シンデレラと恐いオオカミ 3

 薄暗い森の中、私達は辺りを警戒しながら歩いて行く。城下町の近くにあった魔女の住んでいた森もそうだったけど、森というのはどこも同じような景色ばかりで、慣れないとすぐに迷ってしまいそうだから怖い。


「そう言えば、君のお婆さんはどうしてこんな森の中に住んでいるの?」


 エミルが赤ずきんに尋ねる。それは私も思っていた疑問だ。町の方がよほど暮らしやすいだろうに。


「森の中だと木の実や山菜が取り放題だから、自給自足の生活が出来るって言ってた。家庭菜園もやっていて、オオカミの話が出た時、町に住まないかって話も出たみたいだけど、せっかく耕した畑を手放して町に戻れるかって言ってたよ」

「確かに、苦労して育てた野菜を諦めて出て行く気にはなれないよね。私でも絶対に森に残るよ」

「シンデレラ、それはきっと少数意見だから。たぶん多くの人は、命の方が大事だって言うと思うよ」


 そうかなあ?丹精込めて育てた野菜なら、命と同じくらい大事だと思うんだけどな。


「けど、オオカミを抜きにしても色々大変じゃないの?」

「大丈夫だって言っていたよ。必要な物があれば町まで買いに行けば良いし、Amazonで通販する事も出来るし。まあ先日、森に入った配達員がオオカミに襲われはしたけど」

「それダメじゃないか!」


 エミルが慌てて回りを警戒する。


「大丈夫よ。オオカミが出たのは森の反対側だもん。ちなみにその配達員も軽症で済んでるよ。あ、見えてきた。あれがお婆ちゃんの家」


 赤ずきんが指差した先には、一軒の家が建っていた。赤ずきんはその家の前に行くと、玄関の戸を叩いた。


「お婆ちゃんこんにちは―。ジャムの売り上げを持ってきたよー」


 すると戸が開いて、中から紫色の頭巾をかぶったお婆さんが顔をのぞかせた。


「いつもこんな所まで悪いねえ。わざわざ来なくても、もう少ししたら私が町まで取りに行くつもりだったのに」

「いいの。私が来たくて来たんだから。お婆ちゃんじゃ森の中を歩くのはきついでしょ」

「そんな事は無いよ。これでもまだ足腰は衰えちゃいないよ。ところで、その後ろの人達はどなたかな?」


 お婆さんが私達に気付いて目を向けてくる。


「はじめまして。私、シンデレラと申します」

「エミルです。突然おじゃましてすみません」


 私達はそろって頭を下げる。すると赤ずきんが私達の事を紹介してくれた。


「このお姉ちゃん達、料理の修業をしながら旅をしてるんだって。それで、お婆ちゃんの話を聞きたいって言うから、私が連れてきた」

「料理の修業だって?」


 お婆さんは興味を持ったように私達を見る。


「料理の修業をしているのは私です。あの、もし迷惑でなければ、料理について教えていただけないでしょうか」

「教えられるほどの物を持っちゃいないけどね。とりあえず上がりなさい」


 私達は家の中へ通され、テーブルに並べられた椅子に腰かける。お婆さんは全員分の紅茶を用意し、自身も席へと付いた。


「まさか料理の話を聞きたいって言ってくる子が現れるなんてね。シンデレラといったね。私は見ての通り隠居の身、皆は紫ずきんって呼んでいるから、アンタもそう呼ぶと良いよ」

「紫ずきんさんですか?なんだか東の国の物語に出てくるキャラクターのようですね」


 それはその名の通り紫色の頭巾をかぶって、悪い人を懲らしめる義賊のキャラクターだ。何の気なしに言ったのだったけど、意外にもお婆さん、もとい紫ずきんさんは喰いついてきた。


