形を地面に縫い止めるが、ある程度の大きさを持つものに対しては足止めにもならない。

 トウヤは人の間を縫って最前線に飛び出して、炎を放つ。

 炎の竜巻に撒き上げられて、多数の異形が吹き飛ぶが、空いた空間を生めるように、その死体を踏み越えて、次々と敵は現れる。

 炎を纏った剣が相手の皮膚を切り裂き、肉を飛び散らせる。

 溶けかけた金属は容易く折れて、もうこの戦いで何本の剣を持ち変えたかも判らない。

 そうしてこの地獄を必死に戦って、戦って、戦い続けて。

 果たしてどれだけの時間が経っただろうか。いや、実際には一時間も経過していないのだろう。

 ほんのそれだけの間に、終焉は訪れた。

 前線を支え切れなくなり、陣が崩れる。

 そこから内部に入り込んだ異形達は、背後からオルタリアの兵達を襲う。

「ディッカーさん!」

「踏みとどまれ! 踏みとどまるのだ! 私達が敗北すれば、民達が危険に晒される!」

 兵達は奮起し、よく戦った。

 しかし、それでも限界はやってくる。

 一人また一人と倒れ、異形の餌となる。

 体力の限界を迎えた魔法兵は、もう立つこともできずに下に迫る異形達に怯えている。

 そしてトウヤもまた全ての体力を使い果たし、剣を構えて相手を睨み付けることしかできなくなってしまっていた。

「ここ、まで……かよ?」

 視界が揺れる。

 手に持った剣が重い。もう持ち上げられそうにもない。

 目の前には、人型の異形が二匹。まるでトウヤを嘲笑うかのように、その剥き出しの牙を打ち鳴らしている。

 撓る腕の一撃がトウヤの剣を弾き飛ばし、続くもう一撃がその顔を狙って振り下ろされる瞬間。

 空から落ちてきた黒い塊が、落下の勢いをそのままに異形を一刀両断する。

「なっ……!」

 黒い鎧は、所々に魔力による制御を受けた証である緑色の光による線が走っている。

 手に持った大剣を構え、その一振りは小型の異形ならば纏めて吹き飛ばす威力を誇っていた。

「魔、装兵……?」

 それも一騎ではない。

 合計二騎の魔装兵は、戦場の真っ只中に飛び込み、次々と異形達を蹴散らしていく。

 鎧によって一回り大きくなったその体躯の兵士は、異形の撓る腕や放つ毒液などは全く問題にしない。

 一薙ぎに異形を纏めて屠り、並み居る敵など物の数ではないと言わんばかりに前線を押し上げていく。

「すげぇ……」

 魔法技術の粋を尽くして造り上げた鋼鉄の兵士は、死肉を食い荒らそうと集合した異形の群れを軽々と葬り去り、あっという間に再び前線を構築していった。

 そして続いて現れた兵達が、まだ息のあるディッカーの部下達を担ぎ上げて、少しでも安全なところへと非難させていく。

「ハッハッハッハッハッハ! 遅れてすまないな、ディッカー卿!」

 高らかな笑い声を響かせながら、やってくるのは、小太りの貴族服を着た男だった。

 トウヤは彼を知っている。しかし、どうしてここにいるのかが全く理解できなかった。

 モーリッツ・ベーデガー。オルタリアの五大貴族の一人であるその男は、背後に自らの手勢である軍団を連れて、悠々とフィノイ河の橋を渡ってこちらにやってきた。

「モーリッツ殿……」

 トウヤの傍に寄って肩を貸してくれたディッカーの元に、モーリッツがやってくる。既に魔装兵と彼の部下達によって周辺の異形達は排除され、この辺りは安全になっていた。

「深追いはするなよ! 本体は叩けぬのだから、追い払うだけでいい! しかし、周囲の索敵には絶対に気を抜くな!」

 モーリッツの指示を受けて、斥候達が四方に散っていく。

「危ないところだったな、ディッカー卿。しかし、随分と派手にやったようだな。これは、私も貴殿の評価を改めねばならぬ」

「あんた、何でここに……!」

「それはこちらの台詞だぞ、エトランゼの少年。私はオルタリアが五大貴族の一人。国の危機に動かずしてなんとするか。いや、私も本当ならばソーズウェルの防備を固めるとか、そういう楽な仕事の方がよかったのだがな」

