第七節 栄誉あるその名は「ぽんこつ」

その翌日、早朝と呼んでも差し支えないほどの朝早くに、ヨハンは外から聞こえてきた物音により目を覚ました。

 隣に眠るエレオノーラの肩を揺すり、彼女を起こす。

「んぅ……。後生だ。後少しだけ眠らせてくれ」

「姫様。様子がおかしい。まずは起きてください」

 頭をひっぱたいて起こしたくなる感情を抑えながら、できるだけ穏やかに声を掛ける。

「ん……。様子?」

 目を擦りながら身体を起こすその姿は子供そのもので、それには微笑ましさを覚えたが、今はその愛嬌にかまけている場合ではない。

「様子が変です。何か揉め事が起こっているような、そんな声がしています。様子を見てくるのでここで隠れていてください」

 幾つかの魔法道具を鞄から取り出し、それをローブの裾にしまい込む。カナタに着せたメイド服と同じ要領で、ヨハンのローブのあちこちには空間を歪ませた特殊な収納スペースが用意されている。

 そこにできるだけ物を入れて準備を整えてから、未だ寝ぼけているエレオノーラの前に水の入った瓶を置いて、納屋を後にした。

 村の中心部に行ってみると、そこに広がっていたのは予想していたよりも奇妙な光景だった。

 オルタリアの兵士の格好をした一団が、二つに分かれて向かい合っている。その様子はとてもではないが友好的とは言えず、片側の数が少ない方に至っては槍を構えてもう片側を牽制していた。

 彼等の視界に入らないように移動して、オロオロとその様子を見守っていたこの村の村長である、白髪に髭を蓄えた老人に小声で話しかける。

「これはどういった事態ですか?」

「おぉ、昨日の……。いや、これは……」

 村長もどう説明したらいいか答えあぐねているようで、話を聞くよりも成り行きを見守った方が早いと判断して、両者の会話に聞き入る。

 数が多い方はにやにやと笑い、手の中でそれぞれの獲物を玩びながら数が少ない方の兵達に挑発するような視線を向けている。

「何度も同じことを言わせるなよ、反逆者。俺達は正規軍として、税の取り立てにやってきている」

 隊長と思しき、最も立派な飾り兜をした男がそう言うと、今度は数が少ない方のオルタリア兵の中の中心となっている、若い兵士が声を張りあげた。

「ここはディッカー・ヘンライン卿の領地である! お前達にここを好き勝手にする権利はない」

「その者は既にイシュトナル要塞の司令官を解任されている。然るに、この地を統べる資格を失ったということだ」

「例えそうだとしてもこの地はヘンライン卿が王家より賜った地だ。お前達が踏み荒らしていい理由はない。第一に」

 若い兵士が見渡すように振り返る。

 彼等の様子を遠巻きに眺める住人達は皆、怯えた顔をして嵐が過ぎ去るのを待ち続けていた。

「お前達が正規の方法を取って定められた量の税を治めさせているのならば、彼等のこの怯えようはなんだ? 何故、本来ならば互いに共生関係あるべき双方がこのような歪な形になるのだ?」

