第六節 辺境にて、王女と星を
「モーリッツ様。ご報告があります」
エレオノーラ達と交戦を経て、ソーズウェルの屋敷に戻ったモーリッツはそれから数日間を政務に追われ続けていた。
指導者が変わったことで生まれる様々な問題を解決するのは、二日三日で事足りることはない。
書類に埋もれて仕事をするモーリッツの頼れる相棒は、日に三回から五回に回数を増やしたおやつの時間だけであった。
「なんだ? 厄介事なら私は聞かぬぞ」
「いいえ。残念ながら。厄介事を聞くのがモーリッツ様の仕事ですので」
「ふむ、そうだったか?」
などと惚けて見せても何の解決にもなりはしない。一度テーブルの前に山積みになった書類を退けることにより、ようやく小憎らしい副官の顔が見えた。
「税を払えなくなったことによるエトランゼの難民化。そして彼等が街を出ていったことで労働力が減り、各所で混乱が起きている。特に魔導装置を整備する職人などは、彼等でなければ替えが効かん。
お前が持って来た案件はこれよりも厄介なことか?」
魔法を動力源にして動く魔導装置。ソーズウェルを初めとする、ある一定以上の規模を持つ都市はそれらによって生活の基盤を支えている。
街に明かりを灯すことや、家庭の火もそれにあやかっているので、それらが動かなければ不便この上ない。
不思議なことにエトランゼという者達は、ギフトのあるなしに関わらずそれらの扱いに対して優れている者が多い。勿論、それ自体がエトランゼが開発したものだから当然といえば当然なのだが。
「はい。それよりも厄介なことです」
手元にある果実を絞ったジュースをごくりと飲み干して、モーリッツは淡々とした副官の言葉を聞き続ける。
「カーステン卿の独断専行です。手勢を連れて橋の向こうへと向かったそうです」
「……なんだそんなことか。こう言ってしまってはなんだが、カーステン卿の力では彼等を捕縛することはできまい。特にあれだ、あれは厄介だぞ」
先日の最後に出会った、ローブ姿の男を思い出す。
彼が持っていた武器は銃と呼ばれるものだ。火薬を使って鉛の弾を打ち出す代物だが、非常に強力な武器である代わりに未だ数が出回っていない。
「それに調べたが、魔法道具屋の主人というではないか。面倒な道具を幾つも所持しているだろうな」
傍にいる炎のギフトを持った少年もそれなりの手練れに見えた。何にせよ、カーステン一人で事を成せるほど簡単な事態ではない。
だからこそ、モーリッツも無茶な追撃をやめてこうして自分の領地に戻ってきたのだ。面倒くさかっただけとも言えるが。
「いえ、それが。カーステン卿は教会に要請して、聖別騎士を派遣したそうです」
「……なんだと?」
「この事態に派遣される数は決して多くはないでしょうが、それでも彼が過剰な戦力を手にしたことは間違いないでしょう」
「そこまでの事態か、これは」
「恐らくですが、カーステン卿は姫様がエトランゼを扇動し、この国を脅かそうとせんと報告したのでしょうね」
教会が誇る最強の騎士達の力は、先日モーリッツが繰り出した魔装兵をも上回る。それらが民や、戦う力のないエトランゼに対して振るわれたらどうなるかは想像に難くない。
「もともとカーステン卿は法王ともつながりが強かったようですね。思えば彼が持っていたあの聖別武器も、法王より預かったものなのでしょう」
「……成程、確かにこれは一歩間違えれば厄介なことになるかも知れん」
中のジュースを飲みほし、空になったグラスを苛立たしげにテーブルに叩きつける。
どうしてこうも彼等は面倒を引き起こしたがるのか。エトランゼに対して過剰に怯えることが弾圧に繋がり、そしてそれは間違いなく王国の寿命を縮めるであろう。
「まったく。厄介なことだ。余りにも度が過ぎれば、私とて方法を改めねばならんぞ」
暗いその声を聞きながらも、モーリッツと使いの長い副官は淡々とグラスを片付けて、お代わりを持ってくるべく部屋を後にした。
▽
目の前の光景が信じられずに、呆然とエレオノーラは立ち尽くしていた。
田畑は広がっているが、そこには何もなかった。
この季節ならば一日では収穫しきれないほどの量の作物がなっていてもおかしくないだろうに、それらは無理矢理に踏み荒らされた跡と、もがれた跡が残るのみ。
