3 愛していない恋人

 シャロウ・ヴィンが立ち去って――

 部屋に取り残されたリピカがまず最初にしたことは、単なる嘆息に過ぎなかった。

 その僅かな反動で不安定に手の平に乗せられていた菓子箱が落下する。床に落ちて、散らばる色とりどりの貝殻。オレンジ色、ピンク色、青い色、緑色、光源によっては複数の色に輝くものまで、様々なパステルカラーのそれらが絨毯の上を彩る。貰ったときから元々欠けているものもあったが、今の衝撃で割れたものも結構あるようだ。

 だからといって、何かを思うわけでもない。

 たかが、こんなガラクタ。

「シャロウ・ヴィン……馬鹿な子」

 ぱちん、と。指を鳴らして、解除を試みる。それは人形に対して、魂の供給をストップさせる合図。

 主命を受諾できない人形なんて、失敗作もいいところだ。が、命令を受理しないあのシャロウ・ヴィンを一方的に責めるわけにはいかない。使い魔の土台となる性格に関しては、作成当時の術者の性格が如実に反映されるのだから。

 つまり、今のシャロウ・ヴィンは昔の自分の分身ともいえるし、昔は自分もああやって悲劇を回避しようと頑張っていたということ。

「馬鹿馬鹿しい……」

 過去、アカシック・クロニクルで知ることの出来る悲劇を回避しようと、どれだけ奔走したことだろう。

 だが、細大漏らさず、全ての人々を全ての悲劇から救うことは、リピカとシャロウのふたりだけでは物理的に無理があるし、第一、労力に見合わない。救えた悲劇は相乗的に異なる未来を生み出し、また新しい悲劇を生むことさえある。

 生まれたてのものに対し、膨大なリソースを用いて未来演算が始まり、ライブラリの書き換えが始まる。延々と代わり映えのないそのサイクル。

 そんなことを繰り返し、繰り返し――やがてリピカは悟ったのだ。予言により未来を知ることは選ばれた自分の特権だが、その悲劇を変えようとするのは、全てをこの手に掛けることが出来ない以上、非常に不公平であるということを。だったら、アカシック・クロニクルの力を以ってしても曖昧である部分を、事実確認した上で追記、補記する程度に留めるのが良いだろうと。

「どれだけ熱血したところで無理なものは無理なんだよ、シャロウ。今のキミはあたしに何十年と付き合ってきたんだから、そんなことぐらい分かるでしょ」

 次を造るのであれば、作成当時の性格をそのまま持ち続けるのではなく、常にリアルタイムで術者の性格が反映されるようなロジックを組み込めないだろうか。

「うーん……とはいえ、そういうことをすると、その時の精神状態まで反映される恐れはあるよね」

 自分のテンションが上がり切らない日に、一緒に下がってもらっても困る。やる気が全く出ない日においても、きりきり働いてくれるような都合のいいロジックか。

「とりあえず考えてみようかしら……」

 と、そこに一回のノック。

 こちらの返事などはお構いなしにほぼ同時、扉が押し開かれた。シャロウが戻ってくることは期待してなかったが、それでもシャロウだろうかと振り返ったリピカの視線には何も映らず――視線を若干下げて、ようやくその姿を視界に収めた。

「いた! リピカ、下で聞いたら部屋で休憩中って聞いたから……」

 エリクスだった。

 毎日毎日、鬱陶しい子供だと思う。下で仕事中ならまだしも、わざわざ人の部屋まで訪ねてくるなど、あつかましいにも程がある。

 身の程を知れ、人間。

「どうしたの、怖い顔して。何かあったの?」

「……別に」

 少なくとも、今の気分でいつもの作り笑いは出来そうになかった。エリクスに背を向けたのは、リピカなりの気遣いだったが、少年はずかずかと部屋に入ってきて回り込んでくる。

