第八節 異邦人として生きるには
「弓兵、一斉射!」
その場を預かる百人隊長の号令が響き、一斉に弓兵部隊の矢が放たれる。森ではあるが、木の密集度はそれほど高くはない。弓矢でも牽制程度ならば役に立つと判断しての斉射だった。
「重装兵、進め!」
分厚い鎧を身に纏った兵士達が、盾を構えて前進する。
砦の包囲は完了している。後は数に任せてここにいるエトランゼを仕留めれば、彼の任務は完了する。
彼等がここに来たのにはしっかりとした理由がある。民へ課せられた税の分の作物を横から掠め取り、あまつさえ勢力を築こうとするエトランゼの一団をイシュトナル要塞の長は許しはしなかった。
ただでさえ、王権交代でエトランゼに対する風当たりが強くなることが予想されているのだ。難民を吸収し、手が付けられなくなる前に対処する必要がある。
「ギフトを持っているからといって怯えるな! 所詮は戦い方を知らぬ素人の集まりだ! 数で押しつぶせば混乱し、潰走する!」
伊達に百人隊長を任せられてはいない。エトランゼとの交戦経験は何度もある。
彼等はどれも個人の能力は驚異的だが、野盗以上の戦術を取って来た者達はいない。
一人が倒れれば混乱し、それが広がればたちまち恐慌状態に陥る。つまるところ、エトランゼとの戦いはどのようにして機先を制するかにかかっていると言っても過言ではない。
だからこそ一斉掃射、そして重装歩兵による囲い込みだった。
事実、前面に展開していたエトランゼ達は、弓矢が当たれば痛みに苦しみ、ギフトを使う暇もない。
「ギフトを持っているだけの人間だ! 斬れば倒れる、首を刎ねれば死ぬ!」
百人隊長の言葉は正しい。エイスナハルの教義をどう解釈しようと、エトランゼは人間だ。
だが、彼にとって最大の誤算がここにあった。
それはある意味では幸運だったのかも知れない。もし「それ」に出会っていれば、彼はここまで生き残ることもなく、百人隊長という出世を迎えることもなかった。
その幸運が、今日で終わっただけの話だ。
「オルタリア軍! 俺の仲間を傷つけさせはしないぞ!」
重装歩兵の前に立ちはだかる男が一人。
鎧を身に纏い、盾と剣を構えた偉丈夫は、そう叫ぶと持っていた剣を一閃する。
驚くべきことが起こった。
堅牢を誇るはずの重装兵が、一撃で鎧ごと身体を切り裂かれて倒れたのだ。
それも、一人ではない。
剣の先から伸びる光の刃に切り裂かれて、一度に十人が倒れる。
彼が更に剣を振るえば、もう十人。
一瞬にして二十人を失った前線は一瞬にして壊滅状態になった。
「弓兵! 奴に射撃を集中!」
「させるかああぁぁぁぁ!」
今度は盾が光を放つ。
盾が広がるように光の壁が広がって、広域を包み込む。
その護りは固く、矢の一本どころか、重装兵の突撃すら容易く防ぎきるものだった。
「ちぃ! 魔法兵を出せ!」
命令に従い後ろから歩み出てきた、イシュトナル要塞の虎の子と呼んでも過言ではない魔法兵が魔法による砲撃を放つも、火炎も稲妻も光の壁の前に無力化されてしまった。
「今度はこっちの番だ! みんな行くぞぉ!」
号令に従い、彼を先頭に進軍が始まる。
「俺の《ソーラー》のギフトには勝てない! 太陽の光に呑まれて消えろ!」
剣の一振りが、太陽の光を纏って一度に多数の兵を葬り去る。
「ヨシツグ! アタシの分も残しといてよ!」
木々の間をまるで猿か何かのように飛んできた影に、その場の誰もが反応することができなかった。
まずは弓兵が一人。その周囲が一度に三人。
そして影が消え、今度は魔法兵が餌食となる。
喉元や心臓に確実に短剣を突き刺して相手を葬るその姿は、とてもではないが人の目で捉えることができるものではない。
そして百人隊長は知る。
自分が今まで、救われていたという事実に。
何のことはない。強力な、規格外とも呼べる力のギフトに出会うことがなかっただけの話だ。
