シンデレラと毒リンゴ 14
まるで夜の海を漂っているかのように、私は深い闇の中にいた。
辺りには一筋の明かりも見えず、自分が今立っているのか座っているのかさえも変わらないくらい、私の五感は停止していた。
こんな状況だというのに、嫌な気持ちは全くしない。いや、意識も半ば死んでいるから物事を考える事が出来ないのかも。まあいいや、別に嫌じゃないならこのままでも。ここは暑くも寒くもないし、このままずっとこの闇の中にいても。
……いやダメだ!
まだ頭はボーっとしているけど、ある事に気付いて考えを変えた。今がどういう状況かは思い出せないけど、このままずっと闇の中にいるなんてやっぱり嫌だ。だって……
ここじゃあ料理を作れないじゃない!
その事に気付いて愕然となる。私はまだまだ料理を作りたいの。もっと料理の勉強をして、もっとレシピを思案して、もっと彼に食べてもらいたい。
って、あれ?彼って誰の事だっけ?それがどうしても思い出せずに頭を捻る。
料理ももちろん大事だけど、彼と言うのが誰の事だったかも気になる。思い出すことはできないけど、何だか大事な人だった気がする。
お願い、ここから出して。料理を作らせて!彼に合わせて‼
真っ暗な闇の中そう願った時、ふと唇に柔らかな感触があった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まどろみの中、私は閉じていたまぶたをゆっくりと開く。窓から茜色の日差しが差し込んでいて、今が夕方であることが分かる。
それで、ここはいったいどこだろう。スッキリしない頭のまま体を起こして辺りを見回すと、何だか見覚えのある部屋だった。
見慣れたベッドに見慣れた部屋の作り。だんだんと頭の中がすっきりしていく。そうだ、ここは鏡の国に来てから暮らしている私の部屋だ。けどどうして私は眠っていたんだっけ?時刻はまだ夕方なのだから眠るには早すぎるはずだし。疑問に思いながら首を傾げていると、不意に部屋のドアが開いた。
(誰?)
ドアに目を向けるとそこから一人の男の子が入ってくる。彼は私に目を向けると、驚いた顔で声を上げた。
「シンデレラ!?」
シンデレラ?ああ、私の名前だ。いけない、まだ頭が本調子では無く、名前を呼ばれてもすぐには反応できなかった。それでも私の名前を呼んだこの男の子の事はなぜだか思い出すことができた。彼は……
「―――エミル?」
呟くように彼の名を口にする。私の料理修業に付き合って一緒に旅をしてくれている、優しい王子様だ。
そんなエミルは何を思ったのかこっちに近づいて来て、ベッドに座ったままの私を抱きしめてきた。
「ちょ、ちょっとエミル?」
あまりに突然の出来事に訳が分からず混乱する。だけどエミルに私を放す気は無いらしく、力を弱める気配は無い。
「良かった、目を覚ましたんだね。ずっと眠ったままなんじゃないかって心配したよ」
「どういう事?眠ったままって……」
そこまで言ってようやく思い出した。そうだ、私はリンゴ園の営業停止を撤回してもらうよう、白雪姫さんに頼みに行ったんだ。そうしたら白雪姫さんに毒リンゴを差し出されて……
「そうか。私は毒リンゴを食べて、そのまま眠っちゃってたのね」
ようやく状況が理解できた。今いるのは自分の部屋だから、きっとあの後エミルがここまで運んできてくれたのだろう。一人納得していると、抱きしめていたエミルが手を放した。
「思い出してくれた?あの後大変だったんだから。白雪姫も脅かすだけのつもりだったみたいだけど、本当に毒リンゴを食べちゃったもんだから大騒ぎだったよ」
「えっ?あれって冗談だったの?」
それじゃあわざわざあんな危ない真似をしなくてもよかった中。まあいいか、こうして無事に目を覚ましたことだし。
「それで、リンゴ園はどうなったの?」
「約束通り営業停止は撤回されたよ。安全性を強化するという方針はそのままだけど、きゃんと農園とも話し合って検討していくって言ってた。あと、君にも謝っていたよ。冗談のつもりで言ったのに、本当に眠らせてしまって申し訳ないって」
どうやら本当に白雪姫さんに悪気は無かったようだ。私にキスをされたと勘違いしていたから困らせてやろうと思ったのかもしれない。けど、約束を守ってくれて本当に良かった。
「今度白雪姫さんにちゃんとお礼を言わなきゃ。あと、私がちゃんと起きたことも。この通りピンピンしていますってね」
白雪姫さんの事を思い笑顔でそう言う。けれどそれを見たエミルが急に真顔になった。
「笑い事じゃないからね。自分がどれだけ危ない事をしたか分かってる?」
珍しく厳しい口調のエミル。別に怒鳴られたわけじゃないけど静かに、けれどはっきりとしたその声から、彼が本気で怒っていることが分かり、私は縮こまってしまう。
「白雪姫も言っていたけど、二度と目覚めない可能性もあったんだから。現にすぐに処置はしたけど君はなかなか目を覚まさずに、ここまで運ぶ間もずっと眠ったままだったんだよ。結果目覚めたから良かったけど、そうでなかったらどうするつもりだったの?」
真剣な目で喋るエミルを前に、私は何も言えないでいた。
エミルの言っていることは正しい。毒リンゴを食べた時、私は相応の覚悟はしていたけれど、心の準備も無しにそれを見せられた彼にとっては気が気じゃなかったのだろう。
