6 休まらない休日
魔女と呼ばれる者たちが居る。
あらゆる世界において、そこに住まう人間が魔法と呼ばれるような超常現象を操るのは、先に何らかの理由があって、それの副産物として魔法の力を得ることが多い。いわば、借り物の力。
しかし、魔女は違う。彼女たちは自分の体内に唯一無二の力を保有する。単純な魔法の威力という点であれば、人間のそれを遥かに上回り、なにより自分自身の力でそれを行使するのだ。魔女と人間の違いは、その一点に他ならない。
魔女はその力によって、自らの寿命すらコントロールできる。恒久的とはいかないが、それでも数百年、数千年の時間の流れの中、変わらない姿のまま生き続けるのが普通だ。たまに人間界に降りては、人間の男と恋に落ち、交わる者もいる。生まれた赤子が男子であれば、そのまま人間界に、女子で、かつ素養が認められれば、魔女の世界に召し上げられることもしばしば。基本的には魔女には魔女独特のコミューンがあり、ウィッチクイーンと呼ばれる女王を頂点とした小規模共同社会があった。
魔女リピカが母親のウィッチクイーンから受けた使命は、宇宙の記憶アカシック・クロニクルの管理補佐である。当時アラクサラという管理人が居たのだが、その管理は非常に多忙を極め、ひとりでは手が回らなくなっていたところへの計らいなのだろう。
やがて、アラクサラがコミューンから逃走し、リピカにその役目が降りてくる。それ自体を恨んでいるわけではなかったが、やはり友人として何の相談もなしに突然だったことは激しく動揺した。
死者は何も語らない。
アラクサラの胸中など、誰も窺い知ることは、もう出来ない――
そう思っていた。
リタルダント・テレスに魔女と名乗る者が突如現れたという話が流布したのは、もう何年の前のこと。それが今、目の前にいる女性で、実際目の当たりにしたのは今日が始めてだ。
「私には、見えるのです。やがて訪れる力の枯渇が。それは魔女としての生命の終焉。私は永らく生き過ぎました。抗うことは……しないつもりです」
シャロウは今、自分ではない他の誰かなのだと直感的に悟った。
女性の燃えるような緋色の髪は若干疲れを感じさせるものであったが、それでもなお美しい。自分とその女性は、リタルダント・テレスの桟橋に腰掛け、遥か彼方の水平線を眺めている。
「アカシック・クロニクルに予言された世界の出来事を確認して、過不足があればそれを修正して、加筆して――そうやって私は一生を捧げて来ました。世界の事実と個人の感情に押し潰され、私の中の私は、何処かへ消えてしまったみたいです」
今、ここでシャロウが演じている男は、アラクサラが今まで隠していた本当の気持ちを吐露してくれることに喜びを感じていた。自分を押し殺し、魔女の公務に徹底してきた女性。
晩節を初めて個として生きようとしている。
「最後に、貴方がいるこの場所を、そして、私の最愛の友人にとって大切となる人が生まれるこの街を守らせてください」
自分が確かに存在していたという証人になってくれとお願いされたことがある。
男は難しい話は困ると断った。出来ることは、彼女と共に歩んでいくことである。最初から遺書のような話をされては始まるものも始まらない。
「ありがとう、ヒルベルト」
アラクサラが微笑む。シャロウは胸が痛くなった。
彼女が人知れずひっそりと息を引き取ったのは、それから三年と八ヵ月後のことであった。
今の際、アラクサラは――
自らの衰えと生命の終焉を知って、いついかなる時でも覚悟を決めてきたつもりであった。滅私奉公といっても過言ではないほど、アカシック・クロニクルのために自分を殺してきた。
最後を知って、その最後の時までせめて自分らしく生きたい――それこそがアラクサラの願い。幸いにも、最後にそれを理解してくれる人が出来た。振り返れば、つまらなかったとまでは言わないが、それでも良い思い出が全くなかった自分の人生に最後の華を添えることが出来た。
「嫌……嫌です……ヒルベルト……」
愛しい男の名前を呼ぶ。
アラクサラの誤算は、愛を知ってしまったことにある。魔法兵団の一員であった彼はちょうど遠征中であり、その最中、ついに定められた時が来た。以前から抗うことはしないと決めていた。
こんな状態の彼女を置いてはいけないと、ヒルベルトはリタルダント・テレスを離れることに難色を示していた。
だが、最終的に送り出したのは、アラクサラ本人である。
「彼が、いないところで……死ぬのは、嫌……いや、ぁぁ……ッ!」
俯瞰的視点と言えばいいのだろうか。