「アンタ、あの話を知っているのかい。随分と遠い国の話なのに」

「はい。和食について勉強したことがあって、その時一緒に読んだんです。料理だけでなく、その国の文化も一緒に学んだ方が面白いですし」


 すると紫ずきんさんは機嫌を良くしたようでにっこりと笑った。


「よもやこんな年になって話の分かる人と会えるなんてね。わたしゃ他にも国中を旅する旅の隠居の話や、身分を隠して火消しの居候をする王様の話なんかも好きだけど、中々話せる人がいなくてね」

「ああ、それらも知っています。悪い人に正体を明かして驚かれる所が面白いですよね」


 まさか料理だけでは無く、好きな本でも話が合うだなんて。だけど盛り上がる私達とは対照的に、エミルも赤ずきんも頭にハテナを浮かべている。


「ねえ、お婆ちゃんもお姉ちゃんも何の話をしてるの?」

「たぶん本の話をしているんだと思うけど、全然付いていけない。しまったな、読んでいればこんな風にシンデレラと話が出来たのか」


 本の話でしばらく盛り上がった後、いよいよ本題の料理の話に移る。


「紫ずきんさん。料理人の先輩として、貴女に教えを請いたいんです。よろしければ、貴女が料理をしてきて学んだことというのを、私に教えては頂けませんか」


 そう言って頭を下げる。


「料理ねえ。言っておくけど、私は何も特別な事をしたわけでは無いよ。ただ料理が好きだから勉強して、自分の思ったように作っていっただけなんだよ。そんなのでも良いのなら教えるけど」

「はい、構いません」

「そうかい。アンタ達、お昼はまだだよね。だったら今から作るから、食べていくと良いよ。まずは食べてみないと、味が分からないだろ」

「良いんですか?」


 聞き返すと、紫ずきんさんはにっこりと笑った。


「食卓を囲む人数は多い方が良いからね。赤ずきん、アンタも食べていくだろう」


 紫ずきんさんがそう言うと、赤ずきんがこっくりと頷いた。エミルも反対する理由は無い。かくして私達は、紫ずきんさんの作る昼食を頂くこととなった。



 紫ずきんさんが作ってくれたのは、牛のお肉と野菜を専用のタレを入れた鍋で煮込み、とき卵に付けて食べる東の国の料理、すき焼きだった。


「今日は人数が多いからね。こうでなきゃお鍋料理は作りがいが無いよ」


 そう言って紫ずきんは人数分の二つでワンセットとなる細長い棒を配っていく。これは知っている。東の国でご飯を食べる時に使われる箸という道具だ。こんな物まで持っているだなんて、やはりこの人は相当な料理マニアのようだ。

