第9話 氷刃 2

「やまないようだな。……んじゃ、行くわ」

「ああ、気をつけてな」

 短く挨拶をかわして、雪上車は原動機を始動した。雪とは違う白さの煙が上がる。

 雪上車は山脈へと頭を向けた。

 四人乗りらしい座席に、五人が座っていた。積載スペースは、たった今余計なものを取り払ったと言わんばかりに、無骨な構造材がむき出しになっている。

 慣れない乗り物とあって、運転席の保安部員、モーリンは慎重にアクセルを踏んだ。よく整備された原動機は、危なげなく回転数を上げていく。

 結論は昨晩のうちに出た。

 山すそに見えた灯火が何であるかわからないが、人がいるのには違いない。

 うまくすれば資材をわけてもらえるかもしれない。

 誰も迷わなかったし、行くだけ無駄だとも言わなかった。迷った分だけ時間がなくなる。無駄だと思っている限り何もできない。この雪の中で何もしないのは、死を待つのと同じである。

 だがしかし、問題点ははっきりさせる必要があった。

「万一だけど、あれが強盗団の野営の灯りだったら?」

 その可能性は否定できず、灯りがあった場所に向かうのは、命がけの任務となった。

 都合のいい事に、線路を少し戻った所に、強盗団の雪上車が一台残っていた。その脇に真っ二つになった死体もあった。誰がやったかわかったのは、今朝になってからだ。

「しっかしお前も物好きだよな」

 言ったのは保安部員のトリスタンで、言われたのはコックのキュイジーだった。戦闘能力もなければ機械知識もない彼が同行を決めたのは、出発五分前のことだった。

「あのおっかないねえちゃん、賞金稼ぎだろ?」

「……多分」

 歯切れの悪い言葉に、トリスタンは苛立った。

「多分ってなんだよ。乗客名簿……コックは見ないか。とにかく乗客名簿によれば、あのねえちゃんは大陸警察に登録してある賞金稼ぎで、しかも去年の稼ぎ額ランキングベストテンに入ってる。大陸で、悪くても十番目に強いんだぞ? ほっといたって死なねーって」

 トリスタンの言う「おっかないねえちゃん」とはもちろんナギのことだ。大鉄の乗客名簿は住所氏名の他に、自己申告ながら賞罰を記載する欄がある。乗車券発行前にそれらをチェックし、怪しい場合は警察への通報と照会が行なわれるのだ。

 ナギの刀が咎められなかった理由もここにある。業界トップの賞金稼ぎともなれば、公安の覚えも良く、物騒な器物の持ち込みも用意になる。しかしキュイジーはそれよりも、異人のナギが賞金稼ぎとしての登録をしていたことの方が意外だった。

「別に心配してるわけじゃ……」

「あ? 違うのか? じゃ、やっぱあれは嘘だったんか?」

「あれって、何です?」

 その問いに答えたのはモーリンだった。

「あんたがあのサムライ女に惚れられたって噂。……こういう話は本人に伝わらないって言うけど、ほんとだったんだねぇ」

「ちょっとなんですかそれ。僕は別に」

 キュイジーの抗議を、モーリンは急加速でさえぎった。雪上走行に慣れて来たらしい。

「状況証拠そのいち。サムライ女はキュイジーがホールに出る時間を狙って食堂車に現れる。状況証拠そのに。サムライ女は小食の癖に食堂車に長居する。そのさん。こないだの臨時停車で、君にだけお土産を買って来た」

「それは、ちょっと訳ありで」

 二ヶ月半ほど前になるが、大鉄は足回りの故障により、予定外の街で数日停車した。その際、キュイジーはギュスの命令でとある家出娘の面倒を見ていた。

 その街で、ナギは酒を買いに出ようとして、たまたまいその場にいた家出少女が、ナギにおすすめの店を教えた。そのお礼のつもりだろう、ナギは「あの娘に渡しておいてくれ」と言って、そこそこ値の張る菓子折を買ってきた。けれど菓子折を渡す前に騒動が起きて、家出娘は親元に帰った。行き場のなくなった菓子折は腐る前に厨房のみんなで食べた。それだけの話だ。

