第5話 少女と美容師と少女の父親
二人が和む時間も長くは続かなかった。
ふいに店のドアが開き、店内に入ってきたのは、ベージュのコートに身を包み、大柄で鋭い目といかつい顔をした男だった。
背が高くガッシリとした体つきのその男は、驚く弘前を尻目に剣呑そうな態度で店内を見渡し、その後ゆっくりと三秒くらい弘前を見つめてから口を開いた。
「弘前さんでしょうか。わたくし、間宮ミサキの父のタカフミです」
低音の、とても優しい音を響かせた挨拶だった。
「あ……、ああ! これはどうも」
眼力に思わずたじろいでいた弘前は、ようやくそれだけの言葉を口にできた。
「この度は娘がご迷惑をおかけしました」
タカフミが深々と頭を下げて謝罪する。
見た目の印象とはまるで違う低姿勢だった。
「とんでもないですよ! 電話でも言ったとおり迷惑とか思ってないです!」
「いえ、親の監督不行き届きです」
弘前は慌てるが、タカフミは下げた頭を戻そうとしない。
「頭を上げてください! 困りますから!」
「……それでは」
タカフミは弘前の懇願でようやく頭を上げ、そしてミサキの方へ顔を向けた。
「ミサキ」
「……」
タカフミが声をかけるが、ミサキはカッティングチェアに座ったまま、振り向きもしないし返事もしない。
「ミサキ」
「……」
もう一度呼びかけるが、やはり返事をしない。
「ミサキ」
「……はい」
3度目の呼びかけでようやく返事をする。だが相変わらず父親の方を見ない。
見ている弘前のほうがハラハラしてきた。
「こんな時間に出歩いてはいけない。お母さんも心配する」
「……うん」
「私だって心配する」
「……うん」
「外出するならするとちゃんと言ってくれれば、私もお母さんもミサキの話を聞く」
「……うん」
「……」
「……」
ぽつりぽつりと娘を叱る父親の姿は、ひどく不器用そうで、きっと子供に怒ったことがあまり無いのだろうな、と、弘前は思った。
挙句二人は気まずそうな表情で黙り込んでしまった。
一人は困った顔で。
一人はしょんぼりとして。
弘前の体感で一時間ほどが経った頃、実際の時間にして30秒ほど黙っていたミサキが口を開いた。
「ごめんなさい……」
「……ん」
それっきり、また二人とも黙り込み、気まずい空気が漂う。
弘前の体感で二時間ほどが経った頃、実際の時間にして1分ほど黙っていたタカフミが口を開いた。
「似合ってるぞ」
「え?」
思わぬ言葉にミサキがタカフミの方を振り向くと、タカフミは少し照れた人の顔でもう一度呟いた。
「髪、似合ってる」
「……ありがと」
ミサキが照れたようにはにかむ。重かった空気がようやく少しゆるんだ。
不器用な父親は娘の謝罪を受け入れたようだ。
弘前も少し微笑んだ。
親子の関係が少し落ち着いた所で、ミサキに帰り支度をさせた。
カットクロスを脱がせ、体についた髪の毛を払い、熱い濡れタオルで顔を拭かせる。
いつものカットコースなら最後に洗髪して切った毛を流すのだが、今日はもう遅いし、迎えも来てしまったのでやらない。
「だから、家に帰ったらお風呂入って髪の毛を洗ってね」
「はいっ!」
そう説明すると、ミサキからは素直な返事が返ってきた。
髪型が本当に気に入ったようで、笑顔で毛先をいじっている。
「ご迷惑をおかけしました」
タカフミが再度謝罪してくる。
「ミサキ。お前も」
「わかってるよ。……あの、ごめんなさい。」
「いえいえ。ほんとうに迷惑じゃなかったですから」
電話のときは社交辞令で言ったが、正直に言えば、本当にそう迷惑でもなかったというのが本音だ。
「また髪を切りに来ていいですか?」
会計を済ませているときにミサキが聞いてきた。
「いいよ」
「ホントに?」
「ホントに」
「やった」
ミサキが笑う。この笑顔でお釣りが来る程度の迷惑だ。
ミサキの髪は本当に美しかった。
