番外編 シンデレラと王子と星の銀貨 3
手袋を少女に、マフラーをツバメにあげた後も一人エミルを待ち続ける。冷たくなった手をさすっていると、目の前を信じられないものが通過した。
(何あれ?)
それは下着姿の中年男性だった。その人は何を考えているのかそんな恰好で、この寒空の中を歩いている。
見間違いじゃないよね、歩いていたる街の人達は彼の姿を見て露骨に避けているし。
寒そうな格好をしている男性に声をかけようとしない街の人達を責めてはいけない。私だってあんな人と関わりたくないよ。
そう思っていたのに、その人はなぜか私を見るなりこっちに近づいてきた。
「すみませんお嬢さん、少し道を……」
男の口が開いた途端、私は背を向けて逃げ出した。こんなおかしな人と一緒にいたくない。しかし男は私の肩をがっつりと掴んできた。
「――ッ」
振り返るとそこには露出狂がいる。私は悲鳴を上げようとしたけれど、それより先に彼は言ってきた。
「待って下さい、私はただ道を尋ねたいだけです」
「嘘です。その手には乗りません。道を尋ねられても警戒はするようにエミルにも言われました!」
「いえ、本当に道を聞きたいだけですって。私が怪しい人に見えますか?」
怪しい人と言うか、危ない人だ。できる事なら一生関わりたくない、この人と悪魔が同時に手招きしていたら、悪魔の方に向かって逃げ出すかもしれない。
「放して下さい!大声出しますよ!」
「もう出してるじゃないですか。ええい、この紋章が目に入らぬか!」
そう言ってその人は、どこから銀細工で作られた紋章を取り出した。
「そんなものが何だって言うんですか……って、あれ?この紋章って?」
確かグリム大陸の隣、アンデルセン大陸にある巨大国家の王家の紋章のはずだ。
「本当は正体を隠すつもりだったけど仕方がない。実は私は一国の王なのですよ。君もこの紋章くらいは知っているでしょう」
確かに見おぼえがある。けど、信じられない。普通なら王様がこんな格好で街を歩いているわけないし。
「どうしてその王様がお供も連れずに他国にいるんですか?」
「他の国を学ぶためにお忍びで旅をしているんですよ。だから本当は正体を明かしたくはなかったのですが」
つまりはエミルと同じようなことをしているという事か。そう考えた途端、なんとも言えない嫌な気持ちになる。エミルをこの露出狂と並べて考えるというのは、いささか以上に抵抗がある。
「お忍びならちゃんと忍んでください。どうしてそんな目立つ格好を」
いや、目立つとか目立たないとかいう問題でもないか。すると男、もとい王様は驚いた顔で私を見る。
「お嬢さん、貴女はもしや私の服が見えていないのか?」
「え?見えるも何も、貴方は裸ですよね。現に他の人達もみんな避けてましたし」
すると王様は大きなため息をついた。
「何という事だ。実は私の着ている服は、バカには見えない服なんです。それなのに君もこの町の人も、誰も見えないというのか。まったく嘆かわしい」
という事は、私はバカという事だろうか。露出狂にそんなことを言われるのも悔しい。何とかしてそのバカには見えないという服を見ようと目を凝らしてみたけど。
(無理、何度見ても見えない。というか、裸のおじさんを見つめるのが無理)
すぐに諦めた。というより、本当にそんな服を着ているかどうなんて正直どうでもいい。それよりもこんな変な人と一緒にいる事の方が耐えられない。行きかう人が一緒にいる私まで奇異な目で見ていることが分かって辛いよ。
もうバカにされたっていいから、早くこの露出狂から解放されたい。だけど向こうは私を放す気は無いらしい。
自称王様は「まあいいと」言って気を取り直すと、地図を広げた。さっき紋章を出した時もそうだったけど、裸で手ぶらのこの人はどこにこんなものを持っていたのだろう。
「私はこの街のホテルに行きたいんだ。旅行ガイドにも載っているような大きなホテルなのだが、場所がよくわからん。教えてくれんか」
「そうは言いましても、私も地元民じゃありませんし……」
そう言いながらも地図を見てみたけど、なんだかおかしい。この地図って。
「あの、これってこの街の地図じゃありませんよ」
「何、そんなバカな。お嬢さんはバカだから何か勘違いしてるじゃないのか?」
その物言いにはカチンと来たけど、とりあえずスルーして話を進める。
