シンデレラと恐いオオカミ 5

 紫ずきんさんが出て行ってから少しして、台所の片づけが終わった頃、部屋に閉じこもっていた赤ずきんが顔をのぞかせた。


「赤ずきん、出てきたの?」


 そう言ったけど、赤ずきんは返事もせずに、キョロキョロと辺りを見ている。


「お婆ちゃんは?」

「紫ずきんさんなら、山菜を採りに行ってるよ」

「ふうん」


 自分から聞いてきたのに、赤ずきんは興味の無いような声を出す。

 相変わらず私とは目を合わせようともしない。よし、ちょっと聞きにくいけど、昨日エミルが言ったようにちゃんと話をしてみた方が良いだろう。私は思い切って赤ずきんに尋ねてみた。


「ねえ、赤ずきんは私の事嫌いなの?」

「うん」


 ……予想していたとはいえ、思ったよりもショックだった。そして追い打ちをかけるように、赤ずきんは言ってくる。


「ねえ、お姉ちゃんはいつまでこの町にいるの?」


 それは私に早く出て行けと言いたいのだろう。けど、ここでめげるわけにはいかない。赤ずきんの質問に答えるかわりに、私から赤ずきんに聞いてみた。


「ねえ、赤ずきんはどうしてそんなに私の事が嫌いなの?」


 最初会った時はもっと普通に喋っていたのに。そりゃあ、エミルとの中を誤解されて焦った事もあったけど、今みたいに嫌われてはいなかったと思う。すると、赤ずきんは不機嫌そうに言ってきた。


