1 歓迎されない来訪者

 かつて、海洋国家リタルダント・テレスはテレストリアルと呼ばれるこの世界でも有数の魔法王国だった。

 魔法とは、術者の精神力を以って、術者の願いを叶える奇跡と呼ぶに相応しい手段のことである。

 願いは全てを可能にする。術者が描く理想の世界で、今ある現実の世界を上塗りしてしまうのだ。強く願う者、具体的な理想を抱く者ほど、強力かつ強大な魔法を操ることが出来る。人々の暮らしは飛躍的に向上していったが、その力を軍事に転用しようとする者が現れるのは当然の流れであるといえよう。事実、改良に改良を重ねられた魔法の力によって、世界は何度も死に掛けた。

 だが、今から二十年前。

 この世界において、魔法そのものの消失という今では考えられないような事件が起こる。人々の間で当たり前のように扱われてきた力が失われ、世界は大パニックへ陥ったが、それらに代わる蒸気やエレキテルといったエネルギーで代替することにより、世界はようやく安定を取り戻す兆しを見せ始めた。

 とりわけ魔法への依存が大きかったこの国は、世界の果てまでその名を知らしめたリタルダント・テレス魔法兵団の無力化も相俟って、魔法消失当時から他の国家や海賊に狙われることが多々あったようだ。それらの侵攻を魔法兵団に代わって、全て撥ね付けて来たリタルダント・テレス騎士団とその団長ガイダットは英雄として人望厚く、王族からの信頼も並ならぬものだという。

「はっ、その英雄様も歳食って臆病風に吹かれたか」

 思考が思わず口を突いて飛び出てしまった。慌てて周りを見渡すも、褐色肌に黒髪という異邦人然としたシャロウのことを気に留める者はいない。

「いや――」

 幾分声を潜め、即座に思い直した。

 実は、ガイダットは身動きが取れないのではないのだろうか。王族や国民には英雄と持てはやされてはいるが、古くから王家に使えている忠臣たちにしてみれば、所詮は新参者の若造。面白くないことこの上ないだろう。

 そんな時期に長らく海賊退治の遠征などに出かけてはいられない。本国留守中に内部の良からぬ企みに巻き込まれて、足元をすくわれかねないからだ。

 つまり、

「臆病風じゃなくて、ただ保守的になっただけか」

 シャロウの推測が当たっているかどうかはともかく、どちらにせよ英雄様が歳を食った弊害だと納得してもう一口付けたところで、聞き覚えのある女の声が耳に届いた。

「臆病風って、何のことー?」

 色とりどりの果物が軒先を飾るテントの脇、木製の樽の上にふんぞり返りながら真っ赤な林檎にかぶり付く少女がいた。

 鮮やかな山吹色のセミロングの髪に、淡いシースルーワンピースの健康的な肢体。もちろん、その下にも衣服は纏ってはいるものの、全般的にその面積が小さく、もはや下着のようにも見えて目のやり場に困る。

「……ホント神出鬼没だな。お前って」

「いやぁ、照れるですよ」

「褒めてないからな」

 その少女の名は、パウリナ。

 ガイダットやダリアツォと同じく、シャロウと女上司がこの国へやってきてから出会った人物のひとり。

 月並みだが、本当に月並みだが、裏路地でチンピラに絡まれているところを偶然助けたところ、このように行く先々で待ち伏せするかのように付き纏われることとなった。

「ねーねー、臆病風って誰のことー?」

 質問そのものに取り合う気がないシャロウは足早に立ち去ろうとするも、樽から飛び降りたパウリナの声が追いかけてくる。

「あ、分かった。シャロウの上司の女の人だ。酒場で働いてる――」

「違うっての。頼むからリピカ様の前でそんなこと口にしないでくれよ。死にたくなければな」

「えぇー。ぶっちゃけ、シャロウとその人の関係ってなんなのですよー」

「上司って、さっき自分で言っただろ」

「そういうことじゃあなくってですね……」

 肩越しにちらり振り返ると、パウリナが不満げに頬を膨らませていた。



 フラムベル。

 それがシャロウが下宿している宿の名前である。

 その一階の酒場、奥まった隅のテーブルで、あえて言うなら目立たぬよう酒を飲んでいる、というよりは、その表面を舐め続ける。酒にはあまり強くはないが、好きなほうではあるシャロウの一日の最後、締め括りの光景だった。