彼等がこの世界に来たときに手に入れた力は、この世界あまねく広がる魔法を容易く凌駕する。
果たしてどれほどの力を持つ、何年を研鑽に費やした魔導師こそが彼の持つ陽光に至れるだろうか。
魔導師ではない彼にその答えは出すことはできない。何よりも。
振り下ろされた光の刃が、既に逃れられない距離でその脳天を捉えていた。
▽
「……成程。お話は判りました」
兵士達の案内を受けて、ヨハンとエレオノーラの二人は無事にディッカー・ヘンライン卿に会っていた。
西の森のすぐ傍。幾つかの村を合わせた、その中央にその屋敷は位置している。父王の時代から信頼は厚く、また彼の宮廷魔術師である先代のヨハンからも一目置かれていた彼は、イシュトナル要塞の司令官を解任されてもまだそれなりの規模の領地を持っていた。
横長のソファを向かい合わせに並べ、その中心にテーブルが置かれた客間は、彼の性格を現すような質実剛健な作りをしている。
口元に小さな髭を生やした、四十代の貴族服を着たディッカーは、エレオノーラにゆっくりと頭を下げる。
「改めまして、エレオノーラ様。これまでの旅路、大変だったでしょう」
「面を上げてくれ、ディッカー。妾が意思を貫いた結果だ。それに、仲間にも恵まれた」
ちらりと、エレオノーラの視線がヨハンを見やる。
ディッカーにも既に父王の崩御から、ヘルフリートが王位を継いだこと、そしてエレオノーラの命が狙われていることは伝わっており、その上で彼は二人を屋敷に迎え入れ、保護することを約束してくれた。
「確かにここ最近のイシュトナルのやり方は目に余ると思っていたところです。加えて、ヘルフリート陛下がなさろうとしている政策がこの国をよくするとは思えない」
余計な説得をしなくても、ディッカーは感情のままにエトランゼを排除することが、どういった未来に繋がるかを理解していた。
「実はエトランゼ達は今、実力者を中心として徒党を組み、この辺りで略奪行為を働いているのです。統率が取れているため過激な活動は抑えているようですが……」
「それもいつまで持つか判らない。それ以前にこの辺りで暮らす人々はもう限界でしょう」
ヨハンが続きを口にすると、ディッカーは苦々しい表情で頷く。
「妾も見たぞ。あの生気無き表情で働く民達を。それはそうだろう。あんな無茶な徴収を続けていれば、彼等は冬を越せなくなる」
「ディッカー卿。貴方に代わり、イシュトナル要塞に赴任したのは何者なのです?」
「クレマン・オーリク。オルタリアの貴族で、兄はヘルフリート陛下と親交があり、彼自身もカーステン卿とは深い仲であったと記憶しております」
「……うむ。妾も知っているぞ。クレマン……。奴は以前も似たような事件を起こして謹慎処分を受けたことがあったな」
どうやら以前も税の徴収という名目で民から略奪を行い、それを見咎められたことで自宅で謹慎をしていたらしい。
「急にクレマンが派遣されたことといい、その時既に何かしらの陰謀が動いていたということだろうか?」
「どうでしょう。こう言ってしまっては何ですが、イシュトナルは僻地。いつまでも自宅にいるわけにはいかないとヘルフリート陛下に頼みこみ、無理矢理周囲の目が届かないイシュトナルに派遣されたとも考えられますね」
「そちらのエトランゼの……ええと」
「ヨハンです。師から名をいただきました」
「ヨハン殿の予想の方が正しいでしょうな。彼は赴任当時から私利私欲を肥やし、イシュトナルに自らの手足となる軍を作ることに躍起になっていましたから」
その彼との権力闘争に敗れ、ディッカーはイシュトナルを追われた。そして彼を慕う部下達と共に、領地に戻ったというわけだった。
「民のために力を使うべき兵達を、自らの私腹を肥やすために用いるとは!」
エレオノーラが怒りに任せて拳を握り込む。
「……とにかく、今その話をしても始まりませんね。ディッカー卿、話は変わるのですが、ここにエトランゼが二人、尋ねてきませんでしたか?」