「体の調子でも悪い?」

 と、そこで彼は足元に違和感を覚えたのだろう。床に散らばる貝殻のひとつを自ら踏み拉いてしまったようだ。

「ああっ、俺が取ってきた貝殻……ごめん、踏んじゃったッ!」

 そういうエリクスの手には、この部屋に入った時からひとつの貝殻があった。灯りに乏しいこの部屋においても虹色を醸し出している巻貝だ。本日の戦利品といったところか。彼はその貝殻を床に置き、普通なら不振に思うであろう散らばっている理由は聞かず、とりあえずそれらを集め始める。

「……んなのよ」

「え?」

 そこいらが、限界だった。

 終わる――何がというのは適切に言い表せないが、とにかく、終わる。

「なんなのよ、人間……」

「リピカ……?」

 ぶつん、と。

 頭の中で明確な何かが途切れて、仮面が剥がれ落ちた。

「うるさい! あたしの名前を呼び捨てにするな! ちょっと甘い顔すれば、付け上がって――あたしが本気で人間なんかを、しかもアンタのような餓鬼を相手にすると思ったのッ!」

 驚愕のような、畏怖のような、複雑な表情。

 多分、幼い彼に何がどうなったのか、分かるはずもない。リピカは自分が思っていた以上にいらいらしていたことに気付いたが、それも後の祭り。何様だとは紛れもない本心であったが、どうせこの街が滅びるまでの付き合い。わざわざそれを彼に言うこともないと思っていたもの。

「あ、あぁ……ご、ごめん、リピカ。俺……ごめ、謝る。ごめん、なさい」

 よっぽど怖かったのだろう。今、彼の目に映る自分は怒り滾る鬼神か、修羅か。

 エリクスは腰を抜かしたように床に座ったまま、じわじわと涙を滲ませて、声を絞り出してくる。ここで泣かれても困る。鬱陶しい。かなり本気だった怒号を受けて、失禁しなかったのは大したものか。

「もうそんなガラクタ要らないから。全部持って帰って。それから、もう二度と店にも来ないで。あたしの前に姿を見せないで。いいわね――?」

 とはいえ、すっきりしたのも事実だ。滅亡までの短い時間とはいえ、これで作り笑いする必要もなくなる。

 カタカタとみっともない程に全身を震わせ、四つん這いながらに貝殻を集め始めるエリクス。もっと機敏に動けよと思ったが、ひたすら耐えて待った。待って――ようやく全てを集め終え、両手いっぱいに貝殻を抱えた彼が立ち上がる。

「リピカ……」

 もう一度、すがるように名前を呼ぶ少年。

 本当に一縷の隙もなく、完全無欠に心が痛まなかったのかというと、さすがにそれは嘘になる。芋づる式に鈍ってしまわないよう、迅速に遠ざける必要があった。早く行けともうひと睨み。

 諦めたようにエリクスが扉へ向かうと、どこからともなく第三者の声が滑り込んでくる。

「――なんダ。あまりに心地よイ負の感情を感じたカラ来てみれバ……おまエか」

 その声に聞き覚えはなかった。

 何故なら自分たちの前に現れる時は、時代、世界それぞれにおいて、いつも声音が変わるから。だが、その特徴的な抑揚だけは忘れようもない。

「レメゲトン……ッ!」

 黒い靄で、部屋が満たされていく。

 それは、アカシック・クロニクルに取り入ろうとする邪悪な意識の集合体。いつでも、どこの世界でも、恒常的に争い続けてきた者の名前。

 レメゲトンとは、ゴエティア、テウルギア・ゴエティア、アルス・パウリナ、アルス・アルマデル・サロモニス、アルス・ノウァ――以上、五部からなる有名な魔道書群レメゲトンからリピカが勝手に付けた便宜上のものであり、本当の名前など知らない。否、名乗りもしない奴には、そんなものはないのだろう。そう呼ぶようになってから、苦情を受けた覚えはない。

(まさか……あたしとしたことが。我を忘れて、こいつを呼び寄せた……?)