 だけど、そんな箸を目にしたエミルは困惑している。


「これは……いったいどうやって使うの?」


 エミルが知らないのも無理はない。この大陸ではほとんどお目にかからない道具だ。見ると赤ずきんも持つのに苦労している。


「赤ずきんも箸を見るのは初めて?」

「ううん。お婆ちゃんが使っているのを見たことがある。けど、ほとんど使った事は無い」


 赤ずきんがそう言うと、紫ずきんさんが言ってきた。


「和食なんて私がたまに作るくらいだからね。町にあるこの子の家にも箸は置いてないから、知ってはいても使う機会はほとんど無いんだよ。シンデレラは使えるのかい?」

「はい、ばっちりです」


 城下町の家で作る食事は洋食がほとんどで、実際箸を使う機会は私もほとんど無かったけど、それでも何度も豆を箸で挟む練習をして、今では完璧に使えるようになっている。

 私は中々うまく扱えないエミルに、使い方を教える事にした。


「エミル、動かすのは上の箸だけだよ。あと、フォークみたいに突き刺すのもダメね」

「そうなの?だけどこれ、シンデレラみたいに上手く動かせないな」

「持ち方が違うんだよ。もっとこんな感じで」


 エミルの指に触れ、持ち方を正す。それでもエミルは上手く動かせずに四苦八苦している。


「これじゃあ箸の持ち方を覚える前に料理が冷めそうだな」

「それは問題ね。温かいうちに食べた方が美味しいのに。それじゃあ……」


 私はお鍋の火の通ったお肉を箸で挟んで卵に付ける。そしてそれを。


「はい、どうぞ」


 お肉を挟んだ箸をエミルに差し出す。これで食べられると思ったのだけど、エミルはなぜかなかなか食べようとしない。

 早く食べないとお肉に憑いた卵が滴り落ちちゃうよ。そう思っていると、なぜかエミルはため息を付いてきた。


「シンデレラ、前から思っていたけど、それってわざとやってるの?」

「それって?」


 エミルの言っている事が良く分からない。見ると紫ずきんさんが見てはいけませんと言わんばかりに赤ずきんの目を塞いでいる。


「シンデレラ、赤ずきんの家を訪ねた時にどんな誤解を受けたか覚えてる?」

「どんなって……」


 そう簡単に忘れるわけが無い。そのせいでエミルは大変嫌な思いをしたのだ。だけど、どうして今その事を放すのだろう。


(……あ)


 エミルが言わんとしている事がようやく理解できた。全然そんな気はなかったのだけど、傍から見ればこのやり取りはまるで恋人同士のそれに見えてもおかしくはない。

 マズイ。ようやく自分のしている事に気付くと、箸を持つのに入れていた指の力が弱まり、そのまま、お肉は落下していく。


「あ!」


 瞬時に手を動かして、一度は箸を離れたお肉を落ちる前に再度捕まえる。危ない危ない。せっかく作ってもらったすき焼きを粗末にするわけにはいかない。

 とりあえずこのお肉は一旦お皿に戻し、私は赤ずきんと紫ずきんさんに向き合った。


「あの、誤解しないで下さい。私達は別にそう言う関係じゃないんです」


 そう言ったものの、紫ずきんさんは照れなくてもいいと言ってきた。


「アンタ達はまだ若いんだから、今のうちにたっぷりといちゃついておくと良いよ。そういうのは歳をとるとやり難くなるもんだ」

「だから違うんですって。誤解なんです」

「でも、さっき家の前でも……」


 一度は納得してくれたはずの赤ずきんまでそんな事を言ってきた。マズイ、このままではまたエミルの機嫌が悪くなってしまう。


「そりゃあそういう事に憧れが無いわけじゃないですけど、エミル相手には絶対に無いです」

「ちょっと待って、それは聞き捨てならないよ!」


 エミルは慌てているけど、安心して。しっかりと誤解はといておくから。


「エミルだけは絶対に、ぜっっっったいにあり得ません。だから誤解しないで下さい。何があっても、エミルをそう言う目で見る事はありませんから」


 ふう、これだけ言っておけば良いだろう。これでエミルも機嫌を損ねないはず。

 あれ、なんだかエミルが悲しそうな目をしている。けどそう思ったのはほんの一瞬、瞬きをした後には、エミルはすっかりいつもの優しい目に戻っていた。


(見間違いだったのかな?)


 そう思っていると、エミルがそっと言ってきた。


「君の気持ちはよく分かったよ。けど、それならもう不用意にあんな態度はとらないでくれると助かるな。あんまり度が過ぎると勘違いしちゃうから」

「うっ……ごめん」


 反省しています。それにしても、エミルのほほ笑みはやっぱり破壊力抜群で、思わずキュンとしてしまう。けど、ここでそれを顔に出してしまっては、せっかく説いた誤解をぶり返すことになってしまう。私は平静を装いながら言いう。


