シンデレラと動物達の音楽隊 1
ある晴れた昼下がり。街道の脇にある大きな岩の陰で昼食をとった後、私は水晶玉に向かって話しかけていた。
「今日はとてもいい天気です。ちょっと暑いですけど、少し前の寒かったころよりも旅はしやすくて助かっています」
傍から見れば水晶玉に話しかける危ない人みたいに思われるかもしないけれど、私は何も独り言を言っているわけではない。
手にしているのは旅に出る前に森の魔女から貰った魔法の水晶玉。これを使って遠くにいる魔女さんとお話ししているのだ。近寄らなければ分かりにくいだろうけど、水晶玉の中には黒いローブを纏った魔女の姿が映し出されている。
「元気そうで何よりだ。こっちはこっちで楽しくやっているよ。アンタに造ってもらったお菓子の家の評判が良くてね。街から観光客が来出したもんだから、入場料を取って儲けているんだよ」
「そうだったんですか。でも、私の作った家がそんなに評判が良いというのは嬉しいです」
「ヘンゼルとグレーテルもよく顔を出してるよ。あの子達、今では親と仲良くやっているそうで、この前一緒にお菓子を作ったと言っていたね」
ヘンゼルとグレーテルか。ご両親と仲良くやっているようでホッとした。そう言えばヘンゼルは、将来パティシエになりたいって言っていたっけ。
旅の途中で会った赤ずきんも料理の修業をするって言っていたし、うかうかしていたらそのうちヘンゼルや赤ずきんの方が料理上手になってしまうかもしれない。私も気を抜かないように頑張らないと。
そう思った時、水晶玉越しに魔女さんが言ってきた。
「そう言えばシンデレラ、エミル王子とはどこまで行ったんだい?」
「エミルと?ああ、今はブレーメンの街に向かっている途中です」
順調にいけばあと二、三日で到着予定だ。その事を話すと、何故か魔女に溜息をつかれた。
「私が言っているのはそう言う事じゃないんだけどね。まあその様子だと進展は無さそうだね」
「進展って?」
首をかしげていると、何やら私を呼ぶ声が聞こえてきた。近の小川まで水を汲みに行っていたエミルが戻って来たようだ。
「エミルが戻って来たのでそろそろ出発しますね」
「ああ。王子にもよろしく言っといてくれ」
通信を終えて水晶玉を片付けていると、水筒を持ったエミルがやって来た。
「お待たせ。冷たい水を汲んできたけど、飲む?」
「ありがとう、頂くわ」
差し出された水を口にし、喉を潤わせる。これでまた少し元気が出てきた。
「もう出発する?疲れているなら、もう少し休んでも良いけど」
「ううん、早くいかないと日が暮れちゃうもの。町に着くのが遅れて野宿なんて嫌だから、明るいうちに歩くわ」
「了解。それじゃあ、出発しようか」
そうして私達は歩き始めた。
町に着くのが遅れないよう、早く移動したのだけれど、後にして思えば早く動こうと遅く動こうと大差はなかった。まさかあんなことになっちゃうなんて。
辺りが暗くなり一、東の空から月が昇り始めた頃、私達は深い森の中をひたすらに歩いていた。
「ゴメンね、こんな事になっちゃって」
前を歩くエミルが珍しく弱気な声を出す。だけど私は首を横に振った。
「エミルは悪くないよ、たぶん道を間違えたのは私だもの」
「だけどやっぱり僕がもっとよく下調べしていればこうはならなかったと思う。まさか橋が流されているなんて」
そう、私達がこうして日が沈んでもなお歩き続けているのは、当初予定していたルートにあったはずの橋が、大雨によって流されてしまっていたためだ。
橋があるはずの場所まで来て初めてその事実を知った私達は、慌てて別のルートを検討した。その際エミルは遠回りだけど確実なルートを提案したのだけれど、私は近道になりそうな森を抜けるルートを提案し、結果森を抜けようという事で話はまとまった。
