シンデレラと毒リンゴ 10

 鏡の国に来てからもう半月が経ち、この国にも大分馴染んできた。

 いつものようにアパートを借りて、私は町の料亭に雇ってもらって料理の勉強をし、エミルも仕事をしつつ国の様子を見て回っている。もうすっかり慣れたやり方だ。

 この日料亭から帰って夕飯の準備をしている私の元を、エミルが訪れた。


「こんにちはシンデレラ。上がっても良いかな?」

「勿論よ。エミルも夕飯はまだなんでしょ。よかったら食べて行って」


 エミルを家に上げた私は夕飯の準備を続ける。エミルも同じアパートに部屋を借りているのだからこうして一緒に夕飯をとることは少なくない。

 今までの旅の中でも同じようなことはしていたし、取り立てて珍しいことでは無いのだけど、最近は何だかこんな夕食がとても嬉しく思える。


(新婚生活ってこんな感じなのかな?)


 帰ってきた旦那さんに夕飯を振る舞う妻。実際住んでいる部屋は別だからエミルがこの部屋に帰ってきたというわけじゃないけど、それに近いものがあるかも。

 今までそんな風に考えたことは一度だって無かったけど、エミルの事が好きなんだと自覚した途端にこれだ。勿論こんな風に思っていることはエミルには内緒。もしバレたらドン引きされかねない。


 図々しい妄想をしているという自覚はあるけど、そんな風に考えているとなんだかいつも以上に料理をするのが楽しくなる。だって、やっぱり好きな人に手料理を食べてもらえるのは嬉しい物。

 そんな事を考えていると、いつの間にかすぐ後ろに来ていたエミルが不意に聞いてきた。


「ずいぶんと機嫌が良さそうだけど、何か良いことでもあった?」

「え?別に何もないよ、普通だよ」


 そう答えつつも、内心気持が顔に出てしまっていたのかと焦る。私はこれ以上エミルに悟られないよう手早く調理を進め、出来上がった料理をテーブルに運んだ。

 二人して夕飯をとっていると、エミルが思い出したように言ってきた。


「そういえばお城のお妃様が失脚させられたらしいよ」

「お妃って言うと、私や白雪姫さんを暗殺しようとしたあのお妃?」


 エミルは首を縦に振る。自分より奇麗だからという理由で私に刺客を差し向け、同様の理由で毒リンゴで白雪姫さんを眠らせたお妃。あれからもう半月が経ったけど、知らないうちにそんな事になっていたのか。


「何でも白雪姫を暗殺しようとしたことが明るみになって、こんな人に国を任せてはおけないってなったらしいよ。結果、今のこの国の実質的なトップは白雪姫になってる」


 たしかに暗殺なんてしようとした危ないお妃様が政治の実権を握っているとなると心配にもなるだろう。


「でも良かった。白雪姫さん、あれから立ち直ったのね」


 白雪姫さんを助けた時のことを思い出し、ちょっとホッとする。

 あの時の白雪姫さんはとても見ていられなかった。彼女は涙で顔を汚しながらうがいをした後、励まそうとする小人さん達相手に『イケメンが良いって言ったじゃないの!』と叫びながら大暴れしていたっけ。そりゃあもうギッタギタのメッタメタにしていた。

