第五節 変革への導き手

「見張り、厳重だね」

 メイドが砦の内部にいる姿は不自然なものだが、隣に兵士の格好をした男がいるだけで、意外にもそれほど追及はされることはなかった。

 偏にモーリッツ・ベーデガーの人格が大きいらしく、話をした兵士曰く、「急にこっちに来ることになったからなぁ。あの人は女好きだし、館のメイドが恋しくなったのかぁ」だそうである。

「太ってて女好きか。まるで映画に出てくる悪役みたいだな」

「うーん。話の判らない人じゃなさそうだけどなぁ」

 カナタとトウヤがエトランゼと知りながら、彼は問答無用で殺すことを避けた。それが結果としてエレオノーラを取り逃がすことに繋がったといっても過言ではない。

「だからって話しあいで解決はできないだろ。向こうは姫様を狙ってるわけだし」

 敷地内に立ち並ぶ兵舎や倉庫の影を縫うように二人は移動する。例え変装をしていたとしても、できるだけ人目を避けた方がいいだろうと考えてのことだった。

「モーリッツさんを人質に取るなんて、大胆だよね」

「お前さ」

 トウヤが立ち止って、カナタを咎めるように睨む。

「敵地でそんなこと声に出す奴がいるかよ。聞こえたら一発でアウトだぞ」

「で、でも……。なんか喋ってないと不安で」

「気持ちは判るけど……」

「助けてくれ!」

 懇願するような叫び声と、それに続いて何かを殴打するような音が聞こえてきて、二人の会話はそこで終わった。

「な、なに?」

「あ、おい」

 トウヤが止める間もなく、カナタは建物の間から顔を出して、モーリッツがいる砦中央の前に広がる小さな広場を覗き見た。

 見ればエトランゼと見える男女二人組が、身体中を砂まみれにしながら転がり、それを取り囲むように兵士達が並んでいる。

「薄汚いエトランゼが! まだ吐かぬか!」

 痛々しい殴打音が響き、そう叫んだ男は手に持った鞘に入ったままの剣でエトランゼの男の方を殴りつけた。

 エトランゼの身体が地面を転がり、見かねた女の方がその姿を庇うように覆いかぶさる。

「もうやめてください! わたし達は本当に知らないんです!」

「ふんっ、エトランゼの言葉が信用できるものか! 外から現れ神の加護も受けぬ貴様等の言葉は、余りにも薄っぺらいわ!」

「……あいつ、確かカーステン……!」

 エレオノーラと一緒にいたエイスナハル信者の男は、今ここでもトウヤ達にしたように……いや、それよりも苛烈にエトランゼ達に対して憎しみを向けていた。

「それに、あの人達だけじゃない」

 見れば折に入れられたエトランゼが他にもいて、その様子を痛々しげに見守っている。既に同じように折檻をされた後の者もいるようで、檻の中でぐったりとしている者もいた。

「検問で捕まえたエトランゼを拷問してるのかよ……。幾ら何でも酷すぎる」

 トウヤが吐き捨てるように言った。

「でも、あの人達には悪いけど……。今は助けてられないな。まずはモーリッツを……」

 既にその場にカナタはいない。

 嫌な予感がしてカーステンの方に視線を向ければ、短いスカートを翻して走り去っていくメイド服の少女が一人。

「ああもう! なんでこうなるんだよ!」


 ▽


 モーリッツ・ベーデガー。

 オルタリアの五大貴族の一人で、ベーデガー家の現当主である。

 ふくよかな腹をした青年は、その見た目から誤解されがちだが、決して動くことが嫌いなわけではない。ただ、食べることが好きなだけだ。王宮で無精者と評されていることに関しては、密かに不本意に思っている。

