二人の旅にもそろそろ変化が?
シンデレラと塔の上の女の子 1
草木も寝静まった真夜中。そんな時間だというのに、とある村のとある一軒の家には明かりが灯っていた。
家の中を覗いてみると、夫婦と思しき一組の男女が、何やら神妙な面持ちをしている。そして二人の前には杖を持ち、赤ん坊を抱いた老婆の姿があった。
「それじゃあ、約束通りこの子は貰って行くよ」
しわがれた声でそう言って家を出て行こうとする老婆の手を、慌てたようにこの家の夫が掴む。すると老婆はゆっくりと振り返り、夫を睨みつけた。
「何のつもりだい?アンタは確かにアタシと約束したじゃないか。アタシの育てたノヂシャをあげるかわりに、生まれてきた子供をあげるって」
「確かに約束した。だけど、どう考えてもおかしいじゃないか。どうしてたかがノヂシャの為に産まれたばかりの娘を渡さなきゃいけないんだ」
ノヂシャとは野草の一種で、主にサラダや肉料理の付け合わせに使われる、緑色をしたスイカズラ科の野菜である。
しかし、そんなノヂシャを貰ったかわりに娘をあげると言うのは誰が聞いても納得がいかないだろう。悲痛に満ちた目で訴えかけるも、老婆は五月蠅そうに見るばかりだ。
「だったら最初からノヂシャなんて貰わなけりゃよかったじゃないか。それを今更無かったことにしてくれなんて虫が良すぎるだろ」
「その事は謝る。だけど、出産を控えた妻がどうしてもノヂシャが食べたくてたまらないって。食べないと死にそうだって言うから、あの時はロクに考えもせずに条件を飲んでしまったんだ」
今から一月ほど前、身ごもっていた妻が急にノヂシャを食べたくてたまらないと言いだした。夫は最初、何故妻がそこまでノヂシャに拘るのか分からず聞き流していたけど、やがてノヂシャ以外の物は口にする気にならないと言いだし、一切の食べ物に手を付けなくなった時は流石に慌てた。
ちゃんと食べてくれないと、妻だけでなくお腹の中の子供も心配だ。追い詰められた夫は、村で唯一ノヂシャを栽培しているこの老婆のもとを訪ね、悪魔の契約を飲んでしまったのだ。
夫の後ろで妻も悲しそうな目をしている。彼女は娘を産んでからというもの、自分がノヂシャが食べたいなんて言ったせいで産まれてきた娘と一緒にいられなくなると言っては、昼夜を問わず悲しみに明け暮れていた。
彼女が待望の第一子を産んだのはほんの数日前。だけど老婆と交わした契約のせいで、せっかく生まれてきた子供を、老婆に渡さなくてはならない。子供を持つ親として、これは悔やんでも悔やみきれない事だ。
「もしどうしてもその子を連れて行くって言うなら、力付くでもお前を止める」
男が力任せに魔女の腕を引っ張る。が……
「五月蠅い男だねえ」
老婆が手にしていた杖を振ったかと思うと、夫の体振ふわりと宙に浮いた。それはまるで、上から操り糸で動かされている人形のようにも見える。
夫は手足をバタバタと動かしていたものの、老婆がもう一度杖を振うと、今度は糸の切れた人形のようにその身を床に叩きつけられた。
「アナタ!」
慌てて妻が駆け寄る。幸い、少し腰を打っただけで済んだようだけど。もしまた老婆を怒らせたら、今度は怪我では済まないかもしれない。
「無駄な事はよしなって。あんた等じゃアタシを止める事は出来ないよ。いったいアタシを誰だと思っているんだい?塔の魔女の二つ名をもつ魔法使い、ゴーテル様だよ」
塔の魔女ゴーテル。村の外れにある、こんなのどかな村にはいささか不釣り合いな、天を突くような高い塔に住む、悪名高い魔女の名前である。
自分の為なら他人の事情なんてお構い無し。人の弱みに付け込んではその人の大事な物を奪って行く、皆から恐れられている存在だ。
「娘を返せ!だいたい、あの時妻が突然ノヂシャが食べたいなんて言いだしたのも、お前が何か術をかけたんじゃないのか!」
腰の痛みに耐えながら、夫はゴーテルに言い放つ。考えてみれば、妻が急にノヂシャが食べたいなんて言いだしたのは不自然だった。おそらく全てはこの魔女が仕組んだことで、夫がノヂシャを分けて貰いにゴーテルの元を訪ねたのも全ては計画通りだったのだろう。だけど……