 背筋がざわざわと凍る。唇がかさかさと渇く。

 やりあって負ける相手ではないが、それではこちらもそれ相応の負傷を覚悟せねばならない。

 この大事な時期にそれは困る。

「ここに何の用? アンタが望むような面白いものはあったかしら」

 振り返る。

 邪悪な意識の集合体に相応しく、そいつに実体などはない。近くで呼吸すると即座に肺を潰されてしまいそうな黒い霧に、爛々と輝く双眸がこちらを睨んでいた。どこの世界で遭遇しても変わらないその姿。

「綺麗デ、美しくテ、青空ノ世界があったナ……忌々しイ」

「何度来たところで、アカシック・クロニクルには組み込ませない。人間の欲とか、邪な意識とか、忘れ去られた世界の記憶とか、そういったものでしか構成されていないアンタを載せたところで、一理の得にもならないからね」

「クハハハ、これハ異なことヲ……宇宙の記憶トモいうべキ貴様のアカシック・クロニクルにハ、完全無欠の聖人君子が築いてきタ歴史シカ登場しなイというのカネ」

 にたり、と。

 擬音で表現するとそれがいちばんしっくりくるだろうか。実際は音も無く双眸の下に、同じ赤い色をした口に当たる部分が現れる。笑っているようだ。

「そうとは言ってない。でも、アンタはただ世界中の誰からも忘れ去られたくないだけの寂しい記憶だからね。それだけでアカシック・クロニクルを独占しようというその魂胆が気に食わない」

「小娘ガ……!」

 黒い霧から一本の細い線が伸びる。鞭のようにしなったそれは、リピカの右頬を浅く裂いた。一拍を置いて、薄っすらと赤い血が滲み始める。レメゲトンにしてみれば、牽制を含んだ脅しであるし、リピカにしても大した怪我ではなく痛みすら感じない。双方にとって、いつもの挨拶代わりだったやり取りは、少年にとって大事に映ったようだ。

「や、やややいぃ、化け物ッ! リピカに、な、何するんだッ!」

 リピカの前に立ちはだかったエリクスが大声を上げた。さすがのリピカもきょとんと目を丸め、邪悪な意識の集合体も時を止めたように静止する。

「キミね、エリクス……?」

「お、俺は男だから、おお女の子は死んでも守れって、母ちゃんに言われたっ!」

「はぁ……」

 だからって、本当に死んでしまったら母親だって悲しむだろうに。

 これだから人間という奴は。

「だから、早く逃げてリピ――」

 言い終わる前に。

 リピカはエリクスのお尻を蹴り上げて、部屋の入り口まで追いやった。遅れて、レメゲトンから伸びた黒い鞭がざくんと音を立てて、一瞬前までエリクスが立っていた床に突き刺さる。

「早く逃げなさい。あたしは大丈夫だから」

 床でこすって、顔面を赤くしたままこちらを振り返るエリクス。

「リピカ……?」

「――早く逃げろって言ってるのよ! 何度も同じことを言わせるなッ!」

 エリクスはびくりと大きく体を震わせて、脱兎の如く部屋を飛び出していった。最後の顔は、さすがにリピカでも見れたものじゃなかった。あそこまで散々酷いことを言ったのに、それでもなお自分のために立ち上がってくれた彼を足蹴にして怒鳴り散らす始末。

「我ながら酷い奴だわ……」

 自嘲気味に呟くと、

「そうだナ……勇敢なル男子の面目も丸潰レといっタところカ」

 レメゲトンにさえ、そう言われた。

「頭蓋を貫いて、一瞬で殺そうとしたアンタに言われたくないわね」

「クク、クハハハハ! アカシック・クロニクルの管理者であるハズの冷徹な魔女デモ心が痛むカ! そうカモしれぬなァ。なにセ、あの少年はいつカ何処か、ここではナイ世界でお前と交わる運命にアル者……反発はすれド、今から惹かれあうカ」

「何を――」

「お前は、その世界で、永遠に等しイ命を削ってマデ、少年ノ愛を手に入れよウとするのダ。滑稽ダ。実に滑稽だヨ、魔女」

「あたしが……? 何の戯言よッ!」

「戯言だと思うのならバ、アカシック・クロニクルを見てみるがイイ……おっト、アレは、魔女が関わる事象の記述についてハ酷く曖昧だったのダナ。マァ、十年ほど掛けてゆっくり漁れバ、見つかるカモしれないゾ?」