 そんな彼は今、ヘルフリートと他の五大貴族の命令によりフィノイ河の検問の指揮を命じられている。

 フィノイ河の畔に建てられた砦は歴史も古く、今日に至るまでほぼ、ここに停められた船の船着き場扱いされていたような場所だった。

 おざなりな柵に囲まれた敷地内の、一階を倉庫とした二階建ての建物。その一室が辛うじて指揮官の部屋として使えるだけで、他の部屋は会議室や見張り台などしかない。

 だが、そんなことはそれほど問題ではない。

 何度も反乱の鎮圧に兵を出したこともあるモーリッツは、オルタリア中心部の貴族としては戦いの経験は豊富な方だろう。

 故に野営にも慣れているし、それに比べれば屋根があって新鮮な魚が食べ放題のここに詰めることは苦ではない。

「ただなぁ。あんなものを見せられるのは些かなぁ」

 ソテーされた川魚にフォークを突き刺しながら、窓の外を見て溜息をつく。

 それを傍で聞いていた彼の副官は苦笑いで答えた。

「カーステン卿は敬虔なエイスナハルの信徒ですから……。やはりあの方からすればエトランゼは忌むべき異物なのでしょう」

「異物も何も、最早この世界に来てしまった者なんだから受け入れるしかないのだろうがな」

「なかなか、そう割り切れる者達ばかりではないのでしょうね」

 窓の下では、カーステンがエトランゼ達に対して暴行を加えている。そして万が一にも抵抗されないように、モーリッツの部下達がそれを囲んでみていた。

「あんなものを間近で見せられる部下達には同情するぞ。まったく、まさか教会が無理矢理カーステン卿を私達に同行させるとは思わなかったぞ。あの方はエレオノーラ姫の護衛ではなかったか?」

「カーステン卿は王家と教会と繋ぐ家柄ですので、仕方なくといったところだったのでしょうな。いやはや、果たして今日までどのような気持ちで姫様に仕えていたのか」

「ふんっ。どちらにせよ、八つ当たりは程々にしてほしいものだ」

 川魚のソテーを咥えて、一口で半分を噛み千切る。

 エトランゼを苛烈に弾圧すればするほど、その波は大きくなってやがてオルタリアに反ってくるだろう。

 反乱ならばまだいいが、他の国と手を組んで侵略してくるようなことがあれば、手が付けられたものではない。

「奴等にはギフトがある」

「……不可思議な力ですな。とはいえ、我々には魔法技術があります。それ自体がエトランゼによってもたらされたというのがまた、皮肉な話ですが」

 魔装船を初めとする様々な魔法技術は、ここ数十年で爆発的に進歩したものだ。

 それにはエトランゼの存在が深く関わっている。元居た世界で技術者だった者、またそれにまつわるギフトを持った者達が、自らの地位や金のためにそれらを研究した。

 結果として魔法技術は発展し、それによって作られた武器の数々は、エトランゼ自身のギフトの価値を著しく下げた。

「当の本人はそんなことは思っていないだろうがな。魔法技術の開発を進めたエトランゼ達がいなければ、連中の地位ももっと高いものだったろうに」

「……かも知れませんな」

 勿論、そんなことがあればこの国はエトランゼに支配されていたかも知れない。貴族たるモーリッツとしては当然、今の方が都合がいい。

「それにしても食事が不味くなる。付近の街に使いを出して、明日までにカーテンを買ってこさせるか」

「それがよろしいかと……いえ」

 モーリッツが窓から目を逸らし、代わりに副官がカーステンの蛮行を覗き見る。一応、エトランゼが死んでしまわないように監視の義務もあるからだ。

「……どうやらカーステン卿の行いもここまでのようですが……これはどういった事態でしょうな?」

「なにぃ?」

 呑気にそんなことを言ってのける副官だが、彼の眼下では突然乱入してきたメイド姿の少女が、カーステンとエトランゼの間に立ちはだかっていた。

 少し遅れてモーリッツがそれを見ると、目を見開いて驚く。その少女と、後からやってきた兵士の格好をした少年剣士に見覚えがあった。


 ▽


「そこまでだよ! この人達が何したっていうの!」

 カーステンとエトランゼの間に立って、剣を構えながらカナタは凛然と問いかける。

「き、貴様は! ええい曲者だぞ! 何をしている、すぐに捕らえろ!」

 カーステンの号令で、呆然と見ていた兵士達は直ちに槍を構えてカナタを包囲する。

 しかし、今度はその一角が背後からの攻撃によって脆くも崩れた。

「ったく、無茶するよ! ヨハンは暴れて時間を稼げばいいって言ってたから、これでもいいのかも知れないけどさ」

「き、貴様も……! あの時の子供! やはりエレオノーラと繋がっていたか。こいつらを捕えればエレオノーラの居場所も判る、決して逃がすな! 神はお前達の行いを見ているぞ!」