 説明が面倒でごまかしたのが裏目に出てしまったらしい。

 かと言っていまさら言うのも言い訳がましく思え、キュイジーはむくれた顔を横に向けた。

「そのよん」

「まだあるの!」

「これはちょっと違うけど。……君はサムライ女を恐がらない。なんで?」

 そう言われると、逆に聞きたくなってくる。

「みんなは恐いんですか?」

「たりめーだ。ウェインズバーグ事件ってのがあってな。荒鳩一家とスカルペッカー……要するにギャング同士の抗争なんだけどよ、機関銃とナイフと火炎瓶が飛び交う中に、あの女は剣一本で乗り込んで、両方のドンの首を狩って来た。しかも無傷。『業界』はしばらくその話題で持ちきりになった。一晩で百人を斬った女。奴のカタナは誰にも見えない。触れたときには死んでいる。……で、ついたあだ名が〈雲耀のナギ〉。稲妻よりもまだ速いって意味だとさ」

「本当ですか?」

 単なるコックのキュイジーは、血なまぐさいゴシップなど知らなかった。

「百人斬ったかは知らないけど、二つのギャングをいっぺんに消したのは本当の話よ」

 そんな人間に話しかけたのか、とキュイジーは思わなかった。むしろ、そんな人には見えなかったからこそ、彼女に声をかける気になった。

 思い出す。

 あれは、三ヶ月ほど前のことだ。



 彼女は食堂車の隅で、ぼんやりと外を見ていた。穀倉地帯だったと記憶しているが、確かとは言えない。季節を考えれば、窓の外には豊かな緑のじゅうたんが広がっていたはずだが、キュイジーの記憶にそれはなかった。

 その日は乗客の少ない区域に入ってしばらくたっていたので、食堂車もそれなりに暇だった。食べ終わった客を追い出す必要もなく、夕食の仕込みにかかるには少し早い時間だったので、キュイジーは先に床を掃いておこうと考えた。賄い当番は決まっているのに、掃除当番は決まっていない。汚れは見た瞬間に除去すべし、と料理長は言う。

 キュイジーはいたって真面目な青年で、少し押しの弱いところがあるものの、気配りの出来る方だと自負していた。切なげに外を眺める女に「掃除の邪魔だ」とは言わなかった。

 代わりに、言った。

「お気に召しませんでしたか?」

 テーブルの上には片付かない食器が並び、その上に並んだ料理は、半分以上が手をつけられずに冷えていた。

「そうでもない」

 女は外を見たまま答えた。自らの内に引きこもっているような目をしていたくせに、キュイジーの接近には近付いていたらしい。

 食事を残す客は珍しくない。動く一流ホテルと呼ばれる大鉄が、実は食材の確保に腐心している事を、客の大半は知らない。その土地ごとに手に入る食材を使う関係上、舌が合わない食事が出る事も、ある程度は仕方ない事である。大鉄の厨房は――正確に言えば料理長の腕は――食材さえあれば大陸中の料理を作り出せる。しかし、大陸中の食材を揃え、鮮度が落ちないように備蓄するのは不可能である。

 少し迷ってから、キュイジーは言った。

「慣れない物を食べろとは言いませんけど、旅をしていくなら『その土地の味』を楽しんだ方がいいですよ。お客様は、乗車中ほとんど食事をなさっていないように見えます」

「そうだ」

 と、女は言った。あまりにもそっけないと自分でも思ったのか、付け足した。

「済まぬ。まずいと思ってはおらんが、大陸の料理はどうにも味付けが濃くてな。蕎麦が食いたくてたまらなくなる」

 女の白い肌がどこの民族の特徴なのか、キュイジーはようやく気付いた。金に近い色の目は、何をか言わんや、だ。普段からどこの誰とも知らない乗客を相手にしているので、その辺りの判断が麻痺してしまっている。