フィノイ河の支流に作られたその村は、一目に見て充分な量の収穫が見込めるだけの規模の農場を持っていた。
しかし、そこで働く人々の目に光はない。誰もが顔を伏せ、外部からの来客であるエレオノーラに対して一言も掛けようとしない。
子供に至っては怯えたような視線を向けるような有り様だ。
それは村の中心部に行っても変わらなかった。転々と立ち並ぶ、一階建ての小さな家からは嫌な視線だけが突き刺さってくる。
その中の一つ、比較的大きめの家屋の扉が開き、そこからヨハンが出てきたのを見てエレオノーラも無意識に安堵していた。
「ヨハン殿、どうか?」
「……一応は、何とか。ですがこれが限界だそうです」
手に持った革袋に野菜と干し肉が詰め込まれているが、二人で消費すれば二日も持たないような量だった。
「そなた、資金はそれなりにあると言っていなかったか?」
「まさか、この事態でケチったりはしませんよ。どれだけ金を積まれてもこれが限界、だそうです。それ以上は村の人が食べる分がなくなるからと」
「……そんな馬鹿な」
それもあの畑の様子を見せられれば無理もない。やはり、何らかの事情があって早めに収穫し、何処かに保存してあるというわけでもなさそうだ。
「……何故、この時期に何もないのだ? 真冬ならばまだしも、何らかの作物を育てているのが普通ではないのか?」
「税の取り立て、だそうです」
「税だと? 確かに農村は作物によって収めることも許されているが、いったいどれだけを持って行かれるのだ」
「収穫の半分、だそうです」
「……ヨハン殿。そなた、妾をからかっているわけでなないだろうな? 半分も食料を持って行かれてどうやって生活するのだ?」
「……ふぅ」
と、ヨハンはここで息を吐く。
それが若干の苛立ちを含ませていることに気付いて、エレオノーラは次の言葉を飲み込んだ。
「ヨ、ヨハン殿? いや、すまぬ。別にそなたが妾をからかっているとかそういうのは本気ではないのだが……」
「いえ。状況の説明するにもここでは都合が悪い。まずは今日の寝床を決めないと」
「ふむ。拠点か。カナタ達はどうしているのだろうな?」
『あー、あー、ヨハンさん。聞こえる?』
そこにタイミングよく、カナタからの声が聞こえてきた。彼女に渡したイヤリング型の通信機器は、ヨハンの頭の中に直接念話を可能としている。
『そっちはどうだ?』
『……あんまりよくない。畑は元気なんだけど、税とエトランゼに殆ど持って行かれちゃうんだって』
『エトランゼに?』
『うん。西の方の森に住み付いた一団で、抵抗しない限りは乱暴はしないんだけど……。ギフトを武器に食料を要求されるらしくて』
またも溜息をつきたくなるのを、ヨハンはどうにか堪えた。
念話が聞こえないエレオノーラはそんな彼の様子を見て、不思議そうに首を傾げている。
「どうしたのだ、ヨハン殿?」
『判った。他に何か判ったことはあるか?』
『あー、えーっと。……トウヤ君、なんかあったっけ?』
向こうは向こうで、トウヤの呆れた表情が目に浮かぶ。
『そうそう。イシュトナル要塞……だっけ? そこの偉い人が変わってからこうなったらしいよ』
「なあヨハン殿。妾にもなにが起こっているか教えてくれ。一人で考えても埒が明かぬこともあるだろう」
「いえ。今は考える段階ではなく、情報を纏めているだけです。平たく言えば黙っていてください」
「……むぅ」
『で、偉い人が変わったというのは?』
『えーっと。なんとかって人が管理してたんだけど、王国ともめたとか何とかで、違う人が派遣されてきたんだって。それから、色々変わっちゃったって言ってたよ』
「エレオノーラ様。イシュトナル要塞にいた貴族の名前、覚えていますか?」
ようやく話しかけてもらって、沈んでいたエレオノーラの表情がぱっと明るくなる。
「うむ。ディッカーだな。ディッカー・ヘンライン卿だ。真面目な男であったと記憶しているぞ」
『で、そのなんとかって人は西の方にある屋敷に帰っちゃったんだって』
『なるほど。判った』
『で、食べ物は殆ど貰えなかったんだけど……。どうしよう? それにここの人達も可哀想』
カナタの気持ちは判るが、今できることは少ない。
それよりも、ディッカー卿の話が聞けたことは不幸中の幸いだった。
