シンデレラと笛吹き男 8

 笛吹きさんの笛の音を聞いている間は、頭がボーっとしていて怖いと思う余裕もなかった。だけど今は恥ずかしさで顔を上げる事も出来ない。


「エミル、そろそろ放してほしいんだけど」


 正気に戻ってから、私はエミルに抱きしめられたままだ。私の言葉にエミルも思い出したように手を放して私を開放する。

 エミルの登場と、解けた笛吹きさんの術。私は状況の理解が追い付かずに混乱していたけど、どうやらそれは笛吹さんも同じだったようだ。


「アンタ、いったいどんな手品を使ったんだ?俺の笛の音の術はそう簡単に解ける者じゃないぞ。まさか、抱きしめたら愛の力で何とかなりましたって言うんじゃないだろうな」

「愛っ?」


 笛吹きさん、発想が飛びすぎ。ほら、エミルだって困った顔をしているよ。


「貴方の言うとおりだったら良かったんですけど、現実はそんなロマンチックじゃありませんよ」

「だったら何だって言うんだ?実はあんたがスゴイ魔法使いだったとか?」


 笛吹さんが問うも、エミルはもちろん首を横に振る。


「貴方はシンデレラの料理への執念を分かっていない。彼女は呆れるくらいの料理バカで、僕の事よりも料理の方がずっと大事だっていう子だ。そのうえ鈍感で、全然気持ちに気付いてくれないような……」

「おーい、話が脱線しているぞ」


 笛吹きさんが言う。私もエミルが何を言っているのか分からずに、ただ混乱するばかりだ。


「ごめんエミル。状況がよくわからないんだけど」

「ああ、ゴメン。君の帰りが遅いから探しに来たら、君がこの笛吹きと一緒にいたんだ。だけど君はまるで催眠術にでもかかっているように呼んでも反応が無くて、心配したよ。彼の仕業だったんだろ」


 エミルは笛吹さんを睨む。けれど当の笛吹きさんはげんなりとした表情を浮かべている。


「確かに操ったのは俺だけどさ、こっちだって術を解かれてショックなんだぜ。しかも料理への執念で解いたってどういう事だよ。お前がその子に向かっていきなり団子の事なんて言うから何事かと思ったぞ」


 いくら呼んでも反応が無かったのに、お団子の話だととたんに目を覚ましたのか。呆れ顔をする笛吹きさんを見るとちょっと複雑だけど、ここは素直に料理好きで助かったと思っておくことにしよう。


