第十節 ようやく再会
「あの」
どうやら座ったまま寝ていたらしい。
顔を上げると、そこはディッカーの屋敷で、ヨハンは今、重症で運ばれてきたカナタが寝かされている部屋の前の椅子に腰かけていた。
目の前で、一つ結びにした黒髪の少女が一人。確かサアヤと名乗った、カナタ達が世話になっていたエトランゼの一団の癒し手だったはずだ。
「ごめんなさい、起こしてしまいましたか?」
「いや、いい。俺も気付いたら寝ていた」
「カナタさん、目が覚めました。えっと、誰に教えたらいいのか判らなかったので、取り敢えずヨハンさんにと思って」
「助かる」
立ち上がって部屋の扉に手を掛ける。
そこでふと、会話の中にあった小さな違和感に気が付いた。
「……君に名乗ったか?」
「いいえ。でも貴方のことを知っています」
顔を上げて、サアヤは真っ直ぐにこちらを見つめていた。
その表情は和らいでいて、ヨハンの気の所為でなければ、不思議と嬉しそうにも見えた。
「覚えていませんか? わたしがこの世界に来たばかりのころ、貴方に助けられたのを」
「……すまない」
人助けをしたことは何度もある。その中でカナタのように最近ならともなく、昔のこととなるとあまり覚えてはいなかった。
「いいんです。大勢の中の一人でしたし。でも、わたしはあの時の皆さんに勇気を貰って、少しでも近付きたくて、今日まで頑張ってきたんです」
先程の夢と相まってか、少女のその言葉が小さな棘となってヨハンに突き刺さる。
「そうか。少しでも役に立てたのなら幸いだ」
そこで無理矢理に話を打ちきり、何か言いたげな彼女を無視してカナタの部屋へと入っていった。
▽
カナタのために間借りされたディッカーの屋敷の客間は、広々としていながらも普段はあまり使われてはいないのか、殺風景なものだった。
換気のためか開け放たれた窓と、その傍に備え付けてある大きなベッドの上に、カナタは上半身を起こしていた。
「……久しぶり」
「二週間も経っていないがな」
彼女が起きなかった時間も含めれば、丁度そのぐらいだろうか。
何を話していいか思い浮かばずに、その辺りにあった椅子を持って来てベッドの横に腰かける。
言うべき言葉は幾つもあったはずなのだが、いざこうなってみると何から話せばいいものなのだろうか。
「ごめん。メイド服、ぼろぼろになっちゃった」
「別にいい。あれはお前にやったものだ」
「あのびりびりする剣も気付いたらなくしてた」
「適当に作ったやつだ。気にするな」
「……ボクのギフト、強くなったみたい」
「らしいな。話は聞いている」
小さな極光が彼女の手の中で形を変えるが、身体に負担が掛かるだろうからとすぐにやめさせた。
「……心配したぞ」
何から言っていいかも判らずに、何となしに放ったその一言。
それの何が原因であったのか、具体的なところは判らないが。
カナタの中の何かを決壊させるには充分な威力を持っていたらしい。
「……ぐす」
鼻をすすりあげる音に驚いて彼女の方を見ると、カナタは寝ているベッドの隅をぽんぽんと伸ばした手で叩いている。
椅子から腰を上げてそちらに移動すると、何かが弾けるようにカナタはヨハンの胸に飛び込んできた。
「……怖かった」
いつかと同じように、カナタは胸の中で涙を流す。
あの時と違うのはそれが以前に比べて静かであることと、二人の間には確かな信頼関係があることぐらいだろうか。
「……ああ。すまなかったな」
「……違う」
「違う?」
「褒めて」
ぎゅーっと身体に抱きつきながら、顔を胸に埋め、くぐもった声でカナタはそう言った。
下に見下ろした耳が赤いのは涙を流していて感情が高ぶっているからか、それともまた別の理由か。
「……よくやったな」
ついでに、ぽんぽんと優しく背中を叩いてやる。
腕の中で身動ぎするその態度は、もっとしてくれと要求だろう。
「怖かったけど、頑張ったよ」
「ああ」
「役に立ったでしょ?」
「……結果的にはな」
「それは、ごめん」
