2‐2
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ソーズウェルの郊外。
中央には様々な商店が立ち並び、常に活気に満ち溢れるソーズウェル。
その周囲を囲むようにそこに住む者達の家が立ち並び、外周は閑静な屋敷が立ち並んでいる。
その中でも一際活気のないエリア。人が住んでいないわけではないのだが、街からは遠すぎて不便があるため人気のない場所で、カナタは箒を手に溜息をついた。
カナタが今いるのはそこにある一件の屋敷であった。門の内側にある正面入り口で、箒を使って地面を掃いている。
「あからさまな溜息吐くなよ。こっちまで憂鬱になってくるだろ」
手に持った釘と板で、壊れた建物の穴を塞ぎながら、黒髪の少年がそれを咎める。
「だってぇ」
彼の名はトウヤ。何度か一緒に行動している冒険者仲間である。お互いに年が近いこともあってかそれなりに気心の知れた仲だった。
今二人がいる郊外の屋敷は、ソーズウェルを治める五大貴族の一人、『モーリッツ・ベーデガー』の所有する屋敷で、彼の愛人を囲うためのものだったらしいが、故あって使われなくなったために長いこと放置されていたらしい。
「なんでそんな屋敷をまた急に治せなんて言いだしたんだろうな」
釘を打ち付ける音に交じってトウヤの疑問の声が飛ぶ。
「さあ。でもおかげで仕事に就けたし、いいんじゃない?」
「仕事って……。誰もやりたがらないことを押し付けられただけじゃないか。いつものことだけどさ」
冒険者と呼べば聞こえはいいし、エトランゼの大半はそう名乗るのだが、実情はそれほどよくはない。
ロマンを求め、誰にも仕えずにギフトを頼りに生きる者。そんなアウトローなイメージで語られる冒険者だが、実際はそんなことは全くなかった。
「お姫様が来るからなんか仕事でも増えてないかなって思ったんだけどなぁ」
「そんなに上手い話はないって。いや、俺も同じこと考えてたけど。お姫様は関係ないけど一応は魔物の討伐隊の仕事はあったんだぜ?」
「行かなかったの?」
「行かなかった、じゃなくて行けなかったんだよ。隊長が嫌な奴でさ、前に報酬で喧嘩したことがあるんだよ」
トウヤのギフトは炎使い《パイロマスター》。彼はこの世界に来たときに、炎や熱を操る能力を得ていた。
非常に強力なギフトで、それ故に戦いでは頼りにされているが、本人が良くも悪くも真っ直ぐな性格のため、そうしたトラブルで損をすることが多々あるらしい。
それでも大規模な戦場で宛てにされることも多いので、カナタとは比べ物にならないほどの収入を得ているはずなのだが。
「……たまに考えちゃうんだよな。魔物とか、そんな奴等を倒し続けて、そんな生活を続けて、本当に何か報われるのかって」
日々の食い扶持を稼ぐために、冒険者は常に仕事をしていないといけない。だが、その賃金は決してよくはなく、自らの命を切り売りしたところで数日を過ごす程度の賃金しか得られないことも少なくはない。
それでも、そうやって生きていくしかない。それができなければこうして日雇いの、冒険者の仕事とはとても呼べないアルバイトをして金を稼ぐしかない。
「安いもんね、報酬」
「冒険者は命を賭けて初めてある程度の額を渡せるって理屈ができてるらしいからな、この国では」
吐き捨てるようにトウヤが言う。
「エイスナハル……だっけ? この国の神様が言うには、俺達エトランゼは人間じゃないらしいからな」
エイスナハル教。
この国で最も信仰されている宗教の教えに、
それを過大解釈すれば、この大地で生まれた命ではないエトランゼには神の守護はなく、故に人ではないとの見方もできる。
そんな極端な考え方を持つ者は決して多くはないが、それでも一部の有力な貴族達の中にはそれを信奉するものもいる。
