4 守れない騎士
世界はかつて魔法という力を失った。
その後、緩慢に世界が滅びへと向かう中、ひとりの魔女が舞い降りた。
魔女の名は、アラクサラ。
魔法の力とは本来有限なものであり、魔女の生命を削るものに他ならない。
既に自らの死期を悟っていた彼女は人々のために尽力を惜しまず――
そして、朽ち果てていった。
「そう。これが、あたしのアカシック・クロニクルに記述された疑いようのない史実。今から約二十年前の出来事……」
大衆的には知られていないことだが、リタルダント・テレスでは二度、魔法が滅んだことになっている。
一度目は、素晴らしい力を持ち得ながらも、私利私欲のためにしか扱うことができなかった愚かな人間に愛想を尽かし、世界自らが。
二度目は、世界自らが魔法を封印した直後の混乱の最中、この国に降り立った魔女アラクサラのおかげで一時は復活したものの、やがて彼女の衰弱死と共に。
つまり、このリタルダント・テレスでは、世界の他の国と比べて、少なくとも十数年は余分に魔法の恩恵にあやかることができた。リタルダント・テレス魔法兵団が猛威を振るい、世界中に名を轟かせた背景にはこういう裏話がある。
「一体、この国で何をしたかったの……?」
アラクサラが一国に対し、魔女の力を分け与えるといった行為に及んだ経緯については、当然であるが誰も知る由はなかった。それまでに数々の功績を収めてきた彼女だったが、リタルダント・テレスに降りる前には既に疲弊し切っており、最後の気紛れだったのではないかということで落ち着いている。
彼女の勝手な行動について、魔女の世界の総意は既に決定していた。恒久的に追放処分とされ、遺体すら回収されることもなく、アラクサラという存在そのものが抹消された扱いになっている。
だが、不可解なことに、時折リタルダント・テレスのどこかから魔法の兆候を感じるのだ。誰かが願い、何かを叶える波動を。何故、この国から魔法という力が消え去っていないのか。まだ、どこかでアラクサラが生きている証拠なのだろうか。
アカシック・クロニクルの記述は、魔女が関わる事象について酷く曖昧。リタルダント・テレス滅亡の記述が今ひとつはっきりしないのは、魔女アラクサラが関与しているからに他ならない。
そして、レメゲトン――
奴がこの世界に現れたとなれば、話は異なってくる。海賊なんてちっぽけなものではない可能性が出てきた。
「ねぇ、アラクサラ」
あたしの、唯一の親友だった魔女――
少女は昨晩のまま、様々な貝殻が散らばる部屋を眺めて、その中で最も新しい虹色の巻貝を拾い上げる。それから、しばらくの間、部屋の隅の窓に切り取られた青い空を見上げていたが、フラムベルの女主人が訪ねてきたことにより現実へと引き戻された。
テーブルを挟んで、目の前に座る女は溜め息混じりにこう言った。
「ねぇ、シャロウ君? 私は個人的には貴方のことを気に入っていたのよ。その若さにして、リタルダント・テレスの傭兵団の中でめきめきと頭角を現し、剣の腕前だけで言えば、もう何年も勤め上げているアレン君とほぼ互角に戦える。あのガイダットでさえもそれを認めているというのに……裏で海賊と通じていただなんて、非常に残念だわ」
「……だから、俺は、無関係だって、信じてくれよ……サーシェさん」
シャロウには、姿勢を正す元気もない。テーブルに上半身を預けたまま懇願した。
その若さといわれたが、シャロウの年齢に関しては、いつでもどこでも詐称だ。そういえば、ここの傭兵団に入る時にいくつと言っただろうか。もう思い出せないことだ。数ヶ月前の話なのに。
それはさておき、シャロウは改めてその女性を見やった。
サーシェ・ゲルム。
その名からも分かる通り、有無を言わさず、シャロウをここまで引っ張ってきた好々爺、元魔法兵団長ダリアツォ・ゲルムの娘である。先日、その父親と一緒に声を掛けてきてくれたように、誰にでも分け隔てなく接する気立てのよい女性だと評判だ。