「……アンタ、誰? 断片的とはいえ、なんで、あたしの知らない記述を知っているの?」

「我ガ、この世界に辿り着いたのハ、そう、二十余年前のことダ……」

 意味深な言葉を残してレメゲトンが消え去り、貝殻が散らばる部屋の中、今度こそリピカは独りぼっちとなった。



 夜霧を裂いて、ひた走る。時間は午後十一時三十分。

 海賊ヒルベルトと出会った第六区画の公園まで、全力で走れば十分程度で辿り着くだろう。走らなくても十分に間に合うのだから、走る必要がないといえばないのだが、シャロウは走っていた。理由は、簡単だ。リピカの居るフラムベルから一刻も離れたかったから。

 だが、

「すっげぇ……」

 ふらりと、体が傾ぐ。続いて、息が詰まる。

 まるで、昨夜の再現だ。だが、残念ながら今夜はまだ口にしていない。ましてや、足元が覚束なくなるほど、普段は飲まない。

「早速ですか。容赦ないな……リピカ様」

 リタルダント・テレスの行く末がはっきりするまでは、いや、せめて今夜一晩程度の猶予ぐらいはあってもよさそうなものなのに。

 リピカが幼少のみぎり、大切にしていた人形から生み出されし使い魔であるシャロウ・ヴィンは、所詮彼女からの魂の供給が無くなれば、朽ちてしまう存在なのである。供給される魂とは、人間に例えれば、酸素のようなもの。この眩暈に、この頭痛。早速その供給を打ち切られたと考えて良さそうだ。

(クビ、って言ったけどさぁ)

 問題は、ここから自分の中に蓄えられたものだけで、どれだけ動けるか――

 今しばらくは平気そうだが、いつ何時、何が起こるかは分からない。せめて、ヒルベルトを倒すぐらいまでは持ってくれるといいなとは思った。だが、リピカの言った通り、あの男が律儀に約束を守って待っている可能性なんて無いに等しいのではないか。もしかしたら、約束は守っても――仲間は連れてくるかもしれない。厄介なことだ。

「……シャロウ?」

 少女の声は唐突で、だからこそシャロウは驚き、目を見開いた。

 街灯と街灯の隙間。闇夜に紛れるようにその娘は立ち尽くしていた。パウリナ。この街に来て出会った神出鬼没の娘の名前。

「やっぱりシャロウだ。どうしたの?」

「どうした……は、こっちの台詞、だ。昨晩からどこ行ってたんだ」

「えと……ガイダッド、さん? シャロウの違う上司っぽい人に睨まれて、早く家に帰れって」

「それで、すんなり?」

「ハイ」

「なんだよ……」

 心配をして損をしたとまで言わないが、パウリナがそんな殊勝な奴だとも思わなかった。というのが本音だった。

「それより、どうしたの? ひどく疲れてるみたい」

 隙間の闇から歩み出てきたパウリナは、やっぱりいつものパウリナで。露出の激しい衣服はさておき、敬愛の念しか抱かないリピカとは違う、安らぎというか、心地の良さを感じることがある。

「ああ、まぁ。ちょっと」

「上司の人? 私、シャロウはお人好し過ぎると思うのです。昼間は傭兵団で働いてくたくたのシャロウを夜も働きに出させるわけでしょ。あの人」

 何か猛烈に勘違いされているようだが、薄ら笑いを浮かべるだけで否定するエネルギーまで湧き上がってこなかった。ふらふらと傾ぐシャロウの身体を支え、パウリナが必要以上に身を寄せてくる。