だけどどこで道を間違えたのか、一向に森を抜ける気配は無い。
エミルは何だか責任を感じているみたいだけど、森を抜けようと提案したのは私なのだから、悪いのは私の方だ。
とは言え、今はどっちが悪いかなんて言っている場合では無い。一刻も早く森を抜けるため、道なき道をただ歩くのみだ。
「だいぶ道が悪いけど。足、痛くない?」
「うん、まだ大丈夫だよ」
口ではそう言ったけど、正直ちょっと疲れている。するとそれが顔に出てしまったのか、エミルが足を止めて心配そうに私を見る。
「少し休んだ方が良いかも。とは言えここじゃあ場所が悪いな。どこか休めるようなところがあればいいんだけど」
「平気、もう少し歩けるから。けど、今夜は野宿になっちゃうね」
そう言った途端、エミルが申し訳なさそうな顔になる。
「ゴメン、君に野宿なんてさせることになって」
「えっ?ううん、私の事は気にしなくていいよ」
慌ててそう返した。最近忘れがちだけど、エミルはこれでもれっきとした王子様なのだ。本来なら野宿なんてさせていいはずがない。そう言ったのだけど、エミルは首を横に振った。
「これでも野営訓練で野宿の経験はあるよ。それよりシンデレラだよ。野宿の経験なんてないよね」
「それは……」
エミルの言う通り、一介の町娘だった私に野宿の経験なんてあるはずもない。どうしよう、これではますますエミルに迷惑を掛けてしまうかもしれない。
「それに君は女の子でしょ。本来ならそれこそ野宿なんてさせられないよ。せめてどこか過ごしやすい場所に行かなきゃ」
エミルにそう言われ、私達は再度歩き始めた。けれど、そう都合よく良い場所なんて見つからない。そうしているうちに、月はだんだんと高く昇っていく。
「だいぶ暗くなってきたけど、大丈夫かな?」
ここは森の中だ。野生の獣がどこに潜んでいても不思議ではない。私は前にオオカミに襲われた時の事を思い出し、思わず身を震わせた。
「魔女さんのお菓子の家や、紫ずきんさんの家みたいに、森の中だけど家でもあればいいのに。そうすれば事情を説明して助けを借りられるかもしれないのにね」
「流石にそう都合よくはいかないだろうね……ちょっと待って」
不意にエミルが足を止めた。つられて私も足を止める。
「どうしたの?」
そう言ってエミルの見ている方向に目をやる。すると木々の向こうに、何やらぼんやりと光が見えた。
「何あの光?どうしてこんな森の中に光があるの?」
「分からない。分からないけど、行ってみる?」
「うん」
どのみちここでじっとしていても始まらない。私達は光のある方へ進んで行く。やがて光はだんだんと大きくなっていき、ついにその正体が判明した。
「エミル、あれって」
「うん、信じられないよ」
光の正体。それは森の中にたたずむ大きな家だった。開けた場所にあるその家の中には、明るい光が灯っていた。どうしてこんなところに家があるのかは分からない。けど、野宿を覚悟していたところに家が現れるなんて天の助け。
「エミル、家だよ。道を聞いてみようよ」
明かりが灯っているという事は中に誰かがいるという事だ。もしかしたら森の抜け方を教えてくれるかもしれない。
だけどエミルは何やら難しい顔をしている。
「誰かがいることは間違いないだろうけど、不用意に近づいて大丈夫かな?中にいる人が善人とは限らないかも」
確かにそれは一理あるかもしれない。でも……
「これは森から出られるチャンスかもしれないんだよ。悪い人とは限らないんだし、私は尋ねてみるべきだと思う」
「それは…確かに。分かった、中にいる人に話を聞いてみるよ。ただし、無事が確認できるまで君は僕の後ろにいるんだよ」
そう言うと、エミルは家へと近づいて行った。私もエミルの後を追う。