「ふんっ。田舎貴族の部下は頭が固い。いちいち説明するのも面倒だ。おい、お前達!」

 彼の後ろに控えてた兵達が次々と前に出る。

 ある者は剣を抜き、粗暴な態度を隠そうともせずに村人達に向かってゆく。

「さあ食料を出せ! それから織物や金もあれば持っていくぞ!」

「は、話が違うではありませんか!」

 ヨハンの横に立っていた村長が、杖を突きながらよたよたと隊長の元へと近付いていく。

「作物を渡せば、他の物には手を出さないと、以前はそう約束してではありませんか」

「俺以外の奴が勝手にした口約束など知ったことか! 充分な量を用意できなければ子供や女をいただくからな」

「貴様! オルタリアの兵士としての本分を忘れたか! その行い、野盗の類と何が違うか言ってみろ!」

 若い兵士がそう叫んでも、隊長は全く気にも留めない。

 彼は判っている。この戦力差で手を出したところで、彼等に勝ち目がないこと。

 仮にこの場を何とかしたとしても、イシュトナル要塞にいる者達が正規軍である以上、反逆者の汚名を着せることなど容易いことを。

 一先ずは様子を見るしかない。ヨハンもそう判断して踵を返そうとしたところで、事態の把握を優先するあまり、最も警戒すべきを怠っていたことを思い知らされる。

「お前達、これはどういうことだ?」

 淀んだ空気を裂く一矢とでも表現すればいいのか。

 彼女の声は決して怒鳴っているわけではなく、厳かでありながらその場の全ての注目を得るだけの迫力があった。

「……は……?」

「……貴方、は……」

 両兵達がその姿を見て固まる。

 それも無理もないだろう。果たしてこちらにどの程度情報が流れてきているかは判らないが、この国の王族であるエレオノーラが、村娘のような格好をしてこの場に立っているのだから。

「貴族や軍が徴収できる税率は厳密に定められているはずだ。今妾が話を聞いていたところ、お前達が奪おうとしているそれらはとっくに限界を超えている。国の基盤となる民を苦しめる者に、オルタリアの旗を背負う資格はないと知れ!」

 一瞬驚いた顔をした隊長だったが、その表情はすぐに先程のようなにやにやとした薄ら笑いへと変わっていく。

 エレオノーラの身体を舐めるように見てから、彼は嫌らしく口を開いた。

「エレオノーラ陛下……。まさか自ら俺の手柄になりに来てくれるとはありがたい」

「貴様……。妾の言葉を聞いて、なおもまだその蛮行をやめぬつもりか?」

「やめる理由が何処にありましょうか? 元より王家の飾り物であった貴方は、今やそれですらない。力を持たぬただの小娘一人、その恰好がお似合いですな!」

「貴様!」

 怒りのままに声を張り上げるエレオノーラだが、その先の言葉は出てこなかった。

 彼の言葉は正しいのだ。今のエレオノーラは数人の部下とも呼べない者達を引き連れているだけの少女に過ぎない。

「最早貴方を傷つけたとて、誰にも咎められはしない。むしろ称賛すらされるでしょう。おい、お前等。物は後にしろ」

 隊長の言葉を受けて、略奪をしようとしていた兵達が渋々こちらに集まってくる。

「王家より討伐の命が出ているエレオノーラを語る馬鹿な村娘が一人いる。そんな愚か者が一人ここから消えたところで、誰がそんなことを気に止める?」

「誰も、気にも留めないでしょうな」

「そうだろう? 殺すなよ。色々と価値がある女だ」

 演技めいたやり取りをしてから、彼等はエレオノーラを包囲していく。

「誰もお前を護らない。エトランゼ保護なんかを唱え続けてきたお前は、今やイカれた小娘に過ぎないんだからなぁ!」

 悪意と欲望の塊が、彼等からエレオノーラに放たれる。

 その悍ましさ、そして改めて自分が立たされている現状を把握してしまったエレオノーラは言葉を失い、ただ子供のように辺りを見回すことしかできなかった。

 彼女は王家の子女として、ずっとそうしてきた。誰かに当然のように助けられて生きてきた。

 それは権利であり、その代わりにその身を削って国ために尽くす義務を背負わされて生まれてきた。

 だが、今は違う。

 彼女を護っていた王家という名の強固な鎧は存在しない。そればかりではなく、エレオノーラの名には様々な報酬がついて回る。

 柔肌を晒したまま荒野に投げ出されたようなものだ。すぐに獣に喰われて、骨だけにされてしまうだろう。

 ここまでの旅路で、彼女はそれを理解しながらも自覚できていなかった。

 カナタがいて、トウヤがいた。彼等のやり取りを聞いていれば気分が紛れていたし、その前向きな態度はどんな状況で何とかなるものかと錯覚させた。

 現実はそのようには行かない。

 どれだけ勢いを付けようと、どうにもならないものはあるのだ。

 それを自覚してしまった。その事実を受け止めなければならない時が来てしまった。

 この状況でエレオノーラができることは何もない。

 彼等を退けられるか?

