シンデレラとカエルにされた王子 1

 小鳥のさえずり声が聞こえてきて、窓から光が差し込んでくる。外を見ると雲一つなく、これなら今日は雨の心配はしなくてすみそうだ。

 寝間着から着替えた私はそっと部屋を出て行こうとする。だけどその直前、さっきまで私が寝ていたベッドのすぐ横に並ぶ、もう一つのベッドの膨らみがもそりと動いた。


「あれ……シンデレラ、もう起きてるの?もしかしてアタシ寝坊した?」


 そう言いながら体を起こしたのはラプンツェル。彼女は眠そうに目をこすっているけど、決して寝坊したわけじゃない。私が早く起きすぎただけだ。


「ごめんなさい、起こしちゃいました?大丈夫ですよラプンツェル。起きるまでまだ時間はありますから、もう少し眠っていてください」

「そう?けど、だったら何であんたは着替えてるの?」

「早く目が覚めてしまったので、少し辺りを散歩しようかと。何だか眠れそうにないですし」


 もうすっかり眠気は消え失せていて、少し外の空気を吸いたい気分だ。横になりながら何もしないでいると、つい余計なことを考えてしまい、気持ちが沈んでしまうから。

 ラプンツェルはそんな私を、何だか心配そうな目で見ている。


「ねえ、あんたの気持ちは分かるけど、あまり一人で悩まないでよね。辛かったらちゃんと相談してよ」


 そんな事を言われてしまった。きっと無意識のうちに気持ちが態度に出てしまっていたのだろう。心配をかけまいと慌てて笑顔を作る。


「平気ですよ。私はいつも通りですから」


 それは嘘だ。今の私は明らかにおかしく、とても平気とは言えない。だけど最近の私はこんな平気でない状態が続いてしまっているから、いつも通りと言えないことも無いかもしれない。


「それじゃあ、ちょっと行ってきますね。ラプンツェルはもう少しゆっくりしていてください」


 そう言って部屋から出ていく。これ以上話していて、笑顔を保てなくなってしまっては困るから。そうならないためにはさっさと出ていくに限る。

 大変なのはラプンツェルも同じなのだから、私だけが落ち込んでいるわけにはいかない。


(こんな時にエミルがいたら、何て言うかな?)


 一瞬そんな事を思い、だけどすぐに考えるのを止めた。そのエミルがいないからこんなにも悩んでいるというのに……


 外に出た私は、空を見上げる。

 空はどこまでも広がっている。私がこれまで旅してきた町や村、ラプンツェルと出会った塔も、この広い空の下に確かに存在する。だけどそれがどっちの方角にあるのか、どれくらい離れたところにあるのかはすぐには分からない。

 ましてやエミルが今どこで何をしているかなんて見当もつかない。エミルは基本早起きだったけど、私と同じように空を眺めているのだろうか。

 会う事も出来ない彼の事を想う。ゴーテルさんに塔を追い出されてから、もう一カ月が経っていた。








 さかのぼること一カ月前。

 あの日ゴーテルさんの怒りを買った私達は、どこにあるのかもわからない荒野に連れてこられ、そして捨てられた。

 自らが置かれた状況を理解した私とラプンツェルは、頭の中が真っ白になった。

 辺りには何もない。どこかに町や村は無いかとも思って探そうとしたけど、右も左も分からなくて、どっちに行けばいいのか見当もつかなかった。

 私はどうすればいいか分からずに途方に暮れていたけど、ラプンツェルが激を飛ばしてくれた。


「とりあえず、適当でも良いから歩いてみよう。このままボーっとしていたって何もならないよ」

「でも、もし歩いて行った先に何も無かったら……」

「そんなの行ってみないと分からないじゃん。どうするかなんて、動きながら考えればいいんだよ」


 確かにそうかもしれない。当てなんてなかったけど、私達はとりあえず歩き始めた。やがて右手に太陽が昇り始め、自分たちが北に向かって歩いていることが分かった。

 だけどそれだけ。方角が分かったところで、この先に何があるかなんて見当もつかない。そして日が昇った事により、暑い日差しが私達を襲い始めた。


「暑っ、外ってこんなに暑かったんだね」


 私達の格好は寝る前だったこともあり寝巻のまま。こんな荒野の真ん中にいるのには似つかわしくない姿だ。厚ぼったいと言うわけじゃないけど、勿論長距離を歩くことなど想定していない格好なので、何だか動きにくい。