「……何が、神様だ!」

 囲まれていることなどお構いなしに、カナタは剣を抜いてカーステンに斬りかかる。

 カーステンもすぐに鞘から引き抜いた剣でそれに応戦し、二人は至近距離で鍔競り合った。

「神様を語って酷いことをして、そんなことを喜ぶ神様がいるもんか!」

「それがいるのだよ! 父神エイス・イーリーネは貴様達エトランゼを認めてはいない! 穢れた外よりの血を、肉を、この地に留めるわけにはいかぬのだ!」

「ボク達だって、好きで来たわけじゃ……ない!」

 剣捌きではカーステンに軍配が上がる。

 カナタの持った剣を跳ね上げると、陽光を反射する白銀の刃を小さな身体に振り下ろす。

 カナタはそれに対して全身に力を込めて、痛みを覚悟してから左腕で身体を護るように掲げた。

「愚かな!」

 腕ごと身体を両断しようとするカーステンだが、それは叶わなかった。

 カーステンの剣は、カナタの左腕を切断することができずに、それ以上進めない。

「流石ヨハンさん……。なんでメイド服なのかは後で問い詰めるとして」

 防刃、耐衝撃、対魔法、ついでに防弾。

 様々な防御を施され、加えて裏地にびっしりと刻まれた魔方陣からは装備者の能力も増強する。

 まさかメイド服にそんな機能があるとは思わないカーステンは、会心の一撃が不発に終わったことに戸惑い、次の一手を忘れる。

「このおおぉぉぉ!」

 カナタの全霊の体当たりが、カーステンの身体を弾き飛ばす。

 そして彼の手から離れた剣を、しっかりとキャッチして倒れたその身体に突きつける。

「ストップ! エトランゼ達を逃がして! じゃないとこの人がどうなっても知らないよ!」

 それを聞いて、トウヤと戦っていた兵士達が動きを止める。

「何をしている! 私の命などどうでもいい! 早くこの神に逆らう愚か者どもに鉄槌を下せ! 貴様達、私に逆らうのか! 私の言葉は神の使途、御使いの言葉に等しいのだぞ!」

「静かにしててよ! それに貴方は人間だよ、神様じゃないし!」

「カナタ、避けろ!」

 トウヤの叫びで我に返ったカナタは、間一髪で飛んできた矢を身を翻して避けることに成功したが、続く二射目でカーステンから奪った剣を取り落としてしまう。

「随分と派手にやってくれたものだな」

 腕を組んで、砦から現れる大柄な姿があった。

 五大貴族の一人、モーリッツは憮然とした様子で、部下を伴ってその場に現れた。

「カーステン卿、ここはお下がりください」

「し、しかし……。エトランゼ共に愚弄されたままでは……」

「足手まといだと言っているのです。ここは教会と信徒ではなく、お互いに戦を預かる者としての行動をしましょう」

 有無を言わせぬモーリッツのその態度に、カーステンは忌々しげな表情を隠しもせずその場から下がっていく。

「やれやれ、困った御仁だ。お前達、捕らえているエトランゼを解放しろ。戦いの巻き添えになって死なれては夢見が悪い」

 指示を受けて、先程までとは違い迅速に兵達がエトランゼを檻から解放する。

 転がり出るように出てきたエトランゼ達は、何が起こったのか判らずにモーリッツとカナタを交互に見ていた。

「失せろ、エトランゼ! お前達がもしギフトを使うのならば、私は全力をもって貴様達を駆逐するしかなくなるがな」

「怖かったでしょ? 逃げていいよ。後はボク達が何とかするから」

『なんとかできるの? 貴方に? ふふっ、面白いわ! だって貴方とっても弱いのに、どうやるの? ねぇ、ウァラゼルにやって見せてよ!』

「えっ?」

『力を貸してあげましょうか? わたしが、このウァラゼルが! そうね、それがいいわ。とっても楽しそう! さあさあわたしを手に取って、いつまでも地面に転がったままじゃ格好がつかないもの!』

