シンデレラとカエルにされた王子 10

 キッチンに立った私は、用意した材料をテーブルの上に並べる。買い忘れが無いか指差ししながらもう一度確認したけど、どうやら問題はなさそうだ。

 それじゃあ次に道具を用意しよう。しまってあったお鍋やボウル、それに包丁やまな板も取り出し、これにて準備完了。後はもう作るだけだ。私はさっそくお鍋に油を入れて熱し始める。


「ちょっと、シンデレラさん」


 テーブルの上に置かれていたソレを手に取る。よく水洗いした後にまな板の上に乗せ、手にした包丁に力を込めて……


「シンデレラ!」


 わ、ビックリした。危うく手が滑りそうになる。危ない、いくら慣れているとはいえ耳元で大声を出されたら集中できないよ。

 私は恨めし気に声の主、ラプンツェルに目を向ける。


「どうしたんですかラプンツェル、包丁を握っている時に大声を出したら危ないんですよ」

「それは悪かったわよ。けどね、アンタいったい何をやっているの?」

「何って、見ての通り料理ですけど」

「うん、そうだよね。アタシの認識は間違っていなかったわけだ。けどさあ、何でまた料理なの?エミルを元に戻したいって言ってたよね」


 勿論、だからこうして用意しているのだ。


「それなのにアンタ、買い物に行くなんて言い出して、どうしたのかと思ったよ。急に出て行っちゃうもんだから、エミルなんてキスが嫌だから逃げ出したんじゃないかって落ち込んでるんだよ」

「どうしてそんな事に?」


 いったいなぜそんな勘違いをしたのか、皆目見当もつかない。私はただエミルを元の姿に戻したいだけなのに。


「どうしてって、そもそもアンタは一体何を作ろうとしているわけ?」


 ラプンツェルは不思議そうな顔をしているけど、どうしてそんな顔をするのかが分からない。ラプンツェルだってさっきの魔女さんの話を聞いていたはずなのに。まあいいや、何かと聞かれたなら答えよう。


「キスです。キスの天ぷらです!」


 キス。鱚。スズキ目スズキ亜目キス科の海水魚。


 東の国ではポピュラーなお魚だけど、この辺りではあまりお目にかかれない。その事はエミルも知っていたようで「キスなんて全然簡単じゃない」と言っていたけど、市場を回ってこうして手に入れてきた。


「ひょっとして、ラプンツェルは鱚を知らないんですか?」


 考えてみれば無理の無い話だ。ずっと塔の中にいたのだから、この辺りではマイナーなお魚の事を知らなかったとしても不思議ではない。


「知らないけど……もしかしてキスと言うのはその魚の名前?それと、てんぷらって何?」

「天ぷらと言うのは、野菜やお魚に衣をつけて油で揚げる料理です。鱚には他にも塩焼きやお刺身など色んな食べ方がありますけど、個人的にはてんぷらが一番美味しいって思っているんですよ。やっぱり、鱚と言えば天ぷらです」

「へ、へえー。そうなんだ……」


 ラプンツェルは本当に鱚も天ぷらも知らないようだ。美味しいのだから、もしエミルに食べさせて余ったならお裾分けしても良いかな。そんな事を考えながら、再び包丁を動かして鱚の鱗を取る。


「無事に買えて良かったですよ。魚屋さんを何軒か回ってやっと見つけました。それにしても、まさか鱚に呪いを解く力があったなんて」

「それなんだけどさあ。たぶん呪いを解く力なんて無いんじゃないかなあ」

「えっ?」


 瞬間、包丁を動かす手が止まった。そんな、だって魔女さんが鱚で治るって言ったのに。


「どうしてですか!鱚で元に戻るんですよね!」

「ちょっと落ち着きなって。ていうか包丁片手に迫らない」


 そう言われて手にしていた包丁を置く。同時に深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 けど、戻らないってどういう事だろう。疑問に思っていると、キッチンの外から様子を窺っている女将さんとエミルが目に入った。そしてエミルの手には水晶玉が握られている。


「魔女さん、鱚じゃエミルは戻らないってどういうことですか?」


 急いで駆け寄って水晶玉に問いかける。すると中にいる魔女さんは焦った様子で口を開いた。


「い、いや。戻る。ちゃんとキスで元に戻るんじゃが……」

「本当ですね!」


 水晶玉を両手で握りながら、思わず声が大きくなる。

 良かった、ちゃんと戻るって言ってくれた。そうだよね。だって魔女さん、私になら出来るって言っていたものね。

 私にできる事、それはすなわち料理。魔女さんは私に鱚の天ぷらを作るように言った。だからエミルの為、全力で作らせていただくわ。


「あのなシンデレラ、ワシが言いたかったのは……」

「待っててねエミル。すぐに作るから」

「う、うん。頑張ってね」


 エミルに見送られてキッチンに戻る。

 思わぬ会話で時間をかけてしまったから、油を熱していた火を少し小さくする。このままだと熱くなりすぎてしまう。そんな私をよそに、ラプンツェルは水晶玉に向かって何か言っている。

 まあいいや、早いとこ鱚をさばいてしまわないと。まずは頭を切り落として……


「ねえ婆ちゃん、本当にあれで良いわけ!」

「良いわけあるか!あんなもので呪いが解ければ苦労しないわ!」


 鱚のお腹に縦に切り込みを入れ、腹わたを取り出す。


「もしかしてシンデレラは、僕とキスするのが嫌だから、勘違いしているフリを……いや、それは考えすぎか」

「うん、あの子のあれは素ね。雇って一カ月だけど、あの子の料理バカっぷりが半端じゃないのは分かるわ」

「暢気なこと言っている場合っ!ちゃんと真実を教えないと、シンデレラは『キス』を『鱚』の事だと信じて疑いもしていないよ!」


 お腹の中をきれいに洗った後に水気をよくふき取る。これで下処理は終わり、今度はさばきに入る。


「それもそうだねえ。おーいシンデレラー、ワシが言ったキスと言うのはだなー」

「ちょっと待って下さい!」


 鱚に包丁を入れて滑らせる。しっかりと切れ目が入った所で身を二つに開く。


「エミル、何で止めるのよ?」

「今のシンデレラに何を言っても無駄なような気がする。それに、彼女が料理をしているんだもの。ここは下手に水を差さずに見守っておきたい」

「アンタ…じゃなかった王子様、状況分ってるんですか?」

「そうじゃ、だいたい何でお前はそんなに落ち着いているんじゃ?シンデレラがあんな馬鹿な勘違いをしているというのに。普通なら一番動揺してもおかしくないだろう!」


 残った骨を丁寧にとる。ここで残っていたら食べた時に喉に刺さってしまうので、取り除きの無いように注意しなくちゃ。


「ずっとこの姿でいたせいか、精神的に打たれ強くなっているんですよ。それに、なんだか嬉しいんです。シンデレラが僕の為に、あんなにも頑張ってくれているって事が」

「そんな事言ってる場合かー!」

「ダメだ、精神を病んでる」

「今更だがお前さん、どうしてあんな料理バカに惚れたりしたんじゃ?」


 あとは水に溶いた天ぷら粉をつけて…あれ、何だかみんなが騒がしいけど、まあいいか。


(エミル、もうすぐできるから、あと少しだけ待っていてね)


 天ぷら粉のついた鱚を、熱々の油の中へと投下した。

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