 モーリッツは腹を揺らしてそう答えた。

 その言葉に偽りはないのだろう。彼の部下は精力的に敵を駆逐し、負傷者を救護して治療を施している。

「さあディッカー卿、エトランゼの少年。二人も治療を受けた方がいい」

 手を貸されて、ディッカーがモーリッツの部下と共に後方に下がっていく。

「……でもさ、ここを護ってもいつか限界が来る。御使いには俺達の力じゃ対抗できない」

「ふむ。目下の問題はそこだな。で、肝心の御使いは何処か?」

「今のところ姿は見てないけど」

「ならばそれでいいだろう。もしかしたら何か理由があって動けないのかも知れぬしな。我々はその間に……」

「モーリッツ様!」

「なんだ?」

 先程放ったばかりの斥候が、すぐに慌てた様子で戻ってきた。

「モーリッツ様にお会いしたいという男が……っておい、勝手に来るでない! 陣も張っていないとこれだから……」

 斥候の言葉をよそに、現れたその人物を見てモーリッツとトウヤは目を丸くしていた。

「……すまない、遅くなったな。トウヤ」

「……ヨハン」

 現れた青年は、少しばかり申し訳なさそうな顔をして、しかしすぐにいつもの表情に戻った。

「なんだ、今到着したのか? まったく、部下だけを死地に送り自分はゆっくり登場など、将の風上にも置けぬな」

「耳が痛いな。それよりもモーリッツ卿。現状俺達はあの異形の群れと、それを指揮する御使い、悪性のウァラゼルを倒すために動いている。そちらの目的も同じと判断していいか?」

「うむ。この状況ではエレオノーラの命も何もあったものではないだろう。まずは奴等を排除し、私の武功を……いやいや、オルタリアの民の平和を護るのが先決だ」

「ならば協力を要請したい」

「協力? 馬鹿を言うな。お前達の戦力がもう残り少ないことぐらいは判っているのだぞ。正確には、お前達が我々に合流するのが……」

 モーリッツの言葉を聞き流しながら、ヨハンは懐から紙片を取りだしそれを押し付けた。

「なんだ、これは?」

「ソーズウェルと王都の中間にある俺の家から、そこに書かれた物を持って来てくれ。抜け目ない貴方のことだから、もう占拠しているんだろう?」

「ふむ。それはそうだが……。どうして私がお前の言うことを聞かねばならぬ? それで御使いが倒せるとでもいうのか?」

「ああ、倒せる」

「本当かよ!?」

 それに大きく反応したのはモーリッツではなくトウヤだった。なまじ実際にその力を見ているだけあって、にわかには信じられないのだろう。

「五大貴族を顎で使うのならば、相応の理由が必要だぞ? ましてやそんな不確定な……」

「モーリッツ様!」

「なんだ今度は! 騒々しい奴だな!」

「南方にこちらに向けて前進する異形の軍団を確認しました。そしてその中心には、ドレス姿の少女があるそうです。恐らくは噂に聞く御使いかと……」

「なんだと!?」

「……議論の時間はなくなったようだな」

「そうだな。今はそんなことを話している場合ではなくなった。どうやって奴を退けるかが問題となる」

「違う」

 伝令によって伝えられたからか、それとも彼女が近付いてきている証なのか。

 全身を貫くような悪寒が、全員を包み込んでいた。

「俺が時間を稼ぐ」

「貴公一人でか?」

「無茶言うなよ! 以前あれだけ滅茶苦茶にやられたってのに!」

「それを言われると心苦しいが……。今回は対策を講じてきた、安心しろ」

「あんた、前もそう言ってたろ?」

「……今度こそ、だ。あいつを倒すために行動する。そのためにはお前もだが、俺が生きている必要がある。……これで充分か?」

「でもさ……」

 トウヤもモーリッツも、ヨハンの言うことを今一つ信用していない。御使いの強さと、トウヤに関してはヨハンの前科を思えば仕方のないことではあるが。

「判った、判った。論より証拠だ。今からお前達を驚かせてやる。驚いたら、トウヤは手勢を連れて撤退、ディッカー卿の領内にいる仲間達と合流してくれ。モーリッツ卿も、俺の言う通りに」