ばつが悪そうなその言葉を最後にカナタはしばらく黙り込んだ。
ゆっくりとその背中を叩きながら、心の中で自分を叱咤する。
エレオノーラを連れて南側に来た時点で、ヨハンの中には幾つかの策があった。
まずは状況を確認して、それから頭の中にある方法をの中で最も適した物を選べばよかったのだ。
しかし、彼女はヨハンの考えよりも早く行動して結果を出してしまった。
決してスマートとは言えないやり方で、彼女が傷つくという代償を支払ってのことだが、それは考えうる限りでは最良に近い結果だ。
カナタが意識を失ってから、ヨハンはぼろぼろになった暁風の拠点へと辿り付いた。
そこで重傷を負ったカナタをよりよい治療ができる場所、つまりディッカーの屋敷へと連れ出した。
そしてその際に内通者が発覚し、お互いに疑心暗鬼に陥った暁風は半ば崩壊。エレオノーラ達と協力体制を取ることになった。
もしカナタがいなければ、暁風は聖別騎士によって壊滅させられていた。それを護れたのは間違いなく、大きな功績だった。
「落ち着いたか?」
胸の中で頭が上下に動いた。
ゆっくりと身体を離すと、カナタは何処か名残惜しそうな顔をしていたが、正面からヨハンを見てすぐに表情を引き締める。
「怪我が完全に治るまでは安静にしておけ」
「でも、これからイシュなんとかに行くでしょ? ボクも役に立てるよ!」
「もう充分だ。後は俺に任せろ。少しは役に立って見せないと、立場がなくなる」
ぽんと頭の上に手を乗せると、それで言いたいことが伝わったわけではないだろうが、カナタはそれ以上は何も言わない。
「ふふっ、そうかも。ヨハンさん、なにもしてないし」
「お前達の世話だけで精一杯なんだ」
「言い訳にならないよ。もっと頑張ってもらわないと」
「判ってる」
憮然とした様子で椅子に戻ると、カナタもベッドの中央に移動する。
「あ、そうだ」
そろそろ退室しようと思っていたところで、カナタが何かを思い出したかのように口を開く。
「これ、壊れてたよ? 全然声届かなかったもん」
カナタが取りだしたのは、イヤリング型の通信機器だった。
「それはあくまでも通信機器の代わりができるだけだからな。距離が離れたり、他の様々な理由で使えなくなるのは仕方がない」
「じゃあもう使えないの?」
「基本的にあまり役には立たないだろうな」
回収しようと手を伸ばすと、何故かカナタはそれを避ける。
「持ってていい? もし、また何かあったときに、ひょっとしたら声が届くかも知れないんだよね?」
「……そうだな」
別段、回収したところで使い道があるわけではない。それで気休め程度の安心が得られるのならば、預けておいてもいいだろう。
その道具の本来の用途に関しては、今は黙っておくとして。
「それからもう一つ。ずっと聞きたかったんだけど、なんでメイド服なの?」
「あれは様々な防御と、身体強化の魔法を織り込んだ特殊な繊維で作られた服だ。材質は布だから防御力は劣るが、原理は魔装兵と一緒だ」
「いや、だからなんでメイド服なの?」
「一応はコストダウンも図られているが……。まぁ、装甲を排除した分他の強化を施したせいでそこは失敗したな。しかし本来の魔装兵にはない機能を搭載した画期的な……」
「……メイド服にする理由はないよね?」
「その最もたるところで言えばやはり身軽さだな。お前も使ったから判るとは思うが、全身を鎧に纏った魔装兵とは比べ物に……」
「っていうかボクのサイズにぴったりだったのも正直言ってちょっと……引いた」
「……言い訳をするのならばあれはある程度伸縮する布でできている。余程体格が違わなければそのまま着れるはずだ。一番身近なお前に合わせたのは否定しないが」
「で、なんでメイド服なの?」
「しつこいぞ。怪我人は寝てろ」
立ち上がって、今度こそ部屋を後にしようとする。
「……むっつりすけべ」
「否定はしない」
そこにある本当の理由も、今は黙っておく。別に語ったところで何かが起こる話でもない。
「でもまぁ、色々助かったから、許してあげる」