「君がいくらリンゴを守りたいと言っても、さすがにあれは見過ごせないよ。どれだけ心配したことか」
「……ごめんなさい」
やっと出てきたのは謝罪の言葉。私は素直に頭を下げる。
エミルが怒るのも当たり前だ。自分がどれだけ危ない事をして、どれだけ心配をかけてしまったのかを改めて思い知らされる。
こんな状態では目も合わせられず、私は俯いて顔を隠した。
「本当にごめん。私、エミルのこと全然考えていなかった」
顔を伏せたまま肩を震わせる。するとエミルはポンと私の頭を撫でてきた。
「分かってくれたのなら結構。何はともあれ、無事で良かったよ。もう二度とあんな無茶はしないでね」
いつもと変わらない優しい声だ。私は恐る恐る顔を上げてエミルを見る。
「許してくれるの?」
「ちゃんと反省はしているみたいだし。ならこれ以上言うことは無いよ」
「本当?けど、やっぱりゴメン。呆れちゃったよね」
もしかしたらこんなバカなことをしでかした私とは、もう旅をしたくないとか言われちゃうかも。そんな風にも考えてしまっていたけれど、エミルは優しく笑いかけてくれた。
「料理のことで君がおかしくなるのはいつものことでしょ。今回の事は流石に度が過ぎたけど、もう慣れているからね。今更呆れたりはしないよ」
その言葉に今度こそ安堵する。料理の事になるといつもおかしくなると言われたことは納得しかねるけど。そんなに変な事なんてしてないと思うけどなあ。
まあそれはさておき、ホッとしたら今度は別の事が気になり始めた。
(私がこうして目を覚ましてるってことは、掃除機を使ったってことだよね)
エミルはさっき処置をしたと言っていたし、そう考えて間違いないだろう。という事は……
私は口に掃除機を突っ込まれた時の白雪姫さんの姿を思い出す。自分でやっておきながら、あの格好は女の子としてどうなのかと思わざる負えなかった。今度はそれを自分がやられたという事になるけど。
(掃除機を口にくわえたみっともない姿、当然エミルにも見られちゃったんだよね)
そもそも掃除機を使っての救出方法はエミルしか知らないはず。だとしたらエミルが私の口に掃除機を入れたと考えるのが妥当だ。だけどそれは顔から火が出るくらいに恥ずかしい。
毒リンゴを食べる時、目覚めないリスクは覚悟していたけれど、あんな恥ずかしい姿をエミルに見られる覚悟はしていなかった。
毒リンゴを食べる直前、掃除機を使って助けてなんてエミルに頼んでいたけど、もっとよく考えるべきだった。よりによってエミルに見られるだなんて―――!!!
(私のバカ―!エミルに助けてもらうよう頼むんじゃなくて、掃除機を使う時極力こっちを見ないように頼んどくんだった―!)
頭を抱えながらベッドに倒れ込む。白雪姫さんは私にキスされたと思ってショックを受けていたけど、やっぱり掃除機で助けられるのも十分ショックだよ。
「ああああぁぁぁぁぁぁ――――っ!!!」
声にならない声を上げていると、エミルが心配そうにのぞき込んでくる。
「大丈夫?気分悪い?」
気遣ってくれるのは嬉しいけど、さっきとは別の理由で目を合わせることができない。頭から毛布をかぶって、隙間から少しだけ顔を覗かせ、ようやくエミルの方を向く。
「本当に大丈夫?何だか様子がおかしいけど」
「うぅ~、だって~」
出来ることならこの話題は出したくない。だけどエミルは心配してくれてるし。
さっき毒リンゴを食べて心配かけちゃったばかりなんだから、この上更に気を使わせるわけにはいかない。恥ずかしいけど私は自身の奇行の訳を話すことにした。
「私が掃除機を口に入れた姿、エミルも見たんでしょ。私だって女の子なんだから、そんな姿見られたら恥ずかしくもなるよ」
包み隠さず全部言ってやった。
さあエミル、笑いたければ遠慮せずに笑って。白雪姫さんのような美人さんならまだしも、私が掃除機を加えた姿は酷く滑稽に思えた事だろう。まるでお笑い芸人の罰ゲームのように。
だけど私の話を聞いたエミルは慌てた様子で言った。
「見てない!そもそも掃除機なんて使ってないから!」
見てない?それに掃除機を使って無いってどういう事?
あ、そうか。エミルは優しいから、私を気遣って無かったことにしようとしているんだね。けど、その優しさが今は辛いよ。実際はやっぱり見られたのかと思うと、気を使われている事でよけいに惨めに思えてくる。
「正直に掃除機を使ったって言ってよ、もう全部受け入れたから。そもそも私、目を覚ましてるんだもの。掃除機を使った以外方法なんて無いじゃない」
「いや、本当だから!君を起こしたのは別の方法でだよ!」
焦ったように言うエミルの目は真剣で、嘘をついているようには思えなかった。でもそれじゃあ。
「別の方法って?」
そう聞き返すと、今度はエミルが口を噤む。黙ったまま目を逸らしながらも、時折ちらちらとこっちに目を向けては私の様子を窺っている。そしてその顔は何故か赤かった。
暫くそうしていたけど、やがて観念したようにエミルは口を開いた。
「……キス……キスで君を起こした」
「……えっ?」
思わず耳を疑った。だってキスって……
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