シンデレラと笛吹き男 2

 日が沈み、辺りが暗くなったころ、酒場では酔っぱらった人達の楽しそうな声が響いていた。旅の疲れを癒そうと、皆顔を赤くしながら美味しそうにお酒を飲んでいる。

 私はというと、興味があるのはお酒よりお料理。料理というものは一見同じに見えても、地域によって味付けが異なっていたり、時には全く違う調理法だったりする事もあるのだから面白い。

 テーブル席でエミルと二人で料理を待っていた私は、運ばれてきたそれを見て思わず声を上げた。


「これがこの街の郷土料理ですか。王都ではあまり見かけませんね」


 運ばれてきたのは猪の煮物だった。本来固くて焼いても食べれない皮も、煮てしまえばトロトロの食感になる。コラーゲンも豊富で美容にも良いと、女性にも人気の逸品だ。


「この辺りには山が多いから、新鮮な肉が手に入り易いんだろうね」


 そう言いながらエミルはスープを口に運ぶ。そのスープの味付けも王都とは少し違う、濃い目の味付けになっていた。


「所変わればやっぱり味付けも変わるのね。香り付けは何を使っているのかしら」


 思考を巡らせながら、猪の肉を口に運ぶ。やはり町を代表する料理だけあって、その味は文句なしに美味しい。あっという間に食べ終えた私は、どうしてもレシピが知りたくなった。


「ちょっとお店の人にレシピを聞いてくる」

「うん。分かっていると思うけど、変な人について行っちゃだめだよ」

「大丈夫、子供じゃないんだから」


 エミルは心配症だなあ。私は席を立つと、カウンターの奥にいるマスターと思しき男性に声をかけた。


「すみません。ちょっと料理の事でお尋ねしたいのですが、よろしいでしょうか?」

「料理の事?すみません、うちの料理に何か不都合でも?」


 マスターがそう言ってきたので、私は慌てて首を横に振る。


「いえ、大変美味しかったです。それで、実は私、料理修業の旅をしているのですが、よろしければ、猪の煮物のレシピを教えてもらえないでしょうか」


 店によっては企業秘密だと言って教えてくれない店もある。だけどこの店はその限りではないようで、マスターは快く承諾してくれた。


「手が空いたらコックをよこすよ。それまでちょっと待っていてくれないか」

「はい。わざわざありがとうございます」


 私はカウンター席に座って待つ。何も頼まないのも悪いので、アップルジュースを飲みながら待っていると、隣でお酒を飲んでいた中年の男性が声をかけてきた。


「姉ちゃん一人かい。だったら一人者同士、俺と一緒に飲まないか?」

「え?いえ、私は……」


 連れがいます。そう言おうとしたけれど、それより早く男は私の肩に手を回してきた。


「あの、困ります」

「遠慮するなって。奢るから姉ちゃんも飲みなよ」

「そうじゃなくてですね……」


 どうしよう、私は酔っぱらいの相手をするのが苦手だ。家ではよく義姉さんが男に逃げられたと言っては一升瓶を片手にやけ酒を飲む事があったけど、その相手をするのがとても大変で、そのせいで酔っ払いに苦手意識がある。

 食事するだけなら問題ないだろうと酒場に入ったけど、こうなるのは予想外だった。エミルに助けを求めようにも、席が離れているから出来ない。そうして困っていると、不意に後ろから声がした。


「おいアンタ、この子が嫌がってるだろ。その手を放してやりな」


 驚いて声のした方に目を向けると、そこには一人の青年が立っていた。しかしこの人、何と言うか……かなり派手な格好をしている。緑を基調とした服に、赤や青の装飾品をこれでもかと付けていて、もしも町ですれ違ったら思わず二度見してしまうだろう


 (奇妙な格好だけど、もしかして奇術師か何かかな?)


 そんな事を考えていると、派手な服のその人はこっちに近づいてきて、私の肩に回されていた男の手を払いのけてくれた。


「何すんだお前は。関係無い奴は引っ込んっ出ろ」


 中年の男性が不機嫌そうに声を荒立てる。よほど腹が立ったか、立ち上がって青年の胸ぐらをつかんだ。

 今にも喧嘩が始まりそうなピリピリとした空気になる。けれど、青年は余裕の表情だ。


「怖い怖い、喧嘩は嫌いなんだよな。その手を引っ込めてくれないか」

「うるせえ!お前が売った喧嘩だろう」


 中年の男は酒が入って興奮しているのか、かなり怒っている。すると青年は腰に下げていた何かを手に取った。


「仕方ない。本当は披露するつもりなんてなかったんだが。アンタ、運が良いな」


 青年が手にしたのは細長い横笛、ピッコロだった。青年は胸ぐらをつかまれていることなど気にする様子もなく、そっと笛に口をつけた。そして……

 瞬間、透き通るような美しい音色が響いた。

 さっきまでのピリピリとした空気なんて一瞬で消え、酒場の誰もが彼の方を振り向いている。


(…………綺麗)