「あはははは! シャロウ、ダッサーいッ!」

 当然のように付いて来て、自分と同じ琥珀の飲み物が入ったジョッキを振り回しながら上機嫌に喚くパウリナの姿に辟易とする。

 リタルダント・テレスの法律では、齢十六から酒を嗜んで良いことになっているらしい。それを自分の目で確認したことはないが、酒場の人間が彼女を咎めることはないため、嘘ではないのだろう。信じ難い思いは払拭できないが。

「リピカさーん!」

 元々のテンションの高さにアルコールが加わって、手の付けようがないほどになっていた。悪いことをしたわけではないが、その上司と顔を合わせるのも気まずいために極力避けていたところ、ずけずけと踏み込んでくる。

「……なに?」

 床板を鳴らしながら接近してきた少女は溜め息にも似た声で呟いた。

 銀糸の髪に、漆黒のビスチェ。顔立ちにはあどけなさが残る、とても目立つ風貌で、美少女と呼ぶに相応しい。

 今はその上に仕事着の白いエプロンを重ねているが――彼女がシャロウの上司的な存在である。あるのだが、今は身分を偽ってこの酒場で働くウェイトレスでもある。

 リピカがフラムベルで働くようになって売り上げが二倍になったと、いつぞや女将が漏らしていた。

「おかわりくださーい!」

 空気を読まず――読めず――ジョッキを高々と掲げ、パウリナ。

 今度こそ、正真正銘溜め息を漏らし、シャロウのテーブルを離れカウンターの中に消えていく。緊張が解除され、シャロウもまた溜め息を吐いた。

「変なの。喧嘩してるのです?」

「いいや」

 喧嘩などしていない。するはずがない。

 喧嘩というのは、主に親しい者同士が行う行為だ。親兄弟、友人、仲間……関係性は色々あれど、そういった者同士が行うものだ。無論、全く知らない者同士が行う喧嘩もある。人混みで肩がぶつかっただけで争いになるという典型的なものがそれだ。

 しかし、今の自分たちはそのどれにも当て嵌まらない。

 顔も知らない赤の他人かと言えばそうではないし、喧嘩するほど仲が良いという言葉に表されるほど、仲が良い関係でもない。

「どうぞ。おまちどうさま」

 再び現れたリピカがテーブルに叩き付けるようにジョッキを置いていく。

 目を輝かせて再びそれに飛び付くパウリナは特にそれ以上の回答を求めているようではなかった。

「ったく……」

 やさぐれ気分もそこそこ、ようやくジョッキの中の酒を一口含んだところで、また別の人物がシャロウの前に現れた。

「なーに、不貞腐れてやがんだ。相棒?」

 シャロウのことを相棒と呼ぶのは、たった一人しかいない。同じリタルダント・テレス傭兵団に所属するアレン・グリザリッドだった。

 栗色の髪を女々しく伸ばして、無駄に色目を振りまく男。今ははだけたシャツに紺色のスラックスという普段着ではあるが、正装時にはワインレッドのとても目立つ甲冑を好んで身に着けている。オフでも帯剣しているのは、さすがとしかいいようがない。

