第三節 姫と獣と炎とボクと

 その日の夜。

 窓から差し込む月明かり。全身を包み込むように深く沈むソファ。

 この世界に来てから初めて味わう、極楽とも呼べる感触を受けながら、カナタの内心では心臓が早鐘を打っていた。

 広々とした部屋の中、綺麗なガラスのテーブルを挟んで座るのは、同じようなソファに優雅に腰かけるエレオノーラ。

 彼女は静々とした仕草で、テーブルに置かれたカップに手を伸ばし、手に持って口元に運ぶ。

 形の良い唇がそこに触れる瞬間、口元を綻ばせながら流し目でカナタを見た。

「エトランゼ、カナタ。何をそんなに固くなっている? 妾はそなたの話が聞きたくてここへ呼んだのだぞ」

「は、ははははい! えっと、その……。話って言われても……」

「まずは茶でも飲んで落ち着け」

 エレオノーラに合わせてお茶を一口啜る。たったそれだけの動作にすら、果たして音を立てていいものかどうか悩む有り様だった。

 何故にこんなことになったのかといえば、話せば短い。あれから仕事を終えて戻ろうとしたところに、屋敷からひょっこりと出てきたエレオノーラが声を掛けてきたのだ。

 エトランゼの話を聞かせてほしいと。

「それにしてもあのトウヤという男は真面目だな。こんな時間まで働いているとは」

 トウヤがやっているのは所謂残業で、昼間に終わらなかった部分の補修を続けている。

 余りにも少なすぎる給料に色がつく他に、恐らくは彼自身が余りオルタリアの王族であるエレオノーラと関わりたくなかったから、それを理由に辞退したのだろう。

「エトランゼの冒険者をしているのだろう、カナタは? いったいどんなところに行き、どんなことをしているのだ?」

「どんなことって言われても……。ボクはまた駆けだしだから、山に行って薬草を取ってきたり、大勢の人と協力して魔物を退治したり、とかぐらいしか」

「それは立派な行いではないか。おかげで被害にあう民が減るのだ」

「それは……。そうかも知れませんけど、ボクにはまだ何にもできないし」

「そうは言っても、そなた達エトランゼにはギフトがある。その力を持ってすれば、妾達にはできぬことすらも可能であろうに。魔法と違う力なのだろう?」

「……ボクのギフト」

 意識を集中して、両掌に光を集める。

 部屋の中を照らすランプよりも明るいその極光は美しく見る者の目を奪うが、しかしそれだけだ。

 質量を持った光はカナタの手を離れ、テーブルの上に転がって鎮座する。

「たったこれだけのことしかできないんです。弱くて、何に使うのかも判らない」

 輝きがぱっと消える。

 弱く、脆い力だった。ヨハンに言われて色々なことを試したが、結局一番の使い道は石礫のように投げて使うことぐらいのもの。

 自嘲するようなカナタだったが、見ればエレオノーラは今光があった場所をじっと見つめて小さく震えている。

「エレオノーラ……様?」

「美しい。なんと美しい光だ! カナタよ、もし可能ならばもう一度今の光を出してはくれないか?」

「は、はい。大丈夫ですけど……」

 精神を集中させて、同じように極光を生み出す。

 夢幻の輝きを放つ光を手でつまむようにしてエレオノーラに差し出すと、彼女は恐る恐るそれを受け取って、手の中で転がした。

「うむ、うむ。実に美しい輝きだ。妾も王女ではあるから様々な宝石の類を目にしたが、今まで見たどんな物よりも美しい。この極光、まるでお伽噺に登場する、御使いの光のようではないか」