「だいぶと、『抜かれてる』ね……」

「は?」

 耳元で囁かれるように意味深な言葉を呟かれ、その真偽を確かめようと彼女のほうを向いた瞬間、パウリナの柔らかい唇がシャロウの唇を啄ばむ。

「――ッ!」

 口付け。接吻。口吸。キス。ベーゼ。

 まぁ、なんでもいいが、とにかく不意打ちによるそういった行為だった。

 慌てて引き剥がそうとしたが、それより早く何かがするりとシャロウの口腔に入り込んできて、喉の奥に引っ掛かる頃には溶けるように消え去る異物感に驚く。

「ぷはっ」

 勢いよく離れたパウリナは指の先で自分の唇を撫でながら、

「ちょっとはマシになった?」

 そう言った。

 そんな馬鹿なという考えが過ぎりはするも、

「……なってる、な」

 事実、息苦しさは消え、もやもやと霞かかっていた頭の中も随分と楽だ。

「しばらくは持つと思うよー」

「パウリナ。キミは一体何者だ」

「えへへぇ。ヒ・ミ・ツ! シャロウが上司の人から私の乗り換えるって言うなら教えるよ」

 シャロウとリピカの間柄は、何よりも主従関係というのが優先されるのであって、パウリナが考えているような乗り換える乗り換えないという話ではないのだが、彼女は何をどこまで知っているのだろうか。

「さぁ、参りましょう!」

「どこへだよ」

「シャロウが行こうとしているところ?」

「来なくていい!」

 どんな危険が潜んでいるかも読み切れないのに連れては行けない。というシャロウの訴えをパウリナが素直に聞くわけもなく。

 かくして、午後十一時五十二分。第六区画、港公園。

 さすがにこの時間、人の気配は無い。皆無といっていい。やはり約束は反故されたか。ならば、次に行くところは、リタルダント・テレス宮殿……

 と。

「まさか」

 今朝と同じ場所、同じベンチに、同じようにして腰掛けている男が居た。僅かな街灯で辺りもろくに見渡せない暗がりだったが、間違いない。ヒルベルトである。奴も気配でこちらに気が付いたようだ。

「おー、青年。まさか本当に来るとは思わなかったぞ」

「いや、それはこちらの台詞なんだが……」

「しかも女連れとか、俺に対する当て付けか?」

「こんばんはー」

 にへらと、暢気に挨拶を繰り出すパウリナを視線だけで黙らせる。

 なんだ。なんなんだ、この男。

 シャロウは訝る。約束は守られた。しかも、ひとりのようである。予想したように、仲間を連れ立ってきている様子も無い。なんだか、分からなくなってくる。

「俺はリタルダント・テレス傭兵団のシャロウ・ヴィンだ。海賊ヒルベルト、神妙にしてもらおうか」

「あー、そのことなんだが」

 ヒルベルトはベンチから立ち上がり、右手で無精髭をさすりながら近付いて来た。

「お前さん――シャロウね。どこで、それを?」

「ふざけるな、白鞘にウロボロスの刺青が雄弁にそれを語っているだろう」

「そりゃまぁそうなんだが……」

 奴は自分の右手の手首から下をぶらぶらと振り回し、煮え切らない態度を見せる。

 仲間が来るまでの時間稼ぎ――か?

「言っただろ。今朝だって、珍しく早起きしたから散歩してただけだって。ベンチに座って家族連れなんか眺めて。俺には訪れなかった幸せって奴を妄想上で謳歌したりしながらポエムをしたためてみたりだな」

「……すごそうだね、おじさんのポエム。飛んでる海鳥もばったばったと落ちてくるんじゃないの。猟銃いらないかもですね?」

「何気に失礼だな、お嬢さん。なぁ、シャロウ。お前さんにもあるだろ、そういうささやかな幸せってものが」

「確かにな。まっとうな普通の職に就いて、どこか日当たりのいいアパートなんか借りて、俺が仕事から帰ってくるのを夕食作りながら彼女が待っていてくれたりしたら最高だろうな」

「あ、シャロウってば、そういうのが好み? 上司さんはやってくれなさそうだもんねー」

「だろう? そんな状況ならもういつ死んでもいいと思うよな」

「いや。死ぬのはどうだ……待て。そんな話はどうでもいい」

 駄目だ。ペースに乗せられている。何が悲しくてこんな深夜の公園で、けしてやってこない夢の話なんてしているんだ。

「……包み隠さず言うと、確かに俺たちは海賊と分類されるようなならず者だがよ。まだ何にもしちゃいねぇし、それに、街を襲って略奪するようなポリシーは持ち合わせちゃいねぇぜ?」