「本当ですよ。この地図は隣の街のものです。ホテルも多分隣町にあるんじゃないですか」
「そうだったのか。ありがとうお嬢さん、貴女はバカかもしれないけど良い人だ」
「ドウイタシマシテ」
突っ込みどころは山ほどあるけど、一刻も早くこの人とは縁を切りたいから全部スルーしよう。
私が隣町への行き方を教えると、王様はまたも溜息をついた。
「それにしても隣町か。着くまでに凍傷になってなければいいけど」
「やっぱり裸じゃないですか!」
思わず突っ込んでしまったけど、王様はなおも認めようとしない。
「何を言っているんだ。服を着ていても凍傷になる時はなる。そんなことも分からんのか。やっぱりアンタはバカだな」
「どうでもいいですそんな事。何だか見ているこっちが寒いから、これを着て下さい!」
私は着ていたコートを脱ぐと、王様に差し出した。
「良いのか。いやー、助かるよ。いや、君には見えないだろうけど服はちゃんと着ているよ。けど、やっぱり重ね着をした方が暖かいからね」
「どうでもいいですから早く着て!」
そして早くどこかへ行ってください。差し出されてコートを受け取ると、自称王様は暖かそうにそれを羽織る。
「少し小さいな」
「仕方ないでしょう。女物なんですから」
「そうか。私は男なのに女物のコートを着ているのか。変な目で見られないだろうか?」
大丈夫。元々変な目でしか見られていません。人のコートを着ておいて贅沢を言えた立場でもないでしょうに。
「まあいいや。ありがとう、君には世話になった。ぜひお礼がしたいから、今度君の家に伺っても……」
「結構です!」
できることならもう二度と会いたくない。コートを羽織った王様は、上機嫌で隣町へ向かって歩いて行った。
疲れた。何だか色々あって凄く疲れた。思えばそう長くないに間にずいぶんと色んな人と会ったものっだ。
つい勢いで手袋もマフラーもコートも渡してしまったけど、こんなにも薄着になってしまってはかなり寒い。先ほど少女から買ったマッチに火をつけながら、わずかばかりの暖を取る。
(ああ、早く宿に行って暖まりたい)
マッチの火をじっと見つめながらそんな事を考える。すると不意に、だれかが肩を叩いてきた。
今度は何?私のシャツが欲しいっていう人でも現れたの?流石にこれ以上はあげられないよ。私は振り返らずにマッチの火を見つめる。
「……レラ」
例え寒さで震えている子供がいても、今にも死にそうな猫がいてもこれ以上何かをあげるつもりは……いや、程度によってはあげてもいいかも。困った時はお互い様だしね。だけどこんなことを考えてしまうから、エミルに心配をかけてしまうのだろうな。
「シンデレラ!」
大きな声で呼ばれ、思わず身を震わせた。
寒さで意識が朦朧としていたけど、そう言えばさっきから肩を叩かれたり声が聞こえたりしていたんだ。慌てて振り向くと。
「シンデレラ、大丈夫?ボーっとしているみたいだけど」
そこにはエミルが心配そうに私を見ていた。さっき声をかけてきた王様が強烈だったせいか、エミルの姿を見て安堵を覚えた。
「ごめんね、遅くなって」
エミルがそう言った途端、六時を告げる鐘が鳴り始めた。彼が時間に遅れたわけではなく、私が早く着すぎてしまっていたのだ。
「時間通りだよ」
「けど、ずいぶん待ってたんじゃないの?ていうか何、その格好」
私が寒そうな姿になっていることに気付いて、エミルは驚きの声を上げる。
「とにかくこれを着てよ」
エミルはそう言って自分のコートを脱いで私に差し出す。
「でも、それだと今度はエミルが寒くなっちゃうじゃない」
「僕の事はいいから。君、震えてるよ」
エミルは有無を言わさずに私にコートをかけてくる。少し大きめのコートはとても暖かく、少し迷ったけど、私は素直に袖を通すことにした。
「で、いったいどうしてこんな事になったの?」
「うん、実はね……」
私はマッチを売る少女の事、南の国に行き損なったツバメの事、露出狂の王様の事をエミルに話した。
エミルは最初こそ普通に話を聞いていたけれど、最後の方になると頭を押さえていた。
「シンデレラ、君には自愛心という物が無いの?」
「いや、無いわけじゃ無いんだけど……」
「だったら少しは自分の事も考えなきゃ。特に最後の奴。そんな変な人に声をかけられたなら相手が王様だろうと大声出すなりしなきゃ。王家の紋章だってニセモノで、王の名を騙っているだけかもしれないんだし」