「……御使いの光?」

「知らぬか。……まぁ、そなたらエトランゼはエイスナハルの教典などは読まぬだろうからな」

 エレオノーラが説明しようとしたところで、騒がしい足音と共に乱暴に部屋の扉が開け放たれる。

「何事か。仮とはいえ、ここを妾の寝所と知っての狼藉ならば、覚悟はできていような?」

 呼べばすぐに護衛の兵がやってくる。先程のカーステンもすぐにこちらに向かえるように、別室で待機させている。

 剣呑な雰囲気で立ち上がったエレオノーラだったが、やって来た人物を見て何かを悟ったかのように、再びソファに腰を下ろした。

 扉を開けて入ってきたのは、三十代ほどの恰幅の良い男だった。貴族服の下にあるだらしなく弛んだ腹を揺らしながら、護衛の兵と共に部屋の中に一歩踏み込む。

「モーリッツか。わざわざ自身でやってくるとは、無精者と評される男らしくないな」

「この国が動く一大事なのです。このモーリッツといえど、動かぬわけにはいかぬでしょう」

「……つまり、父は……」

「察しの通り。エレオノーラ様のお父上、リューネブルク・キストラー・オルタリア陛下は先程、崩御なされました」

 一瞬、エレオノーラは痛みを堪えるような悲痛な表情をしてから、すぐにそれを覆い隠してモーリッツに向き直る。

 一国の姫として、既に覚悟はできていたことだった。今は悲しむよりも先にやらなければならないことが幾つもある。

「だがモーリッツ。奇妙なことが一つある。何故そのような重大なことが、妾を無視してそちらに最初に届いたのだ?」

「伝令は、ついでがあるからその方が都合がいいだろうと申していました」

「そのような問題ではあるまい。そのような礼節を欠いた行いをするのはいったい誰なのだ?」

「貴方様の兄上、そしてリューネブルク国王陛下の崩御をもって新たに国王に即位した、ヘルフリート陛下です」

「……なんだと?」

 エレオノーラの形のいい眉がぴくりと動く。

 座りなおしたソファからまた立ち上がり、何の冗談かとモーリッツを睨みつけた。

「兄の、長兄のゲオルク兄様を差し置き、何故ヘルフリート兄様が即位するのだ?」

「ゲオルク陛下は西部で発生した反乱の討伐から未帰還。それ故に五大貴族の後押しを受けて、ヘルフリート陛下の即位が決定したのです」

「馬鹿げている! ゲオルク兄様がどれだけ急いで戻ろうと、妾とは違い三日は掛かる! その間も待つことができないほどに脆弱な国ではあるまい、オルタリアは!」

 モーリッツはエレオノーラの叫ぶような声を、涼風のように受け流す。

「神聖なるオルタリアの王宮。その王の間で決められたことなのです。外にいる我等に、どのような異論が挟めましょうか」

「し、しかし……!」

「加えて、ヘルフリート陛下からはもう一つお達し。……いいえ、勅命があるのです」

 感情を滲ませず、淡々とモーリッツは語る。

 彼の手が腰に帯びた鞘に伸びるのを見て、カナタは嫌な予感を覚えた。

「エレオノーラ陛下。エトランゼに肩入れする貴方は放っておけばこの国の秩序を乱す。そうなる前に五大貴族のうち三家と、国王であるヘルフリート陛下の命をもってその命、頂戴いたします」

 銀色の輝きが、ランプの光に反射して部屋内を照らしつける。

 冗談の類ではない。モーリッツの目は本気で、何の感情もなくエレオノーラを害そうとするものだった。

「そ、そんな馬鹿な話があるものか! せめてヘルフリート兄様に!」

「王族として、『王家の勅命』の意味を判らぬわけではありますまい! 私とて五大貴族の一人、つまらぬ反逆でこのようなことを行うわけではないと理解していただきたい!」

 白刃が閃き、エレオノーラを狙って振りかぶられる。

「危ない!」

 そこに割って入ったのは、今まで話の行く末をろくに理解できずに大人しく縮こまっていたカナタだった。

 ろくに視界にも入っていなかったのだろう。突然の乱入者に虚を突かれたモーリッツは、飛んできたカップを避けることができず、彼の頭にぶつかって派手な音を立てて砕け散った。