「約束はできぬが、その手には興味がある。見せてみろ」

 溜息をついて、ウァラゼルがいるであろう方向を睨む。

 既に遠目には大勢の異形と、その中心で浮かび上がる小さな少女の影が見えていた。


 ▽


 かつて、最強と呼ばれた力があった。

 運よく、と言っていいのか、それを手にしたのはある程度の分別がある人間だった。

 この場合の「運よく」とは彼自身ではなく、周囲の者達のことも含んでいる。

 仮に、彼が私利私欲のためにそれを悪用するような人間であった場合、エトランゼであるなしに関わらず多くの人が破滅していただろう。

 仮に、彼が度を超えた善人で、人のためにその力を振るい続けた場合、やはり多くの人が破滅していただろう。

 その力がもたらす結果が判っていたから、彼はその力を振るうことを極力避けた。

 そして、そのまま力は失われた。

 目の前に異形の軍勢が迫る。

 モーリッツに言って、兵達は可能な限り下がらせた。そしてヨハンの言うことは本当だった場合、纏めて撤退させるつもりだった。

 異形達が止まる。

 その先頭に浮かぶ少女が、手振り一つで無秩序な破壊をもたらす怪物達を留めた。

 彼女はヨハンを見て笑う。

 まるで太陽のような笑顔で、小鳥の囀りのような声で。

「ヨハン! 生きていた! とても嬉しいわ、ウァラゼル、感激よ! あの男に連れていかれて、どうなったのかと思っていたけど、あっという間に傷を治して来てくれるなんて、やっぱりヨハンもウァラゼルが好きなのね!」

 ぐっと、拳を握る。

 その中にある小さな水晶は、以前家を出る前にその場に残せず回収しておいたものだった。

「ねぇ、ギフトのないヨハン。一人で立ち塞がってどうするつもり? 後ろにあるお人形さん達と一緒じゃないと、ウァラゼルがちょっと力を込めただけで前と同じになっちゃうよ?」

 北の地で、ヨハン達は敗北した。

 白い大地で出会ったもの。それは自らを御使いと名乗り、圧倒的な力を持って、ヨハンとその仲間達を蹂躙した。

 どうしてヨハンが助かったのか、その理由は判らない。

 ただ一つ確かなことは、その御使いは何らかの方法を以ってして、ヨハンのギフトを封印した。

 厳密には全てを失ったわけではない。今でもその力の残滓を感じることができる。

 それでも確実なことが一つ。

 ヨハンはもう、その力を振るうことができない。

 それが判ったときは、絶望した。少し時間が経って、安心している自分がいた。もう自分でも制御できない、世界を変えうるほどの力を振るう必要はないのだと。

 そしてまた時間が経って、今度は恐怖した。

 もし、御使いが自分を殺しに来たら。

 超越者と呼んでもいいほどの力を持つ彼等が、人に牙を剥いたらどうなるのか。

 可能性は万に一つ。それでも、一度見てしまった、味わってしまった恐怖を忘れることはできない。

 だから、研磨した。

 身体の中に残ったギフトの残滓を頼りに、あらゆる武器防具を作り、御使いに対抗できるだけの力を生み出そうとした。

 結果は思わしくない。何度、どれだけの技術を用いても単体で御使いに対抗できるだけの力を生み出すことはできそうにない。

 方向性を変えた。

 例え及ばなくても、一人では敵わなくても。

 御使いを前にしたときに、彼等を倒すための人柱になるにはどうすればいいかと。

「人の死によって失われる寸前の魂は、剥離が用意でなおかつ手軽に、大きな糧となる」

 既に多くの人命が失われた。

 幾つもの野晒しの死体が、目の前には転がっている。

 ヨハンは禁忌の力に手を伸ばす。

 倒れた死体の山から、光り輝くものが生み出されてはヨハンが掲げた水晶に吸い込まれていく。それを吸収した水晶の色は、透き通る透明から禍々しい赤へと。

「ウァラゼル、それを知っているわ! だからわざわざここに来たんだもの! 本当はもっとゆっくりと遊びたかったのだけど、その懐かしい、とっても綺麗な光を見たかったから!」