近くにいってみたけど、中々大きな家だ。エミルは玄関の戸の前に立ち、コンコンとノックをする。
「すみません、道に迷って森をさ迷っているのです。よろしければ道を教えて頂けませんか」
エミルがそう言うと、玄関のドアがスッと開いた。よかった、家の中に入れてくれるようだ。だけど私はすぐに違和感に気付いた。
「誰もいない?」
ドアが開いたという事は、中から誰かが開けたという事だ。だけどドアの向こうに人影は無い。これではまるでドアがひとりでに開いたようだ。
「誰もいないけど、どうする?」
「ドアが開いたという事は入って良いってことだと思う。とりあえず入ってみよう」
エミルに言われて、私達は家の中へ足を踏み入れた。
家の中は広く、ランプが明るく光りを放っている。ランプに火が付いているという事は、消し忘れでもない限りは家の中に誰かがいると考えていいだろう。だけど、部屋の中からは物音一つしていない。
まさかこの家にはお化けでも住んでいるの?ついそんな風に想像してしまい、思わずエミルの服の裾を掴む。
「エミル、様子が変だけど大丈夫かなあ」
「確かに、誰もいないのはおかしいね。すみませーん、どなたかいませんかー?」
エミルの声が静かな部屋の中に響く。何か反応は無いかと、耳を澄ませながら辺りの様子を伺っていると……
「――ここに何しに来た」
唸るような低い男の声がどこからか帰って来た。やっぱり誰かいるのか、そう思った次の瞬間、今度はさっきとは別の声が響いてきた。
「よくも我らの住みかに忍び込んでくれたな。無事に帰れると思うなよ」
「えっ?忍び込んだって……ドアが開いたから入って来たんですけど」
招き入れてくれたんじゃなかったの?するとまた別の、今度は慌てたような女性の声が聞こえてきた。
「ド、ドアが開いたからと言って入って良い事にはならないじゃないか。私達が入って良いって一度でも言ったかい?」
「それは言われてませんけど……あの、このままだと話しにくいので、よろしければ姿を見せてもらえないでしょうか?」
「姿を見せろだ?人間のクセに我らに姿を見せろとは何事か!」
叱られてしまった。それにしても、何だか変な事を言っていた。人間のクセにって。すると、どうやらエミルも同じ所が引っ掛かったようだ。
「人間のクセにと言う事は、貴方達は人間では無いんですか?」
「その通り、我々はこの森に巣食う化け物だ。ここは我らの住まう神聖な住み家、そこに無断で入ったからには、それ相応の覚悟をしてもらうぞ」
え、化け物の住み家って。私達、そんな危険な場所に来てしまったの?後悔したけど時すでに遅し。エミルが不用意に家の中に入るのは危険かもしれないって言ってくれていたのに、私が行こうと言ったばかりにこんな事になってしまうだなんて。
「さて、どんな目に遭わせてやろうか……」
低い声が怪しく響く。すると怖がる私を守るようにエミルが前に立った。
「そっちの言いたい事は分かった。勝手に家の中に入った事に関しては謝る。迷惑なら今すぐにでも立ち去ろう。だけど、彼女に危害を加えたらこちらも容赦しない。お前達が何者だろうと決して許しはしない」
姿の見えない相手に気丈にふるまうエミル。すると化け物も圧倒されたのか、声の張りが心なしか弱くなった。
「ま、まて。我々も危害を加える気はない。ただ、こちらの望みを聞いてほしいだけだ」
「望む物って?」
「よくぞ聞いてくれた。我らの望み、それは―――お前達が金目の物をあるだけ置いていく事だ!」
………声が響いた後に沈黙が訪れた。聞き違いかな。お化けが要求にしてはやけに俗っぽい気がするんだけど。
見るとエミルは呆れたように溜息をついている。
「森の化け物なんて名乗っておいて要求するのはお金なの?魂を差し出せくらい言えないの?」