「いったいどこにそんな証拠があるんだい?あんた等が何と言おうが、この娘は貰って行くよ。安心しな、何も取って食おうってわけじゃない。大きくなったら召使にするってだけだよ」
ゴーテルは悪びれる様子も無くそう言った。
夫は直もゴーテルに掴みかかろうとするも、彼女が杖を突き付けると怯んで動けなくなってしまった。
ゴーテルは腕に赤ん坊を抱えたまま、今度こそ家を出て行こうとする。するとそんなゴーテルの背中に向けて、妻が声を上げた。
「待って下さい。名前を、その子の名前をつけさせて下さい。私達は親なのに、その子に何もあげる事ができません。だからせめて名前を付けてやりたいのです」
訴えるような悲痛な叫び。これにはゴーテルも足を止めた。
「名前ねえ、まあいいか。それで、こいつには何て名前を付けるんだい」
「ラプンツェル――その子の名前はラプンツェルです」
「ラプンツェル、ね。分かったよ。それじゃあこれで本当にお別れだ。ラプンツェルはアタシが育てるから、あんた等は安心して暮らすと良いよ」
そう言うとゴーテルは、振り返りもせず玄関のドアを開けて出て行った。
夜の闇の中に消えていくゴーテル。そしてラプンツェルの姿を見ながら、妻はその場に崩れ落ちた。
「ああ――ラプンツェル―――」
両手で顔を覆い、泣き崩れる妻。夫はそんな妻の肩をそっと抱いて慰めるも、悲しい気持ちは一緒だった。
これは小さな村に住む、とある夫婦に起こった悲劇。そしてそれから十数年の時が流れる。
そこは一面のノヂシャ畑。沢山の緑のノヂシャが生え、その香りが鼻孔をくすぐっている。
「見てエミル。立派なノヂシャ畑があるわ。こんなに沢山あると、つい料理をしてみたくなるわね」
料理修業の旅を続けている私とエミルは、道中で見つけたノヂシャ畑の前で足を止めていた。ノヂシャは料理の主役になる事はないけど、やり用によっては良いアクセントになると私は考えている。
眼前に広がるノヂシャ畑を見ながら、もし調理するとしたらどう使うか。サラダにするなら他のどんな野菜と組み合わせるのが良いかなど、頭の中で色々考え始めた。すると、隣にいたエミルが私の顔を覗き込む。
「君はノヂシャ一つでも夢中になる事が出来るんだね。普通はノヂシャ畑よりも、その隣にある物の方に目がいきそうなんだけどな」
「隣にある物って?」
そっと視線を横にずらすと、エミルが言わんとしていたことが分かった。ノヂシャ畑に夢中になっていて全く気がつかなかったけれど、すぐ隣には天まで届きそうな高い塔がそびえ立っていたのだ。
「凄い、こんな高い塔があったんだ。全然気がつかなかった」
「気がつかなかった君の方が凄いよ。普通は畑をスル―してでも塔に目が行くよ」
流石に今回はそんな事は無いとは言えなかった。私達はさっきまで木々の覆い茂った森を歩いていたのだけど、森を抜けた先にこのノヂシャ畑と塔がそびえ立っていたのだ。
「森の中では視界が悪かったから、こんな高い塔があるなんて分からなかったな」
塔を見上げながらエミルが言う。どうやら彼はこの塔に興味を持ったようだ。これが普通の反応だよね。塔には目もくれずにノヂシャ畑の事ばかり気になった私が変なんだよね。
いくら料理バカの自覚があるとはいえ、これはちょっと恥ずかしい。
「どうしたの、シンデレラ?元気が無いみたいだけど」
私の態度を不思議に思ったエミルが聞いてきた。エミルが塔の存在に気付きもしなかった私に引いていないかとちょっと心配になってくる。
「ちょっとね。エミル、やっぱり私って変かな。こんな高い塔をそっちのけで、ノヂシャを見て料理の事ばかり考えてしまうのってどう思う?」
料理の事を考えるのが悪い事だとは思わないけど、周りが見えなくなってしまうのが悪い癖だとは思う。だけどエミルはキョトンとした顔をした後、クスクスと笑い始めた。
「酷い、何も笑わなくても」
「ごめんごめん。けど、全然気にする事は無いよ。君がいつも料理の事を考えているのは知っているし、今更変だなんて思わないよ。むしろそう言う所が君らしいと言うか、そうでなかったら帰ってビックリするかも」
そう言ってくれるとホッとする。いや、ホッとしていいのかな?もしかして、料理の事しか頭に無いって思われてるって事じゃないの?