「なんだ。お前か」

「おおっと、また随分とつれないね」

 アレンは既に自分の酒を持っており、そのジョッキをシャロウのテーブルの上にどすっと置いて、断る前に対面の椅子――つまり、パウリナの隣に座り込む。

「おっす。パウちゃん」

「おっすー。アレンくん」

 たまに、その軽いノリに付いていけなくなる。そうしたほうが、しないよりはいいのかもしれないが、どうしても付いていけない。

「で、どうしたんだ。パウちゃん、何沈んでんのコイツ」

「さぁ……リピカさんと上手くいってないんじゃないですかね?」

「リピカちゃんにフラれたのか」

「そんなんじゃねぇっての!」

 ちゃん付けするアレンも割と怖いもの知らずで、背筋が粟立つ。やや大声を上げたのも彼女に聞こえないよう打ち消すためだ。この世界に来て、リピカが愛想がいいのは子供に対してだけ。シャロウは言うに及ばず、店を訪れる客に対しては恐ろしく事務的に接している。アレンもその例外ではない。

「止めとけ止めとけ。あんなつれない女、今まで見たことがねぇよ。冷徹だよ、冷血だよ。魔女だな、ありゃあ。少なくとも血の色は赤くないはずだ」

「ええぇぇ! 赤くなかったら何色だっていうんですかッ!」

「ばっ、おま、聞こえるぞ!」

 視線を感じた。

 あえてそちらを向かないように頑張ってみたが、間違いなくこちらを見て、睨んでいる。注文の追加には彼女以外を呼び止めるようにしよう。今日は彼女以外、フロアに立っている者を見てないが。

「もう随分回ってるのか、アレン」

「んんっ、お前が来る前からなー。今日はいつもより遅かったじゃねぇか」

 それは、リタルダント・テレスの宮殿に寄って、ガイダットと一悶着あったせいだ。

「ああ……宮殿に寄って、ガイダットとやりあってきた」

「うげ、オッサンとかよ。自ら進んで宮殿に行くなんて、お前、ホント変わってんなー」

 アレンは二十八歳という若さにして、傭兵団の古株である。

 傭兵団とはその名の通り、主に金品での契約を以ってリタルダント・テレスに雇われた傭兵たちが所属する組織のことであり、正規兵、つまり騎士団よりも小回りが利く、身軽な立ち回りを求めて組織された。

 組織上は騎士団の下位とされ、統括は騎士団長ガイダット・ハインラインである以上、誰が傭兵の団長とか隊長とか、そういった役職付けはないのだが、もしあるとすれば、実力からしても間違いなくその位置に収まるのはアレンだ。

 シャロウが来る前からずっと傭兵団に属していた彼は、シャロウ以上にガイダットと口論することがあったという。やはり、彼に言わせても、いまいち何を考えているのか分からない頑固なオッサンなのだろう。

「俺も出来るなら関わりにはなりたくないがな。そうも言ってられんだろ」

「ああ……海賊の件か」

 頷くシャロウ。

「お揃いの白鞘の曲刀を引っ下げ、右手にウロボロスの黒い刺青をした連中。その海賊船らしきものも頻繁に目撃されてるというのに、オッサンは一向に動こうとしない……」

「被害が出てからじゃ遅いだろうが」

「確かに」

「とにかくだな――」

 リピカの視線は未だこちらに向けられている。声を殺して、アレンだけに聞こえるよう呟いた。

「今、放置していたら不味いことになるんだよ」

 アカシック・クロニクルの記述通りであれば、ここ数日のうちにリタルダント・テレスは滅ぶことになる。そんなことをアレンに言ったところでさすがに信じてもらえないだろうから、適当に言葉は誤魔化してみたが、こちらの真剣さは伝わったようだ。