 ソファから飛び出したカナタは、咄嗟にエレオノーラの手を引いて窓際まで逃れる。

「エトランゼか。そういえば、ここの清掃を頼んだ男が何やら言っていたな。娘、エレオノーラ様をこちらに渡せ。今ならば無礼は見逃してやる」

「こ、殺さなくてもいいと思います! まずはお兄さんに合わせてあげてもいいんじゃないですか!?」

「物事はそう単純ではないのだ。残念ながら、な。姫様を助けても貴様には何の得もないだろう?」

「人の命を助けるのに損も得もないよ!」

「ええい面倒な! ならば力尽くで事に当たるまでだ! 掛かれ!」

 扉の中から鎧で武装した兵士が二人、モーリッツの指示を受けて飛び込んでくる。

「カナタよ。加勢は感謝するが、この場をどう切り抜ける?」

「まったく、なにも、考えてません! どうしましょう!?」

「なんだと!? そなたは死ぬつもりか!」

「死にません! 多分!」

 手の中に光を集める。

 掌に収まる球体程度となったギフトの極光を、カナタは自信満々に迫りくる兵士達に向けて構えた。

「ギ、ギフトだ!?」

「ええい、何をするつもりだ、エトランゼ!」

 じりじりと、まるで爆弾でも見せつけるようにしながら、カナタはエレオノーラと共に窓際へと後退っていく。

 勿論、これははったりだ。仮にこの極光を投げつけたとしても、少し大きな石をぶつけられた程度の効果しかかない。

 時間を稼いでいる間に打開策を考えようと必死で頭を巡らせるが、元より決して賢くはない頭。出てくる策などロクなものではない。

「正面から走って逃げる……いや、無理でしょ。このままドヤ顔で歩いてったら見逃してくれないかな……怖いから無理。ヨハンさんが助けに……来てくれるわけないし。謝って許してもらう……論外だよね」

「カ、カナタ?」

 ぶつぶつと独り言を始まったカナタに、エレオノーラも不安になって声を掛ける。

「だ、大丈夫です! ボク考えるの苦手だけど、あっちの人達がこれが全く意味がないって気付く前になんとか方法を見つけますから! あ、そうだ、姫様も一緒に考えましょう!」

「いや、待てカナタ。それを言ってしまっては……」

「とのことだお前達! あれは単なるこけおどしに過ぎん。やってしま……!」

 モーリッツが言葉を言い終えることはなかった。

 彼の背後の扉から飛び込んできた人影が背後から足を払いその巨体を転倒させる。

 そして手を離れた剣を上手に掴み取り、モーリッツの腹を蹴ってカナタ達の前に着地する。

「トウヤ君!」

「君はやめろって。俺の方が年上だぞ!」

 そんなやり取りをしながらも、トウヤは剣を構えて兵士二人を牽制する。その刀身は炎熱を受けて赤い光を放っている。

「どんな状況だよこれ。なんでオルタリアの貴族が、姫であるあんたを狙ってるんだ?」

「かくかくしかじか!」

「伝わらないからな、それ」

 言いながらも、トウヤに向けてソファを蹴倒しながら躍りかかる兵士の懐に潜りこみ、剣を一閃。

 熱された剣は鎧を溶かしながら切り裂き、炎と切り傷を同時に与えられた兵士が痛みに蹲る。

「こ、小僧……!」

「あんたらに恨みはないけどさ!」

 もう片方の兵士の剣を受け止めて、下から上へと力で弾き返す。

 踏鞴を踏んだところにその腹に蹴りを入れると、鎧姿の兵士は調度品のツボを巻き込んで派手な音を立てて転がった。

「カナタとは付き合いがあるからな。悪いけど、殺させてはやれないよ」

 剣を握っていない方の手に発生させた炎を床にぶつけると、絨毯を巻き込んで燃え広がり、炎の壁となってお互いの間を遮る。

「ちぃ! だがどうする!? 既に屋敷の出入り口は固めてあるぞ。お前達に逃げ場はない!」

 モーリッツが勇ましく叫ぶ。

「カナタ! 姫様を抱えて飛べ!」

「え、ボク空飛べない!」

「そうじゃないよ! 窓から飛べよ、下は植え込みになってるから助かるはずだ!」

「判った! 失礼します」

 決断から行動までは非常に早かった。

 カナタはエレオノーラを抱え上げるようにすると、体当たりでもするように窓を開け放ち、眼下に見える植え込みの飛び込んでいく。

「いたたたたたたたっ!」

 草葉の揺れる音と、カナタの間抜けな悲鳴が聞こえたのを確認してから、トウヤも窓枠に足を掛ける。

「……エトランゼ」

 忌々しげに、モーリッツが異邦人の名を呼ぶ。

「なんだよ?」

「状況も判らずに行ったそれが、この地に災いを呼ぶとは思わぬか?」

「……思ってないね。あんたらのことは知らないけど、俺達の状況がこれ以上酷くなるもんか。それに、俺達はもう嫌ってほど理不尽を味わった。同じような理不尽で失われる命を見たくないんだよ」

 そのやり取りを最後に、トウヤも窓から身を躍らせる。

 それを見送ってからモーリッツは無事な方の部下を助け起こした。

「いつまで寝ている。すぐに討伐隊を出すぞ。今夜中に捕らえねばヘルフリート陛下からのお叱りの言葉が飛ぶだろうからな。……まったく、私は美食と美女さえあればいいというのに、面倒なことだ」

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