シンデレラと恐いオオカミ 7

 そろそろお昼になるころだろうか。私達は紫ずきんさんの家の裏にこっそりと隠れ、息をひそめていた。


「オオカミは本当に来るかなあ」


 そんなエミルの呟きに、同行していた猟師さんが答えてくれた。


「なあに、きっと来るって。腹をすかせたオオカミはなりふり構わないもんさ。山羊の匂いをプンプンさせた鍋があれば、オオカミはきっと食べに来るはずだ。嬢ちゃんの作戦はいいと思うぜ」


 さすが本職の人はオオカミの事をよく分かっている。いつでも撃てるように猟銃を持ち、オオカミが来るのを今か今かと待っている。

 家の庭には、オオカミをおびき寄せるための山羊汁が、七つの鍋に入って置かれている。私達は家の陰に隠れて様子を伺い、後は臭いにつられてオオカミがやってくるのを待つばかり。


「できれば早く来てくれると良いんですけど。さっきキッチンで温め直しましたが、温かいうちに食べてほしいんですよね」

「君はオオカミを釣る餌でさえ味に妥協はしないんだね」


 エミルがそう言った瞬間、猟師さんが静かに声を出した。


「シッ……オオカミが来たぞ」

「えっ?」


 家の陰から頭を覗かせると、真っ黒なオオカミが山羊汁の入った鍋に近づいているのが見えた。


(昨日のオオカミだ)


 襲われた時の事が思い出され、わずかに手が震える。すると、エミルが私の手をそっと握った。


「大丈夫、君は絶対に僕が守るから」


 私もエミルの手を握り返す。そうしている間にオオカミは鍋の蓋を開け、中身を物色している。


「良く考えたら、オオカミが餌に食いついて油断させるんじゃなく、毒でも仕込んだ方が早かったかもな」


 様子を伺っていた猟師さんがそんな事を言ってきた。何てことを言うんだ。

「それは絶対にダメです!たとえどんな理由があろうとも料理に毒を入れるだなんて!」

「シンデレラ落ち着いて。大きな声出したらオオカミに気づかれるよ」


 そうだった。慌ててオオカミに目をやったけど、幸い気付かれた様子はない。様子を伺っていると、オオカミはどこから取り出したのか、何やら白い物が入ったチューブを手にしていた。あれは……


「あれはマヨネーズ。どうして?」


 何故今マヨネーズを取り出したのだろう。疑問に思った次の瞬間、信じられない事が起こった。


「いやあぁぁぁぁぁっ!」


 目の前の光景が信じられず、思わず悲鳴をあげる。そんな私の口をエミルが慌てて塞いだ。


「だから大きな声を出したら気付かれるって」

「だって…だってあのオオカミ、山羊汁にマヨネーズを入れてるんだよ」


 信じられない。これでは味が台無しになってしまうじゃないか。


「どうやらあのオオカミははマヨラ―みたいだな。そう言えば今までオオカミが悪さをした現場には何故かマヨネーズがこぼれていたって話を聞いたような気がする。謎が解けたよ」


 猟師さんが冷静に解説をする。けど、そんな事を言っている場合では無いでしょう。


「何を呑気に分析してるんですか。早く止めないと、せっかくの山羊汁が滅茶苦茶になってしまいます」

「待ってよ、ここで出て行ったら作戦が台無しになるよ。オオカミを油断させるのが目的なんだから、マヨネーズを掛けてでも良いから山羊汁を食べてもらわなきゃ」

「でも……でもッ!」

「見ていて辛いかもしれないけど我慢するんだ。ほら、山羊汁を食べ始めたよ」


 見るとオオカミは、マヨネーズがたっぷり入った山羊汁を美味しそうに食べている。こんなモノ見たくはなかった。

 そう思っている間にも、オオカミは鍋一つを平らげ、続いて二つ目の鍋に手を伸ばす。その手には当然のようにマヨネーズが握られている。


「―――ッ」


 もう見ていられない。繰り広げられる悲劇から目を背ける。


「食の好みは人それぞれ。好みの味は千差万別というのは分かります。食べるタイミングも味付けもこうであってほしいという作り手としての拘りはありますが、食べる人が食べたいように食べるのが一番だという事はよく分かっています。でも、いくらなんでも限度というものがあります。あれだけの量のマヨネーズを入れて、味の原形が保てているとは思えません。これは、料理に対する冒瀆です。これでは何のためにお肉のスジとりをしたのか、何のために出汁に拘ったのか、何のために煮込んだのか……」