そう言って、カナタはいつものように笑う。
その様子は普段の彼女のようで、嫌な夢を見て揺らいでいた心がいつもの調子を取り戻していった。
▽
「つまりだな、ヨハン殿」
部屋の外に出ると、エレオノーラがいた。
どうやらカナタの見舞いに来たようだが、何故かヨハンを呼び止めてお喋りをする気満々のようだ。
「妾も何かをすればヨハン殿に褒めてもらえるわけだ。頭を叩かれずに」
「……覗いていたんですか?」
既にそれがもう、頭を叩かれるに充分な案件のような気がするのだが。
それにしてもあの拳骨が余程ショックだったのだろうか。
「……二人がいい雰囲気だったからな。入り込むのも無粋と思ったのだ。しかし誤解するなよ! 決して妾から見て男女のそれではなく、家族のようだったとそう思えたのだ」
「別にそんなことはどうでもいいでしょう。で、素っ頓狂なお話しはそれで終わりですか?」
立ち去ろうとするヨハンのローブの裾を、エレオノーラはきゅっと掴む。
「ヨハン殿、妾に厳しくないか?」
「気の所為でしょう」
身体を向きなおすと、エレオノーラは「こほん」とわざとらしい咳ばらいを一つ。
「それではヨハン殿。このエレオノーラがそなた達の活躍に報い、存分に働いてやるとしようぞ! さあ、何かやることはないか? さあさあさあさあ!」
「ありません」
詰め寄るエレオノーラをそう一蹴すると、彼女は満面の笑顔のまま固まった。
「なんでだ!? 妾はこう見えても、一応はこの中で最も偉い立場にあるぞ! 無論それをひけらかすような真似はせぬが、だからこそやるべきことが、妾にしかできないことが幾つもあるのではないか!?」
「今は特には」
既に暁風との交渉は済んでいる。今そこにエレオノーラが出ていったとしても、余計な反感を買うだけだろう。
彼女が出番があるとすればそれはイシュトナル要塞に攻め込む時だ。
「むぅ……。しかし、妾も固く決意してこの地に参った身だ。ここで置物のように鎮座しているわけにはいくまい!」
「そうですね。ですから」
希望を得て、ぱっと明るくなるエレオノーラの顔。
その両肩に手を掛けて、ゆっくりと反転させる。彼女の身体は、カナタの部屋に。
「しっかりとカナタを見舞ってやってください。後少ししたらお腹が空いたと騒ぎ始めるので、食事もお願いします」
「いや、それは構わぬが……。妾はこう見えても姫だぞ?」
「家臣の様子を見て鼓舞するのも、主たる者の立派な務めです。最優先としてやるべきそれを果たせないエレオノーラ様に、これ以上回せる仕事もないでしょう」
「ほう。そう言われては断れぬな。元よりカナタは妾の大事な友であるからして、手は抜かぬ!」
胸を張って、部屋に飛び込んでいくエレオノーラ。
「前から思ってたんだけど、あんた姫様に厳しいよな?」
「……今度はなんだ」
前を見れば、今度はトウヤが廊下の先に立っている。
その表情は思いつめているようにも見えて、そのまま素通りするというわけにもいかなさそうだった。
「どうした?」
そう尋ねても、しばらくの間トウヤは何も答えない。
そうして数秒ほどしてから、ようやく喋りだした。
「ヨシツグさん達と手を組む話になったんだって?」
「ああ、そうだな。協力してイシュトナル要塞を奪取する。その後のエトランゼの扱いについてはこれから詰めていくところだが……。元々はやらなければならなかったことだ。特に問題はない」
「……俺に、何か言うことがあるだろ?」
「なんの話だ?」
「俺はあんた達を裏切ろうとした。あんたや姫様の言葉よりも、あの人の言ってることを優先しようとしたんだ」
俯きながらそう口にする。
「ヨシツグさんの言葉が正しいって、思っちゃったんだ。エトランゼは差別されてるから、俺達は俺達で集まって国を作らなきゃならないって」
「理想的な言葉だ。そうすれば、元居た世界と同じように生活できる。それは多くの人が望んでいることだからな」
ヨシツグの思想を否定することはできない。