 第五元素。

 不死の霊薬。

 果たしてそれは幾つの名で呼ばれたものか。それはヨハンには対して興味はない。何故なら、その手にあるのはあくまでもそれとは異なる、必要最低限の機能だけを持たせた紛い物に過ぎない。

「あなた、人間なのにソレを作ったの! それは凄いことよ、ヨハン! でも残念、残念なの。それは紛い物、偽物よ。それだけの力は感じられないもの!」

 幾つもの魔法道具や薬品はこのための実験。

 大気中に流れる魔力を長い時間を掛けて集め、それを調整し、純度を高め続けた。

 それでも足りない。理を捻じ曲げるためにはもっと圧倒的な力が必要だった。

 だから、最後に死を用いた。

 死者の尊厳を、魂を踏み躙った。

 手に持った赤い石を、自らの胸に突き入れる。意思を持っているかのようにそれは、ずぶずぶとヨハンの左胸、心臓のすぐ傍に沈み込んでいった。

 ギフトは心臓にあるわけではない。ただ、概念的なものとしてその辺りに何かが埋め込まれている。

 ギフトを封じられたときもそこを突かれ、先日のウァラゼルにも指さされた。

 心臓が強く脈打ち、全身の血が沸騰するほどに熱くなった。

 視界が一度真っ赤に染まり、倒れた死体の山から幾つもの眼が生まれてこちらを見ている。これは恐らくは死者を用いたことによるものであろうと、関係のないことを分析していた。

 空っぽの身体が満たされる。

 心臓から送られる、熱を持った本当の血液が、冷えた体内に行き渡っていくかのような熱が感じられた。

 そうして、ゆっくりと。

 真っ赤に染まっていた視界が色を取り戻す。

 この世界は、ヨハンが元居た世界とは違う。

 ギフトがあり、魔法がある。

 では、魔法とは何か。

 この世界のあらゆるものに宿る魔力を、自らの精神力と結びつけ、現象を執行する力だ。

 ヨハンにはその全てが見えた。何もかもを理解してしまった。

 いや、厳密には違う。

 理解などしていない。この世界に敷かれた魔力、魔法という独自の法則は、一介の人間によって解析されるほどに容易いものではない。

 ヨハンの持たされたギフトはそれらの理を破壊して、再構築。最も自分にとって適した形へと支配する。

 敷かれたルールを破り、都合のいいように書き換える。

 彼をかつて最強足らしめた、常識破りのギフト。

 それが再び、顕現する。

「うふっ」

 それを目にしても、目の前の御使いは笑った。

 最高の遊び相手が現れたと、その程度の認識にしかなっていない。

 それもいいだろう。

「遊んでやる。ただし、後で代金は払わせるが」

「うふふっ。いいわ、とても、とっても、とっても凄い! お人形さん……ううん、人間の身でここまで辿り付くなんて、あなたのギフトってとっても凄いのね! いったいどうしてそんな力を手に入れたのかしら? 誰かの間違い? それとも……」