(まあいいか、そう思われていたとしてもほとんど間違ってないんだし)
自問自答に決着をつけ、視線を元に戻す。もちろん塔では無くノヂシャ畑の方に。
「それにしても本当に美味しそうなノヂシャね。これだけあったら料理のし甲斐があるだろうなあ」
そう声に出しながらノヂシャを見ていると。
「お前さん、このノヂシャが気に入ったのかい?」
そんな声が後ろから聞こえてきた。振り返ると、そこには黒いローブを身にまとい、同じく黒い三角の帽子をかぶったお婆さんが立っていた。もしかしてこのノヂシャ畑の持ち主だろうか。
「すみません、立派なノヂシャだったものでつい見とれてしまいました」
慌てて頭を下げたけど、お婆さんはそんな私を見て笑った。
「こんな畑でよければいくらでも見ていって良いよ。ここはアタシの畑だけど、アンタみたいに立派なノヂシャだなんて言って褒めてくれる子は初めてだから嬉しいよ」
「そうなんですか?見ているだけでいくつもレシピを考えてしまうくらい、美味しそうなノヂシャなのに」
私がそう言うと、今度はエミルが口を開く。
「彼女は料理の修業中なんです。だから美味しそうな食材を見るとついレシピを考えてしまう癖があるんですよ」
「そうかい、料理人かい。ところで、アンタは料理以外の家事は出来るかい?掃除とか洗濯とか?」
「え、家事ですか?」
どうして突然そんな事を聞かれたのかは分からなかったけど、とりあえずその質問に答えることにした。
「一通り出来ると思いますよ。お料理修行の旅に出るまでは、家の事は全部私がやっていましたし。掃除も洗濯も苦手じゃないです」
継母や義姉に扱かれていたから嫌でも身に着く。すると、話を聞いていたエミルが笑いかけてくる。
「家庭的で良いね」
「そんなこと無いよ。本当に普通にできるだけだから」
エミルとそんなやり取りをしていると、お婆さんがにっこりと笑ってきた。
「普通にできる…ね。アンタくらいの歳で出来るなら十分自慢できるよ」
お婆さんまでそんな事を言い出した。そして……
「家事に料理修行にと、アンタは随分頑張っているみたいじゃないか。よし、アタシの自慢のノヂシャを、頑張っているアンタに分けてやろうじゃないか」
「え、良いんですか?」
「ああ、構わないよ。沢山あってもアタシ一人じゃ食べきれないし、アンタみたいな子に持って行ってもらいたいんだよ」
そう言ってお婆さんはノヂシャをいくつか引き抜き、私に差し出してくれた。
「こんなに立派なノヂシャを……ありがとうございます」
「すみません、こんなに沢山頂いて」
私もエミルも深々と頭を下げる。
「なあに、良いってことよ。アンタはノヂシャを褒めてくれたし、アタシとしても受け取ってくれて嬉しいよ」
こんな良い人に出会えるだなんて。旅をしているとたまにこういう素敵な出会いがあるから面白い。
「あの、よろしければお名前を聞かせてもらえないでしょうか?」
「名前かい。アタシの名前はゴーテルだよ」
「ゴーテルさんですね。ノヂシャ、本当にありがとうございます」
そう言って私はもう一度頭を下げた。ゴーテルさんはそれを見てニタッと笑う。
ゴーテルさんの笑みにどんな意味が込められていたのか。この時は私も、用心深いエミルでさえも、それに気づくことはできなかった。
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