誰だって、帰りたいのだ。これまで暮らしていたあの場所に。
「でもあんたは違うだろ? エトランゼだけがよければいいってわけじゃない」
「それは、そうだな。その名の通り俺達は来訪者だ。俺達がやるべきは奪って支配することじゃない。どうやって共存するかを考えることだ」
「でもさ……!」
トウヤの言いたいことは判る。
差別も、今の状況も全てはオルタリア側が招いたことだ。
そんな連中に頭を下げろと言われても、納得できる人の方が少ないだろう。
「……あんたはどっちの味方なんだよ?」
絞り出すような声だった。ヨハンに何かを問おうとして、言葉にならずに、それでも正しさを求めた少年から出たのは、たったそれだけの質問。
「どちらでもない。エトランゼの生活をよくしたいと思っているし、その為にもともとこの国に住んでいた人々が傷つくのは許せない。姫様も同じ考えだろう」
「その答えってズルくないか?」
「否定はしない。だからお前はお前が正しいと思ったことをすればいい。ヨシツグの思想を正しいと思ったのなら、そっちに進むのも一つの方法だろう」
「……俺には判らない」
「ああ。俺にも何が正しいのかは判らん」
そう言った瞬間のトウヤの顔は、この場にカナタを呼んで見せてやりたいほどに滑稽なものだった。
きょとんとして、彼より少しばかり身長の高いヨハンを見上げていた。
「なんだよ、それ」
「それはそうだろう。お前に判らないのに、なんで俺に判る?」
「そりゃ……。あんたは落ち着いてて、何でも判ったような態度だし……。だからカナタも姫様もあんたを信頼してるんだろ?」
呆れたような大きな溜息が一つ。
「そんな便利な奴がいてたまるか。俺は超人じゃないんだぞ。今だって今後をどうすればいいのかで頭を悩ませてる」
「なんだそりゃ……。もう答えが出てるもんだと思ってた」
「そんなわけあるか。今回だってお前等が上手く立ち回らなければもっと苦労してたんだからな」
一つ、トウヤは勘違いをしていた。
目の前に立っている彼は、決して万能ではない。未来を見通す目を持っているわけでも、どんな状況でも容易く解決できることもない。
「そうは見えないかも知れんがな。必死なんだよ、こう見えても。そして、それはまだ続くんだ」
「……そっか」
言ってから、トウヤは思わず吹き出してしまう。それを見てヨハンは若干ではあるが、不機嫌そうに眉を顰めた。
「……とにかく、そういうことだ。別に俺の言葉が正しいわけじゃないし、むしろ間違ってるかも知れない。だからお前は自分で考えて道を選べ」
ヨシツグ達も過激な部分はあるが、エトランゼの未来を憂い、そして同胞を一人でも多く救いたいというのは本心だろう。
トウヤのギフトは強力で、真っ直ぐな彼の心は代えがたい。
そんな彼の力を欲するもの、傍に置いておきたい人物は決して少なくはない。
所詮、彼の目の前に立っているのは残骸に過ぎない。
落ち着いているのではなく、自分がないだけ。他人の運命を左右することを恐れて、流されることを望む。
それでも何処かに、熱を帯びる部分が残っていたからこそ、今回の話に力を貸しだけに過ぎない。
悩んで迷って、そしていつか自分の道を見つけるであろう若者は、ヨハンの目には眩しすぎる。
「……俺達には、お前の力は必要だがな」
「……欲しいのは俺のギフトだろ?」
「違う」
そこだけは、はっきりと否定した。
何だかんだ言いながらカナタを助けてくれる彼を、そして自分に非があると判ればこうして謝罪に来る少年の心根を、ヨハンは買っていた。
「トウヤという人間の力が必要だ」
そう口にされて、トウヤはしばらく固まっていた。
自分の中でその発言を咀嚼し飲み込んで、それでもまだ答えは出ない。
「……変な奴だな、あんた。流石カナタの師匠だ」
だから結局、そう言って小さく笑うことしかできない。
でもそれでもいいのだと、その時は思うことにした。
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