シンデレラと塔の上の女の子 2

 ゴーテルさんにノヂシャを貰ってからしばらく歩いて、私達は近くの村にある一軒の家を訪れていた。

 ここは周りを山や森に囲まれた小さな村。村の外れにあった塔はともかく、他に目を引くような観光名所も無ければ産業が発達していると言うわけでもない、いたって普通の田舎の村である。


 村に着いた私達は今夜の宿を探したけど、話を聞いたところこの村には宿が無いそうで、民宿やっているというこの家を紹介されたのだ。

 その民宿は夫婦二人で経営しているそうで、二人は飛び込みであるにもかかわらずやってきた私達を快く迎えてくれた。


「どうぞ。何も無い所ですが、旅の疲れを癒して行って下さい」

「道中は大変だったでしょう。ウチでよければゆっくりして行って下さいね」


 旦那さんと奥さんにそう言われ、私とエミルは家の中へと案内される。四十歳くらいと思しきこちらのご夫婦はとても愛想が良く、その穏やかな表情からも彼等の人の良さが窺えられる。

 テーブルにつき、お茶を頂いた所で、この家の奥さんが私に聞いてきた。


「まだ若いのに旅なんてすごいわねえ。辛かったり、寂しくなったりしないの?」

「そのへんは大丈夫です。料理の修業が出来る事も、いろんな人達と会える事も楽しいですし。それに二人旅ですから、少しくらい嫌な事があっても励まし合えるので」


 そう言ってエミルに笑いかけると、エミルは照れたようにはにかんだ。そんな私達の様子を見て、奥さんも面白そうに笑みを浮かべる。


「仲が良いのね。羨ましいわ」

「僕はあまり相手にされていませんけどね」


 エミルがそんな事を言っている。相手にされないって、私だってちゃんとエミルの事を見ているのに。


「そんなこと無いよ。エミルの事ちゃんと考えてるわよ」

「まあそうなんだけどね。けど、僕と料理のどっちが大事かって聞かれたらどう答える?」

「それは……」


 私は何も答えなかった。だって答えたらエミルの機嫌が悪くなっちゃうかもしれないじゃない。けどどうやらそれは答えなくても同じだったみたい。ちょっぴり不機嫌そうな目をしながらご夫婦の方を振り返る。


「ほら、この通りです。悲しいけど僕は彼女の眼中にありません」

「はは、そいつは残念ですね。兄さん男前なのに。けど、旅は上手くやっているんでしょう」

「それなりには。まあ料理の事を一番に考えなくなったら、彼女が彼女で無くなってしまう気がするから、これで良いのかも」


 さすがエミル、私の事をよく分かってる。私は料理の修業中なんだもの、料理の事を一番に考えるのは当然じゃない。


「大丈夫、料理の次に大事なのはエミルだから」

「なんだか一生料理に勝てる気がしないな」


 何故かがっくりと肩を落とす。おかしいな、料理の次に大事なんて言われたら私だったら喜ぶのに。

 エミルが旦那さんに慰められていると、今度は奥さんが話しかけてきた。


「貴女、面白い子ね。それに料理修行の旅をしているだなんて凄いわ。いったいおいくつ?」

「十七歳になります」

「若いわねえ。十七かあ、あの子もあんな事になっていなければ、もしかしたら貴女みたいに……」


 不意に奥さんが悲しそうな顔をした。すると旦那さんが慌てたように口を開く。


「おい、あの子の事は」

「ああ、そうね。ゴメンなさい、何でもないから気にしないでね」


 そう言って取り繕う。けど、どうしてさっきあんなに悲しそうな顔をしたのかがやはり引っかかった。それに、あの子って?