「異人……」

「そうじゃ」

 女は表情を変えなかったが、不満を持ったのだとキュイジーは感じた。彼の発した一言は、差別用語に近い意味で使われることが多い。

「すいません」

「構わんよ。もう慣れた。それでも悪いと思うのであれば、酒を頼みたいのだが」

「あ、はい。何に致しますか? ヴォルビア産? エルター産も今なら在庫があるはずですけど」

「きつければなんでもいい。ぬしのおごりで」

「かしこまりました。嫌なことを忘れられそうなやつですね?」

 言ってから、財布の中身を思い出して付け足す。

「……酒は安いほうがきついってご存知ですか?」



 雪原を歩きながら、ナギはポケットボトルをあおった。

 別にアル中ではない。体温維持のためだ。この寒さでは、防寒具だけでは体温を維持できないのだ。夜間の雪中行軍を強行したのも厳しい。そういう訓練を受けたこともあるが、辛さが無くなる訳ではない。ただ少しだけ、我慢できるようになるだけだ。人間は本来、冷やしたら死ぬように出来ている。

 あの日、どうして彼がそんな事を言ったのか、ナギはすぐには理解できなかった。運ばれてきた蒸留酒を空け、グラスの氷に映った自分の顔を見て、ようやくわかった。

 泣き出しそうに顔を歪めた異人が、そこにいた。

 あの時自分は、かなり追い詰められていたらしい。尋ね人の手がかりを求めてギャングに接触し、成り行きから双方を壊滅させ、何も得られなかったのがこたえていたのかもしれない。

 もう、あの人には会えないのかも知れない。

 そう思いながら外を眺めていた。たかが料理人にそれを見抜かれたのが癪で、酒代は彼の給料袋に押しつけた。ほんの少しだけ気が晴れて、話をする気になった。

 共通の話題など無かった。コックは天井を見あげ、大鉄の構造から話し始めた。そこから業務についての説明に移った。そのほとんどは苦労話。それでもこの職場が好きだと、コックは言った。

 ――いつかね、世界中の料理を極めたいんです。

 笑顔が眩しかった。前を見ている人間の笑顔が。

 ナギはボトルを逆さに振って、残っていた酒で喉を焼いた。

 回想を打ち切って前に進む。

 腰の脇に下げたナイフを確かめる。

 昨夜、雪兎団の一人が使っていたナイフだ。刃渡りは二十センチと少し。片刃で、そりの無い作りが特徴的。彼女の感覚で言えば「小太刀」だ。特に名のあるものではないが、その拵えに見覚えがあった。大陸の技術ではない。

 そして彼女の知る限り、大陸に渡った弦都の刀匠は一人しかいない。

 雪の只中に、突如として村はあった。盆地――と言うか、雪かきの結果として生まれた窪地にあるその村は、知らなければ気付かれもしないほど小さかった。

 かつての持ち主を尋問して聞き出した、小太刀の作り主が住んでいるはずだ。

「……ようやく、か」 

 五年も探した「あの人」が、住んでいるはずだ。

 足が震えたのは、寒さのせいではなかった。

 心の奥に生まれた感情の乱れを無視して、ナギは村に踏み入った。

 ざっと見ただけで、反対側まで見通せるほど小さな村である。道路なのか除雪跡なのかはっきりしない道。村の歴史を想像させる物は何もなかった。どこを見ても寄せられた雪の山と、それでも降り続ける雪の白さしかない。住民は恐らく、とても単純な生活をしている事だろう。日の出を合図に畑を作り、日の入りと共に夕餉を囲み、日が落ちればすぐに寝る。灯りがないわけでもなかろうが、よっぴき没頭するような楽しみがあるようにも見えなかった。

 隠れ里、と呼ぶに相応しい立地だ。

 それはどこか、敗北の臭いをさせていた。

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