歳は、三十代の半ばだということは記憶していた。三十代といわれても、とてもそうには見えない若々しさを持つ。茶色ではあるが、限りなく赤に近い長い髪は、場所が場所だけにしっとりと湿気を含んでいるように見える。絶世の美少女を冠するのはリピカであるが、絶世の美女を冠するのであれば、このサーシェだろう。
サーシェはリタルダント・テレスの造営委員である。造営委員とは、リタルダント・テレスという国家の運営の一切を任されている者のことであり、平たく言えば、何でも屋だ。だからといって、海賊の容疑が掛けられている自分の尋問まで行うとは思わなかったが、案外、自分のことを気に入っていたというのは本当のことかもしれない。
まぁ、彼女でなければ、ガイダットだったのかもしれないので、それに比べれば随分と気の利いた話だろう。
――と、それが数時間前。
リタルダント・テレス宮殿の一室での話。
今は宮殿の地下に設けられた監獄で幽閉中の身だ。同居人は言うまでもなく、ヒルベルトである。こんな無愛想な真っ白い部屋の中で、男ふたりとは。もはやエネルギー切れ寸前のシャロウに比べ、奴はある意味、悠々とこの監獄生活を満喫しているような感さえあった。
「シャロウ。お前さんも不憫な奴だなー」
「……巻き込んだお前が言うな……」
「俺は何もしちゃいねぇぜ。勝手に勘違いしてるのは、お前さんの上司だろう」
「パウリナは、どうした。姿が見えないが」
「お前さんの尋問中に連れて行かれたな。そのままだ」
「くそっ」
なるべく体力を消耗しないように、床で大の字に寝そべるシャロウはやけくそ気味に言い放つが、ヒルベルトの言うことももっともである。何で自分はこんな問答無用にここへ放り込まれたのだろう。傭兵団の新人が気に入らない的な妬みによって嵌められたとしか思えないほど理不尽さを感じる。
「ああ、そうか……俺が、あまりに強いから、いけないんだな。強いってのも、問題だな……」
割と真剣だったのに、ヒルベルトには冗談に聞こえたようだ。
「へぇ、お前さん強いのか。とてもそうには見えないが。一度、手合わせ願いたいものだな」
奴はそう言って、腰の白鞘を手の平で叩いた。
シャロウの腰にも愛用の剣がある。仮にも監獄の囚人に武器を持たせたままなのは、ガイダット曰く、
「自決用だ。海賊は二度と陽の目を見ることはない。わざわざ処刑人の手を煩わせた上に、斬首の斧の手入れ手間を考えれば、自らの獲物で自ら腹を掻っ捌いてもらった方が早いだろう。なんなら殺しあってくれても構わんぞ。好都合だ」
とのこと。
あの朴念仁め。冗談にも程がある。
死刑執行よりも、ヒルベルトがとち狂う前よりも先になんとかしなければ。
「――前から思ってたんだが」
「なんだ」
「なんで海賊って白鞘なんだ」
よもやそんな質問だとは思わなかった。そう言わんばかりのヒルベルト。
確かに珍しいものではない。市販はされているものの、実は結構値段が張る。白鞘とは、柄と鞘を一本の白木から削り出したもののことをいい、鞘は当然木製のまま、お世辞にも耐久性に優れてるとは言い難い。特に乱戦ともなれば、鞘を第二の攻撃手段として扱うことも少なくはないというのに、最近では、この近海における海賊たちのシンボルマークともなりつつある。
「いや、カッコイイだろ?」
ヒルベルトは簡単に言った。
「……それだけ?」
「それに白鞘は保湿にも優れるから、刀剣も錆び難いし、保存性もいいんだぞ」
「海賊が刀剣マニアだとは知らなかった」
「マニアじゃねぇよ。剣とは、自分の命を預けるものだ。大切に扱うのは当然。赤錆浮いたような剣を振り回している奴なんざ、実力だってたかが知れたもんだろうよ」
こう話していると、ヒルベルトも至極真っ当な剣士の気がするのに残念なことだ。
「リタルダント・テレスの白鞘は遥か西の島から輸入したとある木材を使用しているからな。他の国のものより耐久性もあるんだぜ」
「ふうん、じゃあ俺も次に剣を買い換える時が来たら考えてみるか」
おっと、大切な一言を付け忘れてはいけない。
「――ここから出れたらな」