 ボソボソと怨めしい声を出す私を見ながら、猟師さんが恐る恐るエミルに尋ねる。


「彼女は大丈夫なのかい?」

「たぶん。彼女、料理の事になると人が変わるので。今回はだいぶショックが強いみたいですけど。あ、オオカミが三つ目の鍋にマヨネーズを……」

「言わないで!現実を付きつけないで!」


 私が絶望に打ちひしがれている間に、オオカミは一つ、また一つと山羊汁を平らげていく。途中からは怖くて様子を見れなくなったけど、恐らくその全てにマヨネーズをたっぷりと入れて食べたのだろう。


 許せない、昨日食べられかけた時は恐怖が芽生えたけど、今は怒りが込み上げている。プルプルと肩を震わせていると、全ての山羊汁を食べ終えたと言うエミルの声が聞こえてきた。


「あの鍋、一つにつき子山羊一匹分の肉が入っていたんだよな。それが七つとはあのオオカミ、よほど腹が減っていたんだろうな」

「お腹いっぱいになってくれたことは嬉しいですけど、食べ方は許せません」


 そう言いながらオオカミの様子を見ると、喉が渇いたのか井戸の方へと歩いている。だけど食べ過ぎたのか、やけに足取りがよろよろとしている。


「よし、今がチャンスだ」


 エミルと猟師さんが剣や銃を構えて飛び出していく。井戸の前で水を飲もうとしていたオオカミも、二人に気付いて振り返った。


「ゲ、お前ら――ウプッ」


 オオカミが口元を押さえる。どうやら食べ過ぎて気持ちが悪いらしい。量もそうだけど、あれほど大量のマヨネーズを一度に摂取したのだから当然だろう。


「観念しろ、お前はもう終わりだ」


 猟師さんが銃口を向ける。オオカミも慌てて構えたけど、昨日のような機敏さは見られない。どうやら山羊汁作戦は予想以上の成果を上げたようだ。

 だけど、このまま銃で撃って終わりで良いのだろうか。いや、その前に言っておかなければ気が済まない事がある。


「オオカミさん!」


 私は隠れていた家の陰から出てきて、ずかずかとオオカミに近づいて行く。


「シンデレラ、出てきたら危険だよ」

「エミルは黙ってて!」


 止めようとするエミルを一喝し、私はオオカミの前に立つ。


「お前は昨日の……仕返しでもしようって言うのか」

「そんな事はどうでも良いです!」


 そう叫ぶと、オオカミはビクッと体を震わせた。


「貴方は料理を味わうという事を知らないのですか?そりゃあ、貴方がマヨネーズを好きだという事を否定する気はありません。ですが味見もしないうちにマヨネーズを大量投下しては、本来の味というものが分かりません!あの様子だとどんな物にもマヨネーズをかけているんでしょう。どんな物にも適度な量というものがあります。掛けるなら掛けるでちゃんと量を調整して、本当に良い味というものを模索してください。でないと、料理が可哀そうです!」

「そ、そんな事言われても。俺はマヨネーズが味わえればそれで」

「それなら人を襲うのはなぜですか!マヨネーズ以外のものも食べたいと思っているからでしょう。それならちゃんとマヨネーズ以外も味わって食べて下さい!」


 私が一言発する度に、オオカミは一歩一歩後ずさりしていく。そして彼は気付いていなかった。自分の真後ろに深い井戸があった事に。


「あっ」


 オオカミは井戸につまずき、そのまま後ろへと倒れ込む。普段なら俊敏に動いて体勢を立て直せていたかもしれないけど、お腹いっぱいで動きが鈍っていた今ではそれも出来なかった。

 オオカミは頭から真っ逆さまに井戸の中へと落ちて行った。


「ワオォォォォォォォン」


 悲しい遠吠えが井戸の中から聞こえてくる。だけどバシャンという音と共にそれも聞こえなくなった。


「どうなったの?」

「相当深い井戸のようだ、落ちたら助かるまい。助かったとしても中には水が溜まっている。すぐに溺れ死ぬだろうさ」


 猟師さんが冷静に分析をする。少し可哀そうだけど、相手は何人も人を襲ったオオカミなのだ。これは天罰なのかもしれない。


「さようならオオカミさん。来世ではちゃんと料理を味わって食べて下さい」

「最後に投げ掛ける言葉がそれ?良い奴に生まれ変わってとかじゃないの?」


 あ、そうだね。それも一緒に願っておこう。

 かくして、この森のオオカミ騒動は幕を閉じた。オオカミに襲われた人達も、山羊汁の材料となった子山羊たちも、これでうかばれてくれるだろう。

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