シャロウはまた別の者となって、往生際の悪い魔女を見下していた。もはや自由の利かない体で床を這いずりながら、懸命に何処かへ向かおうとする。非常に見苦しいが、しかし、絶望に晒された極上の魂でもある。
「今更、死ヲ恐れるノカ。魔女メ……」
あざ笑うかのように、シャロウは呟いた。
そして。
アラクサラの死後、長らく封印されたままだった海底の小部屋で、何やらこそこそと小細工を弄している女の姿があった。シャロウの意識は未だ、死の淵に立たされたアラクサラを嘲り、いつまでも腐敗しない彼女の遺体と共にここに眠り続けていた者にあった。
「我ガ眠り、妨げルのは誰そ……」
まさか、魔女の遺体以外に何かが居るだなんて夢にも思わなかったのか。声に反応し、こちらを見上げたその女は尻餅を付いて、衣服が濡れることも厭わず、部屋の隅まで後退する。
「あ、あぁ……」
自分の姿を見ただけで、それほど怯える位なら、死処荒らしなど止めた方が無難だろうに。その行動とは裏腹に、意外な小物ぶりに多少落胆しながら、シャロウは呻いた。
「――いい加減起きてくれないと、いくら温厚なあたしでもこういうことしちゃうんだけど」
後から思い返してみても、普段と変わらないそれ。握り込まれた拳がハンマーの如く、額の辺りに打ち下ろされた。後頭部が枕に沈み込む感触でシャロウは目覚める。最悪の部類に入る目覚めだ。
「ん……リピカ、さま……?」
だけど、その少女はやっぱり心配そうに自分を覗き込んでいた。
それからふと気付いたのだが、あれほどまでにシャロウを悩ませた頭痛も綺麗さっぱり消え去り、四肢の自由も戻って来ている。ベッドで横たわったまま、それを確認し、軽く体を伸ばしてから上半身を起こした。
「よかった……」
「何がですか」
今度はシャロウが彼女の顔を覗き込む。
はっ、となったリピカは両手でシャロウの体を突き飛ばした。
「百発百中のはずのあたしの魔法が失敗したかと心配したのよ!」
「そ、そうですか……」
勢い余って、ベッドから転げ落ちたシャロウは、天地逆さまのままに呟く。それでも体の方は軽快だった。どうやらクビはすんでのところで撤回されたらしい。
「どうでもいいんだけれど。キミ、変なのに引っかかってない?」
「はい?」
「あたし以外の魔力がキミの体内で渦巻いてた。まぁ、どうでもいいんだけれど、何か心当たりはないかって聞いてるの」
「何をやぶからぼうに……って、あ」
「あるのね?」
底冷えのするリピカの声を聞きながら、シャロウの脳裏を過ぎったのはあの日の晩のパウリナだった。深く考えていなかったけれど、彼女のキスによって分け与えられたのは、リピカの言う「あたし以外の魔力」ということになる、のだろうか?
「……え、でも。魔力?」
「そう。魔力。あたしのものでもない。アラクサラのものでもない誰かの魔力」
「馬鹿な」
呆然と。だが、そんなことさえ呟いた自覚はなく、あとから思い返すに呆然としていたのだというほどの、放心。
それが意味するところは、何なのか――
「まぁ、どうでもいいんだけど!」
どうでもいいことを再三強調しつつ、シャロウがはっきりとした答えを持ち合わせていないことを察し、話題を切り替えるリピカ。
「だいたい三日も眠りっぱなしとかね。キミ、一体どういう了見なのかしら」
「いえいえ……リピカ様からの供給が絶たれれば、俺は呼吸もままなりませんしね。よく一両日頑張ったと思いますよ」
「あたしの使い魔なら、せめて、あたしがびっくりするようなことやってみなさいよね」
「ですから、頑張ったじゃないですか。丸一日無呼吸状態なんて、普通の人間に当て嵌めれば、間違いなく死んでますよ。賞賛に値するでしょう」
「……よく生きてたね、キミ。後遺症とか大丈夫?」
昨日までとは明らかに違う部分が痛む。痛む場所ははっきりと分かるのに、手で押さえようとすると良く分からない頭痛を払いのけ、シャロウは体を起こした。いつも通りのリピカだ。自分が借りていたいつも通りの部屋だし、窓から見える外もいつも通り、蒼い。
「それよりも。なんだか、夢を見てました。夢よりは、はっきりとした……なんでしょうね」
「へぇ、一体どんな夢だったの?」
シャロウは、別の誰かを演じていたその夢をリピカに語った。
話していくうちに自分の頭の中でも整理が付いて、夢などと思えなくなってくる。夢にしては、あまりにも史実に近い。最初はただの戯言だろうと決め付けていたリピカでさえ、次第に身を乗り出してきた。
「死の直前のアラクサラに、彼女の墓所を漁っていた墓荒らし、ですって……?」