 気になっているとエミルがそっと耳元でささやく。


「触れないでいた方が良いと思う」


 私はそっと頷いた。この夫婦が何を抱えているのかは分からないけど、興味本位で首を突っ込むのは良くない。私は空気を変えるようにわざと明るい声を出した。


「そうだ。今夜のお夕飯、私も作って良いでしょうか?」

「貴女がですか?ですがお客さんを働かせるわけには」


 奥さんがそう言ってきたけど、私は首を横に振った。


「私、料理が好きなので。できる事なら旅の間も毎日料理を作りたいとさえ思っているんです。できればこの村の料理も勉強したいのですが、ダメでしょうか?」

「そう言う事なら、一緒に料理を作りましょう」


 さっきまで悲しそうだった奥さんが笑顔になる。


「料理修行の旅をしているなら、いったいどんな料理を作るのかが楽しみだわ」

「まだ修業中なのでそんな大した腕じゃありませんよ。でも、精一杯作りますね」

「期待しているわ。必要な物があったら何でも言ってね」


 奥さんはなんだか生き生きしている。楽しく話す私達の横で、旦那さんもそっとエミルと話していた。


「ありがとうございます。妻は娘と一緒に料理をするのが夢だと言っていたので、彼女と料理ができてとても嬉しいのでしょう」

「娘さんと一緒に、ですか」

「ええ。残念ながらその夢は叶いませんでしたけどね」


 聞こえてきた旦那さんとエミルの会話が少し気になったけど、さっきエミルに言われた通り深くは触れない方が良いのかもしれない。私は聞かなかったことにして、荷物をあさり始める。