 私はまだしも、大変だったのはラプンツェル。何せ今日まで塔の外に出た事すらなかったのだから、慣れない外の世界を歩いて疲れているみたい。何だか顔色が悪い。


「ラプンツェル、少し休みましょうか?」

「ごめん、それじゃあちょっとだけ。あそこに岩があるから、あの陰で休もう」


 ラプンツェルの言った岩の傍まで行くと私達は腰を下ろし、しばしの休息をとる事にする。


「ずっと塔から出た事が無かったから当たり前だけど、こんなに歩いたのは初めてだわ。それにしても、外って日差しが強いんだね。汗をかいて髪が鬱陶しいわ」


 無理もない。何しろラプンツェルの髪は信じられないくらいに長いのだ。


「それじゃあ髪を結んで……結んでもあまり変わりなさそうね」

「長すぎるからね。いっそ切っちゃおうかな。塔から出られたことだし、もう伸ばす理由もないしね」


 自らの髪を撫でながらそんな事を言う。ラプンツェルが髪を伸ばしていたのはそれをロープ代わりにして、塔から脱出するため。だけど塔から出た今となっては、確かにもう伸ばしておく必要はないだろう。

 しかし残念なことに、いくら切りたいと思ってもそれは叶わない。


「ハサミがあればねえ」


 身一つで放り出された私達は、ハサミ一つ持っていない。今の私達は髪を切るという簡単なことでさえできないのだ。


「せめてマイ包丁があれば。こんな事なら寝る時も肌身放さずに持っておくべきでした」

「いや、それはやめといて正解だよ。包丁抱えて寝る女なんて怖いから。だいたい、包丁で髪を切るっていうのもどうなの?」

「確かに、衛生状態は悪いかもしれませんね。髪を切った後だと野菜やお魚を切る気にはなれないかも。もちろん洗えば綺麗にはなりますけど」

「そういう問題?確かにそうなんだけど、何だか髪が汚いって言われているみたい」

「え、そんなつもりは……ラプンツェルの髪はちゃんと綺麗ですよ」


 失言に気付き慌てて訂正する。本当にそんなつもりは無かったのに。だけどそれはラプンツェルも分かってくれたようで、笑顔を浮かべる。


「わかってるって。けど、ホントこれはどうしようもないね。こんな事ならエミルがロープを持ってきてくれた時に切っておけばよかった」

「そうですね。道具が無い以上、後は手で引っこ抜くしかないですし」

「引っこ抜くって、髪を?アンタ時々怖い事言うね。めっちゃ痛そう」


 慌てて頭を押さえるラプンツェル。


「大丈夫です。私、畑仕事の経験もありますから、お芋や大根を引き抜く要領で抜けばそんなに痛くはありません。たぶん」

「ぜんっぜん信用できない。それ以前に抜かないから。アンタは私をハゲさせたいのか?」


 そう叫んだかと思うと、ふと、グーという音がした。どうやらラプンツェルのお腹が鳴ったようだ。


「そういえば、朝からずっと飲まず食わずだよ。シンデレラ、何か食べるもの持って……るわけないよね」


 私は無言で頷く。私だってお腹はすいているのだから、持っていたらとっくに出している。だけどこれはかなり痛い。

 後どれだけ歩けば良いか見当もつかないのに食糧が、更に飲み物も無いというのは致命的だ。


(エミルが言っていたっけ。旅をする時に必要なのは食べ物以上に水だって)