「だってお姉ちゃんが来てから、お婆ちゃんが全然構ってくれないんだもの。お姉ちゃんのせいでお婆ちゃんが私を好きじゃ無くなっちゃったんだ」

「えっ?」


 いや、そんなはずないよ。紫ずきんさんは私に赤ずきんの面倒を見てくれって言っていたし、好きで無くなったはずはない。だけど赤ずきんはさらに言葉を続ける。


「前に働いていたレストランを辞めた時、これからは一緒に遊んでくれるって言っていたのに、お婆ちゃんの嘘つき」

「違う、それは誤解だよ」


 紫ずきんさんは赤ずきんが寂しくないよう色々考えてくれているのに。

 けど、私が弟子入りしたせいで赤ずきんがお婆さんと一緒にいられる時間が少なくなってしまったのも事実だ。そう考えると、申し訳ない気持ちになってしまう。


「ごめん。だけど紫ずきんさんは赤ずきんの事、今でも大好きなはずだよ」

「そんなの分からないじゃない。どうして貴女がお婆ちゃんの事を何でも知っているみたいに言うの?」


 赤ずきんは敵意のこもった目で私を見る。私が何と言っても駄々をこねるばかりで、まるで取りつく島も無い。

 赤ずきんはおそらく、私にお婆ちゃんを盗られたと思っているのだろう。この誤解を解かない事には仲良くなるどころでは無い。


「赤ずきん、落ち着いて話を聞いて」

「ヤダ!」


 赤ずきんがそう言った時、玄関のドアをノックする音が聞こえた。


「お婆ちゃん」


 赤ずきんが駆けだす。私も後を追って玄関に行くと、ドアの向こうから声が聞こえてきた。


「手がふさがっているんだ、このドアを開けておくれ」

「うん、わかった」


 赤ずきんがそう言ってドアの鍵に手を伸ばそうとしたけれど。


「待って」


 私はすかさずその手を掴んだ。急に手を掴まれた赤ずきんは私を睨んでくる。その反応はとってもショックだけど、それよりも私には気になる事があった。


「何をしているんだ、早く開けておくれよ」


 ドアの向こうからは依然そんな声が聞こえてくる。だけど、何だか私の知っている紫ずきんさんの声とは違う気がする。


「ねえ赤ずきん。紫ずきんさんの声、何だか変じゃない?」

「えっ?そう言えば……」


 赤ずきんも気づいたのか、伸ばしていた手を引っ込める。ドア越しだから違って聞こえているのかもしれないけど、何故だか嫌な予感がした。


「ねえ、どうしてそんなに声が低いの」

「ちょっと喉を傷めてしまってね、早く家に入って休みたいんだよ」

「え、お婆ちゃん風邪引いちゃったの?」


 慌ててドアノブに手を伸ばす赤ずきん。だけど私は、再度その手を掴んだ。


「放してよ、お婆ちゃん風邪ひいてるんだよ。早く入れてあげなきゃ」


 赤ずきんの言いたい事は分かる。でも……


「すみません紫ずきんさん、少しだけドアを開けますから、手を見せてくれませんか」


 私はチェーンロックを付けてからドアを開け、その隙間から外の様子を伺う。外にいるのが本当に紫ずきんさんなら、白い手が見えるはずだ。だけど、隙間から見えたその手は……


「どうしてそんなに手が真っ黒なんですか?」


 そこにあったのは黒い手だった。しかもなんだかフサフサとあした毛が生えているようにも見える。それはまるで獣のようだ。


「これかい、山菜を取っていたら土で汚れちゃったんだよ」


 ドアの向こうから低い声でそう言ってくる。いやいや、山菜を取ったくらいでこうはならないでしょ。赤ずきんも不安そうにその手を見ている。

 するとドアの向こうから、今度は悲しそうな声が聞こえてきた。


「せっかく美味しい山菜をとってきたのに、風邪を引いて苦しんでいるのに家に入れてくれないのかい。あんた等は私が嫌いになったのかい?」


 そう言ったとたん、さっきまで不安そうにしていた赤ずきんの顔色が変わった。


「そんなこと無い。ごめんね、すぐに開けるから!」


 そう言って開きかけているドアを開けようとする。


「待って赤ずきん、おかしいと思わないの。絶対に開けちゃダメ」

「そんな事言って、本当にお婆ちゃんが風邪で苦しんでたらどうするの!」


 私が止めるのも聞かず、赤ずきんはチェーンロックを外してドアを開く。お婆ちゃんの事を心配しての行動だというのは分かる。だけどそれはあまりに軽率だった。

 声の主がお婆ちゃんだと信じた赤ずきんは、ドアの向こうにあったその姿を見てがく然とした。


「……オオカミ」


 そこあったのは全身を黒い毛で覆われた、大きなオオカミの姿だった。オオカミはまるで美味しい料理を目の前にしたように舌なめずりをしている。私も赤ずきんも、そのオオカミに目が釘付けとなり、全く動けなかった。

 誰も言葉を発せず、静かな空気が流れる。だけど、その静寂を打ち破るように、家の中にあった柱時計がボーンと言う音を鳴らし、その瞬間私は我に返った。


「赤ずきん!」


 私は呆けている赤ずきんの手をとり、家の奥へと走り出した。


「待てー!」


 逃げる私達の背後からオオカミが追いかけてくる。ドア越しの会話といい、どうやらこのオオカミは魔力を持っていて、喋る事が出来るようだ。

 リビングに入ると、部屋と廊下をつなぐドアを閉める。けど、このドアに鍵は無い。私はドアを押さえながら、赤ずきんに言った。


「ここは私が何とかするから、赤ずきんは裏口から逃げて」

「でも……」


 よほどオオカミが怖いのか、赤ずきんは震えて動こうとしない。次の瞬間、ドンと言う音と共にドアの向こうから強い衝撃を受けた。オオカミがドアを開こうと体当たりをしているようだ。


「早く、このままじゃオオカミが入ってくるわ」

「無理だよ、私一人じゃ逃げられないよ」

「赤ずきん!」


 私の大きな声に赤ずきんはビクッと体を震わせる。


「怖くても逃げるの!逃げて紫ずきんさんにこの事を知らせて。このままだといずれ帰ってくる紫ずきんさんも、オオカミに食べられるかもしれないわ!」


 そう言っている間にも、オオカミはドアに体当たりを繰り返している。押さえる手もだんだんと痛くなってくる。突破されるのも時間の問題だろう。


「お願い!行って!」


 赤ずきんは泣きそうな顔をしていたけど、首を縦に振って裏口に向かって走り出した。途中一回こっちを振り返ったけど、また走り出す。


(良かった、これで赤ずきんは助かる)