 私も思わずその演奏に聞き入ってしまう。その音色は前に忍び込んだお城の舞踏会で聞いたものよりも優雅で、料理馬鹿の私が一瞬レシピの事も忘れてしまうほどだった。

 胸ぐらをつかんでいた中年男も手を放す。

 彼にはさっきまでの興奮した様子は見られず、何だか目が虚ろになっている。ああ、きっとあの人もこの綺麗な音色に聞き入っているのだろう。そう思ったけど、彼はそのまま席を立って歩き出した。

 どこへ行くのだろう。そう思ってみていると、彼は店の出口から外へと行ってしまった。


 まだ演奏中なのに、彼の笛の音が気に入ってたのではないのだろうか。不思議に思っていると、いつの間にか演奏を終えた青年が言ってきた。


「アンタも災難だったな。こういうところに女の子一人で来るもんじゃないぞ」


 いえ、連れがいるんです。だけどそう言うよりも先に、私は彼に聞きたいことがあった。


「あの、さっきの人に何かしたんですか?突然出て行っちゃいましたけど」

「ああ、あれね。まあ初めて見たら不思議に思うよな。手品の種はこの笛さ」


 そう言って青年はさっきまで吹いていた笛を見せてきた。


「俺の吹く笛には魔力が込められている。ひとたび笛を吹いたらその音を聞いた人間も動物も、俺の意のままに操れるって訳だ」

「そんな事ができるんですか?」


 にわかには信じられない話だ。だけど実際さっきの男性は演奏に合わせるかのように出て行ったわけだし。

 半信半疑で青年を見ていると、話を聞いていたマスターが言った。


「そいつの言っていることは本当だよ。さっき嬢ちゃんが食べた猪も、こいつが笛を吹いておびき寄せたのを捕まえたものなんだ」

「ええ、そうなんですか?」


「ああ、こいつは少し前からこの町に滞在していて、皆は笛吹きって呼んでいる。笛を吹いては狩りを手伝っているんだよ。まあ、法外な金を要求してくるけどね」


 マスターが言うと、笛吹きさんは心外だなと言ってきた。


「俺がいれば安全に狩りができるだろ。そのうえ極上の演奏も聞けて一石二鳥。アンタだって沢山猪が取れた方が店に仕入れられて助かるだろう」

「確かにね。だけど笛吹き、お前さんさっきの男から、金を受け取ってないのに返しちゃったね。アイツの飲み食いの分はアンタに払ってもらうよ」

「そんなぁ、俺はこの子を助けただけだって」


 笛吹はマスターに泣きついたけど、マスターは払えの一点張りだ。笛吹きさんは観念したように、私の隣の席に座った。


「すみません、私のせいで。あの、お金は私が……」


 払いますと言おうとしたけれど、笛吹きさんはそれを制した。


「ちょっと待った。助けた女の子からお金なんて取れないよ」


 そうは言われても、これでは笛吹きさんに悪い。だけどいくら言っても、彼は受け取ってくれそうにない。

 助けてくれたことといい、どうやら彼は紳士的で良い人のようだ。そう思った時。


「その代わり、酌をしてくれない」


 私の腰に手を回してきた。

 前言撤回。どうやら彼もさっきの中年男性と似たようなものらしい。いや、酒を飲んだ様子もなくシラフな分、余計にたちが悪いかもしれない。


「あの、私は……」

「良いでしょう、酌くらい。君は可愛いし、酌をしてくれれば貸し借りなしにしてあげるからさ」

「か、可愛いって」


 初めて言われたかもしれない。今まで家で家事ばかりやっていた私は、容姿を褒められるのに慣れていない。思わず赤面してしまう。


「真っ赤になって、本当に可愛い奴だ」


 笛吹きさんは肩に手を回して私を抱き寄せる。

 これは良くない。けれどさっき助けられたのも事実だし、ここはさっさとお酌をしてこの場を離れてしまおう。諦めてお酒の入った瓶を手にとった時……


「何やってるの、シンデレラ」


 振り返ると、そこには不機嫌そうな顔をしたエミルの姿があった。


「エミル、いつからそこに?」

「帰りが遅いから様子を見に来た。話を聞いていたのは、君が可愛いって言われた辺りからかな」


 あれを見られてしまったのか。恥ずかしくてまたも顔が火照ってしまう。そんな私の信条などお構いなしに、エミルは私を笛吹きさんから引きはがした。


「どういう事さ?シンデレラ、僕が可愛いって言ってもさっきみたいな反応はしなかったよね。まさか、こういう人が好みなの?」

「え?違う違う」


 エミルたまに変なところを気にするな。それに……


「私、エミルに可愛いなんて言われたことあったっけ?」

「言ったよ」

「そうかなあ、綺麗だって言われた事はあった気がするけど」


 そう言われて、エミルは黙り込んで考える。


「そう言えば、そうだったかも。でもっ」

「それにエミルはそういう事言うのに慣れてそうっていうか、社交辞令で言ってるんでしょ。だから反応が薄かったんだと思う」


 多分だけどね。けど、私の話を聞いたエミルは悲しい目をしている。


「本気だから!今まで言ったの全部。これから先君に言っていく事もまごうことなく本気だから!」


