第5話 工場に架かる虹 5

 翌朝は、洗濯から始まった。今度の相棒はたらいと洗濯板。看守はキュイジーに代わってセレナ。洗濯機もある事はあるのだけれど、そっちをフル稼動させても間に合いそうもないとかで、セレナの他にも、客室係の男女合わせて四人が、洗濯板を膝で支えてごしごしやっている。

「……何かが違う」

「何が?」

 洗濯板でがしがしなんて、大陸一の旅客鉄道の仕事とは思えない。

 二日続きの水仕事への不満も手伝って、あたしは愚痴混じりにそう言った。あたしに割り振られたのは、主に工房の職人の作業着の一部。生地がごわっとして洗い辛く、なおかつ汚れの激しいものがこっちに来ているように見えるのも不満だった。

 セレナは苦笑して、

「ま。あたしらは荷馬車とホテルが合体したようなものだからね」

「そうそう。『洗濯でございますね。かしこまりました、お客様』……パンツぐらい自分で洗えっての」

 別の客室係が言って、彼らは「わはは」と笑った。

「パンツぐらいいいじゃないか。僕なんかこの間、部屋に引きずり込まれそうになったよ」

「マジ? で?」

「いやそれが機関車の車輪ぐらいの胴回りのおばさんで、丁重にお断りを」

「ばーか。チップ弾んでくれたかもよ」

 またも笑い声、今度は爆笑だった。

 ふと、この人達は何でこんなに楽しそうなんだろうと思った。キュイジーもそうだったけど、他人が嫌がる――面倒で単純なだけの作業を嫌がらず、むしろ誇らしげにいそしんでいる。愚痴らしいことも漏らさず、苦労を笑い飛ばす。

 人生に嫌な事なんて何一つない。そういう笑い声だった。

「それよかなんでこっちに洗いにくいものばっかりくるのよ」

 腹が立ってしまうのは、あたしがひがみっぽいからなのかしらん。

「洗いにくいってあんた、そんな勢いでシルクのシャツ洗ったら一発でぼろ布よ。弁償できるの?」

 できません。

「本当は洗濯はしないんだ。特に運行中は。車両に積み込める水は限られているし、旅慣れた客なら次の駅までの着替えは用意しているからね。でも今回は臨時の停車だから。乗客の衛生管理も仕事のうちってこと」

 たかが洗濯、じゃないってことか。

 洗濯は何のトラブルも無しに終わった。青空にはためく色とりどりの洗濯物は、まあ、それなりに壮観だったと言っておこう。

 手が真っ赤で冷たくて痛くてそれどころじゃなかったけど。

 お昼ご飯の後はまたも皿洗い。掃除。

 日暮れ近くなって、洗濯物の取り込み。この辺りは乾燥気候なので、秋になっても良く乾く。洗濯物とリストをつき合わせて、客室別に分類。さらに客車別にまとめて、あたしたちは配送にかかった。

 ここで初めて、あたしは大鉄を間近にした。


 丘の上の公園から見た時は大きいと思ったけど、それは間違いだった。

 大鉄は大きいのではなく、巨大なのだった。

 聞けば客車は二階建てになっているそうだけど、どう見ても三階分くらいの高さがあった。車体重量に比例して足回りの補強が増え、結果的に上げ底構造になっているのだと知ったのは、それからずいぶん経ってからの事。

 その日は両手が洗濯物でふさがっていた事もあって、乗車口の階段が憎らしいだけだった。

 車内の通路はあまり広くなく、二人並べば肩がぶつかるほどしかなかった。逆に、客室は意外に広かった。

「はー」

 一般的な深夜特急――親元を離れる学生が使うあれだ――程度の、寝返りを打ったら床に落ちそうな寝台と、コーヒーカップを置くのが精一杯なテーブルがあるだけかと思っていた。

 実際には、普通のベッドと、普通のテーブルと、普通の椅子と普通のコートかけが並んでいた。

『普通』を強調した理由を考えて欲しい。

 極論すれば、大鉄はただの列車であり移動手段である。地面にしっかり固定された建物でもはなく、乗り物の中に、普通の部屋が並んでいる。移動しながら当たり前の生活が出来るようになっている。それがとんでもないことなのだ。

「ほらほら、ぼーっとしてないで次いくよ」

 大きな窓にかかったレースを眺めていたあたしは、その声で我に返った。

 で、次の、二階の部屋がまたすごかった。

 何と続き間なのだ。しかも三部屋。スッイ――ッット・ルームである。さすがにバスルームはなかったけど、調度品も、地味だけどあたしが見慣れたレベル。要するに高級品。これはもう本物のホテルだとしか言い様がない。

「ほほー」

 窓に鉄格子がはまっているのが興ざめだけど、走行中に子供が顔を出さないようにするには仕方のないところだろう。あるいは、列車強盗への警戒の為に必要なのかもしれない。

 こんだけでかくて広いなら、案外楽に忍び込めるんじゃないかな。

 乗せてくれるように頼むより、その方が確実かもしれない。万一見つかって次の駅で降ろされても、そこから逃げればいいだけの話だし。

「ほらほらいちいち貧乏人みたいに感心しない!」

 セレナが笑いながら言った。

 一見なんでもないこのじゅうたんの値段をあたしが知っていると知ったら、彼女はどんな顔をするんだろう。

 その日もぐっすり眠った。

 働くって大変。


 その頃自宅で何が起こっていたかあたしが知っているはずは、連日片付けていた鉄板の削りかすほどもなかった。

 次の日も晴天だった。秋の空はどこまでも高く、冬の足並みはまだ遠い。

 洗濯日和だった。

 まだ水は冷たい。機械油まみれの洗いものは今日も山と積まれていた。

 何も知らずに洗濯と皿洗いと掃除に没頭した。何も知らずに飯を食って寝た。

 そして次の日。

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