『お前達は今からディッカー卿の屋敷に向かえ。明日、そこで合流する』
『うん、判った! それじゃあまた後で!』
頭の中に響いていたノイズ交じりの嫌な音が消える。同時に襲ってきた頭痛に、ヨハンは顔を顰めた。
「本来の役割とは違うことをさせているから、やはり無理が出るな」
「どうしたのだ?」
「いえ、大したことではありません。それよりもエレオノーラ様。ディッカー卿がイシュトナル要塞の責任者を解任され、別人がその席に収まっている話をご存じでしたか?」
「それは初耳だぞ! どうしてディッカーが解任されるのだ?」
「理由は知りませんが。彼は今、西にある自らの領地にいるそうです。頼ってみましょう」
「うむ、そうだな。では早速出発するか?」
「ええ。……と、言いたいところですが」
ヨハンは空を見上げる。
既に太陽は頂点を過ぎて、赤い光が世界を照らし始めていた。
先程まで力なく働いていた農民達も、次第に自分達の家へと帰っていく。
▽
貴族の屋敷であるから場所が判らないという事態は起こらないであろうが、エレオノーラの足で今から出発すれば、夜通し歩かなければならないだろう。
そう判断して、ヨハンは一晩の宿を借りるために再び村長の元で交渉した。
納屋ならばいいと言われ、今二人は指定された村はずれの小さな小屋にいる。
エレオノーラは村娘が着るような素朴な格好に着替えていた。これで一応、多少は誤魔化せるだろう。彼女が着ていたドレスは辺境に行けば行くほど目立つ。
その問題は、一応はこうして解決した。
農具が治められた納屋は狭苦しく、一応は飼葉が布団代わりになるがそれも一人分がいいところだろう。二人寝るには充分に密着しなければならない。
「まあ、こうなるだろうな」
もともとは物置なのだ。そこで人が寝ようとすればどうなるかなど、少し考えれば判る。
「ヨ、ヨヨヨヨハン殿……。これは、ここで寝るには少しばかりその……。男女のあれとして、よくないのではないか?」
何を想像しているのか、顔を真っ赤にしてエレオノーラはそんなこと言っていた。
「俺は外で寝ます」
「ま、待て!」
出ていこうとするヨハンの服の裾を、エレオノーラが全力で引っ張った。まったくもって何がしたいのか。
「それはならぬ。ただ歩いているだけの妾よりもそなたの方がずっと疲れているだろう?」
「こんな藁の上で寝ても疲れは取れませんよ。どっちにせよ一緒です」
「いや、しかし……。妾が嫌なのだ。恩人を外で寝かせるとはとんだ薄情者ではないか」
それからエレオノーラは俯いて、恥ずかしそうに呟く。
「その……。兄上達以外の年頃の男と夜に二人で過ごすなど初めてだからな……。少しばかり緊張しているだけだ」
「そこまで言われるのでしたら」
引き返して、エレオノーラの横に腰を下ろす。
「ひゃ……」
「……やっぱり外に行きましょう。考えてみれば、姫様と俺が一夜を同じ場所で過ごすのもあまりいいこととは思えません」
そんなことを抜きにしても、エレオノーラは年頃の少女だ。男性に対して色々と思うところも出てくるだろう。
カナタほど無頓着ならば気にもならないだろうが、まさか彼女の感性を万人に求めるわけにもいかない。
「……いや、妾が悪かった。今夜は一緒にいてくれ」
「ですが」
まだ何かを言おうとしたヨハンを、エレオノーラの次の言葉が封じ込める。
「不安、なのだ。誰かが傍にいないと、身体が震える。一人で考えれば考えるほど、最悪の可能性ばかりが浮かんでくる」
そう。彼女は年頃の少女だ。
具体的には聞いていないが、カナタより一つ二つ年上ぐらいだろう。
そんな彼女が兄から命を奪われ、周りが敵だらけの現状で、正気を保っていられることが奇跡のようなものだ。加えて今日この村の現状にもショックを受けている。
「判りました。ですが妙な反応は慎んでください。恥ずかしかろうが気持ち悪かろうが、お互いに犬猫でも横にいる気持ちでいましょう」
「う、うむ。そうだな。犬や猫ならば何も問題はない。寝所を共にすると温かいしな」
気候は春だが、夜は冷える。
そして納屋は窓が閉じず、入り口の扉も立て付けが悪い。
吹き込んできた隙間風に身を小さく震わせながら、エレオノーラはヨハンの隣に座った。
「ディッカーと合流して、それからのことをそなたは考えているのか?」