 答えは否。

 説得できるか?

 答えは否。

 税の代わりに何かを用意できるか?

 答えは否。

 必死で考えれば考えるほど思考の迷路に嵌っていく。

 結局、彼女は何をすることもできず、その場に立ち尽くすだけ。その身に迫る獣達になんの抵抗をすることもなく。

 だが、彼女の前に立つ者がいた。

「まるで蛮族だな。これが正規軍とは聞いてあきれる」

 エレオノーラを庇うように立つのはローブの青年。

 兵士達は邪魔者を取り除くべく、容赦なく剣を抜き払った。

「なんだ貴様は! 今更その娘についたところでなんの益もあるまい」

「そうは言われてもな。生憎と俺はこの方に仕えると決めた家臣だ。まだ一週間もたたないのに鞍替えするわけにもいくまい」

「ならそのまま死ね」

 隊長が動く前に、ヨハンが袖元から取りだした短身の銃が火を噴いた。

 短く切られたバレルから飛び出した魔弾が隊長の剣を打ち、直撃の瞬間にそこに込められた魔法が解放される。

 先日魔装兵に使ったものと同じようで、指向性を持つ衝撃波に打たれ、あれほど強固な鎧に護られているわけではない隊長は空中を派手に吹き飛んで、地面を転がって動かなくなる。