「あれ、それじゃあ私を抱きしめていたのはどうして?」


 疑問に思ったので口に出してみると、とたんにエミルがバツの悪そうな顔をする。


「そりゃあ君が正気を失ったような眼をしていたら心配で抱きしめたくもなるよ。まあ、そうしたからって解決するわけじゃ無いけどさ。ゴメン、嫌だった?」

「ううん、全然嫌じゃないよ。それよりありがとう、助けてくれて」


 そういうとエミルはホッとしたように息をつき、それから私と笛吹きさんの間を遮るように立った。


「彼女に手を出すな」


 エミルは静かに、だけど強い声でそう言う。その目はいつもの優しい目とは違い、見たものを凍らせるような、冷たい目だった。

 こんなエミルを見るのは初めてだ。私が驚きのあまり声も出せないでいると、エミルは腰に備えていた護身用の剣に手を掛けた。


「ストップストップ。言っとくけど、俺はその子に危害を加えたわけじゃ無い。ただ笛を吹いていただけだぜ」


 確かに、笛吹きさんは笛を吹いていただけだ。たとえその笛に人を操る力があったとしても、それを立証させない限り、私に危害を加えようとしたとは認められないだろう。


「そうか。だけどこの街では笛を吹いたものは厳重な処罰を受けるという条例がある」

「ちょっと待った。そんなの初めて聞いたんだけど」

「僕が今作った。いや、今からじゃあ遅いか。昨日のうちに施行されたという事にしよう」


 エミル、それはいくらなんでも無茶だよ。いや、王子としての権限をフル活用すれば何とかなるかもしれないけど。


「ずいぶん無茶なことを言うねえ。そんなにその子の事が大事?」


 笛吹きさんがそう言うと、エミルは私を抱き寄せた。


「きゃっ、エミル?」


 驚いてエミルを見ると、彼は真剣な目で私を見た。そしてもう一度笛吹きさんの方を見て言った。


「当然だ。彼女は……シンデレラは僕の大事な人だ」


 瞬間、心臓が跳ね上がった。

 エミルが私の方を向いていなくて助かった。きっと今の私はゆでダコのように真っ赤になってしまっているだろう。

 エミルの言葉を聞いた笛吹きは、何が可笑しいのかククッと笑い出した。


「なるほど、そんなに大事ならそりゃあ怒るわな。いやー、悪かった。ちょっと悪ふざけがすぎた」


 そう言って笛吹きさんは振り返って背中を見せた。


「悪かったな。そのお嬢ちゃんがあまりに無邪気で無防備なもんだから、商売を邪魔された腹いせに、ちょっとからかっただけだ。何もしちゃいないから安心しな」


 本当にからかっただけなのだろうか。さっきは怖いと思った笛吹さんだったけど、今はちっともそうは思えない。


「さて、俺はもう行くとするかな。ネズミの被害が無くなった以上、この街にいても仕方がないし。じゃあな、同じ旅人同士、縁があったらまた会おうぜ」


 笛吹きさんはそう言って公園の出口へと歩いて行く。エミルは最後まで鋭い目つきのまま、彼から視線を放そうとはしなかった。

 やがて笛吹きさんの姿が見えなくなり、私はようやく声を出すことができた。


「エミル、もう放しても大丈夫だよ」

「あ、ごめん」


 慌てて私から離れる。エミルは謝って来たけど、別に嫌だったわけじゃ無い。それに、何だか申し訳ない気持ちになる。


「ごめん、心配かけちゃって」

「良いよ、君が無事なら。それにしてもあの笛吹きは……指名手配でもした方が良いかな」


 エミルはまだ少し不機嫌そうだ。けど。


「エミル、多分だけどあの笛吹きさん、本気で私を操ろうとはしていなかったんだと思う」

「えっ?」


 エミルが怪訝な顔をする。あんな目に合わされたのに笛吹きさんの事をフォローするようなことを言ったのだから、そんな顔もするだろう。だけど私は、どうしてもあの笛吹きさんが根っからの悪い人だとは思えなかった。


「もし本気で私を操っていたなら、多分エミルがお団子の事を言っても、私は元に戻らなかったと思うの」


 根拠なんてない。だけど前に酒場で、彼が笛で人を操るのを目の当たりにした私としては、そんな簡単に術が解けるとは思えなかった。

 ではどうして解けたのか。それはおそらく、彼が本気を出していなかったから。

「あの笛吹きさんが言っていたように、ちょっと怖がらせてやろうって思っただけだと思う。だから、指名手配まではしなくて大丈夫だと思う。多分だけど」

 そう言うとエミルは深いため息をついた。


「君は、本当にお人好しだね」


 う~ん、さすがに今回はそう言われても仕方がない気がするし、恐かったのも事実だ。笛吹きさんに迫られた時の事を思い出し、思わず身震いしてしまう。

「もう戻らなきゃいけないんだよね。遅くなるといけないし、そろそろ行こう」

 そう言って一歩を踏み出す。だけど。


(あれ?)


 踏み出した足に力が入らず、そのまま膝が崩れる。

 眼前に地面が迫ってくる。このまま転んでしまうと思ったその時、エミルが私の手を掴んでそれを止めた。


「危ない危ない。シンデレラ、本当に大丈夫?」

「あ、うん。大丈夫だよ」


 と言ったものの、やはり力が入らない。さっきまでの緊張が解けてしまってホッとしたせいだろうか。ペタンと地面に膝をつき、足が震えて立ち上がることができない。


「もしかして、腰が抜けてる?」

「……たぶん」


 恥ずかしかったけど、素直に肯定した。するとエミルはそっと私に肩を貸してきた。


「こうすれば歩ける?」

「何とか。ごめんね、迷惑かけて」

「良いよ。あんなことがあったら誰だって怖くもなるし」


 少し申し訳ないとは思ったけど、そのままエミルに身を預ける。このままイベント会場に戻らないというのはマズいし、大人しくするしかなさそうだ。けど、近くまで行ったら下してもらおう。この格好で戻る気にはなれない。

 そんな私の心中など知らず、エミルは平然と歩いている。


「やっぱり君がいないと、イベントが締まらないからね。皆君を待っているよ」

「そうなの?嬉しいな。でも、みんな喜んでくれてよかった。エミルもありがとうね。手伝ってくれて……」


 そこでふと、エミルの前に沢山の女性が列を作っていたことを思い出した。途端にまた胸の中がモヤモヤしてきた。


「ねえエミル……」

「何?」


 エミルがこっちを見る。だけど目が合って、私は言葉に詰まった。


(私、何を言おうとしたの?)


 まさか、何だかよくわからないけどモヤモヤするから接客を止めてくれなんて言ったら、エミルも良い気分はしないだろう。私が何も言えないでいると、エミルから喋ってきた。


「そういえば、今度は僕にも調理を手伝わせてくれない」

「え、エミルが料理を?」

「うん。ボクもたまには、君と一緒に料理を作ってみたいし」


 それは私にとっても嬉しい事だ。エミルと料理を作ったことは無いけど、私の夢を笑わずに、力になってくれると言ってくれた人だ。一緒に作ってみるのも面白いと思ったことも、実はちょっとあった。


「でも、エミルは接客の方が向いてるんじゃないの。さっきも女の子達が列を作ってたし」


 私のモヤモヤは置いておくとして、エミルの接客は成果を上げていた。それなら接客をした方が良いのではないだろうか。けれどエミルは怪訝な顔をする。


「それが嫌なの。何が悲しくて君の前で他の子と……」


 どういう事かはよくわからなかった。だけど、何だか胸のモヤモヤが消えた気がする。


「それじゃあ、作り方は教えるから、一緒に作ろう」

「ご指導お願いします、先生」


 そう言ってエミルは微笑む。

 笛吹きさんとの一軒はちょっと怖かったけど、エミルの笑顔はそれを癒すには十分の、安らげるものだった。



 会場に戻った頃には足に震えも収まっていて、私は問題なくお団子作りに戻って行った。

 その後イベント無事に終わらせることができ、ハーメルンの人達のお団子に対するイメージは正しい物にすることができた。

 ネズミの大量発生に笛吹き男。良くないこともあったけど生まれて初めての料理教室も開けたし、終わってみればハーメルンの街での出来事はそう悪いものばかりでは無かった気がする。


 今後私達の旅路には何が待っているのかは分からないけど、二人ならきっとやっていけるはず。今も傍らに立つエミルを見ながら、私はそう思った。




                     シンデレラと笛吹き男  終

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