第3話 少女と美容師 その2

 話は前日の夜に戻る。


「間宮と言います。間宮ミサキです」

現実味のない風景に見とれていた弘前の前で、女の子はそう名乗った。

長い髪を恥ずかしがって、できるだけ見せないように隠しながら。

……あまりに長すぎて隠しきれてないけど。


「これの、カットをお願いしたいんです」

間宮ミサキはそう言って、またうつむいて黙り込んでしまった。


 …いや、違う。

黙り込んだのではなく、こちらの返答を待っているのだろう。

少なくとも弘前に、目の前の女の子はそう見えていた。


 ……というか、間宮さん?

「間宮って、もしかして間宮ヒロミさんの娘さん?」

「はい、お母さんです。ここの常連だって聞いています」

「ああ……」

言われてみると少し面影がある。

お母さんも美人だから。この子も将来は美人さんになることだろう。 


 …いやそんなことは今はどうでもいい。

今はカットするかどうかを考えなくてはいけない時だ。

思わず思考がそれてしまったが、改めてどうするべきか考え直す。


 まず、カットすること自体は問題ない。

長過ぎる髪をスパッと手頃な長さに切って、あとはいつも通り要望を聞いて整えればいい。

 でも、この長さは明らかにおかしい。異常だ。

ぱっと見でも2メートルくらいはある。

彼女の若さでこんな長さになることはまずありえない。

そのありえない長さの髪が目の前で実際にあるというのに、ありえないと言うのもおかしな話だが。

とにかく彼女、間宮ミサキに込み入った事情があるのは間違いがない。


 ふと、彼女を見る。

彼女は緊張した面持ちででそこに佇み、小さい身体を少しだけ震えさせていた。


 ……考えてみれば、多感な時期の女の子が、この長い髪の毛を抱えて、どうやって生きてきたのだろう。

人と違うということは長所にもなるがコンプレックスにもなる。

長過ぎる髪の毛は間違いなく、外を歩くたびに好奇の視線に晒されてきたことだろう。

 どんな事情があるのかはわからないが、大人しそうな彼女にはとてもつらかったろうに思う。

いや、今、知らない男の前で髪の毛を見せること自体、きっと苦痛だろう。

目の前で震えている彼女からは、それが容易に想像できた。


 ――髪の毛を切ってあげることで、それが解消できるなら切ってやればいいじゃないか。

弘前はいつの間にか、そう考えるようになっていた。

――カットとスタイリングで人を魅力的に見せて、お客さんに自信をつけさせるのが美容師の本分だ。

――それに彼女にどんな事情があろうとも、こっちはただの美容師なんだから、お客が希望しているとおりに切ればいいだけの話じゃないか。

――そうだ。美容師とはそういう仕事だ。


 そしてふと、自分が断る理由よりも受ける理由を探していることに気がついた。

こうなったらもうしょうがない。

「わかった。カットしよう」


「本当ですか!?」

うつむいていたミサキの顔が上がり、ぱあっと笑顔へと変わった。

「よかった…。ありがとうございます」

安心したのか目に涙まで浮かべている。

喜んでもらえるなら何よりだ。

「でもその前に、間宮さん」

「あ、ミサキでいいです」

……いいのか? ……いいか。

母親の間宮ヒロミの方は間宮さんと読んでいるから、差別化が出来る。

「じゃあ、ミサキちゃん、君にいくつか聞かなきゃいけないことがあります」

「はい?」

小首をかしげてキョトンとした顔になった。

「ご家族は、君がうちで髪を切ることを知っているの?」

「ええっと、それは……」

と思ったら目をあらぬ方向にさまよわせて、とぼけるような顔になった。

「知らないようなら切ることは出来ません。その長さの髪の毛だと、さすがに切る前にご両親の許可を受けたほうがいいと僕は思う」

 普段ならそんなわざわざ許可を得るようなことはしないが、彼女の髪の毛はあまりに長すぎた。

それに子供が一人で夜遅くまでいるのも問題がある。その上貴重な常連の娘さんだ。

 彼女に事情があろうが、切りたいと思っていようが、せめて親の許可は受けておきたい。

「…………」

眉を曲げた困り顔で黙り込んでしまった。

……意外と表情豊かだな、この子。

「許可がないなら、承諾をもらってからまた来なさい。いつでも待ってるから」

「ちがっ、違うんです! お父さんもお母さんも、私が髪を切ることは知ってるんです!」

わたわたと手を振り、焦り顔で言い訳をし始めたと思ったら、

「でもあの、ここに来てることは知らないっていうか……、その……」

今度はモジモジし始めた。


 コロコロと表情を変えていくミサキを見るのがちょっと面白くなりかけた弘前だが、頭は別のことを考えていた。

――彼女の言っていることは、どうも要領を得ない。

 素直に聞けば、親は娘が髪を切ることは知っているが、ここにカットに来ていることは知らない、ということになるが、そんなことがありうるのか?