 これ以上その場にいても何もできないと思った私達はそそくさと退散したけれど、きっとそのショックを乗り越えたのだろう。


「聞いた話だと行方不明になっていた白雪姫がいきなりお城に現れて、お妃に向かって『あなたのせいで私は唇を奪われたのよ!』と言って掴みかかったらしい」


 訂正、白雪姫さんはショックを乗り越えたわけではないようだ。きっとあの後怒りのやり場を求めてお城に乗り込んでいったのだろうな。

 元々お妃が毒リンゴを食べさせたのが原因なんだから矛先が向くのは仕方がないけど、私もちょっと罪悪感がある。白雪姫さん、怒って無ければいいけど。


 そんな事を考えていると態度が顔に出てしまっていたのか、エミルが気遣うように言ってくる。


「あんまり気にしない方がいいよ。別に悪い事をしたわけじゃないんだから」

「ありがとう。でもせめてエミルがキスをした事にしておいた方が良かったかも。やっぱり格好良い男の子のキスで起こしてもらったと思っていた方が気分も良いだろうし」


 それはそれで問題があった気がするけどね。するとエミルは何かを思ったような表情で聞いてくる。


「ねえ、女の子ってやっぱりキスで起こしてもらうのに憧れるものなの?」

「それはまあ。勿論相手がだれでも良いってわけじゃないけど、相手がエミルなら嬉しいって人も多いと思う」

「じゃあ、君だったら?」


 そこで思考が止まってしまった。

 結論から言えば、もちろん嬉しいに決まっている。だけどとてもそんな事を言えるはずもなく、気まずい沈黙が流れる。


「ごめん、変なことを聞いたね。忘れてくれるかな」


 気まずい空気をほぐす様にエミルが言ってくる。私も無理やりにでも笑顔を作ってそれに合わせ、話題も別の物に変える。


「そういえばこれからは白雪姫さんがこの国の代表になるのよね。急にそんな事になって大変じゃないかしら」

「確かにね。でもお妃が政権を握っていた時は国が荒れていたから、白雪姫がトップになってよかったという声もあるよ。彼女、ああ見えて政治面では何故か優秀みたいだから。まあ彼女がトップに立ったことで面倒なこともできたけど」

「面倒な事って?」


 私は尋ねたけど、エミルは何も答えてくれなかった。もしかして、何か言い難い事でもあるのだろうか。

 疑問に思っていると、エミルが話題を変えるように言ってくる。


「そところで、明日は君も休みだよね。せっかくだから二人でどこかへ出かけてみない?この国に来てから観光なんてしてないでしょ」

「お出かけかぁ、それも良いかも」


 何しろこの国に来てから白雪姫さんの騒動を除けば、やった事と言えばひたすら料理のことばかり。料理の勉強はいくらやってもやりすぎということは無いのだけれど、それでもこのまま観光の一つもしないというのはちょっと勿体無い。それに……


(エミルと二人でお出かけなんて、まるでデートみたい)


 勿論エミルはそんな風には思っていないだろうけど、私は想像しただけで浮かれてしまいそう。


「君は行きたい場所は有る?美術館やテーマパーク、何なら買い物に行くだけでも良いし」

「そうねえ……」


 少し黙って行きたい場所を考える。とはいっても今まで料理一直線だった私にとって、どこに出かけたいかと聞かれてもすぐには出てこない。恥ずかしい事にここに来て半月も経つというのに、何があるのかもよく知らないのだ。

 いや待てよ、一つだけ心当たりがある。前に働いている料亭の先輩から聞いた、丁度行ってみたいと思っていた場所があるじゃない。

 私はその場所をエミルに告げる。


「リンゴ狩りなんてどうかな。町から出てすぐの所にリンゴ園があって、甘いリンゴが沢山生っているそうよ。そのリンゴを使えばアップルパイやリンゴのコンポート、リンゴのステーキなんかも作れるわ」


 リンゴ料理を次々と思い浮かべていると、エミルが笑みを浮かべる。


「リンゴ狩りとは君らしいね。やっぱり出かけるにしても料理と関係するところが良いんだね」


 クスクスと笑うエミルを見て、しまったと思うももう遅い。こんな時にまで料理のことが頭から離れないだなんて、呆れられただろうか。


「ごめん、リンゴ狩りじゃエミルはつまらないよね。もっと別の所にするね」

「良いよ、リンゴ狩りで。リンゴはこの国の名産品だし、きっと良い思い出になるよ」

「でも……エミルは他に行きたいところがあるんじゃないの?」


 せっかくのお出かけなんだもの、私の一存で決めるわけにはいかない。だけどエミルは優しく語る。


「じゃあ僕もリンゴ狩りに行きたいって言ったら問題ないよね。明日は二人でリンゴ狩りに行く、これで良いかな?」


 明らかに私の為に言ってくれたのだろうけど、こんな風に笑顔を向けられてしまうとこれ以上何も言えなくなる。

 結局出かける場所はリンゴ園で決まりそうだ。


「一応言っておくけど、別に君の意見にただ従っただけじゃないよ。リンゴには悪い思い出があるから、早く払拭させたいって思ってね」

「悪い思い出?ああ、白雪姫さんの毒リンゴね」


 アレはリンゴが引き起こした悲劇としか言いようがない。もちろん白雪姫さんが食べたのが毒リンゴだったからあんな事になったのであって、普通のリンゴには何の落ち度もない。とはいえアレはリンゴのイメージを落とすのに十分な出来事だった。


「明日は思いっきりリンゴ狩りを楽しみましょう。そうすれば悪いイメージなんて無くなるわ」


 かくして、リンゴ狩りに行くことが決定した。

 リンゴ狩りももちろん楽しみだけど、やはりエミルと二人でお出かけというのがなお嬉しい。できればオシャレをしていきたいけど、服装によってはリンゴ狩りには不向きかもしれない。それでもやはり可愛い恰好はしたいし、どんな服を選べばいいかな?

 お出かけの服装を考えるという人生初の難問に頭を悩ませながら、この日は過ぎていくのであった。

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