椅子から立ち上がったリピカは顎に手を当てて、部屋の中をうろうろと往復し始める。しかし、その時間は長くはなかった。
「まさか、魂の混線……」
自分が辿り着いた答えではあっても、俄かに信じられないという疑わしき口調。だが、それしかないだろうという、確信めいたものも含んではいた。
「た、魂の……?」
「ほら、魂が体から剥離して、あらぬ所を彷徨ってましたみたいな。人間で言うところの臨死体験ぽく」
「ひとつ。疑問なんですけれど」
「ん、なに?」
「混線と言いましたよね。じゃあ俺は他の誰か――アラクサラに関係する者の魂と交じり合った結果、あんな夢を見たってことになります?」
「そうね。いえ、待って」
その時点で、シャロウが何を言いたいのか、リピカも感じ取ったのだろう。何気なく口にしてみたことが、実はとても重大だったことに。
「そう、そうよね……だったら、誰がアラクサラの墓荒らしを知っていると言うの。死の間際だって、ヒルベルトは遠征中だったわけでしょ。遺体は隠され、二十年ぶりの再会……だったわけだし」
リピカは再び部屋の中を右往左往し始めた。今度は長い。ぶつぶつとシャロウにも聞き取れないほどの小声で何かを呟きながら、おそらくはシャロウが夢のことを語った時間以上にそれが続く。
「……リピカ様?」
「あの……なんていったっけ。あの、お爺さん」
「お爺さん……ダリアツォのことですか?」
「そう、その道化。アイツ、言ってたよね。あの部屋――デプス・レイヤーはアラクサラの死後、二十年間、一度たりとも開かれたことはないって。でも、あたしが開ける前に、誰かが開けた魔法の痕跡があった。少なくとも二十年間、閉じられっ放しってことはなかったわ」
「では、やはりダリアツォは嘘を……」
「道化は知らないのかしら。他の誰かが開けていた事実を。で、キミの夢が誰かの記憶を介した本物だとしたら、墓荒らしを目撃した人物がいる。つまり、一時的とはいえデプス・レイヤーには、アラクサラを含め、同時に三人存在していたこともあった。ってことになるわね」
そして、また黙る。ぶつぶつと聞き取れぬ独り言を繰り返し、部屋を巡る。
そういえば、リピカは奴が魔法を使う瞬間を目撃していなかった。道化と言い切るには、少し不穏なところもある。リピカならば、例えその瞬間を見ていなくても、魔法行使による痕跡を見逃さないはずなのだが、あの特殊な環境が奴の魔法の気配を覆い隠したか。
「あの、リピ――」
「しっ!」
そのことを報告しておこうと思って、静止された。考えごとの邪魔をするなということらしい。
主が本格的に考え事を始めると長くなるのはいつものことだった。その長さに比例して、当然彼女の頭の中ではひとつのこと、ないしは複数のことに対して、様々な観点から多角的アプローチを試みており、回答への道筋がいくつも作られている。最終的に彼女の口から出た言葉の多くは道筋が端折られているため、シャロウには理解出来ないものであることが多い。
「……アカシック・クロニクルには、まだ未来演算の兆候は見られない……でも、アラクサラの力は絶った……未来は変わったはず。じゃあ、何が……」
まぁ、いつものことだと、シャロウが適当に窓枠の外へ目を向けた。
今日もリタルダント・テレスの空は底抜けに蒼い。気付けば、リピカと共にこの世界に降りてからこっち、海賊だアラクサラだなどとのんびりした記憶があまりにない。
「うん、決めた!」
それらが一段落ついたら観光気分に浸るべきだろうと考えていたのだ。
と――
「シャロウ」
「はい?」
「キミ、やっぱりクビね」
端折られているどころの問題ではない。
「え、ちょ……なんでですか!」
夢の話から、何故またクビの話になるのだ。訳が分からない。さすがに今回は突拍子過ぎて、異議を唱える。
「なんでもなにも。あたしがそう決めたから。はい、使い魔は?」
復唱しろということらしい。
「与えられた命令に絶対服従、受諾するのみ。ですが……」
「じゃ、これは命令。クビよ。金輪際、あたしに近付かないこと。近付いたら朴念仁に連行してもらうから。強姦罪とかで訴えるね」
「本気でぞっとしないんですけど」
話は終わりよと、リピカは部屋を出て行く。
心配しなくても今回は命を取るような真似はしないと付け加えて、部屋の扉が閉じられる。部屋に取り残されたシャロウは、あらゆる意味で取り残されて、部屋の中央で立ち竦んでいた。
「えぇー……」
そして、呻いた。呻くしかなかった。
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