第12話 氷刃 5
「……やれやれだ」
車両基地を確認して、ギュスは双眼鏡を降ろした。色々トラブルはあったが、遅れは最小で済まされそうだ。
「ここまでくれば大丈夫でしょうから、鉄道長は休んだらどうですか?」
同じく安堵したような表情で、当直の運転士が提案した。
「言われなくてもそうするぜ。……っと、そうそう。賞金稼ぎを口説いたって若造はどうしてる?」
「それ、本人は否定してますよ」
「じゃあ何で、あの女は食堂車に通い詰めてるんだ? しかもご指名だぞ?」
「知りませんよ。直接聞いたらどうなんですか?」
運転士につれなくされて、ギュスは首をすくめた。
「……おっかなくて聞けるかよ」
モーリンたちが大鉄に戻った時、ギュスは全滅を覚悟した。雪兎団の生き残りを空車両に収容する時も「非常食か?」と笑えないことを本気で言っていた。
そうならなかったのは、その日のうちにフィーが訪ねてきたからである。
雪兎団の遺品となった雪上車に、溶接用のボンベをありったけ積んでいた。
「うちの人、鍛冶屋なんです。」
助手席にいた片足の男を指して言い、コックさんはどこですか? と訊ねた。
呼び出されたキュイジーに、フィーははにかみながら言った。
「ごめんなさい」
「いえ。気にしてませんから。でもどうしてです?」
「引っ越すんです。もっと大きな町に行って、ちゃんとしたお店を構える事にしようって。工具は愛着あるって言いますけど、消耗品はねえ……荷物でしょう?」
「はあ……」
笑っていたのはそこまでだった。フィーはキュイジーのマフラーをつかみ、集まっていた機関士たちの輪から引き離した。残された夫は、機関士と何やら技術的な話をしていた。大鉄で使っているガスとは種類が違うらしく、取り扱いの注意をしているらしい。
「ナギさん。と言いましたよね、あの人」
「はい」
「あの人に、『ごめんなさい、ありがとう』と、」
黒い車体を見上げたキュイジーを、フィーは両手で引き戻した。
「呼ばなくていいの。呼んではダメ。私はあの人を許していない。あの人が来たおかげで、フーキは辛い事を思い出させられた」
「それじゃあ何で、お礼なんて」
「それでもきっかけにはなったもの。こうして裏家業から足を洗う事もできる」
もしかしたらこの人は……。
その先は、考えない事にした。誰にだって、捨てるべき過去の一つはある。
「ぼさっとしてんな!」
はっ、とキュイジーは我に返り、止まっていた手を動かした。時既に遅く、フライパンの中では黒い物体が異臭を放っている。
「やる気あるのか! 町の料理屋じゃないんだ。無駄を出すんじゃない!」
「すいません料理長!」
料理になれなかったかわいそうな材料にわびを入れ、ゴミ箱に落とす。フライパンの焦げをこそぎ落としていると、再び料理長の罵声が飛んだ。
「そんなもの後だ後! 客は待っちゃくれないぞ!」
「すいません料理長!」
新しいフライパンをとって、油を引きながら考える。
フィーが足を洗い、新しい人生を歩み出したように、ナギも過去と決別し、カタナを置く日がくればいい。
いや、きっと来るだろう、と。
その時、彼女にあったかい食事を出せたら――
(何考えてるんだ、僕は)
自分の思いつきに苦笑する。どうやら噂に毒されてしまったようだ。
「キュイジー!」
フライパンから煙が立っていた。油を熱し過ぎてしまった。これでは香りが飛んでしまう。
「今度やったら一生ゴミ当番にしてやるからな!」
「すいません料理長!」
ナギは指定席となりつつあるテーブルから外を眺めていた。
山すそに沿って、ゆるいカーブを描いた線路が続いていた。雪深いフェデアン地方を抜けて半月もすれば、港町が見えるはずだ。続いて南国エピーネア。湖の町アルペイン。その先は再び山岳地帯。さらにいくつもの街を抜ける。そして一年たてば、大鉄はフェデアン地方に戻ってくる。
ぐるぐる回っている。これは、そういう乗り物だ。
「お待たせしましたー。今日こそは「うまい」って言わせますからね」
真新しい調理師の制服を着込んだキュイジーが、彼女の前にてきぱきと皿を並べていく。それを見ながら、凪はうっすらと笑った。
ぐるぐる回ったっていい。そうすれば、乗り過ごした場所にもいつか戻れる。それからやり直して、今度はきちんと下車駅を見逃さないようにすればいい。
悩むほどのことではない。
人生なんて、それだけの話なのだ。
雲の切れ間から光が差して、キュイジーの持つ銀のトレイに反射した。
雪は、ようやくやみつつあった。
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