「ふむ。じゃあ、そろそろ出るとしようか。一晩過ごしゃもう十分だろ」
「な、に?」
ヒルベルトの言葉を裏付けるかの如く、まるで手品のように、唐突に牢獄の扉が開いた。扉の向こうは、無人。全く気配がない。看守が何かの間違いで開けたとは思えない。ヒルベルトを見やる。
「まさか、もうお前の仲間が入り込んでいるのか?」
「もう、ってなんだ。もうって。船の仲間なら未だ沖合いだろうよ。お前さんの定義でいう海賊は、この街では俺一人だけだし、他の連中は上陸する予定もない。一週間も俺が戻らなければ、見捨てるように言ってある」
滑り込むように、扉をくぐって部屋を出るヒルベルト。注意深く右に左に様子を伺うが、本当に誰も居ないようだ。
「お、おい。待て……!」
「なんだ、出ないのか? まぁ大人しく処刑を待つっていうならあえて止めやしないが」
「馬鹿を言うな。海賊を野放しに、出来るかよ」
まだ、いけそうだ。
引き摺るように体を起こし、ヒルベルトを追って部屋を出るシャロウ。気が遠くなりそうな廊下の左右には、等間隔に覗き窓が付いた扉が設けられており、全てが牢屋だということが窺い知れる。幸いというべきか、ふたりが入っていた部屋はその隅であり、左手には、上層へ昇るための階段がすぐそこにあった。
「じゃあなー。無事に地上に辿り着けたら大人しくこの国を出ろよ」
と、ひらひらと手の平を振って、背中越しに別れを告げるヒルベルト。奴が向かったのは、意外にもその階段がある左手とは逆、右手の果てしない廊下の方だった。
「ちょ、ちょっと待てってば!」
「んだよ、賑やかな奴だなぁ。看守の耳に届いて、脱獄がバレたらどうすんだ。ん、ああ――連れの嬢ちゃんのことか。残念ながら心当たりないので、無事に逃げられたらガイダッドにでも聞いてみろ」
「そうじゃなくって。いや、パウリナの身も気になるが、そっちは逆だろう。お前、どこへ行くんだ」
「あん? 別に逃げるだなんて一言も言ってないぜ。俺は更に地下へ用がある」
「……なんだと?」
「二十年掛かった。ようやく辿り着いたんだ――」
「何の話を、している……」
「一緒に見るか? リタルダント・テレスの秘密を」
そんな風に言われて、童心が甦ったわけではないが。
そもそもシャロウには、童心を抱くような時期はなかったわけだが。
気付けば、ヒルベルトと共に無愛想な廊下を突き進んでいた。終わりが見えないわけではないが、それでも果てしない。全ての部屋に囚人がいるようには感じなかった。リタルダント・テレスでは、極端に犯罪が少ないとリピカが言ってたような気がする。こんなにも美しい海の街では人の心も豊かになり、犯罪を起こす気も失せるのだろうか。
しかし、どうしてだか、
「……一向に、廊下の端に近づいている気がしない」
これは、シャロウがそういう状況にあるからだろうか。
だが、それは違ったらしい。
「そうだな。この廊下はそんな風に作られていると聞いた」
「どういうことだ?」
「この牢獄の廊下は向こうの壁に容易く辿り着けないような仕掛けになっているんだそうだ。仕組みは知らないが、簡単に言うと、そういう錯覚を引き起こすようにされてるんだとかなんとか。自分は必ず向こうへ辿り着けると、強い意思を持て。疑いを一切持つな」
「――つまり、その先によっぽど見られたくないものがあるということ、か」
一体誰がそんなものを仕掛けたというのだ。
だいたい、それはまるで滅びた魔法のようである。
(いや……まるっきり魔法そのものじゃないか)
もしかして、自分は今、リピカが散々言っていた魔女アラクサラに近付きつつあるのではないのだろうか。クビを宣告されてからこうなるとは、皮肉にも程がある。宮殿の地下に魔法の痕跡があると知ったら、彼女はどう思うだろう。この手柄でもう一度、取り入ろうとは思わないが、喜んではくれるかもしれない……
ごちんっ。
「うがっ」
額をぶつけ、仰向けに転がるシャロウ。廊下の終端に辿り着けたようだ。
「しっかり前を見ろ。ぼさっと、女のことでも考えていたか」