「ディッカー卿が受け入れてくれるのならば、そのままそこを拠点として、当面の目的はイシュトナル要塞を手に入れることですね」
「イシュトナル要塞を?」
「ええ。堅牢な造りの砦であるあの場所は、今後ヘルフリート陛下の軍勢から身を護るには最適な拠点となりますから」
加えて可能ならば、南方諸国との交易も視野に入れることができる。
「うーむ……。しかし、そなたが言った通りあの要塞は堅牢。ディッカーの兵を用いたとしても陥落は容易くないぞ」
「ええ。ですからもう一手が欲しいところではあるのですが」
こちらにとって都合よく事態が進んでいる点は幾つかある。
ヘルフリートの強硬な政策による北側の混乱、加えてイシュトナル要塞の新たな指導者の暴走。それらを加味すれば、エトランゼやこの辺りに住む者達を味方に加えることも不可能ではないだろう。
「何にせよ、ディッカー卿の元に行って受け入れてもらってからの話になります」
「うむ。ディッカーならば妾の話も聞いてくれるはずだ」
エレオノーラはディッカーのことを随分信用しているらしく、そこに不安はないようだった。
「……月」
彼女の唇から零れた言葉に、ヨハンは窓を見る。
紅い月が、紫色のオーロラと共に世界を照らしていた。
「今宵もエトランゼがこの世界に現れるのか」
「でしょうね」
「ヨハン殿も、あの月の夜に現れたのだろう? ……嫌でなければ話を聞かせては貰えないか?」
「寝物語にはつまらない話ですが」
「いいのだ。そなたらの話は全てに価値がある。無論、エトランゼだけではないぞ。妾の知らぬこと、知らぬ世界の話は何もかもが眩しいのだ」
身体を藁の上に横たえて、エレオノーラはヨハンの顔を見上げていた。
その話の内容は、事前にヨハンが言った通りに特別な面白みなどなにもない。
突然紅い月の下に放り出されたヨハンは、その夜を必死で生き抜いた。そして夜が明けるころ、同時に夢も醒めるものだと信じていたのだがそれも訪れない。
混乱するままに各地を転々としている間に、名前を貰ったオルタリアの大魔導師、ヨハンと出会い親交を深めた。
たったそれだけの話だが、目を細めながら、エレオノーラは興味深そうにそれを聞いている。
時折質問を差し挟み、話を横道に逸れさせながらも話の内容自体は楽しんでくれているようだった。
「それで、ヨハン殿はどうしてあんなところで魔法道具屋を?」
「趣味が高じて、といったところですね。魔法道具をいじるのが好きだったので」
「ふむ。それはヨハン殿のギフトと関係があるのか?」
「あるといえばありますし、ないといえばないですね」
「それでは判らぬ」
「それはまぁ、判らないように言っていますから」
まるで童女のように、目の前の姫は頬を膨らませる。
「そなたは少しあれだな、意地悪だな。カナタに対する態度もそうだが、改めねば婦女子にもモテぬだろう」
「モテたくなったら改めましょう」
反論の代わりは「むぅ」という唸り声が一つ。
不意に視線を逸らして窓を見れば、いつの間にか紅い月は消えていた。
紅い月の後は決まって満天の星々と、普段よりも大きな月が世界を照らす。
その光景は幻想的で、エレオノーラは何度も城の窓からそれを見ては、それらに照らされた大地を歩いてみたいと夢想したものだ。
「ヨハン殿」
「外には行きませんよ」
「妾の心を読んだのか!?」
「いえ、面倒なことを言いだすカナタと同じ顔をしていたので」
更に言えば散歩を求める犬の表情だが、それを口にするのはあんまりなので黙っておく。
「……いつか、行きましょう。ちゃんとこの件が片付いたときにでも」
「……うむ! 約束だぞ、決して違えるでないぞ」
ぱっと顔を綻ばせて、エレオノーラは子供のようにヨハンのローブを握って引っ張る。
そうしている間に夜は深け、元気よく喋っていた少女の瞼も重くなってきた。緊張しているとはいえ歩き通しだったのだから、その疲労は相当なものだ。
ヨハンのローブの袖を掴んだまま、エレオノーラは寝息を立てはじめる。
その年相応の姿に苦笑しながらも、ヨハンもまた同じようにその横に身を横たえたのだった。
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