第7話 工場に架かる虹 7
色々えらそうな事言ってくれたらしいわね、ギュス。
そう言う依頼じゃなかったか? ったく、親子ともども苦労かけてくれる。
何を偉そうに。誰のおかげで今の地位にあると思ってるのよ?
俺様の実力だ。
全く、少しは丸くならないのかしらね。
お前もな。いや、少しはおとなしくなったのか?
あらそう?
ああ、ちびっこ見てて思い出した。お前が密航した時は、もっとひどい手におえないガキだった。血はつながってなくても似るんだな。
はン。あんただって若造だったくせに。
変な夢を見た。
あたしは十七歳で、密航者で、大鉄の貨物車両のすみに縮こまってびくびくしていた。
背中には頑丈なだけが取り柄の自作のバックパック。着替えはもちろん二着だけ。着る物なんて、今来ているのと洗うのと乾すのと、三着あれば十分なのだ。それ以外の荷物もとても少ない。
その代わり、細かい数字がびっしり並んだノートと、あちこちの工業製品のカタログと、一点に赤丸を記した地図を持っていた。
計算する。
ローバーは確かに大きな都市だけど、逆に言えば老舗の影響力が強い。新参者の付け入る隙はないかもしれない。でもイーリスハイトなら、商人はほとんどいない。それでいて工場は多い。職人も多い。最初は小さな工場。コネを築いてチャンスを待つことにしよう。仲買を使わず商品を卸せれば、同じ品質で二割のコストダウンが狙える。これなら絶対勝てる。見る目がある人なら、絶対この商法に乗ってくる。一度勝ってしまえば、後はお金がお金を呼んでくれるはずだ。お金が溜まったらあの人を呼ぼう。売れない芸術家で結構。あなたの生活はあたしが支えてあげる。待っててね。
一攫千金の夢を抱いて、あたしは拳を突き上げた。拳が貨物の仕切りに当たって、鈍い音を立てた。
「痛ったあっ!」
悲鳴を上げならが飛び起きたあたしは、そこが大鉄の貨物車両でも、乱闘中の路地裏でもないと知って混乱した。白い天井と白い壁と、不吉なくらい黒い服が見えた。
「気が付かれましたか、お嬢様」
「あ、うん。……いたたた。コンテナなんか殴るもんじゃないわね。あれ?」
そんなもの、いつ殴ったと言うんだろう? そうじゃない。
何があったのか、あたしは順番に思い出してみた。
家出した。
間抜けな誘拐犯に襲われて全財産を失った。
工房で働かせてもらった。
また襲われた。
太鼓腹がスパナであたしを殴って、腕を折られた。
それから、
……それからどうなったんだろう。記憶がない。頭を殴られて記憶喪失、ではない。痛いのは腕だけだ。頭を殴られそうになった記憶はある。
周囲を見まわす。どこを見ても清潔。どうやら病院みたい。
「……どうなってるの?」
訊ねたつもりはなく、単なる独り言だった。それでもシャルロットは律儀に反応してくれた。
「誘拐犯がお嬢様を亡き者にする寸前、アルトラスのギュス鉄道長がお嬢様を突き飛ばして誘拐犯と大立ち回りを。犯人は警察病院に入院中です。鉄道長もケガをされましたが、殴りそこなっての指の捻挫で軽傷です」
「あるとらす?」
「大陸周回鉄道の弐号列車の名前です」
ギュス、というのがひげジジイの名前だとは、聞かなくてもわかった。
「……ママは?」
訊ねると、シャルロットはそっと、あたしの後ろを指差した。
椅子に座ったまま、ママは眠っていた。
「ママ」
呼びかけても起きない。屋根の上で誘拐犯を挑発した時と同じ格好で――あちこち泥がついていた。この街一番の経営者にはあるまじきことである。目の下に、化粧が流れた跡があった。ほっとした。
身だしなみの整ってないママを見て、あたしはほっとしてしまった。
この人だって完璧超人じゃないんだ。守銭奴でも冷血商人でもない。