「さあ選べ!」

 ヨハンは語りかける。

 成り行きを見守っていた兵士達に。

 彼等はエレオノーラと進んで敵対をする様子はないが、だからといって積極的に手を貸してくれるつもりもないようだ。

 それでは駄目だ。エレオノーラのやったことが無駄になってしまう。

 確かに彼女には武器もない、力もない。正直知恵もそこまでではない。

 だからこそ、誰にも真似できないその武器を最大限に利用しなければらないのだ。

 高潔さと、志を。

「どうせ同じくイシュトナル要塞に弓を引いたんだ。お前達もいずれ反逆者扱いだろう。ならばここで姫と俺を殺してせめてもの言い逃れをするか、それとも」

 エレオノーラを見る。

 彼女は両手を握り込むようにしながら、こちらと目が合って頷いた。

「エレオノーラ様と共に往き、より良き未来を創る尖兵となるかだ」

 笑ってしまうような詭弁。

 エレオノーラにそんな未来を創れる保証など何処にもないというのに。

 だが、それでもその言葉には力がある。

 それは別にヨハンが知恵を絞ったからではない。事実、どんなに一人で言葉を弄しても何の説得力もない。

 大事なのは、自らが危険になると判っていながらも体一つで飛び出したその無鉄砲さ。目の前で傷つけられる無辜の民を見逃すことのできないその意志だ。

「……エレオノーラ様に加勢する」

 若い兵士がそう呟いてい槍を構えた。

「お、おい! ディッカー卿は決してこちらからは手を出すなと……」

「ならこれを続けていればいつか終わりが来るのか? 同じ国の者同士で争い、永遠に奪いあう未来が来るだけだぞ!」

「く、くそっ!」

 一人がやけくそ気味にそれに続き、残る者達も武器を構える。

 そうしてこの事態を形作った扇動者は、何食わぬ顔で残ったイシュトナルの兵達に銃身を向ける。

「こいつの威力は思い知ったと思うが、加えてこちらには手勢がある。さて、この場で本格的に事を交えることを望むのならば命を賭けてもらうぞ」

 半分は嘘が含まれている。

 戦力としてはヨハンが一人加わっただけに過ぎない。持っている魔法道具を全て動員すれば互角の戦いができるかも知れないが、実はもう数がそれほど残っていない。

 今できるのは如何にもな態度を取って、相手の撤退を促すだけだ。

「ひ、退くぞ、撤退だ! 貴様達、ただで済むと思うなよ!」

 先程隊長と一言交わした男が、倒れた隊長を持ち上げて一目散に逃げていくと、他の兵達もそれに習うように一斉に背を向けて駆けだしていった。

「……ふぅ。所詮は略奪を行いに来るような連中。本格的に事を構える覚悟はないと踏んだが、どうやら大当たりだったようだな」

「ヨ、ヨハン殿!」

 飛びつかんばかりの勢いでこちらに駆け寄ってくるエレオノーラを手で制する。

「妾は……。妾は何と言えばいいのか……。そなたのその、忠誠心というか……ええと、その、あれだ。期待というか……」

「失礼します」

「あいたぁ!」

 ごちんと。

 誰が聞いても判るような痛々しい音を立てて、ヨハンの拳骨がエレオノーラの頭に落ちた。

 その光景を見た兵士達も村人も、皆一同目を丸くしている。

「何をする!」

「もう少し事を穏便に済ませる方法はあったと思うんですがね。おかげさまで無理矢理に話を進める羽目になった」

「だが目の前で虐げられている民達を見捨てることなどできはせぬ。彼等にしてもそうだ。あのまま戦いが始まればどうなっていたことか」

「戦いは起きませんよ。少なくとも今この場では。どうして略奪に来て命を賭けて被害を被る必要があるんですか。人が命を賭けるのはもっと危機的状況に陥ったときです。見たところ、彼等には余裕があるみたいでしたからね」

 尋ねるように視線を向けると、先程の若い兵士が頷き返す。

「彼等はこの辺りの村落から税の徴収を名目とした略奪行為を行っているようです。これまではディッカー卿の領地の外だったので静観するしか在りませんでしたが、ここ最近はこの周辺にまで出没し始めました」

「つまりはそういうことです」

 と、エレオノーラを見る。

「妾は余計なことをしたのか……」

「むしろ危険度が上がりましたね。あのまま連中がやけになっていたらどうなっていたか」

「……そうなっても、ヨハン殿が護ってくれるだろう? そなたの力は何よりも信頼している。その胡散臭い魔法道具の数々もな」

「生憎と、医薬品を多めに持って来たので武器になりそうなものはそろそろ打ち止めですよ。俺の銃は何より乱戦に向かない」

「なんと!」

「ですが姫様。我々は姫様のその真っ直ぐな心を見て考えを改めさせられました」

 若い兵士がそんなフォローを入れてしまう。まぁ、見た目麗しい、それまで憧れであっただろう姫が目の前にいればその気持ちも判るが。

「やはり選択肢の一つとして悪くなかったのではないか?」

「もう一発拳骨を落とされたいですか?」

「や、やめよ! そなたにそんなことをされると妙に心が傷つくのだ!」

 ポンコツ姫は頭を抑えて距離を取る。

「……取り敢えずそのディッカー卿とやらの元に案内してもらえるか?」

 溜息を合図に場の空気が切り替わる。

「は、はい。こちらとしてもその方が助かりますので」

 兵士が自分の判断で正規軍に牙を剥くなど本来あっていいものではない。これからディッカー卿の元にはイシュトナル要塞からの嫌がらせのような問いかけが殺到するだろう。

 それに対する言い訳は、確かにその原因である連中にしてもらった方がいい。

「それで貴方はエレオノーラ様の家臣、なのですか? 失礼ですが見たことのない方ですので」

「うむ。ならば妾が答えよう。この者の名はヨハン。かつては宮廷に仕えた大魔導師の弟子であり、妾の第一の家臣だ」

 ドヤ顔で語るエレオノーラ。

「なるほど、あの大魔導師殿の……」「ならばこの状況を打破する知啓を与えてくれるに違いない」「しかし代を越えて王家に仕えるその志、見事なものだ」

 などと勝手に話が進んでいる。

 信頼を得られるのは悪いことではないが、これから先の采配はより、慎重に事を進めなければならなくなったような気がする。

 能天気にヨハンの凄さについて兵士達に語るエレオノーラを見ながら、誰にもばれないようにまた溜息をついた。

「それにしてもあの姫様、気安すぎじゃないのか? まぁ、だから国民に人気があったのか」

 そんなことを一人呟いて、なんとなく納得しながら最後尾を付いていく。

 目指す先はカナタ達との合流地点に定めたディッカー卿の屋敷。成り行きとはいえお膳立ては済んでいる。後は彼の協力を取り付けられるかどうかで、今後の行く末に大きく関わってくる。