「いいや。ここ数日の客人は二人だけだな」
「ヨハン殿。それは拙いのではないか?」
カナタもトウヤも一応は冒険者だ。例え不慮の事故が起ころうと、実力で生き抜けるであろう程度には信頼している。
だからといって、この辺りにはイシュトナルの兵達に加えてエトランゼの集団もいる。彼等だけで全てを切り抜けられるとも考えられなかった。
「かも知れませんね。ディッカー卿。結論として我々の同志になってくれるということでいいのですか?」
「……うむ。しかし、問題は幾つもあるぞ」
歯切れの悪い返事を寄越し、ディッカーは腕を組んで視線を窓の外に投げかける。
「この辺りのエトランゼを何とかするまで兵は動かせない。仮にそれができたとしても、私に付いて来てくれた兵達だけではとてもではないがイシュトナル要塞を落とすには足りないだろうな。加えて、物資の問題もある」
今のところ、武器すら足りていない有り様のようだ。防衛する分には多少ぼろくなった武装でどうにでもなるが、本格的な戦いになればそれでは通用しない。
物資不足はヨハンとて他人事ではない。
エレオノーラには言ったが、持って来たアイテムの数々は既に底を尽きかけてきている。主武器の銃の弾薬も残りはそれほど多くはない。
「それに恥ずかしい話だが金があるわけでもない。先日からもエトランゼの商人が保護も兼ねて滞在しているのだが、何を買うこともできない有り様だ」
「ヨハン殿。どうにかならんか?」
「金の問題ばかりはどうにも。家に残してきた道具を売れば幾らかになるでしょうが、あの辺りに戻るのは難しいでしょうね」
期待を込めて見上げてくるエレオノーラには悪いが、そんな答えしか出してやることはできなかった。
「今後のことはともかく、エレオノーラ様もヨハン殿も長旅でお疲れでしょう。部屋を用意させておいたので、そちらでお休みください」
やんわりとした笑顔で、ディッカーはそう提案してくれる。
確かにこれ以上ここで頭を悩ませても解決しようにない問題ばかりが溜まってきた。
「ヨハン殿。カナタ達を探すのか?」
「ええ。差し当たっては兵士達に話を聞きながら、もし必要ならそのエトランゼの組織のところまでは行ってみようかと」
「では妾も……」
「駄目です。ディッカー卿、姫様を絶対に屋敷から出さないように」
「そんなぁ……」
単純に移動速度が遅くなるし、何よりもエトランゼと会いに行くのにエレオノーラがいては間違いなく警戒される。
そんなことも判らないはずはないのだが、どうにも兵達の前で気を張っていないときは勢いだけで行動しがちな部分があるようだった。
「エレオノーラ様は、よい家臣を見つけたようですな」
そんなやり取りを見て、ディッカーは娘を見るような笑顔で、そんなことを呟いた。
▽
ディッカーとの話し合いを終えて、兵士達の話を聞くために屋敷の中をヨハンが歩いていると、廊下の向かい側からふらふらとした足取りで近付いてくる人物があった。
唐装のような服に、細い目をした長身のその男は、にこにこ顔で横に避けようとしたヨハンの傍で歩みを止めた。
「どーもどーも。ディッカー卿のお客さんですよね? わたくし、商人のハーマンと申す者ですね」
先程ディッカーが言っていた、エトランゼの商人だろう。服は小奇麗で身なりもよく、エトランゼにしてはかなり裕福な暮らしをしているようだ。
「噂は聞いてますよ。兄弟から命を狙われる哀しきお姫様を護って戦う。とっても格好いいですねー。わたくし応援してしまいたくなってしまいますねー」
そんな噂がおいそれと流れるはずもないが、要は暗にそちらの事情を知っているということが伝えたかったのだろう。
「わたくしあちこちの国で商売をさせてもらってますね。お姫様とお近づきになれれば、両方幸せですよ」
「いや、すまないが……。俺達に今一番足りないものが金なんだ。残念だが、そちらと協力関係を築けそうには……」