 異形の軍勢が動きだす。

 たった一人荒野に立つ人間を蹂躙しようと。

「でもいいの。そんなことはどうでもいいの。あなたの力を見せて、ヨハン!」

 今は全てが視えている。何もかもがこの手の中にある。

「ドミネーター」

法則の支配者。

世界を書き換える者。

 今一度力を取り戻した最強はそれを振るう。

 世界の法則が書き変わる。

 万物に宿る力、魔力と呼ばれるその個々は小さな力が、奔流となってヨハンの手の中に集まった。

 草に、花に、大気に、それらに宿る力は小さなもの。

 それらを読み取り、解析し、合成する。そして異なる法則を与えて、本来ならばありえない現象を引き起こす。

「解析、結合。――風圧」

 不可視の力が膨れ上がる。

 掌を前に突きだすと、そこから離れた暴風が、目の前に迫る異形の群れを数百匹単位で纏めて吹き飛ばした。

 風は渦を巻き、肉が裂け、血に塗れた赤い竜巻が忌まわしい怪物を撒き上げて容赦なく殺し尽くす。

「凄い!」

 歓声を上げたのはウァラゼルだ。

「凄い! 凄い! 凄い! 人間の身で、お人形なのにそこまでの力が出せるなんて! ウァラゼル、とっても、とっても楽しいわヨハン!」

 無数の極光が撒き散らされる。

 それは一瞬にして数百の悪性の異形と化した。

 肉を脈打たせ地面を這いずり、あるものは駆けまわるように、生み出された異形達はあちこちに散っていく。

 ヨハンと、その周囲にまだいる兵士達を喰らうために。

「……ちっ」

 それらは人間を蹂躙していた者達よりも早く、強靭だった。それが、やはりこれだけの被害をもたらしてもウァラゼルが本気でなかったことの証明となる。

 異形は地を蹴り、体躯を捻じ曲げて一瞬でヨハンの前に着地すると、撓る腕を振るってその首を狙う。

 しかし、それはヨハンには届かない。

 物理的な攻撃を遮断する障壁が、逆に高速でぶつかった異形の腕を妙な方向に捻じ曲げた。勿論、それで怯むような相手ではないが。

「結合、氷結」

 パキパキと、ヨハンの足元から透き通る氷が広がっていく。

「絶対零度」

 その一言で爆発的に氷は膨れ上がって広がり、あるものは氷漬けにされ、またそれを避けたものも尖った氷の刃に身体を刺し貫かれて動きを止めた。

「やっぱりそれじゃあ退屈かしら?」

 高速で光が伸びる。

 ウァラゼルの放つ極光、セレスティアルが彼女の背中から無数に放たれて、ヨハンに向けて矢のように襲い掛かった。

 上下左右から襲いくる光の刃を、ヨハンは魔法によって自らの身体を浮かべて避けていく。

 ウァラゼルもそれに追従するように光をばらまき、ヨハンに当たらなかったセレスティアルは地面に落ちて、また異形と化して地面を進み始めた。

 そこに手を向け、魔法を発動。

 掌から放たれた火球は空中で無数に分裂し、まるで隕石のように降り注ぐ。

 地表の大半を破壊しながら爆発し、それは数百の異形を纏めて灰に変えた。


 ▽


「なんだよ、あれ……? 魔法を好きなだけ使えるギフトってことなのか?」

 トウヤの声が、最早戦場でもないその場所に響いた。

 彼の横に立つモーリッツも、ディッカーも、兵士達も同じ感想を抱いているようで、誰もが驚きのあまり言葉を失っていた。

 火球が爆ぜる。

 風が踊る。

 大地が唸る。

 氷の花が咲く。

 ありとあらゆる動きが、ヨハンの言葉一つ、腕の動き一つで繰り出される芸術的とも呼べる魔法の輝きが、ウァラゼルが生み出す百を超える異形達を一瞬にして消し去っていく。

「つ、強すぎる……。これが、エトランゼの力なのか……?」

 横で戦慄しながらそう呟くモーリッツと、視線があって、トウヤは思わず首を横に振っていた。

「……あれは、違う」

 あんなトウヤにはない。これまで出会ってきた、どんなに強力なギフトを持つエトランゼだって、あんな風に縦横無尽に暴れまわることはしなかった。

 ヨハンは襲いくるウァラゼルのセレスティアルを魔法で撃墜し、彼女が生み出す異形を一瞬で消し去り、また異なる魔法によって攻撃を仕掛けている。

 その一撃一撃が大軍を吹き飛ばしても余りあるほどで、既に戦いが始まった平原にはクレーターが幾つも出来上がり、地割れが起きて、大地は本来の形を失い始めていた。

「……御使いと、戦えてる」

 勝てるかも知れない、トウヤはそう思った。

 あれだけの力ならば、ウァラゼルに、御使いを倒すことができるかも知れないと。

「だが、派手な割には御使いにさしたる痛手は与えていないようだな」

 逆に、意外と冷静に見ているのはモーリッツだった。彼の場合は、これから先敵対する可能性もあるのだから当然ではあろうが。

 その言葉通り、ヨハンは異形の群れをものともせず、こちらに向かってくる連中まで視線の一つで吹き飛ばす勢いだが、ウァラゼル本体にはまだ傷の一つもなければ、息を切らせている様子もない。