 ▽


「……なんでこんなことになったんだか」

 いつか何処かで、誰かが言ったような台詞が横から聞こえてくる。

 それに対してカナタは気まずそうな苦笑いで答えるしかなかった。

「あはは……」

「笑い事じゃない!」

 トウヤの怒りの声が飛ぶ。

 二人が今いるのは地下牢だ。申し訳程度の寝藁のベッドと、テーブル代わりにできそうな小さな台座。正面には鉄格子。

 陰気な匂いが充満するこの空間に閉じ込められてからそれほど時間は経っていない。数時間、といったところだ。

「でも、あの状況は見逃せないよ。ボクは何も悪いことはしてないもん」

「もん、じゃないだろ! お前さ、この間から思ってたけど、もう少し考えて行動しろよ。ソーズウェルといい、この間の船着き場といい、そろそろ死ぬぞ」

「大丈夫! 何とかなるって!」

「……その根拠は何処から来るんだよ」

 笑顔で根拠のない自身を口にしたことで、トウヤもこれ以上何かを言う気もなくなったようだ。

 二人がここにいる理由は単純で、戦って敗北したからだ。

 ディッカー卿とやらの屋敷を目指す道すがら、通り過ぎた村で略奪行為が行われていた。それを止めるためにカナタが乱入したのはいいものの、相手が悪かった。

 敵はエトランゼだった。例えトウヤがいても数で勝る彼等のギフトに追い詰められ、敗北したことでここでこうして捕まる羽目になったのだった。

「うーん……。でもさ、そんなに悪い状況じゃないんじゃない? あの人達もそれほど乱暴じゃなかったし」

「そりゃ、まぁ……。同じエトランゼだしな」

 だからといってカナタほど楽観はできない。

 以前ヨハンに連絡したときに語ったエトランゼの略奪者とは彼等のことだろう。野盗紛いのことをしている連中に心を許すわけにはいかない。

「そう言えばお前、ヨハンと通信できるんだろ?」

「なんか通じないんだよね……。地下だから電波弱いのかな?」

「昔の携帯電話じゃあるまいし……」

 そう言いながらも全くメカニズムの判らない道具のことなので、あながちその通りなのかも知れない。何にせよ、使えないことに間違いはない。

「あいつ、肝心なときに役に立たないな」

「……あはは。トウヤ君、ヨハンさんに厳しいよね」

「厳しいっていうか、警戒してるだけだよ。何考えてるか判らないし……。それから、ギフトをまだ見せてないのも気になるしな」

「うーん。ボクももう半年以上の付き合いになるけど、知らないんだよね」

 気になって何度か聞いたが、適当にはぐらかされてしまっている。余程微妙なギフトなのか、はたまたその逆か。

 そんな二人のやり取りを中断するように、上の階から足音が響いてくる。

 コツコツと石造りの階段を降りる音は次第に近くなり、牢屋の入り口の扉の前で一度立ち止まる。

 鍵が回り、ゆっくりと扉が開く。

 現れたのは、背の高い端正な顔立ちの青年だった。二十代の前半ぐらいだろか、しっかりとした足取りと姿勢に、全身から活力が溢れている。

 鎧を着込み、マントを付けたその姿はさながら騎士のようでもあった。

「やあ。俺の仲間が失礼したようだね」

 言いながら何の躊躇いもなく、鍵を取りだして鉄格子を開けていく。

「……俺がギフトを使ってあんたに襲い掛かるとは思わないのかよ?」

「その心配はいらないよ。君は頭がいいからね。俺が来る前にもそれはできたはずなのにやらなかった。自分一人ならともかく、そっちの女の子を危険に晒したくないんだろう?」

 トウヤは押し黙る。

 青年は二人に牢屋の外に出るように促した。

「さて、何から話せばいいかな。まずは誤解を解くことが先決か。俺達は別に、好きで食料を奪っているわけじゃない。生きていくためには必要だから仕方なくやっている。それに、彼等の食料を全部持って行くつもりもないんだよ。必要な分だけ貰うだけさ」