「なに今の……? って、うわっ!」

 頭の中に響いてきた少女の声。甲高く、無邪気な声色でありながら、不思議と鳥肌が立つような不気味さがあった。

 それがなんであるかを確かめる間もなく、包囲を狭めてきた兵士達の槍が、カナタのメイド服を掠める。

「ふざけた格好の子供だ!」

「もう! 否定はしないけどさ!」

「相手はギフトを持っている! 子供とはいえ油断するなよ!」

「残念でした! ボクはそんな便利なギフトは貰ってないよ! ……でもね!」

 左腕を強く振り、飛び出してきた剣の柄を右手で握って引きだす。

 収納されていたのはどう見てもメイド服の袖よりも長いショートソードだった。

「色々便利なもの、貰ってるもんね!」

「あいつは貸してやるって言ってたけどな」

 敵を薙ぎ倒しながらのトウヤの言葉は聞こえない振りをして、相手の懐に飛び込みショートソードを振るう。

 ショートソードが軽く鎧の腹の部分に触れただけで、敵兵は全身を打ち抜くような衝撃を浴びて、意識を失いその場に昏倒した。

 呆気にとられる周囲の兵士達を余所に、次々とその一撃で倒していく。

「カナタ、こっちに!」

「うん!」

 人の壁を乗り越えてトウヤと合流し、二人は揃ってモーリッツへと武器を向ける。

「威勢がいいのは結構だが、ここが敵の拠点であることを忘れるなよ」

 その言葉通り、周囲からは次々と敵兵が集まっており、中には弓兵やローブを纏って杖を持った魔導師まで交じっている。

「魔法兵、放て!」

「ジャマー!」

 掲げられた杖から放たれるのは、火炎魔法の初歩であるファイアーボール。初歩とはいえ鍛錬を重ねれば重ねるほどに威力を増すそれは決して侮ることはできず、多くの魔導師の主力となりうる魔法である。