 足先まで伸ばした髪の毛を切るなんて、とても大きな決断のはずだ。

大人でもそうだろうに、ましてや彼女はまだ子供だ。

せめてどこの店へ切りに行くのかくらいは、家族に伝えておきそうなものだと思う。

そうしていないということはもしかして、本当のところは、髪を切るのを反対されてるんじゃないのか、と。


「……親には、自分で切るって言ったんです。でも、……あの、やっぱり、……切ってもらいたくて」

「……ああ、なるほど」

いざ自分で切ろうと思ったけど、変な髪型になるのが怖くて勇気が出なかったのか。

ぽつぽつと話すその理由は、言われてみればなるほどと感じるような、説得力があるように思えた。

 でも、

「それだけじゃダメだな」

「ええっ! どうしてですか!?」

自分の言葉をスパッと切り捨てられたミサキの黒髪が一瞬ブワッと浮き上がった。

……これは驚きを表現しているのか?

「まず、君の話は信用するけど、十分とも言えない。次に、子供が夜遅くに出歩いていることも少し不安だ。」

「そして最後に、君の言葉を信用したとしても、やっぱり親御さんへの確認は取るべきだと思う」

「……信用するって言ってますけど、信用されてないですよね私?」

「そんなことはないよ?」

ニコッと笑う。

まったく信用してないわけじゃないから、嘘はついていない。

弘前は作り笑顔の裏でこっそり、そう思った。


 それでもカットしてほしいと粘るミサキに対して、弘前は1つ妥協案を出した。

―――今日カットしてほしいのなら、親に電話して確認を取る事。

渋々と言った感じでミサキはその条件を飲んだ。

 そして今、弘前から少し距離を取った所で電話をかけている。


……もしもし、あ、おとうさん? うん、私。あのね、今、美容室にいるの。……うん、そう。やっぱりちゃんと切ってもらおうと思って……


 端々から聞こえてくる言葉から察するに、どうやらミサキは本当に嘘をついていなかったようだ。

少し安心すると同時に、信用しなかったのは申し訳なかったなと、弘前は思った。

 そうしているうちに父親との話が一段落ついたのか、ミサキは自分の長い髪の毛に少し足を取られながら、危なっかしげにとてとてと弘前のところへ近づいてきて、携帯電話を差し出した。

「おとうさんです。確認してください」


 電話を受け取って、父親と挨拶を交わす。

「……もしもし、はじめまして。美容室フィリアの弘前と申します」

「はじめまして。間宮ミサキの父親の間宮タカフミです。この度は娘が夜分にお伺いしてご迷惑をおかけしているようで、誠に申し訳ありません」

低音で、人を落ち着かせる優しそうな声の人だった。

「いや、そんなとんでもないです。こちらには何も迷惑になるようなことはありません」

「そう言ってくださると助かります」

 社交辞令だったが、わりと素直に受け取ってくれたようだ。声だけでなく本当にいい人っぽい。

ちょっと嫌味っぽかったかなと、弘前は自分の言葉を恥じた。

反省する弘前の横で、ミサキは自分の髪の毛をねじって遊んでいた。


「それで、ミサキさんの髪の毛の件なのですが、本当に切ってしまってよろしいのでしょうか」

「はい。娘が切りたいと望んでいるのでしたら、構いません。よろしくお願いいたします」

「……そうですか。承りました」

どうやら特に問題は起こらないようだ。

安心している弘前の横で、ミサキは自分の髪の毛をくるくると身体に巻いて遊んでいた。

「髪型はミサキさんの要望通りで構いませんか?」

「はい、よろしくお願いいたします。散髪が終わる頃にそちらへ迎えに伺います」

「わかりました。それでは「あの、弘前さん」

弘前が話を終わらせようと思ったところをタカフミは遮って

「弘前さんは、その、……娘から事情を聞いておられるのでしょうか」

唐突にデリケートな部分を聞いてきた。


「……事情とは?」

「……」

わざわざ聞くまでもない。タカフミの無言がその証明だ。娘の異常に長過ぎる髪のことに決まっている。

まさかあちらから聞いてくるとは思わなかった。こっちはスルーしようと思ってたのに。

「詳しいところは何も知りません。お客様が話されたくないようなことを聞き出すことは出来ませんし。それに」

「それに?」

「私は美容師ですから、お客様の要望通りに髪を切るのが仕事です」

電話越しにタカフミの、長く息を吐いた音が聞こえた。

「……そうですか。あなたのような人でよかった」

なんだかいい人だと思われたような気もするが、正直にそんな地雷原みたいなところへ突っ込む勇気なんかないわとは言えない。

ため息をつきたいのは弘前の方だった。

そんな弘前の横を横目に、ミサキは髪の毛で遊ぶのに飽きたのか、弘前から少し離れて店に置いてある雑誌を広げていた。


 タカフミはさらに続けた。

「実のところを言うと、そんなに大した事情があるわけでもないんです」

ウソだ。

思わず喉から出かかった言葉をどうにか飲み込んだ。

あんな髪の毛にまつわる事情が大した事情じゃないハズがない。

「本当です。聞いたらなんだそれは、と肩透かしを食うような、そんな程度の話です」

「はあ」

絶対ウソだ。

「とは言っても、色々な意味で、私から話せることではないんですが……」

「はあ……」

「いずれ、時期が来たら、娘から話す機会がくるかもしれません。その時はよろしくお願いします」

「はあ……」

何をどうよろしくすればいいのかまったく掴めないまま、会話は終わり、電話は切れた。


 まあ、ともあれ、親の許可は取った。

「ミサキちゃん、電話終わったよ」

振り向くとミサキは女性雑誌の恋愛特集ページを熱心に読んでいて、弘前の話を聞いていなかった。

意外と自由な子だな、この子……。

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