「取られる人はそんなこと知らないよ!」

 噛み付かんばかりの勢いでそう言い放つカナタだが、あくまでも青年は友好的な態度を崩すことはない。

「それも今だけだ。いずれ世界は変わる」

 青年が歩き出すと、他にどうすることもできず二人もそれに続いていく。

 階段を上がった先は狭い石造りの廊下の隅で、そこから少し歩くと会議室のような広い部屋に出た。

 捕まった二人が運ばれたのは、西の森と呼ばれる場所にある打ち捨てられた砦だった。略奪を行っていたエトランゼ達はそこを中心に活動している。

 木製の大きなテーブルと、その周囲に幾つもの椅子が置かれただけの部屋に入ると、その場にいた十名程度の視線が二人に向けられる。

 そこには自分達の邪魔を相手に対する敵意だけでなく、好意や期待のようなものもあった。

「さて、俺達は暁風(あかかぜ)。見ての通り、エトランゼの組織だ。エトランゼ達が生活できる新天地を目指して日夜戦いを続けている。俺はリーダーのヨシツグ。よろしくな」

「トウヤです」「カナタっていいます」

 差し出された手を、トウヤ、カナタの順番に握る。

 力強い握手は確かに、厚い信頼の心を湧き上がらせるに足るものだった。

「まずは俺の話を聞いてくれ。確かに、彼等の農作物を奪ったのは悪行だろう。それは否定しない。でも、俺達は近い将来にそれを何倍にもして返せる自身があるんだ」

 言いながら手振りで着席を促すヨシツグ。

 抵抗せずに座ると、彼もその正面に座って二人の顔を真っ直ぐに見つける。

「今のこのオルタリア南部、辺境地域には三つの勢力がある。一つはイシュトナル要塞にいるオルタリア正規軍、もう一つはそこを追いだされて自分の領地を護るヘンライン卿。そして最後の一つが俺達、暁風だ」

 ヨシツグが拳を握ると、周囲の仲間達も彼に合わせるようにうんうんと頷き返す。

 そしてその中の一人が地図を持って来てテーブルの上に広げた。そこには色付きでここ周辺の地形にそれぞれの勢力図が描き込まれている。

「俺達の目的はヘンライン卿の領地を奪うことだ。そして戦力と金を手に入れて、その力を使ってイシュトナル要塞を攻める」

「ちょ、ちょっと待って。ヘンライン卿って人は別に悪いことはしてないよね? それなのにその領地を奪うって……」

「うん。君の言うことも判る。でもね、俺達には地盤がない。そのために必要ならば奪うこともするさ。なぁに、心配はいらないよ。全ての責任は俺が追う。暁風のリーダーだからね」

 そういう話ではない。

 言いかけたカナタの言葉を遮って、ヨシツグは陶酔した様子で続きを話し始めた。

「土地を手に入れたら、後は虐げられているエトランゼをこの地に呼び込んで、反撃を開始する。まずはイシュトナル。そしてゆくゆくはオルタリアを俺達エトランゼの国にする!」