「そう! そうなのです客様。実は同じことをディッカー卿にも言われてしまい、わたくしほとほと困っていたのです。あの方はとてもいい人で、こんな怪しい商人が追われていたところを手厚く保護してくれたというのに」
「追われていた?」
「そうそう! はぐれエトランゼですよ。盗賊に成り下がった連中に、わたくし商品を奪われて大変な思いしたですよ! そりゃ、イシュトナル要塞で商売した帰りだったから、敵対したくなる気持ちも判ります。でもそれは逆恨みです。商売繁盛の秘訣は相手をよく見ることです」
身振り手振りで怒りを現すハーマン。大変な目にあったというのは本当のようだ。
「でもでもお兄さん! 商人がお金でしか動かないなんて偏見です! わたくし、義理と人情をモットーとした商売をしておりますので! おりますので!」
どうでもいいが何故こんなに元気なのか。
「そーこーでー! お兄さんに提案がありましてね。色々と、お互いのためになる提案ですよ。まずはちょっとこっちで、ゆっくりお話しましょ、そうしましょ」
引っ張られて連れていかれた先は、すぐ傍にあった小部屋だった。ここも来客用の部屋なのか、誰かが住んでいる気配はなく、先程リチャードと会談した部屋のように向かい合わせのソファが備え付けてある。
「ちょっとこの部屋狩りまーす。あ、メイドのお姉さん。お茶を二人分お願いしまーす」
掃除をしていたメイドが、状況を飲み込めないまま言われた通りに部屋から出ていく。
「さあさあまずは座ってください。立ち話もなんですから、というやつですよ」
戸惑いながらも促されるままにソファに座ると、ハーマンも同じくソファに身を沈める。
「いやー。このソファ、スプリングが効いてて気持ちいですねー。元の世界を思い出します」
「まずはその提案というのを話して欲しいんだが」
カナタ達を探さなければならないのだ。やることは幾らでもある。その上で、この男に何かしらの価値を見出したのもまた事実ではあるが。
「ありゃ、せっかちですねー。まあいいでしょう。提案というのはですね、いやいやこれがまた笑ってしまうほどに簡単な話なんですけどね。つまるところ」
勿体ぶって、一度言葉を切るハーマン。そうして、次の一言の与える衝撃を上げようということだろうか。
「出資、のご提案ですよ。わたくしの資産と資金を、お兄さん達の戦いのために幾らかお貸ししようということです」
黙っているヨハンに対してハーマンは、畳みかけるように喋り続ける。
「内容に関してはお手元の資料をご覧ください……いえいえ、冗談です、冗談。資金を初めとして武器防具や必要ならば馬の手配もできますよ。後はまぁ言っていただければ大抵のものはご用意しましょ」
「その出資に、何の得がある? まず第一に俺達が何をしようとしているのか判っているのか?」
「大まかなところで行けば、イシュトナル要塞の奪取でしょう? もしそれが成功すれば、あら大変! なし崩し的に南側を統治する必要が出てきてしまうではありませんか!」
ハーマンの言葉はだいたいあっている。元々オルタリアは辺境と呼ばれる南方の統治まで手が回っていなかった。加えて本国の方では今後、王権交代による混乱が起こることだろう。
そうなれば南方への介入は更に遅れる。そこに、エレオノーラの付け入る隙がある。
「そ、れ、で。わたくしが貴方達に出資する、貴方達が成功する! あら不思議、貴方達に恩を売っておいたわたくし、労せずして利益を手に入れてしまいました!」
立ち上がって両手を広げるハーマン。ちょうどそこに、メイドがノックをしてお茶を持って来た。
「あいやー。美味しそうなお茶ですねー。どうもどうも、わたくしこっちに来てから紅茶にも目覚めましてね。飲んでみればなかなかに美味しい! これはチップです、受け取ってください。ささ、遠慮なく!」