 珍しく大きな声を出したエミルは、疲れたように私の横の席に座り、ブツブツと何かを呟いている。


「どうしたらわかってもらえるかな。シンデレラは『綺麗』よりも『可愛い』って言われた方が喜ぶのか?」


 難しい顔をするエミル。その真剣さに、私はつい心配になってしまう。


「エミル、大丈夫?気分でも悪いの」

 ひょっとしたら今日一日歩いて、疲れでもしたのだろうか。

 エミルの様子をうかがっていると、すっかり忘れていた笛吹きさんが声を上げた。


「なんだ、連れがいたのか。だったら言ってくれれば、俺も無理に誘ったりしなかったのに」


 笛吹さんはそう言って立ち上がった。いや、言おうにも笛吹きさんは喋らせてくれなかったんだけどね。


「嬢ちゃん、あんまり王子様を不安にさせるんじゃないぞ」

「エ、エミルは王子様なんかじゃありません!」


 エミルの正体がバレたのかと思いドキリとする。だけど笛吹さんはそれ以上何も追求せず、マスターに代金を支払った。


「あの、すみません。結局さっきの人の分も払っていただいて」

「なあに、かまうことは無いさ」

「全くだ、シンデレラの肩に手を回したんだ。それじゃあ安すぎるくらいだ」


 いつの間にか正気を取り戻したエミルがそんな事を言う。


「怖い怖い。まあ、本当に気にすることないから。何せもうすぐ大儲けできそうなんだからな」


 大儲け?笛吹きさんは何やらニヤリと笑っている。その様子を見てマスターが言う。


「おまえ、また変な商売を考えたのか?」

「正解。マスター、ハーメルンって街を知っているだろう」


 ハーメルンの街は私も知っている。川沿いの街道を進んだ先の、私達の旅のルートにある大きな街だ。


「そこで最近大量のネズミが発生して、街の人は食べ物を食い荒らされて困っているって話だ」

「食べ物をですか?」


 思わず声を上げる。するとエミルも再び難しい顔をする。


「この時期にネズミの発生か。マズイね」


 もしハーメルンの街が食糧難に陥ったらどうなるだろう。もしかしたら、ヘンゼルとグレーテルのように口減らしをされる子供も出てくるかもしれない。だけど笛吹さんは陽気に言う。


「そこで俺の出番ってわけ。俺が笛を吹けば、ネズミ達はその音色に操られて街から出て行く。ネズミがいなくなった街は平和になりましたとさ」


 楽しそう語る笛吹きさんの話を聞いて、エミルが私に聞いてくる。


「笛で操るってどういう事?」

「あ、実はね……」


 私はさっき酔っぱらいに絡まれた事。笛吹きさんが酔っぱらいを笛で操った事を話した。


「何てことだ。それじゃあシンデレラ、君はこの笛吹き以外の男にも絡まれてたの?」

「驚くとこそこッ?」


 私達がそんな話をしていると、マスターがため息をつきながら言う。


「で、お前は報酬をたっぷりせしめるって訳か」

「当たり。ネズミの被害が無くなるんだ。きっと大儲けができる」


 ハーメルンは面白そうに笑う。するとエミルが不機嫌な声で言う。


「街の人達の弱みに付け込んで商売をする気?」

「いいだろ。ネズミのせいで困ってるのは事実なんだから、それを解決するのは悪い事じゃない。街を救うんだから、報酬を貰ったっていいだろ」

「確かにハーメルンの街には、貴方のような人が必要かもしれませんね。貴方の人間性はともかくとして」

「それはもう言われ慣れてるよ。アンタはそんな街の事より、そこのお嬢ちゃんの事をもっと気にかけた方が良いぜ。王子様」


 笛吹きさんはそう言って酒場を出て行き、私達はその背中を見送った。


「あの、エミル。気を悪くしないで。多分そんなに悪い人じゃないから」


 そう言ったけど、やはりエミルは不機嫌そうだ。


「もう宿に戻ろう。また君がだれかに声を掛けられないか心配だ」

「いや、いくらなんでももうないよ」


 すでに二度声を掛けられたのだ。これ以上そんな事は起きないだろう。けど、エミルは不機嫌そうだし、ここは言う通り宿に戻った方が良いかな。


「おや、行っちゃうのかい。今コックの手が空いたから、料理について教えようと思ったのに」


 マスターがそう言った途端、帰りかけていた足をカウンターに向ける。


「本当ですか?」


 慌ててメモ帳とペンを取り出す。私としたことが、レシピの事をすっかり忘れてしまっていた。


「シンデレラ、帰るんじゃなかったの?」


 エミルがそう言ってきたけど、ゴメン。エミルには悪いけど、料理の取材には代えられないの。


「ゴメンね。そんなに時間は掛からないと思うから、エミルは先に宿に戻っていていいよ」

「そう言うわけにはいかないよ。君には警戒心って物がないの?」


 エミルは結局取材が終わるまで待っててくれた。店の人達はレシピを丁寧に教えてくれて、旅の始めとしては上々の成果を上げる事が出来たのだった。

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