「お前達」

 不意に空中から声が響き驚いてそちらを見ると、ヨハンがウァラゼルの方に視線を向けたまま浮かんでいた。

 片手を突きだし、そこに光の障壁が出来上がる。遅れて伸びてきたウァラゼルの極光の帯がそこに突き刺さって突破しようと足掻いていた。

「これで驚いてもらったと思うが、まだ足りないか?」

「い、いや……」

「だったら急いでくれ。相手がせっかちすぎる。手品の種が尽きるまではそう時間もない」

 極光の帯が弾け、ヨハンの身体が消える。

 次に彼が出現したのはトウヤ達からは遠く、ウァラゼルのすぐ傍だった。

「俺達も行きましょう」

「う、うむ」

 あんなものを見せられては是非もない。

 トウヤもディッカーも、モーリッツですらも異を唱えることなくヨハンに言われたことを実行すべく行動を開始した。

 それに気付いたウァラゼルは、遊び半分程度ではあるが、追撃用の異形を放つ。

 しかしそれは、ヨハンの圧倒的な力に阻まれて、二人の戦いの場から出ることすら叶わなかった。


 ▽


「魔力結合解除。再結合、精製。炎」

 トウヤ達を追いかける異形を、腕の一振りで発した炎が纏めて焼き払う。

 比べるべくもないことだが、それは魔法でありながらトウヤのギフトにより生み出される炎よりも圧倒的に強く、細やかな制御が効く。

 つまるところ、ヨハンの力は表面上は好きなだけ、望むがままに魔法を使えるというギフトだ。

 この世界で魔法を使うには、魔力を効率的に集め、それを物や自身に宿らせて望む時に引きだせるようにして、その上で精神と結びつけて形作る。

 他にも法則は多くあれど、それが基本形。

 その全てを、ヨハンは見ただけで成し遂げる。あらゆる力の流れを、結びつきを、法則を支配するギフト。

「遊びましょう! 遊びましょう、ヨハン! 今度は前のようにはならないでしょう! ううん、絶対にならないわ、ウァラゼルが保証する。あなたのその力は、最高の遊び相手になるわ!」

 ウァラゼルの身体が浮かび上がり、伸ばした手から幾つもの紫色の極光が伸びる。

 加速して槍のように突き刺してくるそれを避ける。ヨハンに当たり損ねたセレスティアルの槍が、地面に突き刺さり容赦なく抉っていった。

「時間操作……!」

 一瞬だけ、時間の進みが鈍くなる。

 厳密にはヨハンの時間だけを加速させる魔法を使った。

 そして他の全てを避けきり、残りの一本となったとき、ヨハンは手を伸ばしセレスティアルの一本を横合いから掴み取る。

「解析……つっ!」

 頭の中が一瞬で白濁する。

 脳の一部が焼き切れるような痛みに耐えられず、すぐにそれを手放した。

 そう感じただけで、脳ではない。恐らくは、概念的な言い方をするのならば魂がそれの解析を拒否した。それは、人の触れるものではないと。

 時間操作が解けて、ウァラゼルが空中からセレスティアルを光の弾にして絨毯爆撃を放った。

 地面に激突した拳ほどの大きさの光は爆発し、辺り一面を一瞬で穴だらけに変えていく。

「探査。解除から再結合。操作」

 地面に手を付き、そこから無数のマグマを柱のように吹き上げさせて、ウァラゼルのセレスティアルを相殺する。

 彼女の光を打ち消したマグマはその小さな身体をも飲みこむが、真っ赤に染まる泥の中に紫色の光が見えることから察して、大した影響は与えていない。

「今、あなたセレスティアルに触れたでしょう? ぞくぞくして、とっても素敵よ。よかったらもう一度やって見せて!」

 マグマが弾けて、無数の極光がこちらに向かって伸びてくる。

「魔力増幅」

 枯渇しかけた周囲の魔力を、一瞬で膨れ上がらせる。

 再び風を操り、見えない圧力を幾つも生み出してウァラゼルのセレスティアルにぶつけていく。

 だが、状況は思わしくない。相手のセレスティアル一本に、大凡観測できる質量にして十倍をぶつけてもそれを逸らすことがやっとの有り様だ。

 ならばと本体を狙って攻勢を仕掛けてみても、風や炎にで責め立てても全く意にも介さない。

「とっても楽しい! わたしあなたのこと、大好き! でも、でもでも、我が儘を言うわ、あなたのことが大好きだから、我が儘を言うの! もうちょっと頑張って、お気入りには簡単に壊れてほしくないの、判るでしょう?」