「ふむ……じゃあ、行くか!」

「は? 行くってどこへ」

「実はリタルダント・テレスの東、第七区画の倉庫街に海賊の隠れアジトがあるんじゃないかって噂を聞いたのだ」

「本当か! ん、待て。誰から」

「内緒。と言いたいところだが、特別に教えてやろう。ダリアツォのじいさんからだ」

「じいさんかよ」

 先程、宮殿の中で娘と一緒に声を掛けてきてくれた人物、ダリアツォ・ゲルム。

 ガイダットとは対照的に、普段は物腰の柔らかい好々爺。だが、実はかつて、リタルダント・テレス騎士団と双璧をなしたという魔法兵団、その団長であった男である。

 無論、既にこの世界から魔法という力は消え去っているので、魔法兵団という組織は既に形骸化しており、当時の魔法兵団幹部クラスだけが残ってるといった有り様である。ほとんどが過去の功績だけでリタルダント・テレス宮殿の要職に居座る中、ダリアツォ・ゲルムだけはその博識さを以って迎えられたらしい。

「なるほど、行ってみるか……」

「おう。もうちょっと飲んだらな」

「おい、アレン!」

「大丈夫だって。俺とお前が組めば、無敵だろー。海賊だろうが何だろうが蹴散らしてやるさ!」

「――えへへぇ。楽しそうですねぇ?」

 何を思ってか、しばらく声を潜めていたパウリナが怪しい一言を搾り出す。いつも賑やかだけが取り柄の彼女が珍しく沈黙を保っていたせいもあって、しばしの間、同席していたことを失念していた。

 機密事項――というほどのものでもないかもしれないが、だだ漏れの一言に尽きる一幕。

「あー、ほら。パウちゃん。ちょっとあっちのカウンターで飲み直そうか? 俺がキープしているブランデーもあるからな」

「えぇぇ、本当ですかッ!」

 目配せを送ってきたアレンがパウリナを連れて一旦席を離れていく。酒の力で気を逸らそうとする魂胆だろうが、あの娘は底無しだ。燃費が悪い。それを忘れたか。あるいは、忘れたわけではないだろうが――小娘に酔わされ、財布の中身を吸い上げられる自分を律し、今日こそは、と考えているのか。

「……なんだか随分と楽しそうね?」

「リピカ様――」

 どすっ。

 目にも止まらないとはこのことだ。

 三度近付いてきた少女の細い足、その爪先が問答無用でシャロウの下腹部に埋め込まれる。

「様とか付けない。あと、敬語も禁止。そう言ったはずだよ」

「すみませ……すまない、つい」

 腹を蹴られて、屈めた上半身。テーブルがすぐそこに迫っていることにも気づかず、今度は額をぶつけた。馬鹿じゃないのと、リピカは心配してくれる素振りすら見せず一蹴。そこでようやく手にしていたフライドフィッシュの皿をテーブルの上に置いた。

「い、いやぁリピカに料理を運んできてもらうなんて、よくよく考えると感慨深いものがあるなー」

「はいはい、そんなことはどうでもいいから」

 溜め息混じりに続いた彼女の言葉はひどく事務的なものだった。

「で。首尾の方は」

「ああ、うん。海賊があちこちで出没してるっていうのに、出兵を考えないガイダットがね――」

「ちょっと! 誰がそんなこと聞いたのよ」

「あれ、違ったっけ」

「これから起こるはずのリタルダント・テレス滅亡を見届けて、アカシック・クロニクルに追記、または補記を行う。これがあたしとキミの使命。そういう余計なことはしないで頂戴。無駄よ」

 当初、そのために自分たちはここへやって来た。

 シャロウは剣の腕はめっぽう立つので、傭兵としてリタルダント・テレスの中核に潜り込み、リピカはシャロウの下宿先の酒場で給仕しながら情報収集を行う。

 リタルダント・テレスの滅亡に関して、アカシック・クロニクルの記述は非常に曖昧なものだった。曖昧な理由は分かっているが、それがどう絡んでくるのかが分からない。管理者であるリピカには、それを確認する義務があった。

「でも、リピカ。国が滅ぶんだぜ。それなのに指を咥えて……」

「うるさい、黙れ。アカシック・クロニクルの記述は絶対。それを後から改変だなんて愚の骨頂。無駄な努力、無駄な労力、無駄な尽力。人間どもの住み処のひとつやふたつ、どうなろうとあたしの知るところじゃないわ」