「この街では、古来から海賊は発見し次第、打ち首獄門と聞いている」

「誰から」

「ガイダット」

「ふぅ、あの堅物はろくなこと言わねぇな」

 そうだ、その関係もはっきりさせなければ。騎士団が海賊と通じ合っているのかどうかを。ヒルベルトはガイダットを知っている。堅物と吐き捨てる様子から、人づてに聞いた単なる噂ということもあるまい。少なくとも、互いに面識ぐらいはある知り合い程度のはずだ。

「いいか、青年。この世の中には、良い海賊と悪い海賊ってのがあってな――」

 だったら、貴様は悪い方の海賊なのだろう。アカシック・クロニクルに記述されたリタルダント・テレス滅亡の予言。それに近しいこの時期に現れる貴様らが――

 と、それらを声にする前に、また眩暈がシャロウを襲った。前傾に倒れこむ全身。踏み止まるための足が間に合わず、せめて両手で突っ張ろうと地面に伸ばし掛けたが、それよりも早くヒルベルトがシャロウの体を受け止めた。

「おいおい、大丈夫か?」

「あ、ぅ……」

「シャロウ! もう切れちゃったの?」

 まずい、口が回らなくなってきた。

 気を許せば、今にも身体と意識が分離してしまいだ。シャロウの場合、それは比喩では済まないのだが。

「くそ、離せ」

「離せって、お前さん、ひどく衰弱しているようだが……」

 こんな夜中の誰も居ない公園で、傍から見れば、抱き合っているようにも見える怪しいふたりの男が居たとして。

 それを目撃した人間が居たとしたら、どういう反応を示すだろう。

「……ふむ、通報通りのようじゃな。海賊どもめが」

 違った意味で、最悪だったらしい。

 続けて、オレンジ色の灯りが三人を照らし出す。

 ふたりを取り囲んだのは、確認できるだけで六人。リタルダント・テレス騎士団の面々だ。眩暈と闇夜が相俟って、それ以上はっきりとした人数は確認できない。通報通りだと言った老獪な声が騎士たちを割って姿を現した。完全に夜に溶け込んでしまっている漆黒のローブに、まるでおもちゃのような三角帽子。そして、豊富に蓄えられた長い顎鬚。

 それは、リタルダント・テレス魔法兵団の元団長ダリアツォ・ゲルムに他ならなかった。

「今朝方、この場所で海賊だと喚いてた連中がおると住人から通報があってな。まさかとは思ったが……のぅ?」

 ダリアツォ・ゲルムは背後の闇夜に向かって問い掛ける。

 まだ、誰か、居る……?

「お前さんの管轄である傭兵の若いのもおるが――彼も、そうなのかね?」

 ダリアツォに続いて現れたのは、騎士団長ガイダット。彼は額に手を当てて、ひたすら頭痛に耐え忍んでいる様子だった。

「海賊がここで密談とは、街を襲う算段でも立てておったか。いかんなぁ。ま、とりあえずは詳しい話を聞かせてもらう必要があるかの? ご足労願おうかな、ふたりとも」

 騎士団が武器を構えて、包囲網を狭めてくる。

「あれ、ちょっと待て……俺、まで……?」

「私もッ? えぇー、ちょっと!」

 シャロウはなんとか声を絞り出したが、ダリアツォは既に夜の闇の向こう。パウリナの抗議の声も届かない。

 苦し紛れにヒルベルトを振り返ってみたが、よくよく考えれば、奴には自分を弁護する義理も理由もない。

 ガイダットの表情からは、やれやれ、俺の面目が丸つぶれだ糞餓鬼ども。どうしてくれる。残業までさせやがって。という心の声が読み取れた。

 遠からずでないことだけは確信できた。むしろ当たっているだろうとも。

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