図星で、声が出なかった。
しかしリピカのことを考えていたから錯覚の廊下を抜けられたとも考えられる。仕組みさえ分かってしまえば単純なものだが、少しでもこの廊下に対し疑念を持てば、辿り着けないようになっているのだろう。最も性質の悪い魔法のひとつだ。
元から衰弱状態、加えて、額強打。満身創痍のシャロウを尻目に、ヒルベルトは突き当たりの壁に手を当てて何かを探り始めた。奴の手がある一定の高さまで下がったところで、信じられないことが起こる。ヒルベルトの手首が壁に飲み込まれたのだ。
「……なるほど」
だというのに、やけに冷静。ずぶずぶと、既に肘の辺りまで飲まれているというのに、奴の落ち着きようはなんだ。
「可変式とは手が込んでいるな。壁を越えようとする人間の身長の半分ぐらいの高さか。四つん這いになって来い」
それだけ言い残して、ヒルベルトはすすんで壁に飲み込まれていった。まさかと思ったが、シャロウは言われた通り、四つん這いで壁に近付いてみると、確かにそれぐらいの高さだと阻まれることなく顔が壁の中に埋まっていく。
「嘘だろ……」
何事もなくすり抜けた先は無愛想な廊下の風景から一転。
そこは蒼と光の楽園。
「海の、底……?」
壁も床も天井も全てが透明で、海底の散歩を演出している。物理的な界面が分かり辛い。どこまでが廊下の壁なのだろう。
なんだここは。
「リタルダント・テレス最深領域デプス・レイヤー」
「デプス……レイヤー……?」
シャロウの心の疑問に答えてくれるように、数歩先を行くヒルベルトが教えてくれた。
振り返ると、すぐそこは宮殿が鎮座する島の断壁。なるほど、だいたいの位置関係は把握することが出来た。
「遥か昔、例えば国家反逆のような重犯罪者を幽閉しておく海底監獄として使用されていたようだな。長い月日を経て、誰彼の記憶からも忘れ去られてしまったようだが」
海の底から空を見上げるなんて奇妙な話だ。
だが、現実に目を凝らせばなんとか見える程度の場所に、リタルダント・テレスの街を形成する桟橋があって、それらを支える無数の支柱が海面と海底を繋いでいる様子が見られる。古い支柱には珊瑚や海草が纏わり付いて、違和感なく自然物と一体化しており、その間を様々な魚たちが自由に泳いでいた。
「――極々一部を除いては、な」
一瞬それがさっきの言葉の続きだとは分からず。
シャロウとヒルベルトの行く手に立ち塞がる者が居た。より正確に言うと、立ち塞がるというよりはこの蒼い廊下のド真ん中を占拠し、カードゲームに興じている者たち。
「シャ、シャロウ……?」
その男女の姿を見て驚くシャロウだったが、それは相手側も同じことだったらしい。
栗色の髪に、ワインレッドの趣味悪い甲冑。一昨日の夜から行方が分からなくなっていたアレン・グリザリッド。そして、連行されていったというパウリナ。
「アレン! お前、なんでこんなところに!」
「何だ、顔馴染みか」
にやにやと、何か面白がるようにヒルベルト。
「何でって言われてもなぁ……ひどく酔っ払って道で眠っていたらしく、ダリアツォのじいさんに保護されたみたいで、翌日気付いたら宮殿だったんだが」
「人が心配して、探してやってたのに……」
「おぉ、そうか。すまん」
「パウリナも、無事だったか」
「うん。牢屋出された後、ここに連れて来られてアレンくんとカードしてたよ」
「いやー。さすがにヒマなんでな。話し相手ぐらい連れて来いって、じいさんに言ったんだわ。そしたらパウちゃんを連れて来やがって。びっくりだっつの」
「じいさんに? どういうことだ」
「いやな。酔っ払って保護されたとき、じいさんに奇妙な頼まれごとをされてさ。そのせいもあって、連絡している余裕が無かったんだわ」
「奇妙な頼まれごと?」
「おう。数日のうちに何者かがこの通路を通るかもしれないので、警備をよろしく頼むと。誰であろうと問答無用で叩き伏せていいそうなのだが。でもお前、こんなとこにひとりでって馬鹿みたいじゃねぇ? 気が狂うっつうの」
