シンデレラと恐いオオカミ 9
赤ずきんの家の玄関の戸を開けると、家の奥から鼻腔をつくいい香りが漂ってきた。中に入り戸を閉めると、紫ずきんさんが奥から姿を現した。
「シンデレラ、エミル、帰ったんだね」
「はい、この通り無事に戻ってまいりました」
「オオカミはもう心配しなくて大丈夫です。これでまた森の家に戻ることができますよ」
エミルがそう言うと、紫ずきんさんは私達の手を取って言った。
「無事に帰ってきてくれてよかったよ。待っている間、やっぱり心配だったからね。私も、それからあの子もね」
「あの子?」
聞き返すと、紫ずきんさんは何やら嬉しそうな顔をする。
「ちょっとキッチンに行ってみると良いよ。アンタ達のために美味しいシチューを作っているから」
言われるがままキッチンに向かうと、コンロの上に美味しそうなシチューの入ったお鍋が載っていた。けれど私はシチューよりも、それを焦げ付かないようお玉で混ぜている女の子に目を奪われた。
「赤ずきん!」
シチューを混ぜていたのは、昨日から部屋に閉じこもっていた赤ずきんだった。赤ずきんは驚く私を見て何かを言いかけたようだったけど、すぐに口を噤んでしまった。
「赤ずきん、シンデレラに何か言う事があるんじゃないのかい?」
紫ずきんさんに背中を押されて、赤ずきんは恐る恐る私の前に立つ。そして――
「ごめんなさい」
小さな声でそう言ってきた。
「今まで酷い事を言ってごめんなさい。それから昨日、お姉ちゃんの言う事を聞かずに玄関のドアを開けてごめんなさい。そのせいでオオカミが家に入って来て……危ない目に合わせてごめんさい」
そう言って謝る赤ずきんを呆気に取られてみていると、赤ずきんの頭を紫ずきんさんが優しく撫でた。
「この子はアンタらが出て行った後、部屋からひょっこり出てきてね。話を聞いたらずっとあんたに謝りたかったらしいけど、顔を合わせ辛くて部屋に閉じこもっていたって言うんだ」
そうだったのか。てっきりオオカミの事がショックで閉じこもってしまったのだと思っていた。でも……
俯く赤ずきんの手を握り、私は言う。
「そんなに謝らなくても良いよ。私、ちっとも怒ってないから。だって赤ずきんがエミルを呼んでくれたから、今こうして元気でいられるんだもの。命の恩人の事を怒ったりしないよ」
「でも、たくさん酷い事も言っちゃったし」
「それじゃあ、これからは仲よくしよう。沢山仲良くすれば、ちょっとあった嫌な事なんてすぐに忘れることができるから。それじゃあダメかな」
笑顔でそう言った私を、赤ずきんは驚いたように見る。するとそんな赤ずきんに、紫ずきんさんは言った。
「言っただろう。シンデレラはアンタの事を怒ったりしていないって。さて、ちゃんと謝れたところで、夕飯にしようかね。今夜のメニューは、昨日作り損ねたシチューだよ。赤ずきんと一緒に作ったね」
「え、このシチュー、赤ずきんも一緒に作ったんですか?」
そう尋ねると、赤ずきんは小さく頷いた。
「この子ったら、少しでもアンタに恩返しがしたいって言ってね。それなら一緒に夕飯を作ってご馳走しないかって言ったら、張り切って手伝ってくれたよ」
「そうだったんですか。赤ずきん、ありがとう」
頭を撫でると、赤ずきんは照れ臭そうに俯いた。その仕草がとても可愛らしく、思わず抱きしめる。
「お姉ちゃん苦しいよ」
「ごめんね、でももう少しだけこうさせて」
赤ずきんを抱きしめながら、私は彼女の耳元で小さく囁いた。
「一緒にご飯が作れてよかったね。紫ずきんさん、赤ずきんの事が嫌いになったんじゃないってわかった」
「……うん」
赤ずきんはまたも照れ臭そうに頷いた。
「二人ともすっかり仲良しだね。夕飯の用意は僕が手伝うから、二人はゆっくり休んでおく?」
エミルがそんな事を言ってきたけど、そういうわけにはいかない。私はすかさず首を横に振った。
「勿論私も手伝うわよ。だって昨夜も手伝わせてもらえなかったんだもん」
「その分今日は朝から山羊汁を大量に作ってたけどね。まあ、君ならそう言うと思ったけど」
エミルはそう言って笑い、私達はそろって夕飯の準備を始めた。
四人で囲んで食べた赤ずきんが作ったシチューはとても温かく、一日の疲れを癒してくれる優しい味だった。
出発の日の朝、私は忘れ物がないか確認し、一カ月間住んでいた部屋を後にした。部屋を出た所で、同じく隣の部屋から荷物を持って出てきたエミルと顔を合わせる。
「おはようシンデレラ、昨日はよく眠れた?」
「バッチリ。今日からまたたくさん歩かなきゃいけないから、睡眠は十分にとったわ」
この町に来てから一カ月。紫ずきんさんへの弟子入り期間が終わり、私達は今日この町を旅立って行く。けれど、最後に一か所寄る所がある。
私達は大家さんに部屋の鍵を返した後、森へと向かう。行先はもちろん、紫ずきんさんの家。お世話になった紫ずきんさんに挨拶してから旅立ちたい。
やって来た私達を、紫ずきんさんは暖かく出迎えてくれた。
「よく来てくれたね。今紅茶を入れるよ」