そのことにはギフトを持つエトランゼに対する怖れや、彼等に国を侵されまいとする利権も関わっているのだが、カナタにはそんなこと知る由もない。
「とんでもない神様だよ、まったく」
トウヤの悪態を聞き流しながら、箒で集めた落ち葉やごみをちりとりで回収する。
基本的には善人のトウヤだが、ギフトやエトランゼに対する差別の話になると愚痴っぽくなってしまうのが欠点だった。もっとも彼の年齢で突然異世界に飛ばされて、ろくな扱いをされなければそうなってしまうのも無理のない話だが。
「貴様、神を愚弄するような発言をしなかったか?」
突然背後から聞こえてきた声に、二人が肩を竦ませてその方向を見ると、厳めしい表情の中年の男が立っていた。
騎士の鎧に、エイスナハル教のシンボルである十字が描かれたサーコートと呼ばれる外衣を纏っており、それを見た瞬間にトウヤは自分の失言を悟った。
「エトランゼ風情が! 我等が偉大なる父神、エイス・イーリーネを地に貶めるような発言をしなかったかと聞いているのだ!?」
口元に小さな髭を生やした神経質そうなその男は大股で二人に歩み寄り、半ば怒鳴るような勢いでそう尋ねる。
「い、いや……。俺達は、別に何も」
「いいや。私の耳は確かに、神に対する背信の言葉を聞いた。貴様等がこの大地に生きていけるのも、大いなる神の慈悲があってのことだと判らぬか!」
大声を出されて、反射的にカナタは身を竦める。
男も男で顔を真っ赤に染め、その手は既に腰にある鞘に掛かっていた。
「気に障ったなら謝ります。でも……」
「言い訳など聞けぬ! 貴様等の行い一つ、過ち一つで神は怒り、この地に御使いが降り立つのかも知れぬのだぞ!」
エイスナハルの教典に登場する、神の使者『御使い』。
人々が自らの領分を忘れ、神の領域に手を出したとき、異形の者達が地上を制するとき。
あるときは人を害し、またあるときは人に害するものを滅ぼし世界を救う。
神の代行者として世界を動かす、尊き者達。
それが御使いと呼ばれる者達だった。
もっとも、それを見たことがある者は恐らくこの国には誰もいない。あくまでも教典に書かれているだけの、いわばお伽噺の存在のようなものだ。
そんな名前を出されて怒鳴られても、トウヤには目の前の男が頭のおかしい狂信者にしか思えなかった。
「だいたいにして、エトランゼが私の視界に入る場所で何かをしていることがおかしいのだ!」
「……こっちだって、仕事でやってるだけですよ」
「小僧。口答えをするのか?」
男の手が伸びて、トウヤの胸倉を掴むみ、もう片方の手は腰にある鞘から剣を抜こうとしていた。
「あ、あの!」
この場は穏やかに収まりようもない。そう判断して、カナタは駄目もとで声を張り上げた。
「なんだ、小娘。これから汚い家畜を処分するとこだ。貴様も同じ目にあいたくなければさっさと失せろ」
「こ、殺すのは……。やり過ぎだと、思うんです……けど」
控えめに、できる限り機嫌を損ねないようにそう言うが、どうやらこの男はエトランゼが言葉を喋るだけで気に入らないらしい。
トウヤを突き飛ばして尻餅を付けさせると、今度はカナタへと剣を向ける。
「ならば先に貴様を痛めつけるとしよう。なぁに、殺しはせん。腕の一本ほどで勘弁してやる」
「あんた、いい加減に……!」
エトランゼを痛ぶることを楽しむような、加虐的な笑みを浮かべる男に、トウヤが声を荒げる。自分が痛めつけられるだけならば我慢できるが、カナタにまで害が及ぶのならば、静観するわけにはいかなかった。
「やめよ、カーステン!」
一触即発。最早トウヤは丸腰でも立ち向かって行くだろう。そんな張りつめた空気を打破したのは、三人の間を切り裂くように放たれた、美しい声だった。