お茶をテーブルに並べ終え、ピンと弾かれるように渡された金貨に目を白黒させているメイドだが、ハーマンはそれでもう関心をなくしたらしくお茶を飲みながらこちらへと視線を向けていた。
メイドの退出と同時に、ハーマンは話の続きを始める。
「さあさあ、これでこちらの思惑は伝わったでしょう? お互いに利益を得られる素敵な提案! これに乗らずはお馬鹿さんでしょう!」
自分が利益を得る。その事実を隠そうともしない点は、素直に舌を巻いた。これで彼の裏を疑う必要性はほぼ消えたと言ってもいいだろう。仮に先んじてイシュトナル要塞から、こちらに出資する振りをして騙し討ちをするなどの策を持ち掛けられていたとしても、出資額によっては余程の報酬を得なければハーマンの赤字になってしまう。
そしてそれだけの報酬をエトランゼに払う可能性は限りなく低い。加えて、イシュトナル要塞から見ればディッカーやエレオノーラの勢力は余りにも小さい。それに対してそこまでの策を用いて殲滅する必要性があるとも思えなかった。
だからこそ、今のタイミングで奇襲を仕掛けられることの意義は非常に大きい。
「幾つかの質問に答えてほしい。その返答次第で検討させてもらう」
「それはいいですけど、わたくしが嘘を言う可能性もありますよ?」
「商人は誤魔化しはするが、嘘を吐かないだろう?」
ハーマンは一瞬驚いた顔をして、それから満面の笑みを浮かべる。
「うふふっ。わたくしちょっとお兄さん好きになっちゃいましたよ。これは是非末永いお付き合いをしたいでーす」
「どうして今のタイミングでここに来た? これからオルタリアは荒れるだろう。そうなれば儲けよりも危険の方が大きくなる可能性の方が高い。今はほとぼりが冷めるまで他の地に避難するのが賢いと思うが?」
「でも貴方達がイシュトナル要塞を奪取して勢力を起こせば話は変わる。迫害されているエトランゼと、姫様の思想に共感する兵達が集まればオルタリアもおいそれと手は出せない。違います?」
ヨハンは答えない。
「あ、はいはい。判りました判りました。ちゃんと種明かしをしますよ。これ、わたくしのギフトでして。わたくしのギフト、《予感》って言いまして、《予言》とか、《予知》とかの下位ギフトとか呼ばれてますけど、非常に気に入ってるんですよ」
予言も予知も子細な差はあれど、未来を見通すまたは知ることのできるギフトだ。滅多に持つ者はおらず、ヨハンも噂程度でしか聞いたことはない。
だとすれば予感は恐らく、それらの精度を落としたようなものなのだろうか。
「的中率は三割~四割、しかし具体的な内容は判らないとちんけなギフトなんですがね。なかなかどうして、わたくしの商人としての勘と合わさると――」
「その予感が俺達に味方をしろと言っていると?」
「それがまた難しい話でしてね。やっぱり外れるときは外れますから。それで何度も痛い目見てますしね、わたくし。だからこれから先はわたくしの判断ですねー!」
確かに何でも判るのならば、そもそもエトランゼに襲われて荷物を奪われてはいないだろう。
「わたくしはこれが儲け話だと考えています。貴方達に出資して、その結果を共に得ることができれば最高です。一般的に見て自分を成功者と判断していますが、何せわたくしも、エトランゼですから」
少なからず、エトランゼに対する風当たりの強さの影響は受けているということだろう。ヨハンのように小規模な店ならともなく、手広く商売をやっていれば目を付けられることもあるかも知れない。
「あなた達の計画が成功する。色々なことが変わります、多くの血が流れて、哀しみが生まれるでしょう。同時に喜びも生まれるでしょう。わたくし、ハーマンはそれらの誕生に分かち合いたい。商売を通してそれらのお零れを預かりたいと願う、一人のケチな商人ですから」