「わかった。今度から気を付けるね。誤解を生むのは嫌だから、二度とあんな事が無いように頑張る」


 これでエミルも許してくれたかな。気を取り直して昼食を再開しよう。


「だけどエミル、箸の持ち方は大丈夫?上手く挟めないんじゃないの」

「ゆっくり食べるから大丈夫だよ。少し食欲が無くなったから丁度良いし」

「食欲が無いって、もしかして具合でも悪いの?」


 だったら休んだ方が良いんじゃ。けど、エミルは首を横に振った。


「そういうわけじゃない方。ただ、さすがにこの短期間に二回も傷つけられたらちょっとね。せっかく作ってもらったんだから、君は気にしないで食べてよ」


 エミルはそう言って、本当にゆっくりと食事を続ける。ちょっと心配ではあるけど、私も気を取り直してお鍋に橋を伸ばすことにする。

 それにしても、このすき焼きは本当に美味しい。


「あの、これに使っているお醤油は、やっぱり買える時にまとめて買っておくんですか?」

「ああそうだよ。珍しい調味料だからね。だけどあんまり多く買っても、使い切らないうちに賞味期限が切れちまうからね。どれだけ買えば良いかが迷うところだよ」

「分かります。もっと流通してくれれば良いんですけど」


 お醤油が手に入り難いという事を話せる人と会った事は今までなかった。ようやく共感できる人と会えたことに喜びを噛み締めながら、昼食は進んで行った。



「紫ずきんさん、お願いがあります。私を弟子にして下さい」


 昼食も終了して後片付けの後、私は紫ずきんさんに言った。紫ずきんさんは驚いた顔で私を見る。


「弟子になりたいのかい?だけど私はもう引退した身だよ。教えられることなんてそう多くはないけど」

「そんな事ありません!」


 紫ずきんさんの料理には私の理想としている温かさがあった。さっきのすき焼きを食べて、料理について話をして、もっとこの人から料理を学びたいと強く思ったのだ。


「シンデレラ、本気なの?それじゃあ旅はどうするの。大陸中の料理を勉強するつもりだと思っていたけど」


 エミルの言うとおり、他の土地の食文化を勉強したいという気持ちももちろんある。するとそんな私の気持ちを悟ったように、紫ずきんさんが言ってきた。


「それじゃあ一ヶ月だけ弟子になるっていうのはどうだい。短い間だけど、それでも教えられる事はある。それが終わったら、また旅をすれば良いんじゃないかな」

「良いんですか?」

「構わないよ。私も昔はアンタと同じような事をしていたから気持ちは分かるし。私の料理が気にいってくれたなんて嬉しいからね」


 紫ずきんさんがそう言うと、赤ずきんが聞いてきた。


「お婆ちゃん、お姉ちゃんを弟子にするの?」

「ちょっとの間だけね。どうだい、赤ずきんも一緒に料理の勉強をしてみるかい」

「わたしはいい。ちょっと外で遊んでくる」


 そう言って赤ずきんは家の外へと出て行ってしまった。何だろう?急に態度がそっけ無くなった気がする。それに心なしか、何だか不機嫌そうに思えたけど……


「ちょっと様子を見てくるよ。もしオオカミが出たら危ないし」


 そう言ってエミルも後を追う。その姿を見送った後、紫ずきんさんが私に言った。


「弟子にするにあたって一つお願いがあるんだけど。たまにあの子の面倒を見てやってくれないかな」

「あの子って、赤ずきんのですか?」

「ああ、あの子の両親は共働きでね。いつも一人で留守番をしているんだよ。それが寂しくなると今日みたいに私の所に来るんだけど、アンタがいてくれたら少しは寂しくなくなるんじゃないかと思ってね」

「私に出来るでしょうか。でも、確かに一人でいるのは寂しいですね」


 私も旅をする前は家で一人で留守番をしていた事はよくあったから気持ちは分かる。だったら、少しの間だけでも力になってやりたい。


「どれだけ役に立つかは分かりませんが、そう言う事ならやってみます」

「ありがとう。料理修行の時以外で、あの子の遊び相手をしてくれればそれで良いから。あの男の子にもそう言ってくれるかい?」

「はい。エミルもきっと協力してくれますよ」


 エミルは優しいし、前にハーメルンの街のお団子作りの時子供の相手をした事があったけど、その時も懐かれていたから問題ないだろう。

 かくして私は、紫ずきんさんの弟子になる事が決まった。

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