 二人の戦いで、一瞬にしてぼろぼろになった大地に手を付ける。

 マグマの噴き上げ、絨毯爆撃。ほろぼろになった地面は最早崩れかけ、地表に生えていた草は見る影もなく、土と泥が剥き出しになっている。

「探査」

 触れた先から地面の奥へと、魔力でできた不可視の糸を走らせる。見えはしないが何よりも丈夫で、意のままに動く糸を。

 そして目標のものに触れると、全力を持ってそれを地面から引き上げた。

 地鳴りが響き、足元の地面が砕けて、それが姿を現す。

 ヨハンの何倍もの大きさのその黒い塊は、オブシディアン。黒曜石と呼ばれる漆黒の金属。

 元居た世界にもあったが、この世界におけるオブシディアンは少しばかり性質が違う。いや、この世界に合わせた特性が付加されていると言うべきか。

「こいつをくれてやる……!」

 黒い塊がウァラゼルに向かって伸びる。

 それが眼前に迫り、ウァラゼルは初めて両手を前に突きだして、防御するような仕草を取った。

 分厚いセレスティアルの壁がオブシディアンを遮断し、その塊はウァラゼルに触れることなく削り取られ、やがて勢いを失って地面に落ちた。

 その間にヨハンは飛び上がり、ウァラゼルの上空から地上に向けて彼女を巻き込むような形で風圧を放った。

 同時に地上からば、生き残った植物に爆発的活力を与えて成長させることで、伸びた蔦が彼女の両手へと結びつく。

「ヨハン! これはオイタね。後でお仕置きしないと」

「もうあの痛みは御免だな」

 ウァラゼルの身体が地面に落ちるのと同時に、オブシディアンが動きだす。ひび割れて砕けて、それぞれが真っ直ぐな杭へと形を変える。

 一度空中に浮かんでから、それらは地面に落ちたウァラゼルに一斉に降り注いだ。

「無駄よ、無駄なの! そんなものじゃウァラゼルのセレスティアルは貫けないわ!」

 彼女の声に焦りが加わる。

 どうやら余程、オブシディアンをぶつけられるのが気に入らないらしい。

 彼女の言葉通り、漆黒の杭はその身体には一本も刺さることはなく、全てセレスティアルの前に拉げて折れていった。

「ヨハン、駄目よ。オイタは駄目! 神殺しの金属を使うなんて、本当に悪い子ね。ウァラゼル、ちょっと怒ってしまったわ!」

「なんなら、もう片方も受けてみるか?」

 地面が隆起して、ウァラゼルに襲い掛かる。

 避けもせず、受けるそぶりも見せず、彼女はそれをセレスティアルを障壁として展開することで防ぎ切った。

 反撃に伸びてきた悪性のセレスティアルに対して、ヨハンはオブシディアンの塊を操って、即席の盾を作りだした。

 光の刃は何本もオブシディアンに突き刺さり、その漆黒の金属を貫通していくも、今まで程の鋭利さは見られず、それを通り抜けてヨハンの目の前に辿り付くまでに時間を要した。