「実はここに来る途中、親切な人から野菜の御裾分けを貰ったんです。それを調理してみたいのですが」

「そうなの?どんなお野菜かしら」


 奥さんが楽しそうにのぞき込んでくる。私はバッグの中に入っていた、ゴーテルさんから貰ったそれを取り出した。


「ノヂシャです。これを使ってサラダを作ってみようと思っています」


 そう言ってノヂシャを奥さんに見せた。

 新鮮で取っても美味しそうなノヂシャ。だけど、何故だろう。ノヂシャを見たとたん奥さんの表情が固まってしまった。


「……ノ…ヂシャ」

「はい、ノヂシャですけど……」


 もしかしてノヂシャが苦手なのかな?だからと言ってここまで顔色が変わるのはおかしいような気もするけど。そう思った時。


「……あ……ああっ…あああ……アアアアァァァァァァァァァァァァァァァァ!」


 耳をつく絶叫が響いた。

 私は最初、それが奥さんの口から発せられたものだとは気がつかなかった。奥さんはまるで何かが壊れたかのように、頭を抱えて悲鳴を上げていた。


「どうしたんですか?落ち着いてください!」

「アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァ!」


 慌てて奥さんに駆け寄ったけど、落ち着く様子を見せない。目から大粒の涙をボロボロと流し、声を上げ続ける。すると旦那さんがそっと奥さんの肩に手をまわした。


「大丈夫だ、お前は何も悪くない」

「だけど、私のせいであの子は……ラプンツェルは」


 ラプンツェル……誰かの名前だろうか?気になっていると奥さんを宥めていた旦那さんはそっと私の方を見た。


「ちょっと家内を落ち着かせてきます。少しだけ待っていて下さい」

「はい……分かりました」


 私は他に何も言えず、部屋を出ていく旦那さんと奥さんをただ見ている事しかできなかった。二人が出て言った後、残された私はエミルにそっと聞いた。


「どうしよう。私、何か余計な事をしちゃったのかも」

「そんな事ないよ。シンデレラは何も悪くない」


 そう言って励ましてくれたけど、あの奥さんの様子は明らかに異常だった。

 ついさっきまでは楽しく話をしていたのに。あの状況では私がノヂシャを見せたせいでおかしくなったとか思えない。勿論理由は分からないけど。


「とにかく、戻ってきたら話を聞いてみよう。ノヂシャは念のため片づけておいた方が良いかもしれないけど」

「そうね。奥さん、大丈夫だと良いけど」


 部屋の戸の向こうからは奥さんのすすり泣く声がうっすらと聞こえてくる。さっきまでの明るい雰囲気とは打って変わって重い空気の中、私達は二人が戻ってくるのを待った。





 奥さんを連れて旦那さんが部屋を出て行ってから暫くして、旦那さんだけが部屋に戻ってきた。旦那さんは神妙な面持ちのまま、私達に頭を下げた。


「すみません、お見苦しいところをお見せして」

「いえ。そんな事より、奥さんは大丈夫なんでしょうか?」


 エミルが心配そうに尋ねると、テーブルに着いた旦那さんは力の無い声でそれに答える。


「はい、今は落ち着いています。驚かれたでしょう、いきなりあんな事になって。家内は少し不安定な所があるんですよ」

「あの、やっぱり私のせいなんでしょうか?私が何か動揺させるような事をしてしまったのですか?」

「いえ、貴女のせいと言うわけではありません」


 旦那さんはそう言うけど、あの突然の変わりよう。やっぱり私が何か、してはいけないことをしたとしか考えられない。


「でも、私がノヂシャを見せたとたんにあんな事になりましたよね。もしかして、ノヂシャに原因があるんじゃ?ひょっとして、強いノヂシャアレルギーがあるとか」

「そう言うわけでは。いや、ノヂシャアレルギーと言っても差支えが無いかもしれません。妻はあるトラウマのせいで、ノヂシャを見ると拒否反応をおこすんですよ」

「トラウマですか?」


 エミルが首を傾げる。トラウマと言う事は、昔ノヂシャのせいで相当嫌な思いをしたと言う事だけど、ノヂシャのせいで嫌な思いをするなんて想像がつかない。


「いったい何があったんですか?」


 聞かない方が良いんじゃないかとは思ったけど、流石に奥さんのあんな姿を見た後だと無関心というわけにはいかない。


「そうですね。話して置かないと貴女方も気にしてしまうでしょう」


 旦那さんは少し悩んだようだったけど、そう言って語り始めた。


「私達には娘がいたのです。娘を授かったのは今から十七年前。出産を控えた妻は、ある日突然ノヂシャが食べたいと言い出したのです。それも異常なほどに。ノヂシャを持ってくるまで他の食べ物には一切手を付けないと言い出すほどでした」

「ノヂシャをですか?」


 もちろん私は出産の経験なんて無いけど、妊婦さんがノヂシャを欲したという話はあまり聞いたことが無い。若干不思議に思いながらも話を聞く。


「私はすぐにノヂシャを探しましたが、この辺りでノヂシャがあるのは一か所しかないのです。二人とも、村の外れにある塔の事はご存じでしょうか?」

「ああ、あの塔ですか。その塔の傍を通って、僕達はこの村に来ました」

「その塔のすぐ傍にノヂシャ畑があるのです。私はその畑の持ち主、塔の魔女ゴーデルに、ノヂシャを分けてもらえないかと頼みに行ったのです。それが、間違いでした」


 旦那さんは奥歯を噛みしめながら辛い表情を浮かべる。

 ちょっと待って。ノヂシャ畑の持ち主、塔の魔女のゴーテルさんって、もしかしなくても私にノヂシャをくれたあのお婆さんの事だよね。そう言えば確かにゴーテルさんの黒いローブに帽子というあの出で立ちは魔女のそれだった。


「ゴーデルはノヂシャを分けるかわりに、ある条件を出してきました。それは、私達の娘が生まれたらゴーテルに差し出せと言う、ノヂシャの対価としては不釣り合いな物でした」

「それは、ノヂシャと娘さんを交換しろと、そう言う事ですか?」


 エミルも眉間にシワを寄せる。ノヂシャの価値を軽く見るわけじゃないけど、いくらなんでも私だってそれはおかしいと思う。ゴーデルさん、そんなむちゃな要求をしたの?