あくまでも慎重な態度を崩さないヨハンに、ハーマンも若干の焦れを見せた。ソファから身を前に屈めて、顔の横に開いた手を当てて、耳打ちするような仕草で、
「それに、ここだけの話ですが。兵力にも多少は心当たりがありまして」
それはヨハンが次に聞こうと思っていたことだった。
大量の糧食を運んでいたというのならば話は別だが、ハーマンがエトランゼに襲撃された理由。
彼等も武器を初めとする各種物資は必要だっただろう。しかし、イシュトナル要塞へ物を売りに行った帰りにそれほどの量を持っているとは思えない。
だとすれば金が目的になるが、果たしてそのエトランゼの集団はそこまで堕落しているのだろうか。
「奴隷兵士か」
「はい。兵士だけに限らず、労働用から愛玩用まで多数取り揃えております。勿論、その中でも大人気なのが……」
「エトランゼの奴隷だが、奪い返されてしまったと」
都合よくハーマンがこの辺りをうろついていたもう一つの理由。
それはエトランゼの奴隷の確保だ。近隣諸国の中では最もエトランゼへの扱いが酷いこの国に、赤い月を見越してやって来たのだろう。
「いや、あはは。その通りでして。……以外ですね。もっと怖い顔をすると思っていたのですが」
「奴隷とはいえ、考えようによっては保護でもある。一端の商人なら、商品としての価値を弁えて、余計な乱暴は働いていないと予想してのことだが」
「それは勿論! わたくしも驚いたのですが、この国の奴隷商人は全くなっていない! 彼等は立派な商品なのですから、むやみやたらと傷つけてその価値を落とすことに何の意味があるですか! その点わたくしはしっかりとした寝床に三食を与え、乱暴はせずに肌艶に気を遣い、しっかりとしたお値段で取引を……」
「だからといってその話題を好むかはまた別問題だ。姫様の思想を知っていればそんなことを口に出すとは思わなかったがな」
「だ、か、ら。ディッカー卿でもなく、お姫様でもなく、貴方にお話を伺うことにしたのですよ。どちらも正義感が強く、正しいお人と見ています。でも、貴方は……」
伸ばされた指がヨハンの額を指す。
「悪ではない。でも正義でもない。果たして何者でしょう? ですがそれはわたくしには何の関係もないこと。わたくしの望みは、対等な立場での、お互いに利益を得ることができる真っ当な商売ですので」
それで言いたいことは全て言い切ったのだろう。
ハーマンはソファに深く腰掛けて、お茶を一気に飲み干して一息を付いた。
「武器と防具。それから食料も必要になる」
「はいはい。……奴隷は必要ありませんか?」
「今のところはな。それよりもお前に協力してもらいたいことがある」
「既にしているではありませんか。利害関係の一致とはいえ、出資は立派な協力行為ですよ」
「働いてもらう。勿論、事が済んだ後の報酬には色を付ける」
「まあいいでしょう。同じエトランゼ同士ですし。それに、貴方とは長い付き合いになりそうだ。良き関係を築きたいですから。あ、これは予感が働いてますね」
それから二人は細かい内容を話しあって、ヨハンは本来の目的であるカナタを探すために部屋を出ていった。
残されてハーマンは一人、彼が出ていって、閉じられた扉を見つめる。
「牽制代わりに奴隷を話を持ち出してみましたが、成程動じませんか」
仮に、あそこでヨハンが奴隷に対して強い拒絶反応を示していたら、ハーマンは全ての話をなかったことにするつもりだった。
志だけでは事は成せない。その程度の濁りも飲めない連中に、何ができようものか。
しかし、彼はそれを飲み込んだ。自分の中の何もかもを抑え込んで、飲み下そうとした。
ならば彼等は成功するだろう。そして将来的に、ハーマンの利益となってくれるはずだ。
「うふふっ。わたくしも忙しくなってきたものです。ですが、不思議と懐かしいような気もしますな」
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