 そう思った瞬間、ドアに強い衝撃が走り、私は後方に飛ばされた。


「キャッ」


 尻餅を好きながら顔を上げた私の目に、目をぎらつかせたオオカミの姿が映る。


「もう一人は逃げたか。まあいい、久しぶりの獲物だ」


 低い声で唸るオオカミを見て、背筋が冷たくなるのを感じる。さっきまでは赤ずきんを逃がすことで頭がいっぱいだったけど、今になってようやく恐怖が襲ってきた。

 私は座り込んだまま、ゆっくりと後ろに下がって距離を開けようとする。するとその様子を見てオオカミは言ってきた。


「おいおい、逃げるつもりか?逃げられるわけが無いんだから、大人しく俺に喰われちまいな」


 冗談じゃない、部屋の隅まで後退した私は、立ち上がって置かれていた箒を手に取り、剣を持つように構える。

 もちろん剣術なんて習ったこともないし、箒でどうにかできる相手では無いことも分かっているけど、それでもこのままむざむざ食べられるつもりはない。


「そんなものでどうする気だ?」


 オオカミはじりじりと距離を詰めてくる。一歩一歩近づいてくる度に、言い用の無い恐怖が私を襲う。


(隙を見て逃げなきゃ。飛びかかってきたところをかわして、走って逃げれば何とかなるかも)


 オオカミとの間合いを測る。あと二、三歩近づいたら、オオカミは襲って来るだろうか。

 そう思った瞬間、私が思っていたよりも早いタイミングで、オオカミの体が宙を舞った。


(―――やられる)


 私は恐怖のあまり、身を逸らすと同時に夢中で箒を振った。

 攻め方なんて考えたわけじゃない。だけど幸運にも逸らした体はオオカミの一撃をかわし、でたらめに振り回した箒はオオカミを直撃した。


「痛え!」


 叩き落とされたオオカミは声を上げ、その間私は隣の部屋へと逃げ込む。そこはベッドが置かれた紫ずきんさんの寝室、この部屋は鍵も付いてた。

 部屋に入った私は急いでドアを閉めようとしたけど、閉まりきる前にオオカミがその黒い腕を滑り込ませてきた。


「開けろ!」


 オオカミが腕を振う。瞬間左手に鋭い痛みが走った。


「痛ッ」


 見ると左手に細い傷が入っていて、血が滲んでいる。こんな時だというのに、怪我をしたのが包丁を持つ右手じゃなくて良かったと思ってしまった。

 けどそれもつかの間。次の瞬間にはオオカミが力任せにドアを開け、部屋の中へと入ってきた。


「もう逃がさねえ」


 さっき殴られたことで腹を立てたのか、オオカミは声を荒立てている。思わず後ずさりするも、この部屋はそう広くない。ベッドの前まで下がると、後はどうすることもできない。


「さっきはよくもやってくれたな。頭から丸かじりしてやるよ」


 そう言うや否や、オオカミが飛びかかって来た。私はとっさに手を伸ばして抵抗するも、そのままベッドに押し倒される。


「やめて!」


 オオカミの息づかいが聞こえる。眼前に迫るオオカミの目には、私は美味しいステーキにでも見えているのだろうか。

 もう逃げられない。そう思うと、不意に昨日エミルが言っていた事を思い出した。


『もし君がオオカミを見かけたら、その時は教えてね』


 エミルはそう言っていたけど、ゴメン。教えられそうにないや。

 裏口から逃がした赤ずきんは、ちゃんと紫ずきんさんと一緒に逃げられただろうか。

 料理馬鹿の自覚がある私は、きっと死ぬ時まで料理の事を考えているんだろうなって思っていたけど、意外にも思い出すのは今まで出会った人たちの事。

 意地悪をしながらも、料理だけはしっかり食べてくれた継母や義姉さん。そういえば、ヘンゼルから大きくなったらまた弟子にしてって言われていたっけ。

 エミル、私の料理の腕を買ってくれて力になりたいって言ってくれたのに、こんな事になるだなんて。


(………ゴメン)