あの髪が見れただけでも儲けものだった、と、弘前は思う。
ましてやそれをカットできて、しかも出来を気に入ってくれたのだから言うことはない。
「ありがとうございます」
タカフミも感謝を示してくれた。
「奥さんにもよろしくお伝えください」
そう弘前が話すと、タカフミは少し首を傾げた。
「妻をご存知なのですか?」
するとミサキが父親の袖を引っ張って事情を説明してくれた。
「おかあさん、いつもここに髪を切りに来てるんだよ」
「ああ、そうなのか。だからここに髪を切りに来たのか?」
「うん。おかあさん、いつも美容院行くときれいになってたから」
なるほど。地道に働いてたのが知らずに営業に繋がってたんだな……、感無量だ。
「そういえば、奥さんは?ご自宅ですか?」
迎えに来たのは旦那さん一人だ。ヒロミさんはどうしてるのだろう。
「ああ、妻は用事で出ています。戻ったら伝えておきましょう」
そう言ったタカフミの袖をミサキがもう一度引っ張った。
「おとうさん」
「ん?」
「おかあさんには言わないで」
意外な言葉が出てきた。
「あの……、弘前さんも言わないでください」
「え?僕も?」
思わぬところから弘前にまでボールが飛んできた。
険しい顔で……というより苦虫を噛み潰したような顔でタカフミはミサキの言葉を拒絶する。
「それは……だめだ。弘前さんにまでこんなことで迷惑をかける訳にはいかない」
「おねがい」
ミサキはなおも食い下がる。
「どうしてだ?」
「……言いたくない」
「言いたくないではすまないだろう。ましてやお母さんまでここにお世話になってるのだったらなおさらだ。話しなさい」
「……」
黙り込んでしまったミサキに、タカフミは困ったような顔で弘前の方を見てきた。
……この人、怖い顔して娘に甘いな。
「僕は構いませんよ」
しょうがないので弘前は乗ることにした。
「よろしいのですか?」
「ええ、まあ」
あんまり良くもないが、まあ別にかまわないだろう。
どちらかというと、ここでぐずられて親子ケンカを始められる方が困る。
夜も遅いし近所迷惑だし何よりうちの評判に関わる。
零細自営業は小さな悪評も命取りになることがあるのだ。
「でも、髪を切ったことをお母さんにどう説明するの?」
「……自分で切ったことにする」
質問した弘前にミサキはそう答えた。
――いや、無理があるだろうそれは。
弘前自身でもかなり上出来だと思うそのヘアスタイルは、どう考えてもプロの仕事だ。
逆立ちしたって小学生に出来る技術じゃない。だが、
「なるほど」
その手があったか、みたいな顔でタカフミが頷いた。
「いやいや」
「そう! だからみんなで隠し通せばきっと大丈夫!」
同調してくれた父親に勢いづいたミサキが叫んだ。
「いやいやいや」
「うむ」
タカフミもこれならば、みたいな顔でもう一度頷く。
「いやいやいやいや」
「ですよね?」
弘前の方を向くミサキとタカフミ。
「いやいやいやいやいや」
……ということがあったのが昨日の夜の話。
あのままなんとなく勢いで押し切られた弘前は、何も言えないまま二人を帰した。
そして次の日、ミサキの母、間宮ヒロミがやってきた。
あんな理屈じゃどうせすぐバレたのだろうと思っていたのだが、ヒロミは娘のことについては何も言わず、いつも通りにカットを注文してきた。
何をどう言われるかと身構えていた弘前は、
――あの言い訳が通ったの?まじで?
と思いながらも半信半疑で、とりあえず前日のことには何も触れずにとぼけて
自分を業務を遂行した。
いつものカットを希望されて、いつものように世間話をして、いつものように終わらせる。
そして帰り際、どうやら彼女は本当にアレに騙されたらしい、と弘前が確信した矢先に、爆弾を落とされた。
これが今日の話。
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