「ちょっとヨシツグ! それは気が早いって!」

 話に入ってきたのは、軽装備の女戦士だった。必要最低限しか装甲の付いていない、露出度の高い装備をして、腰には短剣を二つ指している。

 こんな場所だというのにしっかりと化粧をして、彼女の髪が揺れる度に香水の香りが辺りに漂う。

「そうかな? ごめんごめん、また俺の悪い癖が出ちゃったよ」

 彼がそう言うと、それに合わせるように周囲で笑い声が上がった。

「まったく、ヨシツグはせっかちなんだからさ」

「それでこそ俺達のリーダーだけどな」

「ヨシツグがいてくれればそれだってできる気がするよ」

 口々に彼を褒めたたえる言葉が聞こえる。

 確かに、その人気は大したものなのだろう。少なくともこの場では誰も彼の大言を蔑むような者はいなかった。

「ま、待って待って! エトランゼの国って……」

「……聞いてくれ、カナタ。この世界の何処にも、俺達エトランゼが平穏に暮らせる場所はない。でも、俺は気が付いたんだ。居場所は作るものだってさ」

「いや、それは判るけど……。でも」

「あ、ひょっとしてあたしらの強さ、疑ってる~?」

 ぐいと、先程の女戦士の腕が伸びて、カナタの頭を胸元に引き寄せる。

 柔らかな胸部の感触と共に、噎せ返りそうな香水の匂いに包まれ、カナタは脱出しようともがくがなかなか放してくれそうにはなかった。

「ヨシツグはすっごい強いギフトを持ってるんだかんね。マジ、無敵よ」

「おいおい、あまりおだてないでくれよナナエ。俺にだってできないことはある。だから、仲間であるお前達が必要なんだからさ」

「……ヨシツグ……」

 その言葉に、ナナエと呼ばれた女戦士を初めとして、ヨシツグの仲間達は恍惚と言ってもいいほどの表情を浮かべる。

 どうにか彼女の胸元から脱出したカナタは、よくないとは判っていても、何処か冷めた目で彼等を見てしまっていた。

「それはいいんですけど、俺達にその話しちゃってよかったんですか?」

「ん、どうしてだ? 俺達は敵対する必要はないし、お互いにエトランゼ同士だ。もう、仲間だろ?」

「うっ……。いや、まぁ確かに……。この話をオルタリアに売るとかはするつもりもないですけど」

 どうやら心の底からこちらを信じているようで、その純真な瞳に見つめられて、トウヤも若干たじろいている。

「それに、この話をしたのにはちゃんと理由がある。よかったら俺達に協力してほしいんだ。特にトウヤ、君のギフトは強力だからね。カナタもまぁ……仕事は色々あるし、人では足りないから手伝ってほしい。ちょうどメイド服も着てるし」

「いや、これは……」

 正直なところもう着替えたかったが、ヨハンが無駄にしっかりと作り込んだ所為で防御性能が高く、脱ぐに脱げない。重装備の者を含めても、この砦で一番防御力があるのではないかとすら思えるほどだ。

「二人とも、俺達はエトランゼ。この世界では異邦人だ。ならエトランゼはエトランゼ同士で力を合わせて生きていくしかない。俺達の手で、この住みづらい世界を俺達の世界に変えていこうじゃないか」

 再び両手で握り込むように、カナタの手が握られた。どうでもいいが、先程から呼び捨てにされたり妙に馴れ馴れしい。別にそんなことを気にする質ではないのだが、ヨシツグのそれは妙に癇に障った。

「リーダー!」

 石床を踏み鳴らし、若い男が飛び込んでくる。

「どうした?」

 その只事ではない血相に、ヨシツグはカナタの手を離してその青年の方に振り返る。

「イシュトナルからの兵隊だ! 真っ直ぐにこっちに近付いてるぞ!」

「くっ。この間保護したエトランゼ達の体調も万全じゃないってのに! でも、やるしかないか!」

「一気に片付けちゃおうよ!」

「そうだな、ナナエ。みんな行くぞ!」

 ヨシツグが部屋の隅に置いてあった剣と盾を持って部屋を飛び出すと、その場にいたエトランゼ達もそれに続いていく。

 誰もいなくなったその部屋で、カナタとトウヤは互いに顔を見合わせた。

「……どう思う?」

「悪い人じゃないと思う。……嘘を吐いてる感じもないし、でも」

 二人の会話を遮り、外から戦いの音が聞こえてくる。どうやら、思ったよりも近くまで接近されているようだった。

 それに不安を覚えたのか、砦内部からのざわめきも聞こえる。話している内容からして、非戦闘員もいるようだった。

「何にせよ、この場は切り抜けないといけないか」

「イシュトナル要塞の人達なら、将来的にはボク達の敵だもんね」

「それにあいつの実力も気になるしな」

 カナタは頷き、トウヤを先頭に砦の外へと飛び出していった。

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