「リピカ……」

 何がここまでこの少女を荒ませてしまったのか。一向に変わることのないリピカのスタンスはシャロウの悩みの種でもあった。

「騎士団がどうとか、海賊がどうとか言う前に、自分の役割を思い出しなさい。アラクサラよ。そいつがアカシック・クロニクルの記述を歪ませたに決まってるんだから」

 それだけ告げて、リピカはシャロウの席を立ち去る。

 彼女が持って来てくれたフライドフィッシュをひとつ口に放り込んだところで、酒場の入り口から元気よく小さな少年が飛び込んできた。実はリピカも本人が気にするぐらい身長が低いのだが、その少年はリピカと比べても更に頭半分ぐらい低い。

「リピカ!」

 少年は目ざとくリピカの姿を見つけ、酔っ払いが横行する狭い通路をすり抜けるように彼女の元へ辿り着く。

「あら……エリクス。いらっしゃい」

 なんという変わり身の早さだろう。あの外面の良さの何分の一かでいいから自分のために取っておいて欲しいものだ。

「でも、ダメだよ。子供がこんなところに来ちゃ」

「へへーん。リピカだって十分子供に見えるよ?」

「ま、失礼しちゃうわね」

 つんっ、とそっぽを向いてみせるリピカ。あれがシャロウだったら、鉄拳制裁どころでは済まないと思うのだが、想像だけで身震いがした。体温が下がってちょっとラッキーだなんて思わない。

「はい、これ」

 少年が差し出した手には、いつものように貝殻が乗っているのだろう。シャロウの位置からは見えない。

「わぁ……素敵。またあたしにくれるの?」

「ああ、その為に潜ったんだから。リピカにあげる」

「ありがとう! 今まで貰った貝殻も全部小箱に入れて保管してあるよ。そろそろ新しい箱買わなきゃかも。入りきらなくなるよ」

「んじゃ、たっくさん箱を用意しといてくれよ! 俺、もっともっと取ってくるからさ!」

「ホント? 楽しみにしてるよ」

 何が、新しい箱買わなきゃ、だ。

 確かに貰ったものを捨てないだけマシかもしれないが、その箱だって先日シャロウが気紛れに駄菓子屋で購入した少し大きめの菓子箱である。ぞんざいもいいところだ。

(ん、待て。また俺に同じ菓子を買って来いと言うんじゃないだろうな。あの人)

 十分考えられることだ。エリクス少年を見送って、笑顔で手を振っているその横顔の悪魔は容易くそんなことを言ってのける。

 それにしても、

「ちぇ……いい顔してやがるなぁ」

 普段からあれだけにこにこと自分にも愛想を振りまいてくれたら、アラクサラの調査だってもう少しやる気が出るってもんなのに。何の関係もない街の少年に振りまいたところで、何の利にもならないことなど彼女なら容易に分かるだろう。使う場面を間違っていないか。

 こちらの視線に気付いたのか、リピカの鋭い眼差しが跳ね返ってくる。

 頼むからそれ以上、険しい目で俺を見ないでくれ。

 心が折れるから。



 思った以上に時間が過ぎた。

 結局あれからどれほど飲んだのだろう。

 基本的に酒が嫌いではないシャロウはアレンに勧められるまま飲んでしまい、その勧めた本人は既に足元が覚束ない状態である。そういう自分もアレンほどではないが、視界が霞んで、ぐらぐらと揺れている。