「いえ、お構いなく。早めに出発して、夕方には次の街に着きたいので」
「そうかい。それじゃあせめてこれを持っていくと良い」
そう言って紫ずきんさんがくれたのは、干し肉やチーズといった食品、それに二人分のお弁当だった。
「こんなに沢山もらえません」
「そう言いなさんな。弟子が旅立つんだ、少しでも何かしたいんだよ」
「でも……」
躊躇う私の肩を、エミルがポンと叩いた。
「受け取っておこう。紫ずきんさんの作ったご飯なんて、次はいつ食べれるか分からないんだから」
確かにそう考えると、受け取らないのはもったいなく思えてしまう。
「……分かった。ありがとうございます、最後までお世話になって」
「なあに、気にすることは無いよ。そのかわり、立派な料理人になるんだよ」
「はい、旅を続けて腕を磨いて、いつか一人前の料理人になって戻ってきます」
そう言った私を、紫ずきんさんは優しい目で見る。その目を見ていると、別れる事に躊躇いを覚えてしまいそうだ。
親のいない私は、たくさん料理を教えてくれて、たくさん叱ってくれた紫ずきんさんの事をまるで親のように思う事があった。そんな紫ずきんさんと別れるのは辛いけど、そこで躊躇してはいけない。私は寂しい気持ちを振り切り、改めて紫ずきんさんに頭を下げた。
「短い間でしたけど、紫ずきんさんの弟子になれて嬉しかったです。ありがとうございます」
そう言った私の頭を紫ずきんさんが優しくなでる。すると隣にいたエミルがふと声を漏らした。
「ところで、隠れている赤ずきんは、いつになったら顔を出すのかな」
「えっ?」
エミルの見ている方に目を向けると、柱の陰から赤ずきんが顔をのぞかせていた。
「赤ずきん、来てくれたの?」
まだ朝早いというのに、見送りに来てくれたようだ。
オオカミ騒動の後、赤ずきんとはすっかり仲良くなり、この数日はもうすぐ旅立つ私達に行かないでと駄々をこねてきたこともあった。赤ずきんもまた、この町にいる間は妹のように思えた大切な存在だ。
私は赤ずきんの元に駆け寄る。
「赤ずきん、私は今日でこの町からいなくなるけど、紫ずきんさんと仲良くするんだよ」
「うん、仲良くする。それから……」
赤ずきんはそっと瓶を私に差し出した。これは……
「苺ジャム?」
「うん、お婆ちゃんに習って作ってみたの。お婆ちゃんみたいに美味しくはないけど」
「ううん、赤ずきんが一生懸命作ったんだもの、きっと美味しいはずだよ」
私は赤ずきんの頭を撫でる。赤ずきんは嬉しそうに笑い、私も一緒に笑顔になる。最初は嫌われていたなんてとても思えないほど赤ずきんは笑顔で、警戒心もまるで無い。
一通り頭を撫で終わると、赤ずきんは私を見て言った。
「お姉ちゃん、今度は私がお婆ちゃんの弟子になる。それで、大きくなったら私も料理人になる」
「赤ずきんが?」
驚いていると、紫ずきんさんが嬉しそうな声で言ってきた。
「赤ずきんがこんなことを言うだなんて初めてだよ。ずっと一緒に料理を作ってみたかったけど、シンデレラのおかげで夢が叶ったよ」
紫ずきんさんはそう言ったけど、私がいなくても、赤ずきんならそのうち一緒に料理を作りたいと言ってきたんじゃないかと思う。それでも、こんな風に二人の間には入れたことがなんだか嬉しい。
「シンデレラ、名残惜しいけどそろそろ」
「分かった。じゃあね、赤ずきん。私も頑張るから、赤ずきんも料理の勉強頑張ってね」
「うん。あ、それと……」
赤ずきんはそっと私の耳元に口を近づけると、そっと囁いた。
「少しはエミルお兄ちゃんにも構ってあげないと、他の人にとられちゃうよ」
「えっ?」
一瞬何の事かわからなかった。けどすぐに赤ずきんの言わんとしていることに気付いくと、徐々に焦りがやって来た。
「違っ、そんなのじゃないってば」
最初会った時にエミルとの仲を疑われたけど、もう誤解は解けたものだと思っていた。だけどまだ続いていたのか。
焦る私を見て、赤ずきんは悪戯っぽく笑う。
「そう思っているのはお姉ちゃんだけだよ。だから、お兄ちゃんともっと仲良くしなきゃ」
そんな楽しそうに喋る赤ずきんを見て、エミルが何事かと覗き込む。
「何の話?」
「何でもない!」
エミルに話の内容を悟られないよう取り繕った後、貰った食糧を荷物に詰め、玄関を出る。紫ずきんさんと赤ずきんも揃って外に出た。
「今日はいい天気だね。森の中だというのに随分と明るいじゃないか」
「はい。絶好の旅日和です」
「気を付けていくんだよ。もし何か困ったことがあったら、いつでもここにおいで。大したことはできないけど、美味しいご飯を作って待っているから。エミル、アンタもシンデレラをしっかり守ってやるんだよ」
「はい。お二人も、どうかお元気で」
エミルがぺこりと頭を下げ、私もお辞儀をする。
「二人ともさようなら、絶対にまた来てねー」
赤ずきんの可愛らしい声が森に響く。赤ずきんは私達の姿が見えなくなる、手を振ってくれていた。
シンデレラと恐いオオカミ 終
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