「もちろん私は断りました。ですが妻はなぜか狂ったようにノヂシャが食べたいの一点張りで、しまいには他の物を一切口にしなくなりました。このままでは母子共に危険だと思った私は泣く泣く……」


 その後は言葉になっていなかったけど、何があったのかは言わなくても分かった。旦那さんは怒りのこもった手をテーブルに叩きつける。


「妻が狂ったようにノヂシャが食べたいと言い出したのも、きっとゴーテルが魔法をかけたからだ。それなのに妻は以来罪の意識にさいなまれ、今ではノヂシャを見ただけであんな風になってしまうのです」


 それが奥さんが急におかしくなってしまった理由。それじゃあやっぱり、私がノヂシャを見せたのがいけなかったんだ。


「ごめんなさい、私がノヂシャを見せたばっかりに」

「いや、貴女が悪いわけではありませんよ。悪いのは全部あの魔女、ゴーテルです」


 私のノヂシャも実はそのゴーテルさんから貰ったものなんですけど。けどとても今それを言えるような空気じゃない。すると今度はエミルが旦那さんに質問する。


「娘さんは今どうしているんですか?そもそも魔法をかけて奥さんを操ったのなら、契約は無効でしょう」

「アイツにはそんな常識は通用しませんよ。産まれたばかりの娘はゴーテルに攫われて、アイツの住む塔の中で召使をさせられていると聞きます。連れて行かれてから一度も塔の外に出してもらえずにずっとですよ。おかげで、私達も娘とは十七年も会っていないんです」

「十七年⁉」


 それは気の遠くなるような長い時間だ。そんなに長い間娘さんと会っていないご夫婦も、塔の中で召使をさせられているという娘さんもたまったものじゃないだろう。だけどその話が本当なら、どうにも心配な事がある。


「すみません、そのゴーテルと言う魔女は、そんなに危険で酷い奴なんですか?」


 エミルも慌てたように尋ねる。


「酷いなんてものじゃないですよ。アイツは自分の為ならどんな酷い事だってするし、人の為になるような事はしない奴です。村のみんなも奴の事を恐れ、誰も塔に近づこうとはしません。貴方達も塔には近づかない方が良いですよ」


 真剣な眼差しで塔の魔女の危険を解く旦那さん。だけど……私は恐る恐る手を上げた。


「あのー、私達すでにそのゴーテルって魔女と会っているんです」

「え?」


 旦那さんの顔色が変わる。


「さっきエミルが来る途中に塔の傍を通ったって言いましたよね。あの時に会ったんです。そしてさっきのノヂシャですが……」


 私が言葉を発する度に旦那さんの顔色が悪くなっていくのが分かる。そしてゴーテルさんにノヂシャを分けてもらった事を話した時、とうとう旦那さんが声を上げた。


「貴女、何をやっているんですか!」

「ごめんなさい、まさかそんな危険な人だとは知らなくて」

「悪い事は言わない、今すぐノヂシャをゴーテルに返すべきです。でないと何をされるか分かりませんよ」


 ですよね。さっきの話を聞いていたらそうじゃなるんじゃないかと心配になっていました。


「ですが、シンデレラは何か契約をしたわけじゃありません」


 エミルが庇うようにそう言う。だけどご主人の興奮は止まらない。


「ゴーテルにそんな常識は通用しません。ノヂシャ渡したのだから見返りをよこせと言ってくるに決まっています」


 そう言えば城下町にいたころ、森の魔女がお城の厨房に連れて行った見返りにお菓子の家を造るように後から言ってきたっけ。

 根はやさしい森の魔女でさえも後出しで見返りを要求してきたのだ。産まれたばかりの娘さんをさらうような悪い魔女がそれをしないという保証はどこにも無い。私は慌てて椅子から立ち上がった。


「私、今すぐ塔に行ってノヂシャを返してきます」

「僕も行く、一人じゃ危険かもしれない」


 エミルも立ち上がり、私は貰ったノヂシャを鞄に入れる。その時――


「わざわざ行く必要はないよ。アタシの方から出向いてやったんだから」


 ノヂシャ畑で出会った塔の魔女、ゴーテルのしわがれた声が家の中に響いた。

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