 だが、カナタはそれを待ってましたと言わんばかりにスカートの中から取り出した小瓶を地面に叩きつけた。

 ふわりと舞い上がった粒子が辺りを包みこみ、直撃するはずの魔法はそれに触れただけで霧散して消えていった。

「なっ……!」

「モーリッツ様!」

 それと同時に、船着き場の方から泡を喰った様子で兵士が駆けてくる。

「何事だ!」

「ふ、船着き場にて敵の工作活動です! 魔装船の殆どが動力部から煙を吹いています!」

「なんだと……!」

 驚きながらも、すぐにモーリッツは状況を冷静に判断する。

「嵌められたというわけだな、お前達に」

「本当はもう少しスマートに行く予定だったんだけどな」

 呆れながらトウヤが答える。

「時間稼ぎはここまでだ。カナタ、退くぞ」

「逃がすものか。私は無事な魔装船の方へと向かう。こいつらが逃げるとしたら、フィノイ河を渡るだろうからな。魔装兵、こいつらを逃がすなよ!」

 モーリッツの声に応えるように、砦の内部から地面を踏み鳴らす音が、嫌に大きく響いてくる。

 窮屈そうに両開きの扉を潜って現れたのは、全身に鎧を纏った、まるで機械の兵隊にも見える何者かだった。

「まったく。我が方にも二機しかないこいつを持って来ておいたのは成功だったか失敗だったか……。まあいい、魔法兵、弓兵は私に続け。船を奪った不埒者を仕留める」

 モーリッツがその場を去っていく。

「カナタ、俺達も早く!」

 例え相手がどんなに強くても、二人がやるべきことは後は逃げるだけだ。

 そう考えて身を翻したが、その考えの甘さをすぐに思い知ることになった。

 魔装兵と呼ばれたそれは、強く地面を踏み込むと、その重量を全く意に介さぬが如く、一足跳びでカナタとトウヤの目の前にまで着地して見せた。

「こいつ!」

 振りかぶられた両刃の大剣は、思いの外早い。

 トウヤはすぐに反応することができずに、地面を転がることでその身体を狙った一太刀をどうにか回避した。

「早いよ!」

 カナタのショートソード改め、触れた相手に電撃を浴びせるスタンソードが鎧を打つが、衝撃が内部まで届いた様子はない。

 兜の奥に見える瞳が輝き、嫌な予感がしてカナタはすぐにその場から飛び去った。

 直前までカナタがいた場所を大剣が通過する。それだけでは飽き足らず、更なる追撃を重ねるために一歩、魔装兵は前に踏み出した。

「魔装兵……。ただの鎧じゃない! 全身に魔法が掛けられた鎧を纏った兵器みたいなもんだ!」

「だったらボクだって一緒だよ! 見た目はメイドだけど!」

 恐らく、原理は同じものだ。下手をすれば重さがない分カナタのメイド服の方が優れているまでありうるが。

「馬鹿! 中身の強さが段違いだろうが!」

 トウヤの正論と、装甲の違いはどうしようもない。

 振り下ろされた大剣を受け止める。

 メイド服に施された魔法によって筋力は遥かに増しているはずなのだが、それでも一撃で身体ごと潰されそうになりそうなほどに重い。

「ぐぅ……!」

「燃えろ!」

 そこに背後からトウヤの炎が、魔装兵を包み込む。

 致命傷にこそならなかったものの、そちらの方が強敵と判断した魔装兵は、カナタへとどめを刺さずにトウヤの方へと振り返った。

「取り敢えず少しでも距離を取るぞ」

「うん! これでも……!」

 絶妙な身体捌きで魔装兵の大剣を避け、その合間に斬撃を叩き込むトウヤ。

 その合間合間に炎を発して魔装兵を攻撃するのだが、その圧倒的な防御を貫くことはできず、相手の動きが鈍る様子もない。

 トウヤの隙ができたタイミングで、カナタが作りだした光の弾を投げつけて、魔装兵の注意を引く。石ほどの威力しかないが、それでも得体の知れない何かを放り投げられてそれを無防備に受ける奴はいない。

 そんな風に逃げ腰ながら戦い続け、やがて二人は船着き場の傍までやってきた。

 確かにそこは報告にあった通り、錨で繋がれた幾つもの船が、煙を吹いている。

 そのうちの一つ、無事なものの上に見知った姿を見かけて、カナタは安堵の息を吐いた。

「ヨハンさん!」

「いや、それはいいけど!」

 大剣を避けながら、トウヤが叫ぶ。

「どうすんだよこいつ! まさか連れてくのか!?」

 トウヤの叫びが聞こえたわけではないだろうが、ヨハンは船の上で何かを構えたまま、二人を待っていた。

 それは銃だった。以前持っていた物とはまた違う、この世界で滅多に見ることのできないその武器の不自然なまでに長い砲身は真っ直ぐにこちらを向いている。

「トウヤ君、動かないで!」

「なんでだよ!」

「ヨハンさん、射撃は下手だから! 当たるよ!」

「はぁ!?」

 冗談じゃない。そんな意味を含ませた声は杞憂に終わった。

 見えない衝撃がすぐ傍に迫る魔装兵を打ち抜き、何かが炸裂するような音と共にその巨体が後ろへと派手に吹き飛ぶ。

 その凄まじい威力に軽く感動しながらも、トウヤはすぐに頭を振って今やるべきことを思い返した。

「今がチャンス!」

 それでも魔装兵は起き上がる。

 大剣を構え迫るその身体に、更なる射撃が加わった。

 そうしている間に二人の身体は桟橋を渡り、ヨハンが立つ船の上へと向かっていた。


 ▽


 弾倉にある全ての弾を撃ち切り、ヨハンがレバーを引くと、そこから自動的に空になった薬莢が排出される。

 次なる弾薬を取りだして、それを弾倉に込めてレバーを下ろす。

「ヨハン殿、カナタ達が!」

「判っています」

 背後に迫る魔装兵に、続けて弾丸を打ち込み続けるが、相手もこちらの射撃に慣れたのか、不意を突けない一撃では確実に撃ち抜くことはできなくなってきていた。

「姫様。先程説明したようにして船を動かしてください。動力に火さえ入れば勝手に進むはずです」

 様々な大きさの魔装船が並ぶが、その中でヨハン達が乗っているのは、十人ほどが乗れる大きさのものだ。見た目は木製の船だが、魔法で動くエンジンを搭載しているので好きな方向に自由に進むことができる。