「あっはっはっ! きーもちいー!」

 挙げ句、パウリナまで付いて来ているのだから、何も誤魔化せていない。

「おいっ、おい! 第七区画まで行けるのか!」

「いやぁ……無理、かも、な。おぶっ」

 ごちんと、鈍色の街灯に頭をぶつけて、蹲るアレン。それを助けようと反転したシャロウは街路の石畳の隙間に爪先を取られ、派手にすっ転んだ。

「シャロウ! かっこ悪いシャロウ!」

「あは、あははは、だっせえ!」

「てめぇら!」

 もういい加減、いい大人がすることではない。酒に飲まれて、夜中に街で騒ぎ立てるなど。

 しかし、これはなんだろう。シャロウはともかく、アレンがあれほど酔っ払うとは珍しい。奴は大酒飲みではあるが、顔を赤らめる程度で、真っ直ぐ歩けなくなるほど酔い潰れたことは今までになかった。

「いやぁ……いい気分だなぁ。いい気分だよ。こんなに酔っ払ったのは、初めて、か。ははははっ!」

「近所迷惑だ」

 ほぼ毎日のようにふたりで飲んではいるが、パウリナが居たこと以外はいつもと変わらない酒の席だった。酒には強いアレンがこれほどまでに酔っ払うほど、特別良い席だったとも思えないが。

 いや、パウリナ効果だろうか。

「――何事かと思えば、貴様らか」

 その声で、少なくともシャロウの酔いは飛んだ。

 街灯の向こうの暗がりから、金属音をかき鳴らして近付いて来る人影。

「誰ですか? おじさーん」

 怖気づくこともないパウリナ。

「ガ、ガイダット……」

 今は濃紺に見える青いマントで身を包んだ中年オヤジ。右手で端正な顎を撫でつけながら、さも呆れた表情をありありと醸し出していた。

「帰宅途中、ノミ程度には聞き覚えのある声の馬鹿騒ぎを聞きつけて遠回りしてみれば、何だこの有り様は。今後は傭兵の登用基準に私生活の規律も加えなきゃならんか――ん? この恥晒しどもめ」

「今から第七区画へ行くところなんだよ!」

「第七区画、だと?」

 ぴくっと、ガイダットが眉を吊り上げる。

 なんだろう。咄嗟にガイダットが何か言葉を飲み込んだ。今、そんな風な違和感を覚えた。

「よう、オッサン。相変わらず堅っ苦しい顰め面してんなぁー。どうだ、今から俺たちと海賊退治にしゃれ込むとしようぜぇ!」

 駄目だ、アレンはまだ酔っ払ったままだ。

「……海賊退治に、第七区画。どういう繋がりがあるのだ。あそこには、倉庫があるだけだろう」

「あそこに、海賊のぉー、なんだ、隠れアジト? あるって、ぐぅ……」

「おい、アレン!」

 喋りながら、とうとう蹲り、街路の片隅でいびきをかき始めてしまう。

「その情報は、どこからだ。小僧」

 カツン。

 ガイダットが一歩前に踏み出してくる。ただそれだけだ。

 それだけだったはずだが、

(なんだ、これは)

 ガイダットとの距離は、歩数にしておよそ二十歩。まだまだお互いに間合いの外である。にも拘らず、この有無を言わせない威圧感。

「知るかよ。アレンが言い出したことだからな」

 嘘だ。

 しかし、なんにせよ、下手なことは言わない方がよさそうな雰囲気だった。

「ほう。酔っ払いの言を真に受けて、今から第七区画か……それはそれは」

 ガイダットのマントが翻る。

「シャロウッ!」

 パウリナの悲鳴にも似た叫び。

 目を離したつもりはなかった。しかし、酔いも手伝ってか、絶対の自信はなかった。気づけば、ガイダットはシャロウの眼前にいて、シャロウが見ていたのは、マントの残像だった。奴が持つ白鞘で左の側頭部を打たれ、地面に這い蹲る。

(やっべ……全っ然、見えねぇ……)

 打たれた痛みか、それとも単に酒のせいか。シャロウにも強烈な睡魔が訪れる。

 ガイダットの捨て台詞と、奴の白鞘がやけに印象に残った。


 ――貴様ら余所者の小僧なんぞに、台無しにされては困るんだよ。

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