「……なるほど、な」
数秒の沈黙、そして静寂。間の抜けたその間の空気ったら表現のしようがない。
ともあれ、シャロウとアレンはお互いの顔を見合わせて、それからよくよくこの状況を噛み砕いて、理解するよう努めた。
そして、同時に叫ぶ。
「なんでだ! なんで、あのじいさんがそんなことを!」
「じいさんが言ってるのはお前のことか!」
パウリナはきょとんとしながらも、床に散らばっていたカードを掻き集めている。
一日ぶりの再会を喜び、今夜は飲み交わそうという雰囲気は早々になりを潜め、アレンが腰に下げた剣を引き抜いた。
「これはいい。シャロウ、久しぶりに死合うとするかッ!」
血の気の多い奴め。しかし、これはまずい。普段のコンディションでなんとか引き分ける相手だ。今の自分の状況では、どうにもならない。話にもならない。ヒルベルトを振り返る。
リタルダント・テレスの秘密とはこの先のようで、そいつはなんとかしてくれと顔が言っていた。
「ま、待て……いくらじいさんの依頼だからって、魔法でカモフラージュされ尽くした監獄のこんな場所で、やってくる奴を問答無用で叩き伏せろなんて依頼、何かおかしいと思わないのか!」
「言われてみれば、な……だが、シャロウよ。世の中、自分の力だけでは、どうにもならんことなんて山ほどあるもんなんだぜ……」
ふ、っと、一瞬アレンが見せた寂しげな表情が非常に印象的だった。いつも女性をとっかえひっかえ、大酒飲みで自由気ままな遊び人のこいつを従順にさせるような取引材料なんてあったのだろうか。
まさか、他人には言えない弱みの類か。
まさか、あの好々爺はそれを手玉に取るような卑劣な本性を隠していた――
「この任務をやり遂げた暁には、じいさんの娘――つまりは、俺たちの憧れサーシェさんと一日デートだ! 俺の幸せのために死んでくれ、シャロウ・ヴィンッ!」
わけでもなかったようだ。
「き、貴様ァッ!」
「うわぁ……アレンくんふしだら」
一瞬でもアレンの身を案じてしまった自分に涙が出てくる。シャロウも自分の剣を引き抜いて、上段から力いっぱいアレンに叩き付けた。アレンは剣を水平に構え、易々とそれを受け流す。
「悪いな、シャロウ。これでサーシェさんのハートは俺のものだ!」
「興味ない、好きにしやがれ!」
アレンの横薙ぎを身を屈めてかわし、奴の軸足を狙って地を這う回し蹴りを繰り出す。足を掬い上げられ、大股開き、無様に地面に片手を付いた奴に対し、再び上段から剣を振り下ろす。
「おおっとっと、やるな、シャロウ! そういえば、お前はリピカちゃん一筋だったな。どうだ、進展はあったか!」
「ねぇよ! むしろ後退したよ! サーシェさんのハートはお前にやるからそこを通せ!」
しかし、それも水平に構えた剣によって受け止めるアレン。一瞬低く姿勢を屈めた反動で剣は弾き返され、今度はシャロウがバランスを崩す。
「馬鹿言うな、お前を通したらサーシェさんが遠のくだろッ!」
「ちっ……」
騙せなかったか。
「シャロウ・ヴィン! お前、今、俺を騙そうとしたなッ!」
気付くのが遅せぇよ。と、心の中で嘲ったものの。
バランスを失ったまま、踏ん張ることが出来ず、そのまま仰向けに倒れるシャロウ。やはり駄目だ。この辺が限界のようだった。しばらくはシャロウが起き上がってくるのを構えていたアレンだったが、こちらの呼吸が荒く、いつまでも起き上がってこないことを見るや、心配そうな声を上げた。
「おい、どうした。これくらいで息が上がるなんて、いつものお前らしくないじゃないか」
「ああ、いつも、じゃないからな……」
「昨夜から一緒だが、その青年はかなり衰弱しているように見えるぞ。何故か」
ヒルベルトが口を挟むと、アレンは剣を収めて、小走りで駆け寄ってくる。
「風邪か?」
「そんな、生易しいものだったら、良かったな……」
たった二撃、三撃打ち合っただけで、牢獄の中で蓄えていたものを全て放出しきってしまった気がする。アレンに抱きかかえられるように上半身だけ起こすが、それを維持する力も間もなく無くなりそうな気配だ。