 食べ物が無くても人は三日くらいは生きれるそうだ。だけど水だとそうはいかない。最悪一日もあれば脱水症状を起こして危険な状態になるという。


「ラプンツェル、まずは水場を探しましょう」


 私は立ち上がり言った。何せ歩き始めてから一滴の水も口にしていないのだ。このままでは危ない。


「けど、探すってどうやって?当てはあるの?」

「それは……無いですけど」


 そもそも当てがあればとっくにそこに向かって歩いている。


「ああ、こんな時義姉さんがいてくれたら。義姉さんならきっと数十キロ先の水の匂いも嗅ぎ取って、この広い荒野をあっという間に駆けて行けるのに」

「それって大げさに言ってるんだよね!数十キロ先の匂いが嗅げるってどういう事?」

「あ、嗅げるのはあくまで食べ物や飲み物の匂い限定です」

「それ絶対おかしいから!けど、今だったらその嗅覚が羨ましいわ。それなら水どころか町の位置も分かりそう」


 確かにこういう時には便利かもしれないけど、肝心の義姉さんが今はいない。気落ちしながら荒野の先を見ていると、ふと気づいた。


「ねえラプンツェル、よく見たらあっちに森のようなものが見える気がするんだけど」

「どれどれ?あ、本当だ」


 目を凝らしてみないと分からないけど、視線の先にはわずかに木々が見える。


「けど、今必要なのは水か町だよ。森があってもどうにもならないじゃん」


 ラプンツェルはそう言ったけど、そうとも限らない。


「もしかしたら森には水分を含んだ果実があるかもしれません。それに、木が生えているという事は土地がまだ生きている証拠です」


 土地が生きているという事は、もしかしたら森を抜けた先に人里があるかもしれない。これは前にエミルが教えてくれたことの受け売りだけど。


(エミル、今頃心配しているだろうなあ)


 昨日会ったばかりだというのに、何だかまるで遠い昔の出来事のように思える。けれど、今は思い出に浸っている時ではない。


「どうします?もしかしたらあの森の先に町や街道があるかもしれないけど」

「そう上手くいくかな?けどどうせ当てもないし、行ってみようか」


 そう言ってラプンツェルは立ち上がる。もっと休まなくて大丈夫かと心配したけれど、彼女は首を横に振った。


「もう平気だから。それに、動けるうちに動いておかないと。モタモタしていたら後で何が起きるか分からないでしょ」


 ラプンツェルがそう言うのならと私も立ち上がり、二人して歩き出す。

 森を目指したのは半ば賭けだったけど、後で思えばその判断が、命運を分けたと言っていいだろう。

 しばらく歩いて森に着いた私達は、何とそこで果実を見つけたのだ。


「ラプンツェル、これは食べられる果物です」

「本当?助かった!」


 手を取り合って喜び合う私達。更に運の良い事に、その後泉までも見つける事が出来たのだ。


「良かった。これで食べ物と飲み物は確保できました。後は人里を探すだけですけど……」


 その時にはすでに辺りは暗くなっていた。夜の森の中を歩き回るのは危険だろう。しかたなく私達は、この日は森の中で夜を過ごすこととなった。




 朝がきた後は再び森の中を歩く。薄暗くてちゃんとまっすぐ進んでいるかどうかさえも怪しかったけど、その日の夕方にはどうにか森を抜ける事が出来た。するとそこで目にしたものは……


「見てラプンツェル、町があるわ」


 思わず声を上げた。森を抜けてた先にあったのは紛れもない町。そこに行けば当然人もいるし、ちゃんとした寝床や食料だってあるだろう。


「それじゃあ私達、助かったの?」

「はい。一時はどうなるかと思いましたけど、これで何とかなります」


 私達は丸二日歩いた疲れも忘れ、足早に町へと向かって歩いて行く。

 もし進む方向を間違えていたなら、そのまま荒野でのたれ死んでいたとしても不思議ではなかっただろう。だからこうして人里に来られたのは、本当に幸運としか言いようが無かった。


 これが、私達が塔を出てから二日間での出来事。この時は何だか全てが上手くいくように思えたけど、現実はそう甘くは無い。

 私はこの時まだ、離れ離れになったエミルがどうしているかなんて知る由も無かった。

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