ただの人で、あたしのママだ。
じゃなかったら泣いたりしない。家に帰るのも忘れて枕元にいてくれたりしない。
ママはあたしのことを考えてくれていた。なのに、どうしてあたしは、ママが『どう考えて行動しているか』を考えてあげられなかったんだろう。
やっぱりあたしはただのちびっこだった。わかってしまえばすっきりした。
「申し訳ありませんお嬢様」
突然、シャルロットが言った。
「何? ちゃんと助けに来てくれたじゃない。こんなのすぐに治るんでしょ?」
腕はあんまり痛くなかった。ぼっきり折れたような覚えもあるけど、恐怖がそう見せただけ――
「全治六ヶ月、だそうです。麻酔が切れたら眠れなくなると、医者が言っていました」
――じゃなかった。まじまじと包帯をみつめるあたしに、シャルロットはもう一度謝罪した。
「実を言いますと、お嬢様が家出された翌日には、所在をつかんでおりました。社長に口止めされていたのです」
「あたしに、社会勉強させる為……」
「はい。ギュス鉄道長と社長は古いお知り合いらしく、根性の曲がった――失礼。お嬢様の頑固な性格を直すにはもってこいの人物だそうです。素人誘拐犯など放っておけと彼は言っておりましたが、わたしの独断で昔の職場に連絡を。騒ぎを大きくしてしまった事と、それに関わらずお嬢様に怪我をさせてしまったこと、申し訳なく思います」
「別にいいって。元はと言えばあたしが悪いんだし」
「恐縮です」と言うシャルロットから視線を離し、あたしはベッドに仰向けになった。横目でママを見る。早く目を覚まさないかな。
「あ。そうそう。ひげジジイは見舞いに来ないの?」
「はい? 鉄道長ですか?」
シャルロットは時計を見上げた。
「……間もなく出発ですから、そんな余裕はないのではないかと」
「え!? 今日は何月何日!」
シャルロットが日付を口にした。大陸周回鉄道の、出発の日だった。
うそ。あたしってば、丸一日眠ってたわけ?
あたしはベッドから飛び起き、右手の痛みにうめいた。
「……冗談じゃないわ」
「お嬢様」
「あのひげ、散々偉そうなこと言って、ついでにピンチも救っておいて、黙っていなくなるつもりなのね。そんなかっこいいこと、させるもんですかっ!」
礼を言おう、とする気持ちは、少しあったかもしれない。でも、照れくささがあたしにそう言わせた。握りこぶしを固めようとしてうめくあたしに、シャルロットが椅子を蹴立てて歩み寄る。物音にママが反応し――寝ぼけていたのか椅子ごと倒れた。
「ママっ!」
慌ててそちらに向かうあたしたち。床に側頭部をぶつけても、ママはまだ寝ていた。気絶してるんじゃないかしらん。シャルロットがママを背負い、空いていたベッドに下ろした。
日毎冷たくなっていく風が、半開きの窓から流れてくる。見えるのは、石と鉄で築かれた街並み。日毎に高くなっていく空。日毎に短くなっていく日照。
その光景に、虹のごとき七色の煙が立ち昇っていた。
その隙間を縫うように、黒い煙の柱が動いていた。
この街にあり得ないその色は、大鉄の煙突だ。
「あーあ。一言文句言いたかったのに」
わざとらしく言って、あたしはベッドに腰掛けた。
床に落ちた痛みが今ごろ来たのか、ママが小さな声でうめいた。
もう、起きるかな?
ママの話を聞きたいと思った。一代で財を成した実業家の――ううん。夢を持ってこの街に来たであろう女の子の話を。
これからは話し合おう。ママが決めたことだから、って理由で反抗するのはもうやめる。
話し合って、理由を聞いて、それでも納得できなかったら――。
やっぱり逃げちゃおうか?
なんてね。
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