屋敷の門の向こう。石畳の道の上に馬車が止まり、ゆっくりとその扉が開いていく。
花の意匠があしらわれたふわりと広がる華やかなスカートの、白いドレスを纏ったその人物は、優雅な仕草で石畳へと降り立つ。
背中まで伸びる長い黒髪が白いドレスによく映えて、カナタとトウヤは言葉を失う。
一目見て、美しいと思える少女だった。やや釣り上がった目は厳しさを思わせながらも、ゆっくりと余裕のある典雅な仕草は気品を持ってそれを包み込む。
固く結ばれた唇は、しかし小さな綻びがあり、慈愛の心を覗かせていた。
「エ、エレオノーラ様!」
カーステンと呼ばれた中年の騎士が、先程までの横暴な態度は何処へやったのかと思うほどに、小さくなってその場に傅く。
その口から飛び出した名前を聞いて、二人も同じように驚愕した。
「カーステン。妾は先に赴き様子を見よとは言ったが、決してエトランゼに対して粗相をせよとは命令していないぞ」
「ひ、姫様……しかし!」
「言い訳は聞かぬ。以前よりそなたの粗暴な面、特にエトランゼに対しての苛烈な在り方は直すべきと言っておいたはずだ」
そう咎められ、カーステンは顔を伏せて身を小さくする。その表情がどんなものであるかは、彼以外の誰にも判らない。
「下がっていろ。妾はこの者達に謝罪をせねばならない」
「エレオノーラ様。お考え直しください。貴方様は王家の象徴。そんな高貴な方が、卑しきエトランゼ如きに……」
「下がれカーステン。これは命令だ」
頑として譲らず、厳しい声色で命ずるエレオノーラ。
それには逆らうことができないのか、カーステンは忌々しげに二人を睨むと、馬車の方へと大股で歩いていった。
「すまなかった。カーステンに悪気があるわけではないのだろうが。あやつは敬虔なエイスナハルの信徒である故に、その教えを曲解し、エトランゼに対してあのような振る舞いをしてしまうのだ」
二人に向き直ると、エレオノーラはぺこりと頭を下げる。
その態度が余りにも、浮世離れして見えた彼女のイメージとは異なっていて、何も答えることができなかった。
「エトランゼ達には肩身の狭い思いをさせるな。これも全ては妾の力不足故のこと。許せとは言わぬが……」
「は、はい。大丈夫、です」
何と言っていいか判らずに、形だけの言葉でお茶を濁してしまう。
トウヤも王族を前にして言ってやりたいことが幾らでもあったのだが、実際に本人を目の前して、更にそんな態度を取られてしまえば、恨み言も出てこない。
「そなた達はここで仕事か? まったく、妾がここに来るから清掃を済ませておけと言ったのだが、どうやら連絡が上手く行っていなかったようだな。二人を責めているわけではないぞ。この仕事を与えたものに対して呆れているだけだからな」
そう注意を付け加えて、エレオノーラは目の前の屋敷を見上げる。
「しかしモーリッツめ。気持ちはありがたいが、このような大仰なものでなくともいいと言うのに。それにしてもこれほどの屋敷を今まで使わずに放置するとはなんと勿体ない」
ぶつぶつと独り言を呟くエレオノーラは、目の前でどうしたらいいか判らなくなっている二人に気付く。
「ああ、すまぬ。仕事に戻ってくれ。妾も邪魔にならぬように大人しくしているから」
改めてもう一度頭を下げてから、エレオノーラは静かに屋敷の中へと入っていく。
内部は既に半分以上掃除が終わっており、来客の気配を察したカナタ達の雇い主がエレオノーラを案内するために飛び出してくる。
二人が大きな両開きの扉を潜り中に入る瞬間、雇い主の男性はカナタ達に怒鳴るように植え込みの整備を命じて、エレオノーラと共に屋敷の中へと入っていた。
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