「バカ野郎、魂貰ったって腹が膨れるか!いいから金を出せ!」
「ヤダ。勝手に家に入ったのは謝るけど、要求が高すぎるよ」
エミルのもっともな意見に、声の主は慌てたように言う。
「だったらせめて食い物を出せ!俺達は腹が減って死にそうなんだ」
「森の化け物が空腹で死にそうとはね。君達、本当は化け物なんかじゃないでしょ」
「ぬわぁあ!?」
情けない声が響いた。どうやら相手は明らかに動揺したようだ。
「そ、そんなこと無いぞ。なあお前ら」
「ああそうだ。俺達、れっきとした化け物なんだぞ。嘘じゃないぞ」
「その気になればお前たちなんて一口で食べてしまえるくらいの怖い奴よ。信じるか信じないかはアンタたちの勝手だけどさ」
「食べられたくなかったら金か食料を置いていけ―、コケー」
うん、もう私でも全然怖くないや。それにしても、なんだか最後に変な声がしたような……
そう疑問に思った時、エミルはおもむろに壁に下がっていたランプに手を伸ばし始めた。
「エミル、何やってるの?」
「ああ、彼等がどうしても化け物だって言い張るなら仕方が無い。危険な化け物を放っておくのも良くないし、この家に火でもつけようかと思って」
「ええっ!」
いや、いくらなんでも火を付けるって。私は止めようとしたけど、それよりも早く家中から声が響いてきた。
「家に火を付けるなんて、なんて悪い奴なんだ!」
「アンタそれでも人間か!」
「酷い、私達が何をしたって言うんだ」
悲痛な声が響く中、エミルは一切表情を崩さない。
「お金や食料を巻きあげようとした奴らにアレコレ言われたくはないよ。火をつけたらどうなるかな。こんがり美味しいフライドチキンでもできるかなあ」
その言葉に、私は耳を疑った。エミル、本気で言っているの?
「エミル、貴方は間違っているわ!」
馬鹿な事をしないよう、エミルが手にしていたランプを掴む。すると今度はエミルが驚いた顔で私を見る。
「フライドチキンって、馬鹿な事を言わないで。フライドチキンを作るには鶏肉が必要なのよ」
「は?」
途端に呆けたような顔になるエミル。『は?』じゃないわよ。鶏肉も無いのにフライドチキンなんて、作れるはずが無いじゃない。
「鶏肉って、それはそうなんだけどね……」
「ううん、鶏肉があれば良いってわけでもないわ。美味しいフライドチキンを作るには皮を剥いだニワトリに、ちゃんと計算された分量のスパイスをまぶさないといけないの。しっかりと下味を付けないと美味しくならないわ。それに、火をつけただけなら出来るとしても焼き鳥かローストチキンだわ。フライドチキンにするならちゃんと油で揚げないと」
「油で?」
「そう。ぐつぐつと煮えたぎる油の中にさばいて下味を付けたニワトリを入れるの。そうすれば赤みを帯びた肉がだんだんとキツネ色に変っていくわ。熱い熱い油の中、ニワトリは美味しいフライドチキンに変わるの。ああ、考えたらだんだん作りたくなってきたわ。森の中を歩き回ってお腹もすいてきたし、どこかに新鮮なニワトリはいないかなあ……」
そう言った瞬間、「ひぃ!」と言う悲鳴が聞こえてきた。
今までの声はどこから聞こえてきたかよく分からなかったけど、今回は何となく場所が分かってしまった。声がしたのは、部屋の隅にあるクローゼットの中からだ。
「エミル、今の声って」
「うん。ちょっと待ってって」
エミルはそう言ってクローゼットに近づいて行き、私も後ろからその様子を伺う。エミルが慎重にクローゼットを開けると……
「コケー!」
中から甲高い声が響いた。何事かと思い中を見ると、そこにいたのはお化けでは無く、一匹のニワトリが可哀想にブルブルと震えていた。
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