そうだ、そんな可能性もあったんだ。
「それじゃああの人、ニセモノだったのかな?」
「いや、残念ながら本物だと思う。あの王の奇行は有名だからね。騙るにしてもわざわざあんな変な人を語ったりはしないと思う」
それじゃあ本物だったのか。あの人の国の今後が心配になってくる。
「とりあえず、宿にいそごう。そうだ、これも使って」
そう言ってエミルはマフラーを差し出してきた。
「いいよ、そしたらエミルが寒いでしょ。元々私の責任なんだし」
流石にこれ以上貰うわけにはいかない。だけどエミルはなおもマフラーを差し出してくる。
「いいから君が付けて。見ているこっちが寒いから」
私もさっき露出狂の王様を見て同じことを思ったばかりなので強く言い返すことはできない。結局押し切られる形でエミルからマラーを受け取った。
「ゴメンねエミル」
そう言ってマフラーを首に巻くと、幾分寒さが和らいだ。だけど隣を歩くエミルに目をやると、、当然だけど少し寒そうにしている。やっぱり返した方が良いかとも思ったけど、そう言ったところでエミルは絶対に受け取ってくれないだろう
。
(また、迷惑かけちゃったな)
しっかりしなくちゃと思っていたのに、これではいけない。申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「……ごめん」
再度そんな言葉が零れた。エミルはじっと私を見ている。呆れられているだろうか?するとエミルはこんなことを言ってきた。
「こういう時は『ごめん』じゃなくて、『ありがとう』って言ってくれた方が嬉しいな」
私は思わずエミルを見る。エミルからは怒った様子も呆れた様子も見られず、いつも通りの笑顔で私を見ていた。
「僕はキミがしたことを悪い事だと思っていないし、コートやマフラーを貸してることも嫌じゃないから、謝られても困るよ。それに」
エミルはそっと私の頭を撫でて言った。
「今日君が助けた人達だって、君に『ありがとう』って言ったんじゃないの?どうせ言ってくれるなら、僕だってそっちの方が良いよ」
そう言ったエミルが何だか眩しくて、私は思わず目を逸らした。
「ごめん。髪、乱れちゃった?」
エミルは髪に触れたことを怒っての反応だと勘違いしたのか、そんなことを言ってきた。けど、勿論怒ってなんかいない。私はまだ冷たい手で、ギュッとエミルの手を握って言った。
「……ありがとう」
まだエミルは直視できなかったけど、感じ悪く思われなかっただろうか。
そんな風に思っていると、不意にエミルがポケットから何かを取り出した。
「シンデレラ、君に持っていてもらいたい物があるんだ」
そう言ってエミルが取り出したのは、星のデザインが施された、見た事の無いの銀貨だった。
「これは星の銀貨と言って、ちょっと珍しい銀貨なんだ。もし君が今日みたいに誰かを放っておけなくなって、自らの物を手放して行ったとしても、これだけは持っていてほしい」
エミルはそう言って銀貨を私の手に握らせた。
「それは良いけど、そんな貴重な銀貨を、どうして私に預けるの?」
「ちょっとしたおまじない。こう言っておけば、君は絶対にこの銀貨を手放さないだろうし、何かあった時に今日の事を思い出して、自分の事も考えればいいなって思って。シンデレラの優しい所はもちろん好きだけど、度が過ぎるのは考え物だからね」
「それは……肝に銘じておく。ごめん……じゃなかった、ありがとう」
「どういたしまして」
エミルはそう言って笑い、私達は二人して宿へと歩いて行く。途中、エミルが思い出したように言った。
「実はその星の銀貨には、もう一つ大きな意味があるんだ」
「意味って、どんな?」
気になって聞いてみたけど、エミルは指を口に当てて言った。
「今はまだ教えられないんだ。けど、いつか必ずその意味を教えるから、それまで待ってて」
「うん、分かった」
私はそう言って、エミルの手を再び強く握った。
星の銀貨。それは王族の男性が女性に求婚を申し込む際に相手に渡し、婚礼の儀の際に妃から夫に返還され、それが親から子へと代々受け継がれていく、王家に伝わる由緒正しい誓いの銀貨。
シンデレラがこの銀貨の意味を知る事になるのは、もう少し先のお話。
シンデレラと王子と星の銀貨 終
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