 生まれてから今まで起きた出来事、出合ってきた人たちの顔が次々と思いだされていく。東の国の書物に、死ぬ直前にこんな体験をするって書いてあったっけ。確か走馬燈というやつだ。なら、やっぱりこのままオオカミに食べられて死んじゃうんだね。

 抵抗する腕にも力が入らなくなってくる。オオカミが大きく口をあけ、死を覚悟したその時――


「シンデレラ!」


 オオカミでは無い別の誰かの声が聞こえた。私は頭を動かし、声のした方に目をやると――


「……エ…ミル?」


 ああ、エミルだ。息を切らせながらこっちを見ている。彼はオオカミに襲われている私を見ると、護身用に持っていた剣を鞘から抜いた。


「何だ、やる気か?」


 オオカミが私から離れ、エミルと向かい合う。

 いけない。オオカミ相手に戦うなんて危険すぎる。そう言おうとしたけど、さっきまで襲われていたショックからか声もでないし、体も動かない。

 オオカミは新たな獲物が飛び込んで来たとでも思ったのか、舌なめずりをしている。対してエミルは剣を構えたまま一切動かず、オオカミを見据えていた。


「ヴァアアアア!」


 オオカミは叫びながらエミルに飛びかかって行った。

 エミルがやられる。そんな姿は見たくなかったけど、それでも目を離す事が出来なかった。目に映るもの全ての動きが非常にゆっくりに見える。オオカミの牙がエミルを捕えようとした瞬間、静かにエミルが動いた。

 それは瞬きをしていたら見逃していたであろう、ほんの一瞬の出来事。エミルが体を反らし、音もなく剣を振っていた。

 確実にエミルを襲うはずだったオオカミは獲物をとらえる事はなく、反対にオオカミの右目に一筋の傷が出来た。


「ギャアァァ!」


 宙を舞っていたオオカミの体は床へと落ち、大きな声を上げて苦しみ出す。


「この、人間のくせに」


 体勢を立て直し、エミルに向き直るオオカミ。だけどエミルはそんなオオカミを冷たい目で見下ろす。


「ウゥゥゥゥ」


 エミルを威嚇しようと唸り声をあげるオオカミ。だけどエミルは憮然をした態度を崩さない。そんなエミルの様子に恐れをなしたのか、オオカミの方が後ずさりし始めた。

 一歩、二歩、三歩引いたかと思うと、オオカミは踵を返して一目散に駆けだした。


「待て!」


 エミルはとっさに駆けようとしたけれど、逃げるオオカミには追い付けない。だけど、難なくオオカミを退けたというのは驚きだ。


(エミルって強かったんだ)


 王子様なのだから剣の腕はそこそこで、政治に秀でているものと思っていた。

 エミルは手にしていた剣を鞘に収めると、私に近づいてきた。

 本当にエミルだ。オオカミに襲われて、もう会えないものと思っていたけど、こうして目の前にいる。なんだかそれが信じられなくて、エミルから目を離せずにいると――


「シンデレラ!」


 そう言ってエミルは私を抱きしめた。


「大丈夫?生きてるよね。良かった、無事で」


 抱きしめる手に力が入る。エミルの安心した声を聞いて、彼の体温を感じて、私はようやく助かったのだという実感がわいてきた。


「……エ…エミルー」


 安堵したと思ったら、同時に恐怖も襲ってきた。オオカミに襲われている間は恐怖なんて感じる暇も無かったのに、今では震えが止まらない。涙もあふれていたけど、そんな事を気にする余裕も無く、夢中でエミルにしがみついた。


「エミル、エミル、エミル、エミル、エミル――ッ」


 嗚咽交じりの声で、何度も彼の名前を呼ぶ。

 死んでいたかもしれない恐怖と、助かった事にホッとする気持ち、エミルがそばにいるという安心感。それらの感情を交えながら、エミルを抱きしめ続けた。

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