 再度、時間操作の魔法を使う。

 時間を操る魔法は強力だが、ヨハンのギフトを持ってしてもその原理を完璧に支配できるわけではない。

 セレスティアルと同じで、人が容易く触れるべきではないであろうと、そんな不安だけな本能的に感じられた。

 そのため、一度使えば二度目の使用には時間を要する。長く時間を操った状況を維持すれば、何が起こるが想像もつかない。

「だが、今は出し惜しみしているときじゃな……っ!」

 心臓が強く脈打ち、沸騰しそうなほどに熱かった血が、急速に冷え込んでいく。

 それが何を意味するのか、ヨハンにはよく判っていた。

 かつても味わった、最悪の感触だ。自分が自分であることを否定されるような喪失感が身体の内側から湧き上がる。

「思ったより、早いな」

 タイムリミットが迫っていた。

 所詮、人の手によって作りだした紛い物のギフト。元あった場所に当てはめるだけとはいえそう簡単に行くものではない。

 数年の月日と、人の死によって生まれた奇跡は、たった数分でその役目を終えようとしていた。

 ウァラゼルの目の前に移動し、驚愕する彼女に左手に生み出した巨大な火球をぶつける。

 その威力は辺り一面を爆炎で包み込み、炎の渦によってお互いの視界を塞いだ。

「そんなものは効かないわ!」

「やはりか……!」

 ウァラゼルは攻撃を防がない。

 彼女の纏うセレスティアルは、あらゆる力を遮断する。

 剣にすれば何よりも鋭く、盾にすれば何よりも堅牢な万能の光。

「……だが」

 まるでギロチンの刃のように、分厚いセレスティアルがヨハンに向けて振り下ろされる。

 地面を隆起させた即席の盾は一秒と持たなかったが、間一髪でそれを避けるだけの時間は稼いでくれた。

 ウァラゼルの肩に手を伸ばして触れる。

 魔力を介して世界を改変する。

 書き換えられた法則はヨハンの思うがままに変化していく。

「重圧」

 セレスティアルの刃が肩口に食い込む。

 ウァラゼルの身体が異常な重さの重力に圧し掛かられて、地面ごと地の底へと沈んで行くのはそれと全く同時だった。

 少しでもそれが遅ければ、彼女の悪性の輝きはヨハンの身体をずたずたに切り裂いていただろう。

 クレーターが生まれ、ウァラゼルを中心として異常な速度で陥没していく。

「その程度でウァラゼルは死なないわ! 人間が御使いを殺すことなんて不可能なのよ、ヨハン、あなたと遊ぶのはとっても楽しい! でも勘違いしては駄目、あなたはあくまでもお人形! ウァラゼルのお人形なのだから!」

 隆起した地面が砕け、そこからヨハンの目的の物が姿を現す。

 エイスナハルの教典は、御使いの他に多くの聖人と呼ばれる人物が登場する。

 聖人は神の教えを伝え、人のために尽くし、神や御使いに導かれて世界をより良く変えていく。

 そしてその命が失われたとき、聖人達の魂は世界と一つになり、それを統べる父神の元へと召されていく。

 彼等はときに、エイスナハルに敵対する異教徒や魔獣に殺される。そして彼等の死は残された者達の絆を深め、最終的に教典の中の悪は打倒される。

「エレクトラム」

 岩の中に含まれる、眩いばかりの黄金の輝きがヨハンの命令を受けて、礫となって飛び出してきた。

 琥珀金、そう呼ばれる金属は黒曜石、オブシディアンと並んで聖人を殺すための凶器として用いられ、またある時には御使いすら退ける邪悪な刃となる。

 そのエレクトラムを探し出し、弾丸の如き礫と化して、眼下に地面ごと落ちていくウァラゼルに向けて放った。

 ウァラゼルは両手を前に突きだして、セレスティアルによる障壁を生み出してその弾丸を受け止める。

 そこに更に、黒曜石の塊をぶつける。それだけではない。以前ウァラゼルに破られた結界を直接印として描くことで、何倍にも力を増幅したものを百は重ね掛けしてある。

 重さは計測不能。この周辺に埋没していた黒曜石の殆どを纏めたその巨大な塊は、超重力を受けて地面の底に落ちていくウァラゼルに蓋をするような形で圧し掛かっていく。

 それでウァラゼルが倒せるとは思えない。

 だが、時間を稼ぐには充分なはずだ。

 駄目押しに追加の結界魔法を何重にも織り込んでから、ヨハンの姿がその場から消える。

 空間を捻じ曲げ、遠くへと一瞬で移動する魔法。

 その力を最後に、ヨハンの心臓の辺りに埋め込まれていた水晶はその効力を失い、彼のかつて持っていたギフトと共に消滅していった。

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