「――何をしているのか」
そのやり取りのうちに、ヒルベルトの更に後方、宮殿島との境い目からローブ姿の初老の男が現れた。
ダリアツォ・ゲルムである。
「アレン。お主には、来る者全て始末するようにと依頼しておいたはずじゃが」
顎鬚を撫で付けながら、元魔法兵団長は厳しい目つきで言い放つ。
「じいさん。そこの海賊は俺が倒しておいてやるから、シャロウを上の救護室へ連れて行ってやってくれ」
「それはならん」
「はぁ?」
「シャロウ・ヴィンは海賊の手引きをしたとして、身柄を拘束中だと昨夜伝えたはずじゃ。それが何故ここにいる? その海賊ヒルベルトと共に脱獄したからであろうが。ならば、始末する相手はそのふたりが道理」
「ああ、それか……」
とっくにカードを片付け終わったパウリナの手を借り、若干乱暴にシャロウを通路の端まで引き摺って運んだアレンが後頭部を掻きながらダリアツォの正面に戻る。
「本気だったのか。じいさんのいつもの冗談だと思っていた」
「ワシはいつも大真面目じゃが」
「もしくは、じいさんの耄碌でも始まったか、とな。シャロウがそんな真似する訳ねぇだろ。馬鹿じゃねぇ?」
アレンがからかうように、にやりと舌なめずりをしながら告げる。
対して、ダリアツォの表情はどんどん冷めていったが、唯一、その口元の戦慄きだけは大きく目立つようになっていった。押し殺しきれない怒りと焦りが漏れている。言い表すなら、そんな感じだろうか。
「く、くく……」
「――おやおや、長年押し通してきた好々爺も返上かい」
「ワシは非常に残念に思うぞ。アレン・グリザリッド」
「そうだな、お義父さんなんて呼ぶ練習もしていたのに、無駄になりそうで非常に残念だ。じいさん、アンタが焦っているのは、この先の部屋か。そこによほど見られたくないものがあるんだろうな?」
化かし合いはここまでのようだ。
アレンに向かって突き出されたダリアツォの右手がオレンジ色に染まる。超高温の熱を伴った光の帯だ。しかし、不思議なことにダリアツォ当人の腕を焼き焦がすことはない。祈りの力。まさに、魔法だった。
アレンはその年齢からしても、まともにそれを見るのは初めてだったのだろう。一瞬は目を見開き、その炎を凝視したが――すぐに納得したようで、軽く頷いた。
そして、いくら鈍いシャロウでも、その見当が付いてしまう。
「この先に、魔女アラクサラが、いるんだな……?」
「アラクサラ? 誰だ、それ」
「今は、詳しい説明は出来ないが、昔、この国にいた魔女の名前だよ」
「知ってはならないのだよ。お前は――お前たちは!」
「へぇ……それじゃあじいさんぶっ飛ばして、デート代わりに魔女の顔でも拝ませてもらおうかね」
アレンが腰を低くする。
「お主らのような小僧が魔女に拝謁できると思うな――ッ!」
その恫喝は、皮肉にも新しい足音を掻き消す。
後ろから忍び寄った何者かによって、突き飛ばされたダリアツォは顔面から床に転ばされた。精神集中が途切れたらしく、魔法の炎は一瞬にして消え去ったが、奴は弾かれるように起き上がろうとし――その途中で、背中から馬乗りされ、再び床に這いつくばる。
「き、貴様ッ!」
不快感顕わに呻いたその口の傍に、剣が突き立てられた時はさすがのダリアツォも結ばざるを得なかった。
「ガ、ガイダット……!」
「オッサン!」
シャロウとアレンが歓喜の声を上げると同時、
「残念だが、拝謁させて貰おうか。二十年前に貴様が隠した魔女を。俺は、同じ轍は踏まんぞ?」
透明の床に突き立てた剣をぐりぐりとダリアツォの顔面ににじり寄せながら、更に加重を掛けるようにして、前のめりに凄むガイダット。
そして、ヒルベルトが、
「うむ、いつもながらオイシイ場面は掻っ攫っていくな。弟よ」
全く空気を読めていないように、のんびりと呟いた。
「お……」
「弟、だとォ――ッ?」
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