「う、うむ!」

 エレオノーラが船倉へと梯子を降りていく。

 それから少しもしないうちに、船全体が微弱な振動に包まれる。

「やったぞ! ヨハン殿、妾だってやればできるのだ!」

 彼女がやったことは予め説明されていた通りにスイッチを押しただけなのだが、今はそこに対するコメントは控えておく。

 桟橋を駆けるカナタとトウヤ。すぐ背後には魔装兵が迫る。

「船が動くぞ! 飛べ!」

「トウヤ君、先へ!」

 先を走るトウヤが桟橋から跳躍し、船の甲板に転がり、少し遅れたところを走る魔装兵の大剣がカナタに迫る。

「……振り向くな」

 その声が聞こえたのかどうかは判らない。

 それでも、カナタはヨハンが思った通り、背中に向けて振り下ろされようとしている大剣を全く気にすることなく、こちらにただ走っている。

 引き金が引かれ、火薬が炸裂する音と共に銃身から弾丸が飛び出す。

 装填されていた弾丸は振り上げられた大剣を撃ち抜くと、そこで炸裂して指向性を持った衝撃波で、魔装兵をその後ろへと弾き飛ばした。

「ヨハンさん、キャーーーーッチ!」

 後先を考えず、桟橋からカナタが全力でジャンプした。

 その目標は船の甲板、それだけでなくその上で銃を構えていたヨハンの元へ。

「馬鹿か」

 咄嗟に銃を捨てて、飛んできた小柄な身体を抱きとめる。

 その衝撃を受け止めきれずに、カナタを胸に抱いたままヨハンは仰向けに倒れ、背中を強く打った。

「げほっ……。なんでこんなことをした?」

「いやぁ……。なんか肩から落ちてったトウヤ君見てたら痛そうだったから」

 至近距離で見合いながら、ヨハンの恨めし気な視線から逃れるカナタ。

 そうしている間にも魔装船のエンジンは唸りを上げて、船体は岸から離れていく。

「やってくれたな」

 大型の魔導船に乗るための最も高く長い橋の上から、そんな声がする。そこに繋がれている魔装船も、既にヨハンの工作を受けてエンジンからは黒々とした煙を吐きだしている。

 その横を通過するヨハン達の魔導船を睨みつけながら、モーリッツは兵達を従えてそこに立っていた。

「お前がこの件を仕組んだ者か」

「どうしてそう思う?」

「行き当たりばったりが過ぎる子供達にこんな大それたことはできまい。加えてエレオノーラ姫が一人でこんなことを思い付くこともな」

「モーリッツ様」

 背後の魔法兵と弓兵が武器を構えるが、それを手で制した。

「よい。今回は私の負けだ。素直に認めようではないか」

 太った貴族の男は、以外にもそれほど機嫌を悪くした様子はない。

 むしろヨハンを見て、何かを期待しているかのように、奇妙な高揚感すら覚えているようにすら見えた。

「不埒者では格好もつくまい。名を聞いておこう」

「ヨハンだ」

「ほう。かつて王宮に仕えた大魔導師と同じ名だな。何か因果はあるのか?」

「師と弟子だ。知識と信念と、名を受け継いだ」

「……ふむ。信念、か」

 モーリッツは記憶の中の大魔導師を思い浮かべる。

 王に仕え、幾つもの助言をし続けていた彼は、何を目的としていたのか。

 当時、そして自分では今ですらも若輩と思っているモーリッツには、そんなことは想像もつかない。

「ヨハンよ。お前の目的はなんだ? エレオノーラ姫は間違いなくこの国が内包する火種である。それが判っていながら何故、姫を護ろうとするのだ?」

「エトランゼである俺が、それを護るために効率的な方法を取るのは不思議ではないだろう」

「ふははっ。確かにその通りだ。……だが、詭弁だな」

 船は次第に遠ざかっていく。

 次の言葉がお互いに最後となるだろう。

「ヨハンよ。しばしエレオノーラ姫の身柄を預ける。……成すべきを成して見せよ」

 その言葉に、ヨハンは何も答えない。

 やがて船は遠ざかり、弓も魔法も届かない距離へと離れていった。

 その姿は霞に溶けて消えてから、モーリッツの副官は彼に問う。

「よろしかったのですか?」

「結構。私とて小さな野心ぐらいはある。教会の連中に好き放題されるよりは、こちらの方が楽しめそうだ」

 命を賭けてでも信念を貫く姫。

 後先を全く考えない少女とそれに付きあわされる哀れな少年。

 そして、自らの心を決して明かさなかった大魔導師の名を継ぐ者。

 運河の向こうに消えた彼等がどのような道を進むのが、それがもたらす変化も含めて、モーリッツには楽しみで仕方がなかった。

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